2010.03.11
トンデモ話は奥で繋がる(17) 22.3.11
トンデモ話は奥で繋がる 「第十七夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪スピリチュアリズムの「正統性」とは④≫
★ 小生の基本はいつも2つの観点から
さて、彼らが正統とする霊的真理の説明の部分である「第二部」に入
ってゆくのですが、そもそも「そんなこと信じられない」方々にとって
は立派な「トンデモ話」ですので、まずは、第八夜で提言した、2つの
観点から、彼らの霊的真理をみてゆくことにします。
(実際に、小生が出会った際にも、まずその確認から入ったわけです。)
一つ目は「死後も自分の意識が存在するかどうか」でした。これにつ
いては「第一章」の冒頭で「霊体の永遠性」として説明されています。
私達は地上界においては<「肉体」と「霊体」を持って生活しており、
(この中間の"体"として「幽体」を加える場合もありますが、これについ
ては「霊体」のうち、"密度"が粗い状態であり、基本的には「霊体」と
同じだとしています。)
「肉体」には「本能の欲求」に支配された"顕在意識"としての心、
「霊体」には普段は意識できない"潜在意識"としての"霊の心"
という、二つの心を持っているとされます。うち、肉体とともに消滅する
のは、地上での"顕在意識"としての心であり、死の瞬間から、いままで
"潜在意識"として隠れていた"霊の心"が"顕在意識"にとってかわるという
ものです。
つまりは、「今までとは違った意識」が「それまでの意識」にとって
変わる形で、意識が無くなるどころか、本来の自分の意識を取り戻す
ということで、霊の意識としては、意識は永遠に存在するということです。
★ 「脳死」は人の死か
ここで、小生が問題としてきた「脳死」を人の死としてよいかという医
学上の問題は、どう結論されるのでしょうか。
スピリチュアリズム的には極めて明確な定義がされています。
臨死の状態で「幽体離脱」状態となる場合、「肉体」から「霊体」が抜
けてゆくのですが、その二つの"体"をつないでいる銀色の紐のようなもの
(シルバー・コード)が存在するとされます。この紐はいくらでも長く伸び
ることができるのですが、このつながりが切れてしまうと、「霊体」は二
度と「肉体」には戻れなくなる。まさにその瞬間が「死」とされます。
アメリカの霊能者ハドソン・タトルは、トランス状態で他者の死を観察
し、『大自然の秘密』の中でその過程を説明しています。
肉体とほぼ重なっている霊体が、その重なりから縮むように抜けて頭
部に集結する。やがて頭頂から後光が現れ、それが次第に鮮明に、肉体
と同じ形に変わってゆく。その形はゆっくりと上昇し、肉体の少し上で
浮かんだまま横たわり、一本の細いコードが両者をつないでいる。
しばらくすると、その霊形はゆっくりと直立し、つないでいたコードは
次第に細くなり、その霊体の中へ吸い込まれ、霊魂は肉体と縁を絶つ。
つまり、霊体の見える者であれば、その「肉体的な死」を正確に判断す
ることができるわけです。
一方、「脳」は"霊の心"を受け取る受信器であり、「肉体」の機能のコ
ントローラーとして機能しています。従って「脳」が障害を受けた場合に
は、"霊の心"が正確に伝わらない状況が起こりえます。時には「脳波」が
波形を刻まなくなるかも知れません。しかし、これだけでは「霊体」が
「肉体」と縁を切ったかどうかの正確な判定はできないのではないかと思
います。
最善の方法は、やはり「霊体の見える者」が立ち会うしかありません。
あるいは、そうした事例をもとに、正確にそれと結びつく「肉体的兆候」
を見つける必要があります。それまでは「霊体の見える者」以外は「脳死」
の判定をすることは差し控えるべきです。
★ 他の宗教の「死生観」と相容れるのか
さて、こうした「霊的な死生観」をもとに、冊子ではキリスト教及び仏
教を厳しく批判しています。
まず、キリスト教に対しては「心霊現象を全て悪魔の仕業として退けて
いる」教会の態度を改めない限り、「いずれこの世から姿を消す」と言い
切っています。
さらに「イエスの復活」についても、第十五夜で述べたような、エクト
プラズムによる"幽霊現象"であって、「再臨」によって人類を救うことな
どと考えるのは間違いだと言っています。
小生も、「正統派キリスト教」に対しての批判としては、"この世から姿
を消す"かどうかは別として概ね同意見ですが、第五夜でお話したように、
キリスト教には「正統派」によって「異端」のレッテルを貼られたものが
いくつか存在し、それらの中には「心霊現象」を否定しないものも存在しま
すので、その点は考慮されるべきです。
(これについてはいずれ述べる機会があると思います。)
★ 「シッダルタ」の説くものは?
