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猫は今

おしっこを畳や床の上にしまくっていた猫。猫砂を檜に変え、猫トイレも増やしたところこの頃は新しい猫トイレばかりでやっています。

合計三つもの猫トイレを持っている贅沢な猫です。三つあるので、どれも使うかと思いきや、一つのみを使用しています。最初は一番古いトイレと大きさが広い窓際設置のトイレの二箇所にしていましたが、この頃は窓際の大きめトイレのみとなりました。

うちの猫...トイレですると「にゃー」とか言ってくることが多いです。それでトイレを見てまだ柔らかく暖かい塊を始末するのです。それをなんと猫が遠くからチェックしているのです。自分がおしっこやうんこをしたらすぐに掃除しろ、監視しているからな‼️しないとまた畳やそこらじゅうにやってやるぞ。なんて猫に脅されているようで、家にいれば猫トイレの始末、迅速にやっています。まるでこれでは猫のトイレ奴隷ですが、猫のおしっこ爆弾には勝てません。猫が死ぬまでこう言う生活が続くでしょう。

昨日は夜中、トイレに行く途中、生暖かいどろどろのものを踏みました。見ると、猫のゲロでした。猫草をあげているのでたまに吐くのです。ゲーと言いながら足とゲロを拭いて二歩歩いたら、またもゲロが‼️踏んでしまいました。こうなると眠気も飛んでしまいます。もう一度ゲロ始末をして足を風呂場でよく洗いました。猫はその間、きれいな子供の布団で寝ていました。

猫は毛玉を猫草を食べて吐き出します。旦那がやたらと猫草を栽培し外でも家の中でも猫が自由に腹一杯食べれるようにやるのでこういうことが起きるのです。外に出した時だけ食べるようにして、食べた直後は見張っておればこんなことはないのですが、旦那の猫草栽培は止みません。困ったものです。ちなみにゲロの始末も踏みつけるのも私オンリーです。

3日前は猫が吐き出すそぶりを見せたので素手でゲロを受け止めなんとか被害は最小にとどめました。猫のゲロとおしっこは常に警戒しないといけません。うんこはトイレでやってくれるのでいいですが、たまにトイレ外に飛ばされているのでこれは手でなく箸で摘んで始末しています。

猫はらくだと言いますが、猫といえどもやはりケダモノです。手はかかります。
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5月末の散歩道

いつもの遊歩道です。季節が移ると植物も変わっていきます。地上には煙のような草と、小さいかわいい花が咲いています。
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途中で旦那がなんの花だろうという黄色い花が咲いていました。
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「山吹かも」と私は言いましたが、これは一重で私が知っている山吹より、花も大きめです。それに、昔子供向け学習日本史漫画を読んだとき、
大田道灌が山で急な雨にうたれ、粗末な小屋の娘にミノを貸してくれと言うと「七重八重と山吹を例えた歌を返され、何も貸してもらえなかったが、その歌はその娘のミノさえない事情を古歌に託してうたった歌だった...
なんて話が絵付きで出ていたので頭に記憶に残っていたし、実家の山吹も八重でした。ひとえの山吹は❓あったかなぁと思ったのですが、山吹って単も八重もいろいろあるみたいですね。今、ネットで調べてわかりました。

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紫陽花も咲いていましたが、梅雨の定番の花ですが、枯れかかっていたり花つきが悪かったりで、東山動植物園のものとはだいぶ見劣りしましたが、誰かがその中でも色付きの良いものを見つけたらしく綺麗な青の紫陽花が手折られて地面に落ちていました。花も捨てるぐらいだったら、おることもないのに。と少し惜しく思いました。
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足助城に行く

鈴木の伯父さんから聞いていた「祖先は足助から出てきたのだ」という言葉がずっと気になっていて、とうとう足助城に行ってきました。

ここは山のどん詰まりで、道は混むし、そう面白いところはないし、行くのにも不便でほとんど行ったことはないです。が、鈴木氏のゆかりの地であり城もあるということで鈴木について何かわかるかもしれないと行ってきました。
足助の鍛冶屋から横に道を入りしばらく行くとすごい山道です。坂がきついし、道が狭い。向こうから他車が来たらすれ違えないとドキドキしながら上までなんとか登り切り、車をとめたら、緊張のあまり、車を降りる時足がガクガクしました。

足助城です。
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山城、山の要塞といった感じです。
人もほとんど来ていません。山の木立の中、ウグイスがしきりに鳴いています。
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登っていくと矢倉などがあります。その中に鎧などがありました。下り藤は鈴木の紋です。
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だいぶ高いところなので、下の景色が広がって見えます。周りの緑の山など見ているとマチュピチュを思い出してしまいます。
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山城そのものでした。ただ、スズキといっても、この城などは比較的近い時代なのかもしれません。私は義経の時代からのことを知りたいので、行ってもそう何も感じませんでした。ただ、道を歩いたり、矢倉や建物をみると鈴木臭が匂うというか、漂ってくるというか、そんな感じはありました。権威主義的、だけど変人もいる...みたいな。

今回は自分で作った赤い帽子をかぶって歩きました。
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入り口にあった系図を見ると。重という字の人が多いです。母方のスズキはこの足助から、Kというところに行ったそうです。だいぶ古い時代の別れのような気がしますし、そこから、明治以降、Tというところに移りました。なのでおじさんのいうことも本当かどうかわからないし、もう確かめようもありません。それでもこの足助城に登れたのでよしとします。


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再雇用2ヶ月経過

給料がだいぶ変わってしまったので、金のことは言えません。が、この十年近くですっかりやつれ、顔も険しくなってしまっただんな。心因性のお腹の病もあったのですが、よくなり先週で通院は終了となりました。

私の漢方の目医者の先生も言っていたのです。だいぶ前に旦那の病についても相談していました。「仕事をやめれば治る。仕事がある間は難しいね」
本当に先生の言うとおりになり、ずっと続いていたいびきもだいぶ収まりました。

金は厳しいです。ですが、金のために生きているわけではないです。まずは体の調子が戻り一安心です。私は節約を心がけていますが、なんかあんまり今までと変わらない消費生活をしています。もともとそう散財してなかったのかもしれません。今のところ趣味でもほとんどお金は使いません。今まで何かをすると金がいると思っていましたが、手持ちのものでできることは多いので不足感、欠乏感もありません。

