2010.06.03
トンデモ話は奥で繋がる(31) 22.6.3
トンデモ話は奥で繋がる 「第三十一夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪ロスチャイルド財閥の誕生≫
★ ロスチャイルド財閥を作った男
16世紀、ドイツ・フランクフルトのゲットーで、キリスト教徒相手の
両替商を営んでいたユダヤ人のひとり、アムシェル・モーゼス・ロー
トシルトは、1744年に4番目の子供を授かります。彼こそ、ロスチ
ャイルド財閥の1代目と称せられるマイアー・アムシェル・ロートシ
ルトでした。
11歳で父を、12歳で母を失ったマイアーは、フランクフルトで古銭・
メダル商を始めます。そこで貨幣の収集癖で名高いヴェルヘルム9
世と知己なったのを機に徐々に財を成し、1764年には20歳でドイ
ツ・ロスチャイルド商会を設立し、1769年には宮廷御用商人に
任ぜられます。
当時のヨーロッパは、1744年のフランス革命を始めとして、戦争
に明け暮れていました。各国の政府・王朝は軍資金と兵士の調達に余
念がなく、彼は大陸中を駆け回り、敵味方の区別なく、蓄えた自己資金を
儲かるところに貸し付け、財を成して行くことになります。
そのために、彼が最も重視したのが情報でした。5人の娘は各国の同
族に嫁がせ、ドイツ、オーストリア、イギリス、イタリア、フランス各家
の国を超えた結束のもと、各国にいつでも出航可能な自家用の郵便船
を配し、各地の戦果の情報を誰よりも速く掴み、しかるべき相手に投資し
たわけです。
1810年には「ロスチャイルド父子商会」を設立し、その実権を5人の
息子たちに譲り、その2年後に他界します。ウィキペディアによれば、遺言
状にはその事業について、こう記載されていたそうです。
① 企業内のポストを一族が独占すること
② 事業は男子相続人に限ること。
③ 長男が跡を引き継ぐこと。
④ 婚姻は一族で行うこと。
⑤ 事業の秘密厳守、時には家庭より商売を優先すべきである。
★ 5人の息子達の連携プレー
1812年、父の遺言どおり長男のアムシェルがドイツ本店を継ぐと、
彼は、既にイギリスに渡っていた三男ネイサンに加え、次男以下を各国
へ次々と支店を出させます。
● 三男 ネイサン 1804年 27歳で
イギリス店創設
● 五男 ジェームズ 1817年 25歳で
フランス店創設
● 次男 サロモン 1820年 46歳で
オーストリア店創設
● 四男 カール 1821年 33歳で
イタリア店創設
《クリック、虫眼鏡+で拡大表示されます。》
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅰ巻 P54-55より転載)
特に、三男ネイサンが出店した1804年はナポレオンが皇帝となった
年で、各国の支配者層は、革命の自国への飛び火や、ナポレオン軍
の侵攻を恐れ、軍資金の供給を各国ロスチャイルド家に求めます。
5人の息子達は、父の商法をよく心得ていました。表向きは、各自独立
した事業会社として、各国のための融資を行いながらも、どの国が戦勝
国となるかわからないこの時代にあって、かれらは裏でしっかりと連携し、
お互いの利益と損失を全体で補償する体制をとったのです。
これが最大限の効力を発揮したのが、1815年のワーテルローの戦い
です。1806年、ナポレオンはイギリスを孤立させるため大陸封鎖令を発し
ます。しかし、各国に商会を持つロスチャイルド商会は、密かに大規模な密
輸ルートを確保します。
一方、イギリスは奇襲攻撃のための大量の軍資金を必要としていました。
ここで、ロンドンのネイサンを軸に、パリのジェームズ、ウィーンのサロモ
ン、ナポリのカールが、フランスの海岸線で金貨と手形を密かにリレー輸送
し、ドーバー海峡を越えて軍資金を調達したのです。
さらにこの戦いの勝敗を見届ける者が密かに配置され、その伝達網が完
備されます。ロンドンの株式市場で「ナポレオン敗北」の情報をいち早く知っ
たネイサンは、逆に猛然とイギリス公債を「売り」に出ます。
市場関係者は「ナポレオン勝利」の報が流れたと思い込み、一斉に追随し
ました。ところがこの暴落するイギリス公債を、逆に「買い」つける一団が
あったのです。ネイサンの使用人の一団でした。翌日「ウェリントン勝利」
の報に公債は大暴騰し、ロスチャイルド家は一夜にして巨万の富を手にする
のです。これが伝説の「ネイサンの逆売り」です。
