2010.01.25
トンデモ話は奥で繋がる(5) 22.1.25
トンデモ話は奥で繋がる 「第五夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪三位一体に切り裂かれたキリスト教≫
★ 「三位一体」の原点
さて、スピリチュアル的に「イエス」を考える場合、避けて通れないの
が「三位一体」の問題です。その定義によれば、
父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊の三者は、等質で不可分
ということで、この三つは別の存在ではあるが、同じ「実体」を持つと
いうことです。うち、「聖霊」とは「第四夜」でお話した、「復活」後
に使徒たちの前に現れた「実体」のことで、まあ「イエス」本人と考えて
もよいので、究極的には「イエス」=『神』であるということです。
(宗教上の細かいニュアンスの違いについては、ご容赦願います。)
さて、これについては「キリスト教」の基本原理とされているが、もと
もと「イエス」自身がそのように説いたわけではありません。
その意味では、「イエス」の教えは、"自分が特別な者である"という認
識があったとしても、それこそが正当な「神」の意思に繋がるもので、
「パリサイ派」等の言動が間違っているとしたなら、「ユダヤ教」に相反
するものではなかったのです。
従って、「イエス」=『神』という「三位一体」の原理が加わった時点
が、「ユダヤ教」との決別の時点と言えます。
時期的には、2世紀前半に『新約聖書』の中で「父 (なる神)」「子
(なるキリスト)」「聖霊」が並記されるようになります。初めて「三位
一体」という表現を用いたのは、3世紀初めのカルタゴの教父テルトゥリ
アヌス (155頃~223頃)と言われています。
★ 「三位一体」の決着による「正統」と「異端」
事実、4世紀初めには「キリストは神か人か」を巡って、「完全な同一
性」を主張するアナスタシウス派と、「イエスもまた主の創造物の一人だ」
とするアリウス派の間で大論争が展開されます。
そして325年、コンスタンティヌス大帝がキリスト教関係者を召集して行
われたニカイア宗教会議において 、アナスタシウス派が勝利し、アリウス
は破門の憂き目をみるのです。つまりは、「三位一体」を信じる立場を「正
統」、そうでないものが「異端」とされただけのことで、この差異だけをも
って、「異端」派の説をトンデモないものとする明確な根拠はないのです。
しかし、381年には コンスタンティノープル宗教会議において「ニケー
ア信条」が採択され、ここにキリスト教の「三位一体」の教義が確定します。
★ 「イエス」は『神』か
以上の経緯を踏まえた上で、カトリック、プロテスタントの二大キリスト
教勢力にとっては「当然のこと」と捕らえているこの問題を考えて見ると、
個人的には、そのまま信じることはできません。
第一に、当の「イエス」本人が言い出したことでも、認めたことでもあり
ません。彼を見たこともない後世の人たちが、彼自身の言動を無視して断定
するのには無理があります。
第二に、もし正しいとしても、何をもって『神』であることの「決め手」
とするのかはっきりしません。常人では不可能な数々の奇跡を起こしたにせ
よ、それは"この世の人的ではない"ということであって、そのことが即
『神』であることにはならないと思うからです。
(もっとも、そもそも「神とは何なのか」というもっと大きな問題があり、
その定義もその人により違うものだと思います。小生自身の「定義」に
ついては、もう少し後で述べてみたいと思います。)
さて、その意味では小生は、正統的なキリスト教徒にはなれませんね。
ただし、「イエス」の説いた『神』や奇跡についてはむしろ肯定的に考えて
います。
その辺りの話についても、もう少し後にとっておくことにして、次回第
六夜 は、その後のユダヤ教徒ともうひとつの「アブラハムの宗教」である、
「イスラム教」の話に入ってゆきたいと思います。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪三位一体に切り裂かれたキリスト教≫
★ 「三位一体」の原点
さて、スピリチュアル的に「イエス」を考える場合、避けて通れないの
が「三位一体」の問題です。その定義によれば、
父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊の三者は、等質で不可分
ということで、この三つは別の存在ではあるが、同じ「実体」を持つと