ただ、いるものは自分で作ることにしています。帽子のテープ、リボンなど、帯芯や八掛の残り布など使えるものは使うようにしているので大抵は買わずに済んでいます。

なんでも捨てて、ミニマム❓生活がよいわけではありませんね。不用品も使ってみるものです。全く違うものとして使えます。ガラス瓶もいっぱい持っていて不用品とされがちですが、今年は小梅1キロ398円のところ、半値に下がった約200円で梅酒と梅ジュースシロップを作りました。ものはあればあるで使えます。実は去年、アルコールがないときに、もしものためにホワイトリカーを買っておいたので、それが余っていたので、それも使いました。

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左が梅酒、右がシロップです。 少し梅にホクロがありますが、そう気にしません。出来上がりにはそう影響はありません。シロップは梅が縮んできています。が、二、三週間もすれば熟成してきます。


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花フェスタ公園、山法師、アリウムが綺麗でした

花フェスタ公園です。バラは大きな木はあまりないですが、今はノックアウトが盛りです。他に、アリウム、木は山帽子が白い萼をいっぱいつけていました。
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バラは大きいのはとってしまったし、子供の遊び場を広げてそこにファミリーがテントを好きに張ってくつろげるようになっていたりして、今までの静かで端正な感じの芝生付近は子供とファミリーむけの空間と化したうえ、なんとタバココーナーまで作ってあり、がっかりです。

去年まであったターシャの小屋と庭も取っ払ってしまったし、バラ公園でなくその辺の子供遊園地を目指しているのかなぁ。大人の静かで綺麗な散歩道としての公園が好きなんだけど、どうなるのだろう。子供遊園地になったらもう来たくないなぁ。
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薄紙を剥ぐように、何度もー忌まわしい記憶

忌まわしい記憶と、お能を見ての気づき。記録をとるということをしてから、ハッとするようなことがありました。ただそれで全くそれがなくなったわけではありません。

そこで今までのその記憶の濃さを考えてみることとしました。幸いにもこのブログに少しは記録があります。一つはも三峯神社に行った時、土産物屋が並ぶ参道を歩いている時です。何者かに「お前のせいではない。誇れ云々」なんて言われました。そこで何かが剥がれ落ちたような気がしました。
しかし、自分は被害を受ける立場でもあり、広くとれば被害を与える立場でもあったのが、まだどうしても忘れられないのです。

三峰でいわば赦しのような言葉をもらいましたが、完全には拭いされず、自分を情けなく思うような気持ちがまだありました。しかし、その出来事は薄くなったのは確かです。

そして、今回、そのことを記録にとり、数日後、お能を見学して重衡さんのことに思いをはせたところ、またも「恥ではない」などと言われました。これは自分の中の声だと言われればそれまでですが、今回のお能で、昔の忌まわしいことがもう一段、薄く、煙のようになってきたような気がします。

が、まだ、何かがあります。ここまでくるとその出来事そのものは消え失せ、それを感じている自分の感情そのものが痛い形でそのまま残っているのかもしれません。
忌まわしい出来事というものはそのもの、そのままの記憶とそれを受けた自分自身の感情が結びついてコンクリート像みたいになっているのかもしれません。そのこと自体の記憶はなぜか、いろんなことにより煙のように消え失せることがあるのだと思います。しかし、それと結びついたその時の感情と、それを是としない自分自身が、なかなかOKを言えないことがいつまでも苦しめられる因のひとつだと思います。

以上のことも記録にとり、曖昧にせず、策を考えたいと思っています。薄紙を剥ぐようにとにかく過去の嫌な出来事は薄まってきました。が、まだまだなのです。こんなことは自分の中の自分のことなので、すごい霊能者や先生に生き方を聞いても答えは出ません。大体、こんな経験をしてない人にそんな教えを垂れることができるのかは疑問です。

自分の中でできるだけ客観視し、自分で何かを放し、何かを掴むまでやはり記録にとったりすることは気づきを得る上で有益だと思っています。自分の中を探る旅は続いています。
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お能の時の着物

雨が降っていました。少しだけ暑いだけでしたが、雨で濡れると嫌だと思い、絹の着物はやめました。サマーウールの着物に、夏用の八寸帯、なんとつけ帯です。私は付け帯はつけづらいので嫌いなのですが、最初に羅の木綿帯を締めようとしたところ、夏の装いのせいか、締めづらく時間ばかりが過ぎて焦りました。そこで急遽、付け帯を締めることとしたのです。

サマーウール、十年以上前に自分で縫ったものです。

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帯留めと、3部紐は赤です。意外と夏の薄物に合いました。
これで今月は二回、着物でお出かけができました。よぅし❕目標達成です。
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節約中

再雇用の65歳までの無年金期間は厳しいです。そこで節約をしようと家計簿アプリを入れておおよその支出をこの目でつかもうと、4月末からつけています。

新聞はやめたし、外食もしてないのに、意外と支出はあります。もともとそんなに贅沢はしてないので、これ以上削るにもなかなか難しいということかなぁ。なんにしろ、無駄は少なくして、支出を抑えることしかありませんね。でも、たまの旅行とかちょっとしたお出かけまでやめたら、生きている意味がありません。

節約というとお出かけ、旅行をまずやめることを考えるひとが多いと思います。が、それをやめてまでただ長く生きればいいなんて思いません。そう長く生きたいとも思わないので、今を楽しむ旅行などは続けたいと思います。宿ももともとそんなに高いところには泊まらないのでいいのです。

五年ほど前までは、スピのセミナーなどに行ったり、外国語のクラスに行ったりして自分が思うよりお金を使ってきたと思います。それはもう使ってしまったことなので構いません。しかし、今はもう少し慎重にお金を使わないといけないなぁと思っています。幸い、現在はほとんど手持ちのものでできる趣味をしているので、懐が傷まないです。金はなくてもできる楽しみはそこら中に広がっているということです。

金がなくてもできることが多いということはありがたいです。

これは🔽以前庭に植えてあった紅葉の枝を刈り取り、半年ほど乾燥させた後、自分で作ったすりこぎです。

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忌まわしい記憶は煙の如く

お能の「千手」。それを見てから全く関係のない自分の忌まわしい記憶が前と違ってきています。あの忌まわしい記憶に関するいろんな場面のひとつひとつが全くなくなるわけではありません。ふっと一場面が浮かんでくることがあります。その時、やはり、今までのように隠したいような、自分を叱責したいような気持ちも出ないわけではありません。

