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名古屋のホテルのバイキングに行きました

食品...放射能のことが気になりますが、地元の食材が多いであろうと期待し、たまにはホテルバイキングにでも...と、行ってまいりました。
フランス、イタリアフェアです。

ここのホテルはすべてがおいしく、そしてホテルだけあって品がよいです。キューイの半割でも大きく立派でした。
まずはスープ
これはミネステローネ?だったか...
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前菜、オードブルの一部
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牛ロースだったかな、ステーキです。
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携帯の写真なのであんまりはつきりしてませんね。
 これは、おいしくさっぱりしてました。
↓フルーツポンチ-果物エキス?にサイダーを注いでもらい、好みのフルーツを入れてもらいます。
私はメロン果汁にマンゴー、子供はカシスにマンゴーでした。
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料理はもっといろいろとありましたが、一部です↓
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パスタも二種類ありましたが、桜エビのクリームパスタ、最高でした。濃厚で、うまみ、こく...おいしかったです。このあたりの牛乳は放射能は出てないものが多いので(Cラボの検査でみました)久しぶりにバイキングに行きましたが、桜エビは...大丈夫なことを願っています。
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デザートのケーキとアイス
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フランスイタリアフェアの飾り...大きな国旗でした。
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theme : *おいしくって しあわせ?*
genre : ライフ

トンデモ話は奥で繋がる(156) 24.4.29

トンデモ話は奥で繋がる 「第156夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪キリスト衝動 ⑩≫
 
 ★ ジコチューといふもの

 第3の誘惑の講釈に入る前に、前夜で述べた第2の誘惑につられて、
十分な準備無しにエーテル体と肉体へ沈潜した場合、どんな障害が現
れるのかについてのシュタイナーの説明を見ておきましょう。

 この部分について、小生は、現代のスピリチュアリストについても、
多分にこうした障害を抱えたまま、それに気付かずにスピリチュアル
・リーダーとして振舞っている
例も多いのではと思っています。

 「 準備をする事無く、自分の内面に沈潜してゆくと、…
   まず人間の中にあらゆる種類の利己主義が目覚めて、

  《 自分の中の全ての力、全ての情熱、情動は、
    自分のためにあり霊界などとは関係が無い
    だから、自分の利己的な内的要求に従って行動し、
    
生きがいが実感できればよい 
  
  と思ってしまいます。内面へ沈潜する時には、最高度
  に自己中心的になる危険
があるのです。

   今日でも、霊的能力を開発して自分の内面に沈潜し
  ようとする人は、繰り返して幻想に襲われます。

   そしてその結果、利己主義の中に陥ってしまうので
  すが、当人はそれが利己主義であるとは思っていない
  のです。それが利己主義だなんて、とんでもない、と
  思っています。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
 pp181-182 《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 この出だしの《利己主義》の独白の部分は、巷で流行のスピリチュ
アル・セッションによくある『自己の思うままに行動しなさい』
という
呼びかけと同じ響きがあります。

 しかし、この『思うまま』というのが曲者です。我々はそれぞれ課題
を持って現世に転生して来ました。その多くは、第139夜でお話しし
たように、前世で持ち越してきた障害を乗り越えることでした。

 我々はこの障害―前世で尻込みをして来た性癖―に対して、そ
れを克服したいと思う心の『思うまま』に行動するべきなのです。
決して『思うまま』に回避しろと言っているのではありません。

 また、138夜でお話ししたように、我々の現世での行動は、霊界か
ら眺めると、全て動物霊達に何かしらの苦しみを与えて成り立って
いたということをまざまざと思い知るのです。

 それ故、第142夜でお話ししたとおり、《喜びや楽しみや満足の
感情を、お前自身のために受け取ること
=利己主義的に振舞うこ
と=は許されない》のでした。

 考えてみれば、この地球上の生命界においては、人間という生物
に生まれたということだけで、既に自己中心的な地位を占めている
と言えます。

 例えば《蟻が生命界のトップとなった世界》を考えて見てください。
我々は《蟻》の許可なしに道路や家を建てることなどできなくなり
ますし、土の上すら自由に歩けなくなります。

 現に、インドのジャイナ教徒等は、厳密な不殺生の戒律を持ち、蟻
等の小動物を極力殺してしまわないよう、それに近い生活をしていま
す。 

 実際、ここまでの《非ジコチュー》を求められたなら、小生は勿論、
大多数の人間はギブアップしてしまうでしょう。でもご安心ください?
これはあくまで他の誘惑をクリアした人間に限られるのですから…。

 逆に、通常のレベルで現世に暮らしている人間は、この境地に入り
込む以前に『思うままにならない』現状
に囲まれてしまいますので、
、幸いなことに?その危険とは無縁でいられるのです。

 つまり、ある程度の修行を積んで、そこそこに悟りを得たと思い込
んでいる人間こそ、最も《ジコチュー》に晒される危険
を背負って
いるということです。

 ★ 高次の世界への壁

 それでは、シュタイナーの話を先に進めましょう

 「 高次の世界への道は、私達の時代においてさえ、
  己克服を必要とする道
なのです。
  
   高次の世界への道を辿ろうとするにも関わらず、自
  己克服を望まず、そもそも何がその道に導いてくれて
  いるのかを知ろうともしない人
は、現代でもよく見ら
  れます。

   人間本性の陰の部分を認めたがらず、さまざまな
  己主義の現れを無視して、高次の世界へ参入しようと
  する
のです。

   最も大きな、最も手に負えない利己主義は、当然生
  じる事柄に満足しないことです。そういう人は、自分
  の利己主義の暴力を抑えようとしません。

   誰でも利己主義に陥る、と何百回繰り返し説明して
  も、そのことを真剣に受け止めようとしません。

   そういう人は、自分についてひどい幻想、錯覚に陥
  っている
のです。更に付け加えるなら、現代人は、そ
  の上、あまりにも安易に流れています。

   日常生活では許される安易さを、高次の世界への道
  の途中でも失いたくない
と思っているのです。
 
   しかし、いつもの生活の中では好ましいこの安易さ
  も、霊界への途上では、決してあってはならないもの
  なのです。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
 p182 《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 なんとシュタイナーは、第一次大戦よりも前の時代(1910年)に、
に『高次への道』≒『アセンションへの道』への心構え
を説いていた
のです!

 それは決して『自力のみ』で成し遂げられるものでは無く、『その
道に導いてくれる存在』
があり、自己優先の心を完全に克服してい
なければならない、とシュタイナーは戒めています。

 さらに、高次への道については、決して「安易に」達せられるもので
はない
としています。つまり《利己主義を脱したつもり》になっただけ
では、
第3の誘惑は克服できないのです。

 ★ ジコチューで無い自我感情

 ただしそれは、動物のように、全く自我感情を持たないこととは違う
のです。つまり『自我』を持っていながら、かつ《自己のためにするの
ではない》という意識
を持たねばなりません。

 第149夜でお話ししたように、古代の秘儀参入においては、一種の
睡眠状態のような、自我を抑制した状態でエーテル体と肉体の内面に
降りてゆく体験をしました。

 しかし、ここでキリストが示そうとしたのは、自我を保ったまま、自分
の内面に沈潜してゆく体験であるとして、シュタイナーは次のように述べ
ています。

 「 動物が人間のように自分の内面を見たとしたら、そ
  こに個別な自我では無く、集合的自我、《類》の自我
  を見出したでしょうし、自分を群れ全体に属している
  と感じたでしょう。
  (…中略…)

   人を外界から切り離そうとする利己主義は、常に
  我感情
と結びついています。利己主義によって情熱
  や情緒を一定の強さまで持っていなかったら、自我
  感情は抑圧されたままだったでしょう。

   ですから、古代の秘儀において、霊界へ参入する
  時には、夢意識の中の自我感情ほどにまで曖昧に
  なるのでは無いにしても、自我感情を大幅に抑制す
  る必要
があったのです。

   けれども、時代が経つに連れて、目覚めてから眠
  るまでの覚醒意識が担っている自我を、十分に保っ
  たまま、霊界に参入
しようと努めなければならなくな
  りました。
 (…中略…)

   人類意識の進化のためには、ゆっくりではあって
  も、高次の世界に参入する人の自我感情を、高度に
  保ち続けることが必要
となったのです。
 (…中略…)

   日常のごく身近な場合でも、睡眠時、霊界にいる時
  は、自我感情が働いていません

   現代人の場合にも、キリストが地上で働いていた当
  時の人の場合にも、同様です。

   現在の地球紀の人間の場合、自我が別の世界に目
  覚めることは、通常の状態ではありえません


   ところが、キリストの霊界参入では、自我が外界に
  おいて目覚めているように、高次の世界においても目
  覚め続けるべき
なのです。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
 pp183-185 《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)

    
 まさにこの初めての体験こそ、キリストが、人類意識の進化の究極
の目標
として、我々と同じ人間の肉体をまとった状態で、示そうとした
ことなのだと、シュタイナーは述べているのです。

 ★ 第3の誘惑

 一般に第3の誘惑とは、悪魔がイエスを非常に高い山に連れて行き、
この世の全ての国々とその栄華を見せ、『もしあなたが、ひれ伏して
私を拝むなら、この全てをあげよう』と言ったことを指しています。

