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トンデモ話は奥で繋がる(134) 23.11.23

トンデモ話は奥で繋がる 「第134夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ④≫
 
 ★ 生と死

 さて、シュタイナー自身、何故我々が『神秘学』や『人智学』を知る必要があるのか
について尋ねられた時、決まって「神秘学を学ぶ意味は、死者との結びつきを持
つためだ
」と答えたとされています。

 つまり、既にこの世を去った人達と、まだこの地上に残っている我々との間に、密接
人間関係を作り、それを通じて『地上に生きることの意味』を知ることこそが、人
智学の目的であると彼は言っているのです。


 しかし、通常人の感覚からすれば、『何がしかの目的のために死者の霊を呼び
出し、有益な情報や現象を得ること
』であると短絡的に理解され、これこそが彼の
人智学に『オカルト』の烙印を押す原因ともなっています。

 ここで、巷でよく言われる生と死の常識について考えて見ましょう。よく、子供が、
『生の反対が死』だと言う時、大人はしたり顔で得意げにこう話します。曰く、死』は
連続する『生』が停止する一点に過ぎないから、反対の言葉ではない
…と。

 しかしこれは『肉体の死』のことを言っているに過ぎません。仮に『死後も我々の意
識は残る』とか、『然るべき後に転生する』と考えると、『死』は我々の『意識』を中断
させるポイントではなくなります


 また、『生』というものには『終わり』がないことになり、従って状態としての『生』
の反対の概念は存在しない
ことになります。ならば、どっちにしろ『生』の反対は
『死』でないことには変わりが無いと開き直る
こともできます。

 しかし、シュタイナーの『人智学』では、これとは少し違った見方をします。そして、そ
の場合は、『生』と『死』はまさに反対のポイントを指し示すことになり、子供の言っ
た言葉こそ正しいものとなるのです。

縮シュタイナー死者の書  シュタイナー自身、1914年4月にウィーンで行った『
間の内的本性と死から新しい誕生までの生活
』と銘
打たれた講演の第5講において、死後に死者がどのような
体験をするかについてを語っています。

 この講演内容の高橋巌氏による日本語訳が、ちくま学
芸文庫から『シュタイナーの死者の書』として出ていま
すが、小生はこれを初めて読んだ際、正直なところ、その
体験の過程の意味がよくわかりませんでした。

 それを『目から鱗が取れる』ように、示唆に富んだ解説してくれたのが、第131夜
以降紹介してきた西平直氏です。以後、その著『シュタイナー入門』《講談社現
代新書》
の解説も併せながら、その過程を要約してみます。

 ★ まずは『睡眠』から

 前夜でお話したとおり、我々は現世において、『物質体』、『エーテル体』、『アスト
ラル体』
及び『自我』の4つの『体』を持って生きています。そしてシュタイナーは、我
々の生理現象の全てをこの4つの体の組み合わせで説明しています。

 死後の死者の体験を理解する上で、その感覚を理解する手がかりとなるのが、我々
が日常体験している睡眠です。と言っても、残念ながら、その時自分に何が起こって
いるのかを、我々は記憶にとどめてはいません。

 シュタイナーによれば、睡眠中には『物質体+エーテル体』『アストラル体+自
我』
の繋がりが絶たれます。その際、肉体はエーテル体によって生き続けていますが、
そこには記憶や意識はありません。『アストラル体』が離れてしまうためです。

 『アストラル体』は肉体を離れた状態でも活発に活動しており、睡眠中の『エーテル
体』にも働きかけて
います。この状態がいわゆるレム睡眠で、覚醒時と違って『アスト
ラル体』は『物質体』の感覚器とは直接結びついていない状態となります。

 そのため、外部の環境をうまく捉えることができず、実際の物理的な音や刺激に対し
て、しばしば違った認識をします。この一連の状態がとなって現れ、思いがけない
人や場面が登場したりするのです。

 さらに『アストラル体』が『エーテル体』と離れると、『夢』のない深い眠りへと入っ
てゆきます。その間、『アストラル体』は『物質界』から解き放たれて、『アストラル界
へ戻ってゆくとされます。

 アストラルとは『星雲』を意味し、肉体のある地球と違って広大な広がりを持つ世界
です。その中においては、我々の『意識』は『肉体を通して、この世界(宇宙)を知覚
している(と錯覚している)
』状態から一転して、宇宙全体と一体になります。

 つまり、『宇宙と一体化した我々自身が、その内部にある個人の肉体を見る』状
態です。これが第126夜でお話しした、『外側』の世界と『内側』の世界の逆転です。
通常の我々は、それを『体験として覚えている』ことはできずにいます。

 ★ 『死』の最初の劇場 

 我々の4つの体の結びつきのうち、『エーテル体』が『物質体』との結びつきを離
れる
のが、としての『死』のポイントです。『エーテル体』の生気を失った『物質体』
はもはや屍であって、『肉体』は時間と共に崩壊してゆきます。
 
