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風邪か

昨日、頭が痛くなったかと思ったら、起きているのがきつく、猫と一緒にしばらく横になりました。
薬を飲み、体を温めたこともあり、今日は外出できました。去年の今頃は何度も風邪をひき、なかなか治らなかったのです。しかし、今年は1日で回復しました。
来週は用事もたくさんあるので、この調子で過ごせれるよう願っています。
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着物と意外な効果ー腰痛、関節痛

今週、着物を久しぶりに着ました。姿見を見ながら着付けをしました。自分の老け増し具合にびっくりがっかりしながらでした。今までは顔が老けたおばさん顔だとそればかり目についたのですが、着物を着ながらよく見ると首に縦皺が‼️すっかり年老いています。

着物を着て、帯を締めます。帯をしめるのに肝心なのはぐぃーとできるだけ引っ張ることです。
くりくり、ぐいーと引っ張る。くり、また引っ張る。交差してグッと引っ張る。引っ張ってばっかりです。私は握力も何も力という力は金力も含めてありません。力なしです。ですので本人の自覚で思い切り引っ張ったと思っても甘いのです。でも、帯が緩むのはいけません。当日はとにかく引っ張りました。すると、後ろに回す手が少々つらくなったりする無理感がふっふっと出てきます。

普段後ろに手を回したり、引っ張ったりしないからそうですよね。でも、久しぶりの帯は肩や肩甲骨をだいぶ動かしたようで、肩周りが運動した後みたいな感じでした。そのまま出かけ、夕方帰りました。不思議なのは、その前日まで腰が痛かったり、股関節などが痛んだりしていたのですが、着物を着たその時からその痛みはまるでなくなったことです。それも翌日もまるきり無くなったのです。

これはどういうわけだ‼️

着物は、私のような猫背の人にはとてもいいということなのです。
1 帯を引っ張ることにより、肩、肩甲骨を動かし柔らかくする。
2 帯を閉めることにより、丸くなってしまいがちな背中が伸びる。
3 帯がコルセットのように働き、体勢補正をしてくれる。
4 以上の効果により、体全体の曲がりが減り、一箇所にかかっていた体重が全体分散され、部分的に体重が強くかかっていた骨の負担が少なくなった。

あれから、三日ほど経ちますが腰も股関節も傷まず、坐骨神経痛も出ません。着物、帯。これはいいですよ。
今回着た着物と帯、その他です。帯は染め帯で、お腹はローズピンク一色でも、墨流しの柄面でもどちらも出せます。
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パワースポットの評判と自分の感じた雰囲気ー不敬ですいません1{三峯}

ネットで見たり、すごい霊能者が褒めていたり、神威に打たれたりしている三峰。この間行きました。
私の感覚からすると、山を欲望の蛇が巻いている感じ。名だたる霊能者が素晴らしい神域だと言われているのに、すいません。なんか、とてもグリグリ巻きの蛇って感じがします。へびと言っても欲望が変化した感じで、昔からの太古の神の蛇ではないです。

どうなのかなぁ、良いのかなぁ。木々の間とか、見晴台の向こうの山々はいい感じだから、それはいいのかもしれません。
ど素人のぼんくらからすると、すごいというより、みんなの欲望が巻いている感じでどうもいけませんでした。でも、狼さんって好きですよ。
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マトリックスー仮想現実

ある新興宗教に入り、何十年とそこで過ごし脱会された方のブログを見ていたら、マトリックスという映画のことが出ていました。私はマトリックスってコピーのような世界と思っていたのですが、映画があるのだと知り、検索したらびっくりしました。

マトリックスあらすじ
トーマス・アンダーソンは、大手ソフトウェア会社のメタ・コーテックス[5]に勤めるプログラマーである。しかし、トーマスにはあらゆるコンピュータ犯罪を起こす天才ハッカー[6]ネオという、もう1つの顔があった。平凡な日々を送っていたトーマスは、ここ最近、起きているのに夢を見ているような感覚に悩まされ「今生きているこの世界は、もしかしたら夢なのではないか」という、漠然とした違和感を抱いていたが、それを裏付ける確証も得られず毎日を過ごしていた。

⬆️の今の世界は夢ではないか❓というところ、これって自分がしばらく漠然と悶々としていた感覚ではないですか‼️こんな映画がずいぶん前にあったんですね。私はある驚愕体験以降、この世そのものが夢のようなかりそめのような気がしており一時悩むあまり、何もしたくなくなったのですが、なんとか持ち直しています。こんな映画があるということは、そんな体験をしている人がいるということかもしれません。この映画をあげていたブログの方はとてもハードな経験をされたようなので、何か究極のどん底体験をされ、マトリックスということを体で感じたのかもしれないと思ったりしています。

この世も物質も時間もなんか違うと思えて仕方がありません。

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振り返ると10年の間に

ブログを始めて10年。その間にいろんなところに行きました。熊野、丹後、九州、鞍馬山、出雲、諏訪、能登、若狭、etc
。奈良など近場は何度も行っていますが、家族では東北は一度も行っていません。飛行機も飛んでいるので一度行きたいと思っています。

独身の頃は一人で旅に出かけました。マナウス、マチュピチュ、クスコー、チチカカ湖、これらの有名なところより、名も無い友人の家のある小さな町とか、中都市などの方が印象に残っています。一人でも一歩そとに出かけるとすぐに誰か現地の人や他の旅人と仲良くなり、一緒に飲んだり食べたり遊んだり...一人旅の孤独は全くありませんでした。