何か、あることがあったからといって全く違う状態になるわけではないのです。

しかし、その情景が出た時、まだ残っている自分へのマイナスの感情が出てくると同時に、一つの物語を外から客観的に自分が見ている感じもあるのです。その見ている自分は、それほど厳しくなく、なぜか、それと同時に自分の今までやってきた複数のきっと誰でもあまりやらないであろう行為を同時に見ているのです。それは、バカといえば馬鹿ですが、自分に全く得もないのに他人のために骨を折ったことの数々でした。そのために職も捨てることとなったり、散々なことがあったなぁと思い出したり。またそれほどのことをしたのに全く感謝もなく、こちらを軽蔑し利用しようとした人もいたなんて、思い出したのです。

もっと自分という人間に対してトータルで見よということかなぁ。なんて思いつつ、相変わらず忌まわしい出来事も頭に浮かびそうになります。しかし、そんな交錯した思いと同時にあの出来事から煙が出てだんだんそのこと自体が薄く存在感がなくなってきている感じもするのです。忌まわしいるんるうんの物語という本があるとしたら、それを入れてある箱があって、それを開けてみたら煙が立ち上り、その本が煙と化してだんだんなくなっていく。そんな雰囲気でしょうか❓

この頃は自分を責める気持ちより、そのこと自体から煙が上がって、輪郭も定かでなくなっていくような気がします。

また、お能の話に戻りますが、重衡さんに対して同情したり、丁寧に接してくれたりした人たちがいたのだと思うと、非常に満足した満ち足りた気分になります。落ち目の人に対して手のひらを返す人ばかりでなく、人間らしく接してくれる人もいたのだと思うと、少しだけほっとする気分になるのです。
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きょうの東山動物園

今日は、子連れが多かったです。着いてまず、雪豹のゆきちを見たあと、リニューアルされた温室へ行きました。温室は外観も綺麗でしたが館内もみんなが好きそうなハーブ植物がいっぱいで飽きずに見ることができました。
中にはみょうちくりんなこんな植物に驚かされたり、
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あぁ、そうかい なんて名前の植物です。見た目も変なボチボチが幹にあり、奇妙奇天烈な植物でした。ハーブの匂いに感心したりの、楽しい温室巡りとなりました。

外は、バラや紫陽花が咲いていました。
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紫陽花は温室の中に育苗家の育てた素晴らしい紫陽花がたくさんありましたが、道端の紫陽花も綺麗でした。
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私たちは虎が好きなので必ずいつも虎さんを見て帰るのですが、今日はゾウさんが見たくなり、ぞうを見て帰りました。
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象は堂々とゆったり歩くのがたまらなくいいです。
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リコール 田中事務局長に続きなんと高須先生秘書まで加担❓

やっと田中事務局長が逮捕されました。高須院長の秘書までもが指印を押していたとか。高須院長の言い訳やもろもろについてはまたの機会に書きます。

ネットの情報によると、指印を押すことを田中に指示されたそうです。
さて、リコールの偽造署名は同じ住所が同じ筆跡で書かれていたし、住所などの書き方も乱暴です。もともとリコールの署名は一言一句住民票と違えてはいけません。その上に丁目は漢数字、番地は算用数字、長い住所でも二段になると無効。ハイフンはダメ。とダメダメ尽です。

大体事務所が正確に書くことを守れとボランティアに言ってなかったか❓
それが、こんな雑な見てすぐわかるひどい書き方で名簿を作成するとは、なんということだと当初は驚き呆れましたが、この頃おかしいなぁと思うことがあります。もし、自分が高須先生を敬愛し、その先生の顔を潰さないために不正署名に手を染めるなら、後々今回のように警察の手が入らないと仮定しても、こんな雑な書き方をさせません。その上、指印や拇印を誰かに押させるなんてさせるでしょうか。不正署名作成は悪事です。こんな雑なハイフンもありの適当に略字で書くような署名でもただ数があれば良いという考えなら、それだけで拇印などわざわざ押させることはさせないのではないでしょうか❓

今の偽造署名はあまりにも不完全ですが、数を作るというならそれで良いということで、その体で作られたのです。なので、それにわざわざ拇印を押させる必要はないのです。それなのになぜ、ごまかし拇印を押させる必要があったのか❓

これは最初から全てシナリオがあったに違いないと私は思っています。

続く
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夢がえげつなさすぎる

この数日、お能に行く前はひどかったのです。ひどい夢ばかり見ていました。自分や子供がまずい状況になりなかなか抜けだせないとか。このブログに書くのも嫌になる夢なのです。今は半分忘れてしまったのでここにようやく、変な夢に悩まされたとだけ書いています。

今日これらの夢を思い出していて、もしかしてあの夢の一つは今世の可能性の一つだったかも知れないと思いました。実は家族のことであの時こうしていればと思うことがあります。こうしていれば→こうなる の予想は今の状態より遥かにいいものだったのですが、夢を見て、もしかして今の選択をしていなかったら、こんなひどい夢のような結果になることもあったんだと驚きました。

私も欲があるし、過去の選択に疑問も少なからず思っていました。しかし、ひどい夢を見て今の選択に間違いはなかったと感じています。もう一つの夢の中の道は初めは全て良いように感じますが、とんでもないことへ続く道でした。今の道は間違いでなかったかも知れないと夢を見て感じています。

夢の内容は酷すぎて言えません。
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雨が降るー重衡追想

お能を見に行ったその晩、目が冴えてなかなか寝つかれません。目を閉じると周りが緑で5月か6月の新緑に囲まれています。すこし薄暗い中、しとしととした雨の向こうに緑が霞んでいます。

「恥ではない。恥ではないのだ。」こんな声が自分の中から出ています。私はこの眠れない間、昔の武士の潔さに思いを馳せていたのです。この頃あまりにも秋篠宮家の人々の醜さ、えげつなさをUチューブなどで見すぎたせいか、そのおぞましさにヘキヘキとしていたので、その反対の昔の武士の執着のなさ、清廉さに惹かれていたのかも知れません。

