2010.05.24
トンデモ話は奥で繋がる(29) 22.5.24
トンデモ話は奥で繋がる 「第二十九夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪ユダヤに架せられた運命≫
★ 選民思想の極み「タルムード」
さて、第六夜でお話ししたとおり、135年のローマとの2度目の戦争に
破れ、エルサレムへの入市を禁じられたユダヤの民は、「ディアスポラ
(祖国なき民)」として流浪の生活を強いられます。
一方、民族的危機に立たされたユダヤの民は、当時のイスラエルにお
けるユダヤ人共同体の長であったユダ・ハナシーの下、複数のラビたち
を召集し、「律法」には記されていなかった口伝的生活規範を、民族内
規の書物として体系的に記述する作業に着手します。
これが、ユダヤ民族のもうひとつの聖典とされる「タルムード」と呼
ばれる書物です。その内容は、現実的な利益を求める生活指向を示
すものでしたが、同時に、非ユダヤ人のことを「ゴイム(家畜)」と表現し
罵るなどの、故意に歪められた民族的排他性と独善的選民思想が付
随し、これが、他民族に反ユダヤ感情を植え付ける一因となりました。
一例をあげてみると、
● イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者である。
他の諸族の中には、賢い者は唯一人としていないが、イスラ
エル人は全部が特別に賢い人間である。
● 他の宗教に改宗した者は、盗賊になったのに等しい。
● イスラエル人は人類であるが、世界の他の国民は人類では
なく、獣類である。
● 十戒の「汝殺すなかれ」とは「イスラエル人を殺すなかれ」の
意であり、ゴイム、ノアの子等、異教徒は除かれる。
● 聖書に「隣人」と書かれた箇所は、全てゴイムを含まない。
● ゴイムが証人となっている証書はすべて無効である。
● 偽善はこの世では許される。すなわち、背神者に対し慇懃に
振る舞い、彼らを敬い、彼らに向いて「我汝を愛す]と言うのも
よい。 すなわち、必要上止むを得ざる場合や恐怖に駆られた
る場合である。
● ユダヤ人はゴイムから奪ってよい。ユダヤ人はゴイムから金
を騙しとってよい。ゴイムは金を持つべきではなく、持てば神の
名において不名誉となるだろう。
● ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取ってはならない。ただゴ
イムからのみこれを取るべきである。
● ゴイムが、われらの書物には何かゴイムを害することが書い
てあるのではないかと聞いたら、「そのようなことは誓って書い
てない」と偽りの誓いを立てなければならない。
● 自由思想家及びトーラと預言者を否定する者を殺すのは掟
である。公然と刀剣を以て為し得る時はそのようにし、もし為し
得なければ策計をめぐらして死に至らしむべし。
ディアスポラの時代、ユダヤ社会はかっての神殿祭祀ではなく、「シ
ナゴーグ(ユダヤ教会堂)」のラビ(ユダヤ教指導者)による旧約聖書
やタルムードの研究解釈に切り替わりました。
このシステムは、現在のユダヤ教にそのまま受け継がれていますが、
タルムードを中核とする「新ユダヤ教」にあっては、もはやかつてのよ
うな預言者も神の声もなく、「原始ユダヤ教」からは遠い存在となっ
ています。
もっとも、聖典として認められるのは、あくまでヘブライ語で記述され
たもののみで、他の言語に翻訳されたものについては、意味を正確に
伝えていない可能性があるため、聖典とみなされていません。
小生自身、原文を読みこなすことは不可能なので、こうした「邦訳」 が
タルムードの真意を伝えているのかどうかはわからないのですが、残
念ながら、近年の歴史に関わってきた、一部のユダヤ富裕層の行動
を見てゆくと、この邦訳に沿った思想を持っているとしか思えない部分
があります。
しかし、ユダヤ人全てがこうした思想を持っているわけではありません。
『ウィキペギィア』は「ユダヤ教徒にとってのタルムード」について、こう述
べています。
『 タルムードの権威とは、すなわちラビ(教師)の権威のこと
