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迷惑おばさん叫ぶ

10/26月曜日、リコール事務所から名古屋駅までバスに乗ったと思ったところ、栄行きでした。そのバスに乗り込んだのは、11時ごろだったか。後から考えると名古屋行きにしてはほぼ座席も埋まり、いっぱいだなぁと思いつつタラップに足を踏み込んだところ、女性の金切り声が...

「マスク...」なんだかんだ。乗り込む時だし、すぐに座るところを探すことで忙しくはっきりとは聞き取れなかったのですが、女性の声で「マスクをしてないのは✖️...」なんて注意というか、叱責の言葉が車内に響きました。

おっこれは‼️女性の運転手さんが厳しく客に注意しているのかなぁ、それとも乗客かなぁと思いつつ、誰が誰に言われているのだろうと車内を伺ったら、前方にいました。ノーマスク男が。あの数年前に殺された金正男をキツくしたようなお兄さんがマスクをせずにスマホを見ていました。ぁぁ、あの人が怒られたのだろうか。それにしてもあの声は誰だったのだろう。そのままバスに乗っていたら、またも大声で叱責があったのです。前方の一人座席に座っていた中年の杖を持った女性です。

「スマホをやってはいけない。マスクない人はハンカチで口を押さえてください。迷惑です。etc」なんか色々と言ってました。そのうち、まさおが、「うるさい。お前が迷惑なんだよ」と応戦し始め、これに杖おばさんがまたも「マスク、スマホ」と言い返します。車内はドーンと重くいやーな雰囲気になりました。

私はマスクを一応口にはめていて良かったと思いました。でも、怖いよー。まさおでなく、あの杖女がです。
すると杖女の裏に座っていたおじいさんが杖女の肩をちょんちょんと突きました。
「やめておこうね」
杖女の口撃がピタリと治りました。

あぁ、良かった。なんとか治ったわと思いました。でも、恐ろしいです。マスクしてなかったら、杖で殴られないにしろ、無茶苦茶言われていたなぁ。でも、いくらマスクをしていてもあんなにでかい声で叫び続けて、おまけに何も喋ってなかったまさおにまででかい声を出させて、コロナ予防としては逆ではないか❓何にも喋らなかったら呼気から何も出ないけどでかい声で喋ったら、コロナに感染していたら周りにうつすのではないかなぁ。

マスクをしろとか、口を布でおおえと言っていたが、そんなことより喋らんほうがいいと思うのだが。自分はうつってないと思っているのかなぁ。そうだとしても、大声の応戦をバスの中でやるのはなんの益もないと思うのだが。恐ろしいから、バスに乗る時はイスラムの人みたいな顔全体を覆う布をかぶったほうが良いかもと思ったりして。
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松平の里と鮎料理

松平では家康を神と祀る東照宮と松平家の菩提寺の高月院に行きました。私は今年の一月に静岡の東照宮に行って家康さんに「○○殿」と親しげに話しかけられる感覚がありました。その後、地元のある古戦場趾にリコール関係のことで訪れたのですが、なんとなくここでも家康さんに話しかけられ、背中を押された感じがありました。目的地までは工事中でまっすぐ行けず、迂回したところ、徳川家のX代の殿様の墓に出くわしたのです。そこでまたも何かを家康さんに話しかけられた気がします。ここは家康がなんとか勝ちはしなくても持ち堪えた戦さ場なのでした。

ですので、家康の先祖の松平氏発祥の地へ行くと何か感じるだろうと期待をして行きました。が、何も感じず、何もありませんでした。家康の祖先や、反対に家光やそれ以降の将軍の縁というか、帰依は松平にはあるのですが、どうも家康さんそのものはそうここには思い入れがないのか、東照宮でも何も感じなかったのは拍子抜けでした。でも、ここは天井画が綺麗だし、ネギ様も熱心だし、田舎の気さくな人で威張ってなく、いい感じでした。

松平を去り、矢作川の鮎を食べました。ここの鮎は天然みたいで小さいですが、炭火でカリッと焼いてあり、頭から食べてしまいました。
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簗場には鮎が飛び跳ねていました。でも、もう鮎の季節はこれで終了です。
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山の奥の簗場です。
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帰りに関谷酒造に寄りました。酒の原料の米を蒸して広げているところです。小さい酒蔵で、あんまり見学もできず、こんなところならうちの近くのクンペキ酒造を見たほうが数十倍楽しめると思いましたが、言いませんでした。
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種まきと着物と帯合わせ

だいぶ秋分からは遅れました。でも今からでも遅くないでしょう。今週初めから少しずつ庭の草取りをしています。怠け者なのであんまり量はしてませんが、花壇スペースが空いたので、今日、春菊とエンドウ豆の種まきをしました。家を背にして花壇の左半分を春菊。右半分は他の種を巻く予定が、どこかにいってしまってありません。しょうがないのでそのまま空けておきます。

午後は今週末の生花展に着ていく着物一式と、来月美術展に着ていくもう一式を選んでいました。着物は進んで着ようと思わないとめんどくさくて何年も着ずに終わってしまいます。これは老人になりかかった私にとっては大問題です。とにかくこの肉体があるうちに、できるだけ着ないと地味な着物でもタンスの肥やしとなって終わりです。
そこで、決めました。11月から三月までは月に2回は着物を着ます。

この宣言、いつまで続くか❓自分でもあてにしていませんが、着物は買わずに着るということにします。でも、大須の着物やさんは行きたいなぁ。着物はあんまりなくてもある程度あると選ぶのもめんどくさいし、出し入れも大変なのです。買うのはやめようと思いますが、着物の白生地はたんまりとあるので、自分で染めることにしますが、そうするとまた増えちゃいます。疲れるなぁ。
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ようやく背中の子泣き爺いが去りました