お能の「千手」。それは何も舞台道具もなく、言葉もよくわからなかったです。でも、五月雨が降る中、本当に若い二十歳くらいの女の子と貴公子がいるのが実感としてわかるのです。
恥ではない❓昔は自害もできず捕まるのは武士としては最大級の恥なのでは❓この人は官位も高く武士なのだから、捕まって鎌倉くんだりまで連れて行かれたなんて、さぞかし恥を感じ、いたたまれなかったのでは❓
私は緑の中、降り頻る雨を感じながらそんなことを思いました。こんな状態だと想像するのが辛いくらいだ。武士にとって生捕されるとは最大級の恥辱なのだ。たまらんなぁ。

しかし、私の中で恥ではない。また重衡が恥ではないと言っているような気がしたのです。
あっ。笛、琵琶。私は自分がやっていた管弦を思い出しました。この人も龍笛をやっていたのかも...私はふと思いました。
「状況が如何ともしなかったのだ。運命のような流れのようなものだ。」重衡が言っているような気がします。多分、自害もできない状況になったのだろう。捕まって処刑されるのは恥だが、それを悄々と受け入れ、死んでいった重衡...

その時です。私は自分が恥だと思っているある出来事を思い出したのです。
でも、どこかで聞こえます。「恥ではない」自分なのか重衡なのか、誰が言っているのかもう分かりません。その出来事自体は恥と言っていいです。それは、自分ではなんともできない状況、時であったのだ。その中で、あがき、なんとか、それ以上の愚行の中から這い出るだけでした...人に言えるようなことではないです。でも、あの状況、あの時、それをどうすれば全く無縁でいられたか。私の立場上それは無理でした。図らずも恥となるようなことに足を取られたけど、あれはどうともならなかったし、自分が起こそうとして起こしたことではない。仕方なかったのだ...それが恥であるとは思わなくてもいいのでは❓

私の恥辱的なある出来事は、何かあるたびにふっふっと頭をよぎり抜け切りません。
が、新緑の五月雨の中、「恥ではない」という声に、息が止まるような感覚を受けたのです。

源平の時代と昭和、平成の私の時代はまるで違います。そして重衡が生きて捕まったことと、私があることに半分絡め取られたことはまるで違います。でもどちらも、恥ずべきことだし、当事者なら己の不甲斐なさについて、忘れたくても忘れられないようなことだと思います。

時代背景も何もかも違うが、なぜか同じような気持ちを感じる...
もしかしてこの重衡さんって、捕まったのは自分の失態でなく、何か家臣がらみのことがあったのでは❓
そう思い、ウィキで調べたら、重衡が捕まったのは一ノ谷の合戦の時、信頼していた家臣であり、乳母の子である後藤盛長に裏切られたことによるとか。

やっぱりか‼️

私は過去生で武士であり、家来の裏切りで敵に捕まり、死んだということを言われたことがあります。このことで重衡が自分だとかなんだとかは全く別の話です。が、共感というか、このお能を見てから、薄暗い春の雨の中、雨にけぶる新緑を開け放たれた、どこかの居館の一室から外を見ながら、思っている。そんな情景が頭の中にずっとあり、それとともに「恥ではない」という思いが消えないのです。

もう、重衡の不幸も自分の恥と思い拭いされなかった過去も、一つの誰かの物語として完結し、何もなくなりつつあるような気がします。お能の「千手」はあのお香の匂いとともに自分の中にあり、自分の不甲斐ない物語まで、焚き上げ、昇華してくれているような。不思議で、優雅ですけど悲しい話でした。

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コメ兵で反物をまた買ってしまいました

白生地、ずっと買い続けているのに、もう買わないと思っていたのに、買ってしまいました。
紬の生地は糊をつけて折り上げているので、それ専用の洗剤で洗いをしなくてはいけませんが、手持ちのものは無くなってしまい、何も手はつけられません。在庫が増えるだけなのです。しかし、襖の張り紙替わりでもいけるのでよいのです。でも、また買ってどうするんだ。自分でも思うのですが、安さに負け買ってしまいました。

白生地はものにより様々で、値札が非常に安くて、一部分が黄変などしていてもそこだけで後は良い状態だとか、その場で見れるところだけ見て、生地の良し悪しを判断するというのが非常に面白いのです。ブランド品をみんなの評判で買うのとは全く別の目利きが必要です。誰もわからないが大化けする逸品を買う。そんな面白さが新古品反物を買うのがやめられない快感なのです。
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写真が縮小過程で変な風になっていますが、普通の織りの生地です。

織りはしっかりしていて、全て日本製。でも見えるところは少し黄変している。今回買ったのはそんな生地です。そして非常に安い。多分一般の人、また白生地からあつらえるという人でも値段と表面の少しの黄変で買わないだろうと思います。しかし、それは早計です。黄変の程度もそれほどではないし、織りもしっかりとしているしということで買いました。家に帰って中を検分したら、一番端の50センチ程度が少し黄変している程度で後は新製品と変わりませんでした。反物としての価値は十分にあります。糊をとる時にどれくらい黄変が取れるか分かりませんが、取れなくてもその部分は隠して着物として作れます。いい生地です。いいものがこれほど安くてもみんなその良さがわからないし、加工の仕方もわからないから余っているのだと思いますが、もったいないことだと思いつつ、ウハウハしています。


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それと八寸帯地です。これはバッグとか、何かに使えそうで買いました。節約と旦那に言っているのに、余計なものばかり買っています。欲望が消えないのです。いかんです。以上一点300円かける2点で600円でした。ついでに今日は観音様の日でその二割り引きで480円でした。ただみたいな値段でした。
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能 千手 名古屋能楽堂にて お香の匂いは❓

昨日は、知り合いと能楽堂の定例公演に行ってきました。お能は外の薪能は何度か見たことがありますが、能楽堂で見るのは初めてです。
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公演内容は 狂言 磁石 と 能 千手です。