 つまり、悪魔と契約すればこの世の富・権力・栄華が手に入り、
の世の王
になれますよ…という、巷でよく聞くキャッチセールスまがい
の取引をしてきたわけです。

 シュタイナーはこれを、前の二つの誘惑を超えた後の、エーテル体と
肉体へ沈潜行時の誘惑
としているわけですが、それでは、前述のポイ
ントをおさえた上で、読んでみてください。

 「 次に肉体の下降に際しての第3の誘惑が現れます。

   それは秘儀参入に際して、エーテル体と肉体への沈
  潜の段階に達したなら誰でも受けなければならない誘
  惑なのですが、

   その時、いわば自分を内から見るのです
   しかし、初めは、自分自身の幻想世界が現れます

   肉体の莢を突き抜けて、霊的な存在達にまで高まる
  ので無ければ、内的な真実をまだ見ていないのです。

   霊的な存在達自身は、もはや肉体の中にはおらず、
  ただ肉体に働きかけているだけです。

   私達が自我性から離れていなかったら、誘惑者であ
  るルツィフェル、ディアボロスは、私達に自己幻想を抱
  かせ続けるでしょう。

   そして私達自身のマーヤー(幻影)の産物に過ぎな
  いものを全て与えると約束するでしょう。

   この自我性の霊が私達を解放してくれない限り、私
  達は錯覚と虚偽の世界を、世界の全てだと思い続け
  ます。この霊は、私達にこの世界を約束します。

   しかし、それを真実の世界だと思ってはなりません
  初めに私達はこの世界に来たのですが、そこから再
  び出ていかなければ
、私達はマーヤーの中に留まり
  続けるのです。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
 pp202-203 《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)
 

 ちなみに、自分を《内から見る》と言うのは、第134夜でお話しした
通り、死後において、今まで自分が属していた世界が、実は自分が心
の中で描いていた幻想の姿
であると自覚して、自ら眺めることを意
味していると思われます。

 つまり、まさに死後の霊界の世界を、生きた肉体のまま体験する
という秘儀を達成することを意味します。しかし、それを体験する前の
段階では、まず、自我に縛られた自分自身の幻想世界が現れてくる
のです。

 この体験は、死後の世界でよく言われる《自縛霊》の彷徨いのような
状態
でしょう。現世で自我の欲していたものが、その欲するままに、
限なく現れてくる
のだと思います。

 そして、ここで自我感情から離れられなければ、そのまま自らの幻想
の世界に囚われたまま
となるのです。

 以上が、福音書に述べられた《荒野の試練》の真の内容であると、シ
ュタイナーは言います。

 つまり、これらの3つの試練を乗り越えることで、キリストは、我々が死
後の霊界で体験することを、人間の肉体を持ったまま、我々に先駆
けて体験し、克服して見せた
ということなのです。

 それでは、キリストのこの行為が、我々に何をもたらすことになる
のかを、次回第157夜以降でお話しします。

( 追伸 )

 中曽根君、君が《自我感情》から抜け出るのは
相当な困難がありそうだね。


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4/21ミディアムシップワークでのビジョンとためらい...

ワークの実習では、でてきたイメージ、感覚をためらわずに言ってみることが大切と言われていたのですが...
今回の実習の最初は、
女の人のような気がしたのですが、ちょっとして、なんとインディアンの羽飾りをつけた人のようにも感じました。インディアン?
あるわけない。と否定し、女の人、若い人と、軌道修正していたら、どうも変な感じになってしまいました。相手の方に心当たりのない人のようですが、もしかしたら本当に存在していた人かも、といった具合で、心もとない霊視となりました。
若い女の人...そうだったかもしれませんが、羽飾りのインディアンの人...感じたので思い切って言ったらよかったかなぁ、と思っています。もしかしたら、先祖霊でなく、指導霊の一人だったかもしれないと、後から思ったりして...

自分でインディアンなんか出るわけないと思っていたけど、そう思うのは自分だけで、何でも言ってみた方がよかったかなぁと後から思っています。

この後の霊視でも、
ふいに昔の土間から上り口のところに、おじいさんが寿司桶をどんと置き、-持ってきたよ、さぁ、あがってくれ-なんて言っているシーンが浮かびました。しかし...その寿司が、魚のネタ、生臭ものでした。多分、近海物を自分で料理したものです。ひかりもの、白身の寿司ネタ...全て魚の握りでした。

この時、私は、
うっ...魚の寿司。魚の寿司って生臭ものだよ、このようなスピリチュアルなところで言ってもいいのか?
普段の私には似つかわしくない考えが浮かびます。
実は私は昔、クラスの瞑想で、けだものが出現したり、酒が出てきたり...およそ神聖な雰囲気とはかけ離れた内容、登場人物に、あんまりよくない評価を受けたことがあります。
自分では、けものも、酒も、肉も...そう悪くないと思っていたのですが、否定されると、こういうことは言ってはいけないのか?と思ったりして...
今回はその時の記憶が出てきて、

生臭い魚の寿司のことなぞ、いってはいけない...かも?と、逡巡してしまいました。

そうしたら、終わり際に相手の方が、心当たりの霊がお寿司(生のネタ)に関係があるとのこと...

そのままじゃん言ったらよかったんだ...
後から、生臭いものはいけないとか、そんなことでためらわず、感じたこと、視えたことを言えばいいと、相手の方、先生に言われたのです。

視えるもの、浮かぶもの、自分でなにやら意味がつきかねていても、とりあえず言ってみる...それが大切なのかもしれません。言ってもいいか?これってそんなはずはない!とか...自分の考えはおいて、視たもの、思ったものに身をゆだね、相手の方に取りあえず言ってみる...

自分の考えでなく、霊からの伝言なんだから、自分の解釈を挟まずにまずは何でも相手に伝える、それをよく自覚しないといけないのだと、思い知らされました。
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4/21ミディアムシップワークで...エネルギーが強いことなど

ながながとよく書くわ...と思いながらも思いだしたので、書き留めておきます。

ワークのなかで、
エネルギーが強いとか、大きいとか...確か言っていたような気がします。

相手の方のことです。
最初に相手の方を見たときに、
-大きいなぁ-と、思い、イメージが大きい堂々とした木でした。
相手の方が実際に大きいからだろうと、その時に思ったのですが...

先生と相手の方の会話を聞いていると、相手の方はエネルギーが強い方らしいということがわかりました。そんな話から、このような実習の時はエネルギーの強い先生の近くに行ってやるかたもいるとのことでした。
わたしにはそんな、エネルギーの大小、強弱はまったくわかりません。しかし、いままで霊媒気質の人が-わぁー強い-とか、大きいとか言っているのを聞いて、不思議なだけでした。

私は霊媒体質でもないのでまったく感じません。ところが、この日、このかたへのオーリックリーディングのしょっぱなで高くそびえる巨木のイメージがまずは出てきて、大きい...それが強く何度も出てきて頭から離れないのです。
その時は木について他の意味を考えたりしましたが、大きい木のビジョン、それは相手の方のエネルギーが強く広がっているということを表していたのでは?

霊感が強く、感じる人のように、-むむむ、エネルギーが強い、おぬし、なかなかのものよなぁ-とはならないまでも、エネルギーが大きいということを
視覚的イメージ=大きい木で捉えていたかもしれない...などと気づきました。

いままでだと、外見からそうおもっただけさとか、たまたまだよ、なんて判断を下していました。しかし、自分の頭の中のイメージ、表象、どこからともなく瞬間的にわきおこる感覚...それに見向きもしてなかっただけで、もっと注意を向ければいろんなことがわかってくるのではないか...そんなことを感じています。

ワークやクラスでの感覚、それをもう一度時間がたってから見直してみると、後から
-あぁ、そうだったか-と合点がいくことがあります。とにかく忘れないよう、ブログに書いておきます。♪
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4/21ミディアムシップワーク つれづれ考

一回掻き出すととまらない、虫刺され...ではなく、ミディアムシップについて書き始めると、あれもこれもと思ってしまいます。なんといってもブログ=日記です。私は忘れっぽいのでこれはということは書きとめておかないと、まずいのです。

さて、ミディアムシップ...こういうものはもともと霊能力が備わった人でしかできないのでは?なんていう人もいます。テレビなどで華々しく活躍している霊能力者のプロフィールなどはほとんどもともとの霊能力をもっていたと、なっています。
この日は相手の方が-生来の霊能力者でないとミディアムにはなれないのか?-といったことを先生に聞かれていましたが...
 確か、
ヘンリーカミングさんにいわせると
-特別なもの、誰でもできる分野でない-
あとからその言葉を思い出した時に、誰でもできる分野でなかったら、一般人がワークに出ても意味がないのかなぁ。だったら、なぜワークをするのだろう、などとまたも黒い考えがわきましたが、深く考えることはやめにしましょう。

アクア先生は、(そういえばもう書きましたね)-訓練、練習で身についていく-との考えを言われていました。
アクア先生はもともとそういう能力があった方ですが、そのような方なのに、普通の人にもそういう可能性をみているというのが、嬉しい限りです。
練習...だだやみくもにするのではなく、よき指導者と学習者にふさわしい練習内容、方法...そんなものも
必要だと思っています。

そんな中でこれはスピリチュアルな勉強、ミディアムやサイキックな練習にも当てはまると思ったのが、
中高校生の勉強法を書いたある冊子からおもいついたことです。

①問題をとにかくやってみる。ちょっとだけでもわかったところは書く。できないからといって、あきらめない。自力でできなかったら、本や参考書で調べてもいい。
②問題の解答を見る。教えてくれる人がいれば、自分の答えについてのよいところわるいところを聞く。
自分の分かってない点を自覚する。
③同じような間違いをしないよう注意しつつ、もう一度問題を解く。
④似たような問題を解く

スピリチュアルな学びはともすれば精神性ばかり重んじ、三次元的な地道な勉強、努力から目を背けがちです。霊能力を得ることばかりにこだわってはいけないとの意見は一見もっとものようですが、
勉強に対するいろんな面からの考察、分析、それと努力するということは、霊能力に対するこだわりでも執着でもなんでもないと思います。

普通の勉強、スピリチュアルの勉強...どれも勉強には差はありません。

スピリチュアルな学びにおいても、
①実習でとにかくなんでも言ってみる...失敗を恐れない。
②先生や相手の方の感想助言を聞き、自分の答えがどんなふうに合っているか、そうでないか、その時の感覚とともにふりかえってみる
③以前のことをふまえつつまた実習にのぞむ。
④なんども実習をやり、いろんな体験をつみかさねていく

時間もお金も貴重です。自分ばかりでなく、先生も2時間の授業のため、準備やなんやかやでたくさんの時間をさいています。そんな貴重なすべてを無駄にしたくない...