リコールの署名活動をし始めた日、会場で肩甲骨の間が重く痛くなりました。肩も少し重く、姿勢が悪いかなぁと思っていました。それから、寝ても起きても背中の重さは変わらず、痛いなぁ、重いなぁと感じながら街頭署名などをしていました。

21日だったか、この日で自分の街頭署名はやめにしました。すると、あれだけ重かった背中が軽くなりました。「あれ❓」体が楽になり、のびのびと鮎ツアーに行きました。そして26日、集めた署名をリコール事務所に持って行きました。帰り道、軽くなったと思った背中と肩がもっと軽くなりました。なんとなく子泣きじじいが憑いていたかもしれないと思っちゃったりして。私なんかに憑いてもそうたくさん署名は集めれなかったから、じじいも誤算だったと後気づいたと思いますが、すでに遅ーし。まぁこれくらいで勘弁してくださいということで、署名の少なさにも納得して背中を降りていったように思えます。
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さて、事務所からの帰り、バスを乗り間違えて「栄」終点のバスに乗ってしまいました。
いいのです。私には歩くことが必要だということだろうと思い、歩いていたら、ー高須石材ー、カツカレーなんて看板を見ました。

むむ...栄←高須→カツ
これはリコールは栄え、高須先生が勝つということかもしれないと勝手に解釈しています。
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リコールで意外な効果が

リコールが始まってから、あちこち歩き回ったりしています。チラシをまくのから、会館の予約、街頭署名。そうたくさんはやってないのですが、思いがけない良い効果が体に起きました。外国語の試験のために座ってばかりいていつの間にか足の関節が痛くなっていたのが、毎日少しずつ薄まり、足の不快感も無くなって行きました。

リコールって、不思議に私の体の不具合を測ったようにそれを正し、改善すべき時に始まったような気さえします。不思議ですね。ボランティァと言いつつも、反対にそれで自分の足の関節が直っていく形になっていたのです。普通だと整形とか、ジムとか、整体とかに行って運動療法などに通うところが、何も手も金もかけずに足がよく動いて、痛みもだんだん減っていったのです。

このリコールがなかったら、のんべんだらりとしていてもっと足の回復も遅くなっていたかもしれません。ボランティアをしているようで反対に、ただで足を直してもらっている。お得だなぁ。と思っています。

誰か偉い人が大金を懐に入れるためにうまいことを言ってみんなにボランティアをやらないかということは多いです。でも、誰もそんなことはなく、本当に偉い人から、ただの庶民まで、みんなただ働きのボランティアって、私の足のように思ったこともないところで何か恩寵のようなものをいただけているのではないかと思います。
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一部を除きリコール署名期間、終わりました。

リコール期間中はありがとうございました。ブログで広めてくださった方々、協力してくださった方々、ありがとうございます。そして全身がんでありながら、ずっと街頭に出てみんなに呼びかけてくださった、高須先生、本当にありがとうございます。病気なのに、あれほど頑張られるとは、びっくりと同時に心配です。また、連日ボランティアとして時間とお金を投じてこの署名活動を進めてこられたみんなにも感謝します。私の呼びかけで署名をしてくれた友人知人、街頭の行きずりの人たちにも感謝です。でも、私はほんのちょっぴりだけで、恥ずかしいです。

どのくらい集まったかな❓私の地方の署名状況を考えると厳しいと思ってしまいますが、名古屋市内がずっと伸び続けていて、どのくらい行っているのか、見当もつきません。ここまでの大変さを思うとぜひ、リコール成立するようにと、思っています。

名前も知らないボランティア仲間が「悔いは残したくない」とよく言っていました。そうなんです。悔いはしたくない。どうなるかわからないけど、自分にできることはする。そうしないと不消化の思いが残る。そんなふうに思いつつも、いざ街頭に立つと一瞬怯む。でも、そこを一歩前に出る。そんな繰り返しでした。
自分のダメさや怠け癖、リコールにのぞもうと思うたびに痛感します。でも、やらなくてはならないし、悔いはしたくない。そんなことがふっふっと頭によぎる。それがリコールの日々の瞬間瞬間の私でした。やっぱり私は名もない民草の一本です。でも、そんな一本一本の無名の草々が高須先生や河村市長と一緒になり、大きな妖怪を倒すのを夢見るのです。

庶民の夢、どうなるかわかりませんが、まだリコールも豊橋などでは続きますので、知人などへの署名依頼は続けます。
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バスツアー ほとんどなくなっているらしい

鮎ツアーは愛知県の補助が出るツアーでした。バスはカッコーツアーです。カッコーは前はこちらの地方ではあちこちから毎日何台も出ていて、PAで休憩のときなど同じカッコーバスを見つけて間違える人も多かったと思います。バスガイドさんによると、それが今は一日1台出るかどうかというところらしく、GOTOでもあまりお客は集まらないらしいです。

やっぱり、コロナが心配という人が多いようです。でもコロナって、普通のインフルより死亡率は低いし、死んだ人も年寄りやリスクをもともと抱えている人がほとんどなのに、みんなの慄きぶりは過剰に思えます。もう、恐るより経済を回すべきなのに、バス旅行なんかもってのほかと思う人も多いようで、驚きます。

私はコロナはそう恐れなくてもよい普通の風邪と変わらないと思っているので、とても違和感を感じます。
が、こんなことを書くとまたもいかんやつとメールでお叱りがくるかもしれませんね。でも、みなさん、それをする前に、感染学の尾身先生やみかも先生などの説明などを聞いたり、実際の死亡患者の実数やその中身をよく調べられたらどうでしょうか。いたずらに自粛ばかり、気をとられてると経済が困窮して死ぬ人がもっと出てくるのではないかと思います。

