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天岩戸神社は、岩がそそりたっていた!

ここへは、きつい石段をまるで滝つぼに向かうかのように下へと降りていきます。淵があるので下る形になるのでしょう。
淵、急流を左手に右手を見ると、

ありました。ちっちゃい神社が...神社というより、祠の大きいのというか、一般人の家=神社の建物としたら、三角テントぐらいです。ふるいです。
大きさはこの位置からすると当たり前でしょう。

縮天橋立旅クサリDSC01133_copy


祭神は手力雄命。如来院(高野山真言宗・仏性寺)の鎮守として祀られているそうですが、
この岩...大きいし、結構曲面でしかも地上から斜めというより垂直に近くそそり立っています。足を滑らしたら下の淵にはまってしまいます。

鎖は、しっかりとしています。
サルになった気分で鎖を手に登ろうかと一瞬思いましたが、岩が結構急な角度になっているうえ、湿っています。これは、山のぼりをしている人でないとだめだろうと、うきゃきゃきやと騒いだだけであきらめ、やめました。

気軽にロッククライミングをされたい方にはいいかもしれません。

ここは水の勢いが強く、湿っており、木々の緑と水蒸気でむんむんしていました。あんまり長くいたい所ではありませんでした。
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皇大神社の奥宮-天岩戸神社-に行く

皇大神社で朱印をしてもらって、奥宮への道を聞きます。ここから右手の道を降りたり上がったりすると、あるようです。

うわさによればこの天岩戸神社、強いパワーを感じた、とか。

そういえば、ここから、禁則地のパワーあふれる聖なる山が拝せられるとか...そんなことを思い出し、山道を行くと、

あぁ...ここかぁ。
縮天橋立旅DSC01131
きれいなおむすび型の山です。

途中のに少しだけ開けるところがあり、そこに鳥居があります。
縮天橋立旅DSC01132
鳥居にぐぐっと近寄ると、鳥居の中に山が入り、なんだかとってもいい感じです。

この山は岩戸山(城山、日室ヶ嶽)と言われ、神が降臨したとも言われているようです。山の中には古代の祭祀の後があると言われています。ただ、禁則地なので一般人は入れません。夏至の時に伊勢の二見浦の夫婦岩からの日の出を見て、その足でこの山に沈む夕日を見に来る人もいるそうですが。夏至の富士山レイラインにそっているのでしょうか?

あちらを見ると非常に整ったきれいな山ですが、こちら側は、鳥居近くまでは木々が生い茂り、暑苦しいです。このちょこっとの空間はひらけています。
山を眺めて、岩戸神社まで樹木の下を歩き、階段を降りていきます。結構階段があります。まるで滝見物のために上から下に少し下っていくかのような階段です。湿り気があります。水たまりも多いです。

階段を降り切ったら、左側に早い瀬と、淵があります。奥の方から水が勢いよく流れ込んできてます。水量が多く、淵は暗い緑で、水の勢いと深さに怖くなります。

そして、右上に

ありました。岩戸神社が。

でも。

ぐぇっっっこれは!

つづく
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トンデモ話は奥で繋がる(167) 24.7.29

トンデモ話は奥で繋がる 「第167夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪復活と再臨 ⑧≫
 
 ★ 次回のメシア

 さて今夜は、核心となる記述について先に紹介してしまおうと思い
ます。高橋氏は、『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
のあとがきの部分で、こう述べています。

 「 かつて2千年前のパレスティナで、キリストの自我が
  地上の物質界に降臨したように、今20世紀に、キリス
  トの自我は生命界に降臨
する。

   このエーテル界のキリストと出会って、癒しの力を獲
  得し、新しいエッセネ派=弥勒派(つまり人智学)を始
  めることが、人智学運動の本来の課題である。」
     
  (『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
 p423《筑摩書房(高橋巌 あとがき)》より抜粋転載)
 

 一見、これまでのシュタイナーの主張を繰り返すような感じで、そ
のまま見過ごしてしまうような文章ですが、『偽メシア』という観点
からよく眺めてみてください。

 『偽メシア』は、私達を欺くためにやって来るのですから、当然、
エーテル界をまだ感じるが出来ず、騙される人々がたくさん住んで
いる『物質界』に現れるでしょう

 しかし『前回のメシア』であるイエスは、今回は『物質界』には現
われない
のです。しかし、シュタイナーは彼等を『偽メシア』と呼ん
で『今回の真のメシア』とは区別しているようなのです。

 また『今回の真のメシア』は、我々人類がエーテル界のキリスト
と出会うための橋渡しをする人物であり、それは『東方ミトラ伝説』
にも登場した『弥勒』に当たる存在だと言うのです。

 そしてその霊性を受け継いだ人物こそ、エッセネ派のパンディラの
息子、シュタイナーが『イエシュ・ベン・パンディラ』として物語って
いる人物なのです。

 ★ パンディラの子

 パンディラは、その実在が実証されているわけではありませんが、
シュタイナーによれば、イエスに先立ち紀元前1世紀に存在した、
エッセネ派の先駆的指導者であるとされています。

 イエシュ・ベン・パンディラはその息子で、ユダヤの経典タルムー
ドでは「パンディラの子イエス」として記載があるのですが、この人
物は『ナザレのイエス』とは血縁も何も無い別人だとしています。

 彼は、人類進化の指導者である重要な2人の『菩薩』の1人であ
り、『ナザレのイエス』が地上での使命を実現するのに必要なものを、
我々人類に流し込む存在であるとシュタイナーは述べています。

 「 人類進化の偉大な指導者のことを考えて見ましょう。
   そのような指導者については、東洋の理論が最も明
  らかに語っています。

   すなわち、指導者の頂点には、『菩薩』と呼ばれる、
  一連の高次の個性たちが立っています。数多くの菩薩
  たちが存在します。

   菩薩の使命は、人類の偉大な教師として、時代の人
  間的な成熟度に従って、その時代に流し込むべき内容
  を、霊界から秘儀の学堂を通して、時代ごとに人類に
  流し込むことにあるのです。

   菩薩は、時代ごとに交替します。常に、或る菩薩が
  他の菩薩の後継者となって働きます。

   我々の時代にとって大切なのは、2人の菩薩です。
  すでに何度も取り上げて来ましたが、仏陀となった菩
  薩であり、

   もう1人は、仏陀の後継者となって今後も2500年
  にわたって働き続ける菩薩です。

   この菩薩は、先行者と同じく仏陀の位階に達するで
  しょうが、そのときこの菩薩は、弥勒仏になるでしょう。
  (…中略…)

   この一連の菩薩たちは、人類進化の偉大な教師た
  ちではありますが、その教えの源泉と混同してはなり
  ません。

   菩薩たちは、この源泉から、人類に与えるべき内容
  を受け取るのです。

   いわば菩薩たちの間には、合議体制ができており、
  その中心に、菩薩たちの教えのための『生きた源泉』
  が立っているのです。

   そして、この『生きた源泉』こそ、私達の用語を使え
  ば、『キリスト』と呼ばれる存在に他ならないのです。
  (…中略…)
 
   菩薩は、菩薩である限り、キリストの教えに自らを
  捧げなければなりません。

   そして、既に述べたように、その菩薩が仏陀になり
  ますと、再び地上に受肉してくることはないのです。」

  (『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
 pp116-117《筑摩書房(高橋巌 訳)》より抜粋転載)


 つまり、イエシュ・ベン・パンディラは、仏陀に引き続き、人類進
化を導く使命をもった菩薩として、2500年の間地上に転生を繰
り返している魂=『弥勒』
に当たる存在だと言うのです。

 そしてシュタイナー自身も、エーテル界への案内人としての使命
を持った菩薩の1人と自覚して、新しいエッセネ派である『神智学』
を根付かせるべく、残りの人生を捧げていたのでしょう。

 ところで、第164夜でA氏がシャンバラについて述べた、一見荒
唐無稽に見えた話も、そのいくつかは、上記の『菩薩』の人類教化
の話と照合
していると思える部分があります。

 例えば、中央白色大寺院には13名の高位の大師から成る
最高議会がある。』
という部分については、『菩薩たちの合議体
制』
のことと読み取ることができます。

 また、『進化過程に応じて、倉庫に蓄積された知識が、発明・
発見のインスピレーションとして与えられる。』
という部分も『菩
薩たちが人類に流し込むもの』
の具体例のようにも見えます。

 つまり、A氏の語る霊視ビジョンも、シュタイナーと同様の内容
を捉えている部分
もあるのですが、その意味づけの際、あまりに
現次元的な価値観を当てはめ『勇み足』に陥ってしまっている
感じがします。

 ★ メシアを名乗る勿れ

 ところで、シュタイナーは、我々の時代にこの世に転生して現
れる『メシア』
は、『イエス』ではなく『イエシュ・ベン・パンディラ』
の魂だと述べました。

 それ故、シュタイナー的に見れば『我こそは転生したイエスな
り』
と宣言する輩は、その言動だけで自ら『偽メシア』だと言ってい
ることになります。

 一方で、『イエシュ・ベン・パンディラ』の転生者は、いつの時
代にも居る
ことになりますが、ここでも同じく『メシア』だと名乗る
人者はまた『偽メシア』
だとしています。

 「 現代に甦っているイエシュ・ベン・パンディラを示す
  かな印
を、一つ挙げることができます。それは、この人
  物が自分をキリストであるとは名乗らないことです。

   現代において、何らかの仕方で、自分の中にはナザ
  レのイエスと同じ力が生きて働いていると示唆する人
は、
  
   全て、そう主張することで、キリストよりも1世紀前に
  生きた、あの先駆者の偽者であることを示しているの
  です。
  (…中略…)   

   キリストと何らかの関係にあるという主張そのものが、
  偽りの預言者がそこに登場していることを、何よりもは
  っきりと示しているのです。」

  (『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
 pp258-259《筑摩書房(高橋巌 訳)》より抜粋転載)


 さて、こうした『メシア』に対する我々現代人の対応は、大きく2つ
の悪癖に
陥っているとシュタイナーはいいます。

 次回第168夜では、その2つの悪癖の話しをします。

( 追伸 )

 中曽根君、もちろん君の悪癖は『原子力崇拝』だ。

目次のペーシへはこちらから
 
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ガイガーカウンターで測ったら 24年度③

 7月13日には、福島原発からかなりまとまった量の放射性物質が、
全国に飛散したのではないかという噂がありました。
 ちょうど翌週、東名高速を走る予定があったので、「ガイガーFUKU
SHIMA」で東名の小牧から豊川間を計測してみました。

(ただし、復路は豊田~音羽蒲郡間が大渋滞となり、高速を降り
たため、計測していません。)

 計測方法は前回と同じ、1回の計測ごとの値と、東京からの距離を
記録した標識を読み取る方法を取りました。

 さて、今回も「ガイガーFUKUSHIMA」の各計測値から、その地点ごと
の数値を推定してみましたが、前回の方法の難点を踏まえて、新た
な計算方法
をとることにしました。

 「ガイガーFUKUSHIMA」では、直近5回の移動平均値が示されるとい
う前提のもとで、前回は各地点の数値を、そのままストレートに逆算
で求める方法を取っていました。 

 この方法で逆算した値が表の右端の数値ですが、前回も指摘したと
おり、測定値が変化したポイントの数値は、極端に高かったり低か
ったりする「極値」
をとりやすくなります。
縮東名1 
縮東名2 
縮東名3 

 結果として、例えば、282-281㎞の測定値は0.01μsv/h変化しただ
けですが、直近の数値との関係から「0.19μsv/h」とかなり高い計
算値
となり、その数値に引きずられて、その後の5回毎の数値の逆
算値が、周期的に高くなってい
るのがわかると思います。

 そこで今回は、直近5回の数値のうち、過去4回の数値は、全てそ
の一つ前の移動平均値
と等しいものとして、

 当該地の数値=「当該地までの移動平均値」×5
        -「その一つ前の移動平均値」×4

 で計算した数値(真ん中の数値)を採用してみました。その結果が
ん中の列の数値
です。

 この方法の場合、連続する区間で前と同じ数値を示した場合は、
全てその数値と同じになってしいますが、反面、ある区間の数値が
極値的に高くなったり低くなったりしても、それがその後の数値に影
響することは無くなります。

 グラフ化してみても、逆算推計値は、移動平均値の動きに沿った
動きの値
に なっており、かなりしっくりと当てはまる感じです。従って、
今後はこの式を使って、その地点の推計値を算出しようと思っていま
す。
 
縮名神

 ちなみに、前回の名神高速の値も、この式で計算し直してみると、下
のグラフのようになります。特に養老―関ヶ原のあたりの動きが、前回
より上下が少ないのがわかります。
縮説明
縮東名

 ガイガーカウンターで測ったら「総目次」へ
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皇大神神社...に間借り?していた天皇神道...

