2010.04.12
トンデモ話は奥で繋がる(22) 22.4.12
トンデモ話は奥で繋がる 「第二十二夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪スピリチュアリズムの「正統性」とは?≫
★ 『オーラの泉』と『天国からの手紙』への批判点
「スピリチュアリズム・ニューズレター40号」では、『オーラの泉』
を江原氏とテレビ局が一体となったペテンとして、長々と批判を書き
連ねていますが、スピリチュアルな観念に立った批判点は次の1点に
絞られます。
① 「前世」については、地上人には決してわからないようになっ
ており、本人はもちろん、トランス状態となった「霊能者」にも知
ることは出来ないものである。知りうるのは「霊界人」のみであり、
仮に「前世」が語られることがあったにせよ、その間、霊媒である
「江原氏」本人の意識には残らないはずであり、「江原氏」本人が
話していることは全くの嘘か妄想である。
続く「41号」では主に『天国からの手紙』への批判点として
② 「霊界通信」の検証基準である、「霊能者と、遺族や他界者(霊)
との間に一切の面識がない」という観点に照らして、一般に情報が
知られやすい有名人や芸能・スポーツ関係者については、通信の真
実性を示すのにふさわしくない。
③ 一般人の場合にも、出演者を公募し、応募内容を事前に確認して
おり、江原氏やスタッフが相手の家や遺品を見るなどして情報を得
ており、「事前情報が一切ない」という交霊会の大原則を頭から無
視している。
④ 週刊誌等に、江原氏の番組についての「やらせ」の記事が掲載さ
れている。
A『週刊文春』<平成18年12月の事例>
某女優が『オーラの泉』に出演した際、江原氏は"死んだ父親"から
のメッセージ"を伝えたが、当人はまだ生きていたことがわかった。
B 『日刊ゲンダイ』<平成14年2月の事例> 江原氏の出演する『こたえてちょーだい』に出演したAさんは、
事前に「電話リサーチ等」で取材を受け、さらに当日の控え室で、
「夫が子供の頃、階段から落ちて頭を打った」ことを話したが、
番組収録中に、江原氏が「ご主人、頭を打ったことありませんか
?」と真顔で言われた。
さらに、後日の訪問時に、以前伝えてあった、亡くなった夫の
兄弟のことについて、「ご主人には亡くなった兄弟がいるはず」
と「霊視」したかのような発言をした。
C『週刊大衆』<女優名秘匿のため時期不詳>
女優のSが、『オーラの泉』への出演1週間前、番組スタッフ
がプライベートなことを3時間もかけて聞き出した内容と、収録
日の江原氏が霊視の内容が全く同じであった。
これらの批判のうち、②及び③については、『霊界通信』の方法論についてのものであり、第二十夜で述べたとおり、「形式が整ってい
ない」ことと、「通信が真実」であることは別問題で、これをもって
全てペテンだと決めるわけにはいかないと思います。
★ マスコミをどこまで信用してよいか?
さて、?の各週刊誌の批判から見てゆきましょう。
Aの女優の場合については、彼女に実父の他に亡くなった義父があ
ったことが伝えられています。番組中では、江原氏はそれを公言して
しまうことを避けただけのことであり、霊能者としても極めて当然の
配慮だったと思います。
むしろ、『週刊文春』の報道が、かえってそれを知らしめてしまう
結果となったわけで、「売れれば何でも記事にする」彼らの報道姿勢
こそ問われるべきだと思います。
Bの『日刊ゲンダイ』の場合には、江原氏が番組の製作スタッフに
予め「ネタ」を仕入れるように依頼した可能性も確かにあります。
しかし、まさに『心の道場』が、『霊界通信』について厳しい条件
を課すのと同様に、これだけの状況証拠だけでそう断定できるわけで
はないと思います。
まず、事前の電話リサーチについては、良心的に解釈する場合、製
作スタッフが「視聴者を惹き付ける」番組内容にするため、なるべく
特異な経験をもつ出演者を選び出そうとして行われることは、十分あ
り得る話です。
従って、Aさんが事前のリサーチで兄弟を亡くしている話をしたと
しても、江原氏には伝えられていない可能性も否定できません。
問題は、当日の控え室での「頭を打った」エピソードですが、当日
既に「霊視」状態にあった江原氏が、頭の痛みを訴え、それを察知し
たスタッフが、江原氏には告げないまま、控え室に確認したのかもし
れません。
しかし、小生はマスコミに対してはもっと懐疑的に考えています。
彼らにしてみれば、とにかく『雑誌の売れ行きさえよければよい』
わけで、江原氏の霊能力の真偽が大衆の関心の的であった当時に、
「疑惑の証拠」となるような記事を掲載すれば、それなりの販売部数
が見込めます。そのためには、たった一人の体験者の「証言」をとる
だけでよいわけです。