いうことです。うち、「聖霊」とは「第四夜」でお話した、「復活」後
に使徒たちの前に現れた「実体」のことで、まあ「イエス」本人と考えて
もよいので、究極的には「イエス」=『神』であるということです。
(宗教上の細かいニュアンスの違いについては、ご容赦願います。)
さて、これについては「キリスト教」の基本原理とされているが、もと
もと「イエス」自身がそのように説いたわけではありません。
その意味では、「イエス」の教えは、"自分が特別な者である"という認
識があったとしても、それこそが正当な「神」の意思に繋がるもので、
「パリサイ派」等の言動が間違っているとしたなら、「ユダヤ教」に相反
するものではなかったのです。
従って、「イエス」=『神』という「三位一体」の原理が加わった時点
が、「ユダヤ教」との決別の時点と言えます。
時期的には、2世紀前半に『新約聖書』の中で「父 (なる神)」「子
(なるキリスト)」「聖霊」が並記されるようになります。初めて「三位
一体」という表現を用いたのは、3世紀初めのカルタゴの教父テルトゥリ
アヌス (155頃~223頃)と言われています。
★ 「三位一体」の決着による「正統」と「異端」
事実、4世紀初めには「キリストは神か人か」を巡って、「完全な同一
性」を主張するアナスタシウス派と、「イエスもまた主の創造物の一人だ」
とするアリウス派の間で大論争が展開されます。
そして325年、コンスタンティヌス大帝がキリスト教関係者を召集して行
われたニカイア宗教会議において 、アナスタシウス派が勝利し、アリウス
は破門の憂き目をみるのです。つまりは、「三位一体」を信じる立場を「正
統」、そうでないものが「異端」とされただけのことで、この差異だけをも
って、「異端」派の説をトンデモないものとする明確な根拠はないのです。
しかし、381年には コンスタンティノープル宗教会議において「ニケー
ア信条」が採択され、ここにキリスト教の「三位一体」の教義が確定します。
★ 「イエス」は『神』か
以上の経緯を踏まえた上で、カトリック、プロテスタントの二大キリスト
教勢力にとっては「当然のこと」と捕らえているこの問題を考えて見ると、
個人的には、そのまま信じることはできません。
第一に、当の「イエス」本人が言い出したことでも、認めたことでもあり
ません。彼を見たこともない後世の人たちが、彼自身の言動を無視して断定
するのには無理があります。
第二に、もし正しいとしても、何をもって『神』であることの「決め手」
とするのかはっきりしません。常人では不可能な数々の奇跡を起こしたにせ
よ、それは"この世の人的ではない"ということであって、そのことが即
『神』であることにはならないと思うからです。
(もっとも、そもそも「神とは何なのか」というもっと大きな問題があり、
その定義もその人により違うものだと思います。小生自身の「定義」に
ついては、もう少し後で述べてみたいと思います。)
さて、その意味では小生は、正統的なキリスト教徒にはなれませんね。
ただし、「イエス」の説いた『神』や奇跡についてはむしろ肯定的に考えて
います。
その辺りの話についても、もう少し後にとっておくことにして、次回第
六夜 は、その後のユダヤ教徒ともうひとつの「アブラハムの宗教」である、
「イスラム教」の話に入ってゆきたいと思います。
目次のペーシへはこちらから
- 関連記事
-
- トンデモ話は奥で繋がる(13) 22.2.20 (2010/02/20)
- トンデモ話は奥で繋がる(12) 22.2.16 (2010/02/16)
- トンデモ話は奥で繋がる(11) 22.2.14 (2010/02/14)
- トンデモ話は奥で繋がる(10) 22.2.11 (2010/02/11)
- トンデモ話は奥で繋がる(9) 22.2.8 (2010/02/08)
- トンデモ話は奥で繋がる(8) 22.2.5 (2010/02/05)
- トンデモ話は奥で繋がる(7) 22.2.1 (2010/02/01)
- トンデモ話は奥で繋がる(6) 22.1.28 (2010/01/28)
- トンデモ話は奥で繋がる(5) 22.1.25 (2010/01/25)
- トンデモ話は奥で繋がる(4) 22.1.23 (2010/01/23)
- トンデモ話は奥で繋がる(3) 22.1.20 (2010/01/20)
- トンデモ話は奥で繋がる(2) 22.1.17 (2010/01/17)
- トンデモ話は奥で繋がる(1) 22.1.15 (2010/01/15)
