2010.05.18
トンデモ話は奥で繋がる(28) 22.5.18
トンデモ話は奥で繋がる 「第二十八夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪鉱山資源を操る"ロートシルト"≫
★ 一族の家紋「赤い楯」
さて、これからしばらくは『広瀬隆』
の『赤い楯』を中心に話を進めようと
思います。
本書の初版は「菊判」(上下刊1,024
頁)として1991年集英社から刊行さ
れ、その5年後に「文庫判」(全4巻
1,715頁) が刊行されています。
今でこそ、ネットの裏情報の世界で
は定番となった当書ですが、当時は
まだまだ、よくある「トンデモ本」のひ
とつという評価でした。
しかし、その「系図」の解読作業の
丹念さにおいては、右に出るものが
無いのではないかと思われます。
一般には、「ユダヤ支配」と聞くだけで、「眉唾物」と決め付けて
しまう方々もいらっしゃいますが、それは「ユダヤ人の全てが、ユ
ダヤ教徒以外の者を支配することを目論んでいる」かのような、
一部の誤った解釈に原因があると思います。
一方で、それらの方々も、この世界の「富」と「権力」が一部の支
配階級層に集中しているという見方については、漠然と肯定されて
いることと思われます。
がしかし、その一つひとつについて、その経歴を緻密に調べ上げる
ことまではしていません。広瀬氏はまさにその作業をコツコツと続
けた方です。
そうすることで、漠然と感じていた「富」と「権力」の集中が、ある
「一族」へと集約されていくという事実が浮かび上がっていきます。
そして、彼等が最初からその座に着いていたわけではなく、彼等が
姻戚関係になることで、同様な別の「権力者」の支配を次々と集
約していったこと、そして彼等を「その道」に駆り立てることとなった、
「ユダヤ民族」に課せられた差別的待遇の歴史を垣間見ることと
なります。
★ ウラン鉱石の偏在
(昭和36年「原子力白書」より転載)
図の「円グラフ」は昭和36年の「原子力白書」に掲載された、
1960年当時のウラン鉱石の、国別の推定埋蔵量です。
カナダ、米国、南アフリカの上位3ヶ国で、世界の約4分の3
の量となっています。
(昭和36年「原子力白書」より転載)
さらに、実際の精製された生産量の1956年からの推移で見ま
すと、「棒グラフ」のとおり、この3ヶ国でほぼ9割以上を閉めてい
ることがわかります。
つまり当時は、「核兵器」にせよ「原子炉」にせよ、この3ヶ国のい
ずれかで生産されたウランを使うより他なかったということになり
ます。
それでは、その生産者が誰だったのかを順に追ってみましょう。
★ 「功績=死」、そして「鉱石=富」
まずは、その発見の舞台となった場所です。
1886年、フランスの物理学者アンリ・ベクレルは、偶然にもウ
ラン鉱石の傍らに置かれていた写真乾板が、感光していたのを不
思議に思い、天然の「放射能」を初めて発見しました。
その後「放射能」の研究を始めたキュリー夫妻は、大量のピッチ
ブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムとポロニウムを精製、
発見します。
この功績により、3人は1903年の「ノーベル物理学賞」を受賞
しています。
しかし、キュリー一家には不幸が重なります。受賞のわずか3年
後、夫ピエールは、大学からの帰途、荷馬車に轢かれて即死して
しまいます。
残されたマリアとの間には、二人の娘があり、うちエ-ヴは作家
となりますが、イレーヌは母親、そしてその夫のフレデリックとと
もに「放射能」の研究を続けます。
その後、3人とも(マリアは2度目の)、ノーベル賞の栄誉に輝き
ます。しかしその引き換えに、3人とも「白血病」でこの世を去っ
ています。
