2011.11.18
トンデモ話は奥で繋がる(133) 23.11.18
トンデモ話は奥で繋がる 「第133夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪輪廻転生 ③≫
★ 対立する4つの体
『人智学』を考える時、まず馴染まなくてはならないのは、彼の説く『人間を超感
覚的に見た場合の構成要素』―『物質体』、『エーテル体』、『アストラル体』
及び『自我』の4つの『体』です。
我々自身、こうしたいくつもの『体』のを持つことは、スピリチュアリズムがある程
度の認知度を得るようになった今でこそ、抵抗無く受け入れられる人も増えてきまし
たが、そうでなければ小生にしても、すんなりとは腑に落ちなかったと思います。
今では、スピリチュアリズムの著者の大部分が、我々がこうした4つの『体』を持
っていることについて、半ば自明のことのように解説しています。しかし、そのそれ
ぞれの『体』を持つことの意味や性質について説明をしているものには、ほとんど
出合うことがないのではないかと思います。
シュタイナーは、まさにその点について、自らの『超感覚的知覚』によって得た客観
的な事実として、我々の前に提示しています。無論、『超感覚的知覚』なしにそれを
実証することはできませんが、それを得た者にとっては『自明の理』なのです。
日本人智学協会の会長である高橋巌氏は、その著『現代の神秘学』の中で、我々
人間は、それぞれ別の方向性をとろうとしているこの4つの体を、常に調和させよう
と苦労しながら、日常生活を送っているとしています。
以下、同書の述べるところを、抜粋してまとめてみます。
★ 肉体VS自我
始めに、我々が『自分自身』であると自覚する『自我』についてです。これは『体』
というよりは、一般には『魂』として表現される『霊的実体』です。しかし、実際には、
我々はその全てを自覚しているわけではありません。
まず、通常我々が『自分自身の意思』であると考えている『自我』ですが、実際は
それ程単純ではありません。我々はよく建前と本音を使い分けて生きており、うち、
自分の本当の意思は本音の部分だと解釈しています。
しかし、我々が通常の意識レベルでは感知できないでいる無意識の世界では、
全く別のことを考えている、つまり、本当の自我は、自分では意識できない意思
を持っている場合があることを、高橋氏は同書の中で以下のように説明しています。
「 一つの例を挙げると、なんでこんな家に生まれてきたのか、と考
える人がいたとします。そういう時に、『なんでこんなふうに生まれ
てきたのだろう』と思う自我は意識の自我、建て前の自我です。
建て前の自我はそういうふうに思うのですが、本音の方の無意識
の自我は、そのような人生を選んで生まれて来たのです。
意識の自分が、この家に生まれてきたことを納得できないと思った
としても、無意識の自我がそう思ったからこそ、そこに生まれて来た
のです。」
さらに、こうした『自我』については、その時の我々の置かれた状態によって、2種
類の違ったあり方があるとしています。私達の肉体に深く関わっている時の自
我と、肉体から切り離されている時の自我です。
肉体は高度な『叡智』の結晶体として存在しており、自我がそれと結びついてい
る場合には、その『叡智』に支えられて、自我の中の否定的な要素は意識の表面
に出ず、神経組織を仲立ちとして、肉体をバランスよくコントロールしています。
しかし、極度の疲労や薬物、暗示等により、肉体から分離し始めると、限りなく自
分を目立たせたり、自分以外の者を無視する傾向が現れ、平気で嘘をついたり、
破壊活動に走ったり、他を支配しようという意思を持ち始めます。
これは誰にでも起こり得ることで、自我の中には、色々な意味での否定的、破壊
的な要素が組み込まれており、そこから自由になることはできないとされます。そう
した意味で、『自我』も『肉体』と相反する要素を持つと言えます。
(同書には書かれていませんが、この『組み込まれた部分』こそ、第127夜
でお話しした『東方ミトラ神学』の『光のかけら』である我々を包み込む『闇』の
部分を指すのではないかと、小生は感じます。)
★ アストラル体VS自我
次に『アストラル体』を見てみます。この『体』は『自我』のように、自らの意図を実
現するように働くのではなく、自身の置かれた環境に対し『受身的に感応する体』で
あると述べられています。