あっあれは...

朱印をしてくれるところ、兼、お札、お守り売り場、兼...社務所じゃないか?

と、すると...

この、さっきしてもらった-朱印-は何?

まってくれ...さっき朱印はおろか、
岩長姫のお札まで買っちまったぞ!(-_-;)

でも、ここってなんとなく、
自分は、正統派だぞオーラバンバンじゃん。いかめしいなぁ。聞きにくいぞ。と一瞬思いましたが、急に隙ありパンチをくらったというか、落とし穴に誘い込まれたというか、知らなかったばかりに...でも、金を出したのはわしなのだから。と社務所のじいさんに朱印はこちらかと聞くと
-そうだ*-と言います。
「あの...下の天皇神道っていうところで朱印をしてもらいましたが...」
じいさん...
「朱印してしまったか!あんなものは新興宗教や」

縮こうたいIMG_1470


えっ...

それは...絶句、あんた。〇※△モゴモゴ...ちょっとぅ。それはないわな。
と、何もない地面にケつまづきそうになりましたが、体勢を立て直す間もなく、

「あれはここが場所を貸してやっとるだけや。〇×★...」
ばっ場所だとう?となんだと、思う間もなく、おじさんの上からの物言いに、
だんだん小さくなる私でした。

お札を買っただなんて、文句をつけたいところが、気の弱い私はなんとなくそんなことも反対に叱られそうで、言えず...
朱印代金を300円払いましたが...なーんか...ふん?と、このことは今でもありありと思い出しますよ。

天皇神道と皇大神社の朱印-なかよし-
縮こうたいいわながIMG_1471


神道というのは、人によき道を説くのではなかったか...人によき道の規範を現実をもってさししめすのが神の道ではないか?
じいさんは神社のパシリだから爺さんをもって神社の代表とみてはいけないけど、
この神社の
自分の敷地に新興宗教を住まわせていること、その新興宗教を-なんとなく、蔑視しているかの態度、新興宗教を敷地内に置いているのに、皇大神社を参詣する人に、
-入口右手に天皇神道があるが、当社とは関係ありません。社務所は上です-なんて張り紙も看板もないとは...
なんとなく、この神社...

昔すごかったとか、パワーがあるぞ、とかそんなことばかり威張っていて、昔、非常に盛んだったことを思い出し悦にいっている没落貴族のように感じてしまったのは、格式やパワーとかそんなことどうでもいいわたしだからでしょうか?
私としては、新興宗教と吐き捨てるように言われた
天皇神道のおじさんの、いわなが姫さんを語った時の目に見えないものの大切さ、畏敬の念、等々、の方が心に響くものがあります。

ここは、元伊勢と名乗るだけあって、本殿周りに小さな木の社がいっぱいあり、それも古く、絵馬などの絵が半分消えたり、はがれたりしているのを見ると、荒れている...と感じてしまい、みんなのいう、すがすがしさとか、清浄さは感じませんでした。ふっふっと神社特有のすっとした空気を感じましたが、どうも重苦しく感じました。
つづく
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皇大神社...石段を登って

朱印をおしてもらって、さぁ、本殿へ...
 
小雨が降りそうな、ちょっとぱらつき加減の天候の下、石段を登ります。
縮天橋立旅DSC01126
階段の途中にそそり立つ、杉の木

またも杉の木が
縮天橋立旅DSC01127
これは一度枯れた木に若木を接いだのか、それとも芽吹いたのか...

ここまで周りの木々もうっそうとしており、ちょっと暗い感じです。

そして、階段を登りきったら、
縮天橋立旅DSC01130
拝殿がありました。

ここは、まず、左側の半分枯れてしまった杉が目に飛び込んできます。参道が暗くうっそうとしていたので、上はすっきりとしていると言いたいところ、この杉の枯れ具合が、異様な感じで、ちょっと重苦しく感じます。

とっ...左を見たら、

なっ、なーんと、ここにもお札売り場兼社務所があるではないか!?

つづく
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皇大神社 天皇神道社務所でいわなが姫について話を聞く

神社山門内にちゃんとしたお札売り場兼社務所がある...
←当たり前だろう、普通です。

天皇という言葉に
ふっふっと、??なーんか疑問が湧いてきますが、これはこの神社の社務所だと、
売られている教育勅語は気にしないことにし、朱印をもらおうと、人を呼びます。

-すいませーん-
なかからおじさんが出てきました。朱印を頼むと、すぐに判をついてくれました。
縮しゅいんてんのうIMG_1469

ここって...あれ?祭神ってアマテラス?豊受大神?だったような気がする。。。が...朱印だけと言うのも伊勢神宮っぽいし、なにより、
応対も普通で威張ってもいません。

朱印をもらいながら、お札売り場に目を向けると、
磐長姫命のお札が...

珍しい。いわながひめだなんて、ニニギとコノハナサクヤヒメ、イワナガヒメのくだりの話に出てくるだけで、祀られていることも見たことはないし、お札なんかはもちろん見たこともあるということを聞いたこともありません。
朱印もお札も
いわながひめ

何故に?どうして?

おじさんにわけを聞くと、
よく聞いてくれたと言わんばかりにしゃべるしゃべる...
これが、ほぅ!となるような内容です。
おじさん曰く

-イワナガヒメとは、コノハナサクヤヒメとの話で不細工だけど長命の神さまだというように世間では言われている。しかし、それは本当のイワナガさん全像を言ってはいない。イワナガさんはこの世でなく、あの世のこと、見えないことに力を発揮しているのだ。この世に対するあの世のこと、また、私たちが生きていくうえで大切な
呼吸、息に関して関与しているのだ。-


おじさんの話はとても奥深く、
息の大切さ。見えないもの...気を吸ったり吐いたりし、私たちは生きている、生かされているということを改めて感じました
呼吸の大切さを日頃言われている私としては、
心なしか、
磐長姫命の札の字が鮮やかに見え、
買ってしまいましたよ...
縮朱印いわながIMG_1467

しかーし...なんか気になる。
なーんかひっかかるなぁ。???
お札の右横の文字...
根源なんとか...
下の方
神司命神
なんた゜か、宇宙戦士アニメに出てきそうな、はたまた、宇宙人好きなスピおたくのブログに出てきそうな、
なんとかコマンダーとかの類を想像してしまいます。

でも、菊の紋と元伊勢皇大神宮のスタンプがあるし...
頭に、
相当数の?カードが溜まったところで、それを振り切り、階段を昇ります。

つづく
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皇大神宮、天皇神道?

ここ、皇大神宮は、倭姫がアマテラスを祀りながら各地を転々とした途中の地点、元伊勢と言われております。元伊勢と言われているところは、ここ丹後では、ほかにも籠神社、外宮の元伊勢はここからさほど遠くない、元伊勢外宮があります。
アマテラスといえば、神話的にみれば天皇家に直結するということですが...
天皇神道...いつのまにか、伊勢って、天皇神道になっていたのか?
あれ?
うー...む。
わからん。
書けば長いですが、一瞬のうちに幾多の疑問符が頭に浮かびました。
神道、伊勢って天皇じゃん。なーんて、無理に納得しようとし疑問の鎌首が胸からのどに出そうになるのを押さえ、門をくぐると、右手にお札売り所、朱印状をするところがあります。この社務所にも天皇神道の字が黒々とあります。
普通の神社、たとえば、
猫丸神社とか、ボンボローボーン稲荷とか...そんなところは格式なぞいわないし、菊の紋はない。でも、お伊勢さんにはあったし...?
と、近寄ると、
いろいろとお守りとか、お札とか売っている真ん中に、
教育勅語と書いたものをでんと並べています。

狂ーいくちょくご?

なんかおかしい。いくらなんでも、変だ。しかし、ここに社務所があるということは、皇大神宮がこれを売っているということだろう。
でも、なんで?
教育勅語なのか?
やだなぁ。すかんなぁ。

と思いつつも、
朱印をもらわねばと、人を呼びます。

続く
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皇大神社に行く

旅の順番としては、一日目に出雲大神宮に立ち寄り、皇大神宮、元伊勢外宮によりました。
皇大神宮については、いろんなブログで、清浄な気にあふれる素敵な神社ということがかかれています。また、籠神社が元伊勢、ということで他にも元伊勢があるのなら尋ねてみたいと、行ってきました。

皇大神宮は京都府福知山市大江町にあります。
主神はアマテラスです。

深い木立におおわれた、すがすがしい神社...そんなイメージを持って尋ねたところ、さびれた門前町がただの田舎の民家が寄せ集まったという感じで、ちょっとだけ、民家が神社山門の前に集まっていました。
なんとなく、忘れ去られた感のある、たとえて言うと、昔は人が参詣したが、今はもう、人気がなくなり、忘れ去られたような...炭鉱の町に似たものがあります。
そんなすべてがセピア色の神社入り口に立つと、

真っ白い、大きなのぼりが風にはためいています。
大きいです。
3階建ての建物ぐらいありそうな竿に、白い旗。
旗には、菊の紋が染め抜かれています。
菊花紋imageCA5W4JGP

菊の紋の上には、
大きく黒字で
天皇神道と書かれています。
風にはためく鮮やかな黒字と、菊花の御紋
やゃ...これは?

天皇?なーんかちょっと?
旗を見て、神社奥に続く階段を見ます。神社は古さびて、周囲に杉の木がそそり立ち、昔からあるんだと言わんばかりです。
ここは、
皇大神宮だぞ
と言う字がある神社だ。
=皇大神宮の=皇室の
一+Ⅰ=2... イノシシ=ボタン=でぶ...この公式で行くと、うーん。
皇室ゆかりの伊勢神宮は、確か菊の御紋があったような気がする。
皇室=菊の紋

天皇→伊勢神宮→元伊勢 →   天皇+伊勢神宮=天皇+元伊勢+神道+菊の御紋付

=天皇神道...?

古いと言われる皇大神宮...ここって天皇神道なの?室関連だから天皇神道?

古い神社と天皇神道ののぼりに少しの-?-を感じ参道へ...