まさに、最初の「放射線」の犠牲者とも言えるでしょう。
一方で、キュリー夫妻の「ラジウム発見」に「事業」として目をつけ
た男がいました。アンリ・ロスチャイルド、後に説明することとなる
「金融王ネイサン」の曾孫に当たる人物です。
彼は、「道楽者アンリ」と号される程、有り余る資産を元手に自ら
の趣味的生活に明け暮れていましたが、傷心の夫人のパトロンと
なって「ラジウム研究所」を建てています。
そして、キュリー一家が次々と病魔に倒れる中、放射能の生む
「富」の方は、彼の一族へと手渡されることとなります。
★ 未知の「富」の宝庫を握った一族
その当時の「ロスチャイルド一族」は、貨幣の交換で財を成し、
その取扱貴金属である「金・銀」については、既に支配権を得て
いました。 (これらの過程については、後に触れる予定です。)
一方、金・銀の精製には「水銀」が必要でした。水銀は多くの金
属との柔らかい合金(アマルガム)を生成します。そのため、金・銀
を含んでいる泥に水銀を混ぜてアマルガムを生成させ、金・銀
を抽出しておき、加熱によって水銀を蒸発させることで高純度の
金・銀を得ていました。
その「水銀」の確保のため、彼等一族はスペイン王室が握って
いたアルマダ鉱山に目を付け、王室との利権の取引のもと、これ
を掌握します。
一方、この鉱山は他の貴重な金属であった「亜鉛(ジンク)」も豊
富に産出しました。これが後に、ロスチャイルド商会が手がけた
「リオ・チント銅山」と合併し、1962年に「リオ・チント・ジンク」と
なります。
そして、そのスペインの事業を行ったのが、ユダヤの12大富豪
のひとつ、「ワイスワイラー一族」。そして、先のアンリ・ロスチャ
イルドの妻はその一族マティルド・ワイスワイラーでした。
こうして、最初の「放射能」を発する鉱物はロンドンを拠点とす
る「リオ・チント・ジンク」の所有するところとなります。
★ 「南アフリカ」、「カナダ」、新興「オーストラリア」
1939年には、スペイン内戦により、国政は王室から独裁者フラン
コに変わり、スペイン全土の金融と産業を支配する「スペイン産業公
社」 が設立され、鉱山、鉄工、電力といった主力産業がほぼ1社に
集約されていきますが、それにはロスチャイルド一族のバックアッ
プを必要としました。こうして、フランコと彼ら一族が手を結びます。
そして、この「スペイン産業公社」は、「南アフリカ」の隣国である、
「アンゴラ」「モザンビーク」に子会社を設立します。つまり、そこを拠
点として、ウランの産出地である「南アフリカ」と「ナミビア」(1990年
まで南アフリカが違法併合)に進出したわけです。
この時点で、「南アフリカ」には地元の企業として「金鉱山」を支配す
る「アングロ・アメリカン」、「ダイアモンド鉱山」を支配する「デビアス」
があり、これらと提携する形で、南アフリカの「3大鉱山シンジケート」
が完成します。
一方、1951年に、カナダがイギリスに対して「ダム建設事業」を持
ちかけます。その資金調達の白羽の矢がたったのは、「金融王ネイサン」
のもう一人の曾孫である、アンソニー・ロスチャイルドでした。
表向きは「チャーチル滝」の水力発電所建設であるこの事業を請け
負ったのは「リオ・チント・ジンク」でした。これにより、アンソニー・ロスチ
ャイルドは、カナダの広大な山林の開発権を手に入れます。その面積
13万㎡と、実に日本の面積の約3分の1に当たる膨大な広さです。
その後10年間で、「リオ・チント・ジンク」は「アルゴム・ウラン鉱」、「プ
ロント・ウラン鉱」、「ノーススパン・ウラン鉱」、「ミリケン・レーク・ウラン鉱」
等を次々と乗っ取り、1960年、子会社である「リオ・アルゴム社」を設
立し、カナダのウラン鉱山の独占支配を完成させます。
さらに「リオ・チント・ジンク」と「リオ・アルゴム社」は南アフリカ政府