でもあり、こうした権威を認めないユダヤ教の宗派は決して
少なくはない。
カライ派は、ラビ文書の権威を認めない代表的な宗派であ
り、モーセのトーラーのみを聖典としているのは有名である。
また、シャブタイ派(サバタイ派)の流れを汲むユダヤ教に
おいては、むしろタルムードを否定するという立場をとる。』
★ ディアスポラとしての処世術
ディアスポラとなった彼等は、祖国は追われたものの、ローマ帝国の
市民権が与えられており、その初期においては、身分的な差別はあった
ものの、さまざまな職業に就くことも可能でした。
しかし、379年熱心なキリスト教保護者のテオドシウス帝がユダヤ
人を公職から追放したのを始め、589年には、西ゴート王国(今日の
スペイン)でも、第3回トレド会議で公職につけないこととされ、多くの
地域で、ユダヤ人はキリスト教徒が蔑んだ仕事に就くほかなくなりま
す。
そのひとつが「商人」で、ローマ・カトリックが「多かれ少なかれイカ
サマを含んだ職業」とみなしていたことから、キリスト教徒には敬遠
され、その多くをユダヤの民が握ることとなります。
その後、ローマ帝国は395年に東西分裂、476年にはゲルマン民
族の大移動に伴い西ローマ帝国は滅亡します。
その後の混乱期を経て、7世紀にカール大帝がヨーロッパの秩序を
回復すると、彼及びその後のカロリング諸王の保護を受けたユダヤ
の民は、軍事物資の調達や、その「分散」を逆手にとった東西貿易に手
腕を発揮します。
東西貿易の主流は、インドからの香料、胡椒、宝石、真珠、象牙、
絹、綿、皮革、チーク材などの商品と、西洋のぶどう酒、金属、手工
製品、金との交換でした。
特に封建領主達は、東洋の奢侈品を貪欲に求めたため、商業を厭
わないユダヤ人には寛容で、10世紀には東西貿易の担い手はほぼ
ユダヤ人が独占することとなります。
★ 十字軍とヴェネチア商人の台頭
ところが12世紀に入ると、二つの要因が彼等の繁栄に終止符を打つ
ことになります。
一つ目は、1096年から1270年にかけて8回に渡って計画され
た、キリスト教徒の十字軍の遠征です。キリストの聖地を取り戻そうと
いうこの運動は、異教徒に対する戦いに姿を変え、特に「改宗しようと
しないユダヤ人の根絶」と言う思想が現れます。
これ以後、西欧ユダヤ人の迫害史が正式に開始され、東西貿易
の拠点に生活していたユダヤ人は次々とその犠牲者となり、彼等の作
り上げた東西貿易のルートが断たれてしまいます。
二つ目は、東西貿易の形が、単に自給自足経済の中での余剰品の
仲介から、最初から「交換」を目的とした商品を大量に「生産」する形
に変化したことです。
一方、1078年には、ローマ教皇グレゴリウス7世が、ユダヤ人に
対し、全てのキリスト教国での「公職追放令」を発令します。これによ
りユダヤ人は「生産に関わる手工業者のギルド(職人組合)」に参加で
きなくなります。そのため、東西貿易の担い手は、主としてヴェネチア
のキリスト教商人たちにとって変られてしまいます。
こうして、「商人」としての選択も閉ざされた彼等は、キリスト教徒
が蔑んだもうひとつの職業、「貸金業」へと追いやられます。もともと
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三教とも、借り手から「利子」を
取ることは禁じられていたのですが、ユダヤ教のみは、先のタルムード
にあったとおり、異教徒から「利子」を取ることは禁じていなかったた
めです。
★ ユダヤ人の相次ぐ迫害と追放
その後、12世紀末からキリスト教権力による、ユダヤ人の迫害と国
外追放が相次ぎます。
1290年には、イギリスでイングランドのエドワード1世が、ユダ
ヤ人を国内から追放します。次いで1306年には、フランスのフィリ
ップ王が、ユダヤ人を国内から追放します。
1348年からヨーロッパを死の恐怖に陥れたペストの大流行では、
ユダヤ人がペストをばらまく犯人だとされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人
の虐殺が起こっています。
1391年にはスペインで、改宗をしないユダヤ人の大虐殺が起こり、