知り合いと「狂言は学校で見たことがあるけど、能舞台での本格的なお能は見たことないね。」なんて話をしていると、先にお能の簡単な説明が始まりました。
今回の「せんじゅ」は平重衡が源氏に捕まり、鎌倉まで護送され、のち、また京都に送られ処刑となります。鎌倉滞在中のことです。武勇の誉も人望も、学も雅な芸事も堪能な重衡に対して、敵とはいえど頼朝は気にかけていました。慰めるために千手という琴や舞のできる女性を遣わします。雨の日の夜から、翌日の明け方まで、琵琶や琴を演奏したりして二人は過ごします。重衡は処刑を待つ身です。命を失うということを知りつつ、この夜も過ごす彼の心持ち、夜が明け、京都へと送られる彼を見送る千手の悲しみ。そんなことをお能にしています。
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私はあらましを聞いていて、「そうなのか」なんて演目もろくに知らずきていたので、説明を聞き逃すまいとよく聞いていました。
説明は内容ばかりでなく、「その時の情景、ちょうど今日のようにしとしととずっと雨が降り続いていたと想像して聞いてください」と背景まで言ってくれたり、舞台の真ん中に立つ前に、シテ 千手が少し躊躇して立ち止まるということについても言ってくれました。
千手は鎌倉のいわば田舎の鄙びとです。それが重衡のところにやってきて戸を開けようとすると、自分が嗅いだことのないような良い匂いが漂ってくる。当時の都人は高価なお香をたきしめていたのです。その匂いに千手は気が引けて少しためらう場面があるのだと事前の解説がありました。

そして、お能は始まりました。やはり、何を言っているか、ほとんどわかりません。イヤホンガイドがあるのでなんとかついていきましたが、わからないながらも舞台の周りでしとしとと雨が降っている雰囲気は漂っていました。

舞台には重衡他がいます。そして、シテ千手の登場です。これが不思議なのですが、しとしとと雨が降るのを感じるのです。千手が戸に手をかけます。

ここで私に異変が...
匂う。匂うぞ。
これって、沈香、白檀かな。えっ。さっき説明でシテが戸を開けるとき、良い薫物の匂いがしてその香りの良さに自分が野卑に思え、止まってしまうと言ってなかったか‼️
私はクンクン匂いを嗅ぎました。相変わらず匂います。能って匂いまで同時に出すのかなぁ❓そんなわけないだろう。もしかして自分の着物に自分の持っている沈香の匂いがついているのか、周りが持ち込んだか❓でも私の着物は香木をしまってある部屋には置いてないし、開演を待っている間、そんな良い匂いの人もいませんでした。

なんかなぁ。でも香木の匂いがしまくるぞ。

お能はずっと雨と良い匂いを感じさせながら、終了となりました。
お能は言っていることはあまり分かりませんでしたが、ストーリーや情景はよく感じることができました。また、シテのお面が私の能面のイメージ→怖いおばさんとまるで違って若く優しい女の子の顔に見えたので見やすかったです。

しかし、不思議なのは、あの千手が戸を開けるシーンから良いお香の匂いがずっとし続けたことです。鼻の錯覚だろうと席を立ってから通路で自分や周りの匂いを嗅ぎましたが、もうあの雅な匂いはどこにもありませんでした。なんだったのだろう。あの匂いは‼️

雨の降る能楽堂のミステリーでした。

休日の路駐OKのスペースは雨で空いていました。
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猫の現在

先々週、部屋の窓際とそれにつづく部屋の奥の片隅に猫がおしっこをまたもしていたので、またも猫トイレを買ってきました。
今迄のものより大きい四角い猫トイレです。

これでうちの猫トイレは三つとなりました。飼っているのは一匹なのに、トイレは三つです。一度畳への放尿癖は無くなったかと思ったのですが、平気でおしっこをしているのを発見し、また、おしっこ痕も発見したので、三つにせざるをえません。

トイレを三つにして、かつ猫砂を細かいヒノキの砂にしたところ、今のところは放尿癖は治っています。なんとかこのままいってくれれば良いのですが...
旦那はおしっこの始末はしないので呑気に構えています。でも、私は散々やってきてその後の自分から漂う猫のおしっこ臭に参ったので、本当に治って欲しいと祈っています。
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早すぎる梅雨入り

南の方では梅雨入りだとか。早すぎますね。昨日はこちらでも30度を超えました。暑いです。猫がいやに床にお腹をくっつけいてるなぁと思っていましたが、暑いからなのですね。

今現在でも27度くらいあります。明日は雨らしいです。暑いし湿気はあるしで嫌ですね。明日は名古屋城近くまで出かけてきます。雨のなかを歩きたくはないです。でも、車で行くのもなんです。バスか地下鉄か。晴れていたら問題ないのですが、どうしようか。雨のふり具合をみてから決めることとします。

梅雨に今から入るとすると、七月半ばまで2ヶ月近くもあります。長すぎですね。昨日はたまたま売春島のルポを読みました。ヤクザに入れ上げ、吸い尽くされてもまだ身を捧げる女の人たちの話、怖いです。ここまでいくと人間を超えていると思います。ふと、小室さんとまこ内親王を思い出しました。恐ろしい話です。あの伊勢志摩サミットの開催地の近くでもあったなんて、天国と地獄の差を感じます。

私たち庶民にはわからない世界です。
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こムロさんを霊視動画、見つけました

小室さんをお母さんが操っているのではなく、
お母さんが小室さんのパシリだったのか

皇室の行方

偶然、これらの2本のユーチューブを見つけました。聞いているとなるほどと納得できます。
ただ、なんでも全て信じるのはまずいと思います。この霊能者さん、高須先生をベタ褒めです。うーん、高須先生の暗黒で、弱いところや、気位がめちゃくちゃ高く、庶民を屁とも思ってないところは見えてないです。霊能者さんのいうことも全て信じてはいけないと思います。大魔王、コムロのことはなるほどと思えますが‼️
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草鞋を弟が売っている夢

どこかに車で行きます。途中、山道のようなところもヘアピンカーブも越えていつの間にかどこかの縁日のような歩行者天国のようなところに来ます。とはいっても薄暗く、昭和なレトロな感じです。

あんまりこういうところ好きでないなぁと思っています。

すると同行した弟らしきひとが、草鞋を昔の縁日のお面売りみたいにザーッと上から下、右からひだりに掲げて売っています。その草鞋もその光景も全て灰色っぽく、古臭く、草鞋ももしかしたら中古かもしれないという雰囲気です。私は実際は弟はいないのです。弟らしき人も胡散臭く、こんなしみの匂いがしそうなところ嫌だなぁと思っていたら、目が覚めました。
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花も虫も変わってきます。春から初夏

