2010.06.25
トンデモ話は奥で繋がる(35) 22.6.25
トンデモ話は奥で繋がる 「第三十五夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪ナチス対ロスチャイルド≫
★ 暗黒の木曜日も危機にあらず
1929年10月24日、ウォール街に「暗黒の木曜日」が訪れます。
世界恐慌の発端となったのは、オーストリア最大のクレディタンシュ
タルト銀行の崩壊で、その当主はルイス・ロスチャイルドでした。
この不況は、第三十二夜で紹介した赤い楯の系列銀行-ロスチャ
イルド銀行、ディスコント銀行、ダルムシュタット銀行にとっても例
外ではありませんでした。
ドイツ内最大手であったディスコント銀行は1929年ドイツ銀行に
吸収合併され、ダルムシュタット銀行は1931年、クレディタンシュ
タルト銀行のあおりを食って連鎖的に崩壊します。
残ったロスチャイルド銀行も、第一次大戦の痛手から、アメリカの
モルガンを力を借りてようやく回復したばかりで、自らが生き残るのに精
一杯の状況でした。
しかし、今やロスチャイルド財閥全体は単なる"金融資本家"ではなく、
数々の利益産業-兵器産業のヴィッカース、ダイヤモンドのデビアス、
鉱山のリオ・チント等-を支配する"産業資本家"に脱皮していました。
現に、クレディタンシュタルト銀行はイギリス、フランスのロスチャイ
ルド家から莫大な支援を取り付け復活を果たしています。むしろその
余波を受けた数々の銀行が永遠に姿を消し、彼等の独占度が強まる
結果となったのです。
★ 盲目的な「ユダヤ資本陰謀説」の誤り
一方、一般大衆を味方につけたナチズムは、「この不況は全て国際
ユダヤ資本の陰謀だ」という社説を掲げて、その首謀者であるロスチ
ャイルドを攻撃しました。
発端となったクレディタンシュタルト銀行の経緯をみると、確かに形
の上ではその通りにも見えます。しかし、著者の広瀬氏は、そうした論
調の誤りを以下のように指摘しています。
第一に、今日のような金融制度のもとでは、「陰謀」によらなくとも、
予期せぬ社会情勢の変化によって恐慌が起こる危険性が常に存在し、
彼等に限らず、それに対応できる体制を持った「財閥」が自然に大儲
けできるシステムとなっています。
第二に、ロスチャイルド財閥の系図を編み上げて来た支配階級は、そ
の創始者を除けばほとんどが「非ユダヤ人」であり、彼等が保ってきた
「権力者に限った分配」こそが問題とされるべきで、「ユダヤ人固有」
の問題ではないのです。広瀬氏自身の言葉を抜粋すれば、
『ユダヤ人と非ユダヤ人とを問わず、上部の階層が一般市民とは
かけ離れた優雅な生活を送り、その財源がアジア、中東、アフリ
カ、南米などの侵略地帯から誕生しているということ』
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅱ巻 P589転載)
これこそが、当時の経済支配の一番の問題点であり、それはそのまま
現代にも当てはまることなのです。
その意味で盲目的な「ユダヤ資本陰謀説」は、むしろ「非ユダヤ人」
として巨大利権を貪る者の隠れ蓑になってしまう危険性があるのです。
★ ウィーン当主の捕縛
新たな侵略者に過ぎないナチスは、しかし着々と大衆の支持を得て、
1932年にはドイツの第一党に躍り出ます。すると、今まで危険な政
党と見なし、鼻先であしらってきたドイツの金融界、工業界が突然にヒ
ットラーと接触し始めます。
中でも特に強力にナチスを支えたのは鉄鋼王ティッセンとシューレ
ーダー男爵家でした。特に後者は南アフリカのダイヤを扱う「デビアス」
をロスチャイルドと結びつけたパリのエルランゲル商会が、ロンドンで
の代理人として、その活動を一任していた一族でした。
彼自身もナチスに入党し、銀行家として工
業界の資金を集め、ナチスに献金します。
ゴールドシュミットのディスコント銀行、バ
クー油田のパートナーであるノーベル・トラ
ストなど、ロスチャイルドが心血を注いできた
企業群が次々とドイツ民族主義者の手に
握られてゆきました。
《クリック、虫眼鏡+で拡大表示されます。》