今は子供も大きくなり、ダンナと二人旅です。これはこれで楽しい旅ですが、スケジュール管理をきっちりするダンナとは気ままな風任せの旅ができないのが玉に傷です。

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ローマ法王と亡くなった人々を思う

必ずしも映画とは現実は同じとは言えませんが、ーローマ法王となる日までーの中で、ベルゴリオ[後のローマ法王]さんが自分だけ生き残ったと嘆く場面があります。結び目を解くマリアとの出会いの場です。この場面は映画として名場面で見せ場なのですが、見ているとこんな私でもー今のぬるま湯の中、真剣に生きているのか❓ーなんて自分自身に問いを投げかけてしまいます。

私の外国に行った仲間も複数名、亡くなっています。しかし、私は生きて残っております。道半ばで亡くなっていった友人、知人。それらの人々を思い出すと、スピの場での美しい祈りや、教えを語る人々たちの言葉も色褪せて感じてしまいます。本当に切羽詰まったところで生きている人たちがいて、それらの現実と私はスピの場の美しい言葉や教えにはとてもギャップというか、ついていけない感覚を感じてしまうのです。

自分自身が傲慢なのかもしれません。スピも真剣にやっている人もいると思うのですが、白刃の中を回潜って生きているようなギリギリの感覚とは違うと思ってしまうのです。品行方正なスピの人々の安全な場での美しい言葉はどうも生ぬるすぎるように感じてしまいます。すいません。
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ローマ法王と暗い時代{ヘミシンクピンポンパンを見て思い出したこと}2 生と死

ー海、川に沈んだ普通の人々、生き残った普通の人々ー

私はこの暗い時代の後、アルゼンチンに行ったのでその時を生で見ていませんが、新しい政権になってまだそれほど経ってませんでした。アルゼンチン人は外人から見るとみんな気さくておしゃれで気のいい人ばかりでした。
が、後から考えてみると❓を感じるのです。

連れていかれて二度と帰ってこなかった人々は、軍政に反対したり、そうでなくてもそのような疑いをかけられた人たちです。では、今も無事にいる人は❓

1 もともとその政権の賛同者だった
2 活動家など市民を捕まえ、売ったスパイだった
3 反政権派だったが、なんとか捕まらずに済んだ。仲間をかくまったりした
4 独裁政権は好きではないが、目をつけられたくないのでその体制に従った
5 とにかく時の権力の言うことに従った

↑こんなところでしょぅか❓私は国を憂いた人々がたくさん亡くなったことを思うと、この年代以降、優秀な人材の枯渇があったのではないかと思います。正直で勇気ある人たちがごそっとなくなったのではないでしょうか。残った人たちの中にも反政府活動を命をかけてして、辛くも生き残ったという人も多数いるとは思いますが、そんな人ばかりではなかったと思います。
フランシスコ法王の映画ーローマ法王になる日までーでは、3の立場でなんとか生き残ったフランシスコさんが生き生きと描かれています。この映画が全くの真実なのかどうかはわかりません。でも、自分の見知った風景の中の過酷な出来事は何度見ても辛い気がします。

日本人はこれを見ても自分に関係ないと思うでしょう。しかし、投票率の低さや時折聞く、徴兵制度賛成の声など、よく考えて‼️と言いたくなります。ことがマイナスに向かう時は歯止めが効かないのです。映画の中の若い時のフランシスコ法王のように身を危険に晒してきても、後悔は多いのです。どんな時も大勢に従えばある程度安穏と暮らせるとしても、それでいいのか❓と何かの声が自分に問いかけるような気がします。

香港のデモも他人事と考えるのはどうかなぁ、と思います。

とりとめのないことを書きました。
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ローマ法王と暗い時代{ヘミシンクピンポンパンを見て思い出したこと}

ヘミシンクピンボンバンを見ていて、ーあぁ、これは本当にフランシスコ法王を見ているーと感じたことがあります。
ローマ法王フランシスコ一世訪問NO3
虫けら以下の存在の庶民、あっけなく殺される多数の人々。殺戮、虐殺。このヘミシンクで見ているものはアフリカだということですが、私にはつい3,40年前に起こったアルゼンチンの軍政時の出来事と重なってしょうがありませんでした。フランシスコ法王の現世の友や仲間たちに実際に起こったことにも思えるのです。

日本はこんなことはないですから、みんなは想像もできないと思います。ナチや戦時中の日本を思い浮かべれば近いかもしれません。
アルゼンチンでは軍政の時代がありました。その時の支配者に睨まれるとしょっぴかれ、そのままみんなの前から永遠に消えるのです。でもそんなに前の話ではないのです。私がアルゼンチンに行っていた時はもう軍政の時代は終わっていたのですが、その時のことをよく聞かされました。軍政に賛成でない人、少しでも反対の意見を持つ人々は軍に捕まり、二度と戻ってこなかったのです。その数も多く、捕まった人々は私が聞いたところによると重石をつけられて、川や海に生きながら投げ込まれたこともあったとか。学生も多く犠牲になり、その当時知り合いや家族が行方不明者になった人も多かったとか。友達や知り合いが実は友を売る密告者だったり、拷問や処刑の残酷さも伴ってその話は相当恐ろしく感じたものです。

映画 ローマ法王になる日まで

一歩間違えれば自分もやられてしまう。そんな時をなんとか生き延びたフランシスコ法王は、拷問され虐殺されたりした多くの仲間を見てきたと思います。ご自身は生き残ったのですが、亡くなって行った仲間たちのことを思い、なんともやるせない思いはあったのではないでしょうか❓