そんな思いで学んでいます。
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4/21ミディアムシップ...Zちゃんがでてきた...

相手の方のミディアム実習...私のゆかりの霊を霊視します。
-男の人。-そう歳の人ではないようです。
-身内の方でなくなっている(老人ではない)男の人はいますか-といった内容に...
いっぱいいる。との返事をしました。
-病院で亡くなっている-
-なにか、書いている-
書いている人、男の人?
それは、もしや...Zちゃんでは?書いたり、カメラで映したり...そんな仕事をZちゃんはしていたと聞いていたことがあります。病院で亡くなっている人って多いから、どうとでもとれるとはいえ、私はまだ若いZちゃんが総合病院でやせ細ってなくなっていったのが忘れられなく、病院でなくなったというと納得できる気がしました。

また、その前に、顔が丸い、となんどもおっしゃいました。食べて飲む、豪快な人だったので、太りめで、丸っこかったと思います。

そのあいだ、いろいろといわれたのですが、忘れてしまいました。
ただ、
-足に気をつけよ-といったことは、なるほどと思いました。実はZちゃん、5年以上前に家族がけがをしたとき、夢に出てきました。
-病院にはやくいくといい-そんな夢でした。
怪我は一週間ぐらいたって、それほどなんともなかったのですが、なんとなく気になり病院に行ったところ、
骨が折れていたことが判明。そのまま過ごしていたら曲がって骨がつき、とりかえしのつかないところになっていたところ、適切な治療をすることができ、きれいに治ったのです。
Zちゃん...うちの家族の怪我など、あやういところでよき治療ができるよう、見てくれている気がしてましたが、
に気をつけろ、とは...
これは本当だと、思いました。

実は私は足の骨が悪く、その上、足首も痛めています。なんとか普通に過ごすため、ひざや足首に負担がかからないよう運動して筋肉をつける必要があります。このごろ、膝に痛みを感じていたので、まずいなぁと思っていたところなのです。

そのうえ、私なのか、Zちゃんなのか...自転車に喜んで乗って走り回っている姿が見えると言っています。

やっぱりそうだ。このごろ始めた運動を続けて、足の健康を保ち続けよ、ということだろう...自転車の意味はその日は若い頃、Zちゃんが小さいバイクに乗って喜んでいたイメージを思い出させているのだろう、と軽く考えて終わりでした。しかし、今、ここで実習のことを思い出していると、
それだけではないことに気づかされました。

足に気をつけろ、というメッセージと、自転車に乗って喜んでいる姿、それも走り回っている姿...それは、今、私が足が悪いということ。だからできる限り運動をして筋肉をつけ、足の骨の負担を和らげなくてはいけないこと、また、その運動は、現在自転車でできるだけ毎日何キロも走っているということをZちゃんがみているということ。

自転車で走り回る姿、足の注意...相手の方の受け取ったメッセージやビジョンは、私にはピンポイントでわかる内容だったのです。

うーん。この男の人はやっぱりZちゃんに違いないと、素直に感じました。

おもしろいです。イメージ、霊視もその人だけがわかるものが出てくるのかもしれません。おぼろげなるイメージだったりあてずっぽのように感じるかもしれませんが、ちょうど私のやっていること、体の状態...そんなことをなにも言わないのに、腑におちることを言ってくる...これは本物だ、そう思いました。

つづく
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ミディアムシップワーク4/21 オーラ視をしてもらう-色からよむ-

オーラ...オーラの色はその時々によりさまざまではないかと思います。ある時は青、また違う時は黄色...そして、いろんな色があったり...そんなことを感じさせてくれました。

相手の方が、まず言われたのが、
-赤-
ふぅーむ、赤

赤って、このごろよく言われます。言われた内容はそのままは忘れてますが、自分のやりたいことには情熱的...だったかなぁ。
そうです。赤というと、ばりばりの積極的人間で暑苦しさを感じますが、私は全くそんな感じでなく、ぼよーんとだらけた、なまけものです。
が...しかし、自分のやりたいことには、躊躇せず向かっていくことは確かです。勉強も仕事もなにもかも、これはと思ったことには距離もなにも関係ありません。

情熱的←やりたいことに限る、との限定つきで当たっています。

その他...緑色
緑...?
緑の色から感じることは忘れてしまいましたが、相手の方が、手からエネルギーが出ていると言われました。ヒーリングをやっているか?と聞かれたような気も...

手が...エネルギーがいっぱい出ている様子でした。これも-あっ-と思いました。

私はいつも手が冷たいのですが、ぷわっと温かくなるときがあり、この日は、電車に乗っているころから、手のひら全体から犬夜叉の法師様みたいにぶわっと暖かい空気が噴出している感じがしていたのです。
手からなにやらが出ているということは前にも言われたことがあります。私の外見からはそういう感じはしないので、相手の方が見てくれで判断しているのではないと思います。

家族がけがをし、そのマッサージなどをしたりするので、ヒーリングエネルギーが出ているかもしれません。そうかも...と思いました。

このあたりで私はいつもはちよっと...?本当か?なんて思うこともあるのですが、今回は全くありませんでした。
今までの人を疑っていたわけではありません。しかし、今回は疑いがわきませんでした。

実習の最初でしょうか?

相手の方に対峙した時...なぜか、
-この人は正直だ-と、わかったのです。この感覚はまるごとそうだとしか言いようがなく、そう思ったのです。

といいながら、気恥ずかしい、次の色と意味は、
でした。

意味をおっしゃるときに、我ながら聞いて笑えるし、恥ずかしいし...書くのもなんですが、後ろが輝いている...なんておっしゃいました。
うわっ、恥ずかしい。この私が輝いている。禿げてはいないから、光っているのは頭からではないようですが。
どうも後ろに私を応援してくださる先祖その他がいっぱいいるようで、その方々の光が輝いているようでした。
そして、霊格が〇〇とおっしゃってくれました。これも笑ってしまいましたが、一応信じたいと思います。

リーディングの最中その他いろいろ言ってくださいましたが、その時に感じたのはすべてあたっているということです。

先生はこの間にもいろいろとコメントをしてくださり、腑に落ちること大です。

そして、相手の方の私のミディアムシップです。これはよかったです。ひさしぶりにZちゃんに遭えました。
続く
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ミディアムシップ入門2012/4月神戸にて を振り返る

今日もミディアムシップのワークについてです。スピリチュアルが好きな方以外はスルーしてね
アクア(旧中村)講師のミディアムシップワークは今回で3回目です。ミディアムシップばかりでなく、全般的なことを学ぶクラスでの授業、4回を含めるとアクア講師からの授業は7回目です。先生のすばらしい授業でここまで進んできました。今回もなにかをつかみ無駄にせずに帰りたい...というわけで、会場へ向かう電車の中で今回の授業にあたって、注意する点を手帖に書きました。

今回は手順を忘れずしっかりと踏まえる、ということです。ミディアムシップの実習に入ったら、
①ガイドに助力をよく頼む
②しるしを確認
③視覚、聴覚、体感、熱感などでの身体的な何かをしるしとして感じるか?前のような背中にどんとくるような体感を感じるか?感じなくてもミディアムシップがうまくいくかどうか?