に働きかけ、1970年にはナミビアの「ロッシング鉱山」を子会社である
「ロッシング・ウラニウム」の支配下に置きます。
また、1949年にラム・ジャングルのウラン鉱が発見されて以来、世
界の埋蔵量の20%以上を占めると目されるようになったオーストラリア
では、1953年に英国と米国の主導で「オーストラリア原子力委員会」が
設置されます。
そして、その委員長に選出されたジョン・バクスターは、ロスチャイルド財
閥のインペリアル・ケミカルの子会社であるICIゼネラル・ケミカルズの重役
として迎え入れられています。
さらに「リオ・チント・ジンク」のオーストラリアでの子会社である、「メアリー・
キャサリ-ン・ウラン鉱山」の大部分の株式を、この「オーストラリア原子力
委員会」が保有するという、国家ぐるみの独占体制が出来上がっていった
のです。
★ 残された「アメリカ」のウランは
さて、もうひとつのウラン資源国「アメリカ」は、西部のユタ州を中心に次々
とウラン鉱山が発見され、カリフォルニア、コロラド、ネバダ等の各州は「ゴ
ールドラッシュ」から「ウランラッシュ」の時代へ移ります。
そこに誕生したのは「ユタ・インターナショナル」を根城とするウラン・ カル
テルで、銅山業者の「ケネコット」及び世界第一の非鉄金属業者「アサルコ」
の支配にあり、それを動かしていたのは、アメリカの大富豪モルガン家のJ・P
・モルガンの孫、「ヘンリー・スタージス・モルガン」でした。
「世界的ウラン・カルテル」を完成させるには、この勢力を取り込むことが
必要でしたが、彼等はシティーのモルガン・グレンフェル銀行を通じて交渉
に出ることはしませんでした。
当時、「ロスチャイルド財閥はもはや存在しない」ことになっていたのです。
第二次大戦後の1946年に出された、GHQの日本の「財閥解体」の命令書
の冒頭には、こう書かれていました。
『財閥は、日本特有のものであって、他国でこれに類似するものとして
はロスチャイルド以外にはない。しかし、ロスチャイルドは現在存在
しない。…』
彼等にとって、戦後の社会がこうした思い込みを持っていることは好都合でし
た。しかし、ここでモルガン家に働きかけてしまえば、その手の内が再びクロー
ズアップされてしまいます。
そこで彼等のとった手段とは…実は、何もしなかったのです。「ユタ・インタ
ーナショナル」は確かにモルガン家の支配にありましたが、それを支配する、
供給主の「ケネコット」及び「アサルコ」の要職を占めてきたのは、ロスチャイ
ルド一族の鉱山王「グッケンハイム財閥」だったのです。「供給側」の権限
を抑えている限り、彼等の支配下にあるも同然でした。
(左下図:国際ウランカルテルの配置図、同署文庫版第Ⅲ巻p1250-1251より転載)
(右下図:ロスチャイルド・鉱山企業群、同書文庫版第Ⅳ巻p1338-1339より転載)

《クリックした後、「+虫眼鏡表示」すると、さらに拡大表示されます》
★ 彼等にとっての「不都合な事実」
こうして、当時の世界のウラン鉱山の全ては、ロスチャイルド一族の手中
にあり、日本はもちろん、世界のどこで「原子力開発」を開始しようと、既存の鉱
物資源からの供給に頼る限りは、彼等の意のままに動くより他なかったわけ
です。
そしてこの事実は、軍事目的であれ平和利用であれ、全てのウラン産業
はロスチャイルド一族の私腹のために存在していることになるのです。
反対に、「ウランなど本当は何の価値もない」ということが事実であれば、
彼等にとっては「最も不都合な事実」なのです。
そして実のところ、彼らの富の源泉をたどれば、その全てが同じ性質をもっ
ていることが見えてきます。
それには、彼らが「ユダヤ人」として背負わされてきた歴史が関係して