私はローマ法王、フランシスコさんを見るたびに、アルゼンチンの恐怖政治の時の時代が頭に浮かんでしょうがありません。別に特別ひどい人やバカな国民がいたわけではないのです。普通の市民が多い普通の国がこんなひどい軍政の国になってしまったことに怖さを強く感じるのです。
日本は今は平和ですが、何かに先導されて一歩先を間違えるととんでもない恐怖政治に突入してしまうこともあるのでは❓とみんなの警戒感のなさに不安を覚えたりもするのです。

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熊野18

朱印
2009年09月02日15:29

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1番目に行った熊野本宮と、2番目の速玉大社、3番目の神倉神社の御朱印です。
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熊野本宮のとなりのは、おおゆのはらのスタンプで、字は帰ってから私が書きました。字がへたくそだなぁ。
熊野本宮の朱印はやはり、この日から替わっています。

この自分で書いた朱印はのちに鞍馬寺の朱印のおじさんに怒られました。続きは鞍馬の旅です。
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熊野17

那智の滝

2009年09月08日13:57


下ると向こうに白い滝が見えました。
美しい滝です。滝の白さに涼しさを感じます。 那智の滝はを瀬織津姫と関連づけている人もいますが、この滝をみると瀬織津姫のことを連想してしまいます。 穢れをはらい、流すというと闇に浮かぶおそろしい女神を想像しますが、この滝はそんな感じはみじんもありません。

美しく、レースのカーテンが何層もはねあがっているかのようで、きよらかで力強いのです。

そういえば、この旅に出る前日、あられさんとひさびさにお会いし、お話をしました。その時に、あられさんがこだわっていたのが-瀬織津姫-です。 その時にはなんにも思わなかったのですが、この滝を見て思い出しました。-瀬織津姫-そうだ。母の死に始まり、瀬織津姫に興味を抱いたのです。
おいかけていた-瀬織津姫-はここにもいる。

滝の神、水の神、祓いの神、-瀬織津姫-は表にでることはなく、闇に隠されてきました。滝の清冽さを見て私は非常に満足でした。なにか真実の瀬織津姫をみたような気がします。そして、母の死も自然なことであったのかもしれないと思いました。

ゴトビキ岩に会うために熊野に来たのですが、この滝に出会うためだったかもしれません。
思えば、何年か前から、出雲、戸隠、諏訪、九州、三輪山、天川と、パワースポットをまわってきましたが、この熊野でひとくくりのような気がしてなりません。らせんで丸を描き、またさらなる旅が始まるのではと思います。
⬇️ここから現在の感想です。
以上は2009年のミクシー過去記事です。あれからもう10年が経ち、何をやってきたか❓
そうなにもやってなくその時に面白いことばかりしてきたような気がします。母、父、etc、実家をめぐる苦しみも無くなったと思ったら、次は家族が大変なことになったり、自分が考えられない体験をしたりしてショックを受けたりしましたが、やっぱりお決まりのーケセラセラーでこの浮世を泳いでいます。ずっとそうなりそうです。
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熊野16

那智大社、お寺へ
2009年09月07日13:40
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前に登っている人にやっと追いついくのに何分ぐらいかかったでしょう。30分はのぼっていたと思います。両側の木がなくなり、階段をまたも登ったら、着くかな?。
そう思ったら、展望台でした。手を洗うところがあったし、-養正-なんて書かれたいかめしい碑もあったので、神聖な気分を感じ、手を拭きながら感慨にふけっていると、

「ヤッホー○△××...」

おばさんが叫ぶではありませんか。
「ヤッホー」のあと、声がでかい。
大きい声で同行の孫に手を洗えとか、叫んでいます。こっこれは、たまらん。
関西弁のおばさん(おばあさんパワー)から逃げるようにもっと上をめざしました。
早く、行かなければ...早く...
おばあさんの声は割れ鐘のように太く、おまけにでかいのです。 私とだんなは静けさを求めて急ぎました。
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しかし、これからも階段はつづき、いいかげん登ったら、神社のあるところに着きました。
那智山って、山だというわけが身をもってわかりました。 あらためてあたりを見回すと、人が多いです。無料お茶コーナーもあって座ってゆったりとしていたら、

「ヤッホー○△×...」
あのヤッホーおばあさんがここでも叫び始めました。那智山は登山か?とたんに、人はいても静まっていた境内がまったく別の空間に見えてきました。
後ろを見ると、同行のおじいさんが汗をかいたらしく、上半身裸になっています。
おばあさんは、おじいさんを、「まぁ...裸になって、恥ずかしい」と、またも大きい声で叫んでいます。こちらとしては、でかい声を恥じてほしいものだが...

しかし、声がで、でかい。早くに、逃げなくては...

ヤッホーの声に追い出されるように寺をそそくさとまわり、一気に滝へと向かいました。
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地下鉄24時間乗車券を使ってみた

昨日、栄のエステマッサージに行ってきました。それだけで帰るのももったいないです。そこで地下鉄24時間乗車券を使ってあちこち用事を済ますことにしました。
地下鉄24

今回は
1日目 Xー栄
    矢場町ー大須
    上前津ーX
二日目 Xー八事日赤
    八事日赤ー砂田橋
    砂田橋〜X

合計 1610円分を使いました。午後、1時半頃のり、5時ごろには帰宅。翌日、9時半ごろ乗り、12時半ごろ、最後の地下鉄駅を出ました。日本一高い名古屋の地下鉄ですが、24時間券を午後から翌日の正午ぐらいまで使えますので二日に渡ってうまく使えば、いろんな用事をいっぺんに済ませれます。便利です。
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熊野15

那智山-熊野古道を通って-
2009年09月07日12:03

最後の日は那智山に行きました。

那智山は宿から車で20分くらいで到着します。
地図を見てもラクそうで、駐車場から少しで神社、寺、滝と、思っていたら、思わぬ伏兵が...