それからこのあいだおもいついたのですが、
④隣にガイドをあたかも生きた人がいるかのように想定し、語りかけてみる。自分の頭に答えが浮かんだらガイドが答えたと思い込んでやってみることにする。

大体がいつも先生に言われていることなのですが、このあいだの浜松のワークでまったくできず、なんだかわからなくなってしまう...なんて状態を経験したので、この4点は忘れずに実習をしようと思ったのです。

さて、実習ですが、
まず、瞑想があり、その時に、ガイドを感じるというくだりがあるのですが、もうその時に、いや、それ以前からも知れません。ガイドが現れたりするときによく出てくるイメージがありました。抽象的な図形のようなイメージです。それが、何度か、立体的に現れたりしたので、この段階で、
-たぶん、これは、ミディアムシップについて、手伝ってくれるということだろう-と勝手に解釈することにします。

そして、最初の実習です。
今回はまた、いつもと少し違うオーリックリーディングです。アクア講師の授業は同じオーリックリーディングでもその時により、違いがあります。ただ、いつも-オーラの情報を読みましょう-ではないのです。
今回は、相手のオーラの色を3色言うというものでした。まず、オーラの情報を読む、ということを言われ、いつものように思いついたことを言おうとしたら、
アクア講師が
-オーラを重ね相手と自分のオーラをブレンドします-とおっしゃったと思います。いつもはオーラ...と言われると相手の背後の闇ならぬ虚空をにらみ、思いついたことを言うのですが、
-色-を言う。そして、その色の意味を言うのです。そしてその時にお互いのオーラをブレンドするというのです。

オーラを混ぜる...なんて、ちよっと喜色悪い気がしましたが、やってみたら、これが、
その方の内面、いろんなことの意味がすらすらと出る。わかりやすいのです。

私はオーリックリーディングはその人の実際のおうちの中とか、体の実際の様子とかが出てきたりしがちです。なので何かのシンボルとして出てくることが少なく、画像が出てきても、また、その人が、そのシンボルの意味から〇〇な人だとか、あんまりよくわからなかったのですが、今回は違いました。

先生が
-何色ですか-と質問します。
それに、-〇色です-と答え、次に、その解釈をふーむと考えなくても、すぐに出てくる...画像=ほにゃららふにゃらら...などと出てくるのです。
そして、一つの色を言ったら
次の色と、答え、気がついたら、
今まで苦手だった、画像の意味、解釈...それがすらすらとできていました。実際のおうちや健康などの透視でなく、その方の心の背景、状態など...いままでは-優しい人とか、朗らかな人とか、あまりわからなかったのですが、イメージ、意味がよどみなくでてきました。

オーラの色、それに意味がある。そういうことは知識として知っていましたが、色を感じその意味をさぐるということにより、図らずもシンボルが自分の中に湧き出てくるようになり、それを瞬間に理解するということができていたのです。

これは、収穫でした。

今回の授業の課題とはしてませんでしたが、いつも、課題として、シンボルについてはこだわりがあったのです。こういう形でシンボルまたは画像と、その意味について、...考えなくてもわいてくる...それにまかせる。それだけかもしれない。あとからなるほどと思うことしきりでした。

これは、多分、相手の方が、すっきりとした、正直なにごりのないオーラだったからということもあると思います。これは大きいです。今回も先生、実習相手に恵まれたからこその成果です。自分一人ではないですね。
オーリックリーディング、視る方として十分成果を得たら、次は視てもらう番となります。
つづく

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またもやミディアムシップワークに行きました-神戸-まだまだ進みます

またまた、アクア講師のミディアムシップワークがありました。今回は着物を着て行こうと前日に一式用意していたのですが、朝食とお弁当作りに時間を取られ、着物なぞは着る時間もなく、またも洋服で行きました。

いきなりワークの内容です。
今回の瞑想でのガイドは...
またも小さい人で、こんどは髪の毛がざんばらの白髪でした。と思ったら、途中で子供、ちいさな男の子になりました。そして不思議なのは、最初の瞑想でだったか、あとの瞑想だったか...
途中で、姿が龍に変わったような気がしました。それも、地から天へ勢いよく身をくねらしながら駆け上り、空中を縦横無尽に飛び回る...大きい、優美なすばらしい龍でした。なんとなーく、自分をその背中にのせてくれていたような、気がしました。

よく自分には龍神がついているとか、龍のエネルギーをもっているとかいう方がいます。こんな龍のビジョンを語ったりすると、龍のなんとかかんとか...とか、とてつもないことを思われる方もいると思いますが、こういうイメージを見たからといって、すごいとか、なんだとかまったくありません。

龍...そうだろうな。それだけです。美しく...懐かしい...そんな思いでした。

誘導瞑想...今回のガイドの言葉は-いつもいっしょにいる-でした。-風が梢を揺らしてはらはらと葉を落とす。すっと滑るように風に乗る木の葉、通る風...そんなさまを見る瞬間、思うこと、湧き出す思いそのものが僕からのメッセージだよ-なんてこどものガイドが言っていたような...そんな話をしたら、アクア講師が、-るんるうんさんは頭で考えることをしがちなだが、自然にふれると考えるより感じることができることが多いからだ-なんてことをおっしゃってくれました。

確かに...そうです。頭で思考するというくせ、それと、自然のもの、山、森、木、海、川、それらと接し、ふと感じる感覚にはっとする...どちらもあるようです。いままでも樹木や風と語り合い、元気をつけていたような気もします。ここまでくると-おかしいやつ-と思われるでしょうが、そんな変なことを考えてしまいました。

さて、ミディアムシップですが、今回はどんと何かのエネルギーを感じるとか、目で、ねずみ男が寝ているのが見えたとか、まったくありませんでした。
しか-し...
確実に前進していると確信できました。

ものごと、勉強でもそうですが、学習が進んでくると勉強の成果が確実に出ていると、自分でうなずけるときがあると思います。
今回のワークはミディアムシップの練習は相手の方の-関連の霊-2名でした。最初に私が霊視した亡くなった方は、ちょっと-?-な感じがありましたが、二人目の身内の方は結構鮮明でした。

相手の方の霊のビジョンが鮮明だったことで、進歩したと思ったわけではなく、
実は、最初に霊視した、相手の方の知り合いの霊とあとの身内の霊とのビジョンの差がこのあいだやったヘンリーさんのミディアムシップでさんざんだった実習の時と似ていたのです。

うまくいかないときのビジョンと、うまくいくときのビジョン、霊視...違いがある。違いがあるということ、その二つを経験したことにより、それが-うまくいったとき-の霊視の感覚がなんとなくつかめた感じがしたのです。
あいまいのように思える霊視(ビジョン)でも、それに差がある。おぼろげなイメージでも、ポイントがあって、霊の方からわかりやすいビジョンを選んでくれているし、ちゃんと自分が的確に霊視しているのだ。そんなことにいまさらながら気づいたのです。

そのうえ、相手の方が、ビジョンが出てきたときそれを-つかまえる-と表現されたとき...

はっ!、と思ったのです。

微妙な感覚の差異、そしてアクア講師が、やはり、いろいろと最中にアドバイスを入れてくれます。呼吸、霊のようす...それを聞くこと...こちらがあわてて、途中でとまってしまいそうになっても、つぎからつぎへと、手がかり、前へ進めるような助言がありました。終わった後も、相手の方と私に、霊視か、霊聴か、感覚かどんな感覚を使っていたか?などと聞かれ、自分がどの感覚を使っていたか、自覚させてくれました。

霊視-ビジョン-ばかりの気がしても他の感覚も使っているので何を使っているか自覚しながら、実習にのぞむといい、とおっしゃっていたと思います。

ミディアム実習での学びが自分の頭と感覚と体験の経験として混然一体として混ぜあわされ、それを結び付ける糊として、アクア講師のレクチャー、言葉、アドバイスがあり、確実になにかが形を成し始めている、と感じています。
どしろうとのとうしろうが、確実に、五体投地で進むかのように、のろいけれど、進んでいる。そんなうれしい感覚を感じています。

まだまだ、進みます。よき師に巡り合えてほんとうに幸せです。
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トンデモ話は奥で繋がる(155) 24.4.21

トンデモ話は奥で繋がる 「第155夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪キリスト衝動 ⑨≫
 
 ★ 神を試すなかれ

 次にイエスは、聖なる都に連れてゆかれ、その宮の頂上に立たされてこう
試されます。

 『 もしお前が神の子であるなら、ここから飛び降りて見よ。
   その時神は、石に打ちつけられる前に、
   使いの手を持って支えるだろう』  
と。

 一般的な解釈では、悪魔はイエスに対し、

 《 自身が神の子であり、磔刑から復活する証のために、
   ここで神の加護の有無を試してはどうか》
 
と誘惑し、

 イエスは、そのようなことで《神の加護》を試してはならないと言った
ことを示していると言われます。

 しかし、シュタイナーはこの場面について、全く違った解釈を述べます。

 「 アストラル体の中に沈潜して、実際に不条理な利己主義者
  
としての情念、情熱の前に立たされた人は、

   それを克服することも、それから身を護ることも無く、エーテ
  ル体と肉体の中に落ち込みたくなる
ので、実際それは《奈落
  への転落》
とも言うべき状態です。
  (…中略…)
   
   それは、その時まではあまり損なうことの無かったエーテル
  体と肉体への転落の物語なのです。けれども、情熱や情念を
  を克服する以前に、この誘惑にさらられてはなりません


   キリストはそのことをよく知っており、自分の前に立ちはだか
  るものを克服して、こう言い返します。
   《お前自身の神を、試みるつもりなのか》。」
   
 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』p202  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 正直に言って、小生はこの《第2の誘惑》の場面の解釈については、正
しく理解しているかどうか自信がありません。特に最後の言葉については、
いろいろな解釈が出来るような気がします。

 まず、この部分について、巻末の高橋氏の解説を見てみると、次のよう
に書かれています。

 「 第8講(この講演がされた1910年9月8日)はミクロコスモス
  への道の途中で出会う3つの誘惑について語っている。

   地上の物質界に依存しないで生きたいという修行僧の願いは、
  石をパンに変えたいという願いにすぐ転化される。

   そのことに気付かない人は、好んで奈落に落下して、最後には
  この世の栄光の中に包まれて生きたいと思うようになる。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』p422
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 つまり、前夜でお話しした第1の誘惑―この世の環境から独立して生
きたいという願望》
を克服しないまま、マクロコスモスへの中へ入って
ゆくことを、キリストにけしかけている場面ということです。
 