★ 金融王ネイサン
さて、ネイサンがロンドンに渡った当初は、シティーは既に多くの銀行家
が支配しており、その最たる勢力はベアリング商会でした。ネイサンはそれ
を超えることを目標に、手を打ち始めます。
ロンドンのロスチャイルド商会を立ち上げたわずか2年後、彼はイギリスの
ユダヤ人富豪リーヴァイ・コーエンの娘と結婚します。この婚姻により、
彼はシティーの金融街を動かしていたもうひとりのユダヤ人の商家モンテ
フィオーレ家と近づくことになります。
モンテフィオーレ家は、ベアリング一族に金塊を運んでいた「モカッタ・
ゴールドシュミット商会」と姻戚関係にあったのです。そのため、ネイサン
は金銀の地金を自由に入手できる立場に立ち、ベアリング商会が買い付
けのために必要とした金銀の流通経路を握ってしまいます。
そして1810年、ロンドン証券取引所を牛耳ってきたベアリング商会の
創始者フランシス・ベアリングが他界、同年、モカッタ・ゴールドシュミッ
ト商会の代表エイブラハム・ゴールドシュミットが自殺(兄のベンジャミン・
ゴールドシュミットのその2年前に自殺)という偶然(?)、によりネイサンは
シティーを牛耳る者にのし上がります。
さて、当時のシティーでしのぎを削っていた6つの銀行、イングランド銀
行、ロイズ銀行、バークレーズ銀行、(ロンドン・アンド・)ウェストミンス
ター銀行、ミッドランド銀行、スタンダード・チャータード銀行の素顔を見
てみると、
● バークレ-ズ銀行…ロスチャイルド銀
行の支配下にあるリオ・チント・ジン
クの会長アンソニー・テュークが重役
● ウェストミンスター銀行…ネイサンの妻
の姪と婚姻したデヴィッド・サロモンズ
が創業メンバー
● ミッドランド銀行…中核の子会社がロス
チャイルド家のサミュエル・モンタギュ
ー商会
《クリック、虫眼鏡+で拡大表示されます。》
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅰ巻 P80-81より転載)
● ロイズ銀行…創業の2代目がバークレイズ家と婚姻
● スタンダード・チャータード銀行…姉妹銀行がモカッタ・ゴールドシ
ュミット商会
と、5社までがネイサンとのつながりを持っていました。残るイングラン
ド銀行は、イングランド王国政府の軍事費調達銀行として独立していたも
のの、その裏づけとなる金銀の地金を握っていたのはモカッタ・ゴールド
シュミット商会であり、事実上ネイサンを無視して調達活動をするのは不可
能でした。
しかし、さすがのネイサンも、寿命を自在に動かすことはできず、1836
年にこの世を去ります。1855年には四男カール、次男サロモン、長男
アムシェルが相次いで後を追い、1868年には末男ジェームズも他界しま
す。
一介の「富豪」ならば、兄弟の物語としてはこれで終わるのです。が、彼等
が一族との婚姻を繰り返すことによって絡み合った財閥はそうではない
のです。
よく、ロスチャイルド家の金融支配について、「婚姻関係があるからとい
って、深い絆があるとは限らない」という反論がなされます。確かに、精神
論だけで考えるならばその通りでしょう。
しかし、財閥の目的は、一族の資産を身内だけで囲い込む制度そのも
のです。つまり、そのために意味のある相手を選んだ時点で、財閥として
の絆は完成されるわけです。当時は「相続」によって課税を免れることが
できたので、この方法が続く限り資産は安泰でした。
そして、ジェームズがいなくなった2年後の1870
年に、エドワード・グレンフェルが生まれています。
のちにモルガン家と手を組み、モルガン・グレン
フェルを創立する彼は、ネイサンが創設した「アラ
イアンス保険」の重役をしていました。
《クリック、虫眼鏡+で拡大表示されます。》
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅰ巻 P140-141より転載)
そして、彼の妻アディーンこそ、ネイサンの孫娘アニー・ロスチャイルド
と結婚したエリオット・ヨークの妹、エリザベス・ヨークと義理の姉妹関係
にあったのです。
こうして、ロスチャイルド財閥と対等に渡り合える、アメリカの金融王モ
ルガンもまた、彼等の姻戚関係のひとつとなって手を結ぶことになるので
す。
しかし、第一次世界大戦後、この彼等の最大の武器に風穴を開ける男が登
場することにより、彼等に最大の危機がやってきます。次回第三十二夜では、
