2021.09.03
断捨離とモノの気持ち
私は、親が六十少しで亡くなっているので、いつ死んでもいいように、という強迫観念みたいなのがあります。だいぶ前から、できるだけ物を捨てなくてはいけないと思い、捨ててはいるのですが、なかなかバッサリとは行きません。
先週はお客さんも来ることだしと、今までためていた家計簿とか、服とか、バッグとか捨てました。が、今週頭に座敷にまだいっぱいものがあるのを見てイヤになりました。まだ、こんなにものがあるが、でも、服ひとつとってもガバチョとは捨てられない。せっかく買ったのに、あまり使わないで捨てるのはなんとなく未練というか、割り切れないものがあり、踏ん切りがつかないのです。
断捨離の専門家は、一年着なかった服は不要だから捨てよ、なんて言いますが、なかなかその不要だと思えないのだよ...
なんてぼやきながら、ガラクタを右から左、あっちの部屋からこっちの部屋の隅に移動させていた時、ふっと思ったのです。
ー待てよ、断捨離って人間がものを必要とか、もう必要でないとか言ってるけど、自分がものだったらどうだろう。あの、いいんだけどなかなか着ることが少ないオレンジの服、水玉の服はどう思っているだろう。私のこと好きでないかなぁ。ーなんて、思ったら、声にならないモノの声が頭に響いた気がしました。
「嫌いだ」
やっぱりそうか...- 他のいいんだけど結局は着ないものや、使わないしまっているだけの物達は❓と思ったらこちらも
「嫌いだ」こんなところにいたくない...
ものの声がどこかで囁いているように思えました。
ものはものとして、まずはその目的を果たしたいのであり、ただ部屋の隅にあるというだけでは、イヤなのではないかと思います。使うとか、断捨離とか、人間は色々というけれど、モノからしたら、そんなのは人間から見たモノであってモノから見た世界ではないのではないか❓そんなことを思いました。
もう使わないまま、何年もただしまわれているなら、早くもとの小さなチリに戻りたい。そんなことをモノは思っているかもしれないと思いました。物が何かを思うなんて、気狂いじみているように感じられる人もいるでしょう。でも、モノって魂を宿しているような気がします。
使わないものはもう、思い切って処分した方が、ものも喜ぶような気がします。
あれから他のモノにも語りかけましたが、普段使っているモノ達は「嫌い」なんて言ってなく、張り切って働いているような気がします。
捨て時というのは、人間がものを捨てる時でなく、ものが人間を捨てる時なのかもしれません。そうですね。自分のものとしたのに、全然かまってもやらず、放置しておいていたら、嫌われますよね。モノにも来世があるかもしれません。全く使わずここに留めておくのは酷です。
もう少し、加速してものの処分をしようと思っています。
先週はお客さんも来ることだしと、今までためていた家計簿とか、服とか、バッグとか捨てました。が、今週頭に座敷にまだいっぱいものがあるのを見てイヤになりました。まだ、こんなにものがあるが、でも、服ひとつとってもガバチョとは捨てられない。せっかく買ったのに、あまり使わないで捨てるのはなんとなく未練というか、割り切れないものがあり、踏ん切りがつかないのです。
断捨離の専門家は、一年着なかった服は不要だから捨てよ、なんて言いますが、なかなかその不要だと思えないのだよ...
なんてぼやきながら、ガラクタを右から左、あっちの部屋からこっちの部屋の隅に移動させていた時、ふっと思ったのです。
ー待てよ、断捨離って人間がものを必要とか、もう必要でないとか言ってるけど、自分がものだったらどうだろう。あの、いいんだけどなかなか着ることが少ないオレンジの服、水玉の服はどう思っているだろう。私のこと好きでないかなぁ。ーなんて、思ったら、声にならないモノの声が頭に響いた気がしました。
「嫌いだ」
やっぱりそうか...- 他のいいんだけど結局は着ないものや、使わないしまっているだけの物達は❓と思ったらこちらも
「嫌いだ」こんなところにいたくない...
ものの声がどこかで囁いているように思えました。
ものはものとして、まずはその目的を果たしたいのであり、ただ部屋の隅にあるというだけでは、イヤなのではないかと思います。使うとか、断捨離とか、人間は色々というけれど、モノからしたら、そんなのは人間から見たモノであってモノから見た世界ではないのではないか❓そんなことを思いました。
もう使わないまま、何年もただしまわれているなら、早くもとの小さなチリに戻りたい。そんなことをモノは思っているかもしれないと思いました。物が何かを思うなんて、気狂いじみているように感じられる人もいるでしょう。でも、モノって魂を宿しているような気がします。
使わないものはもう、思い切って処分した方が、ものも喜ぶような気がします。
あれから他のモノにも語りかけましたが、普段使っているモノ達は「嫌い」なんて言ってなく、張り切って働いているような気がします。
捨て時というのは、人間がものを捨てる時でなく、ものが人間を捨てる時なのかもしれません。そうですね。自分のものとしたのに、全然かまってもやらず、放置しておいていたら、嫌われますよね。モノにも来世があるかもしれません。全く使わずここに留めておくのは酷です。
もう少し、加速してものの処分をしようと思っています。
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