 第150夜にも述べた通り、不用意に自分の内面に沈潜すると、自分の自
我の中に全く組み込まれ、自分の中の悪しき願望、欲望の赴くままとな
ってしまうのでした。これはその転落への誘惑を示すものだと言うのです。

 ここまでは《高い場所から飛び降りさせる》という比喩と合致しており、
問題はなさそうです。

 しかし、キリストの言葉である《お前自身の神を試す》とは、何を示してい
るのでしょうか。

 ★ 3つの解釈

 まず《お前自身の神》について考えた上で、それを《試す》とは何かを考
えて見ましょう。

 ひとつには、第153夜でも述べた通り、子であるキリストと神は同一
のだと考えると、神は、誘惑している《悪魔》さえ創りだした、全ての創造
であり、まさに《お前自身の神》でもあると言えます。

 そして、その悪魔に向かって、

 《 お前自身を創り出した神である、この自分を試すなどという行為
  は、無駄であり、不遜な態度だ》

と言っているという解釈ができます。

 この考え方もあるとは思いますが、ちょっとキリストの権威的態度を感じ
てしまいます。さらに、これが《自分が神である》というダメ押し的言葉なら、
さらに次の誘惑が続くのも不自然な感じもします。
…………………………………………………………………………………

 次に、《三位一体》とは言え、《肉体》をまとった以上キリストも生身の
と同じ境遇にあると考えると、この場面のキリストは《神》とは切り離
された《自我》を持っている
と考えることも出来ます。

 つまりこの《お前自身の神》とは、生身のキリストを含めた我々全てに
とっての神
であり、まさにキリストは、我々の代表としてこの体験を受け、
そこから学ぶべきことを、我々対する戒めの言葉として残したと言えます。

 そうなると《お前自身の神を試す》とは、

 《 最後には神が救ってくれるのだという思いを持って、利己主義の
  情念を抱えたままで、《自我》を欲望に任せるままにする 》

ことを指すものと思われます。このことは、

 《 キリストの本性は、我々の手本を示すすために、
   あえて人間と同じ肉体に降り立ち、
   我々が新しい見霊意識を獲得するための道を創った 》

というシュタイナーの講釈にも合致していることになります。

 話の筋としては、これでよいのですが、あえて《お前自身》と言っているこ
との解釈が、スンナリとは理解できません。悪魔との会話からいきなり人
間への訓戒
をしたとするのは、ひねり過ぎているように思えるのです。

 ★ 3つ目の解釈 

 そこで、小生は敢えてもう一つ突っ込んだ解釈をしたいと思います。同じく
第153夜で述べたとおり、キリストの本性とは《太陽の本性=アフラ・
マズダ》
であるということを考えてみましょう。

 第126夜で述べたとおり、ミトラ神話ではアフラ・マズダアーリマン
(サタン)
とともに、至高であり永遠時間であるズルワンが、『ミトラ』と『生命
の母』に創造させた使でした。

 この神話は、ほぼ同じ形で神智学のベースにもなっています。シュタイ
ナーは、基本的には神智学の説く歴史観については肯定的ですので、こ
の部分についても肯定しているものと思います。

 とすれば、ここでアフラ・マズダであるキリスト《お前自身の神》と呼
んでいる存在は、誘惑者であるアーリマンにとっても創造主である、ズル
ワン
のことではないかと思うのです。

 つまり、ここでは使であるアフラ・マズダアーリマンが、
自分達の神であるズルワン至高の意思に対する態度をめぐって、対
峙していると考えてはどうかと思うのです。

 そのように考えれば、2対の存在がほぼ対等の問答をしている理由も、
誘惑者を前にして《お前自身の神》と呼んでいる点も、使
ズルワンと の関係からスンナリと納得がゆきます。

 また《試す》という言葉の内容も、単に2人の熾天使の存在の対立点で
ある、
 
 《 ズルワンの意思に従って、自我の利己主義を克服するまで
  エーテル体と肉体に沈潜しない事を選ぶかどうかを疑う 》

ということを指していると考えればスンナリ納得できます。

 つまり悪魔は、ここでイエス

 《 利己主義の情念を抱えたままで、
   肉体とエーテル体の奥深く落ち込んでゆけば、
   他の人間同様に、自我の欲望の中に沈んでしまい、
   それを神も助けないこと 》

を承知の上で誘惑していると解釈してはどうでしょうか。

 従って、ここでイエスは

 《 ズルワンの戒めを疑って、
   このまま落ちて行きた誘惑に負けてはいけない 》

という意味で《神を試すなかれ》と言ったのだと小生は思います。
…………………………………………………………………………………

 蛇足ながら、このように考えると、小生は、冒頭に示した一般的な解
釈には、少々疑問
を感じてしまいます。

 悪魔が《神の加護を試してみよ》と言ったことについては間違いない
のですが、それにすんなり続けて書いてしまうと、イエスも同じように
《神の加護を試すなかれ》
と言ったように解釈
されてしまいます。

 この解釈の方が正しい可能性も否定できませんが、それではこの重
要なシーンに対して、何となく子供の喧嘩のような《俗っぽい幼稚さ》を
感じてしまうのです。

 そうではなく、キリストは、神がこうすべきだとした言葉を《疑って試す
なかれ》
と言ったのだした方が、キリストの神への信頼感がずっと重く
なるような気がするのですが、いかがでしょうか。

 さて、第3の誘惑については次回第156夜でお話しします。
( 追伸 )

 中曽根君、悪魔が君には
《放射能を日本へ持ち込んでみよ》
と囁いたのかね。


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人の足元をみる駐車場

この頃は遠出をする用事がちょくちょくあります。朝早く出て、深夜に帰ってきたり、ひどい時には次の日になったり...自転車で出かけていたのですが、泊りの時など、スーツケースを小さい折りたたみ自転車で運ぶのに苦労すること数度。自転車の真ん中、股にスーツケースをはさみ何キロか走って駅まで行っていたのですが、さすがにこれを何度もやると、股がまたまた痛くなる...となり、とうとう普通の自転車を買いました。

しかし、このあいだのひどい嵐の外出時、あまりに強い風になったらまずい、という思いが先に立ち、車で駅まで行き、駐車場に置いていくことにしました。

駅から少し歩くけれど安い駐車場があります。そこに行こうとしたら...
いつもは一時間100円の駐車場が、なんと300円

100円→300円

えっ...
駅から歩くのにかかわらず、一日800円と、この田舎にしてはひどく強気な、値段です。

こんなところで一時間300円とは...あまりにも...と思いましたが、

まてよ?

そういえばその時は桜の時期で近くの桜並木に人が多く訪れていたぞ。

そうだったか。地方のへんてつもない町の駅から少し歩く駐車場...300円でとめたい人はいないと思いますが、その時期は花見客が押し寄せる時期でした。この辺ではちょっとした名所となっている桜並木の花見客をあてこんで、桜の時期だけ、高くふっかけているのかなぁ。しかし、そんなちょっとの時期だけ、料金を変えるだなんて、そんなことをするのだろうか?と半信半疑だったところ、今日たまたまそこを通りかかったら、
一時間100円に戻っていました。

ふっかけている。足元をみていたのでした。

なかなかせちがらい世の中ですね。お花見シーズンだけは、あの駐車場はやめておいた方がよいです。というわけで、私は駅からすぐの駐車場にとめたのでした。
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genre : ライフ

お香と抹茶と、ヘミシンクを楽しみました

かのんさんとのワークが終了しました。
会場は自然あふれる素晴らしいところでした。

外の待合ベンチから白い花をつけた木がきれいでした
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ベンチの天井から隣の藤棚を望む
縮お香の会IMG_1352

着物でお香を聞く
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-沈香-いい香り...品がよいです。かのんさんに言わせると、-セージより強力、においの中で最高に威力があるんでは?-

香炉
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お抹茶とお菓子
縮お香の会IMG_1356

このお部屋は和室でしたが、そとの眺めが素晴らしく、ゆったりとした気分でできました。すてきな洋室も借りたので、そこでお弁当を楽しみました。
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香り、味、色...くつろげるひととき

今日はかのんさんとのコラボワーク、癒しのお香の会がありました。

人数が予定より少なく、お香は、聞香ではなく、一つの香をじっくりと何べんも聞き(嗅ぎ)身体の奥底まで香りをしみこませました。
会場は午後の学校帰りの子供の歓声が聞こえる以外、余計な音はなく、ただ時折通り過ぎる風と、梢の揺れる音。静かな中で、正面には緑のもみじが葉を出しています。遠くにはおおきな欅の木が...