います。次回第二十九夜からは、そのあたりに触れてみようと思います。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪鉱山資源を操る"ロートシルト"≫
★ 一族の家紋「赤い楯」

さて、これからしばらくは『広瀬隆』
の『赤い楯』を中心に話を進めようと
思います。
本書の初版は「菊判」(上下刊1,024
頁)として1991年集英社から刊行さ
れ、その5年後に「文庫判」(全4巻
1,715頁) が刊行されています。
今でこそ、ネットの裏情報の世界で
は定番となった当書ですが、当時は
まだまだ、よくある「トンデモ本」のひ
とつという評価でした。
しかし、その「系図」の解読作業の
丹念さにおいては、右に出るものが
無いのではないかと思われます。
一般には、「ユダヤ支配」と聞くだけで、「眉唾物」と決め付けて
しまう方々もいらっしゃいますが、それは「ユダヤ人の全てが、ユ
ダヤ教徒以外の者を支配することを目論んでいる」かのような、
一部の誤った解釈に原因があると思います。
一方で、それらの方々も、この世界の「富」と「権力」が一部の支
配階級層に集中しているという見方については、漠然と肯定されて
いることと思われます。
がしかし、その一つひとつについて、その経歴を緻密に調べ上げる
ことまではしていません。広瀬氏はまさにその作業をコツコツと続
けた方です。
そうすることで、漠然と感じていた「富」と「権力」の集中が、ある
「一族」へと集約されていくという事実が浮かび上がっていきます。
そして、彼等が最初からその座に着いていたわけではなく、彼等が
姻戚関係になることで、同様な別の「権力者」の支配を次々と集
約していったこと、そして彼等を「その道」に駆り立てることとなった、
「ユダヤ民族」に課せられた差別的待遇の歴史を垣間見ることと
なります。
★ ウラン鉱石の偏在

(昭和36年「原子力白書」より転載)
図の「円グラフ」は昭和36年の「原子力白書」に掲載された、
1960年当時のウラン鉱石の、国別の推定埋蔵量です。
カナダ、米国、南アフリカの上位3ヶ国で、世界の約4分の3
の量となっています。

(昭和36年「原子力白書」より転載)
さらに、実際の精製された生産量の1956年からの推移で見ま
すと、「棒グラフ」のとおり、この3ヶ国でほぼ9割以上を閉めてい
ることがわかります。
つまり当時は、「核兵器」にせよ「原子炉」にせよ、この3ヶ国のい
ずれかで生産されたウランを使うより他なかったということになり
ます。
それでは、その生産者が誰だったのかを順に追ってみましょう。
★ 「功績=死」、そして「鉱石=富」
まずは、その発見の舞台となった場所です。
1886年、フランスの物理学者アンリ・ベクレルは、偶然にもウ
ラン鉱石の傍らに置かれていた写真乾板が、感光していたのを不
思議に思い、天然の「放射能」を初めて発見しました。
その後「放射能」の研究を始めたキュリー夫妻は、大量のピッチ
ブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムとポロニウムを精製、
発見します。
この功績により、3人は1903年の「ノーベル物理学賞」を受賞
しています。
しかし、キュリー一家には不幸が重なります。受賞のわずか3年
後、夫ピエールは、大学からの帰途、荷馬車に轢かれて即死して
しまいます。
残されたマリアとの間には、二人の娘があり、うちエ-ヴは作家
となりますが、イレーヌは母親、そしてその夫のフレデリックとと
もに「放射能」の研究を続けます。
その後、3人とも(マリアは2度目の)、ノーベル賞の栄誉に輝き
ます。しかしその引き換えに、3人とも「白血病」でこの世を去っ
ています。
まさに、最初の「放射線」の犠牲者とも言えるでしょう。
一方で、キュリー夫妻の「ラジウム発見」に「事業」として目をつけ