山に近づいてきたら右手に大門坂無料駐車場とあります。
-無料-この言葉にひかれ、ここで車を停め大門坂を足でのぼることとしました。杖が駐車場の隅にあります。ここでもふたりで杖を手に取りました。ここの杖も神倉神社の杖と同じ確か川という字のつく人が寄付したものです。
ここの杖は竹製です。サポーターも巻いたので準備万端です。

車道を横切り、古道に差し掛かると、前をスカートをひらひらさせて女の人が杖もなしに歩いています。
その前には、軽い早足で男の人がさっさっとのぼっています。

スカートの人もいるし、すぐに着けるかも...熊野古道、組みやすし。そう思ったのは甘かった。
ここの階段は長いのです。
大門坂は熊野古道でも美しいということで有名です。本当に綺麗な石畳で、両脇を古い樹齢の木が続いています。神倉神社ではしまいには石段をつかんで登ったのに結局は疲れをあまり感じず、さっさとのぼれました。
それなのに...

ここの階段のゆるやかさがかえって時間をとり、すぐつかないのでだんだんえらくなっていったのです。
巨木に取り囲まれているので、日差しはさえぎられていますが、暑くて汗を拭き拭き、お茶を飲みながらの大門坂となりました。
最後には、余裕で登っていたスカートの二人連れに追いつきました。やはり、杖をついていたほうが楽だということですね。
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すばるのモーニングです

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ちょくちょく行くコーヒー屋さんです。エスプレッソマシンで入れたコーヒーに生クリーム、サラダにサンドイッチ{卵、ハム、ポテトサラダの三種}、茹で卵です。もちろん、コーヒー一杯の料金で後はサービスです。ここのパンは本間パンのパンを使っています。コーヒーもとてもよい味です。
店内は絵が飾ってあり、よく入れ替えがあります。みていると油絵もいいなぁと思いますが、油絵は場所を取るのでやれないなぁと諦めています。


選べるモーニングは色々とありますが、小倉トーストは絶対に頼みません。私はあんこにパンとマーガリンを同時に見るだけでブルっと震えが来るのです。いつもサンドイッチです。
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おやつタイムはデザート類があります。
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熊野14

お宿

2009年09月03日11:28

お宿は湯快リゾート-越の湯-に2泊しました。

湯快リゾート-越の湯は名古屋から宿まで直行バスを走らせてます。
車を一人-だんなはかなづちの上にペーパードライバー-で運転するのはちょっと考え込むような距離の上に、途中から高速もなく細い国道を行くことを思うと、バスがあるということはなによりも得がたいことです。

湯快リゾート-越の湯に2泊はちょっとなー...と、思いましたが、背に腹はかえられません。テレビで7900円とか宣伝してましたが、とにかく安いし、そう期待せずに行きました。

湯はよかったです。露天風呂いい気分(温泉)には二日とも人がおらず(中の洗い場で体や頭を洗っている人ばかりでした。)頭の上をとんびが旋回するし、光に透けて、透明な湯に湯の花がぽつんぽつんと浮かんでみえるのを手ですくったりして、足の疲れもすぐにとれていくようないい湯でした。

しかし、すごいのは、バイキングでした。

バイキングにたこやき(でも、中にたこはなかった)があったのにも驚きましたが、負けました...と、頭を下げざるをえなかったのは、すしバイキングです。

-寿司バイキング-そう聞くと、寿司がでるなんてすごいなぁ。なんて思うでしょう。すごいのは、ネタの薄さもそうですが、寿司に突進する老人達です。

最初はすごい人なのでそばにすら近寄れなかったのですが、意を決して寿司に近づいたら、持ってるお盆の下に老人の手が、頭が...お盆の上にも身をよじらせ奥のまぐろをとろうとおじいさんの上半身が...
うしろからも人が...

寿司バイキング、まことにおそろしい戦いでした。

まぐろとえびと、たこと、イカを取ってテーブルにかえって、寿司をよく見たところ、ネタが...薄い。とくにたことまぐろは紙みたいです。めがねのレンズに貼り付けても、外がよく見えそうです。

うっ...。こっこれは、食べてみると、しゃりも冷凍解凍みたいな感触があります。争奪戦をくぐりぬけた結果がこれか。
なにしろ料金が安いからしょうがないです。
だんなと「しょうがないね」「しゃあないなぁ」と、言いつつ、寿司はだんなに食べてもらって、鯨のシュウマイを食べました。

本当に鯨が入っているか実にあやしいですが、これはおいしかったです。

そんなわけで、1日目は寿司で失敗したので、2日目はだんなのいうように「学習したから、おいしいものだけ食べる」と、たこのはいってないたこ焼き、しゅうまい、その他もろもろを食べました。

いやにでんぷん質の多い野菜の少ないバイキングでしたが、それなりなのでしょう。

おもしろかったのは、ソフトクリームのところを通りかかったら、おばさんが、「どうやってやるのか、よくわからん」と、困っていたので、おばさんのカップをとり、ぐりぐりとソフトを入れてあげたことです。どのくらい入れるか聞くと、「たくさん、沢山入れて..あー恥ずかしい、欲が深いからいっぱいね」なんて言います。いっぱい入れてあげると、「おおきに、ありがとう」
と言って去っていきました。