静かな和室から空と木々の緑を眺め、お香の香りを楽しみます。香炉を手に取り、すっと鼻腔にお香を吸い込ませると、遠くの欅の向こうにいつか見た故郷の山々がすっと顔をのぞかせたような...気がします。
いい匂いです。

沈香...を使いました。沈香には、不思議な力があるような気がいたします。通常感覚を振り払い、時間をのばし、時間の中で、心を思いきり緩ませるような不思議な感覚...
邪気を祓うお香とか、お香は神聖なものとかいいます。お香をかぎ、そのときにはすつきりしたような気がするだけなのですが、後から、じわじわと、効いてるのでしょうか。いろんな心の滓のようなこだわりや、やるせなさがいつのまにか、なくなっているのが不思議と言えば不思議です。

今回はそんなお香を楽しんだ後、お抹茶をいただきました。

さわやかな風を受けながら、緑の泡立ったお抹茶を飲もうと、お茶碗を手にした瞬間、濃いお茶の馥郁とした香りがします。お香もいいですが、お茶の香りはまた人を魅了します。
香りで体も気持ちもゆるんだところで、ぐっと飲みます。
おいしかったです。

その後、ヘミシンクをし、軽い瞑想をしました。最後は、紫のイメージを感じました。
さわやかな春の午後、お香とお茶とそしてヘミシンク...今回は匂い、味、そしてヘミシンクで心も体も本当にリフレッシュしました。いい日でした。
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genre : 心と身体

琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬先生の内部被ばくに関する話

琉球大学名誉教授の矢ケ崎克馬さんが内部被ばくについて話をしています。20ミリシーベルト以下で故郷に帰還をしてもいいという日本政府...ヨーロッパの国々の基準と比較し、そのでたらめぶりを説明しています。


たね蒔きジャーナル「内部被曝の知られざる内幕」

この話を聞くと、日本政府は国民を被ばくさせたがっているように感じます。

被爆者が増える→外国の食品をたくさん買うようになる→いろんな薬を買うようになる→しかし、苦しみながら死ぬ人が増える→人口が減る→世界的な人口増をおそれている支配者層は大喜び
食べ物は気をつけないといけませんね。しかし、産地偽装も多いそうです。魚もたまには食べたいので、長崎の魚、富山のアジの開き...買ってしまいましたが...

九州まで自分で魚を釣りに行くしかないかなぁ。たいへんな世になってしまいました。
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genre : ライフ

夢-洪水-

この頃は各地で潮位が下がる、潮が引きすぎて、普段絶対に干上がらない岩が海からでてしまったとかあるようです。
夫婦岩の記事

なにかあるんでしょうか?この日本に住んでいれば地震はいつ起きても不思議ではありません。地震の備えは忘れず、ちゃんと何事もあわてないよう用意だけはしておきたいものです。

ところで、またも昨日、
洪水の夢を見てしまいました。

5年ほど前までは定番の夢は、
とある国に入国したものの、両替をしてなく、ホテルも泊まれず困っている、という夢が多かったのですが、このごろは、洪水のゆめをいやに多く見ます。

洪水と言ってもなだれ込むような-奔流-ではなく、5センチくらい、床に外からの水が入ってきているという夢です。

夢を見終わって、後記憶に残っているのが、死んだ父か母がいたような感触と、なにかをしゃべっていたような...だけです。ただ洪水が゜押し寄せてきた...みたいな夢で、状況的にそれほどリアルではなかったとはいえ...
浸水地帯の我が家...いちど大雨に遭い、からくも床下浸水を免れたという経験を持っています。すぐ近くのおうちは、ひどく浸かったところもありました。人の背丈ほどの浸水の跡を身近に見たせいか、洪水の恐ろしさが身に沁みているのでしょうか。

一昨日はたまたま、谷崎純一郎の-細雪-を読んでいました。細雪は四人姉妹の描写がとても美しく、きれいで、なんども読んでますが、中に、四女の妙子が、ひどい洪水に遭い、流されるところ、助かったというくだりがありました。
水が急に増えていき、生きた心地もしないという場面が頭に残っていたのでしょうか。

いろいろな洪水のイメージがよみがえったのか、またも洪水...浸水の夢を見てしまいました。
夢判断によると、洪水の夢は意外とよいようで、新しい境地、新しい世界に飛び込む、とかの吉兆であるともいわれるようです。

忘れられない洪水の光景のためか、それともなにか新しいことを始める予兆か、はたまた、地震と洪水の予知夢か?なんだかわかりませんが、災害には十分に備えておく、そうしろと、直観がささやいているのかもしれません。
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トンデモ話は奥で繋がる(154) 24.4.15

トンデモ話は奥で繋がる 「第154夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪キリスト衝動 ⑧≫
 
 ★ 荒野の試練

 さて、至高の人間存在に降臨したキリストですが、我々と同じ環境に置かれたた
め、ミクロ・マクロの両コスモスへの自在性を発揮するや否や、たちまち悪しき霊
性からの第一の誘惑が始まります。

 それを示すシュタイナーの導入部の言葉は、そのまま、現在の私達がスピリチュ
アリズム
に傾倒してゆく時に、陥りやすい落とし穴に通ずるものとなっていますの
で、少々長くなりますが、ここに引用しておきます。

 「 キリストは、人間がアストラル体、エーテル体に沈潜してゆく時に
  出会う全ての誘惑
に打ち克ったのです。このことがはっきりと
(福音
  書に)
記されているのです。
 
   その際、全ての利己主義的な傾向が記されていますから、私達
  はいたる所で利己主義の究極のあり方に注意を促されるのです。

   現在の私達が霊的に進歩しようと努力する時に必ず生ずる障害
  は、自分の内面に沈潜することによって《自己愛に耽る》という悪癖
  
です。

   実際―他の誰よりも―まさに霊界へ参入しようと願う人に当ては
  まるのは、自分の人格について語る事を何よりも好み、自分の人格
  を何よりも愛し


   どんな時にも《この愛すべき人格》に眼を向け、その全てを仔細に
  観察しようとすることなのです。

   通常の人ならば、迷わずに目標に向かって生きていくのに、霊的
  な修行を始めると、進歩に向かって努めるだけでは済まなくなりま
  す。

   神智学徒であろうとするだけでも、自分の自我の事ばかり考え始
  めます
。そしてどんな時にも幻想に耽るのです。日常生活において
  は、人生の厳しさが、そんな所に留まらせはしないのですけれども。

   どうしてそうなってしまうのでしょうか。

   何故なら、自分自身の内部から立ち現れてくる衝動に自分の本性
  が衝き動かされる時、どうしたらよいか分らなくなるからです。

   どうしたらよいか分らなくなる程に、自分自身のことがちっとも分っ
  ていない
のです。以前であれば、注意深く生きていたので、外界で
  の経験が、容易に自分を取り戻させてくれました。

   今はもっと不注意になり、もっと自分の中に沈潜しますから、自分
  の中の諸々の感情が表面に現れて来る
のです。
   どうしてなのでしょうか。

   ひたすら《自我》でありたいと願い、外界から全く独立していたいと
  願う
からなのです。…妨害が最高度に大きくなるのは、何にも依存し
  たくないと思う自分の自我性に没頭
する時なのです。

   けれども私達は、自分の自我性に従おうとする時も―全くだらしの
  無い話なのですが―身体が環境から離れられずにいます。誰でも
  物を食べなければ、生きていけないからです。
  (…中略…)

   ですから自我の要求が最高度に高まりますと、次のような願いに
  変化するのです。

   《 環境から独立できたらいいのに。
     今、私を環境に依存させている必要不可欠なものを、
     自分自身の魔力で産み出すことが出来たらいいのに 》
  (…中略…)

   人は誰でもこういう願いを、目立たぬ位に僅かながら、持ってい
  るのに、そのことに気付いていない
のです。

   もちろん、人は外的な習慣に囚われていますから、誰も(このよ
  うな幻想に)耽ったりはしないでしょう。

   しかし人によっては、次のようなことを信じているかも知れませ
  ん。

  
 《 いつか私のアストラル体と自我が、
     思う通りに生きられる所まで達したなら、
     もはや環境世界を必要としなくなるであろう。 》

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』pp199-201  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)
 

 ★ スピリチュアリズムの自己愛    

 自分自身を環境に依存させているもの―食べ物を、自分自身の魔力で生み
出せる力を得たい
、この誘惑こそ、かの有名な《石をパンに変えてみよ》という
キリストへの第一の誘惑の意味だと、シュタイナーは述べています。

 小生は、ここに書かれた自我への自己愛こそ、一部巷で囁かれる、

  《 アセンションによってこの現世の制約から逃れることができ、
    何物にも縛られない自我が手に入れられる 》

 という謳い文句そのもののような気がします。小生は―極端な一方に偏らない
信条から―
これを真っ向から否定するつもりもありませんが、もし仮にそうなったと
したら、その方達は、この地上で何を目的に生きるのでしょうか

 第八十夜以降でお話しした通り、レムリア人アトランティス人は、それに近
い形で地上での生活を始めました。確かに当初、それは理想に近いものでしたが、
彼等はメリハリのないその生活に、やがて倦怠感をいだいてゆくのです。

 考えてみてください。仮に我々一人ひとりの思っていることが、以心伝心で全
ての人に伝わる世界
に変わったとしても、もし、我々に肉体が存在せず、従っ
てそれを媒体とした、あらゆる喜びも悲しみも伝えられないとしたらどうでし
ょう。

 恐らく、我々の全員が、一斉に《正しい思考》に従って、《喜びの波動》に浸
ことだけになります。それそのものは正しいことなのでしょうが、それだけで永
遠の時間を過
ごすことが、我々に出来るのでしょうか。 

 結局、彼等の倦怠感の行き着いた所は、理想とはかけ離れた、黒魔術を用い
支配欲の渦巻く世界でした。そして、現世のこの《肉体》を持った世界は、そ
反省を基に創られたものだと「ツォルキン」は言っています。

 我々は、一人ひとり違った肉体を持つことで、それぞれの人生を体験すること
ができます。そして《肉体》の様々な制約と苦しみを乗り超えながら生きてゆく
ことを強いられます。

 我々は、肉体という制約があるからこそ、それを維持できなくなった時の苦し
を知り、反対に有り難味も知ります。同時に、そうでない人の悲しみも理解し、
他の人が肉体を維持するために協力する感情が生まれます。

