2011.05.16
内部被ばくの危険性と、過去を振り返る-肥田舜太郎先生の言葉から...
広島、長崎の原爆...直接原爆の熱、光をもろに浴びた人たちはこの世のものと思えない悲惨な姿で死んでいきました。私も人のお話で聞くだけです。
しかし、その時代を生きた、親、親戚、師から話を何回か聞きました。伯父さんの友達は広島に家族がいて、原爆の報を聞き、すぐさま広島に駆けつけたそうです。そして、その後、友人は二度と戻ってこなかったそうです。
師は、広島の原爆が落ちた後、すぐに広島市に入市し、人々を救援しました。少年飛行兵だったか。予科練だったか、忘れましたが、隊で負傷者の救助にあたりました。
しかし...そのご何か月かで、体の調子が悪くなり、体に膿がわき、かさぶたができ、また膿が...背中がこぶのようになり故郷でみんなから-うつる-とおそれられながら、死と体の痛み、苦しみと戦っていたそうです。
こぶはひどいもので、亀なんていわれたこともあったとか...
師はその後体調も回復し、生きてきましたが、私はその話を聞き、
放射能そのもののこわさ、おそろしさを感じました。直接原爆を浴びてなくても、そこの残った放射能を浴び、吸い込み、被ばくする...放射能とは恐ろしいものだと子供心にしつかりと刻みつけられました。
しかし、原爆の知識はそれほどなかったので、原爆投下後に市に入った人々のひばくがかなり長い間みとめられなかったとか、アメリカ軍が、被爆者をモルモットのように扱い、血や尿をとるだけでなく、臓器まで切り取って調べたのに、一切治療はしなかったことなどはこのごろはじめて知ったのです。
これからの原子力戦略で危険性をおおつぴらにされては困ると、日本人の医者にも被爆者の治療をするな、と命令した米国。日本人の医者はそれに従いました。
しかし、自分も被曝しながら、患者を診、ずっと原爆、放射能の恐ろしさを訴え続けているお医者さんがいます。私がこのお医者さんをしったのは、岐阜の-内部被ばく-についての学習会でした。松井先生が、肥田先生という素晴らしい先生がいる、と話されたのです。肥田先生は軍医で被ばくされながら被爆者の治療にあたられたお医者さんです。
肥田先生は放射能の影響は直接被曝だけではなく、内部被ばくの影響も強いのだ、と訴えてきました。そして、原爆、放射能というのは人の生活、命を奪う恐ろしいものだと、言われています。
以下肥田先生の言葉抜粋
ふつうの人が、何が原因なのか、誰にやられたのかもわからないで、ある日突然殺されるという現実を、僕は広島で見ました。いつものとおりの生活をしていたら、突然ピカッと光って、気がついたら家も何もなくなっていた。出会う人は血だらけで、それまで見たことのないような地獄。自分の身に何が起こったのか、誰がこんな目に遭わせたのかもわからないままで、みんな死んでいったんです。
その人が普段何を考えていようと、戦争に賛成していようと反対していようと関係なく、ある日突然殺される。あるいは、そのとき助かったと思っても、数十年たって、子供も生まれて幸せで、と思ったら、ガンになって死んでしまう。それが戦争であり、核なんですよ。
以下クリック
肥田舜太郎に聞いた話
偶然ですが同じ映像をブロ友の玉ぞうさんがアップしていました。玉ぞうさんのブログには肥田先生の現在の福島の人について語っているところを書きだしていますので、コピーさせてもらいました。
福島ではもう、被ばく症状が出始めているとのことです。
↓抜粋
でももう現に東北では、下痢が始まっています。さっき此処に出られた被ばく者の方が、お母さんも、妹も、弟も自分も下痢が始まったとおっしゃいました。最初の症状の一つに下痢が始まります。でこれは今の普通のお薬では止まりません。だからあたくしが一番心配してるのは、あの今東北で本当に苦しみぬいている、それで長く住んでいるうちから遠い不便なところへ行って、隣の人とはボール紙一枚で仕切られたところで、もう1っヶ月以上生活してるんですねえ。でこの人達がなめた苦しみは、今のところは不便なところで寝てるっていうことで、年寄りが病人が、いろいろ死なれたり、病気が悪くなったりしてられるけれども、元気なものも含めて、放射線の病気が始まってくるのは、おそらくこの秋から来年の春にかけて、たくさん出てくるだろうと、わたくしは想像しています。
以下、広島での先生のお話
しかし、その時代を生きた、親、親戚、師から話を何回か聞きました。伯父さんの友達は広島に家族がいて、原爆の報を聞き、すぐさま広島に駆けつけたそうです。そして、その後、友人は二度と戻ってこなかったそうです。
師は、広島の原爆が落ちた後、すぐに広島市に入市し、人々を救援しました。少年飛行兵だったか。予科練だったか、忘れましたが、隊で負傷者の救助にあたりました。
しかし...そのご何か月かで、体の調子が悪くなり、体に膿がわき、かさぶたができ、また膿が...背中がこぶのようになり故郷でみんなから-うつる-とおそれられながら、死と体の痛み、苦しみと戦っていたそうです。
こぶはひどいもので、亀なんていわれたこともあったとか...
