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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-10-大神神社→若宮→展望台

一番最初に聖林寺に行きましたが、その十一面観音があったとされるのが、若宮(大直禰子神社-おおたたねこ神社)です。ここは神仏分離以前、神宮寺であった大御輪寺があったとされるところです。聖林寺の観音様はもともとはここに安置されていたのです。

この大直禰子神社は大神神社の摂社ですが、おおたたねこ、という名前はもともと大神神社の神を祀っていた一族の人の名で、おおたたねこは、昔病などが流行っていたとき、時の執政者にわざわざ呼び出され、それら災いをしずめたと言われています。もともとの縄文的な血をひくシャーマンであったか?大直禰子の名を抱く神社は、大きな木もあり、のんびりとしたおだやかな感じの神社でした。

大直禰子神社を過ぎ、久延彦神社(くえひこじんじゃ)により、大美和の杜の展望台にいければいいなぁと思いつつも、時間がかかるから無理だろうと断念していましたが、なんとちよっと道を右に曲がって登って行ったら、なんと、行きたいと思っていた大美和の杜の展望台でした。

縮三輪山DSCN0320
三輪山を望む

ここは、とても気持ちのよいところでした。ここはだれでも気持ちのよい気分になるようで、次から次へと観光客が来ますが、ここで影のヒーリングをすることとしました。人は絶え間なく来てましたが、日差しは穏やか、空は青く澄んで、風もない、と絶好の条件でした。

みんな三輪山に向かい、影を落とし、自分の影の気になる所に癒しのエネルギーを送りました。これはやっていると気持ち良い...体の血液の循環がざっとよくなる感覚がありました。ちょうどお昼すぎなので、北の三輪山に向かう形となりましたが、陰のヒーリングをしつつも三輪山の大地のエネルギーも強く感じている人もいました。

他の観光客からしたら、なにか影に向けて、手をかざしているあやしい、危険なにおいの人たち...と思われたかもしれませんが、ここの場所でのヒーリングは非常に気持ちよかったです。

三輪山の反対側には、大和三山が見えました
縮大和三山DSCN0321
香具山、畝傍山、耳成山  です。

三山同時に眺めると、
香具山は、うねびをおしと みみなしと...なんて昔の歌が思い出されます。
ここの眺めは飽きず、この三山をずっと眺めていてもいいような気がしました。
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謙遜ということ

さて、ひとにはいろんな人がいますが、自信を持っている人でもいろんなタイプの人がいます。
①ただ、自信を持っている人
②自信を持っていて、人がバカに見えるひと、自分ほど偉いものはいないとうぬぼれている人
③自信はあるけど、それほど自分を偉ぶらない人

さて自信を持っているかどうかは別として、
①自慢しない
②自分をそれほど、すごいと思っていない人

などもいます。

そして、PRとか、宣伝とかが必要なこの時代、その流れに逆行するような宣伝嫌い、PR下手な人もいます。

スピリチュアルな先生も、町のケーキ屋さんにしても、それほど宣伝していなく、ご自身も売り込みはまるでしてないが、すばらしい指導力、味を誇る先生、お店もあります。ケーキ屋さんでもそれほどたいしたことがなくても、凄い自信で、-超一流-と自分で言っているものもありますが、中身は今ひとつというものもあります。

古きよき日本人の私としては、みずから、自分自身をアピールし、自信満々に宣伝するのもどうかと思いますが、消費者というのは宣伝で大々的にやられているものに傾きがちなようで、私も一度、ある食品売り場で-すごいと評判の-ケーキを買ったら、そうではなく全く期待はずれだったというがっかりしたこともあります。
このとき、私は
-こんな普通以下のケーキをすばらしいケーキだなんて、よく言えるよ-と、そのケーキ屋の図太い神経にあきれましたが、中身に関係なく自信があるのは確かなようでした。

せちがらい現実生活では、おみやげではありえても、-つまらないもので...-なんていうのはありえず、積極的に-すごいものだ-と自信をもってPRしたほうが、得だし、人も認めるのかもしれません。なぜなら、そのケーキも味からしたらたいしたことないと思わせるものだったのですが、宣伝がうまく-うまい-とみずから言いまわっているので非常によく売れているようでした。

ケーキの話はこのへんにして、人もこのようにある程度自信を持って、PRもしないと、その人の中身以前に、たいしたことないと、切り捨てられるのではないでしょうか?そんなことを考えていたら、
スペイン語で、
humildad という単語のことを思い出しました。humildadというのは謙遜とか、謙虚とかいう意味です。
人に対して偉ぶらず、おごらず、みせつけず、つねに頭が低く...といったすばらしい特性を謙虚という語には感じます。しかし、このhumildad、謙遜、謙虚だけではなく、もう一つの意味があるのです。

それは、卑しさ、とか下賎、卑屈とかの意味です。謙遜、謙虚という意味と同時に身分などが卑しいなどと、その人を否定するような意味があるとは...日本語で謙譲、謙虚といえばそれだけで、卑賤とは全く違うカテゴリーに入っているのできづきませんでしたが。

humildad...この単語を見て、私ははっとしました。この、スペイン語の意味で、なにか、重要なことがわかった気がしたのです。もともと、わたしは、自信がないほうで、かつ、自分を売り込むとかとても出来ないし、自慢するなんてそうありません...なので、えらそうなどと思われたことはない代わりに、-謙虚-だとはいわれたことはありますが、うぬぼれるなと、言われたことはありませんでした。

自分自身では謙虚とか、なんだとか、そう思ったことはないですが、バカにされることは多く、最近でも
真正面から-教養がない-などといわれたり...-あなたのように頭は悪くても正直だといいわ-などと言われたり...面と向かって失礼なことを言われたり、砂を投げられるようなこと、数知れず...

まぁ、自信がない上に、知っていることも表に出すこともないので、そう侮られるのも当然といえば当然ですが、

スペイン語では
謙遜と、下賎、卑しい、というのが同じであるとは...そういうことだったのか。

よく言います。-実るほど頭の垂れる稲穂かな-と。
私の場合は実っているわけでもなんでもないですが...もし、中身を外部からだけ判断するなら、頭を上げた稲穂、ひとり、他より突き抜けていているものがすばらしいとそれだけです。でも、外部だけではなく、その人やものの中身をよく味わったうえで評価すれば実って垂れた頭がすばらしいと気付きます。

しかし、実った頭は、他の稲穂の下に隠れて見えません。ただ、外から見ただけで判断すれば、実った稲穂は、下賎、卑しい、とバカにされます。そして実って無くても目だって上につきぬけたものは、すばらしいと思われます。外からだけで判断するか、中身を見抜けるか...外から見る人の眼力によります。

スペイン語のhumildad、謙虚、下賎というのは、外からの人から、そう見えるという姿です。外部からこう見えるという個々人の判断基準による感覚を感じます。真実はわかりません。ただ、自分を低く、へりくだってみせるというのは、ある人には謙虚と、あるひとには、下賎、卑しいと見えるのでしょう。
スペイン語のhumildad、謙虚、下賎という言葉は、反対に判断を下す言っている当人の底をはかられる、怖い言葉だとも言えるでしょう。

あなたは、humildadといわれても、謙虚という意味なのか、下賎という意味なのか...humildadということば、意外と考えさせられると思いました。ただ、あんまり、自己PRをしないでいると、見下されるというのは骨身にしみていますが、なかなかそうそう自信満々に振舞えないのが現状です。
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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-9-太陽の道と水の道-2-

東西の太陽の道に対し、南北の道、-水の道-があります。

三輪山を通過する 南--北 の道は

南←-那智大社--弥山--天河--三輪山--東大寺--鞍馬山--←若狭神宮寺 ←--北
この道は癒しのエネルギーラインと呼ばれているようです。

この三月奇しくも東大寺の修二会が行われます。これは本尊の十一面観音に罪を懺悔する功徳により、世や衆生の安泰を願う行事です。
ウィキペディアでは
二月堂の本尊十一面観音に、練行衆と呼ばれる精進潔斎した行者がみずからの過去の罪障を懺悔し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事


この修二会では若狭から水を送る-お水取り-それを取り上げる-お水取り-が有名です。

ウィキペディア
この水は、若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が神々の参集に遅れたお詫びとして二月堂本尊に献じられたと伝えられ、今でも遠敷明神の神宮寺であった若狭小浜市の若狭神宮寺では今もこの井戸に水を送る「お水送り」(3月2日)の行事が行われている。


私はこの時期、若狭のお水取りが行われた、などと聞くと、みえない何者かが、すっと若狭の神宮寺の閼伽井の水とともに鵜之瀬(遠敷川)に流れ出、地下を通り、東大寺二月堂まで流れていくのを想像してしまいます。
水は地下で繋がっています。日本海側から大和まで繋がっている地下水もあるだろうし、それが紀伊の国の那智に通じていてもおかしくはありません。

また、この水を送る遠敷川の-遠敷-とは水銀の意味もあると聞いたことがあります。水脈と鉱脈は交差したり並走していることもあるらしいです。私は一度山の中で-水銀鉱脈-を辿りつつ、聖地巡礼している人に出会ったことがあります。その方は機械メーカーの技師でしたが。その際に、工業技術と水脈、鉱物、などについて聞いたことがあります。たしか古代、鉄の精製には水銀が不可欠で、製鉄をする民は水脈に通じるとともにさまざまな鉱脈を把握していたのではないか?そんなことをその方は言っていたような...

