2012.09.19
ミディアムシップ ミディアムと受け手
ミディアムとは霊媒のことです。亡き人とこの世の人との仲介役であり、あの世からのメッセージを伝える伝達人でもあります。
私はこの一年そのミディアムの勉強、ミディアムシップワークにでたりしていますが、この勉強も奥が深く、ただ単に霊能力があればミディアムができるかというとそうではないということにも気づいてきました。
私のようなおばけもテレビでしか見れない凡人にとっては、霊媒体質の人はもうそれだけでミディアムとしてなりたっていると思いがちですが、さて、実際のセッション、デモンストレーションではどうでしょうか?
デモンストレーションとは、ミディアムが一般聴衆の前に立ち、その場で感じた霊について話します。
一般聴衆の前ですから、ミディアムには聴衆の個人情報もましてやその中の誰かにかかわりのある霊についても知りません。
私も何度かデモンストレーショに出席したことがあります。その時の模様はこのブログにも書きました。私もミディアムも全然見知らぬ関係であるのにかかわらず、かなり正確な私の関連の霊のことを言われました。
これは、-本物だ-と聴衆の方の私は思ったのですが...
このデモンストレーションやミディアム実習で、ネックがあるのをこの頃気づきました。
それはミディアム側に厳しいネックです。
デモンストレーションは聴衆のただなかで行われます。また、実習はいろんな人がそれを聞いている中で行われます。ミディアム側はなんの情報もない中で、思い浮かんだこと、感じたことを言っていきます。それを聞き、
年齢、性別、などですが、まずミディアムがこういう人に心当たりはありますか?と聞きます。
そこで心当たりの人が手をあげたり、あの人では?と、言ったりします。
私のような故人に会いたいと期待している人はいくつか項目が当てはまっていたら-あのひとでは?-と手をあげたり言ったりしますが、
当てはまる人でもなかなか言わない...手をあげない人もいます。
凡人スタートのミディアム見習いはここでもう、心臓がどきどきして、不安がどーんとのしかかってきます。
ここでなんとか体勢を整え、つぎつぎに言っていきます。
故人がこんなことをしていたとか、こんなイメージを見せているとか...
そこで感激して、〇○さんだ。とか言ってくれる人もいますが、
言わない人もいる...のです。
そう言えば、アイイスのデモンストレーションで、
ミディアムが性別、その他を特定して行き、どうやらおばさんらしいということになりました。そうですと手をあげた人がいました。しかし、どんどん進んで行ってからその人は-おばさんはいない-と言ったことがありました。
-なぬー?-
これって、梯子を屋根までかけて登らせておいてとってしまうみたいな...
罠みたいな!
しかーし...これはひどいかったです。
これだから、やっぱり霊視なんてインチキだなんて言う人も出てくると思いますが、たぶん、でてきた霊はその手をあげた人の関連の霊だったのでは?と思います。それよりもここまで延ばしておいて、他の人のデモンストレーションに触れる機会を少なからず盗ったことは事実です。
こんなことをするなら、来るなよと、思いましたが...
この時のミディアムは優秀な人でした。それを聞き、すぐに違う霊とのコンタクトを始めました。そんなことがあっても動揺せず、頭を切り替えられるのはすばらしいミディアムだからでしょう。駆け出しのミディアムだったら混乱して続行できない人もいると思います。
霊視というのは微妙なもので、受け手の方に-出てきてほしいけど、信じられない。信じたくない。-という意識があったりするとその霊についてあるていど似通った情報を言われても、うなづきかねて、デモンストレーションでもなんの反応もしない。
また、デモンストレーションや、ワークで自分の関連の霊について、いろいろと言われるが、自分自身のことなので、人に知られたくない。反応したくない。あれやこれやで結構あたっていることを言われても自分をさらけだされるような気がして知らぬ顔を決め込む人もいると思います。
しかし、ミディアム側は自分がいろいろ言ったが、なんの反応もない。
いいかなぁ。思い込みかなぁ。なんて考えてしまって、くるくるっと失墜する。気分が下降し、いつのまにかミディアムモードから外れていってしまう。
難しいですね。
ミディアム側としては、その正否を言ってもらえないにしても、とにかく、浮かんできたことを言い続ける。それしかないでしょう。
-神託-という言葉がありますが、神の言葉でないにしても、自分の言葉メッセージではないのですから、浮かんできた言葉、イメージは託されたものとして、ミディアムをする時は、ただ伝達するということに徹し、それの正否についてはとらわれずやるしかないと思います。
正否については自分で後、裏をとれるものについてはその内容を考察し、次へとつなげる努力ができればいいなぁと思っています。裏も取れない場合は、とらわれず、くさらず次の機会にチャンスを待つということでいいのではないでしょうか?