続く
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トンデモ話は奥で繋がる(166) 24.7.22

トンデモ話は奥で繋がる 「第166夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪復活と再臨 ⑦≫
 
 ★ 本当の再臨

 さて、1899年から人類に起こっている新しい知覚能力について、
西川氏による『輪廻転生とカルマ』の訳をもう少し引用して見ましょ
う。
 
 「 人間はエーテル的霊視によって、エーテル体の中で
  キリストを見ることになるからです。この能力は、今、
  魂の中に存在しています。

   将来、その力は発達して、人間の運命は、ある意味
  において人間の手中にあると言うことが出来るように
  なります。

   この能力が現れた時、この能力は何を意味するのか
  を知ることが出来るようになります。今日のように唯物
  論に退歩することは不可能になります。

   この能力が現れた時、人々は、直ぐにはその能力に
  注意しません。それどころか、そのような能力を持って
  いる人は空想家で、病気だとみなされます

   ですから霊学は、このような能力を人々に理解させる
  準備をするという使命
を持っているのです。
  (…中略…)

   キリストは再来する時、肉体をまとうであろう、と考え
  るような、唯物論的な傾向が、神智学協会に侵入する
  可能性もあります。

   そう考えることによって、人類はこの2千年の間、全く
  進歩しなかった
言おうとするのです。
   (…中略…)

   神智学の唯物論的な方向を利用して、自分はキリス
  トである
と信じさせようとする冒険的な人々がいます。
   そのような人々を信じる人々がいます
  (…中略…)

   神智学を正しい方法で理解する者は、20世紀の贋
  救世主
に、

   『 あなた方は、物質界へのキリストの出現を告げ
    る。しかし、私達はキリストはエーテル的にしか
    出現しない
ことを知っている』
   
   と言います。
  (…中略…)

   キリストの再来の意味を地上で理解する能力を持た
  なかった者は、その理解を地上で得ることが出来るた
  めに、次の受肉を待たなければなりません。 」

  (ルドルフ・シュタイナー『輪廻転生とカルマ』
 pp159-161《水声社(西川隆範訳)》より抜粋転載)


 続けて、『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』から、同じ
キリストの再臨について記述している部分を抜粋してみます。

 「 つまり、パウロが『早産』して、既に1世紀に、ダマス
  コ郊外で体験できたのと同じ霊視体験を今、人々が
  持つようになるのです。

   かなりの数の人々が、まだ20世紀の終わる以前に、
  キリストを体験するのです。…その時のキリストは、
  エーテルの雲の中から現れてくるでしょう。
  (…中略…)

   西暦紀元の初めにイエス・キリストとして肉体の中
  に生きた存在が、エーテルの衣装をまとって、ダマス
  コ郊外でパウロに現れたように、


   今世紀の終わるまでに再臨することが、キリストの
  出来事の本質に属することを、今私達は是非とも人々
  に呼びかけねばならないのです。

   人々は、ますます高次の能力を獲得していき、それ
  によってキリスト本性の、全内実を知るようになるの
  です。

   しかし、もしもキリストが、もう一度肉身となって現れ
  なければならなくなったら、更なる進歩は期待できなく
  なります


   何故なら、その時には、西暦の初めにキリストがこ
  の世に現れたことが無駄になってしまうからです。

   そして、キリストの一度目の出現が、人間の高次の
  力を発達させられなかった
ことになります。

   キリスト出現の成果は、人間が高次の力を発達させ
  て、霊界から作用するキリストを、この新しい力で霊
  視するようになる
ことなのです。」   
  
  (『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
 pp256-257《筑摩書房(高橋巌 解説)》より抜粋転載)
    
   
 ★ エーテル体の中のキリスト

 さて、『エーテル体の中でキリストを見る』とありますが、具体
的にどうなのかは説明がありません。無論、小生のような凡人に、
そんな能力はないので、推測するしかありません。

 この言葉を聞いて小生が思い浮かべるのは、『オーラの泉』等で
江原氏がよく言っていた、『オーラの中に光景が浮かんで見え
る』
という表現です。

 小生には『オーラ』『エーテル体』が完全に一致するのかどう
かはわかりませんが、少なくともかなりの部分で重なっていると思
われます。

 『オーラ』については、昨今では『普通(?)の人』でも、見ることの
できる人がかなり増えて
来ています。このことも、シュタイナーが
予言した能力の一つでしょう。

 この能力がもう一段進むと、ある種の霊能力者に見られるように、
その中に時空を超えたメッセージを見て取れるようになるようで
すが、それと同じ形でキリストを見るのではないかと思います。

 従って、仮に誰かのオーラの中にキリストの姿を見出したとし
ても、それはの人自身の持っている能力の一部なのであって、
眼で癒す怪人等の力では無いのです。

(最も、その人に、それがキリストかどうかを確かめる術があ
ればの話です。
 ましてやシュタイナーによれば、第152夜でお話ししたよう
に、肉体上のイエスと、実体としてのイエスは別物なのです。

 我々が絵画として知っているイエスは、単なる寄代であり、
イエスが必ずしもその姿で現れるとは限りません
 最も、他の低級霊が我々を騙そうとすれば、その姿を選ぶ
でしょうが
…。

 ましてや小生などは、それ以前に、絵画上のキリストの姿
を、他の外国人とはっきり区別できる自身さえありません

 また百歩譲って、普通の人がエーテル体の中のキリストの
姿を見る能力を引き出せるのであれば、何故そちらの力に重
点をおいて紹介しない
のか疑問です。)

 そして、それらの能力こそ、人類が次に獲得すべき高次の力
であり、決して病気でも単なる空想でも無いという事を、世間
一般に分らせること
こそ、神智学の使命なのだと言うのです。

 さらに言えば、第153夜でお話ししたように、キリストの本体と
はアフラ=マズダ
であり、生命体としての太陽神なのだとも語
られています。

 となれば、その真の実体が完全に人間の姿をしているかどう
かすらわかりません
。単なる『波動のようなもの』である可能性
さえあるのです。

 ★ 盲目より正直を 

 そして、もう一つの重要な『定め』として、もし肉体をまとったキ
リストを切望するような段階で留まった魂
は、本来地上で学ぶ
べき能力を得るため、再度受肉しなければならない言います。

(実は小生は、この『定め』の部分については、始め『予言』
し、次いで⇒
預言』『戒め』
と言葉の推敲を重ねました。

 しかし、シュタイナーにとっては、このことは人類の進化の
過程として、必然の法則として認識されていることです。

 彼は決して預言者ぶったり、脅しをかけているわけでは無く、
ここでは、それに気付いていない人々に向かって、彼等の運
命をありのままに述べた
のに過ぎないのだと思います。)

 過去の例を見ても、混乱の世には決まって『救世主』を名乗る人
物が現れ、『私を崇め、私の言うとおりにする者が救われる』と、
民衆を先導しようとします。

 しかし、彼が生身の人間としての限界を持つ限りは、決して
リストそのものでも、その生まれ変わりでもない
ということです。

 彼等は巧妙に隠すかも知れませんが、よく言動を見ていれば分
ることです。

 昨今では、一見『宗教』には見えないようなカリスマ的な霊能
が、キリストとは言わないまでも、『正しい教えを説くもの』として、
多くの『信者』を集めています

 現世で生きる上で最もつまらないのは、そのような権威者を、た
だ盲目的に信じる
ことです。しかし、彼等が飲み食いをし、排泄や
睡眠を必要とする以上は、ただの人間と変わりはありません。

 人間である以上、間違った判断をする可能性もあります。それ
故、彼等の言動に対しては、その全てに自分自身の価値判断を
下す必要
があるのです。

 よく、『高名な霊能者の言動に疑問を持つのは、霊格が低い
からだ』
という台詞が、金科玉条のように言われますが、仮にそうだ
としても、それは自分が現世において、そのレベルに達していな
からです。

 ならばなおさら、その疑問に眼をつぶってしまうので無く、それ
真に分るまで現世でとことん修行をしなければ、この世に生
れ落ちた意味
が無くなってしまいます。 

 現世で、そこに眼をつぶったところで、自分の心の奥底にある疑
は、第135夜で述べたとおり、霊界では全て四大霊となって再
び自分に問いかけてくるのです。

 疑問を感じながらも『分った振り』をして、霊界へたどり着き冷や
汗をかくより、『分らない』と素直に認めて、人より少し長めに輪廻
を繰り返す方が、本来の現世での目的にかなったものとなります。

 逆に『高名な霊能者の言動』が、本当は間違っていたとすれ
ば、それに疑問を持った自分自身は、霊的には一歩先に進め
る可能性
だってあるのです。

 ならば自分に正直である方が良いではありませんか。

 ところでシュタイナーは、今まで何度も現れた数々の『偽メシア』
についても言及していますが、その被対象者としては、『イエス・キ
リスト』では無く、
もう一人の別の人物を持ち出しています。

 次回第167夜では、その人物『イエシュ・ベン・パンディラ』の
話から始めます。

( 追伸 )

 中曽根君、もちろん君には『原子力教』の
日本開祖の資格があるよ。

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橋立ベイホテルに泊まったら...

一日目は橋立ベイホテルに泊まりました。

橋立がホテルの部屋から見下ろせる素敵なホテルです。お部屋の中もきれいで、おしゃれでした。ホテルに着いたときは夕方の西日がまだきつかったのですが、ホテルの玄関わきで、従業員の人たちが何人かでで白テントを立てている最中でした。夏のイベントの準備なのでしょうが、暑い中、みんなでテントを立てるのも一苦労のようで、クーラーの効いた部屋から見ているのが申し訳ないような気になりました。

ここに泊まる人は隣の天然温泉にただで入れる入浴券がもらえます。温泉からの帰り、ホテル内の広い園庭を歩いていたら、すっとラベンターの匂いがしました。ラベンダーがいくつも咲いていると思っていましたが、やはり、香りがします。鼻を紫の小花に近づけたら、もう少し強い匂いがしました。気がつくとあちこちで小さい蜂がいくつもぶんぶんとラベンターの花にまとわりついていました。
温泉でさっぱりとした後、館内のレストランでフランス料理をいただきました。

このフランス料理...
おいしかったですよ。ホテルのホームページにある写真は、岩牡蠣に白いソースをかけたものだと思いますが、これをはじめとして、ここの料理はおいしかったです。ハーブ入りのパン、肉料理、その他...幸せな気持ちになりました。

そして、この日頼んだのが、
天橋立ワイン-白-です。

甘酸っぱくて、さわやか...グラスワインで頼んだのが、おいしくて瓶でも追加してしまいました。
おかげで、退席するときは、れろれろで、そのへんの飲みすぎ親父と変わらなくなってしまいました。うぃっ...
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genre : 旅行

昨日は土用でした。

昨日は土用でした。土用があけたら、いよいよ梅干しを干すことができます。

今年は白いままの梅干しと、赤いのと2種類漬けて、後、天日干しをするだけです。以前作った時は、梅干し用の平たいざる一つと、普通の丸いざるでしのぎましたが、今回はそれでは足りません。前回の倍の量を作ったのでもう一つ梅干し用のざるを買ってこなければ干せないなぁ、と思っていたところ、天候が崩れ、土用過ぎてもまだ干すことができません。

今回心配なのは、水に一晩漬けて、茶色になってしまった梅をそのままつけていることです。
大丈夫かなぁ、茶色梅干し...紫蘇を加え赤くなってますが、下地は茶色...

干すときに一つ食べてみることとしますが、これは友達にあげるには、ちょっと?
なんともないことを祈ります。
明日も雨かなぁ...明日はホームセンターにざるを買いに行くこととし、しばらく天日干しは青空を待ってからとなりそうです。
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genre : ライフ

出雲大神宮-磐座、真名井の湧水

出雲大神宮の裏手のちょっとした山道を上がっていくと、
磐座がありました。
縮天橋立旅DSC01123
茂った木立の中に鎮座していました。ここから奥には行けませんでした。苔むす磐...木が生い茂っているので苔の繁殖には好条件でしょう。磐自体にはあとから思い出すほどのなんらかのエネルギーなどは感じなかったような...