自然の恵みである-水-と-鉱物資源-それらをよく知り、つかんでいた人々はもともとこの地に住んでいた-大地を敬う-人々と、ごく古い時代にこの日本列島に移り住んできた製鉄の民がまじりあってできた混血の人びとだったのではないだろうか。

そして、大地、水、樹木に宿る生命エネルギーを時に人は、瀬織津姫とか、アラハバキとか呼び、その回転するようなエネルギーを感じ、おおものぬし(へび、龍型の神)と感じたのかもしれません。

このテーマは私が何年も前からずっと追ってきているテーマなのでとても一口には言い表せませんが、私はこの三輪山を通る水の道をその本尊である聖林寺の十一面観音に参ることで、水の禊を受けることとなるのではないか?また、今の時も東大寺の修二会の十一面悔過(けか)その時である。おりしも、この15日は修二会の満行の日であり、その時に三輪という場所と、十一面観音と...なにか重なるような気がしました。

十一面観音関連の三輪山を参る。それは太陽の道と水のラインの交差点に坐している...今回、この時期に三輪山、聖林寺、山の辺の道、檜原神社を廻ることにより、

太陽の道と水の道を交差した、十字を形作ることにならないだろうか?妄想に近いですが、
宇宙からの生命エネルギー(太陽の道)と大地と水の生命エネルギー(水の道)をこのたびで感じ、吸い込み、心身をいやすことになるのでは?そんなことを感じ、今回のコースを決めたのです。

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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-9-太陽の道と水の道-1-

世界各地の遺跡を調べると偶然なのか、意図的なのか、あるライン上に遺跡が並んだりしていることがあります。

元、NHKディレクターの水谷氏は奈良盆地の三輪山を中心として東西約150㎞にわたって延びる北緯34度32分のラインが古代人の信仰と宇宙エネルギーに密接に関係したラインであると-聖なる太陽の道-と名づけました。

このラインを東西に並べると

西←-淡路島伊勢の森--三輪山--伊勢神宮斎宮跡--東 となります。

この春分間近の3/15日、ほぼ真東から真西に太陽が向かうとすると、この34度32分のラインを行くと、太陽は伊勢の斎宮跡から三輪山を通ります。そして、檜原神社を過ぎます。この時期には、檜原神社にいれば、その鳥居の中に収まる西に坐する二上山の間に沈む夕日が見られることとなるのです。
-まぁ、特別なエネルギーを感じると言うと思いいれが強すぎるかもしれないが、なにかが期待できるぞ-

いざいかん。

しかし

春分の太陽の道での夕日...鳥居の向こうの二上山に沈むというのはなかなかおもしろい、と思いましたが、太陽の軌道と言うのは結構大きい動きで、一日でも大分ずれてしまうし、おまけに二上山に沈む鳥居からの夕日は春分でなくそれより前の11日ごろでないと見れないということがわかりました。

うーん、残念。しかし、春分とは地球の大きなリズムの切れ目です。おまけに、この山の辺の道、三輪山、檜原神社、は-太陽の道-と重なることは変わりません。

太陽の道をこの春分に太陽と歩く、それでもいいじゃあないか。それが今回の旅の目的の一つ。そして、もうひとつは、水の道です。

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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-8-平等寺から大神神社へ

金屋の石仏から少し歩くと平等寺です。

平等寺にはおびんずるさまがありました。

ここでおびんずるさまに触ったり、写真を撮ったり...同行のKさんが
-おびんずるさんは、霊(超)能力が非常にあったのだが、その能力を誤って使ってしまい、修行せい、と仏に言われ、現在、その罪滅ぼしのため、このようにみんなの苦しみを引き受けているのだ-なんてことをみんなに説明してくださいました。

おびんずるさん...ちょつと赤い顔だったなぁ。平等寺を参った後は大神神社へ向かいます。
5分も歩かずに大神神社へ到着しました。

いきなり、本殿の横に出ました。いつもは、大きな鳥居をいくつかくぐって参っていますが、山の辺の道ルートだと階段も上がらず、横道からすっと本殿の入れるのですね。巳の杉のところに生卵が置いてあり、社務所の販売所も何人かおみくじや、お札を買っていたり...平日でも人は多いです。

初めての方も多く、
-わぁ-とか、-いいところ-とか、気に入った様子です。
おおみわimageCASGRAWY


ここでお守りなどを買う前に、まずは食事と、前もって予約してあった福神堂さんへと向かいます。

福神堂image


福神堂さんはそうめんやさんです。今回福神堂さんに決めたのは、たまたま最初に考えたそうめんやさんが休みでした。大神神社の奥のお店もあるし、予約しないでそこに行こうか、とも思ったのですが、まてよ...もう少し探してみよう、とネットで調べ、福神堂さんを見つけ、電話で予約しました。

これまではふつーのことなんですが、
聖林寺からつばいちまでの道で運転手さんに-どこのお店に予約しましたか-と聞かれ-福神堂さんです-と答えたら
-大正解です-との返事でした。おいしさも、値段も、◎だそうです。偶然見つけたお店なのですが、地元のタクシーの運転手さんのおすすめ店だったとは...しかも、後、わかったのですが、2番目に考えた神社奥のお店にしていたら、×でした。なんと、その日はお休みしてました。


予約しておいてよかったです-福神堂に...


にゆうめんimage
福神堂さんではにゅうめんと、柿の葉寿司一つ、それとおでんを2つ頼みましたが、にゅうめんが結構ボリュームがあり、おなかがぱんぱんになりました。おでんはやめたほうがよかったです。でもおいしかったです。

この福神堂さんについたのが1時ごろ...当初の予定通りでぴったしです。あと、門前でもなかを買い、若宮、狭井神社、影のヒーリング、檜原神社...行けるかどうか?あれこれ食べ、くつろぎ、結構時間が過ぎ店を出ることとなりました。これだけ食べてひとり1000円ちょっとでした。

たまたま他の店が閉まっていて非常に評判の良い福神堂さんでたべることとなりましたが、結構ついているというか、間がいいというか、奥の店にいきなり行ったら、閉まっていて8人、途方にくれていたかもしれません...ラッキーが続いていました。
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金を振り込んだが、連絡がなかったのは...

この間、ある会費を-〇-というところに振り込むこととなりました。

そこの振込指定銀行はわしの住んでいるところにはありません。わずかにあるという出張所(そこもちゃりでは遠すぎるのだ)に車で出かけたら、なんと、振込はできず、無駄足を食らいました。そこでできるかぎり振込料の少ないところと思い、自分の口座のある-U-という銀行に行ったところ、
できない...
おまけに、このカードではお取扱いできないとのこと。窓口できいたところ、このカードは何度か間違ったナンバーを入れたのでロックされてしまった、次の新しいのを作るしかない...だって!

ぐわん。ナンバーはちゃんと入れたはずだが、どういうことなんだ!と言っても、無駄でありました。振り込むには現金でしかできないというのです。現金で入金ではわざわざこの銀行まで来た意味がないじゃあないか!口座から振り込むからこそ、振込料が少しでも安くなるのに...しょうがないのでそのまま家に帰り、こんどは郵便局へ振り込みに...

-なーんかね。昔、-〇-というところは郵便込から振り込めたから振込料はただだったが、都会の住民のみ使えるとしか思えんM銀行になってからまったく不便になったもんだ。おまけに振り込み料が毎回かかるし...-

そんなことを思いながら振り込み作業をし、終わりました。終わった後に振込料がU銀行からよりも若干安いことが判明し、くほほほ、と緩んだ頬をかかえつつ帰りましたが。振り込んだはいいが、いつまでたっても-〇-から振込み受け付けの電話も何もありません。こちらも忙しかったのでちょっと日にちがたってから電話したところ、

-〇-と言う名で-〇-に振込があったというのです。
やっちまったよ...-わし-と、振込人名を書かず、-〇-と書いていたのだ!
慣れてなかったのか、振込人名と受け取り人名を間違えたようなのです。
-〇-は、自分名で誰かが振り込んでいるのを見て-なんだこれは-と思っただろうなぁ...なぞの-〇-さんは私でした。電話で判明したのでことなきに終わりましたが...
-〇-さん、振込銀行は郵便局も復活してほしいですよ。わしのように車、自転車でもM銀行は行けないのだよ。
大体、吉幾三の電気もねぇ、じゃあないが、銀行そのものがないんだよ。M銀行って、大体、県内に2軒ぐらいしかないんじゃあないのか?地方は東京都とは違うのだ。他行から振り込めって!
振込料はこちら払いだから-〇-の腹は全く痛まないが、払う方の身にもなってほしいよ。
地方人の事情も少しはくみ取ってほしいものです。是非、郵便局復活を願うわしであった。
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少し前ですが、こんどは握りずしを作りました。