そのへんのひとにさらっと声をかけて頼みごとができるなんて、南米の人みたい。バイキングの意気込みもすごいですが、関西の人のきどらなさもいいですね。

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寒くなる

昨日、知り合いに会ったら、ダウンのベストを、毛糸のセーターの上に着ていました。室内です。本人曰く、寒さに弱くたくさん着てないとおれないそうです。私は薄手のシャツと上着でした。昨日は風が強かったです。風の音、木々や電線が揺れる音が遠くから聞こえてきて家の葡萄棚が倒れないか、心配をしましたがなんともなかったです。
冬が始まっているなぁと、ひんやりとした空気を吸い込みながら感じました。

そういえば家の階段の隅にすぐたまる猫毛玉もこの頃は少なくなりました。猫もすっかり冬毛になったようです。
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酒の切り替わり時ですね

急に寒くなりました。一週間ほど前に冷たいお茶はやめて、冷水筒を物置にしまいました。そして、お酒はもう3,4週間前になるかな❓ビールをやめてワインに切り替えました。
毎日、旦那とビールは小さい缶を二人で一つ。ワインは小さいワイングラス一杯から三杯ほど飲んでます。旦那は必ず一杯のみです。昔はワインなんかはあまり好きではなかったのですが、アルゼンチンに住んでから、ワインばかり飲まざるをえなく、半年ほどでワイン好きに変わりました。家で飲むのはこんなもんでいいのです。

が、歳を取りました。昔、学祭の時に、みんなで一升瓶を回し飲みし、大トリをつとめた私はどこ❓なんてくらいに今は弱くなりましたが、いまだに一度も酒に酔っ払い、意識をなくしたりもどしたりしたことはありません。酒呑みの家系の血を引いているせいでしょう。
おじいさんもおじさんたちも強いですが、この頃感じることは、歳はやはり酒にも影響するということです。少しずつ、10年単位ぐらいで弱くなっている気がします。昔、お婆さんの葬式の時、酒に強いおじさんが夜、納戸をトイレと間違え、やりそうになったことを思い出します。歳を取ると酒豪も弱るのだと感じています。

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 熊野13


2009年09月03日06:58

神倉神社をくだり昼食をとった時はもう2時をまわっていました。
那智に行くのはもう疲れたので、鯨取りで有名な-太地-へ行くことにします。
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太地の岬には白い灯台がありました。-密漁監視中-の看板を背に海へ下ってみると、岩礁に波が当たってくだけています。岩の上から下を見ると舟虫がちょろちょろしてます。
近くで見ても海は青くきれいでした。
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すぐ近くには中日の落合監督の記念館があり、入場料2000円と書いてあります。2000円もするのでは、入ろうかどうしようか迷う筈もありません。

ただの海と灯台で十分です。灯台にまで足を伸ばし、宿へ戻りました。
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グレープフルーツゼリーを作りました

ぷるるんとしてかつ腰のあるゼリーが食べたくなり、アガーでゼリーを作りました。アガーというのは寒天と同じ仲間で海藻から作ったゼリー用の凝固剤です。メーカーにより色々とあります。
私はパールアガーを昔使いグレープフルーツゼリーを作りました。その当時うまくできたので今回もパールアガーで、と思ったのですが、製菓材料屋さんになく、伊那食品のイナアガーを使いました。

グレープフルーツは二個だけで液体を絞るには少なめでした。そこでドールのグレープフルーツジュース200CCのもの二本と水を合わせて500CC強にイナアガー15g使っています。ネットで見ると水分500ccにアガー10グラムで良いともありますが、中に入れるグレープフルーツの身から出る水分と、出来上がりのしっかりしたゼリーというのを考えると15グラムぐらいが良いかと思ったのです。
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アガーを増やしても少し緩めのゼリーでしたが、姿形と味はお店のものに比べてもそう悪くないゼリーができました。

グレープフルーツは日本で食べると南米の家の庭になっているものと比べて死んでいるような、間が抜けた味が嫌で、アメリカのものでなく、アフリカとか中東のものを使っています。今回はイスラエルだったかな❓それとも南アフリカだったか。防腐剤がアメリカのものより少ないのではと期待して買いましたが、実際のところはわかりません。
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熊野12

磐座-イワクラ-
2009年09月02日07:55

ゴトビキ岩は神の降臨した岩とも言われています。

ここが熊野の元宮で、熊野の神が降りたところらしいです。
神倉神社におまつりされているのは、ニギハヤヒのこどもの高倉下命です。

私はゴトビキ岩が母そのものに見え、熱にうかされるようにネットで調べたらここの神社がニギハヤヒの子供を祀っているということに気付き、愕然としました。
この岩でも、母、ニギハヤヒ、そしてX家-ニギハヤヒ-と、びったりパズルが合うのです。
はからずも母が亡くなってからニギハヤヒのことを追っていたら、いつのまにか、ニギハヤヒがX家、そして母とかさなり、目の前にだんだん近づいてきたのです。
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韓国の年金制度と売春婦[慰安婦]、応募工[徴用工]を考える 2

韓国の国民年金制度が1980年代末に始まったというのは、経済的な事情だけではないような気がします。なぜなら貧しいと言われる中南米諸国でもおじいさんおばあさんたちはそれなりに年金はもらっているのです。グァテマラの人と話をしていたら、その人のおばあさんの話になり「年金は少ないが、大家族でやっているから大丈夫」なんてことを聞きました。もう歳をとったお婆さんですから、年金制度は韓国よりずっと前に始まったと思われます。