私は旅に出るのは好きだし、旅行会社も潰れたりすると嫌なのでできるだけ、旅に出るようにしています。慎まないです。私は子供の頃、何回か感染症にかかり、死にかけたこともあるし、インフルも普通の子供より頻繁にかかりましたが、生きています。人の生死はいくら予防や策を講じてもどうともならない時はならないし、自分の思うようになるものではありません。無策を勧めるわけではないし、予防策を否定はしません。しかし、必要以上に恐ることはないと思うのです。

よく思うのは、昔子供の頃、インフルにも感染症にもほとんどかかってなかった丈夫な人たちが、「インフルが心配」とか言って予防注射を必ず打ってますが、もともと丈夫な人がなぜあんなにインフルを恐れて予防注射を必ず打つのだろうと不思議でたまりません。

余談ですが、私は医者に予防注射は集団のは受けてはいけないと言われ、小学校低学年までは医者がよしとしたものをよしとした時期にしか打ちませんでした。その後、インフルの予防接種が学校であったので受けていましたが、よくインフルにはかかりました。が、高校になり、予防接種を受けなくなってから徐々にインフルにかかるのが少なくなりました。そして今は10年に一度ぐらいしかなってません。もちろん予防注射はしていません。

みかも先生によるとインフルの予防注射でも40パーセントしか効果はないということですから、予防注射の効果もそう期待ほどではないと思いますが、みんなは予防注射に絶対の信頼をおいているようです。が、色々と病気にもかかった私からすると自分の体力、免疫力をつけるのがいちばんだと思います。
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どんどん月日が経って変化している夢

私は大きな古い家を買って住んでいる夢をもう二十年以上見ています。

最初は大きな家を買って住んでいるのですが、私はそれを大きいと思ってはいないのです。なぜならその家の一部だけしか住んでないし、住めないのです。また、自分の住んでいる部分の上の階は広い広間や、たくさんの部屋があるのですが、なぜかそこには足を踏み入れることもできず、使えません。なんとなく気味が悪く、入れないのです。また、その裏の敷地にも家があり古いのですがそこにも行けません。
なぜならそこは私の家なのに、知らない老婆が「ここはわしの家だ」といい、こちらを罵り、とても入れるような状態ではなかったのです。

というわけで自分の家の全体の半分にもならない少しだけで暮らしているのです。以上が20年以上前からしばらく見ていた夢です。

それから月日は流れ、いつの間にかあの老婆が敷地からいなくなっていました。そしてあの裏の古い家も無くなっていました。そして、昨日私は夢を見ました。夢の中でなんと私はあの家、敷地を売ってしまっていました。「広くても使えないところが多いから売ったのさ」なんて私は言ってました。それを夢で見ている私は「少しもったいなかったかも」なんて思っていますが、「まぁそうだな。あんな家は売って良かったのだ」なんて思っているのです。

面白いですね。わざと見ようとしているわけではないです。でも、ずっと家の夢は見続けていてそれがだんだん状況が変わってきています。今回はもうあの家は手放し自分の家ではなくなりました。この次はどうなるのかなぁ。できれば、きれいななバラとハーブの庭がある素敵な家がいいな。老婆とか、変なお化けのような古家の主もいらないし、古民家はもう遠慮して木造の薪ストーブかなんかついたおしゃれな家に、旦那はもちろん、犬と猫もいたりして。そこには時々子供の家族も来たりして。そんな夢を見たいなぁと思っています。
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あゆツアー 1

今日は前から予約してあった鮎ツアーに行ってきました。ツアーといっても県内をちょこまか廻るものです。徳川氏発祥の地、松平の東照宮と高月院に寄ったあと、やなで鮎づくし。その後、お菓子屋さんと造り酒屋さんによる旅です。
松平は昔はちょくちょく尾張から東三河に抜けるのに横目で通り過ぎていましたが、松平って非常に山が迫っていて道も狭いのでどうもそこまで行く気にならず、そのままでした。

今回はバスツアーなので道を心配せずに行けたので良かったです。徳川家の発祥の地がこんな山の狭いところだとは、みんな驚くと思います。ほんと辺鄙な田舎なのですよ。
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今日はほとんど雨でした。東照宮の駐車場から傘をさして沓脱場に行き、中に入ったら素晴らしい天井画がありました。四季のここ松平の花だそうです。四隅には徳川ゆかりの三つ葉ならぬ双葉葵が描かれ、中にはなんとドクダミもありました。地元の漆工芸家の方が作られたそうですが、制作時からまだ月日が経っていないので色も鮮やかで美しかったです。

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10月初旬、田んぼ

近くを散歩した時の写真です。実はこの時、鳥がいて写真に撮ったのですが、その写真、どこかに行ってしまいました。
ずっと何年も無農薬の玄米を買っていたことがあります。旦那の同僚が田んぼもやっていてそこから買っていたのです。しかし、その同僚さんが急死し、それからは無農薬の玄米は買っていません。

外を歩くとそこらじゅうに米はあるのですが、農家に知り合いも何もいないので先日ホームセンターで新米玄米を買いました。こういう田んぼをチャリで行けばそのまま名古屋市営の地下鉄にも乗れます。名古屋って田んぼの近くにあるのですよ。
田んぼはまだ青い時もこのように金色に色付く時も綺麗ですね。
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街頭や署名会場で募るのは今日で終了しました。←自分のみです

午前中、市内の街頭署名が手付かずのところへ行ってきました。チラシの配布は前もってしてくれてあったので、何もしないのはもったいないし、署名したくても外に出ないし、街頭でもやってないから控えていたという人を掘り起こしたいと行ってきました。
結果は、非常に少ない数となりました。また、市外の人が署名をしてくれると言ってくださったのですが、私の市の人しか集められないので、お断りとなりました。