下の境内に戻り、水を飲んで一休みと、します。
この神社の中には真名井という湧水があるのです。
縮天橋立旅DSC01119

ここでお水を飲もうとしたら、二口ある水汲み場に、二人...ペットボトルに水タンク...まわりにいくつも積み重ね、水を汲んでいます。

ぐわつ...ここでも水汲みの人が水を占領している。そのうち、一人のタンクの量を見ると、風呂に使うのか、と思うほど...もう一人も結構多い...

これでは、時間をとられてしまう。待っている間に、神社のパンフレットをもらったり、お札売り場を覗こうと、お札売り場に行くと...
これは、と思うようなものがありました。
この頃急に大黒ファン、大黒コレクターになった私にとってはすばらしい、ゴールドの輝き。
金の水筒です。
割引という二文字にもひかれてしまい、買ってしまいましたよ。
↓これが私の大黒水筒です。
縮だいこくぼとるIMG_1461
金地に白でDAIKOKU
 イラストはもちろん大黒さま縮だいこくぼとるIMG_1460
みんなのあこがれの大黒ボトル...手に入れました。むふふふ、満足至極です。

いざや、大黒水筒を持って、湧水へ...

行ったら、先ほどの二人がいまだに水を汲んでいます。うーん。ちょっと待ったら一人が汲み終わり、順番があきました。大黒水筒に水を入れ、二人で飲んでみました。水の味はまぁまぁでした。
大黒水筒に水を入れるのには、3秒ぐらいで終わってしまいます。

ここの神社の湧水をえんえんと何十リットル何百リットルも汲む人がいると、ちょっと水を飲む人が飲めないじゃあないか!と、思い左右を見渡したら、
看板があり、
1リットル以上汲むのはやめよ。それ以上は順番を譲ること、譲り合って使うこと、などと書かれていました。
看板があってもかまわずやっている人がいるんだなぁ。神社の販売所からまっすぐのところで丸見えなのに、神社の人はなにも言わないんだなぁ、と神社の中も人間界だと実感しました。

人間の欲、自然の豊かさ、神の神聖さ、それがもつれ合ってすもうをしているような錯覚を覚えましたが、あの、100リットル越えの水汲み夫人が押し出しで勝ち...といったところでしょうか。

またまた、不敬なることをかきましたが、おもっちゃったのでしょうがないです。ぐほほほ。
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出雲大神宮で茅の輪をくぐる...

時はちょうど夏越の祓いとも重なり、茅の輪がでんと、据えられていました。
この茅の輪をくぐると、罪や穢れを祓い、厄払いになるとか...
左足から入り左回り、くりくりと蜂みたい8の字をかくようにまわります。

左足からとか、右へ、左へと指示がややこしく、
だんなが左足と右足を間違えたのをうしろで指摘しましたが、後の人も右も左もどうでもいいみたいで、反対側の足で回ってました...まぁいいでしょう。くりくりとまわっていると楽しくなるし、神様と遊んでいる気分になってきて、うきうきしてきます。

ここは、便所はががんぼがいてちょっとたじろいだが、茅の輪があるから楽しいなぁ。と、本殿後ろを見上げると、山が背後に控えています。
縮天橋立旅DSC01118


そうです。ここは後ろの山がご神体山です。
神殿が作られる以前からこの地で拝されてきた山です。

このあたりは古い自然崇拝の地であったのだろうと、推測されますが、このお山、御陰山と言って禁則地になっているそうです。ただ、本殿裏手の磐座などはまわってみることができます。
こちらはすぐうらの磐。
縮天橋立旅DSC01122
磐のひとつです。...いかめしいわけでもなく、凄みをはかせているわけでもなく、そこにありました。
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genre : 旅行

出雲大神宮に立ち寄る...

今回は2泊3日で丹波、丹後を廻りました。行きは、京都を通って、北上。まずは、京都市からさほどの距離でもない、出雲大神宮です。
島根の出雲大社は知っていましたが、出雲大神宮は今回初めて知りました。籠神社を検索していたら、なにやらスピツアーで出雲大神宮へ立ち寄ったとか...早速中身を見てみると、
御祭神は、
大国主命と三穂津姫命...
三穂津姫命えぇっ...これってあまりにも似ている...
そして当然のことながら
大国主命大黒さんじゃあないか...これも...心にぐっとくるものが。

自分にとってちょっと腑に落ちすぎる神様だったので、ぜひとも行かねば、と参ってきました。

ここ、出雲大神宮は丹波一宮であり、古くから大国主命を祀っているらしく、この裏手の山がご神体とも言われているようです。京都亀岡市にありますが、ここまでの田園風景は素晴らしく、はるかに広がる水田と、それを囲む山山、広くのどかで優美な風景です。田んぼの中をすっと車で走ると、平和な良い気分になってきます。
そして、この優しい風景は懐かしい思いすらしてきます。懐かしい、おだやかさ、日の光...そんなことを感じながら田んぼ道を行くと、出雲大神宮の駐車場があるのが見えました。田んぼのとなりにあります。広いですが、誰もいません...
縮天橋立旅DSC01113


こんなに人がいなくて大丈夫か?そう思い、ウシガエルの鳴く池の脇を通り、神社の入り口に入ると、そこにはまた駐車スペースがあり、参拝客も、物売りテントもありました。

やはり、一宮です。だれもいないということはありません。

参拝の前に、門の右手上にトイレがあるので行ったら、ものすごい蚊、と ががんぼ が、わっと出てきました。ホースで水を出す式のトイレでホースをいじってみましたがどうもうまくいかず、そのままで出てきました。
神社やお寺って...ものすごい蚊が出てくるトイレ、しかもホースで水を出すタイプのもののところってありますが、あれは、よくないです。おまけにそういうところは汚いトイレです。ここのもそれっぽかったです。

掃除をもう少ししたほうがいいのでは?なんて思いました。また、蚊取り線香をトイレにつけておくといいのに...とも思いましたが、お宮さんの方は入らないので知らないのかもしれませんね。


ここままでの風景がとてもきれいだったので、いきなりの?トイレにがっかりしましたが、境内に入ると、きれいですっきりとした感じです。
縮天橋立旅DSC01114
つづく
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夏の雑草...

先週の土日...草取りをした、と思う。先々週だったかも、しれない...あまりにも雨が続き、クサを取れないと、言い訳をしていましたが、お化け屋敷のような、庭の惨状に、草取りをすることとなりました。
取ったら、しばらく、クサの奴も静まっているかと考えていたのですが、
今日見たら、
茶色い地面の筈が...
緑混じり...

なんとか芝、シダの類、強力な横綱のドクダミ...とにかく一週間もおかずに生えるわ、茂るわ...もぅ、この時期の雑草の勢いには、まいります。

まわりの家はどうだろうと、あたりをうかがって見ると、どの家も雑草の2センチほどのものも少ししかありません。すごいです。こまめにクサを取っているのでしょか...

それとも、除草剤?

そういえば、除草剤をまいたらしき空き地を見ると、あれから一ヶ月はたつのに、全く草は生えていません。土を約40センチも掘り下げ苦心してドクダミをとっても次から次へと生えてきます。選択性の除草剤をドクダミの葉っぱに筆で塗ってやろうかという誘惑に耐えつつ、まだ取ってます...雑草を。いやになります。
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トンデモ話は奥で繋がる(165) 24.7.15

トンデモ話は奥で繋がる 「第165夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪復活と再臨 ⑥≫
 
 ★ 出だしは同じ

 実はこれから引用してゆく『シュタイナーコレクション4(照応
する宇宙)』
の高橋氏の解説の言葉もまた、その出だしにおいて
はほとんど変わらないと感じると思います。

 実際に、一度は神智学に歩み寄った事のあるシュタイナーで
すので、大雑把な眼で捉えてしまうと、彼も同じ穴のムジナ
ように感じてしまうと思います。

 それ故、善意の解説者の多くを、決定的に離反させてしまうの
ですが、ここまで小生の拙文に付き合ってくださった方は、少し
ずつその違いがわかってくるのでははないかと思います。

 それでは『シュタイナーの宇宙観』と題された、高橋氏の解説
の初めの部分を引用してみます。

 「 人智学という思想にとって、宇宙とは何なのでしょ
  うか。

   シュタイナ―はヨーロッパの文化の中で、キリスト
  教徒
としてキリスト教との関連でこの問題を考えて
  いましたので、

   この解説ではあえて、人智学の宇宙思想を仏教
  いう私達の文化伝統との関連で考えて見ようと思い
  ます。
 
   その場合、まず念頭に浮かぶのは、シャンバラ
  いう言葉です。

   シャンバラは『神智学』の理想郷のことですが、ロ
  シアの画家ニコライ・レーリヒが、ヒマラヤの中にシ
  ャンバラを求めて、50歳になってから遍歴の旅を続
  けたことでもよく知られています。

   1910年3月15日、ミュンヘンで、そのシャンバラ
  
について、シュタイナーはこんなことを言っていまし
  た。

  『 神智学とはシャンバラへの道のようなものだ。

     キリストはシャンバラにおけるいわば指導霊のよ
         うな存在で、それに向けて道をつけるのが神智学
         の役割である。』

   このことについてシュタイナーは、この頃、特に
  勒
との関係で語っていました。
  (…中略…)

  『 洗礼者ヨハネがキリストの先触れであった様に、
    神智学はシャンバラの先触れである。』

   この場合の『神智学』とは、ルドルフ・シュタイナー
  自身
のことです。シュタイナーは未来の
シャンバラ
  への道の案内人として、自分を位置づけ
ていたよう
  なのです。」

  (『シュタイナーコレクション4(照応する宇宙)』
 pp344-345《筑摩書房(高橋巌 解説)》より抜粋転載)


 キリストはシャンバラの指導霊だとか、自身がシャンバラへ
の道の案内人
だとか、この辺りの説明を見る限りでは、シュタイ
ナーも同じようなことを言っているように感じてしまいます。

 ★ 神智学の目的

 しかし、ここからが高橋氏による、シュタイナーの『科学的説明』
の始まりです。

 「 シャンバラとは、別な言葉で言うと、エーテル界
  ことです。シュタイナーは宇宙を大きく4つの次元に
  分けて考えています。

   第1の宇宙はこの世の現実の世界、物質界です。
  鉱物を土台とした、この眼に見える物質の世界がひ
  とつの宇宙をなしています。

   第2の宇宙は、今言いましたエーテル界=生命界
  
です。仏教の世界で言えば『虚空蔵』です。世界を
  海ととれば『空海』とも言えます。

   第3の宇宙アストラル界で、シュタイナーはよく
  アストラル界のことを『魂の世界』と呼んでいました。

   第4の宇宙はいわゆる神の世界、神霊の世界、霊
  界、精神界、デヴァハン界等々と言われている
  『叡智界』のことです。

   以上の4つに対して、シュタイナーは、それぞれの
  世界は、それぞれに対応する感覚を働かせる時に開
  示される
と考えていました。

   私達は、解剖学的に確認できるような身体に組み込
  まれた感覚器官で、第1の物質世界を見ることができ
  ます。

   同様に別の感覚で、エーテル界、アストラル界、神
  霊界をも見ることができる
というのです。

   シュタイナーがシャンバラとの関連で言おうとしたの
  は、第2のエーテル界を見る感覚を開くために神智学
  がある
と言うことでした。

   エーテル界を見る感覚を開く感覚が開かれれば、エ
  ーテル界が見えるようになり、

   エーテル界が見えるようになるということは、シャン
  バラへの道が開かれるということで、そのために神智
  学があるというのです。   

   そういう意味に取りますと、神智学の最も重要な課
  題は、エーテル界の扉を開くことだ、とも言えそうで
  す。
  (…中略…)