たまに、握りずしが食べたくなります。
新鮮で大きいねたの握り...自分で作ったほうが早いと、作りました。
縮すしDSCN0325

新鮮だけど、安いマグロです。でも、うまい。

巻き寿司も添えました。

縮すしDSCN0323

巻き寿司のとなりはさば寿司です。サランラップを巻きすに敷いて巻きましたが、少し、ずれてしまいました。失敗です。今回はしめさばは市販品使用しましたが、やはり自分でめたさばのほうが数倍上手いと、思いました。いつもはすぐになくなってしまうさば寿司ですが、今回は握りずしに負けてました。
縮すしDSCN0324
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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-7つばいち観音から金谷の石仏へ

子供たちとあいさつを交わし、細い道を少しのぼって行くと、ありました。

つばいちの観音堂です。お堂の中に入っているので、石像の表情、凸凹は陰になり、よく見えませんでした。田舎の細い道の奥にある、素朴な仏さまでした。写真は撮れませんでした。

ここからさらに少し歩くと、金谷の石仏です。歩く脇の側溝をざっーと透き通った水が流れています。湧水でしょうか?水音に、自然の気持ちよさを感じます。

金谷の石仏です。
縮金屋石仏DSCN0317

石に仏が刻まれています。素朴ですが、細かいですね。昔は村のちょっとした辻に地蔵などがあり、その傍らで休む人、季節のあいさつをする人...いたんだろうなぁと思いますが、今はみんな忙しくなかなか地蔵などに目をとめる人もいなくなりました。

この金谷の石仏は、貞観時代の石棺の蓋とみられています。平等寺にあったともいわれていますが、そこを出て、外に置かれていたこともあるのでしょうか?今はお堂の中というのが少し残念ですが、この石仏、集落になじんで溶け込んでいるようにみえます。

ここからは平等寺を目指します。

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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-6-つばいち観音に向かう

山の辺の道は現在、格好のハイキングコースとなっております。古代からの古い道です。

ウィキによればその全長は約35kmであるが、その南部に古道の痕跡や景観が残り[2]、現在一般的にハイキングコースとして親しまれるのは天理市の石上神宮から桜井市の大神神社付近までの約15kmの行程で、その多くは東海自然歩道となっている

起点 [編集]現在のその道の起点は、海石榴市(つばいち、椿市:つばきのいち)である。古代には、海石榴市の八十(ヤソ)の衢(ちまた)と称されたところで、桜井市粟殿(おおどの)を中心とした地域であった。平安時代中期の延長4年(926年)には椿市観音堂付近が起点の地になった。

海石榴市、椿市 [編集]この市は、政治の中心が主として奈良盆地の東南部にあった頃、定期的に市が立って栄えた。また、初瀬川を下り大和川に出る水運ができあがっていたから河港もでき、水陸交通などの要衝の土地であった。その場所は三輪山の南、今の桜井市金屋付近である。

推古紀16年(608年)8月の条に「唐の客を海石榴市の衢に迎ふ」とあり、隋の使者は、初瀬川を船で遡り海石榴市で船を降り、市(衢)そこで出迎えられ、飛鳥の小墾田宮に入京したのであろう。路傍に「海石榴市観音道」の石の道標があり、少し離れたところに「海石榴市観音堂」がある


以上のように昔の交通の要所であり、仏教伝来の地の近く、つばいちが起点です。
つばいちには観音堂があり、石の仏様が拝めるとか...

石仏は素朴な味わいがあって好きです。拝見すべくかねてからの予定通り、聖林寺からつばいちへとタクシーで向かうことにします。実はこのつばいちへの道、地図でいろいろと事前に調べてても、くねくねしているし途切れているように見えたり、つばいち自体もはっきり場所がわかりません。うまくいけるかどうか心配だったの、ですが、タクシーの運転手さんがひょいひょいと細い道、曲がりくねった道、進んだり、ぐっと曲がったり...
すっとつばいちに着きました。

実は、予定を組むとき、聖林寺に行かず桜井駅からつばいちに行くことも頭をよぎりましたが、道がややこしく、本当、タクシーにしてよかったと思いました。

細い道にぐっと入り、到着です。すると正面から、小学生の一団が...細い狭い道です。通学路をふさがんばかりのタクシー...小学生が気分を悪くするかと思いきや、
-こんにちは-
-こんにちは-

すれ違う子供が次々にあいさつをしてくれます。
こんにちは、の嵐です。

すごい。なんかうれしい。晴れた空がますます青く見え、春の暖かさが私たちを包み込みます。

そんなおもいを感じながら手前の民家を見ると、傘のように広がった-梅-?が見事です。
縮しだれうめDSCN0316

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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-5-聖林寺十一面観音拝観

廃仏毀釈の時、大神神社、大御輪寺の十一面観音は、大八車でここまで運ばれたとも言われます。確か、タクシーの運転手さんが言っていたような気がします。

廃仏毀釈はそうとうひどいものであったのでしょう。私が推測するのは、捨てよ、こわせ、とおふれがまわり、役人が来た時に川に投げ込み捨てるふり、粗末にするふりをし、役人が去ったら、
みんなで仏像を川からすくいあげ、大八車に乗せ、聖林寺まで運んで来たのでは?なんて思います。

いままで、畏れ多いと敬い、尊敬していたものを、支配者が変わったからといって、こわしたり粗末にできるものでしょうか?太平洋戦争の時に負けたらすぐに米兵にチョコレートをもらったり、アメリカびいきになったりする人がいたらしいですが、そんな権力に迎合するものとそうでないもの。迎合しそのパシリとなり、もっと下のものに威張り散らすもの...そんな上からの圧力にこの土地の人は流されるようで流れない、さからわず...でもしたたかに、仏様を守ったのではないでしょうか?

私はここの仏様は亡き母がその写真を持っていたこともあり、心惹かれ、前にも来たことがあります。
仏像はもともと興味がないしそう好きではないですが、
さすがフェノロサがその麗しさに感嘆したというとおりの美しさで、何度来ても-また逢いたい-と思わせられる観音さまです。

聖林寺かんのん200908011724343b1


今回はなんと、途中でタクシーの運転手さんが説明に来てくださいました。ここのお寺、お堂はずっと坂になっているので、そこを息をきらして昇ってこられ、観音堂の扉を閉めて見たほうが観音様がよりよく見えるということ、頭部の十一面はかけていて全部はないということ、etcいろいろと説明してくださいました。

われわれ一行計八名とその他観光客は、運転手さんの説明に聞き入り、その間お堂を去る人はいませんでした。なんというタイミング、なんという間の良さ、運の良さ...
初めての人が多かったのですが、運転手さんの説明でこの十一面観音さんのことをより深く知ることができたのです。

ここは高台になっているのでそとからの眺めもすばらしく、運転手さんが、-三輪山、〇〇古墳はあちら...-などと教えてくれました。
縮聖林寺ながめDSCN0315

三輪山、箸墓古墳...春の日差しは明るく、見晴らしもよく、のどかな眺めでした。

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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-4-聖林寺拝観

聖林寺は十一面観音が有名ですが、本堂に入るとびっくりするのが、
白塗りでか顔のお地蔵さんです。

入ってすぐに端麗で美しい十一面観音さんとの出会いを想像していた方はここで大きな肩透かしをくらいます。
でかい地蔵...そして、顔だけが白い...

優雅、美...ではなく、妙に人っぽく、おまけに(特に顔が)でかすぎるのが面白く、みんなに好かれているお地蔵さんなのかなぁと思ってしまいます。
地蔵80059

子安延命地蔵さん、ちょっと暗い小さな本堂に堂々と存在していましたが、どんな人も受け入れてくれるような心やすい雰囲気があり、長くここにいてもいいような居心地の良さを感じました。

地蔵さんを拝観したら、いよいよ観音さまにお逢いします。
本堂の横の廊下を左に上へ登って行くわたり階段?を登って行くと、観音堂です。
観音堂は半開きです。

ん?半分閉まっている...扉を静かに開けたらすでに正面、右、左に観光客が何人も座られていました。

つづく
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待望の名古屋でのアクア講師のワークとセッション-開催決定です-

神戸でミディアムシップを学んでいます。その模様は詳しく本ブログに書いています。

すばらしいアドバイスあふれるアクア講師の ワーク、そして的確で情報量の多いセッションが名古屋で開催されることとなりました。

るんるうんが主催しています、こもれびやまでのイベントとなります。

詳しくはこもれびやまのホームページをご覧ください。

セッションは1枠のみです。これは!と思われた方はお早めにご予約ください...ワークも定員となり次第締め切りますので、お早めに...
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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-3-聖林寺

大神神社はへびの神様とか、山がご神体だとかで有名です。おおなむちとか、大物主などの名前の神が祀られていますが、明治の廃仏毀釈までは寺として十一面観音が祀られていました。寺と神社と混合して存在していたのです。
しかし、明治の廃仏毀釈はひどいもので、それまで大御輪寺として隆盛を極めていた大神神社の神宮寺も、平等寺もそれからさびれ厳しい時代を迎えました。本尊の十一面観音は聖林寺へ移されました。

今回の旅は大神神社関連の寺社を廻るということがひとつ、目的としてありました。
大神神社の拝殿にまいることはもちろん、神仏混合時代の本尊、十一面観音を拝むこと、神宮寺であった平等寺もよること、大神神社にあった脇仏の不動明王を拝むこと、元神宮寺であったであろうとされる若宮へ立ち寄ること...そんなことで、
大神神社で昔から祀られていた
神、 大物主、おおなむちを拝すると同時に
仏 十一面観音、その他の仏を拝するということをしたいと思いました。

まず第一に、桜井駅からタクシーで聖林寺に向かいました。聖林寺はバスがありますがちょうどいい時間のものがなく、タクシーしか手段がありません。2台のタクシーに分乗し乗り込んだところ...