声かけしてもほとんど無視なので、途中でやっている意味を考え直したりしていましたが、少しでも署名が集まり、感謝です。今日で私は署名集めを終了します。月曜日に事務所に署名を持って行き、自分の署名受任者としての務めは終了です。

しかし、今日驚いたのは「大村さん好き」という婆さんがに3名いたということです。年格好から、団塊の世代ぽかったですが。あんな人もいるのですね。反対に「嫌い」と言っていた爺さんも3名ほど。こちらはもう少し若かったかな❓

へたれが集めた署名、数は少ないですが、これでよしとすることとします。あとは豊橋に行って友人に署名を進めることぐらいかな。
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明日までで一区切り{リコール}

県内の4市町村をのぞき、残りは25日でリコールは締め切りです。私は私用のため、明日までで実質的に終わりとなります。

10月になりようやく事務局からリコール署名集めをやっても良いとの連絡があったので、それから動き出しました。ですので始めた時にははもうあと一月も残っていない状態となっていました。それより前に友人知人に、リコールの受任者になって欲しいとか、リコールが始まったらそれぞれの地元で署名して欲しいとか、手紙を書いたりしていましたが、こんなに直接の署名活動が遅れたのは非常に痛かったです。
自分の市の署名集めをするのは、やり方も含めてやって良いものかもわからず、事務局に意向を伺いたく、直接出向いたりメールを出したり、電話をしたりしていましたが、なしのつぶてだったのです。

後からみんなに聞くと事務局はろくになんの返事もしてないそうです。ある受任者の人で署名用紙を受け取ったが、自分の生年月日が違っていて訂正したものを依頼したのにいまだに送られてこないとか。実は私の申し込んだクラウドファンディングのお礼品のTシャツと本もいまだに来ていません。署名活動にリコールとかっちゃんの顔がついたTシャツは必要不可欠なのですが、いまだに送ってこないので、普通の服で署名活動はやっています。

なかなか事務局が機能していないので、みんな本当に苦労しています。私が持っている署名用用品はほとんどみんなからももらったものだし、事務局で何かしてくれたことはありません。現時点で何かして欲しいことはないのでまぁいいです。何はともあれ、署名を一筆ずつ地道にゲットしていくだけです。色々と書いてきましたが、自分自身もいい加減で、休んだり、怠けたりしています。署名集めも気楽にやっているように見えますが、出かける時は少し引っ込みたくなる気持ちもあるのです。そんな半生人間がやっているので立派なことは言えませんが。
すごいのは、今まで署名活動を一人でするとsnsで発信すると必ず手伝いの人が現れることです。私はもともと集団でみんなと繋がってやるのは苦手なので、みんなと一緒というのはかえって緊張しましたが、手伝ってくれる人も組織でなく個人でやってくるので、のみ込まれることもなくやれています。お手伝いには本当に感謝しています。

名古屋市内、栄や名駅などの人が多いところで高須先生や河村市長が来られれば人もざっと来るようですが、名古屋市内でもはずれの方とか、尾張、東三河の非有名所は難しいと感じています。実際のところ、どのくらい票が集まっているのか、周辺部の市町村の受任者の私には見当もつきません。先生の言うぐらい集まればいいのですが。

明日はもう少し署名を取りたいです。そう思うと、10月になってからずっと重い肩の上が軽くなる気がします。後1日だ。なんとか頑張ります。



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非力すぎる

昨日は行くと言いながら、遅刻早退で、署名活動を怠けてしまった。今日は朝一時間弱やったけど、成果はゼロ。情けないなぁ。
午後は、どのくらい人が来てくれるか。そう気張ってもしょうがないので、鳥の声をBGM に気楽に来訪者を待ちます。
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両親の夢

父と母の夢を見ました。とは言っても別々に出てきました。この二人はいつも別に出てきます。でも、同じ場所、同じ状況で出てきました。実家です。いっぱい古い服が座敷に出してあり、母がそのうちのいくつかを見せてくれます。結構若向のズボンなのですが、それをもらうことにします。ふと、お父さんはいないと思い出します。すると母は「死んだのだ」と言います。なんかおかしいなぁ、と思いつつもお母さんだけでもまだ生きていて良かったと思います。

場面は一緒です。が出る人が変わりました。お父さんがいます。服の山がありますが、それとは関係なく父はいるだけです。ここでふとお母さんはいないと思い出します。「お母さんは❓」「死んだのだ」と父は言います。お父さんだけでもまだ生きている。病気にもなってません。良いなぁと思いつつ、目が覚めます。

また、眠りに入り、母が出ます。同じ場面です。でも、変だなぁと思います。お父さんよりお母さんが早く死んでしまったのになぜお母さんは「お父さんは死んだ」というのだろう。なんて思うのです。でも、この夢意識の中では母はいて、普通に動いているのです。そんなことどうでも良いや、お母さんがいるから、それで良い。

ここでまだ目が覚めます。目をつぶります。また、父や母が順番に出てきます。なんか変だけど良いのです。そのうち完全に目が覚めました。変な夢でした。

今日は疲れたのか、署名集めも少しで帰ってきてしまいました。家に帰ってきて寝ました。明日はもう少し頑張りたいです。
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体力劣化

最近、少し歩いたり、小さな山を少しだけ登ったりしました。前なら「へなちょこだ。こんな坂」と言っていた二百メートルほどの急坂をのぼつて降りてまた登りと、少し繰り返しただけで翌日全身に疲れが出ました。

これはいかん。何事もやってみなければわかりません。もう少し体力と筋力をつけないと本当のヨボヨボ老人になってしまいます。多分、あちこち精力的に歩き回り、ジムに行っている団塊のロージンより老人の体になっています。危ないです。もう少しアップタウンも歩いたりして、筋肉をつけることととします。