少ない、十分でない と ない というのは全く違います。
なぜ、1980年代にはそこそこの経済国になっていた韓国でこのようになってしまっているのか❓経済破綻があったとはいえ、おかしな話です。

私は韓国が儒教国家で支配するものとされるもの{奴隷}にくっきり分かれる価値観、歴史を持っていたことにあるのではと思います。支配する人と支配されるもの。それだけのわかりやすい世界で、支配されるものは支配者のためだけにあり、それ以外の何者でもないのです。ですから、彼らの発想として庶民の年金制度なんかは出てこなかったということもあるのではないでしょぅか❓
これの鏡合わせはあまりにも激烈な入試競争です。これで支配するものになるのか反対にされるものになるのかが決まるのです。このような、両極に分かれる人生、それが韓国の人の価値観や、伝統的な感覚に染み付いているのではないか❓そんなことを考えてしまいます。

とりあえず、金を嘘をついても、何をやってもふんだくれればよいとの非常に浅ましい心根と相まって、日本にターゲットをむけて色々と言ってくるのでしょう。
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韓国の年金制度と売春婦[慰安婦]、応募工[徴用工]を考える

年金、今の年寄りはもらっていますが、この先どうなるか❓あまり期待も悲観もしていません。なるようになるさと構えているだけです。

昔、アルゼンチンに住んでいた時、生粋のアルゼンチン人のおじいさん、お婆さんたちは「年金、少ないのだわ」とよくこぼしていました。そんな時、日本からの移民のおじいさんたちはとても裕福で恵まれていました。日本の国民年金が入っていて、その額が現地水準からすると桁外れだったと思います。アルゼンチンは昔も経済破綻しており、円と現地通貨の力の差といえばそれまでですが、それにしても外に移民してそんなに掛け金も払ってなかった人にも年金が支払われていたとは❗️日本の国民年金の強さを感じました。

ところで、韓国ってとてもプライドの高い国で、すでに日本を追い抜いていると言っている人も多いですが、韓国の年金制度ってどんなか韓流ファンの方々はご存知でしょうか❓年を取った人を大切にする儒教の国だし、国も発展しているし、戦後の発展も目覚ましいから、日本より素晴らしい年金制度を持っているに違いないと思われるでしょう❗️
私は素晴らしい年金制度なんて考えていませんでしたが、普通に、昔から年金はどこの国でもあるものだと思っていましたし、日本の年金は手薄すぎると思っていたのですが、その常識を覆されたのです。

昨年、私はバイトでアジアの言葉ができると良いと聞き、やる気はまるでなかったのですが、ハングル講座に行きました。自治体後援のものだったので非常にレッスン料は安かったですが、先生はとても良く、語学以外にいろんな韓国事情を話してくれたのです。先生の生の韓国事情は他にもありますが、私が驚いたのは、慰安婦についてです。
先生曰く
「あれはおばあさんたちが、お金が欲しいのよ」金が欲しいから年寄りたちが騒いでいるのだ。」というのです。あんなことはヘキヘキとするといった内容のことを生粋の韓国人の先生が言ったのです。そして、さらに
「韓国には最近まで年金制度がなかったのよ」というのです。
えっ❗️年金制度がないだなんてそんな国が存在するなんて私は考えてもなかったのです。本当だろうか❓検索してみるとなるほど、韓国は国民年金制度が始まるのが遅かったのです。1988年からというのです。

これだと年金が満額でもらえるのが、今40代後半の世代からで、それ以前は何もないということになります。年金もなくてどう暮らすのだろう。そんな疑問の答えの一つが、自称慰安婦と自称徴用工です。
金がもらえればなんでもいい。もともと売春をしていた人、景気の良さ、給料の良さに日本企業の応募工を目指した人であれば、金のためならなんでもやるでしょう。年金ないんだから...

慰安婦、徴用工の問題は戦時中の日本の韓国植民地化問題と重ねてばかりいますが、そればかりみているとことの本質を見誤ります。この問題は、もともとは韓国の近代的な国家としての社会保障や福祉対策がいかに貧弱であるか、また彼の国の通貨が根本的に弱すぎるということがあるのだろうと思います。
また、国民性、習慣ということもあるのではと思うのです。

続く
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 熊野11

ゴトビキ岩
2009年09月02日07:41
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やっと頂上にたどりつきました。
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-ゴトビキ岩-本の写真のとおりです。

ものすごく感動するかと思いきや、なんともありません。思ったとおりの岩で、とっても普通な感じがします。
きっと、スピリチュアルな人だと、パワーとか、威厳とか感じる人も多いのでしょうが、何にも感じませんでした。お母さんが普通にそこにおる...そんな感じでした。

しかし、ここからの海は碧く、眺めているとはるかな南の島々のことを連想したりしてしまいます。

空も海も青く、いつまでも眺めていたい景色でした。波打ち際の白さが目に焼きついています。
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熊野10

神倉神社へのぼる ミクシー過去記事
2009年09月02日07:19
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神倉神社(登り口)に着いたら、ベンチのところに老人と若者が座っており、若者が笛を吹いておりました。龍笛ではないですが、太い低い音のメロディを静かにずっと吹いていました。 聞いていて笛の音というのも味があり、いいものだと感じました。
笛を聴きながら神社の階段上をうかがうと階段がうねりながら上に伸びています。曲がっているので上のほうはどうなっているかわかりませんが、この階段はすごそうです。
1272253007_182s.jpgさっそく夫婦揃ってサポーターをひざに巻き、おいてある杖を手に取り出発です。私は財布ポーチだけをたすきがけにして後は全部だんながリュックにかついで登ります。 私のほうが足が弱いのでだんなが私に先に歩くよう言い、だんなの前を私がのぼります。