 仮に、生まれつき、現世で何の制約もなく生きていけるようになったとしたら
これらの感情を理解することも出来なくなり、それは逆の意味での制約になっ
てしまうのではないでしょうか。

 無論、全ての人が、その人の本当の辛さや痛みを感じるわけではないでし
ょう。逆に、無理解のまま一方的に傷つける人達も存在します。

 しかし、それ故、たとえ一握りの人達でも、それを限りなく近い形で理解してく
れる人達に出会うこと
が、限りなく価値あることになるのです。そしてそれは、
同じ肉体を持っているからこそ出来ることなのです。 

 従って、イエスは《人は、パンのみに生きるにあらず》と言いました。無論、誘
惑を跳ねのける言葉ですが、さりとて《パンのために生きる》ことを無価値だと
言っているわけでは無い
のです。 

 さて、続きは次回第155夜でお話しします。

( 追伸 )

   中曽根君、君は《放射能をパンに変えてみよ》
と言う魔物だったね。

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今週は、キッシュロレーヌ、カボチャプリン、握りずし、柑橘ゼリーを作りました。

キッシュロレーヌは大きな型に入れて作りました。
握りずしは、寿司ネタ、魚と烏賊、エビです。以上は写真を撮るヒマがなく、ありません。

カボチャプリンは前回はカボチャ400グラムのところを、200グラムにし、半量で作ってみました。
パウンドケーキ型に入れ湯をはった天板に入れ、50分...400グラムの場合で50分となっていたので、少し短めにしたほうがいいかと思いつつも、そのまま50分でやってみました。
縮ぷりんぜりーーIMG_1343


出来上がりは左右のふちが多少縮み、生地が型から離れました。しかし、味や型から外した形には問題はなく、しっとりとおいしいプリンでした。また今回は生クリームなしで全牛乳(渥美半島の牛の乳)を使いました。生クリームが入っていなくても結構ねっとりと濃厚な味わいでした。

柑橘ゼリーはかんぺいという、みかんとデコポンの交配種にレモンを混ぜたものです。実は結構なおねだんでかんぺいを買ったのですが、ふかふかして頼りない味に加え、すぐ半分がかびたりし、どうにもならないので、ジューサーでレモンと一緒にジュースにし、それをぜりーにしました。
そして中に、清見オレンジのぶつ切りを加え、固めてみました。
要はかんぺいが、あまりにもまずく、傷みやすく、生で食べるにはどうしようもなかったからです。

間の抜けた甘みが強く、砂糖も加えられなかったので、ジュースそのままのゼリー...
縮ぷりんぜりーーIMG_1347


味は?
ご想像にお任せします。
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四号機の冷却が...危ないかも

四号機の冷却機能に不具合が生じているようです。
四号機には使用済み核燃料が入っています。温度上昇が続くようならば警戒をしないといけないでしょう。
↓クリック
放射能防御プロジェクト
武田先生のブログ(四号機について)

ガイガーカウンターを持っている方はちょくちょく計測した方がよいでしょうね。
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theme : 地震・災害対策
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シクラメンが満開です

今日は暖かいです。桜並木にも花見の人がいっぱいです。川面に映る桜の枝の影、あちら岸からこちらまで、花のついた枝が川の上にぐいと腕をのばし、ほらみてごらんと、桜色の花々を咲かせています。

桜色...うちにもありました。

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シクラメンです。シクラメンはクリスマスの花とされています。この花も一昨年の11月ごろ買い、クリスマス頃淡い桜色の花をつけました。それから、暑い夏にも葉を繁らせ、秋にも枯れず...
不思議に思っていましたが、年末、年始と、一つ、二つと、申し訳ないほどのさびしい花を咲かせていたところ、なんと...3月に入ってから、どんどん花を咲かせだし、いまはこんなに立派に咲いています。

調べてみると、シクラメンは本当は、春咲くとか。秋からお目にかかるものは、クリスマスに合わせ、無理に年末に合わせて咲かせているのでしょう。

このシクラメン、夏過ぎても死なないので、花屋の友人に
-大きくなるかなぁ-と尋ねたところ、
-たとえ咲いてもぽちぽちとしか咲かないよ-
との返事でした。その上、植え替えもしてないし、もちろん、栄養も餌も2月までは皆無でしたが...

2月にシクラメンの栄養剤を買ってきて、一週間から2週間に一本、栄養ドリンクのようにやっていたおかげでしょうか。思ってもいないほど咲きほこってくれてます。

このシクラメン、微妙な桜色が気に入り、買ってきたのですが、こんなに長生きしてくれるとは...しかも、買った時より花をつけてくれてます。毎日外に出したり、水をやったりしていますが、だんだん、-犬-に見えてきます。
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エミールのケーキ4月前半

エミールのケーキ、今回はオレンジ風味のケーキ、イチゴだったか?チェリーのケーキ、それとチーズのケーキだったか?
忘れてますが、おいしかったですよ。
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そして、包み紙とリボン。
包み紙はピンク
リボンは白でした。
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ケーキって買う時も、食べる時もほんわかと幸せな気分になりますね。
今回はレーズンサンドをおまけでもらっちゃいました。
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1年7か月後、換気扇のそうじをしました。

去年の10月に換気扇の掃除をしました。シロッコファンのねじが固すぎて、だんなにペンチで取り外してもらい、やっと掃除したところ、換気扇の中に油だまりができていてたいへんでした。

あれから5か月後、シロッコファン及び油だまりは手をつけてませんが、換気扇フード、フィルターを掃除しました。

フードのなかはそれほどどろどろではなく、触ると、隅が、べたつく程度。レンジフードのすみ、フードの上の油がつきやすいところをレンジ用の洗剤で吹き付け、少し時間を置いてふきとりました。このあたりは毎度それ程でもないです。

フィルターはやはり、油が白くびしっとついてました。
今回は、レンジまわりの油を取る洗剤を直接ふきつけ、ひとつひとつ、歯ブラシでこそぎ取りました。いつも思いますが、このフィルター柔らかいアルミ?で、歯ブラシでこすっても曲がりそうなくらいです。一度レンジの上に落してしまったら、ちょっと曲がったくらいです。取り外すときは要注意です。ばねでレンジフードについているので、さっと取れますが、たまに手がすべり落っことしたら、変形しますよ。しかし、曲げやすいので、もとの状態に自分で曲げなおしました...

フィルターを歯ブラシで掃除してもなかなかすっきりとはいえません。歯がこまかく柔らかく、斜めにつけてあるので、全部の汚れは落とせませんが、レンジ用洗剤と、その後、普通食器洗い洗剤で落とせばまぁまぁかな。

それから、換気扇の掃除の際に換気扇横のアイラックの中が油っぽくなってないか手で触りましたが、大丈夫でした。上の吊り棚は、換気扇のすぐ横ですが、遮蔽性がいいのか、いまのところ油っぽくなっていません。そういえば蒸気もこもったりしませんね。昔のキッチンの時は、吊り戸棚の中のお寿司の巻スが蒸気と湿気でカビが生えていたことがありました。今はありません。

これはたぶん、換気扇の吸引力と、ホーロー棚の密閉性、両方のせいかなぁと思っていますが、調理時の煙の流れをよく観察してみればもう少しわけがわかると思います。今は観察中です。
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変な夢を見ました

4/3は、翌日の12時過ぎに帰宅するという、非常に疲れる一日でした。風が強く、電車のアクシデントをかいくぐり、からくも家に帰りつきましたが...その日は興奮していたせいか、なかなか寝つけられませんでした。

このごろは、そんなこともなくても、なぜか眠られず、寝床の中を右に左にごろごろとしたあげく、5時頃うとうととしたかと思うと、裏の犬と住民が騒ぎだす...そうしているうち、朝の支度に起きることとなる、の繰り返し。高齢の老人のように、眠れない、寝つきが悪い、となっており、どうしたもんかと我ながら心配になっていました。

そんな毎日、あの、ヘンリーカミングさんのワークにでかけ、翌日に帰り、眠たいのに眠れない、とその夜も同じように過ごしたのですが...
翌日、昼の2時過ぎに眠くなり、そのまま、1.2時間ぐっすりと寝てしまいました。そして、その日の夜、あることを試してみました。
湯たんぽです。
昼に眠れたのは、こたつに入っていたときでした。
もしかしたら...足をあたためたら、眠れるかもしれない。しかも、今は、昨日からくも新幹線、最終電車に乗り帰り着いた、ひどい疲れが身体に残っており、ぐっと眠れるかも...、と思いついたのです。

足を暖めるため、湯たんぽをねどこに入れてみると、足がぽかぽかと温かい。これはいけるかも、と思う間もなく、いつのまにか、明け方まで寝ていました。
久々の快眠です。それから、毎日といっても...今日で5日目ですが、よく眠れますね。
昨日なんかは、いくつも夢を見てしまいました。

一つはよく見る夢で、学生時代借りていた下宿をまだ借りていて、久しぶりにカギを開けて部屋に入ります。その時に、学生時代からずっと部屋を家賃未納で借り続けているという、未納家賃請求の恐怖におののきながら、入るのですが、中に入り、まだ荷物があります。

荷物をどうして早く処分して、部屋を引き払わなかったのだろうと後悔しながら、押入れをあけると...

そこには...
小人が...ではなく

おぞましいものが、ありました。あまりにもおぞましすぎてちゃんと見ることができず、すぐに逃げ出します。
そのおぞましいものとは...

