2010.12.19
トンデモ話は奥で繋がる(64) 22.12.19
トンデモ話は奥で繋がる 「第六十四夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪シュメール創世記 ③≫
★ 惑星ニビルの公転周期
現在の太陽系内には、惑星ニビルは存在していません。しかし、これとて、
それを自分の目で確かめている天文マニアがどれくらいいることでしょう。我
々の大半は、そう教えせれているに過ぎません。
取りあえず、これを事実とすると、シュメール人の描いた惑星ニビルは
どんな軌道を描いていたのでしょうか。ウィキペディアでは「仮説上の天体」
として紹介されていますが、軌道にまでは言及されていません。
シュメールの「天地創造の叙事詩」では、マルドゥクは「ニビル」と呼ばれ
ており、その意味するところは「横切る惑星」です。叙事詩にはその天体の
様子がこう謳われています。
惑星ニビルよ 天と地球の交わる道を占め
上にも下にも行けず その通過を待つのみ
惑星ニビルよ 天界にさんぜんと輝き
その真ん中の場所を占め 天の星は彼をあがめり
惑星ニビルよ 疲れを知らぬ彼は
ティアマトの軌道のただ中を目指す
その名を「横切るもの」と呼ばん
天界の中央を占めるものよ
叙事詩では、惑星ニビルは、天界の中央である「ティアマト」の軌道を目指
して来るものの、そこを「通過するのみ」だと言っています。
さらにメソポタミアの古文書には、マルドゥクの軌道は、惑星を全部囲める
ものであり、大空の「まだ知られていない場所」や、はるかかなたの遠い宇
宙まで行くことができたとしています。
このような記述を満たすとすれば、彗星のような軌道が考えられます。しか
も、ティアマトの軌道を「近地点」として、相当に離れた「遠地点」を持つ楕円
軌道であったことが、数々の讃美歌の中に謳われています。
(ゼカリア・シッチン『人類を創成した宇宙人』p286《徳間書店(竹内 慧・邦訳)》
より転載)
現在でも、200年以上の公転周期を持つ彗星については、「非周期彗星」
がいくつか知られており、例えば1974年に地球から約1.4億㎞にまで近
づいたコホーテク彗星は7500年から7万5000年の周期を持っています。
この惑星ニビルについても、そのような彗星軌道を持っているものと思われ
ます。そして、シュメールの古文書には、ニビルが「近地点」に近づいて来た
時の、その強力な引力が及ぼす影響を記載しています。
天の王座にいるその惑星が もっと輝きを増すとき
洪水や大雨がやってくる
ニビルが、その近地点に到達すると 神々は平和を与える
苦しみは洗い流され 混乱はほぐされ
大雨と洪水がやってくる
預言者アモスは、その接近についての預言も残しています
それが通り過ぎる日に と、天の王はいった
太陽を正午に沈ませるだろう
そして昼のさ中に地球を暗くするだろう
同じく、預言者ゼカリアも、地軸の回転が抑制される日の預言をしています
そして、それが通り過ぎる日に 光はなくなり
凍るように寒くなるだろう
それは一日中続くだろう と神は告げられた
その一日は、日も夜もない
晩になっても光が残るだろう
それでは惑星ニビルは、何年ごとに近日点にやってくるのか、シッチンはそ
の手がかりをシュメールの古文書の記号に見出しました。シュメールの記号で
「閉じた大きな輪」は、数字の「3600」を表すのです。
また、惑星ニビルの通称であった「シャー」という言葉には「至高の統治者」
「完全な輪」を表すとともに、やはり「3600」という数字上の意味を持っていた
のです。
また、バビロニアの司祭であり、天文学者でもあったベロッソスは、大洪水
の前に地球を統治していた10人の王の歴史を記載しており、その統治期間の
合計は120シャー(43万2000年)としています。
そして興味深いのは、彼が記載にあたって参考とした王の名簿には、それぞ
れの王の統治期間を次のように記載していたのです。
アルリム 2万8800年(=3600×8)
アランガル 3万6000年(=3600×10)
エンメンアンナ 4万3200年(=3600×12)
…
ウバルツツ 1万8000年(=3600×5)
まさに、この一定の周期を持って王位を交代しています。そして、この3600
年の周期こそが、第五十八夜でお話しした、紀元前1万1千年、同7500年
、同3800年の3段階に渡っての、古代文明の盛衰の答なのです。
そして、惑星ニビルがこの周期で地球へ接近していたとすると、前回の接近
は紀元前200年頃となり、西洋ではローマ帝国が地中海を制覇し、その勢力
が強まる中で、ユダヤの預言者がさまざまな神言を残した時期です。
この時期のシュメールの神々は、ヨーロッパには敢えて直接的な統治はせ
ず、姿を見せぬ「神」として、預言者を通じて、地上を支配する方法を選んだの