難しいのは「仏教」です。これについては、さすがに大上段からバッサリ
とは斬りつけていません。
まずは「キリスト教会のように露骨な反対をしない」点はよいとしながら
も、根本的な誤りとして、
① 「霊魂」という実体を明確に否定していること。
② 「永遠の命」を求めることを「錯覚」だとしていること。
をあげています。
さて、これについては小生も明確な判断ができません。と言うのは、仏教
を知ろうとすればするほど、
『シッダルタ自身が悟り、伝えようとした"本当の教え"が何なのか』
がわからなくなるからです。
①や②について、"このとおりの解釈"であれば、小生もご批判の点につい
て全く同意見です。しかし、「シッダルタ」がいっているのは、そういう意
味ではないような気がします。
次回十八夜は、このあたりを述べてゆく予定です。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪スピリチュアリズムの「正統性」とは④≫
★ 小生の基本はいつも2つの観点から
さて、彼らが正統とする霊的真理の説明の部分である「第二部」に入
ってゆくのですが、そもそも「そんなこと信じられない」方々にとって
は立派な「トンデモ話」ですので、まずは、第八夜で提言した、2つの
観点から、彼らの霊的真理をみてゆくことにします。
(実際に、小生が出会った際にも、まずその確認から入ったわけです。)
一つ目は「死後も自分の意識が存在するかどうか」でした。これにつ
いては「第一章」の冒頭で「霊体の永遠性」として説明されています。
私達は地上界においては<「肉体」と「霊体」を持って生活しており、
(この中間の"体"として「幽体」を加える場合もありますが、これについ
ては「霊体」のうち、"密度"が粗い状態であり、基本的には「霊体」と
同じだとしています。)
「肉体」には「本能の欲求」に支配された"顕在意識"としての心、
「霊体」には普段は意識できない"潜在意識"としての"霊の心"
という、二つの心を持っているとされます。うち、肉体とともに消滅する
のは、地上での"顕在意識"としての心であり、死の瞬間から、いままで
"潜在意識"として隠れていた"霊の心"が"顕在意識"にとってかわるという
ものです。
つまりは、「今までとは違った意識」が「それまでの意識」にとって
変わる形で、意識が無くなるどころか、本来の自分の意識を取り戻す
ということで、霊の意識としては、意識は永遠に存在するということです。
★ 「脳死」は人の死か
ここで、小生が問題としてきた「脳死」を人の死としてよいかという医
学上の問題は、どう結論されるのでしょうか。
スピリチュアリズム的には極めて明確な定義がされています。
臨死の状態で「幽体離脱」状態となる場合、「肉体」から「霊体」が抜
けてゆくのですが、その二つの"体"をつないでいる銀色の紐のようなもの
(シルバー・コード)が存在するとされます。この紐はいくらでも長く伸び
ることができるのですが、このつながりが切れてしまうと、「霊体」は二
度と「肉体」には戻れなくなる。まさにその瞬間が「死」とされます。
アメリカの霊能者ハドソン・タトルは、トランス状態で他者の死を観察
し、『大自然の秘密』の中でその過程を説明しています。
肉体とほぼ重なっている霊体が、その重なりから縮むように抜けて頭
部に集結する。やがて頭頂から後光が現れ、それが次第に鮮明に、肉体
と同じ形に変わってゆく。その形はゆっくりと上昇し、肉体の少し上で
浮かんだまま横たわり、一本の細いコードが両者をつないでいる。
しばらくすると、その霊形はゆっくりと直立し、つないでいたコードは
次第に細くなり、その霊体の中へ吸い込まれ、霊魂は肉体と縁を絶つ。
つまり、霊体の見える者であれば、その「肉体的な死」を正確に判断す
ることができるわけです。
一方、「脳」は"霊の心"を受け取る受信器であり、「肉体」の機能のコ
ントローラーとして機能しています。従って「脳」が障害を受けた場合に
は、"霊の心"が正確に伝わらない状況が起こりえます。時には「脳波」が
波形を刻まなくなるかも知れません。しかし、これだけでは「霊体」が
「肉体」と縁を切ったかどうかの正確な判定はできないのではないかと思
います。
最善の方法は、やはり「霊体の見える者」が立ち会うしかありません。
あるいは、そうした事例をもとに、正確にそれと結びつく「肉体的兆候」
を見つける必要があります。それまでは「霊体の見える者」以外は「脳死」
の判定をすることは差し控えるべきです。
★ 他の宗教の「死生観」と相容れるのか
さて、こうした「霊的な死生観」をもとに、冊子ではキリスト教及び仏
教を厳しく批判しています。
まず、キリスト教に対しては「心霊現象を全て悪魔の仕業として退けて
いる」教会の態度を改めない限り、「いずれこの世から姿を消す」と言い
切っています。
さらに「イエスの復活」についても、第十五夜で述べたような、エクト
プラズムによる"幽霊現象"であって、「再臨」によって人類を救うことな
どと考えるのは間違いだと言っています。
小生も、「正統派キリスト教」に対しての批判としては、"この世から姿
を消す"かどうかは別として概ね同意見ですが、第五夜でお話したように、
キリスト教には「正統派」によって「異端」のレッテルを貼られたものが
いくつか存在し、それらの中には「心霊現象」を否定しないものも存在しま
すので、その点は考慮されるべきです。
(これについてはいずれ述べる機会があると思います。)
★ 「シッダルタ」の説くものは?
難しいのは「仏教」です。これについては、さすがに大上段からバッサリ
とは斬りつけていません。
まずは「キリスト教会のように露骨な反対をしない」点はよいとしながら
も、根本的な誤りとして、
① 「霊魂」という実体を明確に否定していること。
② 「永遠の命」を求めることを「錯覚」だとしていること。
をあげています。
さて、これについては小生も明確な判断ができません。と言うのは、仏教
を知ろうとすればするほど、
『シッダルタ自身が悟り、伝えようとした"本当の教え"が何なのか』
がわからなくなるからです。
①や②について、"このとおりの解釈"であれば、小生もご批判の点につい
て全く同意見です。しかし、「シッダルタ」がいっているのは、そういう意
味ではないような気がします。
次回十八夜は、このあたりを述べてゆく予定です。
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