しかし、体力ないなぁ。こういうのってもともとの素質もありますね。昔から体力もないし、本当の力もないです。でも、山歩きとかやってみたいし、偶然知った比叡山一日回峰行という素人が比叡山の二十数キロの山中を歩いて回るというのをやってみてもよかろうと思っています。これは大変そうですが、目標として持っていれば、少しは毎日歩いたり、チャリに乗ったり、水泳をしたりするモチベーションになるではないかと思うからです。ただ、ジムに行ってまいにちトレーニングなんて面白くなくとてもやりたくないけど、夜明け前の比叡山をわらじ履きで回るというのは結構スリリングで惹かれます。

ということでもう少し軽い運動もやる予定です。
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昔好きだったこと

今、演劇に励む高校生のアニメを見ています。それを見ているうち、私は昔何が好きだったのだろうとと思いました。
中学から大学時代はギターを弾いて歌を歌うのが好きでした。何人かで合わせてやるのがソロよりも好きで勉強はせず、読書とギターばかりの日々を過ごしていました。

今はギターも弾かないし、歌も歌いません。が、ギターを引く楽しさは忘れがたいので子供が中学になった時「ギターを弾け」と何度も勧め、子供もギター好きになりました。勉強をしろとは一度も言ったことはないのに、「ギターを弾け」という親とは‼️あまりいないと思います。でも、ギターを弾いたりするのって楽しいし、何か塞ぎ込むようなことがあってもギターを弾いていれば気分も変わるので良いのです。

が、今は本当に弾きません。たまに弾きたい時もありますが、音が出るのが気になり、やれません。今はバイオリンを習いたいなぁとこんなおばさんが思っているのですが。音楽も騒音となると思うと気がひけてしまいます。
旦那はドラムがやりたいみたいですが、それこそ騒音なのでやれません。ずいぶん前に小さいおもちゃのドラムを買っただけで、ほとんど叩けません。

音楽系はどうしても音が出るので難しいです。今は創作系の音を出さない趣味を細々とやっているだけです。ものを作るのも昔から好きだったのでこれでよしとするしかないかなぁ。
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きょうは一万一千歩歩きました。

公園や山の階段を登ったり降りたり。今日は散歩の老人を中心に署名をもらいました。やってみるとわかるというのはこんなことか‼️老人でも驚くほど中国、韓国、ウイグルの人たちのことなどに通じている人から、「大村知事のリコール」と聞いただけで「共産党め」と叫び、罵り始める爺さんがいたり。←違うんだけどね...

いろいろです。

もう時間がないです。私はこれだけ歩いてもそうたくさんは集めてません。でも、署名受任者になってもらった人も含めると、ある程度は集めたかな。来週は一応1日だけ会場を取り、気楽に集めるつもりです。

実際に動いてナンボというのを感じています。スピでよく祈っていますとか、思えばかなうとか言うけど、それよりも肉体があるのだから、まずは行動ですね。この世では祈るよりも動く方が何事も早いと思います。
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昨日は午後は寝ました

子供が就職して学費を心配しなくても良くなったし、コロナの関係もあり仕事はしなくなりました。仕事といってもたまに美術館やお城に行くぐらいでしたが。スペイン語の勉強に集中することも考え全てやめてしまいました。ちんたらしている生活なのに、昨日は疲れたのか、風邪を引いたのか❓頭と体が痛くなり、午後は寝ていました。

ビラ作りもビラ配りも昨日やった方が良かったのですが、今日配るだけとなりました。

リコール署名集めをし始めると、いろんなところから、手助けの声があがり、こんなおばさんにも本当によくしてくれます。もともと、一人でやるつもりだったのですが、みんなが声をかけてくれて一人でなくいつも誰かが来てくれます。なんか、リコール署名集めに一人って、危険らしいのですよ。十日ぐらい前には、車道に跳ね飛ばされた人がいたし、妨害もひどいみたいです。

私は、かっぱらいやすりなどを警戒するのは慣れていますが、危険な活動家に対しては無知なので、いろんな人から女の人の一人での署名活動の危険性を聞いて驚きました。私の行くところは会場の人もとても協力的だし、そう心配してませんが。リコール反対派ってなんでもありなので、旗を持って歩くと少しだけ怖い気もします。が、そうそう心配もないと思います。直接街頭や会場に出てこの活動を始めてそんなに間も経ってませんが、リコールを呼びかける人は本当に、組織でなく草の根、個人で、反対にそれを阻もうと活動する人たちは組織でやっています。でも、面白いのは、反対派はじじ、ババばっかりで、リコール推進はいろんな年齢の人がいるということです。若者も多いです。

リコールボランティァの人、本当によくやっていて頭が下がります。私はちょびっとだけです。
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あい染

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1筆でも欲しい

旗を貸してもらえたので、今日は街中をリコール署名の呼びかけで歩きました。しかし...名古屋市内でもない一地方都市の市中では、なかなか難しいです。女の人に近寄ると、ほとんどー臭い人がきた、ーみたいに目を背け、体をそらして避けていくし、爺さんたちは意外と話を聞いてくれる人もしますが、署名とくると「しない」です。

それに、リコールの理由も知らないし、天皇の写真を燃やして踏みつける展示のことも「嘘」と何度も言ったり。もう、どれだけ情弱なんだ‼️テレビ腐脳の持ち主がこの市の80パーセント以上に及ぶだろうと、つい推測してしまいました。

地道にとにかく数をあたり、ツイッター、その他などで呼びかけるしかないです。本当、こういう時は凡人の自分がはがゆいです。きらめく人ならもっといっぱい集められるでしょう。でも、闇夜のカラスみたいな私は暗闇の中でもがくだけです。あぁ、なんとかもう十人は欲しいよ。とにかく「カァ、署名ちょう」と言うしかないですね。
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明日は午後、チラシをポスト投函に行ってきます
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新しい車がきました