タクシーの運転手さんが詳しい説明をしはじめました。聖林寺の観音様は川に流れ着いたとか、その他とかいろいろ話があるとか... 道すがらの古墳など。押しつけがましいわけでなく、いろんな話が出てきます。いい運転手さんに会って正解だったなぁ、と思っているとすぐに聖林寺です。

つづく
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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-2-日程

今回の日帰り旅行は行き帰りの手段を決めるのに時間がかかりました。
高速バスで行くと往復4000円です。安いのですがJRに乗り換え、現地に着くのが11時ごろ...帰りは名古屋に着くのが21時15分と、少し遅すぎます。

近鉄にすると往復7000円弱。朝出るのを早くすれば早く着きますが、そうすると早すぎるという声が...しかし、翌日の仕事がある人がいるのでできれば早く帰りたいし、行きをバス、帰りを近鉄にするとバスの往復割引は使えず料金はそれなりになります。
車で行っては?という声もあり、それでもいいのでみんなに車を出せるか?運転はできるか?聞きましたが。その結果、車はやめようということになり、一番最初の案の行き帰りとも高速バスということになりました。

奈良での行程は

桜井駅発(タクシーにて約10分)-聖林寺(十一面観音拝観)-(タクシーにて次へ) 以下歩きにて
仏教伝来の碑をへて、つばいち-金屋の石仏-平等寺--昼食、大神神社、、若宮、大美和の杜、狭井神社(御神水)―花もり休憩-玄實庵-檜原神社、井寺池-これ以降タクシーでもよい。万葉歌碑-箸墓古墳、倭ももそひめ陵など眺めつつ-巻向駅

ざっとこんな感じで予定をくみました。
今回は名古屋から6人、兵庫から2人と計8人の団体さんです。昼食は福神堂さんへ前もって予約しておくことにしました。また、玄實庵の不動さんの拝観はなんども電話をしたのですが電話が通じず、予約断念してでかけました。

朝8時ちょっと前の高速バスにのり込み、窓から差し込む明るすぎる日差しに、まずは天候の心配がないことにほっとして話をしたり、お茶を飲んだり...奈良駅につくのはあっという間でした。


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トンデモ話は奥で繋がる(195) 25.3.17

トンデモ話は奥で繋がる 「第195夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪宇宙人と闇≫
 
 ★ 人類外生命体の分類

 変人扱いされることを厭わないタイプの陰謀論者には、真の闇の
支配者
人類外生命体であり、現世を牛耳っていると見える支配
層は、その手下に過ぎない、と論を拡げます。

 最もポピュラー?なのは、高次元存在プレアデス系とシリウ
系の対峙、かつての神々の正体であるアヌンナキ、地底の暗黒
存在のレプティリアン等々による人類支配でしょうか。

 さてこれらの人類外生命体の場合、UFO等で身体を伴ってやっ
て来るタイプ
と、チャネラーを通じてメッセージのみを送ってくる
神的なタイプ
があります。

 うち身体を持った存在の場合、知性の進化度や寿命の長短はあ
るにせよ、私達と同じく、本性は『魂』であり『身体』はその容れ物で
ある可能性が高いと思われます。

 しかし、中には『魂』そのものが変容して『身体』となっている
存在
や、不老不死の『身体』を持った存在が居る可能性がありま
す。その場合、私達のような『死』は無いことになります。

 従って、人類外生命体を霊的に分類する場合には、

 ① 私達と同じように『身体の死』を持つ存在
 ② 『身体が無い』か、あっても『不死』の存在

の、大きく2つに大別して考える必要があると思います。

 うち、①の存在については、長短の差はあるにせよ寿命を持ち
かつ、その本性―死後も残るもの―は『身体』ではなく『魂』である
ような存在となります。

 ただし、精神的なメッセージを送ってくる存在すべてが『不死』
という訳ではなく、①の存在がテレパシー的伝達手段で、遠隔的
にコンタクトする場合も多いと思われます。

 さて『魂』が不滅であることを前提にすれば、寿命の転換点であ
る『生と死』を境にして、私達と同じように輪廻転生を繰り返す
考えてよいでしょう。

 そして、その輪廻転生が『魂』にとって有意義だとすれば、寿命
である『生から死』の期間については、『魂』の進化のための修
行の期間
であるはずです。
 
 従って、彼(女)等が闇の首謀者であったにしても、そのような
割を演じている
のに過ぎず、彼(女)等もまた『魂』のレベルでは
闇を志向するものでは無い
ということになります。

 ★ 『不死』とは『死ねないこと』

 さて、②の存在については、少し考察が必要です。
 まず、純粋に『不死の身体』を持った存在、逆に言えば『死ぬこ
とが出来ない存在』
について想像して見ましょう。

 SF作家のC・クラークは、第128夜でお話しした『幼年期の終
わり』に登場するオーバーロードを、これに近い、遥かに長い寿
命を持った存在として描いています。

 彼等は、霊的な世界の実体験を通じて新しい人格になることが
ありません。つまり、過去からの自らの体験は全て、膨大な知
識の蓄積
となって残ってゆきます。

 そのため、科学的・社会的進歩については、その誤用で全滅し
ない限りは、失敗例を含め、過去の事例を有効に生かして蓄
積していくことが出来ます。

 また、生死に関する特殊な霊的能力を持ったグループが出来る
こともありませんから、第八十夜のレムリア、第八十五夜のアト
ランティスのように黒魔術で滅亡することもありません

 しかしその反面、生活史が進むに連れ、行動しようとすることの
全てについて、善・悪どらちの結果を生むのかが、過去の体
験的に全て予見
できてしまうようになります。

 つまり、生活の様式に実験的な部分が何も無くなり、(遊戯的
な事を除けば)全て最も善いと思われる行動しか選択出来な
くなってしまう
でしょう。

 そうなれば彼等は、自分自身の生活にはほとんど関心を持
てなくなる
と思います。さて、そうなると彼等は、何に関心を持っ
て毎日の生活を送るでしょうか。

 恐らくその関心の矛先は、他の『不死では無い生命体』が、
どのように生きてゆくのか
に向けられるのではないかと、小生
は思います。

 寿命が有限である私達の世界に即して想像してみるのは、少
々無理があるかも知れませんが、ちょうど人間が昆虫等の、寿
命が短い生命体を観察するのに似て
いるかも知れません。

 ペットにして可愛がろうとする人、そのままの生態を守ってや
ろう
とする人、見るのも嫌で早々に駆除してしまおうとする人、
等々…その反応は様々です。

 こんなことを言うと『私達がペットと同じとはけしからん』と思
われるかも知れませんが、私達自身も、『霊』としては同等で
ある多くの動植物に対して、同じ扱い
をしているのです。

 手塚治虫も、以前に第140夜で紹介したように『火の鳥~
宇宙篇』
で、不死の生命を得た主人公を登場させ、そのような
思いについて描いています。

 不死の運命を背負った彼は、宇宙の全生命が死滅した後も、
悠久の時の中を全く一人で存在し続け、ひたすら他の生命の誕
生を待ち焦れる日々を過ごします。

 第五十八夜以降で紹介したアヌンナキは、寿命はあるようで
すが私達よりは遥かに長く、従って彼等が『神』として君臨した根
底にも、このような感情に近いものがあったと思われます。

 彼らと比べ、非常に短い間隔で『魂』の経験をリセットし、次
々と新たな人生を送れる私達の存在は、非常に妬ましいと同時
に、私達の進化を眺めるのが楽しみの対象でもあるのです。

 従って、彼等が私達に対して『闇の存在』的な仕打ちをすると
しても、それで彼等が直接的な現世での利益を得ようとしてい
る訳では無い
のではないかと、小生は思っています。
 
 そして、不死かどうかはわかりませんが、プレアデス人にせよ
シリウス人にせよ、程度の差こそあれ、概ね彼らアヌンナキと同
じ感情を持っているのではないかと、小生は思います。

 ★ 現世の『闇』は消えない

 次に『霊体』しか持たない精神的な存在について考えてみま
しょう。

 精神的な存在と言っても、そうで無い私達は想像するしかあり
ませんが、少なくとも私達の『魂』に当たる部分の活動があり、
かつ、それ自体が単独で存在しているものと仮定します。

 (とは言っても『形』が無い存在を、私達が他の存在と区別で
きるかどうか
、甚だ疑問です。よく『固有の波動』を持つとも言わ
れますが、同じ存在が使い分ける可能性もあります。)

 それらの存在が特定できる以上、彼等は『神』という存在とは
違う存在
ということになります。それでは彼等は何を目的に活動
をしているのでしょうか。

 仮に彼等の一部が『闇を追求する存在』であるとしましょう。
彼等がどのようにして、そのような存在に至ったのかを考えると、
第190夜でお話しした『一神か善悪二神か』が関係します。

