2012.12.20
家族葬体験記-失敗を繰り返さないためにとの思いから-
もう、10年以上も経ってしまいました。母が亡くなったのは突然で、寝耳に水のようなことでした。悲報を聞いてから高速を車ですっとばし2時間後、実家についていたときは、もう、白い布団の中で横たわっていました。
それから怒涛のような3.4日がすぎました。この時は何もかもわからないことだらけ...の上にいつも率先して動いて何もかもしてくれる母がいなくなったので、まずは喪服の着付けなどから困ってしまいました。和服の着付けは母の知り合いに頼んでいたので、母に頼めば今まではことが足りたのですが、今度は肝心の母がいません。しかたなく、自分でその美容師さんに連絡をつけたところ、身体的に美容師を続けられなくなりやめたとのこと。着付けもできないようです。
そこで、遠方に住んでいる友人に頼み込み、着つけてもらいました。着付けすらこんな状態で、しかも、自宅葬...お客は何百人も来るという、むちゃくちゃ忙しい葬式となりました。人がたくさん来るので、それこそ引っ越しをするかのように、ソファーテーブル、その他家具類を喪服を着たままあちこちと移動させたり、死亡診断書を持って火葬許可書を役所に取りに行ったり...
あれがいる、これを動かす、電話をとる、来客をこなしながら、部屋、場所を整えることをし、かつ、さまざまな雑事をこなす...そして、寝ずの番の通夜、お葬式とこなしましたが...
葬式が終わった時は、ぼろ雑巾のようで、あまりにも疲れていたことを覚えています。
もう、こんなにも大変な葬式はいやだ。私とだんなはそう思いました。
突然だ、突然ということがいけないのだろう、と疲労困ぱいした私たちは考え、その当時、全く元気だっただんなの両親の時はどうしようかと、あれこれ思案し始めたのです。
幸いにして、だんなの両親はそのころにもう定年を迎えており、かつ交遊もほとんどないことから、こじんまりとした葬式ができるだろうと予想されました。そこで、両親の住んでいる市の葬儀屋を2.3廻ってみることにしたのです。
自宅葬の大変さにはこりごりしてたので、会館で、風呂も布団もついているところで...といった程度の希望しかなかったのですが、いざという時に頼んで、どんな感じにやってもらえるか、また、風呂を含めて館内設備、そして料金など、こまごまと聞きました。実際に設備を見ながら説明を聞くと、布団はおろか、ホテルのような遺族室で自宅葬の大変さはまったくなく、整えられた場所での通夜、葬儀ができる、ということがわかりました。その時に料金表もみせてもらい、大体の金額もつかめましたが、-これぐらいだったらいいだろう-というような金額でした。
とにかく私たちは、-もしも-の時を考えておおざっぱなりの葬式シュミレーションを10年以上前に描いておりました。
市内の葬式屋の見学し、見積もりも出した...あとこれだけはというものはないだろうか?というわけで、次にやったのは、着付けを習う、でした。自分で着物が着られれば、どんな時でもあわてふためくことはありません。すぐに無料着付け教室に行き、着付けを習得しました。
そして、こまごまとしたことですが、母の自宅葬では給仕したり、家具を運んだりして、喪服に汚れをつけてしまうことがあったので、たとえ自宅葬でなくても、黒い割烹着、エプロンは必須と思い、黒いエプロンを買っておくことにしました。
つづく
それから怒涛のような3.4日がすぎました。この時は何もかもわからないことだらけ...の上にいつも率先して動いて何もかもしてくれる母がいなくなったので、まずは喪服の着付けなどから困ってしまいました。和服の着付けは母の知り合いに頼んでいたので、母に頼めば今まではことが足りたのですが、今度は肝心の母がいません。しかたなく、自分でその美容師さんに連絡をつけたところ、身体的に美容師を続けられなくなりやめたとのこと。着付けもできないようです。
そこで、遠方に住んでいる友人に頼み込み、着つけてもらいました。着付けすらこんな状態で、しかも、自宅葬...お客は何百人も来るという、むちゃくちゃ忙しい葬式となりました。人がたくさん来るので、それこそ引っ越しをするかのように、ソファーテーブル、その他家具類を喪服を着たままあちこちと移動させたり、死亡診断書を持って火葬許可書を役所に取りに行ったり...
あれがいる、これを動かす、電話をとる、来客をこなしながら、部屋、場所を整えることをし、かつ、さまざまな雑事をこなす...そして、寝ずの番の通夜、お葬式とこなしましたが...
葬式が終わった時は、ぼろ雑巾のようで、あまりにも疲れていたことを覚えています。
もう、こんなにも大変な葬式はいやだ。私とだんなはそう思いました。
突然だ、突然ということがいけないのだろう、と疲労困ぱいした私たちは考え、その当時、全く元気だっただんなの両親の時はどうしようかと、あれこれ思案し始めたのです。
幸いにして、だんなの両親はそのころにもう定年を迎えており、かつ交遊もほとんどないことから、こじんまりとした葬式ができるだろうと予想されました。そこで、両親の住んでいる市の葬儀屋を2.3廻ってみることにしたのです。
自宅葬の大変さにはこりごりしてたので、会館で、風呂も布団もついているところで...といった程度の希望しかなかったのですが、いざという時に頼んで、どんな感じにやってもらえるか、また、風呂を含めて館内設備、そして料金など、こまごまと聞きました。実際に設備を見ながら説明を聞くと、布団はおろか、ホテルのような遺族室で自宅葬の大変さはまったくなく、整えられた場所での通夜、葬儀ができる、ということがわかりました。その時に料金表もみせてもらい、大体の金額もつかめましたが、-これぐらいだったらいいだろう-というような金額でした。
とにかく私たちは、-もしも-の時を考えておおざっぱなりの葬式シュミレーションを10年以上前に描いておりました。
市内の葬式屋の見学し、見積もりも出した...あとこれだけはというものはないだろうか?というわけで、次にやったのは、着付けを習う、でした。自分で着物が着られれば、どんな時でもあわてふためくことはありません。すぐに無料着付け教室に行き、着付けを習得しました。
そして、こまごまとしたことですが、母の自宅葬では給仕したり、家具を運んだりして、喪服に汚れをつけてしまうことがあったので、たとえ自宅葬でなくても、黒い割烹着、エプロンは必須と思い、黒いエプロンを買っておくことにしました。
つづく
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