2022.06.18
何かを身につけるためには
ヘミシンクピンポンパンで何回か書かれていることに、
ー《神は細部に宿る》という有名な言葉があるのだが知っているだろうか?《細部に宿らない》という説もあるのだが、ヘミシンクはまさしく前者だ。ワークの記録は精密デッサンのように克明に記録する努力が必要なのだ。それが見る力を養い知覚力を高めるー
非常に細かいことにわたり、詳細にデッサン、描写することが見る力を養い知覚力を高める。と言われています。これは私も実感していることです。しかし、世の有名無名のスピリチュアルの先生は、反対にあまりその体験などをそのまま語るということはなく、大雑把な「すごい」とか、「素晴らしい、感動しました。」などとの感想めいた言葉が多いです。残念な人が多いなぁと、不出来な私は思ってしまいます。それから学びたいと思ってもなかなか難しいと思ってしまいます。
実際のその体験をノンフィクションでただ克明に語ってくれれば、自分なりにそれを辿って何かわかるかもしれないと思うのですが、なかなかそういうことはなく、ピンポンパンの記事はそれとは全く違って克明に書かれていてわかりやすくていいと思っています。
今回はそのようなスピの話ではありません。私はこの頃あることを練習していて、偉い先生にも習いに行ったのですが、ろくな説明もなく、ただ自習するというスタイル。なかなかこれでは自分が何をどうわからなく、できないということになっているのか、途方に暮れるだけでした。しかし、YouTubeで親切な人がその物事について親切丁寧に説明しているのを見つけました。その人は、自分でそのことをやりながら、いろんな人が間違えたり、うまくいかないポイントを細かく説明しているのです。自分でやりながらなので、こちらもそれを見て実際にこういうことかと合点がいったり、なるほどと頷いたりしました。
そのユーチューバーの人は実践という、擬似体験をみんなに見せながら、本当に細かいところを理由を交えながら説明してくれたのです。
なるほど...
実践スタイルである上に、細かくその状態を見せながら説明も多い。これだと試聴している人は自分のやり方をそれになぞりながら進み、悪いところは直しつつ進めます。
しかし、世の有名な学校などでも、ただ偉い人が口で「こうします」なんて適当に喋るだけで、聞いた人が失敗したら、できないのは失敗した人のせいになるなんてこともありますが、物事はどんなことでも偉い人が適当に喋ったり注意したり、感動を語るだけでは伝わらないと思います。伝わるというより、聞いた人の役には立たないと思います。つくづく実践を伴いながらの克明な説明というのは何かを教授する場面では必要だなぁと思います。
すぴだけでなく、この世の他のお稽古事でもそうで、すごい人のところですごいという話を聞いたからいいと思うのは、何かにのぼせてしまうだけで、肝心な実力が全くつかないことになってしまうこともあると思います。先生も、学校も最初から信用してしまうのは、お金と時間のロスになるので、どこかで何かを学ぶときは、先生やその教えをよく見極めて、ダメと思ったら早々に退散するのが賢明かと思います。
ー《神は細部に宿る》という有名な言葉があるのだが知っているだろうか?《細部に宿らない》という説もあるのだが、ヘミシンクはまさしく前者だ。ワークの記録は精密デッサンのように克明に記録する努力が必要なのだ。それが見る力を養い知覚力を高めるー
非常に細かいことにわたり、詳細にデッサン、描写することが見る力を養い知覚力を高める。と言われています。これは私も実感していることです。しかし、世の有名無名のスピリチュアルの先生は、反対にあまりその体験などをそのまま語るということはなく、大雑把な「すごい」とか、「素晴らしい、感動しました。」などとの感想めいた言葉が多いです。残念な人が多いなぁと、不出来な私は思ってしまいます。それから学びたいと思ってもなかなか難しいと思ってしまいます。
実際のその体験をノンフィクションでただ克明に語ってくれれば、自分なりにそれを辿って何かわかるかもしれないと思うのですが、なかなかそういうことはなく、ピンポンパンの記事はそれとは全く違って克明に書かれていてわかりやすくていいと思っています。
今回はそのようなスピの話ではありません。私はこの頃あることを練習していて、偉い先生にも習いに行ったのですが、ろくな説明もなく、ただ自習するというスタイル。なかなかこれでは自分が何をどうわからなく、できないということになっているのか、途方に暮れるだけでした。しかし、YouTubeで親切な人がその物事について親切丁寧に説明しているのを見つけました。その人は、自分でそのことをやりながら、いろんな人が間違えたり、うまくいかないポイントを細かく説明しているのです。自分でやりながらなので、こちらもそれを見て実際にこういうことかと合点がいったり、なるほどと頷いたりしました。
そのユーチューバーの人は実践という、擬似体験をみんなに見せながら、本当に細かいところを理由を交えながら説明してくれたのです。
なるほど...
実践スタイルである上に、細かくその状態を見せながら説明も多い。これだと試聴している人は自分のやり方をそれになぞりながら進み、悪いところは直しつつ進めます。
しかし、世の有名な学校などでも、ただ偉い人が口で「こうします」なんて適当に喋るだけで、聞いた人が失敗したら、できないのは失敗した人のせいになるなんてこともありますが、物事はどんなことでも偉い人が適当に喋ったり注意したり、感動を語るだけでは伝わらないと思います。伝わるというより、聞いた人の役には立たないと思います。つくづく実践を伴いながらの克明な説明というのは何かを教授する場面では必要だなぁと思います。
すぴだけでなく、この世の他のお稽古事でもそうで、すごい人のところですごいという話を聞いたからいいと思うのは、何かにのぼせてしまうだけで、肝心な実力が全くつかないことになってしまうこともあると思います。先生も、学校も最初から信用してしまうのは、お金と時間のロスになるので、どこかで何かを学ぶときは、先生やその教えをよく見極めて、ダメと思ったら早々に退散するのが賢明かと思います。
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