新しい車がとうとう来ました。嬉しいはずが、反対に寂しいです。前の車はそんな立派な車ではありません。ありふれたコンパクトカーです。でも、私や家族を乗せてあちこちへ行ってくれました。島根までも行ったし、子供の入学式、卒業式、先生から呼び出しを食らったときも...片道15キロ超の通勤も。

よく走ってくれました。

私は車は生きた馬みたいに思えるので、手放す時が本当に辛いのです。もう、動かなくなりつつあるからしょうがないけど、寂しいし、辛いです。乗っていた車には何度も話しかけ、ありがとうと言いました。悲しいなぁ。ものと別れるだけでもこんなに悲しいなんて。昔、実家がトラックを手放した時、それが檸檬色の綺麗なトラックだったのです。私はそれも好きでした。そのトラックを手放すと聞いた時も悲しかったです。
でも、そのトラックは何ヶ月後かに市役所の駐車場で他人の車となって停まっているのを見ました。「もう、他の人の車になったのだなぁ」と思いつつもなんとなく未練がなくなりました。

今度はそんなわけにはいきません。もう、あの車は売れないでしょう。悲しいけど、今度の車を可愛がることにします。今度の車は私が昔欲しかった車種で色なのです。運転しやすいし、良い車です。だんだん馴染んでいくと思います。いつになったら自分の馬みたいに思えてくるのか❓しばらくはかかりそうです。
遠くで手放した車がヒヒーンと嘶いているような気がします。さようなら、私の◎◎よ‼️
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リコールが終わったら、名古屋生け花展へ

もう。秋なのですね。市民展でお仲間が大賞をもらいました。私は作品がコロナで完成できなかったので、出せませんでしたが、非常に良い仕事をしていたお仲間が賞をもらえたので嬉しいです。

本当はこの季節はもっといろんな展覧会があるのですが、今年は細々とやっている感があります。その中で美術仲間が、生け花展のチケットをくれたのでリコールが終わったら友と行く予定です。このチケットをくれた友も、一緒に行く予定の友も住んでいる市町村は違いますが、リコールに署名してくれました。ネットでは華々しくリコールのことが出ていますが、知り合いや友と言っても、署名までしてくれる人はなかなかいません。ヤル気がハナからない人もいるし、署名ということでビビる人も多いです。その中でよく、自ら署名をしてくれたと思います。

本当にありがたいです。無名の県内の一地方のリコール活動は名古屋市内と違って、なかなか大変ですが、そんな友たちの助けもあるし、今は細々ながらネットで知らせると何処かからそれを聞いて署名したいという人も現れてきました。やっぱり、物事はやってみなければわかりませんね。

昨夜はリコールのことを考えていてなかなか眠れませんでした。でも、ふっと思い浮かんだことがあります。このリコールで今まで全然できなかったことや、わからなかったことがわかるのでは❓と思うのです。なんとなくそんな感覚が湧いてきたのです。勝とうとするのではなく、なんとか踏ん張り続ける。そんな感じで25日、最終日までは過ごそうと思っています。まぁ、個人的な用事のない時だけなのでそう立派にリコールに邁進しているわけでもないのですが、自分なりにやれるだけはやりたいと思っています。今回は大きな歴史の分かれ目のような気がします。
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火炙りになりたかった女ー漫画ー

先日、月刊誌を立ち読みしました。不思議な話満載の漫画本で、過去生をよめるという人のところにきた女性{客}の話でした。

そのお客さんは最初から「自分は昔火炙りになり迫害された、壮絶な過去生を持っている」と話します。が、なんとなく思い込みが強いようで、やたらと自分はすごい人だと語るようでした。{内容については立ち読みでうろ覚えなので多少の間違いがあるかもしれませんが、そこのところは勘弁を}そこで実際に過去生回帰のセッションを始めるとどうも違う。火が怖いというのもない。おかしい。

そのまま続けていくと、ジャンヌダルクとかでなくドイツの普通の女が出てきたのです。その人は魔女裁判にかかり、火炙りにされた女の人を「うらやましい。自分もそうなりたい」なんて思っているのです。
そのお客さんは過去生で普通の注目されないつまらない女でした。そのせいか、火炙りにあった女たちが魔女として注目されるのが羨ましく、妬ましかったのです。

セッションの後日談は読んでないのでわかりませんが、注目されたい、目立ちたいという欲望がこれほどまでに強いとは。火炙りで死ぬのが妬ましいとは...
そんなことあるのか❓この過去生セッション自体、本当かどうかはわかりませんが、こういう逝ってしまった人って、信じられないけどいるだろうとは思います。それにスピの人は過去生に凄い人だったとか、激烈な人生だったとかって結構気に入っているみたいなので、あり得そうに思えます。

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不調だった脚の調子が格段に良くなりました

足の付け根、股関節とそれにつながった足の筋肉がぴっと痛くなり、このままどんどん悪くなったらイヤだなぁと思っていました。しかし、歩くのと自転車、トランポリンをやっていたらどんどん痛みはなくなり、昨日、今日は歩かなくてもどこも痛くありません。

歩くなどの軽い運動が足にいい影響を与えているのだと思います。それと座るのをロッキングチェアーに変えたことが良かったのだと思いますが、一番の影響は語学の勉強が少しイヤになり、あんまりやってないことにあると思います。足がぴっとしてから、なんとなく体に不安を感じました。そして、なぜか語学の問題集とかあまり前ほど熱心にしなくなりました。本当はもっと進めたいのですが、やる気も少しなくなり、それほど机の前に座っていません。それが足によかったのかもしれません。

世の中はうまくできてますね。リコールで外に出ることや他の用事もあるし、かえってそのことで悪化しつつあった足も動かすことになり、回復しているし、全てはうまく回るということかな。外国語は久しぶりに嫌気がさしていますが、それも多分体がそういう気分になっているということなのでしょう。ここまで来たのでそう焦らずやることとします。