   あらかじめ申し上げて置けば、実は私達は、皆、シ
  ャンバラへの予感を持ち、シャンバラへの道を辿ろう
  としている
のです。」 
   
  (『シュタイナーコレクション4(照応する宇宙)』
 pp345-347《筑摩書房(高橋巌 解説)》より抜粋転載)


 まず、シャンバラはエーテル界であり、通常の感覚では捉え
られない
ものであるとしています。すると、第163夜でアメリカの
某探検が見たのがシャンバラかどうかは疑わしいことになりま
す。

 彼等が一時的にエーテル界を見る感覚を得たとしても、そこの住
人には物質的な『晩餐』は本来不必要です。意図的にキリストと
の関連を印象付けようとした演出である可能性も出てきます。

 シュタイナーは、神智学の目的はエーテル界を見る感覚を得
ること
と、はっきりと示しています。決してそれ以外の超人的な能
力を得ることでも、救済の教えを説くことでも無い
のです。

 シャンバラについても、そこが唯一の楽園という訳では無く、あ
くまでエーテル界の一部
であって、それを見る能力が開花すれば、
どこにいてもそれと場所を見出せるのかも知れません。

 ★ キリストの再臨

 そして、キリストは、そのエーテル界にいるというのです。ならば、
再臨の仕方も、限定されて来ると思われます。つまり、肉体を持っ
た形で目の前に現れるわけでは無い
と言う事です。

 今度は第157夜等で紹介した、西川氏の訳による『輪廻転生とカ
ルマ』
に書かれた、シュタイナー自身の言葉で示して見ましょう。

 「 その霊視状態は次第に消えてゆき、紀元前3101年
  から、バラモン教でいう小カリ・ユガ(暗黒時代)が始ま
  ります。
  (…中略…)

   以前は、人間の霊視によって、ある段階までは天界
  に近づくことができました。今や、人間は感覚を用いて
  キリスト自身の中に天界を見出さねばなりません。

   カリ・ユガの暗黒の時代に、人類が霊的世界との結
  びつき
を失わないように、キリストは地上に下らねば
  ならなかったのです。

   暗黒時代は五千年間続きます。
   紀元前3101年に始まった暗黒時代は、既に1899
  年に終わりました


   この時以来、人間の科学にはまだ知られていないあ
  る能力
が次第に発達し始めています。
  (…中略…)

   例えば、20世紀のうちに、人間のエーテル体を知覚
  する
ことが可能になるでしょう。

   もうひとつの能力は、人間が自分の内面を見た時、
  夢の中でのように、自分がこれから行う行為のモデル
  を見る能力
です。
  (…中略…)
 
   今日、秘儀参入の手段を用いて得られる能力が、
  将来、人類の普通の能力になります。この魂の状態
  は神秘学において『キリストの再来』と呼ばれます。

   キリストは肉体に再び受肉するのではありません
  キリストは、ダマスコの途上でパウロに現れた時と
  同じように、エーテル体の中に現れます。」
  
   (ルドルフ・シュタイナー『輪廻転生とカルマ』
  pp156-159《水声社(西川隆範訳)》より抜粋転載)


 つまりキリストは、再度肉体を持って現れるのではなく、我々が
エーテル体を知覚出来るようになった際、そのエーテル体の中
に姿を現す
というのです。

 また、エーテル体を知覚する能力は、決して特殊なものでは
なく、その時期が来れば、小生のような凡人であっても、普通に
持つことになる
とも言っています。 

 そして、人類がエーテル界のキリストの姿を知覚できるよう
になること
、これこそが『キリストの再来』の本当の意味だとシ
ュタイナーは言うのです。

 次回第166夜はこの辺りをもう少し掘り下げて見てゆこう
と思います。

( 追伸 )

 中曽根君、君のトンデモ無い時代も
この辺りで終わりにして欲しいね。

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やることを絞ること、続けること...

やることを絞ること... ←なんか、なにかの教えをたれようとしているようで、こんな題は小恥ずかしいですが、
なぜこのような人の道のような、講演会の題のようなことをたわけたことばかり言っている私が書いたかと言うと、このことをスピリチュアルのリーディングで言われ、その後、全く違う場で言われたからです。

この5月末に驚愕体験があり、そのことと自分についていろいろとアクア講師に言ってもらいました。
その時に、
あまりにも多くのことをやりすぎている。もっと絞れということを何度も言われました。
睡眠はたりているか?やることが多く頭をあまりにも働かせすぎている、とのことも言われました...

ブログなどでこのことは書きましたが、そう言われ、たくさんのことをやりすぎていて、部屋の掃除はおろか、草取りなどもできず、なにがなにやらわからず過ぎていく...という時間を送っていたと気づきました。

まぁ、もう少しやることの種類、量を絞った方がいいだろう、と思っていたところ...
染色の体験講座で、(これはのめりこまないように、講座の時間だけ集中することとしました)図案を描いたら、なんとなく、すわりが悪い...
-先生、ここのこの図案、全然違うはっぱを描いたんですけど、すでに描いたものと似たものの方がいいかなぁ-
真ん中に動物系...左右に植物、そんな図案です。
-あぁ、これはね、動物が主役でしょう。あれもこれもだとなにが主役かわからなくなってしまいますよ。この動物を鮮明にするには、植物は似た感じにすれば、動物がくっきりと出ますよ-

おぅ。これって、スピリチュアルリーディングとおんなじじゃん。
あれもこれも広げすぎているのを絞れ...って、本当だよ。

改めて自分の絵を見ると、いろいろと描きたい気持ちを押さえ、描くものを絞り少なくするとおもちゃ箱の楽しさはないけど、作品としてはパワーが出てくる気がします。よく考えると、色も、この前の作品はあれもこれも使いたくなり、全色使ってしまったような...デザインもあれもこれもでおもちゃ箱の中。カラフルで楽しくていいのですが...
みんなのを見ると、
色もデザインもすっきりとシンプル...

絞るって...必要かもしれない。

絵というのも、人の頭や心の中を表しているのかもしれません。大まかになにをやるか、焦点を絞って、作業が進んでも、その的を忘れずにすることが自分には必要なのだろう。
そして、染色の先生が
-結局は続けることが大切、勝ちです-といわれたことも心に残りました。

あれもこれもで、じつにいろんなことをやってもなんにも続けてない、どあほうのわし...
これは、何かのメッセージに違いないかも...焦点を絞って続けるということが大事かと思っています。というわけでまずは、ミディアムシップは続けることとします。
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genre : 学問・文化・芸術

真名井神社を参拝。御神水は飲めなかった...

真名井神社...茂った木々の影の中、道を進み、お参りをしました。
縮天橋立旅DSC01146
写真はきれいに撮れてますが、湿っぽい感じです。

本殿の裏は
縮天橋立旅DSC01147
こんな感じで、磐が二つの神となっています。
この磐にパワーがあると畏れ、敬う人もいるとか...

季節柄か、その時の天候のせいか、裏は大分じめっとしていて、あまり長くいたくない雰囲気でした。

-龍-を感じたり、神威にうたれたり...そんな人もいるようですが、まったくそんなこともなく、帰りに水を一口飲もうかと思ったのですが...

神社に入った時から、水汲み場に女の人二人が、
何本ものペットボトル、そして、水タンクに水を汲んでいました...
が、
私たちが神を参拝し終わっても、水汲みはまったく終わりません。
何十トル汲むのか?風呂にでも使うのか?

うーむ...?...

水汲み場でたくさん汲み口があることころならいざ知らず、こんな2口しかないところで...えんえんと水を汲む...あんなに汲んでいたら、参拝者が一口、口にすることもできない...

真名井の水、少し飲んでみようかと思ってきたのですが、口にできませんでした。ここは蚊もいることだし、水に固執することもないわ、と神社を後にしましたが、神秘的なすごいパワーの神さびた神社...という印象は、ふっとびました。こんなことを言うと信心深いみなさんに怒られるかもしれませんが、
-暗い、神社...神様は昔いたかもしれないけど、今は?。スピリチュアルや水に関して欲の深い人が多く来て、どよんとしている-なんて思いました。龍をみたとか、あまりにパワーにのけぞったとか、いう方に、-低い心境-だからと言われようが、
-わざわざいくほどのことはない-と思います。

ちなみに、籠神社でもらった案内に
真名井神社を参った人だけにお守りを授与します、と書かれていたので、
そそくさと社務所にもらいにいったら...
-500円-です。
と言われてしまいました。
-くれ-と言った後だったので、だんなと二人分1000円払い、もらい(買い)ましたが...
やっぱり、凡人は欲が深くていけません。真名井神社に行った人だけに、くれるということに、つられてしまった結果がこうだった...
なーんかね。

近所の神社で夏越の祓でもらっていた小さい無料のお守りみたいなものかなァと思っていたんですが...
こういうのは、有料、500円としておいてくれないと、誤解するではないか!


縮天橋立旅2IMG_1454
特別授与ではなく、
真名井神社もうで、特別販売、としてほしいです。

それほど信心深くないので、こんな感想だけですが...たまにはこんな感想の人もいるということで...

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知る人ぞしる真名井神社に参る

地図を頼りに、真名井川を渡り。ちょつと登り坂をあがったら、右手にユースホステル、正面に真名井神社がありました。
ここは、神紋か?昔の石碑についていたマークがダビデの星ということで、ユダヤ繋がりであるということのインパクトの強さから、スピリチュアル関係者には有名です。籠神社、奥宮の真名井神社というと、ものすごいパワーと、霊気、神気の迫力を感じたと、チャネラー、ヒーラーがブログなどで言っているのを目にします。

私もよく評判に聞く、交通の便が悪く、滅多にいけない-丹後-にある真名井神社...どんなんか...
神社のすがすがしさ、清浄さ...明るさ、そんなのを期待していったのですが...

緩い坂のゆきどまりの右手のユースホステルを見ると、樹木がしげった奥に古い建物が暗くたたずんでいます。安いのが好きな自分でも
-ちょっと泊まらんわ-と思いました。が、中はきれいかもしれません。

そして、神社...鳥居があり、入ってすぐのところに湧水が汲めるようになっています。正面から眺めると
暗い、樹木がうっそうとしている。
縮天橋立旅DSC01145
くっ...暗いじゃあないか
(この写真はよい大きなカメラで撮っているので実際より明るく撮れてます。)

木も生い茂っており、木々の間から空が広く見えるところも少ないです。
ここが、ずはらしい、清浄な気かみなぎつている?
くもっているのを差し引いても、すがすがしさは感じません。

おまけに、なにやら、神気ならぬ、虫来が...

蚊だ。蚊が来た...じめっとしているせいか、蚊がいるのです。

ブーン、ぶんぶんぶん...
邪気ではなく蚊をはらいながら、奥へと進みます。
つづく 
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genre : 心と身体

籠神社から真名井神社へ...