「Aさん」の周辺の人達が真の証言をしたかどうかはまさに「神の
みぞ知る」です。「証言」だけが唯一の証拠であるならば、『霊界通
信』に対し、厳しい判断基準を設けるのと同様、偽りではないことの
証明が必要です。
Cの『週刊大衆』についても同様で、こちらは芸能人の発言である
分、余計にマスコミとの口裏合わせはしやすいと思われます。
★ スピリチュアリズムを「道具」にするマスコミ
「ニューズレター46号」では、第十五夜で、スピリチュアリズムの
出発点となった「フォックス姉妹」の偽証事件が述べられています。
これは、1888年10月、姉妹のひとりマギー・フォックス・ケインが、
『ニューヨーク・ワールド』紙に対し、
《自分たち姉妹は、足の指の関節で大きな音を鳴らすことができ、
それを『霊』からの回答と偽っていた》
という告白記事を売り込んだものの、翌1889年11月には『ニューヨ
ーク・プレス』紙に対し、
《心霊術を攻撃すれば、富と幸福を与えると約束されて、偽証した》
と前言を撤回し、証言した事件です。
スピリチュアリズムについては、それを否定することで利益を得て
いる勢力が常に存在しています。マスコミはその最たるもので、「超
常能力を持つもの」に対して、
《ブームの頂点までは持ち上げられるだけ持ち上げ、賛同者の関心
を引きつけ、上り詰めた時点で一気に叩き潰して、反対者の賞賛
を得る》
のが常套手段です。彼らにとっては、『視聴率』や『販売実績』のみ
が問題であって『真理』などどちらでもよいことですし、誤ったこと
を報道していたからと言って責任を取ることもありません。『超常能
力者』がひとり抹殺されようが、また『代わり』を見つけるだけのこ
ととしか思っていません。
少し前の例で言えば、今は亡き『宜保愛子さん』がその最たる犠牲
者でしょう。ブーム時にはあちこちのテレビ番組に引っ張りだされて
いたものの、大ウソ槻教授を中心とした反対者から「すべてトリック
であることが証明できる」との猛烈なバッシングを受けます。
公には、「証明実験」について「宜保さん側」が拒否したことにな
っていますが、これとて「証明できない」場合を考えて「反対者」が
画策した可能性もあります。
その後、オウム真理教事件等で「オカルト的」番組が批判されるよ
うになるとともに、「偽者」のレッテルを貼られたまま、テレビ界か
ら、そして現世からも消えていくことになりました。
★ 江原氏の意図していたもの
その意味で、「心の道場」が言うとおり、スピリチュアリズムの真
理的な面を、テレビ等の特定の権力者に操られたメディアで語ってい
こうとすることには限界があり、結局は一時的なブームを利用した
「金儲け」と受け取られてしまう側面は否めません。
しかし、この辺りのマスコミの手口については、『オーラの泉』の
相方である美輪さんも常々言っていたことですし、江原氏も、いずれ
はこのような形でテレビ界を去る時がくるのは承知の上だったのでは
ないかと思います。
それでも、現世には、『ほとんどの情報をテレビからしか受け取っ
ていない』人達も少なくありません。その中には、こうした番組を通
じて、初めてスピリチュアリズムに関心を持った視聴者も少なからず
いたと思います。
そして、江原氏の言ってきたことが、詳細はともかく『霊的真理』
の中心から外れたものでなければ、その人の今後の人生にとって何ら
かのプラスになるものと思います。
江原氏が幾つかの番組を通じて意図していたことも、難しい定義的
なものではなく、そんなささやかなことではなかったかと思います。
そして、いずれマスコミからのバッシングを受けるまでの間に、ほ
んの一握りの人達にでも、そのきっかけを与えることが出来たのなら
ばそれでよいと思っていたのではないかと思います。
それに対して、江原氏の言動全てが「ペテン」であるという報道が
なされてしまえば、せっかく興味を持ち始めた人達の多くが、「騙さ
れた」という思いで、スピリチュアリズムそのものから再び離れてし
まうこととなり、それこそ「反対派」の思うツボなのではないでしょ
うか。
少なくとも源の部分では「同志」の立場であるならば、「霊的真理」
と合致するところについては、彼の言動についてサポートし、疑わしい
部分のみを補足するべきなのではないでしょうか。
最初から敵対的に、懐疑的な部分だけを強調することは、スピリチュ
アリズムに対して、内部分裂的なイメージを残すだけで、『霊的真理』
を広めることにプラスになるとは思われません。
さて、残るは①の部分ですが、これについては「心の道場」が「江原
氏」の「霊言」を「ペテン」とする最大の根拠であり、同時にスピリチ
ュアリズムのあり方について、他のニューエイジ的なものに対し、一線
を画している核心的な部分となっています。次回第二十三夜で、そ