具体的には、我々が何かの事象に関わった時、それに対して『嬉しい』、『悲しい』
『好ましい』、『好ましくない』等、を非常にはっきりと表面に出す働きをする『体』
です。
こうしたことから、しばしば『自我』とは対立的な関係に陥ります。例えば、アストラ
ル体的にはいやでたまらない事でも、自我の意思で実行したり、アストラル体的
にはもっと味わいたい事でも、自我が歯止めをかけたりします。
そのため、自分では意思を持って実行しているつもりでも、アストラル体が無意識
のうちに拒絶しているような場合、2つの体の不調和が肉体の変調となって現れて
くることになります。
反面、一般の動物には、他の3つの体のみで自我がないため、こうした葛藤は
起こらないものとされます。我々人間のみが、日々そうした葛藤の中で、うまくバラン
スを取って生きてゆく試練を経験するのです。
★ 適応志向のエーテル体
残るひとつは『エーテル体』です。この『体』は、アストラル体とは違って、自身の結
びつく対象に対して、ひたすら『融合的』に振る舞います。例えば、自分の居る環境
に対しては、ひたすら馴染もうとするのです。
そのため、新しい土地に移住した場合、たとえアストラル体のレベルでは気に入
らない環境であっても、エーテル体は、その土地自体のエーテル体である『気』
と結びつこうと、反対の方向性をとることになります。
また、融合するまでには若干時間がかかり、若い程そのための時間は短くて済みま
す。逆に年を取る程この働きが弱くなるため、年老いた『エーテル体』にとっては、知ら
ない土地に移り住むことは、大きな負担となるのです。
また、『肉体』と深く結びつくことで、それを『生命ある有機的な―成長、栄養補給、
疲労回復、再生産等の営みを持つ存在』に変えます。つまり『植物』以上の全ての
生命体は、肉体とエーテル体が結びつくことで生きているのです。
★ エーテル体と霊
さて、エーテル体には、もうひとつの重要な結びつきがあります。それは『エーテル
共同体』の形成です。我々は『肉体』としては別々の存在なのですが、エーテル体
の部分で繋がることにより、それぞれのグループの特性を共有するのです。
例えば、それぞれの家族には特有の気質が形成され、喜びや哀しみを感じる対象
やその感情の強弱が違ってきます、そして、成員の誰かが感じている思いが、無意識
のうちに『気の身体』を通して伝わり、別の成員もその気持ちを共有します。
また、住んでいる土地にも、独特の『気』があり、そこに暮らしている人たちは、そ
こに定着するにつれ『都会人らしさ』『山奥の村人らしさ』『雪国の人らしさ』を身につけ
ていったりします。
特に幼ない子供は、それらの『エーテル体』を共有しながら成長してゆきます。そ
して、次第にその『家族らしさ』『住人らしさ』を身につけてゆくのです。他にも、もっと別
の集まりや、大きな民族のエーテル体まで様々に存在します。
そして、『肉体』を持つ存在だけではなく『霊的存在』も、私達の『エーテル体』の特定
の感応状態を媒介として結びつくことができるとしています。これが俗に言われる
『憑依』という現象です。
それらもまた、同じ『気』を持つものに結びつきます。そのため、特に『恨み』や
『憎しみ』といった感情を持てば、それに感応する『霊的存在』が結びつくことにな
り、その感情が累加してゆくことになるのです。
さらに、『個別』の結びつき以外に、多くの成員が属する集団の共通の『思い』であ
る『集合エーテル体』の場に結びつく『霊的存在』も存在し、大きく分けて2種類のタ
イプの存在が、我々に働きかけているとしています。
ひとつは『民族霊』と言われる存在で、共通の土地、環境、気質等を基盤に持つ集団
に対して働きかけ、彼等の暮らしや文化の発展・継承に対して、進むべき方向性を示
唆してゆきます。
もうひとつは『時代霊』と言われる存在で、民族を超えた高い次元から、今現在とい
う同じ時代を生きている人類全体に対して、選択すべき道を示し、時には特定の誰か
に革命的な発見や発明のインスピレーションを与えたりするとしています。
我々はこのような、相反する方向性を持った4つの『体』のバランスを持って、日々
生活しているのです。
それでは、我々の生死とその4つの体との関係について、次回第134夜以降
で見てゆこうと思います。
( 追伸 )
中曽根君、君はもう一つの体、『鋼鉄の面の皮』をま