杖を階段について歩くと結構急です。何ももたずに先を行く人がいますが、杖があるとないとでは違います。
杖を頼りに登っていたら、途中でぐっと勾配がきつくなりました。 杖はついていますが、体はまっすぐだったのに、だんだん杖もつけなくなり、階段石を手でつかんでよつんばい状態になってしまいました。

もう、後ろは見れません。階段というより、岩登りをしているような錯覚を感じます。 後ろは振り返れませんが、上も見れません。一歩前の手でつかむ階段石と今、足を乗せている石とそれだけしか見れません。
この階段は、-今を生きる-そのものの階段だ。後ろを振り返ったら崖のように見えるだろう。見ないほうがよい...なんて考える前に、今現在、落ちないように、杖を振り回してうしろのだんなをついて落としてしまわないように、ひたすら四ツ足でのぼるだけです。

ここまでくると足が痛いも悪いもどこかに吹っ飛び、悪かったはずの関節もおとなしく言うことをきいてくれて、どんな曲げ伸ばしもらくらくとこなしています。 そうこうしているうちに平地があり、こんどはさきほどより楽な階段になりました。そこを二本足で少し登るともう頂上です。

意外と早くのぼれました。急勾配は必死でしたが、のぼってみると体も疲れてなく、楽です。 入り口の写真は左上のところに虹色の玉のような光が映りました。こんなものはうつったことはないですが、何かのヒカリが反射したのかな?
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仕事のえりごのみ

以前私は、いろんな人の気持ちをわからねばいけないとどこかで思い込んでいました。今ではこう思い込むことが非常に傲慢だったと思いますが。
スピのミディアム の勉強の延長として、出店をやったことがありました。出店をやり、一人でもお客さんに対峙するにはどの人にもある程度共感でき、痛みがわかる人でないといけないだろう。と考え、最低賃金の仕事とかを色々とやってみたのです。また、今でも自分はしてなくても、先生をよびミディアム、スピリチュアル のワークの主宰をまだ続けていますので、参加する人々がどんな思いでワークに参加しているか❓どんな思いで貴重なお金を投じているか❓どうしても私はそれを考えてしまうのです。いまだに色々と考えると息苦しくなります。

でも、この頃は、それはそれで自分がやる仕事、やれることとは別なのでは❓と思っています。今年の春、慣れない仕事で体を壊し、接骨の先生に「ルンルウンさんには向いてない」なんて言われました。仕事は専門的でもなんでもなく、誰でもできる仕事なのですが、人により指示が違い、それに従うと失敗であったりしてーダメな無能なやつーの烙印を押されました。時給は最低です。スペイン語しか喋れないお客さんに詳しく説明しようとすると、やってはいけないと言われるし、散々でした。辛いことを体験しなくてはいけないと、どこか私のなかに修行めいた気持ちがあったような気がします。でも、あの職場はなぜか、私に集中的に悪意が向けられていたと思います。

しかし、その仕事の二倍弱近くのお金をくれる仕事は私にとっては楽だし、会社の人もみんな喜んでくれるのですが、最低賃金の仕事は正反対のことが多くありました。不思議ですね。誰でもできる仕事で、何も出来ない阿呆と言われ、ある程度出来ないといけない職場で褒められるとは❗️

仕事自体、そうそうしなくてもいいものでは❓と思っています。働かねばならないということ自体思い込みなのではないでしょうか❓みんながそうしているから、というのは一番危険な思い込みではないかと思います。私はみんなにどう思われようが、また、みんながどんな思いで働いておろうが、無理して合わない仕事はしません。もともと怠け者なのでそれにあった仕事をします。ですので、仕事の選り好みはするのです。

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熊野9

いざ、神倉神社へ ミクシー過去記事
2009年09月01日20:44
もうで餅はうまかった。

お店で箱で売っているのを目にしました。買いたい気持ちをふりきり出発です。明日那智で買えばいいのですが、はったい粉の風味が後を引きます。-できれば、もう一個食べたい-
車に乗り込み、来た道を戻ります。

本宮駐車場を出てすぐの車道のカーブのところにちょこんと黒いカラスがとまり、こちらを見ています。まるで私たちを見送ってくれているかのようです。からすに送られて今度は熊野川沿いを下って行きます。
この車はナビがついているのですが、だんなナビで進みます。だんなはナビが嫌いでナビの言うことを聞きたくないのです。でもここは一本道なのでおんなじだと思います。

新宮市内に入りました。だんなのナビに従ってやっと着きました。

「うーん?」「ここって、神倉神社じゃないよ。」
だんなが「えっ、ここと違うの?」
だんなは速玉神社と神倉神社を間違えたらしく、先に速玉神社についてしまったのです。
だんなナビ、ときたま変なところに行くのはしょうがないですね。

しかし、私は着いてそうそう、瞬間的に あっ、速玉神社なんかに着いちゃって...だんなめーなんでナビを使わないのか。などと思ってしまいました。 なんて心が狭いのでしょう。情けないです。
気をとりなおして神社敷地に入ると、パラソルが立っておりそこのテーブルに-もうで餅-がおいてあります。ここにももうで餅。

もうで餅も売ってるし、ここの神社がいいのは階段がない。駐車場から1分で到着です。だんなはここの朱と白のはでなお社をはですぎると思ったようですが、-楽-という点では非常にいい神社です。
足の悪い人もここなら詣でることができるでしょう。ここは本当にいい神社です。
速玉神社で朱印を押してもらい、禰宜様に神倉神社への行き方を聞くと、地図を出して親切に教えてくれます。
ここでわかったのですが、神倉神社の朱印はこの速玉神社でもらうことになっているということ、また、国道から神倉神社へ入る道は非常に細い道を入っていくということ、そんなことを教えてもらいました。

