2013.11.06
ものを捨てる
古い書類の箱を整理しました。会社関係、雇用保険、その他など。昔の趣味の楽譜、古い手紙等々。
株式の書類などはそれほどぐっとくるものもありませんが、昔の日記のようなものが出てきました。ようなもの というわけは、私は日記なんか書く人間ではありません。めんどくさいし、書き方もああでもないこうでもないと定めがつかず、そうそうたくさんは書けませんでした。今回出てきたのは、ある文章でした。結構長いです。
しかし、たまにある程度の量の文章を書いたとは...良く書いたなぁと思いつつ出てきたノートの文を読むと、これが...ひどい文だった...というわけではなく、内容が、みじめそのものでした。
いくつも就職の面接を受けてもなかなか雇ってもらえず、いくつも撃沈した後、とうとうどこかの民間のある特殊な図書館の司書の面接を受けます。これも正社員というわけではなく臨時かパートに近い職でした。そうよくない条件でした。しかし...撃沈でした。
その当時の私は-よほど優秀なひとが雇われたのだろう-と思いました。そのまま疑問も感じなかったのですが、何日か経って-そうだ、あの特殊な図書館にどんな人が雇われたか見に行ってみよう-と思い立ち、行ってみました。優秀な自分より1つでも若い人だろう、と思っていったのですが、実際にその図書館のカウンターのその人を見た途端、がっかりしました。
昔の日記によると40は超えているおばさんだった...のです。
20代の図書館司書教諭の資格も持っている自分ではなく、40は超えているそのへんのおばさんだったのです。
これはうちのめされました。
非常なショックだったらしく、その衝撃でながながと文を書いていたのです。図書館と言っても特殊で図書室のようなもので、かつ図書館司書というより主婦で充分といえばそれまでですが、当時の私は40のたぶん司書でもない人が受かり、司書教諭まで持っている自分がおちるとは...なんて自分はさえない、誰からも必要とされていない人間なのだろうとがっかりというより、そんな自分をあざけるような自虐的な気分にさえなっていたのです。
昔でも4大出の女性はなかなか就職が厳しかったのです。大学を出ても今のニートのように職も定まらず、いろんなところの面接を受けると-まだ経験が足りない-という理由で断られることばかり。友人は結婚したらやめる、と軽く考え就職していきましたがそんなのはいやだったので、なんとか粘ったのですが、連敗に続く連敗。果ては40過ぎのおばさんにも負けて、みじめの極みでした。
当時の文を読むと
なんのために自分は生きているのか?連敗続きの負け犬の遠吠えだったのかもしれません。いい加減に生きたくない。精一杯生きたいと、言葉を重ねてはいれど、そんな言葉とはうらはらのプータローで、-一体こんな状態でどうしようとするのか-なんて思ったり...現実は苦しく、滑ってばっかりの人生はなかなか前に進みません。そのうち歳ばかり取り、仲間は結婚し始めます。
お先真っ暗。なんにもない。
つづく
株式の書類などはそれほどぐっとくるものもありませんが、昔の日記のようなものが出てきました。ようなもの というわけは、私は日記なんか書く人間ではありません。めんどくさいし、書き方もああでもないこうでもないと定めがつかず、そうそうたくさんは書けませんでした。今回出てきたのは、ある文章でした。結構長いです。
しかし、たまにある程度の量の文章を書いたとは...良く書いたなぁと思いつつ出てきたノートの文を読むと、これが...ひどい文だった...というわけではなく、内容が、みじめそのものでした。
いくつも就職の面接を受けてもなかなか雇ってもらえず、いくつも撃沈した後、とうとうどこかの民間のある特殊な図書館の司書の面接を受けます。これも正社員というわけではなく臨時かパートに近い職でした。そうよくない条件でした。しかし...撃沈でした。
その当時の私は-よほど優秀なひとが雇われたのだろう-と思いました。そのまま疑問も感じなかったのですが、何日か経って-そうだ、あの特殊な図書館にどんな人が雇われたか見に行ってみよう-と思い立ち、行ってみました。優秀な自分より1つでも若い人だろう、と思っていったのですが、実際にその図書館のカウンターのその人を見た途端、がっかりしました。
昔の日記によると40は超えているおばさんだった...のです。
20代の図書館司書教諭の資格も持っている自分ではなく、40は超えているそのへんのおばさんだったのです。
これはうちのめされました。
非常なショックだったらしく、その衝撃でながながと文を書いていたのです。図書館と言っても特殊で図書室のようなもので、かつ図書館司書というより主婦で充分といえばそれまでですが、当時の私は40のたぶん司書でもない人が受かり、司書教諭まで持っている自分がおちるとは...なんて自分はさえない、誰からも必要とされていない人間なのだろうとがっかりというより、そんな自分をあざけるような自虐的な気分にさえなっていたのです。
昔でも4大出の女性はなかなか就職が厳しかったのです。大学を出ても今のニートのように職も定まらず、いろんなところの面接を受けると-まだ経験が足りない-という理由で断られることばかり。友人は結婚したらやめる、と軽く考え就職していきましたがそんなのはいやだったので、なんとか粘ったのですが、連敗に続く連敗。果ては40過ぎのおばさんにも負けて、みじめの極みでした。
当時の文を読むと
なんのために自分は生きているのか?連敗続きの負け犬の遠吠えだったのかもしれません。いい加減に生きたくない。精一杯生きたいと、言葉を重ねてはいれど、そんな言葉とはうらはらのプータローで、-一体こんな状態でどうしようとするのか-なんて思ったり...現実は苦しく、滑ってばっかりの人生はなかなか前に進みません。そのうち歳ばかり取り、仲間は結婚し始めます。
お先真っ暗。なんにもない。
つづく
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