 ミトラ神学のように、全ての存在がただ一つの『神』から発生し
たと考えれば、『闇を追求する存在』もまた『神』が創造した
いうことになります。

 ここで『神』は全能であるならば、『神』は不必要なものを創造
することは無い
筈ですから、『闇を追求する存在』も存在する
必要があって創造された
ことになります。

 従って、彼等が人間界で操っている『闇を追求する存在』も、
消えてしまうことは無い
でしょう。仮に新の首謀者が消え去って
も、必要であれば次なる代役が生まれることになります。
 ……………………………………………………………………

 一方、『ゾロアスター教』敵な『善悪二神論』の場合は『神』とは
全く別の存在として『闇を追求する存在』が存在し、両者は互いに
自陣の勢力を拡げることを目的
としています。

 仮に全能の『神』が、『闇の存在』を不必要として消し去れるの
であれば、既にそうしている
筈ですので、『神』の力をもってして
も処しきれない『悪神』がいることになります。

 さらに互いに『不滅』であるならば、せいぜい勢力を封じ込める
ことが出来るだけで、永遠に『闇の存在』が消えることもなく
両神の勢力争いは延々と続くことになります。

 そしてこの場合も、私達の人間界だけを見れば『一神論』の
場合と同じ
ようなせめぎ合いが続くことになります。違うのは、最
終的か勝利者が『善』とは限らない点のみです。

 そのどちらにせよ、両者が同等の力である限り、私達の現世で
の寿命の間に『闇』の根絶された世界を見る可能性は極めて
ゼロに近い
でしょう。

 つまり『一神論』にせよ『善悪二神論』にせよ、我々が現世で対
処すべき方法は、彼等の存在をよく知り、その手口が使えな
いような社会へ一歩ずつ近づけていく
しか無いのです。

 これが本当の意味での『闇の存在と関わらない』ことであり、
そのためにも『スピリチュアリズム』は『陰謀論』と疎遠であっ
てはならない
と、小生は思っています。

 さて次回第196夜は、仮に シュタイナーの見方とは違った
現世であった場合を考えて見ます。


( 追伸 )

 中曽根君、それでも君とは関わりたくない
のだが…。

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レイラインと、水のライン山の辺の道を行く-1-

友人と大神神社周辺に行こうと決めたのは2月でした。最初は二人だったのですが、何人かで行った方が盛り上がるかもしれない、また行きたいけど一人では行けない、と思っている人がいるかも...と、何人かに声をかけたところ、計8人で大神神社周辺を廻ることとなりました。

大神神社...ここは何年か前に初めて訪れて、ひどく気に入りもう、3回は参りました。

奈良の明日香、桜井周辺などは-歴史の会-に入っていたとき、バスで来たことがあります。歴史はそれほど興味がないのですが、ニギハヤヒ、ニニギに始まって聖徳太子、天智、天武、持統、蘇我氏などにまつわる謎、また、瀬織津姫、アマテラスなど現在の神様像ではない真実の古代の神について猛烈に知りたいと思っていました。

そんな時、ニギハヤヒ、そして、天智、天武、持統、蘇我氏などについての歴史講座があると知り、渡りに船とその講座に出席し、歴史の会の会員となりました。

一度奈良方面へのその会での日帰り歴史探訪がありました。その折、明日香、甘樫の丘などを廻り、帰途につく道すがら、

けだるいような黄色っぽいオレンジ色の中にフタコブラクダのような山がすぐそこに見えます。日はすでに傾きかけて、山のこぶを夕日がつつんでいます。
そちらを見て、先生が、
-あれはふたかみやま(二上山)です。
大津皇子が謀反の疑いをかけられ、処刑され、その亡骸があの二上山におさめられているといわれています-
との話をされました。

そして、その姉である大伯皇女が亡き弟を思い詠んだ
-うつせみの人にあるわれや明日よりは二上山を弟(いろせ)とわが見む-という歌の説明をされました。

現実のこの世の人間である私は、明日からは二上山を自分の弟として見ることにしよう、その亡骸が埋まっている二上山をみることで、せめて弟と会っている、見ていると思うようにしよう...などとどうしようもない悲しさと喪失感がこの歌にはあふれていて有名です。

さて、ふたかみ山と万葉集を習った人はそのように呼びますが、実は今はにじょうざんと言われているようですね。私はふたかみやまと、万葉集の歌で習ったので、現実の山をみてもふたかみやま、と言ってしまい、奈良が初めての人に教えてしまいあとからしまったということがあります。

ふたかみやまの哀しい話。私は暮れなずむふたこぶの山の稜線を見ながらこの話を聞き、たまらない気がしました。大体、もともと夕暮れ時があまり好きではなく、こんな話を聞かなくても夕日が沈んでいくふたかみ山をみるのはいやな感じがしてほとんど見てなかったのですが、そんな話を聞き、バスの中からちょろっと山を一瞥しただけであとは見ないようにしたことを覚えています。

さて、かなしい、けだるい、死を感じる山...そんな印象の二上山について、滅入るような話でなく面白い話を誰かのブログで見つけたのはいつだったでしょうか?それほど前ではありません。
-春分の時に、檜原神社の鳥居から二上山に夕日が沈むのが見える、その時は実際は春分の少し前で一日しかない-という記事を見たのでした。

たった一日しかない太陽の沈む道...太陽の動き、地球の動き、それに奇妙にマッチした二上山と、鳥居...
これは、興味をそそられるぞ、と日の沈む二上山はあまり好きではないが、天体ショーにも似た春分時の檜原神社の落日...いかねばなるまいと、思ったのです。
  

つづく
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theme : 歴史&スピリチュアル・ミステリー
genre :

2013冬ミディアムシップクラス5回目

最終日です。今回も大きな気づきがありました。
しかーし。忘れてます。

と、いうのは、次の日曜日になんだかとても背中が気持ち悪くなり、とても疲れてしまい、それから水曜日まで、波はあれど、不快感があり、土曜日のミディアムシップのこともすっかり飛んでしまいました。

一緒に練習した方々...私ってなにを言ってましたか?
なんだったかなぁ?

そうそう、瞑想には、兎が飛んでいました。そして、宮司さんのような人がいました。

ううむむ。少し思い出しました。相手の方の霊の姿、性格が視覚でもなく感覚でもない、こうでないかなぁと-わかる-感じでつかめました。毎回いろんな感覚を自分でも使っていると思いますが、だんだんどんな形でも、メッセージだと信じることができるようになってきました。

少しずつ、でも確実に進んでいるのを実感しています。

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genre : 心と身体

四字熟語 3 轍鮒之急 てっぷのきゅう

今回はてっぷのきゅう 轍鮒之急です。

以下コトバンクより抜粋


意味
差し迫った危急や困難のたとえ。車の通った跡のくぼみにたまった水の中で、苦しみあえいでいる鮒ふなの意から。▽「轍」は車が通った後に残った車輪の跡、わだちのこと。


晴れた日、からからから、都の大路を車が通ります。昔はアスファルト舗装はありません。古の東洋の土ぼこりをたてる土の道、それともヨーロッパの都市のような石畳の道。いずれにしても雨が降るとぬかるみ、足をとられます。石畳はいいような気がしますが、意外と、石と石のつなぎ目のところが緩んでいたりして、石を踏むとその間にたまった水が直線的に跳ね上がり、靴の上、ズボンのすそを濡らしたりします。

まったく、うらめしい、雨です。舗装されてない赤土の道などはズボンと足がはまったり、たまったものではありません。このような昔風の道は、雨が降ると、ちょこちょこ水たまりができたりします。雨上がり、そんな水たまりや、馬車の轍のあとのくぼみに水たまりができます。
ひとしきり降った後の道はこのようにぬかるんでいますが、その水たまりに青い空を発見するとうれしくなります。今は、日本ではよほどの田舎か、私道でないとこのようなぬかるみの青空をみることはありません。

昔は大雨が降ったりすると側溝や、急ごしらえの水たまりに亀などがはまっていることがありましたが、
さすがには見たことはありません。

夏などは大雨も激しいですがその後の照り返し、日光の強さもすさまじいです。雨でどこからか流れてきた魚や亀がその辺のみずたまりで一息ついていても、じりじりと突き刺す夏の日差しにどんどん水はなくなっていき、しまいには干上がります。

水たまりのような少しだけの水の中で喘いでいる鮒...すぐに水はなくなり死はそこまできています。

まさに、緊急時です。このてっぷのきゅうとは身近に迫った危急といいますが、
わだちの雨後の水たまりのわずかな水の中の鮒にとってはいかがなものでしょうか?