その経緯から続けてゆこうと思います。
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-弟子のクッテネルがお送りします。
≪ロスチャイルド財閥の誕生≫
★ ロスチャイルド財閥を作った男
16世紀、ドイツ・フランクフルトのゲットーで、キリスト教徒相手の
両替商を営んでいたユダヤ人のひとり、アムシェル・モーゼス・ロー
トシルトは、1744年に4番目の子供を授かります。彼こそ、ロスチ
ャイルド財閥の1代目と称せられるマイアー・アムシェル・ロートシ
ルトでした。
11歳で父を、12歳で母を失ったマイアーは、フランクフルトで古銭・
メダル商を始めます。そこで貨幣の収集癖で名高いヴェルヘルム9
世と知己なったのを機に徐々に財を成し、1764年には20歳でドイ
ツ・ロスチャイルド商会を設立し、1769年には宮廷御用商人に
任ぜられます。
当時のヨーロッパは、1744年のフランス革命を始めとして、戦争
に明け暮れていました。各国の政府・王朝は軍資金と兵士の調達に余
念がなく、彼は大陸中を駆け回り、敵味方の区別なく、蓄えた自己資金を
儲かるところに貸し付け、財を成して行くことになります。
そのために、彼が最も重視したのが情報でした。5人の娘は各国の同
族に嫁がせ、ドイツ、オーストリア、イギリス、イタリア、フランス各家
の国を超えた結束のもと、各国にいつでも出航可能な自家用の郵便船
を配し、各地の戦果の情報を誰よりも速く掴み、しかるべき相手に投資し
たわけです。
1810年には「ロスチャイルド父子商会」を設立し、その実権を5人の
息子たちに譲り、その2年後に他界します。ウィキペディアによれば、遺言
状にはその事業について、こう記載されていたそうです。
① 企業内のポストを一族が独占すること
② 事業は男子相続人に限ること。
③ 長男が跡を引き継ぐこと。
④ 婚姻は一族で行うこと。
⑤ 事業の秘密厳守、時には家庭より商売を優先すべきである。
★ 5人の息子達の連携プレー
1812年、父の遺言どおり長男のアムシェルがドイツ本店を継ぐと、
彼は、既にイギリスに渡っていた三男ネイサンに加え、次男以下を各国
へ次々と支店を出させます。

イギリス店創設
● 五男 ジェームズ 1817年 25歳で
フランス店創設
● 次男 サロモン 1820年 46歳で
オーストリア店創設
● 四男 カール 1821年 33歳で
イタリア店創設
《クリック、虫眼鏡+で拡大表示されます。》
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅰ巻 P54-55より転載)
特に、三男ネイサンが出店した1804年はナポレオンが皇帝となった
年で、各国の支配者層は、革命の自国への飛び火や、ナポレオン軍
の侵攻を恐れ、軍資金の供給を各国ロスチャイルド家に求めます。
5人の息子達は、父の商法をよく心得ていました。表向きは、各自独立
した事業会社として、各国のための融資を行いながらも、どの国が戦勝
国となるかわからないこの時代にあって、かれらは裏でしっかりと連携し、
お互いの利益と損失を全体で補償する体制をとったのです。
これが最大限の効力を発揮したのが、1815年のワーテルローの戦い
です。1806年、ナポレオンはイギリスを孤立させるため大陸封鎖令を発し
ます。しかし、各国に商会を持つロスチャイルド商会は、密かに大規模な密
輸ルートを確保します。
一方、イギリスは奇襲攻撃のための大量の軍資金を必要としていました。
ここで、ロンドンのネイサンを軸に、パリのジェームズ、ウィーンのサロモ
ン、ナポリのカールが、フランスの海岸線で金貨と手形を密かにリレー輸送
し、ドーバー海峡を越えて軍資金を調達したのです。
さらにこの戦いの勝敗を見届ける者が密かに配置され、その伝達網が完
備されます。ロンドンの株式市場で「ナポレオン敗北」の情報をいち早く知っ
たネイサンは、逆に猛然とイギリス公債を「売り」に出ます。
市場関係者は「ナポレオン勝利」の報が流れたと思い込み、一斉に追随し
ました。ところがこの暴落するイギリス公債を、逆に「買い」つける一団が
あったのです。ネイサンの使用人の一団でした。翌日「ウェリントン勝利」
の報に公債は大暴騰し、ロスチャイルド家は一夜にして巨万の富を手にする
のです。これが伝説の「ネイサンの逆売り」です。
★ 金融王ネイサン