今日はリコール関係で動いていたら、偶然、尾張徳川氏の名前は忘れましたが、墓碑に出くわしました。その時家康さんのことを考えていたのです。これも偶然ではないかもしれないと思っています。リコール、勝てそうな気がします。そう熱心にやってないし、非力だけど、できることはやってみます。なのでやはり、きっちりとした語学の勉強はしばらくお預けです。
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リコール進捗状況

署名活動、なかなか順調とはいきません。制約が多い上に、何よりもリコール を知らない人が多いです。そして知って憤っても、なかなか署名まで全部の人がしてくれるわけではありません。

署名受任者は自分の市の市民の署名しか受けられないし、印も押してもらわなくてはいけません。リコール活動は政治活動とされて、自治体の空き公民館などではほとんど断られます。たとえ受けてもらえたとしても、その部屋だけでリコールのことは口にでき、少しドアの前に立って呼び込みもできません。禁止されたりするのです。ロビーなどではもっての他という会館も多いです。

そして、本当に全てがポランティアで、チラシ印刷制作、その他の用具も手作り自腹、交通費も全てそうです。これこそ究極のボランティアです。でも、すごいのですよ。他県からわざわざ応援に来てビラ配りをしてくれる人もいるのです。頭が下がります。

もう、時間がありません。自分の用事は置いておいてそちらに力を注がねば‼️他に何をしに今、ここにいるのだと思えてきます。一筆でも増やすためにもう少し力を注ぎます。頑張りますよ。
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好き嫌いはないと思っていたが。

お菓子教室に行っています。なんでもものを作るのは好きだし、食べ物は旦那が喜ぶので{無口なので何も言わず、ただ食べるだけです}続けています。お菓子やパンを作るのは面白いので好きなのですが、この頃少し嫌になってきました。というのは、私の食べられない系のパン、お菓子が多いのです。

あんぱんに代表される甘い豆の入ったパン、タルト、ケーキがよく出てきて、これが旦那も子供も嫌いときています。ただ、嫌いな程度が旦那が一番少ないのであんこ、豆のパンの時は旦那一人でずっと食べなくてはならないというのもかわいそうだし、この状況、なんともならないなぁ。

あんぱん嫌い。クリームパンも嫌い。ジャムパンもイヤ。メロンパン、気持ち悪い。焼きそばパンもたこ焼きパンも好きでないし、こういうのがよく教室で出てくるのでだんだんやる気がなくなってきました。
私はフランスパン、クロワッサンが好きなのです。この頃流行のふわふわ食パンもどうでもいい感じです。

「よくそんなに嫌っていて教室に行ったなぁ」なんて言わないでください。教室に行くまでは全然気づかなかったのです。あんこのパンは嫌いだと自覚していましたが、こんなに食べれないものが出てくると流石に考えてしまいます。パンとかタルトとか。どうも日本独特のものがダメなようです。

お菓子教室、向かないなぁ。そろそろ撤退する時かもしれません。金と暇をかけて食べられないものを作るのも無理があるようです。
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揺れた話

何日か前に地震があったという話をしました。本当にグラグラとベッドごと揺れたのに、なぜかその日は全くそのような地震はありませんでした。昔、そんな目にあった時、次の日に全く同じ地震に遭遇し、それは本当にあった地震なので、地震の予知のようなことを体験したのだろうと思いました。
しかし、今回はそうでもなく、幻の揺れを自分が体験しただけとなりました。

おかしいな。猫が飛び乗り、暴れたのかな❓なんて思いましたが、違いました。

2、3日前にもまた揺れているのを感じたのです。
私はメニエルとか、突発性難聴とかはなったことがあるので、そのような揺れは経験あるのですが、違いました。ベッドごと揺れているのです。本当に地震みたいなのです。でも、薄目を開けて見たら、猫もいないし旦那も平気で寝ているし、なんとなく自分と自分の寝ているところだけ地震になっているみたいな変な感じでした。そして目を開けたせいか、その揺れはなくなりました。

頭が変になったのか❓不思議な事象なのか❓わかりません。目も見えるし、普通に歩いているので体と頭は大丈夫だと思いますが。この頃変だなぁ。
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きょうはなんと猫が‼️

今日は友人を連れてリコール事務所に行く予定が、友人の体調が悪くなり✖️となりました。今日を逃すとあの友人は署名をしないだろうから、少々痛いです。

その後、夕方、旦那が「床に不審な匂いと水の跡がある」と言われ、触ったり、よく見たり、匂いをかいだりした挙句、それは猫のおしっこであろうということになりました。私はこの頃揺り椅子でパソコンをやったり、勉強読書をしだしたのですが、そのために椅子の下にコタツ敷をしいたのです。その上に、窓際にずらっとおしっこの跡がありました。一つはまだ湿っていて、下の畳まで達していたので、敷物を取り去ったら、おしっこの跡がずらっとあるのがわかりました。

このコタツ敷を出してから、猫はその上でおしっこをしだしたようです。

なんということをするのだろう。猫が砂以外にするなんてあんまりないことですが、うちの猫は小さい時に首輪をむりにはめようとしたら、スカンクかと思うばかりの臭い屁をしたし、おしっこも畳にしていました。
何か、気に食わないことがあるのだろうか❓

気がつくと私の近くに座って動きません。あんまりかまってないから、いかんのか。ツンデレで一人がいい猫なのに訳がわかりません。膀胱の病気でなければいいのですが。
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すぴイベントの思い出 続き

その絵描きの先生に絵を書いてもらっている人がいました。たまたま、私はその人と面識があったので、その絵を見せてもらう機会がありました。すると、その絵にー愛溢れる人、愛がある人ーなんて言葉が書いてありました。