かもしれません。一方日本でも、卑弥呼による神言統治の時代です。
ところで、2012年のマヤ歴の最終年と惑星ニビルの接近を結びつける
る説もあり、シッチン自身も最近のインタビューで、シュメールの60進法の解釈
の仕方では、それもあり得るとしています。
しかし小生は、最近のシッチンのマスコミでの注目度の急上昇を考えると、ここ
で誤った予測をさせることで、彼の説の信憑性を貶めてしまおうとする、「世界統
一政府」構想者の思惑ではないかと考えています。
つまり、もはや彼自身も、第四十八夜で浜田正彦が危惧している「闇の支配者」
からの脅迫を受け始めている可能性があると思います。「今まで異端とされてきた
人物が急に持ち上げられた時には注意せよ」 の原則です。
従って、実際は、次の接近は周期どおり、紀元3400年頃ということで、両者の
関係は薄いのではないかと小生は思っています。
★ 第7惑星-地球
我々が太陽系を考える場合、地球は太陽から3番目の軌道を持つ惑星とし
て認識します。 一方シュメールの地球の神である「エンリル」は、しばしば7つ
の点や星で表されていました。
ここで、太陽系の外からやってくる場合を考えてみます。太陽に向かって一番
外側の軌道から数えれば、冥王星、海王星、天王星、土星、木星、火星の順
に出会い、地球は7番目の惑星となるのです。
土星までの惑星しか知りえなかった古代メソポタミアの民が、地球の位置を
正確に外から7番目としていたとは考えにくく、やはり外宇宙を旅して地球にや
って来たシュメールの神々の知識と考えざるを得ません。
(ゼカリア・シッチン『人類を創成した宇宙人』p295《徳間書店(竹内 慧・邦訳)》
より転載)
実際、惑星ニビルが太陽系へと近づいたとき、彼らがロケットに似た「シェム」で
地球へ降り立つまでの、航行経路を記した文書を、アッシリア語でコピーしたと思
われる粘土平板も見つかっています。
詳しい説明は省略しますが、そこには冥王星を通過する時点でシェムで飛び出
し、途中土星の引力圏をうまくすり抜け、木星で地球へと進路を向け、最後は
地球上の目標物の描写へ続く、細かい指示がなされていたのです。
(ゼカリア・シッチン『人類を創成した宇宙人』p338《徳間書店(竹内 慧・邦訳)》
より転載)
さて、次回第六十五夜からは、こうした航行技術を駆使して、はるばる
地球を訪れた神々の目的は何だったかについての話へと入ってゆきます。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪シュメール創世記 ③≫
★ 惑星ニビルの公転周期
現在の太陽系内には、惑星ニビルは存在していません。しかし、これとて、
それを自分の目で確かめている天文マニアがどれくらいいることでしょう。我
々の大半は、そう教えせれているに過ぎません。
取りあえず、これを事実とすると、シュメール人の描いた惑星ニビルは
どんな軌道を描いていたのでしょうか。ウィキペディアでは「仮説上の天体」
として紹介されていますが、軌道にまでは言及されていません。
シュメールの「天地創造の叙事詩」では、マルドゥクは「ニビル」と呼ばれ
ており、その意味するところは「横切る惑星」です。叙事詩にはその天体の
様子がこう謳われています。
惑星ニビルよ 天と地球の交わる道を占め
上にも下にも行けず その通過を待つのみ
惑星ニビルよ 天界にさんぜんと輝き
その真ん中の場所を占め 天の星は彼をあがめり
惑星ニビルよ 疲れを知らぬ彼は
ティアマトの軌道のただ中を目指す
その名を「横切るもの」と呼ばん
天界の中央を占めるものよ
叙事詩では、惑星ニビルは、天界の中央である「ティアマト」の軌道を目指
して来るものの、そこを「通過するのみ」だと言っています。
さらにメソポタミアの古文書には、マルドゥクの軌道は、惑星を全部囲める
ものであり、大空の「まだ知られていない場所」や、はるかかなたの遠い宇
宙まで行くことができたとしています。
このような記述を満たすとすれば、彗星のような軌道が考えられます。しか
も、ティアマトの軌道を「近地点」として、相当に離れた「遠地点」を持つ楕円
軌道であったことが、数々の讃美歌の中に謳われています。

(ゼカリア・シッチン『人類を創成した宇宙人』p286《徳間書店(竹内 慧・邦訳)》
より転載)
現在でも、200年以上の公転周期を持つ彗星については、「非周期彗星」
がいくつか知られており、例えば1974年に地球から約1.4億㎞にまで近
づいたコホーテク彗星は7500年から7万5000年の周期を持っています。
この惑星ニビルについても、そのような彗星軌道を持っているものと思われ
ます。そして、シュメールの古文書には、ニビルが「近地点」に近づいて来た
時の、その強力な引力が及ぼす影響を記載しています。
天の王座にいるその惑星が もっと輝きを増すとき