た男がいました。アンリ・ロスチャイルド、後に説明することとなる
「金融王ネイサン」の曾孫に当たる人物です。
彼は、「道楽者アンリ」と号される程、有り余る資産を元手に自ら
の趣味的生活に明け暮れていましたが、傷心の夫人のパトロンと
なって「ラジウム研究所」を建てています。
そして、キュリー一家が次々と病魔に倒れる中、放射能の生む
「富」の方は、彼の一族へと手渡されることとなります。
★ 未知の「富」の宝庫を握った一族
その当時の「ロスチャイルド一族」は、貨幣の交換で財を成し、
その取扱貴金属である「金・銀」については、既に支配権を得て
いました。 (これらの過程については、後に触れる予定です。)
一方、金・銀の精製には「水銀」が必要でした。水銀は多くの金
属との柔らかい合金(アマルガム)を生成します。そのため、金・銀
を含んでいる泥に水銀を混ぜてアマルガムを生成させ、金・銀
を抽出しておき、加熱によって水銀を蒸発させることで高純度の
金・銀を得ていました。
その「水銀」の確保のため、彼等一族はスペイン王室が握って
いたアルマダ鉱山に目を付け、王室との利権の取引のもと、これ
を掌握します。
一方、この鉱山は他の貴重な金属であった「亜鉛(ジンク)」も豊
富に産出しました。これが後に、ロスチャイルド商会が手がけた
「リオ・チント銅山」と合併し、1962年に「リオ・チント・ジンク」と
なります。
そして、そのスペインの事業を行ったのが、ユダヤの12大富豪
のひとつ、「ワイスワイラー一族」。そして、先のアンリ・ロスチャ
イルドの妻はその一族マティルド・ワイスワイラーでした。
こうして、最初の「放射能」を発する鉱物はロンドンを拠点とす
る「リオ・チント・ジンク」の所有するところとなります。
★ 「南アフリカ」、「カナダ」、新興「オーストラリア」
1939年には、スペイン内戦により、国政は王室から独裁者フラン
コに変わり、スペイン全土の金融と産業を支配する「スペイン産業公
社」 が設立され、鉱山、鉄工、電力といった主力産業がほぼ1社に
集約されていきますが、それにはロスチャイルド一族のバックアッ
プを必要としました。こうして、フランコと彼ら一族が手を結びます。
そして、この「スペイン産業公社」は、「南アフリカ」の隣国である、
「アンゴラ」「モザンビーク」に子会社を設立します。つまり、そこを拠
点として、ウランの産出地である「南アフリカ」と「ナミビア」(1990年
まで南アフリカが違法併合)に進出したわけです。
この時点で、「南アフリカ」には地元の企業として「金鉱山」を支配す
る「アングロ・アメリカン」、「ダイアモンド鉱山」を支配する「デビアス」
があり、これらと提携する形で、南アフリカの「3大鉱山シンジケート」
が完成します。
一方、1951年に、カナダがイギリスに対して「ダム建設事業」を持
ちかけます。その資金調達の白羽の矢がたったのは、「金融王ネイサン」
のもう一人の曾孫である、アンソニー・ロスチャイルドでした。
表向きは「チャーチル滝」の水力発電所建設であるこの事業を請け
負ったのは「リオ・チント・ジンク」でした。これにより、アンソニー・ロスチ
ャイルドは、カナダの広大な山林の開発権を手に入れます。その面積
13万㎡と、実に日本の面積の約3分の1に当たる膨大な広さです。
その後10年間で、「リオ・チント・ジンク」は「アルゴム・ウラン鉱」、「プ
ロント・ウラン鉱」、「ノーススパン・ウラン鉱」、「ミリケン・レーク・ウラン鉱」
等を次々と乗っ取り、1960年、子会社である「リオ・アルゴム社」を設
立し、カナダのウラン鉱山の独占支配を完成させます。
さらに「リオ・チント・ジンク」と「リオ・アルゴム社」は南アフリカ政府
に働きかけ、1970年にはナミビアの「ロッシング鉱山」を子会社である
「ロッシング・ウラニウム」の支配下に置きます。