3万人ものユダヤ人が命を落としています。この際、ユダヤ教の宗教指
導者は、殺戮を免れるための「見せ掛けの改宗」を許し、こうした者達
はマラ-ノ(隠れユダヤ人)と呼ばれるようになります。
その他、1421年にはオーストリアがユダヤ人の国外追放を、14
49年にはポルトガルのリスボンでユダヤ人の大虐殺と、彼等にとって
まさに「第二のディアスポラ」の時代となってしまいます。
★ 「ゲットー」とアムステルダム、ドイツ
1554年には、ローマ教皇パウルス4世が、「ユダヤ人集団隔離居
住区(ゲットー)」を設置し、ユダヤ人に当該地域への居住を強制させ
ます。以後、ヨーロッパに散ったユダヤ人は「ゲットー」と呼ばれるユ
ダヤ人集落を各地に作って居住するようになります。
しかし、全てのユダヤ人がゲットー生活を強いられていたわけではな
く、他とは違う扱いを受けた2つの地域がありました。
そのひとつがアムステルダム(オランダ)です。ここでは宗教の自由
が保障され、異教徒に対して比較的寛大だったばかりでなく、一歩進ん
で宗教弾圧や宗教による差別をも禁じていたためです。このため迫害
を恐れた多くのユダヤ人がこの地を目指すこととなります。
もうひとつがドイツで、13世紀のドイツ国王は、「キリスト殺し」 のレッ
テルを貼られたユダヤ人を特別に保護し、その代償として種々の納税
義務を架す政策をとりました。
逆に国王の意に反してドイツを去ることは許されず、ユダヤ人はその
国際通商能力、経済力を持って国王一人に属する「下僕」としての扱
いをうけていました。
そうしたユダヤ人は「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人) 」と呼ばれ、
諸侯の高級官僚や宮廷出入りの御用商人となり、完全に自由な特権を
享受していました。彼らは天性の商才によって、莫大な富を蓄積してゆき
ます。
そして、その中のひとつとして台頭していったのが、世界最大最強の財
閥として地上に君臨しているロスチャイルド財閥なのです。
次回第三十夜では、その歴史に触れてみようと思います。
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-弟子のクッテネルがお送りします。
≪ユダヤに架せられた運命≫
★ 選民思想の極み「タルムード」
さて、第六夜でお話ししたとおり、135年のローマとの2度目の戦争に
破れ、エルサレムへの入市を禁じられたユダヤの民は、「ディアスポラ
(祖国なき民)」として流浪の生活を強いられます。
一方、民族的危機に立たされたユダヤの民は、当時のイスラエルにお
けるユダヤ人共同体の長であったユダ・ハナシーの下、複数のラビたち
を召集し、「律法」には記されていなかった口伝的生活規範を、民族内
規の書物として体系的に記述する作業に着手します。
これが、ユダヤ民族のもうひとつの聖典とされる「タルムード」と呼
ばれる書物です。その内容は、現実的な利益を求める生活指向を示
すものでしたが、同時に、非ユダヤ人のことを「ゴイム(家畜)」と表現し
罵るなどの、故意に歪められた民族的排他性と独善的選民思想が付
随し、これが、他民族に反ユダヤ感情を植え付ける一因となりました。
一例をあげてみると、
● イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者である。
他の諸族の中には、賢い者は唯一人としていないが、イスラ
エル人は全部が特別に賢い人間である。
● 他の宗教に改宗した者は、盗賊になったのに等しい。
● イスラエル人は人類であるが、世界の他の国民は人類では
なく、獣類である。
● 十戒の「汝殺すなかれ」とは「イスラエル人を殺すなかれ」の
意であり、ゴイム、ノアの子等、異教徒は除かれる。
● 聖書に「隣人」と書かれた箇所は、全てゴイムを含まない。
● ゴイムが証人となっている証書はすべて無効である。
● 偽善はこの世では許される。すなわち、背神者に対し慇懃に
振る舞い、彼らを敬い、彼らに向いて「我汝を愛す]と言うのも
よい。 すなわち、必要上止むを得ざる場合や恐怖に駆られた
