2010.01.07
お金←→物
お金というものは不思議なものです。
一般人にとっては、1ヶ月働いて、その代償として給料を...または、何時間働いて時間給をもらいます。
皆がありがたがる1万円もよくみると福沢諭吉がついたただの紙切れです。
しかし、これをただの紙切れとは誰も思いません。
誰も思わないのは、この紙切れは、現物と交換できるからです。
反対にいえば現物と交換できなければ、ただの爺さんの写真のついた紙切れです。
小泉改革で日本経済は激しく落ち込み、みんなの生活も厳しくなりました。
しかし、お金、円についてはみんな疑いを持ちません。
私はたまに某国に住んでいた時を思い出します。
某国は経済が破綻していました。
そんな国の経済はどんなんか?経済情勢が厳しいとはいえ、日本に住んでいる...又は先進国に住んでいる人にはわからないでしょう。
金→←現物
普通は、牛が一頭5万円とすると、一年後、値上がりしても6.7万円でしょう。
しかし、そこの国の通貨が信用されなくなるとすごいことになります。
朝、レートが一ドル100円のとき、仮にそこの国の通貨が200ベロンとしましょう。
夕方、1ドル102円になったとします。これはよくあります。しかし、経済破綻すると、1ドル400ベロンとかになってしまうのです。そのまま、すごい勢いで、その国の通貨の価値は落ちていきます。こうなるとお店の人も価格の書き換えにおおわらわです。
某国では、まさにそのような状態で、自国の通貨をドルに換えている人が多くいました。
今は、そのドルそのものも信用性がなくなりつつあります。
通貨の価値がなくなるということは、事前にその通貨と交換した労働や物を非常に安価、もしくはただ同然でなにものかに差し出したということになります。
なにものとはなにか?ということになりますと、めんどくさいので、そのへんはさておき、某国での通貨の価値がなくなるということは、いまの地球上、どこの国でもおこりうると思います。
お金というものは、現物の代価ですが、信用と言うみえないもののうえに存在しています。たまに手元の紙幣を見て、ただの紙だ...でも、今は現物交換できる...と、眺めてみると、福沢諭吉の額のいぼも違って見えるかもしれません。
一般人にとっては、1ヶ月働いて、その代償として給料を...または、何時間働いて時間給をもらいます。
皆がありがたがる1万円もよくみると福沢諭吉がついたただの紙切れです。
しかし、これをただの紙切れとは誰も思いません。
誰も思わないのは、この紙切れは、現物と交換できるからです。
反対にいえば現物と交換できなければ、ただの爺さんの写真のついた紙切れです。
小泉改革で日本経済は激しく落ち込み、みんなの生活も厳しくなりました。
しかし、お金、円についてはみんな疑いを持ちません。
私はたまに某国に住んでいた時を思い出します。
某国は経済が破綻していました。
そんな国の経済はどんなんか?経済情勢が厳しいとはいえ、日本に住んでいる...又は先進国に住んでいる人にはわからないでしょう。
金→←現物
普通は、牛が一頭5万円とすると、一年後、値上がりしても6.7万円でしょう。
しかし、そこの国の通貨が信用されなくなるとすごいことになります。
朝、レートが一ドル100円のとき、仮にそこの国の通貨が200ベロンとしましょう。
夕方、1ドル102円になったとします。これはよくあります。しかし、経済破綻すると、1ドル400ベロンとかになってしまうのです。そのまま、すごい勢いで、その国の通貨の価値は落ちていきます。こうなるとお店の人も価格の書き換えにおおわらわです。
某国では、まさにそのような状態で、自国の通貨をドルに換えている人が多くいました。
今は、そのドルそのものも信用性がなくなりつつあります。
通貨の価値がなくなるということは、事前にその通貨と交換した労働や物を非常に安価、もしくはただ同然でなにものかに差し出したということになります。
なにものとはなにか?ということになりますと、めんどくさいので、そのへんはさておき、某国での通貨の価値がなくなるということは、いまの地球上、どこの国でもおこりうると思います。
お金というものは、現物の代価ですが、信用と言うみえないもののうえに存在しています。たまに手元の紙幣を見て、ただの紙だ...でも、今は現物交換できる...と、眺めてみると、福沢諭吉の額のいぼも違って見えるかもしれません。
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genre : 政治・経済