 一方、『エーテル体』はすぐには崩れず、しばらくは『アストラル体』と結びついて、
『エーテル体+アストラル体+自我』の状態となります。この状態が一時的に起こ
った後、再び『物質体』との結びつきが回復する場合は臨死体験として経験されます。

 この状態が不可逆的に起こった時、その一時点を指して『死』と呼ぶことになりま
す。つまり『死』とは4つの体の結びつきのうち、物質体が他の3つの体との結びつ
きを完全に失う瞬間
を指すものです。

 死者が最初に体験するのは、先程お話した『外側』と『内側』の世界が逆転する感覚
であるといいます。シュタイナーが1914年に行った講義での言葉では、次のように語
られています。

 「 死後の人生がそこから始まる所の意識過程を、いわば外から観察し
  てみますと、死者は最初、次のような感情を持ちます。

   ―『お前は今、これまでとは全く違った状況に居る。世界との関係が、
    これまでとは逆転している。根本から逆転している。』

   この世の人間は、死を迎えるまで、固い大地の上で過ごして来ました。
   大地の上に立って、鉱物界、植物界、動物界のもろもろの存在達、山、
  河、雲、星、太陽、月を見てきました。

   感覚を働かせ、身体に備わった能力によって、このような世界全体を
  心に思い浮かべて
来ました。上空には青い天蓋がかかり、そこに星々
  が輝き、その下に太陽、月、その他の天体が運行しています。

   コペルニクス以来、このことが錯覚であるとわかっているとしても、人
  々はこの天球の下で、大地に立って、周囲を知覚しているのです。

   私達にとって問題なのは、限られた能力しか持たない私達の宇宙観
  が、錯覚か否かではなく、そのようなイメージしか持てないでいることな
  のです。

   人間の能力が、天空を青天井として見るように、私達を促しているの
  です。人間が死の門を通過しますと、最初に抱くイメージは次のような
  ものです。

   ―『お前は今、これまで内側にいたこの青天井の外に居る。お前は、
    この天球を外から見ている。だから天球全体が、まるで一つの星に
    縮まってしまったかのように見える。』

   死者は、始めのうちは、自分がその中へ拡がりつつある星々の世界
  <(小生から一言)つまり、アストラル界のことです。>について意識し
   ていません。始めは、自分が離れ去った世界について意識している
   
だけです。

   身体をまとったて生きていた時の意識界、身体を通して形成して来
  た人間能力の及ぶ範囲での意識内容<これが、天球だった物質界
  です。>
だけを持っているのです。

   卵の殻の中の小さなひよこが意識を持っていたとします。そのひよ
  こが、周りの殻を破って、これまで自分を取り巻いていたこの『破れ
  た殻』、
つまりこれまでの宇宙を、内側からではなく、外側から見る
  きのような経過が、本当に、しかし霊的に生じるのです。

   もちろん、このようなイメージも、私達が意識の中で作り上げる幻
  影
に過ぎませんが、しかし、これはとても適切な幻影なのです。

   先程申し上げたように、それまで私達の意識内容となっていた大
  宇宙が、まるで一つの星になったように縮小して現れるのです。

   そして今、この星の中から『光り輝く宇宙叡智』が拡がり始めます。」

   
(ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp170-172 
   《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載
    
 ★ グラウンディングするヒヨコ

 さて皆さんは、シュタイナーの伝えようとする感覚が、お分かりいただけましたで
しょうか。正直なところ、小生は、最初にこの文章に出会った時には、彼の言わんとす
ることがほとんどわかりませんでした。

 無論、今だって本当に理解しているのかは怪しいのですが、いくつかのトンデモ話を
綜合するに連れ、小生なりのイメージを持つに至っています。そこで、これ以上の説
明は、蛇足に過ぎないことは承知の上で、少し披露してみようと思います。

 私事ながら、小生は、とある小さな駅から電車に乗って通勤しております。朝の割合
早い時間ですので、吹きさらしのプラットホームは人影もまばらで、電車を待つ時間は、
気兼ねなくグラウンディングする時間に充てております。

 うまく出来ているかどうかは怪しいのですが、とにかく目を閉じてゆっくりと鼻から息
を吸い込み、天上、身体のチャクラ及び地面が繋がったイメージを心に描きなが
ら、口からゆっくりと息を吐き出す、お馴染みのものです。

 その際、目を閉じる前に思い描くようにしているのが、シュタイナーの説く『天空を青
天井として見る』感覚
です。ちょうど、自分が今、プラネタリウムの中に入ったような
感じで、今目の前にある風景を、『プラネタリウム大』に縮小するのです。

 特に、雲がとびっきり低く流れ、前方の西の空には、十五夜を少し過ぎた月が、明
け方の空にポツンと浮かんでいると、絶好のシチュエーションです。電線なんかは、天
球の上に直に描かれていると想像すると、なおさらイメージがし易くなります。