とっているんじゃないかね。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪輪廻転生 ③≫
★ 対立する4つの体
『人智学』を考える時、まず馴染まなくてはならないのは、彼の説く『人間を超感
覚的に見た場合の構成要素』―『物質体』、『エーテル体』、『アストラル体』
及び『自我』の4つの『体』です。
我々自身、こうしたいくつもの『体』のを持つことは、スピリチュアリズムがある程
度の認知度を得るようになった今でこそ、抵抗無く受け入れられる人も増えてきまし
たが、そうでなければ小生にしても、すんなりとは腑に落ちなかったと思います。
今では、スピリチュアリズムの著者の大部分が、我々がこうした4つの『体』を持
っていることについて、半ば自明のことのように解説しています。しかし、そのそれ
ぞれの『体』を持つことの意味や性質について説明をしているものには、ほとんど
出合うことがないのではないかと思います。
シュタイナーは、まさにその点について、自らの『超感覚的知覚』によって得た客観
的な事実として、我々の前に提示しています。無論、『超感覚的知覚』なしにそれを
実証することはできませんが、それを得た者にとっては『自明の理』なのです。
日本人智学協会の会長である高橋巌氏は、その著『現代の神秘学』の中で、我々
人間は、それぞれ別の方向性をとろうとしているこの4つの体を、常に調和させよう
と苦労しながら、日常生活を送っているとしています。
以下、同書の述べるところを、抜粋してまとめてみます。
★ 肉体VS自我
始めに、我々が『自分自身』であると自覚する『自我』についてです。これは『体』
というよりは、一般には『魂』として表現される『霊的実体』です。しかし、実際には、
我々はその全てを自覚しているわけではありません。
まず、通常我々が『自分自身の意思』であると考えている『自我』ですが、実際は
それ程単純ではありません。我々はよく建前と本音を使い分けて生きており、うち、
自分の本当の意思は本音の部分だと解釈しています。
しかし、我々が通常の意識レベルでは感知できないでいる無意識の世界では、
全く別のことを考えている、つまり、本当の自我は、自分では意識できない意思
を持っている場合があることを、高橋氏は同書の中で以下のように説明しています。
「 一つの例を挙げると、なんでこんな家に生まれてきたのか、と考
える人がいたとします。そういう時に、『なんでこんなふうに生まれ
てきたのだろう』と思う自我は意識の自我、建て前の自我です。
建て前の自我はそういうふうに思うのですが、本音の方の無意識
の自我は、そのような人生を選んで生まれて来たのです。
意識の自分が、この家に生まれてきたことを納得できないと思った
としても、無意識の自我がそう思ったからこそ、そこに生まれて来た
のです。」
さらに、こうした『自我』については、その時の我々の置かれた状態によって、2種
類の違ったあり方があるとしています。私達の肉体に深く関わっている時の自
我と、肉体から切り離されている時の自我です。
肉体は高度な『叡智』の結晶体として存在しており、自我がそれと結びついてい
る場合には、その『叡智』に支えられて、自我の中の否定的な要素は意識の表面
に出ず、神経組織を仲立ちとして、肉体をバランスよくコントロールしています。
しかし、極度の疲労や薬物、暗示等により、肉体から分離し始めると、限りなく自
分を目立たせたり、自分以外の者を無視する傾向が現れ、平気で嘘をついたり、
破壊活動に走ったり、他を支配しようという意思を持ち始めます。
これは誰にでも起こり得ることで、自我の中には、色々な意味での否定的、破壊
的な要素が組み込まれており、そこから自由になることはできないとされます。そう
した意味で、『自我』も『肉体』と相反する要素を持つと言えます。
(同書には書かれていませんが、この『組み込まれた部分』こそ、第127夜
でお話しした『東方ミトラ神学』の『光のかけら』である我々を包み込む『闇』の
部分を指すのではないかと、小生は感じます。)
★ アストラル体VS自我
次に『アストラル体』を見てみます。この『体』は『自我』のように、自らの意図を実
現するように働くのではなく、自身の置かれた環境に対し『受身的に感応する体』で
あると述べられています。
具体的には、我々が何かの事象に関わった時、それに対して『嬉しい』、『悲しい』