また、1949年にラム・ジャングルのウラン鉱が発見されて以来、世
界の埋蔵量の20%以上を占めると目されるようになったオーストラリア
では、1953年に英国と米国の主導で「オーストラリア原子力委員会」が
設置されます。
そして、その委員長に選出されたジョン・バクスターは、ロスチャイルド財
閥のインペリアル・ケミカルの子会社であるICIゼネラル・ケミカルズの重役
として迎え入れられています。
さらに「リオ・チント・ジンク」のオーストラリアでの子会社である、「メアリー・
キャサリ-ン・ウラン鉱山」の大部分の株式を、この「オーストラリア原子力
委員会」が保有するという、国家ぐるみの独占体制が出来上がっていった
のです。
★ 残された「アメリカ」のウランは
さて、もうひとつのウラン資源国「アメリカ」は、西部のユタ州を中心に次々
とウラン鉱山が発見され、カリフォルニア、コロラド、ネバダ等の各州は「ゴ
ールドラッシュ」から「ウランラッシュ」の時代へ移ります。
そこに誕生したのは「ユタ・インターナショナル」を根城とするウラン・ カル
テルで、銅山業者の「ケネコット」及び世界第一の非鉄金属業者「アサルコ」
の支配にあり、それを動かしていたのは、アメリカの大富豪モルガン家のJ・P
・モルガンの孫、「ヘンリー・スタージス・モルガン」でした。
「世界的ウラン・カルテル」を完成させるには、この勢力を取り込むことが
必要でしたが、彼等はシティーのモルガン・グレンフェル銀行を通じて交渉
に出ることはしませんでした。
当時、「ロスチャイルド財閥はもはや存在しない」ことになっていたのです。
第二次大戦後の1946年に出された、GHQの日本の「財閥解体」の命令書
の冒頭には、こう書かれていました。
『財閥は、日本特有のものであって、他国でこれに類似するものとして
はロスチャイルド以外にはない。しかし、ロスチャイルドは現在存在
しない。…』
彼等にとって、戦後の社会がこうした思い込みを持っていることは好都合でし
た。しかし、ここでモルガン家に働きかけてしまえば、その手の内が再びクロー
ズアップされてしまいます。
そこで彼等のとった手段とは…実は、何もしなかったのです。「ユタ・インタ
ーナショナル」は確かにモルガン家の支配にありましたが、それを支配する、
供給主の「ケネコット」及び「アサルコ」の要職を占めてきたのは、ロスチャイ
ルド一族の鉱山王「グッケンハイム財閥」だったのです。「供給側」の権限
を抑えている限り、彼等の支配下にあるも同然でした。
(左下図:国際ウランカルテルの配置図、同署文庫版第Ⅲ巻p1250-1251より転載)
(右下図:ロスチャイルド・鉱山企業群、同書文庫版第Ⅳ巻p1338-1339より転載)


《クリックした後、「+虫眼鏡表示」すると、さらに拡大表示されます》
★ 彼等にとっての「不都合な事実」
こうして、当時の世界のウラン鉱山の全ては、ロスチャイルド一族の手中
にあり、日本はもちろん、世界のどこで「原子力開発」を開始しようと、既存の鉱
物資源からの供給に頼る限りは、彼等の意のままに動くより他なかったわけ
です。
そしてこの事実は、軍事目的であれ平和利用であれ、全てのウラン産業
はロスチャイルド一族の私腹のために存在していることになるのです。
反対に、「ウランなど本当は何の価値もない」ということが事実であれば、
彼等にとっては「最も不都合な事実」なのです。
そして実のところ、彼らの富の源泉をたどれば、その全てが同じ性質をもっ
ていることが見えてきます。
それには、彼らが「ユダヤ人」として背負わされてきた歴史が関係して
います。次回第二十九夜からは、そのあたりに触れてみようと思います。
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