いつもの散歩道を歩いています。今までは雪柳やツツジなどが盛んでした。今は白い苺のような花が咲いています。花もどんどん違うものが咲くなぁとみていたら、青い蝶が寄ってきて蜜を吸っていました。この蝶の青い色は染色で出したいと苦心してやっと出したのに、コロナで作業場にもいけずからびてしまった青です。
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また、緊急事態宣言が出てしまったので、大学の作業場はまたも閉鎖です。作ってはからび、捨て、作り、それを繰り返して何も続かず、今年もコンテストには出せそうにありません。
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つくづく良かったと感じていること

昔、ひどい団体に関わっていたことがあります。そこではその団体にお仲間を連れてくることが必須でした。お仲間を連れてそこに引き入れるとそこでは素晴らしい人として評価され、そこでの立場も来世の立場も非常に良いということでした。

私は同級生に誘われてそこにしばらくいたのですが、そこで御多分にもれず新しい人を連れてくるように、活動を強制されました。私はそれでそこの考えがまだ否定できらず、また肯定も100パーセントできなかったので、そのようなことをするのに非常に悩みました。周りの人たちはそこの考えを完全に良いものと思っていたので積極的に勧誘活動をしていたのですが、私はそこでは志の低いやつと見られていたように、そんなに積極的にはとてもできなかったのです。

ある程度そこの考えに納得していたのですが、全てではなく疑いもあり、みんなのように100パーセントではありませんでした。そこで、私は低いやつの行動そのものをしました。わざと勧誘はしなかったのです。勧誘のふりだけで誰もそこに引き入れることはやめていたのです。

わたしは自分自身でその団体の考えに疑いもあるし納得できないこともあるました。もう、これ以外の選択はありませんでした。
ーもしかこのような団体に他人を引き入れ、それが間違いだとしたら、その人の一生どころか、魂の続く限りひどい世界に引き入れてしまう。そのような事態になった時責任は取れるか❓あとであれは間違いだったとなったら、その人に対して何をしても償うことはできないだろう。ー

結局私は自分で決断しそこを去ったのです。その後、そこの団体の悪評を聞くにつれ、思うのです。
良かった と。
自分が少なからずあのような危険な団体にいたことは損失です。が、他人を引き込まなくて良かったとつくづく思っています。時々思うのですが、あの時積極的に活動をし、人もたくさん勧誘した人たち。その後間違いに気づいた人もいるでしょう。そんな時、自分が引き入れた人に対してどう思うのでしょぅか。私はそれを考えるとホッとするだけで、その先を考えるのは恐ろしすぎて考えられません。自分の人生、いろんなことがあり、やっとのところでセーフということもありましたが、この人を引き込まなかったということは本当に良かったことだと思っています。
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いまわしい記憶をわざと思い出したら。

思い出したくないし、考えたくない記憶がふっと頭に浮かんできて嫌になることがあります。こんなことは気にせずにいれば良いですが、そうはいかず困っていました。先日、そんなことを記録するという策を授けてもらいました。瞑想時に湧くとか、ぼっとしているときや本を読んでいるときなどに湧くとか、どんな時かは関係なく、私は何を思い出したくないのか❓この間不意にわきおこった記憶をたどりにその記憶たちの整理を考えました。

すると❗️これは意識してなかったのですが、昔のことで思い出したくないとか、嫌だったとかの記憶のうち、悩まされるのは、、加害者の立場に少しでも立っている場合だけでした。自分が意図的であったかどうか、巻き込まれた場合も入れてますが、自分が少なからず黒に染まっていた時のことなのです。
そして、思い出したくない嫌なことで一方的に被害者の立場の時、それはそれほど鮮明に映像も現れず、その時の思いも、全ておぼろげなのです。そしてあれほど恥ずかしい立場でやられていたにかかわらず、それを恥ずかしいとも自分は思っていないし、加害者の立場のひとたちにもなんにも感情はないのです。そういうことはあった。でも、その写真は燃えてしまい、灰しかない。そんな感じです。

記憶にとらねばわからんかった...こんな感じだったのか、わし。

これを書き出して思ったことは、
わしはこの地球にいるのだ。重力を等しく受けている生き物として、どうしても食う立場、えげつないことを思い、しでかす呪いの血をこの体の中に持っているということだ。でも、自分を律し、損しても苦しい人に手を差し伸べてしまう自分もありなのだ。悪いやつ、いいやつ、両方を自分が持っている。いけない自分を正直者の自分が責める。悪い自分を自分の中から取りきれず、善なる自分もまいる。この苦しい自分の中のせめぎ合いはいくら清廉潔白な人でも同じで、重力と光と影とその中に存在している限り、呪しい血から生まれ出る邪悪さは滅することはできないだろう。こんな地球の片隅のちっぽけな人間のささやかな濁りでもそれは大いなる純粋な悪と繋がっているのだ。

これはどうということなののだろうか。

私は旧約のヨブ記を思い出しました。
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。
ヨブ記38章31節

私はヨブ記は悲惨すぎるし、この神様、威張っていて冷酷でひどいしどうも好きではないです。しかし、このブレアデスとオリオンの一節はスピで有名です。この一節をみんなはどう言っているか、忘れちゃいました。が、なんとなくこの記憶を書いてそれを考えてみてから、プレアデスって、この地球で生きている人に流れる邪悪な血じゃあないかと思えてきました。プレアデスの鎖を結ぶ→地球人として生きている未熟で邪悪な素質を持っている私たちは、その血に鎖をかけよ。制御せよということかなぁと思っています。

次元が高くなり、地球人から卒業[肉体を脱ぎ捨てたら]したら、そのような血の縛りはなく魂の自由に身を委ねることができるけど、今の段階では、自分を痛くても正直にみて、暗い暗黒も自分だと自覚しそれを制御するのだということでしょうか。いずれにせよ、この世は光だけでも暗闇だけでもないので、自由である魂は苦しみつつも、光と自由を希求するのだとは思います。オリオンの綱を解くとは、もしかしたら、この世の世俗的な縛りを解き放ちできる限り己の魂の欲求に従えということかもしれません。

これは自分のいまわしい記憶から思った私の考えなので、これが正しいとかはわかりません。
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爪に火を灯し生活