の立場についての小生の見方を述べたいと思います。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪スピリチュアリズムの「正統性」とは?≫
★ 『オーラの泉』と『天国からの手紙』への批判点
「スピリチュアリズム・ニューズレター40号」では、『オーラの泉』
を江原氏とテレビ局が一体となったペテンとして、長々と批判を書き
連ねていますが、スピリチュアルな観念に立った批判点は次の1点に
絞られます。
① 「前世」については、地上人には決してわからないようになっ
ており、本人はもちろん、トランス状態となった「霊能者」にも知
ることは出来ないものである。知りうるのは「霊界人」のみであり、
仮に「前世」が語られることがあったにせよ、その間、霊媒である
「江原氏」本人の意識には残らないはずであり、「江原氏」本人が
話していることは全くの嘘か妄想である。
続く「41号」では主に『天国からの手紙』への批判点として
② 「霊界通信」の検証基準である、「霊能者と、遺族や他界者(霊)
との間に一切の面識がない」という観点に照らして、一般に情報が
知られやすい有名人や芸能・スポーツ関係者については、通信の真
実性を示すのにふさわしくない。
③ 一般人の場合にも、出演者を公募し、応募内容を事前に確認して
おり、江原氏やスタッフが相手の家や遺品を見るなどして情報を得
ており、「事前情報が一切ない」という交霊会の大原則を頭から無
視している。
④ 週刊誌等に、江原氏の番組についての「やらせ」の記事が掲載さ
れている。
A『週刊文春』<平成18年12月の事例>
某女優が『オーラの泉』に出演した際、江原氏は"死んだ父親"から
のメッセージ"を伝えたが、当人はまだ生きていたことがわかった。
B 『日刊ゲンダイ』<平成14年2月の事例> 江原氏の出演する『こたえてちょーだい』に出演したAさんは、
事前に「電話リサーチ等」で取材を受け、さらに当日の控え室で、
「夫が子供の頃、階段から落ちて頭を打った」ことを話したが、
番組収録中に、江原氏が「ご主人、頭を打ったことありませんか
?」と真顔で言われた。
さらに、後日の訪問時に、以前伝えてあった、亡くなった夫の
兄弟のことについて、「ご主人には亡くなった兄弟がいるはず」
と「霊視」したかのような発言をした。
C『週刊大衆』<女優名秘匿のため時期不詳>
女優のSが、『オーラの泉』への出演1週間前、番組スタッフ
がプライベートなことを3時間もかけて聞き出した内容と、収録
日の江原氏が霊視の内容が全く同じであった。
これらの批判のうち、②及び③については、『霊界通信』の方法論についてのものであり、第二十夜で述べたとおり、「形式が整ってい
ない」ことと、「通信が真実」であることは別問題で、これをもって
全てペテンだと決めるわけにはいかないと思います。
★ マスコミをどこまで信用してよいか?
さて、?の各週刊誌の批判から見てゆきましょう。
Aの女優の場合については、彼女に実父の他に亡くなった義父があ
ったことが伝えられています。番組中では、江原氏はそれを公言して
しまうことを避けただけのことであり、霊能者としても極めて当然の
配慮だったと思います。
むしろ、『週刊文春』の報道が、かえってそれを知らしめてしまう
結果となったわけで、「売れれば何でも記事にする」彼らの報道姿勢
こそ問われるべきだと思います。
Bの『日刊ゲンダイ』の場合には、江原氏が番組の製作スタッフに
予め「ネタ」を仕入れるように依頼した可能性も確かにあります。
しかし、まさに『心の道場』が、『霊界通信』について厳しい条件
を課すのと同様に、これだけの状況証拠だけでそう断定できるわけで
はないと思います。
まず、事前の電話リサーチについては、良心的に解釈する場合、製
作スタッフが「視聴者を惹き付ける」番組内容にするため、なるべく
特異な経験をもつ出演者を選び出そうとして行われることは、十分あ
り得る話です。
従って、Aさんが事前のリサーチで兄弟を亡くしている話をしたと
しても、江原氏には伝えられていない可能性も否定できません。
問題は、当日の控え室での「頭を打った」エピソードですが、当日
既に「霊視」状態にあった江原氏が、頭の痛みを訴え、それを察知し
たスタッフが、江原氏には告げないまま、控え室に確認したのかもし
れません。
しかし、小生はマスコミに対してはもっと懐疑的に考えています。
彼らにしてみれば、とにかく『雑誌の売れ行きさえよければよい』
わけで、江原氏の霊能力の真偽が大衆の関心の的であった当時に、
「疑惑の証拠」となるような記事を掲載すれば、それなりの販売部数
が見込めます。そのためには、たった一人の体験者の「証言」をとる
だけでよいわけです。
「Aさん」の周辺の人達が真の証言をしたかどうかはまさに「神の
みぞ知る」です。「証言」だけが唯一の証拠であるならば、『霊界通