人間で言えば、火事に遭い、10階以上にいるが、もう自分では下の階におりることもできない。火の手はそこまで追ってきた。あぁ、はやく、助けてくれー...と、なんとももはや、せっぱつまった状態です。

差し迫った感はありますが、それより恐ろしいのは、生命を脅かすほどの危機が迫っていても自分の手ではどうしようもなく、救いの手を待つことのみ、と自力での脱出不可能といった閉塞感です。これが てっ亀の急 だったら、のろくてもすたこらさっさと行けますが、鮒はそうはできません。

この四字熟語を見ると本来の解釈からはずれますが、助かる望みの薄さと、ちっぽけな鮒の無力さを感じざるをえません。
しかし、この鮒、いったいどこから、そのへんの轍-わだち-に来たのでしょう。地面を歩くのは?なので、やっぱり大水で陸地にでてしまったのでしょうか?トビウオだったら少しは飛べるかもしれません。

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theme : 雑学・情報
genre : 学問・文化・芸術

お菓子をいただきました♪

昨日、お菓子をたくさんいただきました。

和菓子風のゼリーと、チョコ、あとはパウンドケーキです。こんなにもらっちゃっていいのか?なーんて思いながらもいただいちゃいました。

ゼリーはお茶と白玉団子とゼリーと盛りだくさんでしたが、あっという間に食べてしまい、もうありません。今日はチョコを食べました。


縮チョコDSCN0313
イチゴ?ミルクチョコ?それとも〇〇?なーんて、好きなものをとりわけて家族でいただきました。
ぱくぱく。途中でこどもが-おいしい-と言っただけでこれまたあっという間に食べてしまいました。このチョコはドライフルーツがちりばめられていて、そのパンチがきいているというか、チョコだけではない味わいがありました。普段はこのような高級品は絶対食べられません。

Iさんありがとう。
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theme : 食品・食べ物・食生活
genre : ライフ

エナジー(エネルギー)バンパイヤか?

日曜日、つきあいのため、ある人(Aさん)と話したり食事をすることとなりました。

間の悪いこともあったのですが、そんなことは気にせず、食事を何人かでとりました。そう悪い人ではないのですが、会話の合間に、-うっ-と感じること数度。そのひと(Aさん)は
-自分はそうは思ってないが、〇〇さんは、るんるうんさんのことを××と思っているのだろう。〇〇さんは自分(Aさん)のことを知性があると思っているからからそんなことをしないが、るんるうんさんは××だからと思っているからだろう-というので
思わず、
-それって私が教養がないってことですか-と聞いたら
-そうだ。-とのこと。

いままでその人のために骨を折り便宜をはかり、同情もし、やってきたのですが、(Aさん)...〇〇さんがそう思っていることだと、言っているので、自分自身が私に失礼なことをいっているわけではないと、考えて言っているのでしょうが...

その発言に、イヤーな気分になりました。

帰ってから、気にしないようにしようと、努めたのですが、他のことで気を紛らわせていたら、背中が気持ち悪く、胃までむかついてきました。同席した家族はなんにも言われてないのですが、かえってすぐに家族まで
-背中が気持ち悪い-と横になる始末。

そして、夜はだんなと私とふたりとも背中が重く気持ちが悪くなりました。ふしぎなことにおんなじ場所でした。風門という、風邪や霊が入り込むところです。

教養がない。ともかくも面と向かって言われたのは初めてです。
相手は悪気はないでしょうが、言われた方としてはいい気分はしません。あの時の帰り、家族と私となぜか疲れ切ってしまい、駅までその人を送りましたが、その人はより元気になっていたような気がします。

エネルギーバンパイヤでしょうか?人のエネルギーを吸って元気になる人がいるといいますが、そんなひとなのでしょうか?バンパイヤは人のいい人、見下している人からエネルギーを奪っていくと言います。
自分の仕事や友達などの関係では、そんな人はいなかったので、ひさびさに人に会ってからのぐったり感を味わいましたが、親戚関係なので切り離すわけにもいきません。しかし、そんな目に遭いながらもその人のことをかばい同情していた自分って、あほそのものだと、情けなく思いました。

まぁいいです。今日はしりあいにおいしいゼリーをもらい、ちょっと気分もましになりました。Iさん、ごちそうさま。
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theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体

ケルトとハープとクローバーと...

ミディアムクラスの最終日、実習の中で四葉のクローバーと言われた方がいました。あれっ?ただのクローバーだったかなぁ
まことにいい加減な記憶ですが、

これを言った方も言われた方も
うむ?と考え込んでいましたが、それを見ていた私は

もしかして?アイルランド、ケルトの四葉のクローバーじゃない?アイルランドって緑の国で、十字架がずんぐりとした感じで、クローバーって何かのしるしだったような気がするが...と、いい加減な記憶をめぐらしながら帰途につきました。

家に帰って、ケルト、アイルランドの本を見たら、
四葉のクローバーはケルトにとって神聖なもので、その昔、聖パトリックがケルトの民に三つ葉のクローバーを手に三位一体を語ったとのこと。四葉のクローバーも稀なもので、その貴重性を尊んだドルイド僧が四葉のクローバーに神秘と力を信じ崇拝していたと言います。

ケルトは今のヨーロッパの広い範囲にわたっていたので、アイルランドばかりではないですが、アイルランドは妖精伝説、ゲール語をはじめとするケルトの文化の痕跡が深く残っているところです。

Uさんはイギリスに住んでいたこともあったと言います。アイルランドとイギリスは同じではありませんが、海を隔てて遠からぬ距離です。イギリス、アイルランド...なにか意味があるのだろうか?ひとごとながら気にかかり明日の準備のことを思い出したら、
はっ、としました。

実は、IさんとUさんにアイリッシュハープを明日お貸しするのです。
縮ハープ800×800DSCN0294

何年か前に買ったのですが、なかなか弾くことも習うこともなく、そのままでした。独学で弾いてもいいのですが、今年はいろいろと試験を受ける予定で、ハープなんか弾きだしたら、つぼにはまりそうでまずいなぁと思ってました。ちょっと目に届かないところに置きたいなぁ、と思っていたところ、Iさんがハープを習いだしたがハープがない、ということを知りました。そしてそれを聞いていたUさんも習いだすことに...
でも、
ハープがない

吉幾三の東京さイクだ、のくだりではないですが、
-ギターもねぇ-ではなく
-ハープがねぇ-なんて、頭のなかで牛とハープの姿がめぐりだし、よく考えたら自分が持っていることに気づきました。それでおふたりにお貸しするのですが...

アイリッシュハープを習い始めるその時にアイリッシュのクローバーがミディアム実習の時に出てくるとは...なにか象徴的です。お二人には、うまくなってもらい、こちらに出張してもらい、ハープコンサートの実現を期待しています。
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ペット...飼ってみたいが、こんな生き物は?

昔、隣の市に出かけました。自転車やへ自転車を買いに行くためで、普通の住宅街を右に左に曲がり、うろちょろしていたところ...
生き物、いや、けだものと言ったほうがいいのか?ではなく、乗り物?それともペット?

ひさしく見なかった、動物です。有蹄類。アンデスの山に行くとよく見かけたあいつが何の変哲もない住宅街に立っていました。

すくっと立ったその姿は、目がばっちりと、首から胸の辺りには毛がむわむわと生えています。

これは、アルパカかリャマじゃあないか?、
ありゃりゃ、こリャマた、たまげたぞ。と一緒に車から見ていただんなも驚きます。脇を車で通り過ぎて見ても、どうも、馬でもらくだでもゴリラでもありません。だんなは動物園のようなところでリャマを見たので、リャマは知っています。

-あれって、リャマかアルパかじゃあない?-
-そう見えるよ-

リャマの右隣に、普通の家のガレージが見えます。左には、洗濯物を干した風景が...

こんなところに普通にリャマがいる!!あまりにもびっくりし、その風景を見ながらも自分の目が信じられなく、帰りにもそこを通ったら、
やっぱりいました。

2頭、毛の生えたらくだ風の有蹄類が、午後の静かな日の光を浴びてたたずんでいました。
ペットか?ペットとしてもあまりにも珍しい動物です。その後、なんどかその付近を車で通ってみましたが、どこの道だったかもわからなくなり、あの謎の有蹄類には逢わずじまいとなりました。


あいつらはなんだったのでしょう。首が長く、潤んだ目をしていましたが、ペットとして飼うには、珍しい動物だと思います。
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genre : ペット

トンデモ話は奥で繋がる(194) 25.3.9

トンデモ話は奥で繋がる 「第194夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪陰謀論の価値≫
 
 ★ 醍醐味は首謀者探し

 『陰謀論』の世界では、現世の闇の世界を牛耳る存在達につい
て、百花繚乱の説が入り乱れ、ある重要人物が正にも悪にも解釈
されており、なかなか一枚岩にはなりません。

 当ブログでも、第二十八夜以降、そのほんの一部について、日
本人、欧米人から宇宙人、霊的存在に至るまで、いろいろと紹介
して来ました。

 ところで、陰謀論者が最大のエネルギーを注ぎ込むのは、闇の
中枢を司り支配する中心人物を絞り込むこと、及び彼(女)(等)こ
そが絶対的な悪だと断定することです。

 小生には、その議論に決着を着ける力量はありませんが、ここ
では少し別の観点―私達が現世に生きる目的から『陰謀論』を
見てみようと思います。

 ★ 肉体あっての陰謀者

 初めに、『陰謀論』の対象を『地球人』に限って見てみましょう。
『いや、そんなレベルの話では済まない』とおっしゃる貴兄もみえ
ると思いますが、しばらくご辛抱ください。