籠神社を参拝し、奥宮の真名井神社に行こうとしましたが、どういったらいいのか...ガイドブックにも道案内はありません。
わからないので、境内にとって返し、案内板、地図表示などないか探しますが、ありません。
確か、ここからさほど遠くない、歩いて行ける距離なのだが...と、だんなに言ったのですが、だんなは看板もなんにもないので、ここの近くではないと思ったらしく、
-もう、いい-と、行かずにすまそうとしています。
せっかく来たのに...

神社の人に聞けばいいだけの話なのですが、だんなは人に聞くことをしません。お札売り場の禰宜様に、
中国人ご一行が
-ケーブル、どこだ-と聞いた後、
-真名井神社はどこですか-と尋ねました。
すると、
ちいさな紙切れを渡し、説明してくれました。
縮天橋立旅2IMG_1456
神様についても書かれています
縮天橋立旅2IMG_1455
 
なんだ、聞けばいいのか...

しかし、聞かないと奥宮に行けないとは...
紙ではなく、案内板を立てたほうがいいんじゃない?なんとなく、親切のようだけど、不親切だなぁ、奥宮に人を行かせたくないのかも...なーんて思ったりもしました。

籠神社はきれいで明るい感じでしたが、よくスピリチュアルの人がいうように、パワーがあるとか、すごい、とかそれほど感じることもなく、
-ここだったら、そうわざわざくるほどのこともない-と思いました。

続く
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一日目をぬかし、2日目の籠神社から...

一日目は天橋立近くのホテルに泊まり、朝一番に籠-この-神社へ...
駐車場に車を停めたら、どこからともなく、駐車係のおじさんが...
「ケーブルにのるのかね?ケーブルに乗る人は600円」と言うので、
「神社に...」と答えると、
「神社に来る人はただ」との返事です。
ふぅーむ。ただというのはいいけど、
ケーブルに乗って、神社にも参る、というのは
ただ?それとも600円?それは非常に問題だ。ケーブルに乗るつもりはないけど、橋立往復の船はどう?

まぁ、いいや。ただになったし...と財布をしっかりバッグにいれたまま、籠神社境内へ...
縮天橋立旅DSC01143
中に入ると奥行きはそれほどなく、すぐに本殿で、左に社務所、お札お守り売り場があります。
こぎれいな感じの神社です。神社で参っていると、すぐに、外でざわざわと人の気配がします。すぐ後ろにも団体さんがざっと入ってきてます。

門から外を覗くと狛犬のところで、団体客が
-狛犬の足の刀傷は云々...-とバスガイドさんの案内を聞いています。ちょっと先をみてもまた、団体さんの群れが...

観光地だなぁ。門のところでトイレに行っただんなを待っていたら、旦那がトイレから帰ってきました。
-どうだった?-
まったく...われわれ夫婦は神社の雰囲気でなくトイレがどうか問題にしてしまいます。
トイレはきれいでじどうすいせんだったそうです。神社にしてはまれにみるきれいなトイレだったそうです。
籠神社、きれいな雰囲気なのですが、観光客が多く、静寂と言うにはちょっと?かな。そんなことを思いながら、この神社の奥宮の真名井神社の案内がないか探しはじめます。

続く
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籠神社、真名井神社、天の橋立神社を廻りました

後述しましたが、神社のホームページによると、
籠(この)神社の御祭神は、最初は豊受大神
奥宮のまない神社も
御祭神は、豊受大神


天の橋立なかほどにある
天橋立神社も


御祭神は、豊受大神


後由緒を見ると、最初に豊受大神がおられたが、伊勢に移ったと言います。まない神社の裏手には
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみが祀られてました。

他にもアマテラスとか、天火明命とかの名がありますが、
やはり、中心は豊受大神です。
豊受大神は豊穣の神であります。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみも稲とか、豊穣とかの神です。稲荷にも通じます。
豊かなる大地の神、豊穣の神、が太古の昔にこの地に存在し、伊勢へと移って行ったということでしょうか?

↓に、神社の由緒などを追記してます。

続く


籠神社後由緒
--------------------------------------------------------------------------------
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮真名井原に豊受大神をお祭りして来ましたが、その御縁故によって人皇十代祟神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになって、之を吉佐宮(よさのみや)と申して一緒にお祭り致しました。
その後天照大神は十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに依って當社は元伊勢と云われております。
両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮(このみや)と改め、元伊勢の社として、又丹後国の一之宮として朝野の祟敬を集めて来ました。

--------------------------------------------------------------------------------
後祭神
彦火明命

亦名 天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、 又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下 鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。尚、彦火火出見命は、養老年間以後境内の別宮に祭られて、現今に及んでいる。彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜わり、大和国及丹後・丹波地方に降臨されて、これらの地方を開発せられ、丹波国造の祖神であらせられる。又別の古伝に依れば、十種神宝を將来された天照国照彦天火明櫛玉饒速日命であると云い、又彦火火出見命の御弟火明命と云い、更に又大汝命の御子であると云い、一に丹波道主王とも云う。
子孫長福、家内安全、諸病平癒の御神徳が聞こえる。

豊受大神
天照大神

豊受大神は御饌津神とも申され、天照大神は、あまねく萬物を化育される天日の徳のように、天下蒼生を火の徳、高い徳を以ってお恵みに なり、生命を活動させられ、皇室や日本民族の大祖神と仰がれ、御饌津神は天照大神が崇祭された大神である。


大元霊神の御徳を分掌せられて、航海の安全、漁業の満足等をお司どりになる。


大元霊神の御徳を分掌せられて、水の徳を以って諸々の水利、水運、水道等をお司どりになる。奥宮相殿の罔象女命と共に神代以来最古の水神。


真名井神社
 
御祭神
豊受大神
亦名 天御中主神・国常立尊、その御顕現の神を倉稲魂命(稲荷大神)と申す。天御中主神は宇宙根源の大元霊神であり、五穀農耕の祖神であり、開運厄除、衣食住守護、諸業繁栄を司どられ、水の徳顕著で生命を守られる。相殿に、罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神を祭る。


天照大神
いざなぎ
いざなみ
この磐座は日之小宮と申し、主神は天照大神であらせられる。奈岐・奈美二神は大八州(日本)の国生みの伝で有名であらせられる。当社奥宮境内真名井原に降臨せられ、天橋立(天地通行の梯)をお造りになられた大神で、夫婦和合、家内安全、授子安産、延命長寿、縁結びの御徳が著名であらせられる。

天橋立神社
御祭神 豊受大神
ここは橋立起点の文殊堂の境内になるらしく、もともとは寺がまつる仏教的なものだったのでは?神社が近くにあるので、3点セットで都合がいいと、神社化したのでは?文殊堂鎮守のお宮らしい...です。
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丹後周辺の神社へ行ってきました

元伊勢内宮・皇大神社
天の岩戸神社
元伊勢外宮 豊受大神社

比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ)

籠神社
真名井神社
天の橋立神社

大宮賣神社

出雲大神宮


以上を廻りました。今回印象深かったのは、神社よりも、丹波、丹後の山の深さです。大江山周辺の山道をひたすら宮津市めがけて走りました。山、山、山...すれ違う車もほとんどなく、緑の山が覆いかぶさるように次から次へ左右に迫ります。酒呑童子の看板を見たとき、本当に鬼が出るかもしれないと思うほど...神社もさびしいところが多かったです。

おいおい、感想を書きます。よろしく。

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天の橋立に行ってきました

日程の都合がついたので天の橋立まで行ってきました。

今回は神社をいくつか巡るのが主な目的でしたが、天の橋立にも行ってきました。いってみて驚いたのは、橋立って結構距離があるということです。ホテルから橋立を見るとずっーと松の並木が海上を一直線に続いています。一目で歩いて先まで行って戻ればよい、と思っていた気持が一瞬ですっとびました。端から端まで歩くと一時間以上もかかるようです。
また、橋立って、細く松並木が湾に突き出ていると思っていたのですが、違ってました。一方の陸地から一方の陸地まで橋のように繋がっているのですね。

あぁっ...だから橋立というのか...

いまそんな意味を知りました。

橋立の起点の籠神社からちょっとだけ歩くと、浜に海の波がうちつけ、とてもいい気持ちです。

しかし、誰も歩く人はいません。

時折、レンタサイクルのカップル、友人同士が通るだけ...あとは私たち二人と、並木の手入れの職人の人だけです。天橋立って結構有名で、籠神社でも観光客はひつきりなしに入っては去りっていたのに...あの人々はどこへ...?

と、思っていたら、籠神社で中国人ガイドが
-ケーブルどこだーとひとこと。禰宜様が手を反対側にさしました。

ざくざくざく...中国人集団があっという間に神社からケーブル乗り場へと消えていきました。
きっとみんなそうなのでしょう。天橋立に行くといっても、橋立を歩くことはない。ケーブルで上に登り、また覗きをし終わりです。

昔の佳人も訪れたという橋立...その時はケーブルではなく橋立を歩いたんだと思います。あわただしく神社を通過し、ケーブルに乗って下って...そんな橋立見物が今流でしょうが、橋立をじっくりと歩き、松風や波の音を聞くと昔のひとのこともこうしただろうかと、ふと思っています。
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梅干を作ってます♪

梅干を漬け込み中です。小ぶりの南高梅を4キロ、中の大の南高梅を4キロ漬けました。
①小ぶりの紀州産の南高梅は買った時にもういい黄色でしたが、参考にした古い-今日の料理-に梅は一晩水につけてあくを抜く、と書かれていたので水につけました...
そうしたら
ちゃいろになっちゃった...げぼぼというわけで、この梅、大丈夫か?という状態になってしまいましたが、
大丈夫にしろそうでないにしろ、梅は高い...捨てるわけにいかないのだ、と思い、漬け込みを続行しました。

ほんとう、一晩梅を水につけるなんて...絶対にやめましょう。ちょっと?な梅干しをつけこむことになってしまいます。

というわけで、うちの梅干し、腐ってないか?心配ですが、その後、紫蘇を2束、約800グラムくらい(葉をとり、洗い乾かした状態で測ったら)買ってきました。
もう一つの本によると、紫蘇は梅1キロあたり500グラム、と書いてあります。今日の料理には梅2キロあたり500グラムです。なーんか本により違っています。
なんにしても4キロで800グラム前後というのはちょっと少なめかな、という訳でその後また、近所のスーパーでラップでぐるぐる巻きにされたちょっと重みのある紫蘇の1束を買いました。

家に帰り、葉っぱだけ切り取り、洗い、水気を切ったら800グラム弱もありました。

紫蘇の葉の約20パーセントの塩をすり込み、もみこむうち、紫の汁が出てきます。それを何度も捨て、ぎゅっと紫蘇の葉を絞って汁を切った中に梅酢をいれると、

さっと、ボールの中が赤くなります。この鮮やかな赤が梅干しの色なのです。容器の中の梅の中ごろと上に紫蘇を散らします。そして、ちょっと重しをし完成です。
縮うめぼしIMG_1450


私は紫蘇が足りなかったので、二回に分けて漬け込みました。その後、7/1にスーパーで買った紫蘇が約790グラムぐらい。先回のと合わせて、1600グラム弱です。これが多いのか少ないのか、本によって違いますがこの辺りでもうよしていうことにします。
まったく、紫蘇を漬けこむのは手間がかかるし、力はいるし...でいつも省略したくなります。でも、やっぱり漬けてしまいます。紫蘇に梅酢を入れたときの鮮やかな赤...あれを見たいばかりに、梅をつけるのだと亡き母が言ってましたが...赤い梅酢の美しさを見ると幸せな気持ちになるとも...わたしはいたってずぼらで、めんどうなだけの紫蘇の梅干しはできればやりたくないのですが、赤い梅酢に一瞬だけ、白いふくやかな母の指先を見るような気がして、今年も赤い梅を漬けているのかもしれません。