この4月から所得が激減しました。そこで爪に火を点しながら生活することを考えています。

今までより減らす、なくすこと
1モーニングによく行くこと
2新聞
3休日の昼食を外で買ったり、外食したりするのを止める

よく考えるとこれぐらいしかまずはありませんが、旦那がモーニングに行きたがるのでなかなかモーニングを減らすのも難儀です。今のところ今までの60%ぐらいです。
新聞はやめましたが、旦那がまたとると言いそうです。難しいです。
昼食は旦那が外で買ったりするのをやめないので難しいですが、できる限り家で食べるようして今までの60パーセントの外買いとなっています。

節約。全てに旦那がネックです。お買い物、ショッピングセンター、好きだし、行くと何か買うし。贅沢は二人ともしませんが、旦那は「食べ物くらい好きなものを食う」というので、好きなものを食べれるというのはいいとはいえ、節約はそうできません。

もともと我が家はそんなに贅沢はせず、ブランドものはないし、車も家も中古だし、食べ物と年に何回か行く小旅行に出費する程度でそんなに金は使わないのですが。旦那に言わせると今まで子供にかかっていた教育費が全く無くなったからそんなに節約しなくても大丈夫というのですが。今の世代、六十から六十五までの再雇用の間の生活がなかなか大変だと思います。

たまにどこかに出かけるのを止めるのも嫌だし、旅行はぽちぽちするとすると、やはり日常の細々としたものを削るしかないと思っています。バイトをするのも手ですが、ちまちまバイトをするより金をそれほどかけずに遊んで暮らすことを私は取ります。今の年齢になり、あとどれくらい生きれるか❓そう長く生きる気はしないのでこれからの残りの人生はバイトなんかせずにやっていこうと思っています。

二人で泊まりの旅行に年に二度くらいは行って、なんとか過ごせれればいいかなぁと思っていますが、大昔の私の東京でもらっていた給料より少ない月給を見ると不安になります。どうなるかなぁ。まずい場合はその時打開策を打ちます。きっとこの三十年、物価は同じどころか下がっているためでしょう。スカートひとつにしても昔は3980円で安いものでした。今は980円、1980円で普通にあります。今の七十以上の人にはわからないでしょう。こんな感覚は❗️でも安定して職があるというのはありがたいし、旦那のストレスは激減したし、良いのです。

旦那のことばかり言って、実は今日、ブラウスを買ってしまいました。涼しげに見えたし、あまり大き過ぎなくて良かったので買ってしまいました。あぁ。今年は何も買わないつもりだったのに、1900円税抜きでした。プラス袋代金二円 総計2092円也。なかなか節約の道は険しいです。しかし、この程度だと本当は爪に火をとまではいかない気楽な生活だと思います。すいません。

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マスクを追加で作りました

マスクが少なくなったので、また作りました。西村大臣風マスクです。このタイプのマスクは布が折り重なったところが硬くなりがちで、針が何本か折れました。本当は夏の涼感素材のシャツやズボンの残り布で作れば快適なのですが、ないので手持ちの余り布で作っています。裏地はガーゼを使用しています。

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また暇な時に立体マスクを作ります。
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花フェスタ公園は人がいっぱいでした

バラがそろそろ見頃だろうと、花フェスタ公演に出かけました。いつもはそんなにいないのですが、コロナのご時世でも人はいっぱいでした。ただ、いっぱいなのは子供の玩具があるところや盆栽みたいなものの展示など、あまりバラ園らしくないものに人が集まっていました。

バラといえば、寂しく、ほとんど薔薇の木も昨年から植え替えしており、小さいのばっかりの上、開花もほとんどなく寂しいものでした。一本だけ満開のものがありました。綺麗でしたが、これではうちのバラの方がたくさんじゃあないか‼️とがっかりしました。
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広いところに小さな苗が一本だけ。残念です。今年はカニのバラ園、やめたほうがいいでしょう。うちはもう年間パスポートを買ってしまったので行きますが、今のところおすすめはしません。
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久々の夢は全て忘れてしまいました

少し体調を崩し、頭痛がひどくなりました。真冬並みに着込み、分厚い羽毛布団でまた寝ることにしました。それからよくなり、昨日は何ヶ月かぶりに夜起きずに朝を迎えることができました。これは体を外から暖めたことと昨日は鰻丼と肝吸いを自分で作ったのを食べたことで、内側から体が温まったことによると思います。

さて、この頃、私は墓の夢をみます。今回も墓と何かをみましたが忘れてしまいました。メモを取ったりして目が覚めてしまって体が冷えるのに嫌だったのでそのまま覚えておくことにしたのですが、忘れました。墓は自分のではなくいろんな墓の夢です。今度見たら記録に取り、書きます。

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徳川園へ出掛けました。

旦那の前の職場での福利厚生で選べるギフトがあり、今回は徳川園のレストランのベアランチを選びました。退職祝いを兼ねて行ってきました。
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どうせなら着物で行くこととしましたが、雨がぱらつくとの予報もあり、骨董市で買った大島を着て行きました。これはあんまり似合わなし、匂いもあるし、失敗した着物なので雨でどうなってもいいのです。古着も躾のついたものしか買いません。コメ兵のは安いのに匂いも溶剤臭もしないしカビもないのですが、骨董市の躾付きの着物。2枚で六万ぐらいしたのに、どうも匂い、溶剤臭、カビ臭が取れてませんでした。前、散々干した時は取れた感じがしたのに、久々に取り出して来た後、部屋に干したらどうも部屋の空気が汚れている感じがしました。徳川園には着て行きましたが、捨てるかもです。やっぱり着物は古着ならコメ兵のみ。できれば仕立て前の反物で買い、自分で仕立てるか仕立て屋に頼む方がいいですね。古着屋やデパートの古着はよくないと私は感じています。うちの着物は明治生まれのおばあさんの羽織ですら、カビも匂いもないし、コメ兵で買ったもの二着も同じです。なぜこうまで状態が異なるのか不思議です。

帯は東レシルックの水色の八寸帯です。随分前に自分で仕立てました。非常にしめやすく緩まない良い帯です。
帯締めは丸ぐけの瓢箪柄のもの。帯揚げは少し暗い赤のものです。
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着てみたら、なんか料理屋の下働きみたい。徳川園で働いている人に間違われたら嫌だなぁと思いましたが、レストランはフランス料理だったのでそんな格好の中居さんはいませんでした。