師はその後体調も回復し、生きてきましたが、私はその話を聞き、
放射能そのもののこわさ、おそろしさを感じました。直接原爆を浴びてなくても、そこの残った放射能を浴び、吸い込み、被ばくする...放射能とは恐ろしいものだと子供心にしつかりと刻みつけられました。
しかし、原爆の知識はそれほどなかったので、原爆投下後に市に入った人々のひばくがかなり長い間みとめられなかったとか、アメリカ軍が、被爆者をモルモットのように扱い、血や尿をとるだけでなく、臓器まで切り取って調べたのに、一切治療はしなかったことなどはこのごろはじめて知ったのです。
これからの原子力戦略で危険性をおおつぴらにされては困ると、日本人の医者にも被爆者の治療をするな、と命令した米国。日本人の医者はそれに従いました。
しかし、自分も被曝しながら、患者を診、ずっと原爆、放射能の恐ろしさを訴え続けているお医者さんがいます。私がこのお医者さんをしったのは、岐阜の-内部被ばく-についての学習会でした。松井先生が、肥田先生という素晴らしい先生がいる、と話されたのです。肥田先生は軍医で被ばくされながら被爆者の治療にあたられたお医者さんです。
肥田先生は放射能の影響は直接被曝だけではなく、内部被ばくの影響も強いのだ、と訴えてきました。そして、原爆、放射能というのは人の生活、命を奪う恐ろしいものだと、言われています。
以下肥田先生の言葉抜粋
ふつうの人が、何が原因なのか、誰にやられたのかもわからないで、ある日突然殺されるという現実を、僕は広島で見ました。いつものとおりの生活をしていたら、突然ピカッと光って、気がついたら家も何もなくなっていた。出会う人は血だらけで、それまで見たことのないような地獄。自分の身に何が起こったのか、誰がこんな目に遭わせたのかもわからないままで、みんな死んでいったんです。
その人が普段何を考えていようと、戦争に賛成していようと反対していようと関係なく、ある日突然殺される。あるいは、そのとき助かったと思っても、数十年たって、子供も生まれて幸せで、と思ったら、ガンになって死んでしまう。それが戦争であり、核なんですよ。
以下クリック
肥田舜太郎に聞いた話
偶然ですが同じ映像をブロ友の玉ぞうさんがアップしていました。玉ぞうさんのブログには肥田先生の現在の福島の人について語っているところを書きだしていますので、コピーさせてもらいました。
福島ではもう、被ばく症状が出始めているとのことです。
↓抜粋
でももう現に東北では、下痢が始まっています。さっき此処に出られた被ばく者の方が、お母さんも、妹も、弟も自分も下痢が始まったとおっしゃいました。最初の症状の一つに下痢が始まります。でこれは今の普通のお薬では止まりません。だからあたくしが一番心配してるのは、あの今東北で本当に苦しみぬいている、それで長く住んでいるうちから遠い不便なところへ行って、隣の人とはボール紙一枚で仕切られたところで、もう1っヶ月以上生活してるんですねえ。でこの人達がなめた苦しみは、今のところは不便なところで寝てるっていうことで、年寄りが病人が、いろいろ死なれたり、病気が悪くなったりしてられるけれども、元気なものも含めて、放射線の病気が始まってくるのは、おそらくこの秋から来年の春にかけて、たくさん出てくるだろうと、わたくしは想像しています。
以下、広島での先生のお話
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