さて、ネイサンがロンドンに渡った当初は、シティーは既に多くの銀行家
が支配しており、その最たる勢力はベアリング商会でした。ネイサンはそれ
を超えることを目標に、手を打ち始めます。
ロンドンのロスチャイルド商会を立ち上げたわずか2年後、彼はイギリスの
ユダヤ人富豪リーヴァイ・コーエンの娘と結婚します。この婚姻により、
彼はシティーの金融街を動かしていたもうひとりのユダヤ人の商家モンテ
フィオーレ家と近づくことになります。
モンテフィオーレ家は、ベアリング一族に金塊を運んでいた「モカッタ・
ゴールドシュミット商会」と姻戚関係にあったのです。そのため、ネイサン
は金銀の地金を自由に入手できる立場に立ち、ベアリング商会が買い付
けのために必要とした金銀の流通経路を握ってしまいます。
そして1810年、ロンドン証券取引所を牛耳ってきたベアリング商会の
創始者フランシス・ベアリングが他界、同年、モカッタ・ゴールドシュミッ
ト商会の代表エイブラハム・ゴールドシュミットが自殺(兄のベンジャミン・
ゴールドシュミットのその2年前に自殺)という偶然(?)、によりネイサンは
シティーを牛耳る者にのし上がります。
さて、当時のシティーでしのぎを削っていた6つの銀行、イングランド銀
行、ロイズ銀行、バークレーズ銀行、(ロンドン・アンド・)ウェストミンス
ター銀行、ミッドランド銀行、スタンダード・チャータード銀行の素顔を見
てみると、

行の支配下にあるリオ・チント・ジン
クの会長アンソニー・テュークが重役
● ウェストミンスター銀行…ネイサンの妻
の姪と婚姻したデヴィッド・サロモンズ
が創業メンバー
● ミッドランド銀行…中核の子会社がロス
チャイルド家のサミュエル・モンタギュ
ー商会
《クリック、虫眼鏡+で拡大表示されます。》
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅰ巻 P80-81より転載)
● ロイズ銀行…創業の2代目がバークレイズ家と婚姻
● スタンダード・チャータード銀行…姉妹銀行がモカッタ・ゴールドシ
ュミット商会
と、5社までがネイサンとのつながりを持っていました。残るイングラン
ド銀行は、イングランド王国政府の軍事費調達銀行として独立していたも
のの、その裏づけとなる金銀の地金を握っていたのはモカッタ・ゴールド
シュミット商会であり、事実上ネイサンを無視して調達活動をするのは不可
能でした。
しかし、さすがのネイサンも、寿命を自在に動かすことはできず、1836
年にこの世を去ります。1855年には四男カール、次男サロモン、長男
アムシェルが相次いで後を追い、1868年には末男ジェームズも他界しま
す。
一介の「富豪」ならば、兄弟の物語としてはこれで終わるのです。が、彼等
が一族との婚姻を繰り返すことによって絡み合った財閥はそうではない
のです。
よく、ロスチャイルド家の金融支配について、「婚姻関係があるからとい
って、深い絆があるとは限らない」という反論がなされます。確かに、精神
論だけで考えるならばその通りでしょう。
しかし、財閥の目的は、一族の資産を身内だけで囲い込む制度そのも
のです。つまり、そのために意味のある相手を選んだ時点で、財閥として
の絆は完成されるわけです。当時は「相続」によって課税を免れることが
できたので、この方法が続く限り資産は安泰でした。

そして、ジェームズがいなくなった2年後の1870
年に、エドワード・グレンフェルが生まれています。
のちにモルガン家と手を組み、モルガン・グレン
フェルを創立する彼は、ネイサンが創設した「アラ
イアンス保険」の重役をしていました。
《クリック、虫眼鏡+で拡大表示されます。》
(集英社文庫『赤い楯』第Ⅰ巻 P140-141より転載)
そして、彼の妻アディーンこそ、ネイサンの孫娘アニー・ロスチャイルド
と結婚したエリオット・ヨークの妹、エリザベス・ヨークと義理の姉妹関係
にあったのです。
こうして、ロスチャイルド財閥と対等に渡り合える、アメリカの金融王モ
ルガンもまた、彼等の姻戚関係のひとつとなって手を結ぶことになるので
す。
しかし、第一次世界大戦後、この彼等の最大の武器に風穴を開ける男が登
場することにより、彼等に最大の危機がやってきます。次回第三十二夜では、
その経緯から続けてゆこうと思います。
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