その人は何度もその先生に絵を書いてもらっているそうで、その内容には満足至極のようでした。

でも、私は違和感を感じました。その人は犬、猫、その他の命を自分の都合で処分してもいいと言っていた人なのです。自分が「その命と交信してOKを得たからいいのだ」と言っていました。うーん。私はこれはどうにも納得できませんでした。そんな都合のいいことがあるのか❓その生命体と超能力で交信して「いい」と言ってもらえたからいいのだなんて。
このことは命に関することなので考えるのも嫌でやめたのですが、私はその人について、「信用できないなぁ」と思ったと同時に、その人をー愛に満ちた人ーと絵に書いたあの先生もどうなのかと疑問に思ったのです。

犬や猫でも飼えなくなる事情はあります。でも、私なら、絶対にそんなことはしないし、そのようなことになったとしても命を奪い去ることをしたら、たとえ本人が納得していると言っても、ずっと苦しい思いを抱えていて、死んでもそれはならないだろうと思います。それなのに、命を取ることを平気で肯定している人を 愛ある人 とは‼️

これはあの霊能者の人には命を自分の都合で奪う人も愛の人に見えるということなのであろうと思いました。別に嘘をついているわけではないような気もします。そしてこの私にはその愛は「欲」に見えてしまい、おぞましい黒々としたものに感じるのではないかと思います。

ということは、スピリチュアリストの人が光に満ちているという神社が、私には黒黒と煙にまみれ、気持ち悪く感じるということと似たようなことかもしれません。ただ、多数が、有名な先生や有名な神社を支持しているし、私はみんなのように見えたりするわけではないのでそんなに強く言えないのですが、いろんなセッションで愛があるとか言われている人って、何も見えないわしからするとただのわがまま女に見えたりするので、困るのです。
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すぴイベントの思い出

5年くらい前でしょうか❓いや、7.8年は前の話です。スピリチュアルなブームもだんだん下火になってきた頃でした。スピのイベントが名古屋であり、その時の会場イベントサービスで絵描きの霊能者の人に守護霊だったか、過去生だったかの絵を書いてもらえるというのがありました。

その時私は、人も結構集まるなか、その先生の話を聞いていました。そしてその中で二人の人にただでその絵をプレゼントするということがありました。その日は珍しく幸運にもジャンケンで勝ち進み、その権利をゲットしました。そこで公開のセッション兼、絵描きとなったのですが、その時に「あなたの目標、目指しているもの、やりたいことはあるのか」なんて言われました。あれからずいぶん時が経っているので正確には覚えてません。ただ、目標のようなものを持って生きているか❓などと言われた気がします。その時、私は少し考えてしまいました。

目標とか、なりたいものとか...その時はそんなに何も考えてなかったのです。その様子をその霊能者絵描きの先生は見ながら、「何も目的も持たないで生きていて何も言えることはない。」なんて言いました。
結構きついですね。私はこのセリフも正確には覚えてないのですが、この先生は私を外見から見て大人しく自分からは何にもできない人、目標も持たずに生きていて、なんでも人に頼る人だとみたな❓なんて思えました。

あんまり何も考えずぼっと荒波なんかは知らずに生きてきた人、と先生は思ったのでしょう。こういう扱いは地域の住民からも、学校のPTAなどからもちょくちょく受けてきたので、「またか」なんて思いました。
しかし、霊能力で人を見抜く力がある人からもそのような扱いを受けるとは、意外でした。

そして、今思うのは、目標を持つって素晴らしいのかなんなのか❓そのこと自体何なんだろう❓と疑わしく思えるのです。人生の目標とかなんとか。◎◎のために生まれてきたとか。昔は真剣に考えていましたが、今はそのことすらどうでも良いと思えてしまいます。この世は仮で、虚です。そこで熱く語られる目的とかなんだとかいうことが、変な気がしてしまうのです。仮の世だから適当に生きようというわけではありません。この世は仮というか、逆なのです。この世で何かを達成しようとすること自体が、何か物質と重力に絡めとられて本来の自分自身すら忘れ果ててしまうような、ヘンテコな状態になってしまうのではないかと感じます。

なかなか言い難いですが、現世に基軸を置いた目標などは、自分自身すら忘れ果てる旅を誘う危険な誘蛾灯みたいなもので、そう重大視することはないような気がするのですが、そんなことをいうと怒られてしまいますね。

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猫は魔除❓

タニシという芸人の事故物件についての話を見ていたら、猫のことが話題に出ていました。動物というのは魔除になるそうで、猫なんかは魔除として飼っている人もいるとか。

確かに、猫という生き物は何か特別の力があるような気がします。我が家も猫が来てから、全てが良い方に回り出しましたから。
うちの猫は真夏の八月の昼間に、名古屋市内の片道五車線ぐらいの大きな道路を兄弟猫と一緒にチョロチョロとしていたそうです。死んでも普通の状態だったのに、車にはねられず、暑さで死なず、カラスにも突かれず、兄弟全員拾われ、みんな行き先もちゃんと決まったのです。本当に強運というか、すごい猫たちです。

でも、人間の都合で猫や犬を保健所に持っていく人もいるようです。引越しするからと、新しい家に連れていけないからというのは本当にいい加減な飼い方だと思います。色々と事情はあるとは思いますが、私はいい家でも猫を殺すというなら、要りません。自分の大事な犬猫より優先すべき住処なんてあるだろうか❓そう思います。

うちの猫は噛みつくし、引っ掻くし、おまけにただの駄猫です。でも、大切なことに変わりはないです。せっかく自分の家に来てくれた猫なので、元気に普通に生きて欲しいと思っています。
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プロフィール

握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。猫、鳥、虫等、とやり合いながら暮らしています。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

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