②中の大の地元産の南高梅-4キロ-は、
さきの梅-4キロ-を一晩漬けて茶色にしてしまったので、よく水で洗うということを繰り返すだけで、すぐにバケツに漬け込むこととしました。梅400グラム、塩20パーセントです。これは当たり前ですが、洗ってからへたはとります。

バケツが小さいのできっちりときゅうきゅうにつめたらなんとか入りました。重しは1キロのみそパックと小麦粉2袋としました。もう750グラムみそパックを追加しましたが、1.2日でやめたと思います。3日もすれば順調に梅酢が出て、いい感じで梅が漬かっています。しかし、1週間以上たってから、一度全部梅を取り出して底をさらったら、少し塩のつぶがありました。手で何度も混ぜて溶かします。これをしないでいると、塩の比率が少なくなりかびることがあるそうです。
しばらくしたらだいぶ漬かってきたので重しははずしています。
縮うめぼしIMG_1451


重しはこの頃はジップロックに水を入れるスタイルがよい、などと言われたりしています。それもいいですが、味噌もいいですよ。まだ封を開けてない味噌を袋のまま重しにすると、器に合わせて形も多少変えれるし、重量も1キロなどちゃんとわかるし、便利です。
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ガイガーカウンターで測ったら

 ガイガーカウンターで測ったら 
 24年度 名神高速②

 前回に引き続き、一宮から米原・泉神社の区間について、今回
「ガイガーFUKUSHIMA」のみを使用して測定してみました。

 前回は主なIC・JCTごとの表示値を記録していたため、区間の
距離と所要時間により、各計地までの、カウンターの平均値算出
の回数が異なって
いました。

 そのため、「5回の計測ごとに約2区間を通過した」という、
雑把な前提
による測定値とならざるを得ませんでした。

 今回は前回の反省点を踏まえて、以下のように測定方法を変更し
てみました。

 ① 測定は、計測場所を定めるのでなく、計測の開始から各1回
  ごとの計測値
(直近5回の移動平均値)をそのまま記録する。

 ② 1回の測定が終わった地点について、名神高速上については
  東京から何km地点であるか、一般道にあっては最寄の交差
  点
名 を特定する。

 ③ 各計測区間の線量について、初回の測定から概ね直近5回
  の移動平均が順次示されていると仮定
し、初期値を最初の
  区間の実際値として、その後の各定区間の数値を順次逆算
  
して求め、その区間の推計値とする。

 今回の測定結果は以下の通りとなりました。  
 縮泉1 
泉2 
 
 1回の測定移動距離については、流れにより、かなりばらつくこ
とも予想していましたが、この日の東名高速の流れは順調であった
ため、常に約1~1.2㎞ごとの計測となり、結果としてほぼ1㎞
区間ごとの計測値を得ることができました。

 従って東名高速道路上の計測地点は1㎞ごとにまるめてあります。
そのため、一部区間については2㎞分を同じ測定値として掲載して
います。

 関ヶ原から泉神社までの一般道については、たまたま往路と復路
の測定回数が一致したため、その間を各地点を13等分して計測し
たものと仮定
して記載しています。

 なお、測定開始時については、測定値が不安定になることを考慮
し、出発地の一宮については、ICに入る前から計測を行い、一宮IC
以前の値については、逆算計算のみに使用し捨象
しています。

 各区間の逆算による推定値は、右端の2列のようになりました。
概ね、0.08~0.19μsv/hの値となり、従来から計測してきた
「RAYDIX AK2011」の数値と比べてもそれ程違わない値となってい
ます。

 ただし、この方法の場合、連続した区間の計測値が0.3μsv/h
程度急激に変化すると、平均値からの逆算値の振幅
がかなり
出てし まい、一部の地点の逆算値が0やマイナスになったり、逆
にその反動で近接する地点の数値がかなり高く出たりする欠点
があります。
(グラフ上ではゼロ以下の地点の数値は省略しています。)

縮泉神社

 このような欠点はありますが、1回の計測毎の数値を計ることで、
各地点の数値がある程度推測できるものと思われます。

 また、今回の計測を見ると「ガイガーFUKUSHIMA」の表示値その
ものは、「0
.10~0.14μsv/h」と小幅な変化に見えるものの、
逆算した場合は、各地点で相当な差がある可能性があることを、
改めて認識させられることとなりました。

 ガイガーカウンターで測ったら「総目次」へ
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トンデモ話は奥で繋がる(164) 24.7.4

トンデモ話は奥で繋がる 「第164夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪復活と再臨 ⑤≫
 
 ★ 宇宙大師

 まず、前夜でいきなり繰り広げられている、独自用語の理解(?)
が必要かと思いますので、同書の中でA氏が《魂の進化》について
述べている部分を少し抜書きして見ましょう。

 その説明の中で、イエス・キリストは、全宇宙の《魂の進化》を司る
《宇宙大使》の1人であり、地球の魂を救済するために降り立った
のだとされています。

 「 シャンバラに入るには、一般に魂が第1イルミネーシ
  ョン、すなわち、魂の最初の《大光輝状態》に達してい
  ることが必要になる。魂が肉体脱出で霊的9次元に上
   昇し、神の光を見る状態だ。

   魂がさらに進化を遂げて、神の光そのものになると、
  意識が地球大に拡がり、魂は最後の《大光輝状態》を
  味わう。これが第3イルミネーション、すなわち、最高
  の神我一体境になる。

   さそり座の主星アンタレスにある《宇宙聖白色同胞
  団》
の宇宙大師千人は、全員、第3の完全な最終大
  光輝を得ている。

   イエス・キリストは、宇宙聖白色同胞団の千人の宇
  宙大師の1人で、地球を救済するために到来した宇宙
  《救世主》
だった。

   彼等宇宙大師は、宇宙聖白色同胞団からそれぞれ
  異なる任務を授かり、様々な天体の聖白色同胞団で
  働くと言う。

   宇宙聖白色同胞団の本部、さそり座アンタレスには、
  宇宙大師の無限の創造力が創り出した様々な建物
  建ち並び、あらゆる星のあらゆる発明品・知識が蓄え
  られている。

   もし、ある星が何らかの進化過程に達すると、巨大
  な倉庫に蓄えられている知識が、その星に発明・発見
  のインスピレーション
として与えられる。
  (…中略…)

  (宇宙大使の)地球への出現は、必ずしも《誕生》とい
  う形を取る必要は無い
。瞬間的にその星に合った《体》
  を出現させることが可能だという。

   中央白色大寺院には、地球聖白色同胞団の144人
  の大師が集まる会議室の他、13名の高位の大師から
  成る最高議会がある。
 (…中略…)

   最高議会や大会議は、人類を霊的に向上させ、同時
  に科学を高度に進化させて、人類の福祉と平和の向上
  に資する政策を種々計画している。」

  (海野光彦『光シャンバラから誕生する超人類の謎』pp54-56
  《徳間書店・5次元文庫》より抜粋転載)
 

 ★ 宇宙聖白色同胞団   

 説明によれば《第1イルミネーション》とは《肉体》を脱した状態で、
《第3イルミネーション》では意識が地球大に拡がるのだと言います。

 イエス・キリストは、シャンバラに移った25歳で第3の状態に至った
と言いますが、この状態は、第148~149夜でお話しした、古代ア
トランティス人の見霊能力
に似ています。

 シュタイナーによれば、しかるべき秘儀の方法に従えば、地球上で
もこうした状態を経験することは可能であり、この説明だけで、《最高
の神我一体境》と言うには物足らない
気がします。

 なおかつ、キリストが人類に示そうとしたのは《肉体》を持ったまま、
自我が《宇宙の意識》と自在に繋がる
こととしていますので、この
部分ではシュタイナーのキリスト観とは異なっています。

 さて、そのイエス・キリストは宇宙聖白色同胞団に属する144人の
大師の1人であり、さらに13名の高位の大師からなる最高議会
あるとしています。

 彼等の名称について、誰が決めたのだかよくわかりませんが、この
組織の役割を見ると、以前第七十七夜でお話ししたプレアデス・メ
ッセージの8次元
の内容に近い感じがします。

 この8次元については、以前小生が告白したとおり、にわかに理解
することが出来ない
ので、取りあえず書いておいた『知性の会議の
場』
に当たるものです。

 また、宇宙聖白色同胞団の本部である《さそり座アンタレス》には、
発明や発見の蓄積場所としての建物があるとしていますが、これ
に似たものとして『アルシオネの図書館』があります。

 「 これから、アルシオネの図書館の中心にある円形の
  ガイア神殿をご紹介しましょう。我々(プレアデス人)
  が地球を研究している場所です。

   ガイアの神殿は大きな白い大理石のドームに覆われ、
  内部は金色の縞大理石を敷き詰めた巨大な円形の部
  屋で、周囲を水路が一巡りしています。
 (…中略…)

   これが、アルシオネの中核に永遠に存在する精妙な
  神殿であり、あなた方の太陽の中核とよく似ています。
  恒星の中核には様々な世界の概念が含まれています

   …このように想像してください。惑星や恒星の中核は
  宇宙で最も濃密な知性であり、どれにも記録図書館の
  全てが含まれています。 」
 
  (バーバラ・ハンド・クロウ『プレアデス 銀河の夜明け』
  pp331-332《太陽出版(高橋裕子・邦訳)》より転載)


 実は上記の部分については、プレアデス・メッセージの章中では、
あえて割愛していた部分でもあります。しかし、こうして読み比べて
見ると、かなり類似性が感じられます。

 ただし、以前に小生が掲載しなかったように、質的なものを超越
する次元の説明としては
、大理石のドームや水路など、まるで地球
上の平凡な施設に似た《即物的》なものに感じられるのです。
 
 また場所についても、こちらはフォトン・ベルトの回転軸の中心星
アルシオネ
の中にあるとしています。必ずしも同じものを指していると
は限りませんが、この食い違いも気になる所です。

 彼等の役割が《人類の福祉と平和の向上に資する政策の計画》
というのも、いかにも紋切り型な、当たり障りのない表現のように感じら
れます。

 また、そのために科学を高度に発展させるとしていますが、シュタ
イナーの説では、これらは一方で古代の見霊能力を衰退させるもの
でした。

 また、進歩の程度に合わせ科学的なインスピレーションを与える
と言いますが、原子力利用のようなものは福祉と平和に役立っている
とは思えません。

 この辺りの矛盾点について、もう少し説明が必要かと思いますし、全
体的に、自らの指導者的立場を示さんとする意図を感じてしまいま
す。

 この点では、以前第八十夜以降でお話しした『アトランティスから
のスピリチュアル・ヒーリング』
のような、様々な実験の一つと考え
た方がよいのではないかと感じます。

 ★ 行動の物足らなさ
 
 前夜でイエス・キリストの、宇宙聖白色同胞団から地上への誕生
や帰還
についても引用しましたが、その方法についても今ひとつ整
合性がありません。

 まず、瞬間的にその星に合った《体》を出現させられるのであれ
ば、何故わざわざ《肉体》を持った状態で地球に生まれ、僅か11
歳でまたそこから脱する
必要があったのでしょう。

 また、最終的にアストラル体を脱するのは、第136夜での話と
符合していますが、燃焼して物質体を残すのであれば、アストラル
体も肉体とそれ程かわらないように思えてしまいます。

 その間、磔刑の前はひたすら《修行》、その後はひたすら《教
えを説いた》
としていますが、その部分だけならばイエス・キリストも
仏陀を初めとする数々の伝道者と何ら変わりません

 ただ一点《復活》を遂げたことのみが違うわけですが、ここでの記
述は何かマジックショーでも見ているようで、その行為の重さが伝
わってきません。

 一方、以前の第129夜の話では、シャンバラはエーテル界にあっ
て、そこからレムリア人やアトランティス人を指導したとあり、この
辺りはほぼ一致しています。

 しかし、その後イエス・キリストは闇の勢力によって殺された
とになっています。つまり、ゴルゴダの刑死がイエスの意思によ
るものか否か
という差が生じています。

 以上、あれこれケチをつけてきましたが、これらは、その必然性に
ついて十分な説明がないまま
、ブラバッキー夫人の創設した神智
において、ほぼそのままの形で認められているものです。
 
 そして第137夜でお話ししたように、これらの非科学的な態度
そが、シュタイナーを神智学から決別させ、孤高の位置から新た
人智学を語り始めさせた違いでもあるのです。

 それではシュタイナーは、どのようにシャンバラとイエス・キ
リストをとらえているのか、次回第165夜から入っていきます。


( 追伸 )

 中曽根君、我々にも君の戯言の世界とは
決別する時が来ている。

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ただ事実をいうことと、スピリチュアルなよい子たち

感謝の念を毎日感じ、ありがとうを忘れずに...いやなことがあってもいやな人がいても人は鏡とし、自らの行動を省みるチャンスとし、さらに感謝の念を...