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅱ巻 P594-595より転載)
それらの軍事資金をバックに、1938年の3月10日、ドイツ軍がオー
ストリアに進入し、次々とユダヤ人の家を襲います。その中にウィーン
家の当主ルイス・ロスチャイルドも含まれていました。
彼はイタリアに向かう飛行機に乗る予定でしたが、飛行場を固めてい
た親衛隊SSの将校に見つかり、自宅へ戻るように命ぜられました。
しかし、その後自宅に戻った彼を訪ねたナチスは、執事が「ご主人様
は不在です。」という見え透いた居留守にそのまま帰ってしまいます。
この時点では、ナチスは、まだロスチャイルドにうかつに手出しが出来
なかったのです。ヒットラー自身、「成り上がり者」に過ぎない自分達が、
ロスチャイルド当主に手を下せば、どんな報復が待っているかわからな
いという恐怖感を持っていました。
翌日ナチスは、改めて物々しいグループでロスチャイルド邸を訪れま
す。しかし、ルイスが昼食の間待ってくれと言うと、それを許可します。
彼は、豪勢な食事とタバコをゆっくり味わった後、警察本部へと連行さ
れます。
★ 水晶の夜~ユダヤ人絶滅宣言へ
こうして、ウィーンのロスチャイルド当主を留置所に投げ込むことに
成功した彼等は、初めて「やればできる」という自信を得ることになり
ます。
ウィーンのロスチャイルド邸には「ユダヤ人移送本部」の看板が掲げ
られ、裕福なユダヤ人からは金を取って出国を許可し、貧しい、利用
価値のないユダヤ人を集中的に殺害し始めたのです。
そして1938年11月9日、ゲッペルスの主導によるドイツ全土のユダ
ヤ人迫害と虐殺が行われ、裕福なユダヤ人およそ3万人が強制収容
所へと送還される水晶の夜が訪れます。
その3日後の12日、ナチスはユダヤ人の財産没収とゲットー収容を
決定し、「ユダヤ人迫害」から「ユダヤ人絶滅」へ梶を切ります。
ここに至って、今まで計算ずくでナチス対策を考えていたロスチャイ
ルド本家も目を覚まします。その台頭は、一族にとっても「死」を意味
することでした。
次回第三十六夜は、ロスチャイルド家の反撃へと進みます。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪ナチス対ロスチャイルド≫
★ 暗黒の木曜日も危機にあらず
1929年10月24日、ウォール街に「暗黒の木曜日」が訪れます。
世界恐慌の発端となったのは、オーストリア最大のクレディタンシュ
タルト銀行の崩壊で、その当主はルイス・ロスチャイルドでした。
この不況は、第三十二夜で紹介した赤い楯の系列銀行-ロスチャ
イルド銀行、ディスコント銀行、ダルムシュタット銀行にとっても例
外ではありませんでした。
ドイツ内最大手であったディスコント銀行は1929年ドイツ銀行に
吸収合併され、ダルムシュタット銀行は1931年、クレディタンシュ
タルト銀行のあおりを食って連鎖的に崩壊します。
残ったロスチャイルド銀行も、第一次大戦の痛手から、アメリカの
モルガンを力を借りてようやく回復したばかりで、自らが生き残るのに精
一杯の状況でした。
しかし、今やロスチャイルド財閥全体は単なる"金融資本家"ではなく、
数々の利益産業-兵器産業のヴィッカース、ダイヤモンドのデビアス、
鉱山のリオ・チント等-を支配する"産業資本家"に脱皮していました。
現に、クレディタンシュタルト銀行はイギリス、フランスのロスチャイ
ルド家から莫大な支援を取り付け復活を果たしています。むしろその
余波を受けた数々の銀行が永遠に姿を消し、彼等の独占度が強まる
結果となったのです。
★ 盲目的な「ユダヤ資本陰謀説」の誤り
一方、一般大衆を味方につけたナチズムは、「この不況は全て国際
ユダヤ資本の陰謀だ」という社説を掲げて、その首謀者であるロスチ
ャイルドを攻撃しました。
発端となったクレディタンシュタルト銀行の経緯をみると、確かに形
の上ではその通りにも見えます。しかし、著者の広瀬氏は、そうした論
調の誤りを以下のように指摘しています。
第一に、今日のような金融制度のもとでは、「陰謀」によらなくとも、
予期せぬ社会情勢の変化によって恐慌が起こる危険性が常に存在し、
彼等に限らず、それに対応できる体制を持った「財閥」が自然に大儲