フレンチはホウボウや浜防風、平貝、タスマニアマスタードなどなど、材料に凝っており、おいしかったです。デザートの中にはイチゴのシャーベットが入っていました。デザートプレートには事前に「定年お疲れ様」と文字入れを頼んでいたのでそれをみた旦那が「おぉ」と一瞬喜んでいたのが良かったです。
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庭の薔薇が咲いています

今年は虫にも病気にもやられず、たくさんの花をつけています。
ピエールドゥロンサール
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プルームーン これは蕾から咲き出したばかりです。なので写真よりも大きく実際は咲いています。
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この頃ようやくアイスバーグも咲き出しました。写真はないです。
去年の秋と今年の冬に薔薇専用の餌をたっぷりやったので、薔薇たちも喜んで咲いてくれました。
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忌まわしい記憶と記録にとること

私はちょくちょく、昔の忌まわしい出来事が脳裏に蘇り、それが止めようもなくどうしようもないのです。自分がしでかしたこともあります。また、図らずも被害として受けざるを得なかったこともあります。

罪、恥辱、苦しみ..いろんな思いと共に蘇る記憶は思い出そうとしなくても勝手にありありと出てきてしまいます。それはなかなか制御できないというのが一番の厄介なところです。スピリチュアルだと、このようなマイナスの思いは切り捨てていつも朗らか、幸せいっぱい、光の子と自分を自覚して生きよと言っています。なんかそうでないとこのアセンションの流れに脱落するような雰囲気が光にみちたすぴ世界では満ちています。

しかし...なかなか私はそうはいかず、いつまでもマイナスの過去のことが頭に出てきてしまいます。たまにパワースポットなどに行くとそこの何者かが、「もうそんなことは終わったからいいぞ」なんて言ってくれる気配はあるのですが、私の深いところでいつまでも昔のマイナスの出来事とそれにまつわる自分への鞭打ちが止みません。

どうしたらいいか。つい、このことを語ったら、まさとさんのブログに、記録に書くということが言われていました。はっ、これはいいと思いました。そこで苛まされる嫌な記憶が勝手に蘇る前に意図的に自分で思いだし、それを記録にとどめて分析しようと思い、始めかけたところ、意外な展開になりました。

無理に自分の意思で思いだし詳細にそれを文で書こうと{それは恥でもあり、とても嫌な暗闇の中に置いておきたい、辛い事柄なのです}したところ、頭からひっばり出そうとすると、そのイメージが、まるで影が光で溶けるみたいな、氷が水になり気体になり何もないかのような感じになります。そんなわけでがっちりとしたイメージがとろけてしまうのです。

変ですね。過去って形があるものと思っていましたが、過去のことから始まり、自分の思っている世界は形が本当はなく、あったことと思っていることも、自分が作り出していることかもしれないと感じました。ただ、自分の昔の恥ずべきこともなかったこととしてノーテンキに自分は光などというのは変すぎるので、もう少しこのことは追ってみようと思います。暗い隠したいことは意外と明るみに出そうと正面から向き合ってみるといいのかもと思ったりしています。

今度はふと、自然に忌まわしい記憶がありありと出てきたら、必ず記録にとりどんなか感じか、見てみたいと思っています。どっちみち、自分の暗黒や腐ったところにこそよく目を凝らさないと永久に終わらないと思っています。
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3月に着た着物

1ヶ月に二回、着物で出かけると決めて半年くらい過ぎました。結果はというと、去年の秋に美術館と着物でランチというイベントに一回。友達との再会に一回。年が明けて令和三年となってから、3月に東三河に出かけてときに一回。4月になり、桜の季節に神社参拝とフレンチを着物でというイベントで一回。そして今日、徳川園にランチに出かけ、一回。

なかなか月一回とは行きませんが、それでも去年の秋から今日までに五回着ました。3月の着物一式をブログにあげてなかったので出しておきます。

黒地のチェック柄の米流大島に赤の八寸帯。青い帯揚げです。まだ肌寒かったので、羅のチリよけを着て出掛けました。
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帽子を作っていて、思ったこと

帽子を先週作りました。作ってみて感じたことがあります。それはものの見方ということです。私はこのような立体のものをあんまり作ったことがなかったので今まで気づかなかったのです。でも、帽子を作ると立体というものを正確に自分は見ていたのか❓見ていたとしても全てを見ていたか❓なんてミシンを動かしながら思ったのです。

帽子はおでこがわと後頭部側、左右の側と四面があり、それを上から見た形と下から見た形があります。どれも形は違います。その上、それは帽子の外見とも言える外側でその内側があります。それが裏側となるのですが、そのまた表地の裏側に裏地がつき、その裏地にも裏があります。しかし、全てをいっぺんに見ることはできません。前からみると前面の表地の形が見え、裏返すとてっぺんに向かって裏地が見えます。後ろから見ると前側は見えないし、普通はひっくり返しても表地と裏地のくっついている両方の裏側は見えません。でもあるのです。

私は帽子の表裏前後左右、上下、をみて、帽子は全体で帽子である。横から帽子らしい姿を見て帽子だと我々は認識するが、例えばそれをひっくり返しウラ生地の後頭部側だけみて帽子だと思えるだろうか❓ただの薄い布が縫い合わされたチンケなものだと思う人もいるかもしれない。

やや、待てよ。もしかして、私もこのような見方をしていたかもしれないぞ。帽子なのに、目立たないその一部分だけ見て「何これ。何にも役に立たない」と思っていなかったか❓
現実世界で存在している帽子みたいなありふれたものでも、見方によっては帽子と見ることができないことがよくあるのでは❓なんて思ったのです。本当はちゃんとした人なのに、みんなの見やすいところではその能力を出してなかった人が軽んじられ、軽く扱われるなんてこと、あるのでは❓なんて帽子を見ていて思いました。

かつての自分や友達もそうですが、もしかしたら、先生たちも自分たちもが決まりきった一定の見方しかしてなかったから、劣等生だったかもしれないなんて思ったりしました。いろんな角度から物事は見ることができるのに、私たち人間はその一部しか見てないのかもしれません。それよりも本当は人間はどんな角度からもいっぺんに物事を見ることができるかもしれないけど、物質的な観念に囚われ、帽子ひとつ、子供一人、まともに見えてないのが現状なのでしょう。
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プロフィール

工芸美術をやっています。2017年からスペイン語の試験を受けています。が、ドンキホーテはいまだに完読できていません。握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
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