 日本国内では、金権政治の末裔である尾沢氏こそ悪の権化だ
とする説と、『日本を取り戻す』等と本音?を掲げる彼らこそ癇民
族の売国者
だという説を軸に対立しています。

 さらにそれを後押しする勢力として、原子力利権のロフチャイ
ルド
と、石油利権のロップフェラーの攻防があるという説もあれ
ば、いや裏ではお互いに協力しているとの説もあります。

 そのいずれが真実?にせよ、どちらか一方が、或いは双方
が悪
なのであって、一般人、とりわけ日本の庶民がそのスケー
プゴートにされているという図式です。

 彼等闇の勢力の候補者達にとって、現世の目的は、概ね、
『享受できるあらゆるものをマネー化し、それが自らに集中
する
システムを通じて人類の頂点に立つ』ことでしょう。

 しかしながら、それらは全て現世の物質文明と、肉体が受容
できる『五感』を前提とし、『死』への恐怖を煽り立てて私達を
従わせることで得られるものです。 

 彼等も、人間である以上は、いつかは現世での『死』がやって
来ます。従って彼等の一人ひとりがその目的を享受できるのは、
せいぜい百年余り
に過ぎません。

 無論、その末裔が自らと同じような境遇を享受することで、それ
が永遠に続くと考えることも出来ますが、所詮は本人の霊的な
世界に持ち込むことは出来ない
のです。

 ★ 先に楽有り、後に苦有り

 彼等が、自らの死後の世界をどう捉えているのかは分りません
が、その後、一般的に考えられている霊的な世界では、彼等の現
世での物質的・感覚的拘束手段は全く通用しません

 それどころか、霊的世界では、彼等が現世で私達を欺き続けた
手口も、彼等が今現在に思考している内容も全て、他の霊的存在
には筒抜けに感知されてしまうでしょう。

 加えて霊的世界では、他の霊的存在を押さえつけたり、抹殺?
してしまうことが出来ないとすれば、彼等は周りの憤怒の情に晒
され続ける
ことになるわけです。

 そうでなくても、第136夜で見たとおり、彼等は『肉体』を失った
瞬間から、自らの行為が他の存在に与えた苦痛を、自ら体験
し苦しむことになるとシュタイナーは言います。

 このシュタイナーの解釈が真実だとすれば、果たして彼等は、
死後の苦しみを承知の上で、闇の世界の所業を選択してい
るのか
どうかが問題になります。

 もし彼等が、死後に霊になった時点で、現世での行為を後悔す
るのであれば、魂の進化のシステムを知らないが故に、現世
では本意でないことをしていることになります。

 逆に、そのことは承知の上で、生前に自らの人生を、敢えて
の誰かのカルマの解消
のために、闇の担い手となることを選択
して臨んでいるような高尚な魂かも知れません。

 つまり、シュタイナーの神智学的解釈で考えれば、『肉体』を持
って現世に生活している者であれば、現世での所業はともかく、
『魂』として闇の首謀者を選択する者など無いわけです。
 
 ★ 陰謀論者の本当の仕事

 とすれば、『陰謀論者』が血道を挙げて『彼等こそ闇の首謀者
だ』
と究明する行為は、霊的なレベルで見ればあまり意味がな
ということになります。

 霊的なレベルで見れば、一方は闇の首謀者になることなど望
んでいない魂
であり、もう一方は他の霊のために、敢えて自己を
犠牲にしてその役割を担っている魂
だからです。

 たとえ、特定の個人が現世では真の闇の首謀者であっても、
霊になってしまえば、自分の行為が本意では無かった事を悟る
のですから、その本性は首謀者たり得ないのです。

 ましてや、当の首謀者が現世から消えたとしても、闇のシステ
ムが必要とされる限り
は、2番手、3番手の闇の継承者が、次
の首謀者になるだけの事です。

 しかし、だからといって『陰謀論者』の努力は無意味なことで
はありません
。彼等は『闇の世界』の存在と手口を、一般の生
活者に広く知らしめるという重要な役割を担っています。

 つまり『本当は無価値どころか害のある物』を現世の宝の
ように見せかける輩
を、一丸となって片っ端から糾弾してゆき、
私達の選択の目を開かせることこそ、第一の使命です。

 ただし、そうした『陰謀論者』の中にも、一般の生活者を混乱
させる目的を持った、高尚な?魂も混じって
おり、彼等の言
動には常に注意し、全てを鵜呑みにしない心構えが必要です。

 さて次回第195夜は地球外の陰謀者に視点を移します。

( 追伸 )

 そうだったのか中曽根君、
君も本当は高尚な魂なのかも知れない。

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春ですねぇ

寒くとも暑くとも、歩く。自転車で走る、と思っているだけでたまに思いついたら、自転車に乗るといっただけです。そろそろ啓蟄も過ぎ、春の陽気に誘われて近くの川べりを自転車で通りました。

散歩の老人、立ち話の老婦人たち、相変わらずろーじんの多い昼日中、川岸、土手を見ると3.40代の女性が真剣に何かを探し取っています。
右手で取り、左手の袋に入れています。

つくしかな?

そこを通り過ぎると土筆は発見できませんでしたが、スギナが青々と生えそろっていました。

早い!

昔は3/25からの春休みに土筆を取っていました。それでもそのころよく雪が舞い、風が吹き、寒かったことを覚えてます。今は、3/5ぐらいの啓蟄頃に土筆が出ているとは...昔より2週間は早く暖かくなっていると思います。雪もちらともしないですし、暖かくてよいですが、凛とした寒さの残る早春の雰囲気はあまり味わえなくなりました。
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genre : ライフ

花粉症対策って

花粉症の人が多くなってきました。町を行くとカラス天狗みたいなマスクの人がスーツを着て歩いているのをみると、なんとなくへんてこな気がしつつも気の毒になります。

くしゃみ、鼻水...鼻なんか何度もかんでいると鼻の下が痛くなってくるし、頭もぼっとして大変だろうと思います。なんとかならないでしょうか?

竹酢液を薄めてスプレーすると花粉症の症状が引っ込むと昔、テレビで見ましたが、それが効けば、くしゃみをする家族にやってやるのですが...竹酢液はあるけれど、薄める倍率がわからなく、結局我慢して終わりになりそうです。

何かほかにいいものはないでしょうか?森永のビヒダスヨーグルトがいいと、森永のホームページでは出てます。ただの宣伝としても、試してみようか?試す価値ありかもしれません。今度スーパーに行ったら、買ってみます。
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genre : 心と身体

十牛図、牛を尋ねる

ミディアムシップでの歩みを十牛図になぞらえます。
1.尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
2.見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
3.見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。

牛を見失い、途方にくれた状態から、足跡を見つけるまで...よく考えると、その手の本やちょっとしたワークなどに出ている状態は尋牛の段階でした。

オーソドックスなその道を説いていますが、それだけで、学習効果があるかといえば?が出るような...金だけは確実に出ていくが蓄積するものは-?-という心もとない状態です。
ここで馬鹿らしくなったり、ひとりで瞑想していても同じと考えたりで、-師-を探すことはあきらめましたが...

たまたま、見た案内で-ミディアムワーク-があることを発見します。さっそく参加してみると、
これが、今まで求めて得られなかった、ひとりひとりに即した的確なアドバイス満載のワークでした。

これこそ、今まで探していたワーク、先生だ。得難いものを得るとはこのことでしょうか?何年間も探しに探し、やっと出逢えた...そんな瞬間でした。この時の感動を思い出すといまも胸が熱くなります。

アクア講師のミディアムシップワークを受けたその時...
その時が、
見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。の段階に足を踏み入れた時でした。

つづく
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genre : 学問・文化・芸術

三月のおついたち

三月のおついたちが届きました。

縮おついたち800×800DSCN0295
お雛さまのついたおまんじゅうなど、早春らしいおついたちです。

上段左から、橘-外郎-、桃山、じょうよまんじゅう
縮おついたち800×800縮ハープ800×800DSCN0296
下段、春の波-練りきり-、ちぎりもち
どれもおいしかったですが、ちぎり餅は、ソフトで出来立て感いっぱいで、ヨモギの香が強く香りました。今また外は風が強く吹き始め、寒くなってきましたが、もう春なのです。
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theme : お菓子
genre : グルメ

サバランを食べました

サバランを食べました。

サヴァラン (savarin) は、フランスの焼き菓子です。ブリオッシュを切断し、紅茶味のシロップを染み込ませて冷やしたものにラム酒やキルシュワッサーをかけ、生クリームや果物で飾りつけたものです。

何十年か前、友人が大丸に入っていたコロンバンのサバランを買ってきてくれました。サバランなんてパンを甘くしたもので、甘いパンのようなものと思っていた私の先入観をがらりと変えたすこぶるうまい、洋酒の香り一杯のサバランでした。あれから一度だけ買ったことがありますが、500円弱のサバランは、なかな買う勇気がなく、お店の前を通っても素通りしていました。

洋酒がたっぷり使ってあるリッチなお菓子、食べてみたいと思いつつなかなか手が出なかったのですが、手元にある商品券で買えることに気がつき、早速名古屋まで出かけ、買ってきました。