けできるシステムとなっています。
第二に、ロスチャイルド財閥の系図を編み上げて来た支配階級は、そ
の創始者を除けばほとんどが「非ユダヤ人」であり、彼等が保ってきた
「権力者に限った分配」こそが問題とされるべきで、「ユダヤ人固有」
の問題ではないのです。広瀬氏自身の言葉を抜粋すれば、
『ユダヤ人と非ユダヤ人とを問わず、上部の階層が一般市民とは
かけ離れた優雅な生活を送り、その財源がアジア、中東、アフリ
カ、南米などの侵略地帯から誕生しているということ』
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅱ巻 P589転載)
これこそが、当時の経済支配の一番の問題点であり、それはそのまま
現代にも当てはまることなのです。
その意味で盲目的な「ユダヤ資本陰謀説」は、むしろ「非ユダヤ人」
として巨大利権を貪る者の隠れ蓑になってしまう危険性があるのです。
★ ウィーン当主の捕縛
新たな侵略者に過ぎないナチスは、しかし着々と大衆の支持を得て、
1932年にはドイツの第一党に躍り出ます。すると、今まで危険な政
党と見なし、鼻先であしらってきたドイツの金融界、工業界が突然にヒ
ットラーと接触し始めます。
中でも特に強力にナチスを支えたのは鉄鋼王ティッセンとシューレ
ーダー男爵家でした。特に後者は南アフリカのダイヤを扱う「デビアス」
をロスチャイルドと結びつけたパリのエルランゲル商会が、ロンドンで
の代理人として、その活動を一任していた一族でした。

業界の資金を集め、ナチスに献金します。
ゴールドシュミットのディスコント銀行、バ
クー油田のパートナーであるノーベル・トラ
ストなど、ロスチャイルドが心血を注いできた
企業群が次々とドイツ民族主義者の手に
握られてゆきました。
《クリック、虫眼鏡+で拡大表示されます。》
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅱ巻 P594-595より転載)
それらの軍事資金をバックに、1938年の3月10日、ドイツ軍がオー
ストリアに進入し、次々とユダヤ人の家を襲います。その中にウィーン
家の当主ルイス・ロスチャイルドも含まれていました。
彼はイタリアに向かう飛行機に乗る予定でしたが、飛行場を固めてい
た親衛隊SSの将校に見つかり、自宅へ戻るように命ぜられました。
しかし、その後自宅に戻った彼を訪ねたナチスは、執事が「ご主人様
は不在です。」という見え透いた居留守にそのまま帰ってしまいます。
この時点では、ナチスは、まだロスチャイルドにうかつに手出しが出来
なかったのです。ヒットラー自身、「成り上がり者」に過ぎない自分達が、
ロスチャイルド当主に手を下せば、どんな報復が待っているかわからな
いという恐怖感を持っていました。
翌日ナチスは、改めて物々しいグループでロスチャイルド邸を訪れま
す。しかし、ルイスが昼食の間待ってくれと言うと、それを許可します。
彼は、豪勢な食事とタバコをゆっくり味わった後、警察本部へと連行さ
れます。
★ 水晶の夜~ユダヤ人絶滅宣言へ
こうして、ウィーンのロスチャイルド当主を留置所に投げ込むことに
成功した彼等は、初めて「やればできる」という自信を得ることになり
ます。
ウィーンのロスチャイルド邸には「ユダヤ人移送本部」の看板が掲げ
られ、裕福なユダヤ人からは金を取って出国を許可し、貧しい、利用
価値のないユダヤ人を集中的に殺害し始めたのです。
そして1938年11月9日、ゲッペルスの主導によるドイツ全土のユダ
ヤ人迫害と虐殺が行われ、裕福なユダヤ人およそ3万人が強制収容
所へと送還される水晶の夜が訪れます。
その3日後の12日、ナチスはユダヤ人の財産没収とゲットー収容を
決定し、「ユダヤ人迫害」から「ユダヤ人絶滅」へ梶を切ります。
ここに至って、今まで計算ずくでナチス対策を考えていたロスチャイ
ルド本家も目を覚まします。その台頭は、一族にとっても「死」を意味
することでした。
次回第三十六夜は、ロスチャイルド家の反撃へと進みます。
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