禰宜さまは、最後に神倉神社は階段が険しいということをにこにこしながら言ってました。

速玉神社のねぎさまのいうとおり細い道を入りちょっとじぐざぐすると神倉神社駐車場につきました。
こんなところは直接は来れなかっただろう。速玉神社に先に着いたのは、必然だったのだろう。先に速玉神社に行って禰宜さまに道を教えてもらったからこれたんだ。

そんなことをだんなと話しながら、上り口に行こうとすると、笛の音が...
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なんとブログを始めてから10年経っていた

プログを始めたのは2009年の冬至でした。そう言えば今年の秋分で銀婚25年です。両方とも9月、10月に気づきました。随分のんびりしていますね。毎日書くつもりが、途中で書けなくなったり、違うブログにスピ記事などを写したりしていましたが、夢と断捨離以外はこちらで書くことにしました。
このブログの前は2008年の夏至の日より、mixiに書いていました。しかし、mixiももう何年もサインインすらしてませんでした。が、昔の記事をこちらに写したりするため自分のページを覗いたりしています。でも、もうmixiには描かないなぁ❗️知り合いもmixiにはほとんど書いてないし、あんまり書きたいとも思わないし、こちらのブログに書く方が楽です。

あれからもう10年か❗️本当に10年しか経ってないなんてびっくりです。感覚的には熊野に行ってから4年くらいしか経ってない感じです。それが10年とは。どんどん老けていくなぁ。

鏡を見ると顔の容積が年月にしたがって確実に増えている気がします。
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銀杏 → どんぐり小→どんぐり大 → 栗
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今は銀杏からどんぐり になったぐらいかなぁ。あと何年かで栗になるなんて嫌だなぁ。栗にはならないように、顔マッサージに励むのもめんどくさいなぁ。
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熊野8

大斎原-おおゆのはら-その中- ミクシー過去記事
2009年09月01日10:43一

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鳥居をくぐり、大斎原-おおゆのはらの中に入りました。 石は残っていますが、他のものは一遍上人の碑以外は目につくものはありません。 大きい木もあります。
ここは、本当に明るい。
透明感があります。空気がきらきらしているようです。 とってもいいところです。

だんなが言いました「洪水は必要だったんだ」...「えっー」
だんなは-人がいっぱい来る観光地でなく、神聖な場所として清浄さをこの地が欲したんだろう-みたいなことを言うのです。 確かに鳥居の中はちょっと踏み入るのを躊躇するような神聖さがありました。でも、入っても怒られる感じはぜんぜんなかったですが...

だんなはここが気にいったようで、-気にみちているとか、エネルギーに満ちているとか言ってました。
鳥居の中にスタンプがありました。 大斎原-おおゆのはらのスタンプだなんて、ぜひ押したい。
私はスタンプの上下をよく確かめ、朱印帳にびとんと押しました。
うっ...よく確かめたのに...
きれいに色は出ていました。しかし...ひっくり返っていたのです。外側のしるしと、実際の判が反対になっていたので、スタンプがひっくり返ってしまったのです。

だんなに、「ひっくり還っておる」と、文句をもらした途端、気がつきました。ひっくり-還る-
やっぱり、本当にかえっているのだろうか?
後から、朱印も元に戻っているということにもハッとしました。
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夏目友人帳が今見れます

夏目友人帳を知ったのは、子供が中学か高校の頃です。子供の同級生が-すごく良い-と勧めるのでアニメを見てみたらはまりました。
ー幼い時から妖怪や不思議なものが見える夏目。両親を早くから亡くし親戚の間を転々とし、ようやく心優しい藤原夫妻の家で暮らすようになる。変な子ということで友達もいなく孤独だった夏目にも友人ができ、その中での妖との出会いも描かれるー
このアニメが今、GAOで視聴できます。
どこか切なく優しいアニメですが、忘れるとか、忘れようとしたことがあったような、何かを思い出させてくれるような気がするアニメです。
水底の燕や小狐の帽子、これらも良いです。
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熊野7

大斎原-おおゆのはら- ミクシー過去記事
2009年09月01日10:32

この日は暑く、昨日の雨、曇り空がうそのようです。
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熊野本宮を拝し、朱印をもらった後、大斎原へと向かいました。
そういえば、この8/27から、朱印が昭和20年30年代の朱印に戻ったと、張り紙がしてありました。 なぜ、昔の朱印に...しかもこの日から...わけは分かりませんが古い朱印を押してもらい本殿を後にします。
熊野本宮は明治22年までは大斎原-おおゆのはらにありました。洪水で流れたのです。今の本宮はそれ以降建てられたもので、古の人々は大斎原-おおゆのはらに詣でていたのです。

大社前の民家の脇を抜けたら、いちめんの田んぼです。おまけに稲は金色に色づき、機械や鎌で農家の人が稲を刈っています。 きょうは稲刈りの日だったのです
空は青く、気温はぐんぐん上がっています。ちょっと歩くだけで汗が吹き出てきます。風がさぁーと、吹く中、青い空に大鳥居がそびえるのを見ると、あぁ気持ちいいなぁと、思わずにはいられません。

大斎原-おおゆのはらは本当に明るく気持ちのよいところでした。

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プロフィール

握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。猫、鳥、虫等、とやり合いながら暮らしています。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

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