洪水や大雨がやってくる
ニビルが、その近地点に到達すると 神々は平和を与える
苦しみは洗い流され 混乱はほぐされ
大雨と洪水がやってくる
預言者アモスは、その接近についての預言も残しています
それが通り過ぎる日に と、天の王はいった
太陽を正午に沈ませるだろう
そして昼のさ中に地球を暗くするだろう
同じく、預言者ゼカリアも、地軸の回転が抑制される日の預言をしています
そして、それが通り過ぎる日に 光はなくなり
凍るように寒くなるだろう
それは一日中続くだろう と神は告げられた
その一日は、日も夜もない
晩になっても光が残るだろう
それでは惑星ニビルは、何年ごとに近日点にやってくるのか、シッチンはそ
の手がかりをシュメールの古文書の記号に見出しました。シュメールの記号で
「閉じた大きな輪」は、数字の「3600」を表すのです。
また、惑星ニビルの通称であった「シャー」という言葉には「至高の統治者」
「完全な輪」を表すとともに、やはり「3600」という数字上の意味を持っていた
のです。
また、バビロニアの司祭であり、天文学者でもあったベロッソスは、大洪水
の前に地球を統治していた10人の王の歴史を記載しており、その統治期間の
合計は120シャー(43万2000年)としています。
そして興味深いのは、彼が記載にあたって参考とした王の名簿には、それぞ
れの王の統治期間を次のように記載していたのです。
アルリム 2万8800年(=3600×8)
アランガル 3万6000年(=3600×10)
エンメンアンナ 4万3200年(=3600×12)
…
ウバルツツ 1万8000年(=3600×5)
まさに、この一定の周期を持って王位を交代しています。そして、この3600
年の周期こそが、第五十八夜でお話しした、紀元前1万1千年、同7500年
、同3800年の3段階に渡っての、古代文明の盛衰の答なのです。
そして、惑星ニビルがこの周期で地球へ接近していたとすると、前回の接近
は紀元前200年頃となり、西洋ではローマ帝国が地中海を制覇し、その勢力
が強まる中で、ユダヤの預言者がさまざまな神言を残した時期です。
この時期のシュメールの神々は、ヨーロッパには敢えて直接的な統治はせ
ず、姿を見せぬ「神」として、預言者を通じて、地上を支配する方法を選んだの
かもしれません。一方日本でも、卑弥呼による神言統治の時代です。
ところで、2012年のマヤ歴の最終年と惑星ニビルの接近を結びつける
る説もあり、シッチン自身も最近のインタビューで、シュメールの60進法の解釈
の仕方では、それもあり得るとしています。
しかし小生は、最近のシッチンのマスコミでの注目度の急上昇を考えると、ここ
で誤った予測をさせることで、彼の説の信憑性を貶めてしまおうとする、「世界統
一政府」構想者の思惑ではないかと考えています。
つまり、もはや彼自身も、第四十八夜で浜田正彦が危惧している「闇の支配者」
からの脅迫を受け始めている可能性があると思います。「今まで異端とされてきた
人物が急に持ち上げられた時には注意せよ」 の原則です。
従って、実際は、次の接近は周期どおり、紀元3400年頃ということで、両者の
関係は薄いのではないかと小生は思っています。
★ 第7惑星-地球
我々が太陽系を考える場合、地球は太陽から3番目の軌道を持つ惑星とし
て認識します。 一方シュメールの地球の神である「エンリル」は、しばしば7つ
の点や星で表されていました。
ここで、太陽系の外からやってくる場合を考えてみます。太陽に向かって一番
外側の軌道から数えれば、冥王星、海王星、天王星、土星、木星、火星の順
に出会い、地球は7番目の惑星となるのです。
土星までの惑星しか知りえなかった古代メソポタミアの民が、地球の位置を
正確に外から7番目としていたとは考えにくく、やはり外宇宙を旅して地球にや
って来たシュメールの神々の知識と考えざるを得ません。

(ゼカリア・シッチン『人類を創成した宇宙人』p295《徳間書店(竹内 慧・邦訳)》
より転載)
実際、惑星ニビルが太陽系へと近づいたとき、彼らがロケットに似た「シェム」で
地球へ降り立つまでの、航行経路を記した文書を、アッシリア語でコピーしたと思
われる粘土平板も見つかっています。
詳しい説明は省略しますが、そこには冥王星を通過する時点でシェムで飛び出
し、途中土星の引力圏をうまくすり抜け、木星で地球へと進路を向け、最後は
地球上の目標物の描写へ続く、細かい指示がなされていたのです。

(ゼカリア・シッチン『人類を創成した宇宙人』p338《徳間書店(竹内 慧・邦訳)》
より転載)
さて、次回第六十五夜からは、こうした航行技術を駆使して、はるばる
地球を訪れた神々の目的は何だったかについての話へと入ってゆきます。
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