 宇宙が、これくらいの距離しかないと感じられれば、天上から地上にかけてのエ
ネルギーの流れが、ずっと想像し易くなります。それをイメージした後で目を閉じて、
先程のようにゆっくりと息を吸い込み始めるのです。

 天球を卵の殻に例えれば、ちょうど育ち始めた有精卵のように、卵の中心にヒヨコ
になる自分
が居て、カラザの部分であるグラウンディング・コードを上下に伸ば
して胎動しているイメージが出来上がります。 

 『何だ、ただの想像か』と思われるかもしれませんが、我々の見ている宇宙の実体
にしても、『本当はあの星まで何億光年の距離がある』と教え込まれているに過ぎ
ません。アポロだって本当に月面に到着したかどうかも疑われているのです。

 ましてや、『距離と時間』は『3次元』に固有の概念です。、『3次元的』には実際
月まで、宇宙船で凄まじい速度で飛んでも数日かかると言うものの、他の次
元からすれば、ほんの近い距離を、亀のように進んでいるのかも知れません。

 ★ 70億通りのプラネタリウム

 或いは、第七十三夜でお話ししたように、量子論の世界から見れば、我々の見て
いる風景が、万人に全て同じであるということすら証明できません。アインシュタイン
が嘆いたように、『自分が見ていない時には月は無い』かも知れないのです。

 我々は、どうがんばった所で、自分の視界に入る物しか知覚することができま
せん
。つまり、たった今『見えていない物』は、自分にとっては無いのと同じ
す。何処かへ移動したとしても、その限られた空間を次々と変化させてゆくに過
ぎない
のです。

 『でも、違う人間にも同じ風景が見えるではないか。』と言われるかも知れま
せん。しかし、それにしても、同時にそこに居る人達に限られますし、その人が
見ている風景が本当に同じかは、確かめることは出来ません

 それでも、『同じものが見えているか確かめればわかるではないか。』との
反論があることと思います。しかし、裏を返せば『見ようとする時には月は有る
のです。複数の人間が、『同じものを見ようとしている』と考えればどうでしょうか。

 そこで登場するのが、第103夜でもお話ししたシンクロニシティです。我々は、
潜在意識の中では、今見ようとしているもの―例えば『月』とはこういうものだとい
うことを、予め全て知っているのです。

 我々は、同じものを見ようとした場合には、同時に、詳細な部分に至るまで、
全て『思い出す』能力
を持っているのです。より正確に言えば、そう『見えるべ
き幻影』を同時に心に思い浮かべる
のです。

 さらに『見なくても、写真に撮れば同じものが写るではないか。』という突っ
込みもあるかと思います。しかしそれも、その時間・その場所を写せば『見える
べき幻影』の一つ
に過ぎません。何せ、全て予め知っているのです。

 それでも、微細な部分まで全て同じかどうかは確証できません。我々は原
子を構成する電子の位置すら、確率的にしかわからないのです。時には同時
に2つの場所にあるかも知れないのが量子の世界で、全てはその集まりなのです
から。

 つまりは、我々は個々の『球形のスクリーン』に、自分が『こうである』という
ものを映し出して見てい
るのです。一人に一つずつ、各人が見渡せる限りの大き
さをした、70億通りのプラネタリウムのスクリーンこそ、この3次元の世界です。

(小生は、このスクリーンに共通の映像を送るものが、第103夜でお話しし
た『グリッド』なのではないかと思っています。そして、恐らく我々が『キリス
ト意識』のグリッドと繋がった時には、3次元の世界に居ながらにして、イエ
スが見ていたように、この世界を捉えることができるのではないかと思うの
です。)

 そして『死』を迎えた時、我々はこのスクリーンと一体になるような感覚を体験
するのではないでしょうか。つまり、その瞬間、我々は自分の居た(と感じていた)
世界を、球形スクリーンの全方向から、取り囲むように眺めるのです。

 さらに神智学的に捉えるならば、その球形スクリーンこそ、第127夜で出てきた
『魂の殻』なのかも知れません。我々は『死』とともに、いったんその殻の外に出て、
それまで自分が地上で体験して来たことを整理する段階へと移ってゆくのです。

 以上が、小生なりに受け取っている『死直後のイメージ』です。もちろん、勝手な
想像に過ぎませんが、こうして考えてゆくと、今までのトンデモ話の全てが、『人
智学』の中に収斂
されてゆくように感じます。

 さて、先に引用したシュタイナー講義は、その体験が『光り輝く宇宙叡智』
の拡がりへと続くと言っています。次回第135夜は、そこから始めてゆきま
す。

( 追伸 )

 中曽根君、君が引きずり込んだ原発プラネタリウム
はもう見たくないね

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Secret

プロフィール

工芸美術をやっています。2017年からスペイン語の試験を受けています。が、ドンキホーテはいまだに完読できていません。握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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☆★☆

十二か月の着物

手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

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