信』に対し、厳しい判断基準を設けるのと同様、偽りではないことの
証明が必要です。
Cの『週刊大衆』についても同様で、こちらは芸能人の発言である
分、余計にマスコミとの口裏合わせはしやすいと思われます。
★ スピリチュアリズムを「道具」にするマスコミ
「ニューズレター46号」では、第十五夜で、スピリチュアリズムの
出発点となった「フォックス姉妹」の偽証事件が述べられています。
これは、1888年10月、姉妹のひとりマギー・フォックス・ケインが、
『ニューヨーク・ワールド』紙に対し、
《自分たち姉妹は、足の指の関節で大きな音を鳴らすことができ、
それを『霊』からの回答と偽っていた》
という告白記事を売り込んだものの、翌1889年11月には『ニューヨ
ーク・プレス』紙に対し、
《心霊術を攻撃すれば、富と幸福を与えると約束されて、偽証した》
と前言を撤回し、証言した事件です。
スピリチュアリズムについては、それを否定することで利益を得て
いる勢力が常に存在しています。マスコミはその最たるもので、「超
常能力を持つもの」に対して、
《ブームの頂点までは持ち上げられるだけ持ち上げ、賛同者の関心
を引きつけ、上り詰めた時点で一気に叩き潰して、反対者の賞賛
を得る》
のが常套手段です。彼らにとっては、『視聴率』や『販売実績』のみ
が問題であって『真理』などどちらでもよいことですし、誤ったこと
を報道していたからと言って責任を取ることもありません。『超常能
力者』がひとり抹殺されようが、また『代わり』を見つけるだけのこ
ととしか思っていません。
少し前の例で言えば、今は亡き『宜保愛子さん』がその最たる犠牲
者でしょう。ブーム時にはあちこちのテレビ番組に引っ張りだされて
いたものの、大ウソ槻教授を中心とした反対者から「すべてトリック
であることが証明できる」との猛烈なバッシングを受けます。
公には、「証明実験」について「宜保さん側」が拒否したことにな
っていますが、これとて「証明できない」場合を考えて「反対者」が
画策した可能性もあります。
その後、オウム真理教事件等で「オカルト的」番組が批判されるよ
うになるとともに、「偽者」のレッテルを貼られたまま、テレビ界か
ら、そして現世からも消えていくことになりました。
★ 江原氏の意図していたもの
その意味で、「心の道場」が言うとおり、スピリチュアリズムの真
理的な面を、テレビ等の特定の権力者に操られたメディアで語ってい
こうとすることには限界があり、結局は一時的なブームを利用した
「金儲け」と受け取られてしまう側面は否めません。
しかし、この辺りのマスコミの手口については、『オーラの泉』の
相方である美輪さんも常々言っていたことですし、江原氏も、いずれ
はこのような形でテレビ界を去る時がくるのは承知の上だったのでは
ないかと思います。
それでも、現世には、『ほとんどの情報をテレビからしか受け取っ
ていない』人達も少なくありません。その中には、こうした番組を通
じて、初めてスピリチュアリズムに関心を持った視聴者も少なからず
いたと思います。
そして、江原氏の言ってきたことが、詳細はともかく『霊的真理』
の中心から外れたものでなければ、その人の今後の人生にとって何ら
かのプラスになるものと思います。
江原氏が幾つかの番組を通じて意図していたことも、難しい定義的
なものではなく、そんなささやかなことではなかったかと思います。
そして、いずれマスコミからのバッシングを受けるまでの間に、ほ
んの一握りの人達にでも、そのきっかけを与えることが出来たのなら
ばそれでよいと思っていたのではないかと思います。
それに対して、江原氏の言動全てが「ペテン」であるという報道が
なされてしまえば、せっかく興味を持ち始めた人達の多くが、「騙さ
れた」という思いで、スピリチュアリズムそのものから再び離れてし
まうこととなり、それこそ「反対派」の思うツボなのではないでしょ
うか。
少なくとも源の部分では「同志」の立場であるならば、「霊的真理」
と合致するところについては、彼の言動についてサポートし、疑わしい
部分のみを補足するべきなのではないでしょうか。
最初から敵対的に、懐疑的な部分だけを強調することは、スピリチュ
アリズムに対して、内部分裂的なイメージを残すだけで、『霊的真理』
を広めることにプラスになるとは思われません。
さて、残るは①の部分ですが、これについては「心の道場」が「江原
氏」の「霊言」を「ペテン」とする最大の根拠であり、同時にスピリチ
ュアリズムのあり方について、他のニューエイジ的なものに対し、一線
を画している核心的な部分となっています。次回第二十三夜で、そ
の立場についての小生の見方を述べたいと思います。
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