私はこの一年そのミディアムの勉強、ミディアムシップワークにでたりしていますが、この勉強も奥が深く、ただ単に霊能力があればミディアムができるかというとそうではないということにも気づいてきました。
私のようなおばけもテレビでしか見れない凡人にとっては、霊媒体質の人はもうそれだけでミディアムとしてなりたっていると思いがちですが、さて、実際のセッション、デモンストレーションではどうでしょうか?
デモンストレーションとは、ミディアムが一般聴衆の前に立ち、その場で感じた霊について話します。
一般聴衆の前ですから、ミディアムには聴衆の個人情報もましてやその中の誰かにかかわりのある霊についても知りません。
私も何度かデモンストレーショに出席したことがあります。その時の模様はこのブログにも書きました。私もミディアムも全然見知らぬ関係であるのにかかわらず、かなり正確な私の関連の霊のことを言われました。
これは、-本物だ-と聴衆の方の私は思ったのですが...
このデモンストレーションやミディアム実習で、ネックがあるのをこの頃気づきました。
それはミディアム側に厳しいネックです。
デモンストレーションは聴衆のただなかで行われます。また、実習はいろんな人がそれを聞いている中で行われます。ミディアム側はなんの情報もない中で、思い浮かんだこと、感じたことを言っていきます。それを聞き、
年齢、性別、などですが、まずミディアムがこういう人に心当たりはありますか?と聞きます。
そこで心当たりの人が手をあげたり、あの人では?と、言ったりします。
私のような故人に会いたいと期待している人はいくつか項目が当てはまっていたら-あのひとでは?-と手をあげたり言ったりしますが、
当てはまる人でもなかなか言わない...手をあげない人もいます。
凡人スタートのミディアム見習いはここでもう、心臓がどきどきして、不安がどーんとのしかかってきます。
ここでなんとか体勢を整え、つぎつぎに言っていきます。
故人がこんなことをしていたとか、こんなイメージを見せているとか...
そこで感激して、〇○さんだ。とか言ってくれる人もいますが、
言わない人もいる...のです。
そう言えば、アイイスのデモンストレーションで、
ミディアムが性別、その他を特定して行き、どうやらおばさんらしいということになりました。そうですと手をあげた人がいました。しかし、どんどん進んで行ってからその人は-おばさんはいない-と言ったことがありました。
-なぬー?-
これって、梯子を屋根までかけて登らせておいてとってしまうみたいな...
罠みたいな!
しかーし...これはひどいかったです。
これだから、やっぱり霊視なんてインチキだなんて言う人も出てくると思いますが、たぶん、でてきた霊はその手をあげた人の関連の霊だったのでは?と思います。それよりもここまで延ばしておいて、他の人のデモンストレーションに触れる機会を少なからず盗ったことは事実です。
こんなことをするなら、来るなよと、思いましたが...
この時のミディアムは優秀な人でした。それを聞き、すぐに違う霊とのコンタクトを始めました。そんなことがあっても動揺せず、頭を切り替えられるのはすばらしいミディアムだからでしょう。駆け出しのミディアムだったら混乱して続行できない人もいると思います。
霊視というのは微妙なもので、受け手の方に-出てきてほしいけど、信じられない。信じたくない。-という意識があったりするとその霊についてあるていど似通った情報を言われても、うなづきかねて、デモンストレーションでもなんの反応もしない。
また、デモンストレーションや、ワークで自分の関連の霊について、いろいろと言われるが、自分自身のことなので、人に知られたくない。反応したくない。あれやこれやで結構あたっていることを言われても自分をさらけだされるような気がして知らぬ顔を決め込む人もいると思います。
しかし、ミディアム側は自分がいろいろ言ったが、なんの反応もない。
いいかなぁ。思い込みかなぁ。なんて考えてしまって、くるくるっと失墜する。気分が下降し、いつのまにかミディアムモードから外れていってしまう。
難しいですね。
ミディアム側としては、その正否を言ってもらえないにしても、とにかく、浮かんできたことを言い続ける。それしかないでしょう。
-神託-という言葉がありますが、神の言葉でないにしても、自分の言葉メッセージではないのですから、浮かんできた言葉、イメージは託されたものとして、ミディアムをする時は、ただ伝達するということに徹し、それの正否についてはとらわれずやるしかないと思います。
正否については自分で後、裏をとれるものについてはその内容を考察し、次へとつなげる努力ができればいいなぁと思っています。裏も取れない場合は、とらわれず、くさらず次の機会にチャンスを待つということでいいのではないでしょうか?
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