スピリチュアルな人はそのようなことをよく聞かれると思います。聞くだけでなく、その-教え-に心を動かされなにか心が動くことがあってもその教えを思い出し、-ありがとう-を呪文のように唱えている方もいらっしゃると思います。

同じようにいやなことかあっても、そのようなことは口にせず、ましてや相手がいたらなおさらです。自分の行動を修正するひとつとし、相手がこうだった、ああだった、ということも言うことはあまりありません。悪口を言うと自分の波動が落ちると思っておられる方が多いせいだと思います。

いろいろと問題のあるひと、人の言動...それを言うことは果たして悪いことでしょうか?たとえば、あるチャネラーがいたとします。そのチャネラーに心酔し、みんなにも勧めてきた...しかーし、ある時点で、そのチャネラーのふるまい、言葉などに今までと違うものを感じる。チャネラーもその周りの人たちも気づいてはないですが、最初は利他的な思いでなにごともやってきたチャネラーがいつのまにか、教祖のようになり、エゴが現れ、増大する。自分の教団は大きくなっても反対に-スピリチュアルな教えからはずれていくことはよくあることです。

なんとなく違和感を感じてやめた方、いつのまにか変わってしまったチャネラーから離れた方はいると思います。こんなことはチャネラーに限りません、カリスマ性のあるヨガ教師、占い師、宗教家、もろもろいろいろと例をあげればきりがありません。

さて、いままですばらしいと思っていたカリスマ、指導者がなんとなく色あせて見えたとき...やめようかなぁ、と思い、そのカリスマのワークなどに出るのをためらつたりします。そんな時、カリスマはあなたを叱責し、自身の行動を省みることはありません。スピリチュアルなカリスマは、高次の存在と繋がる絶対的な存在と自分を思っているからです。

スピリチュアルな道はあやうく、まるで右も左も崖の細い山の稜線を歩くようなものです。常におのが心を見つめ、まいあがること、うぬぼれることがなければ、増長慢という魔の手にかかることもないのですが、驕りというものはどんな人にもあります。人は弱く、お山の頂点に登ってしまったら、他の人びとが下に見えてしまいます。

驕り高ぶりというもの、エゴはいつの間にか、すり寄ってきます。人をとりこにするカリスマ性のある霊能者などがかえって陥りやすいのです。いつの間にか、神の位置に自分が立ち、人を指導する...しかし、このの世に生まれ出てきたもの、すべて重力の法則に従っているように、いくらカリスマ性のある指導者とはいえ、うぬぼれから、すべてが見えなくなることは多いです。そして、いつのまにか自分のエゴが神聖なるものの意思のように思えてくるのに気づかず、落ちていきます。

さて、善良なる、そして優等生のスピリチュアル道にまい進しているスピ好きな方は、そのようなチャネラー、スピリチュアル指導者に出会った場合、どうするでしょうか?

最初はすばらしい指導者だと思ったが、だんだん自己中心的な考えか透けて見えていやになった...そんなことを感じた方もいらっしゃるでしょう。
スピリチュアルでは自己責任だし、いやなこと、違和感を感じてやめても、その理由は言わないでおこう。悪口は波動を落とすから...ありがとうと感謝し、終わろう...とする方々が多いと思います。

まぁ、確かに、自分が心酔していた指導者があんなこんなで嫌な思いを味わった。まったくもってあいつはよくないよ...なんて、スピリチュアルの人は思ったとしても言いません。

なぜでしょうか?自分の波動が落ちるからです。
人の悪口は言ってはいけない...正論です。でも、なんか、いい子ちゃん的な答えだけど、手前勝手だなぁと感じるのはあまのじゃくな私だけでしょうか?
確かにスピリチュアルな指導者について暗黒な面を感じても、言わないで去る人...多いと思います。

私はこの頃思います。
何も言わないのがいいのか...!
いい勉強だったと、自分を納得させ、その顛末は誰にも言わない...
ある程度深くそのチャネラー、霊的指導者に立ち従っていたら、その人をまた他人に紹介したり、すばらしい人とほめそやしたりしたこともあるでしょう。

て゜も、だんだん、この人は違うと思った...のは、事実なのです。
この頃、私は知り合いに、ある霊的指導者とあまりかかわらなくなった事情を聞きました。事実そのものです。その知り合いは-自分が霊的に落ちる-なんて思わないで、あったこと、感じたこと、そのものを語ってくれました。
また、春にも、非常に尊敬されている霊的指導者のことを違う側面から言ってくださった方がいました。

この時に私は-あぁ、すばらしいことを聞かせてもらった-と思ったのです。

ただ、あったこと、体験をたんたんと語る、ということは事実であって悪口でも中傷でも負け惜しみでもありません。ただの出来事なのです。
私は思います。物を買った時、使い勝手がよくなかったものであったら、仮に友人が同じようなものを買おうと思っていたとしたら、自分の使い勝手がよくなかった製品について、どこがどのように使いづらかったか、話します。

友人が同じものを買って同じように製品のお粗末さに悪戦苦闘するのは気の毒だからです。
この製品はよくない、ではなく、使いにくい具体例をいくつか話します。友人がその話を聞き、それを悪いし品かどうかを判断する材料としてです。その製品のここが、あそこがこのように使えない、と聞き友人は製品を選ぶのにより多い判断材料を手にします。

スピリチュアルな指導者についての体験もそのようなものではないでしょうか?いや、それよりもっと重大なことだと思います。

スピリチュアルな指導者にひかれて、そのひとの良さをふれまわったが、がったりしたら口をつぐむ。それはいかがなものかと思います。確かに悪口を言わないからその人の波動は落ちません。でも、よさを他人にふれまわったら、残念な点も世間に言うべきではないかと思います。
自分の波動を落とすと思う前に、同じように-堕ちたチャネラー-を信じたあげく、がっくりとする人を増やさないために、
-がっかり体験-も言うべきではないかと思います。

しかし、このようなことを言っているから、
-君は心境が低すぎるよ-と言われてしまうのでしょうね。
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現実はいくつもあると聞いてはいたが...

スピリチュアル系の人の話によると、人間はたくさんの次元の中で生きているのだが、3次元の自分を認識しているだけで、そうでない次元も、違う次元にいる自分も自覚していない...なんてことを聞いたりします。
次元、自分が複数存在する、いろんな現実もたくさん存在する...などと言われてもピンとこないし、逆にぴひーんときたら、ちょっと...あやしい人と思われかねないのがこの現実。

ある人に言わせると、宇宙人と交信するときは人間は夢うつつの状態となり、われを忘れる...とか。

宇宙人?それこそ単なる夢だろうなんて思うのが普通の人ですが...あの世の人と話したり交信する、また、自分が事故などで意識を失っている間、どこか違う次元に行ってしまい、この世をみると、あの世のほうがしっくりする感覚を持った、とか。
私の祖母もいわゆる臨死体験をして、あちらの人とであったけれど、こちらに帰って来た、などと語ってくれたことがあります。

この世の現実...多次元のなかの一つの現実に過ぎないと仮定すれば、この3次元の現実も多次元からすればおぼろげなる夢のようなものに見えるかもしれません。事故、その他で意識が飛んだ場合、この現実が昔のことのように不確かで、夢のようにとらえようのないもののように見えたなんていう人もいるのではないかと思います。

3次元があって、そこの自分たちがいる、ではなく、自分の意識が3次元を選択しているから、この現実を現実として体験しているように錯覚しているのかもしれないと、この間の驚愕体験以降、思わざるをえません。
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ミディアムシップ-聴く-聞くってこんなの?なんとなくわかってきたぞ。

いろいろなカードの中身を当てる...聞くということに注意して...
内容はいつものようなことでしたが、当てる人、次の問題を前に当ててる人、いろいろでした。私は自分の答えも忘れました。なので書けません。まったく、おおぼけでした。

さて、ミディアム実習です。私が座っている椅子の真後ろに誰かが座ります。誰なのか、目をつぶっているのでわかりません。

さぁ、と先生が促します。

うぅぅぅーむ
わからん。みえん、聞こえん、あっ聞くんだったなぁ。聞こえん、聞こえんぞ。イメージもないぞ。...
先生にどうですか?と聞かれます。
うぅっ...わぁ、どうしたらいいんだ。

その時、かすかにいったん木綿を細くしたようなイメージが...
イメージ...ばりばり、視覚じゃん。
いいのだと思いながらも、これって結構自分の思い込みかも...と、疑いがつよく出ましたが、これしか頼るものがなく、苦し紛れに、-紙-、と言います。
-書類ですか?-先生に聞かれます。

書類です。と答えながら...それから右耳から-〇○△でどうのこうの...-なんて、言葉が聞こえてくるような感覚と同時に、言葉がスラスラ出てきました。
言葉と同時に視覚が働いているのか、映像がわいてきます。それにこのかたの状況...最初は半信半疑だったけど、事務机で書類を作成、しなければ...といった状況。そして、相手の方のいろんなことが右耳に聞こえるような...話すのと同時でした。

後から確認したら、この内容はほとんどあたっていたようです。

やっぱりそうだ。きっとそうだ...

このあいだ、あまりにも驚愕するようなことが起き、いろんな科で診察してもらった時、眼科にも行ったのですが、その時、右耳にガイドと亡き母が
-大丈夫だ。心配ない-と語りかけてくれているような気がしました、その時、私は眼科の結果は悪い結果の方が多そうだ、もし、これでなんともなかったら、自分に語りかけてくれているような心の声は、自分ではなく、ガイドや霊に違いない。と半ば賭けのようなことを考えていたのですが。

これは、本当だろう。とこんどの実習でだ実感がつかめてきました。ただ信じるのではなく、実感を持ってそうだと感じる、思えるのです。あいまいな像しか結ばないジグソーパズルのパズルがだんだん色濃く、形もはっきりとしてきたと思えます。

おぼろげなる感覚、声...それはもっと前からはっきりと聞こえていたかもしれません、しかし、それをガイドや霊の声だとは認識してなかったのだろうと思います。

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プロフィール

工芸美術をやっています。2017年からスペイン語の試験を受けています。が、ドンキホーテはいまだに完読できていません。握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

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