る場合である。
● ユダヤ人はゴイムから奪ってよい。ユダヤ人はゴイムから金
を騙しとってよい。ゴイムは金を持つべきではなく、持てば神の
名において不名誉となるだろう。
● ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取ってはならない。ただゴ
イムからのみこれを取るべきである。
● ゴイムが、われらの書物には何かゴイムを害することが書い
てあるのではないかと聞いたら、「そのようなことは誓って書い
てない」と偽りの誓いを立てなければならない。
● 自由思想家及びトーラと預言者を否定する者を殺すのは掟
である。公然と刀剣を以て為し得る時はそのようにし、もし為し
得なければ策計をめぐらして死に至らしむべし。
ディアスポラの時代、ユダヤ社会はかっての神殿祭祀ではなく、「シ
ナゴーグ(ユダヤ教会堂)」のラビ(ユダヤ教指導者)による旧約聖書
やタルムードの研究解釈に切り替わりました。
このシステムは、現在のユダヤ教にそのまま受け継がれていますが、
タルムードを中核とする「新ユダヤ教」にあっては、もはやかつてのよ
うな預言者も神の声もなく、「原始ユダヤ教」からは遠い存在となっ
ています。
もっとも、聖典として認められるのは、あくまでヘブライ語で記述され
たもののみで、他の言語に翻訳されたものについては、意味を正確に
伝えていない可能性があるため、聖典とみなされていません。
小生自身、原文を読みこなすことは不可能なので、こうした「邦訳」 が
タルムードの真意を伝えているのかどうかはわからないのですが、残
念ながら、近年の歴史に関わってきた、一部のユダヤ富裕層の行動
を見てゆくと、この邦訳に沿った思想を持っているとしか思えない部分
があります。
しかし、ユダヤ人全てがこうした思想を持っているわけではありません。
『ウィキペギィア』は「ユダヤ教徒にとってのタルムード」について、こう述
べています。
『 タルムードの権威とは、すなわちラビ(教師)の権威のこと
でもあり、こうした権威を認めないユダヤ教の宗派は決して
少なくはない。
カライ派は、ラビ文書の権威を認めない代表的な宗派であ
り、モーセのトーラーのみを聖典としているのは有名である。
また、シャブタイ派(サバタイ派)の流れを汲むユダヤ教に
おいては、むしろタルムードを否定するという立場をとる。』
★ ディアスポラとしての処世術
ディアスポラとなった彼等は、祖国は追われたものの、ローマ帝国の
市民権が与えられており、その初期においては、身分的な差別はあった
ものの、さまざまな職業に就くことも可能でした。
しかし、379年熱心なキリスト教保護者のテオドシウス帝がユダヤ
人を公職から追放したのを始め、589年には、西ゴート王国(今日の
スペイン)でも、第3回トレド会議で公職につけないこととされ、多くの
地域で、ユダヤ人はキリスト教徒が蔑んだ仕事に就くほかなくなりま
す。
そのひとつが「商人」で、ローマ・カトリックが「多かれ少なかれイカ
サマを含んだ職業」とみなしていたことから、キリスト教徒には敬遠
され、その多くをユダヤの民が握ることとなります。
その後、ローマ帝国は395年に東西分裂、476年にはゲルマン民
族の大移動に伴い西ローマ帝国は滅亡します。
その後の混乱期を経て、7世紀にカール大帝がヨーロッパの秩序を
回復すると、彼及びその後のカロリング諸王の保護を受けたユダヤ
の民は、軍事物資の調達や、その「分散」を逆手にとった東西貿易に手
腕を発揮します。
東西貿易の主流は、インドからの香料、胡椒、宝石、真珠、象牙、
絹、綿、皮革、チーク材などの商品と、西洋のぶどう酒、金属、手工
製品、金との交換でした。
特に封建領主達は、東洋の奢侈品を貪欲に求めたため、商業を厭
わないユダヤ人には寛容で、10世紀には東西貿易の担い手はほぼ
ユダヤ人が独占することとなります。
★ 十字軍とヴェネチア商人の台頭
ところが12世紀に入ると、二つの要因が彼等の繁栄に終止符を打つ
ことになります。
一つ目は、1096年から1270年にかけて8回に渡って計画され
た、キリスト教徒の十字軍の遠征です。キリストの聖地を取り戻そうと
