2013.02.19
十牛図とミディアムシップの勉強
十牛図というものがあります。30年ほど前ですか?文章入門の本に十牛図のことが出ていました。文を書き、うまくなる、という路程を、禅で知られる十牛図を例にとり、うまく説明していました。
十牛図というのは、童が牛を失くし探すところから始まります。いくつかの道程を経て最後に牛も牧童もいなくなり終わりです。牧童と牛は喩で、十の過程を経て人間の心が悟りに至るまでのをあらわしています。

ウィキによれば
十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)ともいう。中国宋代の禅僧、廓庵(かくあん)によるものが有名。
以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。
1.尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
2.見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
3.見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
4.得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
5.牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
6.騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
8.人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
9.返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
以上ですが、
一.尋牛(じんぎゅう) 鈴木大拙の解説によると、失くしたという牛は実は、失くしてないものを失くしたと思っているだけで、なくしたと(思い込んで)探しているということらしいです。
うーむ。実はミディアムシップの勉強中、しばしば十牛図のことが脳裏を横切りました。ミディアムシップをなんとかものにしようとしている状態もこの十牛図の牧童と同じような気がします。この十牛図は悟りでなくても何かを求めて獲得しようとすることにおいて相通ずるものがあるのではないでしょうか。試験、スポーツの上達...同じように例えられると思います。
悟りに至る過程ではないですが、ミディアムシップ学び途中の私も最後の入鄽垂手(にってんすいしゅの状態にいかにたどり着くか...道半ばです。
今までの学び過程を十牛図で振り返ってみると
まずは1、尋牛
ミディアムシップについて、わからないので、先生、その他いろいろと探し始めたり、じぶんでいろんなことをやってみるが、そのことの片りんすらつかめない。とにかく、いろいろと探す。考える。
2、2.見跡(けんせき)
ようやく学べるところを見つけ学びだす。
続く
十牛図というのは、童が牛を失くし探すところから始まります。いくつかの道程を経て最後に牛も牧童もいなくなり終わりです。牧童と牛は喩で、十の過程を経て人間の心が悟りに至るまでのをあらわしています。

ウィキによれば
十牛図(じゅうぎゅうず)は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表したもの。十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)ともいう。中国宋代の禅僧、廓庵(かくあん)によるものが有名。
以下の十枚の図からなる。ここで牛は人の心の象徴とされる。またあるいは、牛を悟り、童子を修行者と見立てる。
1.尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
2.見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
3.見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
4.得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
5.牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
6.騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
8.人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
9.返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
以上ですが、
一.尋牛(じんぎゅう) 鈴木大拙の解説によると、失くしたという牛は実は、失くしてないものを失くしたと思っているだけで、なくしたと(思い込んで)探しているということらしいです。
うーむ。実はミディアムシップの勉強中、しばしば十牛図のことが脳裏を横切りました。ミディアムシップをなんとかものにしようとしている状態もこの十牛図の牧童と同じような気がします。この十牛図は悟りでなくても何かを求めて獲得しようとすることにおいて相通ずるものがあるのではないでしょうか。試験、スポーツの上達...同じように例えられると思います。
悟りに至る過程ではないですが、ミディアムシップ学び途中の私も最後の入鄽垂手(にってんすいしゅの状態にいかにたどり着くか...道半ばです。
今までの学び過程を十牛図で振り返ってみると
まずは1、尋牛
ミディアムシップについて、わからないので、先生、その他いろいろと探し始めたり、じぶんでいろんなことをやってみるが、そのことの片りんすらつかめない。とにかく、いろいろと探す。考える。
2、2.見跡(けんせき)
ようやく学べるところを見つけ学びだす。
続く
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