なつかしのサバラン...家族で食べました。

おいしい。うむ。うん。

やっぱりコロンバンのサバランはおいしいです。
縮さばらん800×800DSCN0303
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theme : お菓子
genre : グルメ

トンデモ話は奥で繋がる(193) 25.3.3

トンデモ話は奥で繋がる 「第193夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

 ≪スピリチュアリズムと闇≫
 
 ★ 闇を説く高次元存在

 さて、小生がこの道?に入って以来、不思議に思っているこ
との一つが、スピリチュアリズムの指導者の、現世を支配す
闇の存在―いわゆる『陰謀論』に対する処し方です。

 バーバラの『プレアデスの夜明け』にせよ、ドランヴァロの
『フラワー・オブ・ライフ』にせよ、高次元からのメッセージに
は、何かしらの闇の世界の支配の歴史が語られています。

 つまり、それらを精読された方なら、教室で教えられてきた歴
史や科学、或いは現代社会の常識とされているシステムの多く
が、『歪んだ知識の刷り込み』であることを知るはずです。

 そして、スピリチュアリズム的な魂の浄化に取り組むために
は、それらを正しく認識し、そのシステムに絡み取られないこと
が最も重要であると、認識するはずだと思うのです。

 現代の支配層は、私達の知識を暗くし、食生活、医療行為、
選挙や裁判での権利侵害等々、あらゆる闇取を行い、テレ
ビ=広告屋に、それをカムフラージュする偽情報を流させます。
 
 それは単に『気にかけない』程度で防衛できるものでは
無く
、見るもの、聞くもの、食べるもの全てに、本当は害にな
るものが、善として流通している
可能性を疑うことが必要です。

 ★ 闇への無関心主義

 ところが、スピリチュアリズムの指導者として多くの信奉者
を集めている人達の多くは、各地で行われる講演やHP上で、
闇の手口に対応する方法を詳しく述べようとはしません。

 一般に、指導者のほとんどは、彼(女)を師と仰ぐ受講者に対
して、この手の話との関わりを避け、ひたすら『関心を持た
ない』
ことこそ賢明な態度であると教えています。

 これは一体何故なのでしょう。心さえ浄化に向かわせてい
れば、体は自然と、それらのものに影響されることは無く
なる
と言うことなのでしょうか。

 また、仮にそうだとしても、私達の現世での目的は『肉体』
の業を体験することであるならば、それを最善の状態に保つ
ような努力をするべきだと思います。

 そのためにも、私達の『肉体』の機能を低下させるような
物質
の摂取や、『精神』の安定を乱すような偏見や切迫感
を、未然に防ぐことが必要なのではないでしょうか。

 ★ 片手落ちのセッション

 スピリチュアルのセッションに参加する方の多くは、このよう
肉体的、精神的な害毒が、身近に存在することすら気
付いていない場合がほとんどでしょう。

 また、その人達がたまに手にするスピリチュアルな書籍は、
ステレオタイプの、当たり障りの無い霊的向上生活の心得
をちりばめたものばかりだと思います。

 そうした中で、スピリチュアルの指導者が、高次のメッセージ
として受取っているはずの情報の一面だけを伝え、肉体的・
精神的な害を注意させない
のは、小生は合点がゆきません。

 せっかく魂の浄化の方法を学んで実行しても、それに重なっ
ている肉体やエーテル体やアストラル体が害され、歪めら
ては、正常な作用は期待できないのではないでしょうか。

 『闇の存在と関わるな』というのは、彼等の活動に参加す
るな
ということであって、そのためには、彼等の手口をよく知
っておく必要
があるのは当然のことでしょう。

 それならば、セッションの一部、或いはHP上のメッセージで
それらの存在について知らしめるので無ければ、全く片手
落ちの指導と言わざるを得ません。 

 或いは、そのようなタイプの指導者にとって、それは『不都合
な真実』
なのではないかと疑ってさえしまいます。そして、残念
ながらその可能性はかなりあると思っています。

 一方で参加者の肉体的、精神的な不安要素を撒き散らし
他方で彼等を救済するフリをしつつ、なけなしの財産をつぎ込
ませる
のが、闇の世界の常套手段ですから…。

 さて、次回第194夜は闇の存在と陰謀論についてです。

( 追伸 )

 中曽根君、君の正体もよく教えて
もらわねばなるまい。

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四字熟語2-水到渠成-

今回の四字熟語は水到渠成 すいとうきょせい です。

意味は学問を十分に行えば自然に道徳も身につくということ。また、物事は時期が来れば自然に成就するということです。

水は流れます。雨の降った後、道路や空き地に落ちた雨水は、自然に低いところに向かって流れています。また、雨どいの壊れたところ下、水の滴り落ちる地面など、いつの間にやらくぼみが出来、そこから浅い筋のような溝がずっと下まで続いていることもあります。雨の日にそこを水が大きな流れとなり、だんだん低いところへと向かっているのを見ると水の勢いに驚きを感じたりもします。

ちょっとした雨水の流れなど気をかけることもありませんが、豪雨の時は雨の道、雨水の溜まるところが気になります。もともと低いところを水が流れるのですから、大雨だと低地に住む人々はひやひやします。
水は低いところを這い、それが続くとその場所がえぐられるように水の道が出来てきます。

水が何度も流れをつくり、それを繰り返すとちいさな-渠-(溝、水路)ができます。

学問もそうだと言うことなのでしょう。何度も何度も学習し、努力する。すると時期が来ると自然にその内容を解し、身についてくる。また、そのように学問に励めば、自然と道徳もつくということなのでしょう。

人間は忘却する動物であるといいいます。エビングハウス曲線というのがあり、人一般はどの人もある一定の忘却推移を辿るということが言われています。以外や以外、世に知れた秀才、有名大学出身の方々でも、忘却曲線は同じだそうです。

ものごとの覚え、記憶力などそれらの方々は一般人にははるか高い水準を誇っているように見えますが、心理学系の本を読むと、忘却曲線はどの人にも当てはまり、-人はそれほど変わりなく忘れていくのだ-なんて書いてあります。
では、なぜ、秀才たちは物覚えがいいのか?それは、何度も繰り返し覚える。忘れる頃にもう一度覚える。そんなことをしているのではないでしょうか?

水到渠成...本来の意味は学問を十分やれば道徳も身につく、ということですが、私はこの熟語を見ると、
低いところを目指して何度も何度も流れていく水の流れを、思い浮かべざるをえません。いつか道徳が身につくかどうかは別として、何度も何度も繰り返し、自然に溝が出来るように学んだものを身につけ、願いを成就したいものだと思っています。

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genre : 学問・文化・芸術

ミディアムシップの学びとその他についてなど

ミディアムシップの学び...普通の人が始めました。幽霊が見える訳でも、妖怪と運動会ができるわけもないただの人です。このようなものは普通の人でなくもともとの才能のある人がやるものと、一般的にはそう思われています。

しかし、一般人でも練習を重ねていけば、
なにかがわかる、つかめると練習を重ねてきました。

この頃感じているのですが、普通の人でもやれるか?なんて考えてもしょうがないことだ、と思っています。興味があってなんとか感じたい、わかりたいと思ったら、
やるしかない。それ以外にないのです。一般人だから無理だろう、だめだ、と思ったらそのままです。自分の未来に
無理だ、だめだと予測するか、やれるんじゃあないか?やれる、そうなりたい、と思うか進むか引っ込むかどちらかしかないのです。

ミディアムシップのようなもともとの才能、天稟などを要求されるものを学び、すこしでも手ごたえを感じたときに思ったのは、
これは、ミディアムだけでなく他のことにも当てはまるのでは?ということです。

何をしたいか、しりたいか?進みたいのか進みたくないのか?
いままでもこのようなことはいくつも数限りなくあったことに気づきました。

私はどうも、記憶力が悪く、英語などは全く覚えられず、みんなにさんざん馬鹿にされてきました。なにしろ、中学生の時にBとDを間違えたこともあるのです。できない。だめだ。そんなことの連続で、できないと体罰のあった中学時代は地獄でした。外国で暮らしても、それほどしゃべれるわけでなく、記憶力の悪さにいやになってました。

もともとだめなのだ。わからないのだ。そんなことの連続でした。

しかし、このミディアムシップの勉強を続けて、違う思いが湧いてきたのです。

もしかして、今までの勉強、その他もそのように思い込んでこなかったか?自分にはとうてい及ばないと思ってなかったか?

もしかしたら、自分でもやれるんじゃあないか?できないと思っていた英語、語学、その他...やれるかもしれない。ふつふつとそんな考えが湧いてきてしょうがありません。


自分で自分を見限ってなかったか?少なくとも、なにかを-したい--こうなりたい-と思ったら、それがなるように、最善をつくすべきではないのか?
それほどいままで真剣にやっていたのか?できないと思っていたところはできるように工夫し考えるのだ...

やってみろ。やれるんだ。そんなことをミディアムシップ以外のことにも感じています。今年は試験をできれば2つ受ける予定です。こんどこそ、ものにします。
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genre : 学問・文化・芸術

プロフィール

工芸美術をやっています。2017年からスペイン語の試験を受けています。が、ドンキホーテはいまだに完読できていません。握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

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