いうこの運動は、異教徒に対する戦いに姿を変え、特に「改宗しようと
しないユダヤ人の根絶」と言う思想が現れます。
これ以後、西欧ユダヤ人の迫害史が正式に開始され、東西貿易
の拠点に生活していたユダヤ人は次々とその犠牲者となり、彼等の作
り上げた東西貿易のルートが断たれてしまいます。
二つ目は、東西貿易の形が、単に自給自足経済の中での余剰品の
仲介から、最初から「交換」を目的とした商品を大量に「生産」する形
に変化したことです。
一方、1078年には、ローマ教皇グレゴリウス7世が、ユダヤ人に
対し、全てのキリスト教国での「公職追放令」を発令します。これによ
りユダヤ人は「生産に関わる手工業者のギルド(職人組合)」に参加で
きなくなります。そのため、東西貿易の担い手は、主としてヴェネチア
のキリスト教商人たちにとって変られてしまいます。
こうして、「商人」としての選択も閉ざされた彼等は、キリスト教徒
が蔑んだもうひとつの職業、「貸金業」へと追いやられます。もともと
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三教とも、借り手から「利子」を
取ることは禁じられていたのですが、ユダヤ教のみは、先のタルムード
にあったとおり、異教徒から「利子」を取ることは禁じていなかったた
めです。
★ ユダヤ人の相次ぐ迫害と追放
その後、12世紀末からキリスト教権力による、ユダヤ人の迫害と国
外追放が相次ぎます。
1290年には、イギリスでイングランドのエドワード1世が、ユダ
ヤ人を国内から追放します。次いで1306年には、フランスのフィリ
ップ王が、ユダヤ人を国内から追放します。
1348年からヨーロッパを死の恐怖に陥れたペストの大流行では、
ユダヤ人がペストをばらまく犯人だとされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人
の虐殺が起こっています。
1391年にはスペインで、改宗をしないユダヤ人の大虐殺が起こり、
3万人ものユダヤ人が命を落としています。この際、ユダヤ教の宗教指
導者は、殺戮を免れるための「見せ掛けの改宗」を許し、こうした者達
はマラ-ノ(隠れユダヤ人)と呼ばれるようになります。
その他、1421年にはオーストリアがユダヤ人の国外追放を、14
49年にはポルトガルのリスボンでユダヤ人の大虐殺と、彼等にとって
まさに「第二のディアスポラ」の時代となってしまいます。
★ 「ゲットー」とアムステルダム、ドイツ
1554年には、ローマ教皇パウルス4世が、「ユダヤ人集団隔離居
住区(ゲットー)」を設置し、ユダヤ人に当該地域への居住を強制させ
ます。以後、ヨーロッパに散ったユダヤ人は「ゲットー」と呼ばれるユ
ダヤ人集落を各地に作って居住するようになります。
しかし、全てのユダヤ人がゲットー生活を強いられていたわけではな
く、他とは違う扱いを受けた2つの地域がありました。
そのひとつがアムステルダム(オランダ)です。ここでは宗教の自由
が保障され、異教徒に対して比較的寛大だったばかりでなく、一歩進ん
で宗教弾圧や宗教による差別をも禁じていたためです。このため迫害
を恐れた多くのユダヤ人がこの地を目指すこととなります。
もうひとつがドイツで、13世紀のドイツ国王は、「キリスト殺し」 のレッ
テルを貼られたユダヤ人を特別に保護し、その代償として種々の納税
義務を架す政策をとりました。
逆に国王の意に反してドイツを去ることは許されず、ユダヤ人はその
国際通商能力、経済力を持って国王一人に属する「下僕」としての扱
いをうけていました。
そうしたユダヤ人は「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人) 」と呼ばれ、
諸侯の高級官僚や宮廷出入りの御用商人となり、完全に自由な特権を
享受していました。彼らは天性の商才によって、莫大な富を蓄積してゆき
ます。
そして、その中のひとつとして台頭していったのが、世界最大最強の財
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