『好ましい』、『好ましくない』等、を非常にはっきりと表面に出す働きをする『体』
です。
こうしたことから、しばしば『自我』とは対立的な関係に陥ります。例えば、アストラ
ル体的にはいやでたまらない事でも、自我の意思で実行したり、アストラル体的
にはもっと味わいたい事でも、自我が歯止めをかけたりします。
そのため、自分では意思を持って実行しているつもりでも、アストラル体が無意識
のうちに拒絶しているような場合、2つの体の不調和が肉体の変調となって現れて
くることになります。
反面、一般の動物には、他の3つの体のみで自我がないため、こうした葛藤は
起こらないものとされます。我々人間のみが、日々そうした葛藤の中で、うまくバラン
スを取って生きてゆく試練を経験するのです。
★ 適応志向のエーテル体
残るひとつは『エーテル体』です。この『体』は、アストラル体とは違って、自身の結
びつく対象に対して、ひたすら『融合的』に振る舞います。例えば、自分の居る環境
に対しては、ひたすら馴染もうとするのです。
そのため、新しい土地に移住した場合、たとえアストラル体のレベルでは気に入
らない環境であっても、エーテル体は、その土地自体のエーテル体である『気』
と結びつこうと、反対の方向性をとることになります。
また、融合するまでには若干時間がかかり、若い程そのための時間は短くて済みま
す。逆に年を取る程この働きが弱くなるため、年老いた『エーテル体』にとっては、知ら
ない土地に移り住むことは、大きな負担となるのです。
また、『肉体』と深く結びつくことで、それを『生命ある有機的な―成長、栄養補給、
疲労回復、再生産等の営みを持つ存在』に変えます。つまり『植物』以上の全ての
生命体は、肉体とエーテル体が結びつくことで生きているのです。
★ エーテル体と霊
さて、エーテル体には、もうひとつの重要な結びつきがあります。それは『エーテル
共同体』の形成です。我々は『肉体』としては別々の存在なのですが、エーテル体
の部分で繋がることにより、それぞれのグループの特性を共有するのです。
例えば、それぞれの家族には特有の気質が形成され、喜びや哀しみを感じる対象
やその感情の強弱が違ってきます、そして、成員の誰かが感じている思いが、無意識
のうちに『気の身体』を通して伝わり、別の成員もその気持ちを共有します。
また、住んでいる土地にも、独特の『気』があり、そこに暮らしている人たちは、そ
こに定着するにつれ『都会人らしさ』『山奥の村人らしさ』『雪国の人らしさ』を身につけ
ていったりします。
特に幼ない子供は、それらの『エーテル体』を共有しながら成長してゆきます。そ
して、次第にその『家族らしさ』『住人らしさ』を身につけてゆくのです。他にも、もっと別
の集まりや、大きな民族のエーテル体まで様々に存在します。
そして、『肉体』を持つ存在だけではなく『霊的存在』も、私達の『エーテル体』の特定
の感応状態を媒介として結びつくことができるとしています。これが俗に言われる
『憑依』という現象です。
それらもまた、同じ『気』を持つものに結びつきます。そのため、特に『恨み』や
『憎しみ』といった感情を持てば、それに感応する『霊的存在』が結びつくことにな
り、その感情が累加してゆくことになるのです。
さらに、『個別』の結びつき以外に、多くの成員が属する集団の共通の『思い』であ
る『集合エーテル体』の場に結びつく『霊的存在』も存在し、大きく分けて2種類のタ
イプの存在が、我々に働きかけているとしています。
ひとつは『民族霊』と言われる存在で、共通の土地、環境、気質等を基盤に持つ集団
に対して働きかけ、彼等の暮らしや文化の発展・継承に対して、進むべき方向性を示
唆してゆきます。
もうひとつは『時代霊』と言われる存在で、民族を超えた高い次元から、今現在とい
う同じ時代を生きている人類全体に対して、選択すべき道を示し、時には特定の誰か
に革命的な発見や発明のインスピレーションを与えたりするとしています。
我々はこのような、相反する方向性を持った4つの『体』のバランスを持って、日々
生活しているのです。
それでは、我々の生死とその4つの体との関係について、次回第134夜以降
で見てゆこうと思います。
( 追伸 )
中曽根君、君はもう一つの体、『鋼鉄の面の皮』をま
とっているんじゃないかね。
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