蜂の巣、蜂の子でした。白い蛆のような、蜂の子がまだ羽化せずに、押入れの蜂の巣の中にいっぱいいるのです。なかにはそとに這い出しているやつも蠢いています。

瓶詰の蜂の子なら、オークションで高値で売れますが、生の生きた蛆のような白いニャッキ...

その夢はそれで終わり、次に見たのは、
高速バスに乗っていて、真ん中付近に座っていた年配の男性がなんと、
窓から落ちます。
高速道路はひっきりなしに車が通過し、その男性をまたいで通る車、よける車...けがをしているであろう男性を見ながら、何とかせねばと、警察、その他への連絡、救助、後続の車をとめること、いろんなことをいっぺんに考えている自分...そんなこわーい夢でした。

変な夢ばかり見て、いったいどうしちまったんだ!

まぁ、夢ですから...

蜂の子もつくだににすればいいし、おじさんは...なんとか助ければよいし...ということで、そう深く考えないでおきます。

しかし、ヘンリーさんのワーク、ものすごい嵐の中、なんとか帰り着くことができ、むちゃくちゃに疲労困ぱいしたせいか、ようやくぐっと眠れるようになりました。
ミデッィアムシップは、まったくと言っていいほど成果は?なかったですが、強力な快眠剤のかわりになってよかったです。とほほほ。
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トンデモ話は奥で繋がる(153) 24.4.8

トンデモ話は奥で繋がる 「第153夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪キリスト衝動 ⑦≫
 
 ★ もし星が神ならば

縮もし星が  まず、一冊のSF小説の話から始めようと思います。この『もし星
が神ならば』
は、小生が若かりし頃、第128夜でお話しした『幼年
期の終わり』
に端を発したSF小説のマイブームのさ中に読んだ本
のひとつです。

 ちょうどその頃は『ソラリスの陽のもとに』スタニスワフ・レム
の一連の作品に見られるテーマ~宇宙には、地球上の生物の型に
囚われることなく、無機質的な金属や惑星そのものに意思が存在す
る可能性だってあるのだ
~的な小説にはまっていた頃でした。

 そしてその頃の小生にとっては、このSFはまさにキャッチーなタイトルだったと言えま
す。ただし、6部構成となっている前356頁のうち、本タイトルのエッセンスを示すのは
第2部の76頁のみで、それ以降は主人公レナルズの、第2部の体験後の宇宙探検話
が主体となっています。

(ちなみに当該作品は、1974年に『第2部/月』の部分が、G・ベンフォードG・エク
ランド
との共作により、独立した中篇として発表されたもので、同年のネビュラ賞を受賞
しており、その後他の部分を追加して本作品となったものです。)
 
 従って、当時の小生が期待したような《未知との遭遇》的要素はほとんど無く、大き
な印象を残す事無く、いつしか忘れ去ってしまった類のSF小説でした。しかし、今こうし
キリスト衝動について書き進めてゆく中で、俄然違った輝きを放ちつつあります。

 ★ 太陽の慈悲深さ 

 最初に、こんなSF小説など聞いたことも無い方がほんんどでしょうから、第2部の簡
単なあらすじをお話ししておきます。

 2017年に、突如として月に降り立った巨大な恒星間宇宙船上の異星人は《太陽に
ついての情報が知りたい》
とのメッセージを発し、天文学者であり、火星探索でも勇
名をはせたレナルズは、引き換えに宇宙旅行のテクノロジーを得る任務を負って月へ
向かいます。

 一見キリンに似た外観を持つ異星人ジョナサンは、レナルズに《我々の主星と違っ
て、同じ兄弟星である太陽系の主星―太陽は非常に力強く、慈悲深い。我々が直
接太陽と話す前に、 あなた方地球人が、太陽とどんな関係を築いているのかかを
知りたい》と言います。

 ジョナサンの話では、彼等の惑星は、主星を巡る極端な楕円軌道上にあり、またし
ばしば地軸の傾きさえ変えるため、種族全体で頻繁な大移動を余儀なくされる苛酷
な環境にあり、恒久的な技術はほとんど所有していないといいます。

 また、彼等の乗ってきた宇宙船は、かつて別の生命体の訪問を受け、贈ってもらっ
たものであり、ただ自分達の叡智を高める目的のためだけに使用している。無論、彼
等自身にはそのメカニズムがわからないため、それを伝授することもできないと言い
ます。

 そして、彼等の主星の性格について、ジョナサンはこのように述べます。

 「 最も強烈な交感がある時期には、彼―彼女?―はその叡智を過つこ
  とがありません


   時には―あなた方の主星と違って―怒りを発することもあります。
   しかし、それは滅多に無い事です。
   あったとしても、ほんの僅かの間しか続きません。

   その怒りの時期に、彼は、2度に渡って私達の文明の絶滅を予告
  
しましたが、その予言を実行に移すようなことは一度もありませんで
  した。彼には、怒り以上に思いやりが、暴力以上に優しさがあるのだ
  と思います。

   我々を、真実、心から愛していてくださる、私はそう信じます。宇宙
  に数ある星の中では、大した位置を占めている訳では無いでしょうが、
  故郷の星である以上、私達は彼に仕えなければならないのです。

   もちろん、現にそうしているのですが。」

  (『もし星が神ならば』pp65-66《ハヤカワ文庫(宮脇孝雄訳)》より抜粋転載)  

 レナルズは、当初、ジョナサンの質問に当惑します。太陽について現に人類の知
っている事といえば、無機質な天文学的知識のみでした。無論、地上の科学者や政治
家にこれらの話が真面目に受け取られる筈もなく、かれは次第に孤立します。

 しかし、レナルズ自身は次第に彼等の真摯な思いに共感を覚えるようになり、彼自身
《太陽と話がしたい》と思い始めます。そして何度かの訪問の時、ジョナサンとは
の異星人
を紹介をされます。彼は既に太陽と話をしており、彼の手助けができるとい
います。

 2人きりの空間で、その異星人はを歌い始め、その響きと音階は他の全ての知
覚を締め出し
てゆき、遠い深みへと旅立たせます。レナルズも、気がつかぬ間に
に歌い
、やがて2つの歌声が溶け合う頃、彼は《太陽》を感じます

 強く、偉大で賢い、熱とエネルギーの球体としての神との邂逅に、本能的な恐怖を
感じたレナルズは、地球のある場所を探しますが、その異星人に引き戻され、やがて
陽に隠された、不可侵の闇
に行き当たります。


 「 果たしてこれは邪悪なものだろうか? 思考には意味が無かった。
  何も考えることなく、その代わり、知覚し、感じることで、彼はこの存
  在―ひとつの恒星―太陽―の全体性を体験し、それが邪悪でない
  とを悟った。

   ぽっかり口を開けた虚無を、隅から隅まで、まるごと感じ取った。
    寒さ以上の寒さ、憎悪より恐ろしく恐怖よりも惨めで、悪よりもよ
   こしまなもの。

   その広大な内部の、無であり、全てでもある全体。もうたくさんだ!」

  (『もし星が神ならば』p107《ハヤカワ文庫(宮脇孝雄訳)》より抜粋転載)

 気がつくと、レナルズは宇宙船の床に横たわっており、やがて現れたジョナサン
彼にこう語ります。

 「 (これで)私達の探求の目的もおわかりでしょう。何世紀もの間、我
  々の主星は優しく親切でした。それが、今では―あなた方の星のよう
  に
変わってしまったのです。(それで新しい故郷を探しているのです。)
 (…中略…)

   結局、どこへ行っても同じことです。私達は9つの恒星を見て、その
  全てを訪ねてみました。いずれも役に立ちません。
 (…中略…)
  
   私達は、今度こそ成功したと思っていました。あなたに会った時、そう
  思ったのです。あなたは、この主星とはちっとも似ていなかったもので
  すから。

   あなたや、あなたの種族を生み出せるのなら、きっと慈悲があるはず
  だと感じたのです。ところが、その慈悲は、もう無くなっていました
   私達が行き当たったのは暗黒だけです。

   さらに深い核まで到達しようと、我々は努力しました。そして、失敗した
  のです。」   

  (『もし星が神ならば』pp108-109《ハヤカワ文庫(宮脇孝雄訳)》より抜粋転載)

 この《慈悲を失った太陽》の虚無を知る、レナルズや異星人の悲しみのシーンが
第2部のクライマックスとなっています。この後、地上の科学者や政治家の思惑をよ
そに、ジョナサンらは次の目標に向けて旅立っていきます。

 ★ どちらが患者なのか 

 さて、この小説が書かれた1970年代当初と言えば、第七十二夜でお話ししたよう
に、プレアデスとのコンタクトは始まったばかりですし、ドランヴァロがトトからの
初めての交信を受け始めた
のも、ようやく1971年になってからの事です。

 つまり、アセンションに関しての情報はもちろん、スピリチュアリズムという言葉さ
え、まだマイナーの域にも達していません。そんな中で、《太陽の兄弟星》、《地軸
の変動》、
ひいては《恒星の波動》等々、まるでその方面のインスピレーションを受
けたかのような小説になっています。

 そして、最大のテーマが《太陽の慈悲》です。正直言って、この頃の小生は《惑星
ソラリス》
の類のように、《そのような性質を持った恒星があってもよい》とは思っ
ていましたが、我々の《太陽》がその類であるなどとは考えもせぬまま、本を閉じ
てしまいました。

 しかし、第四十七夜でお話ししたように、《精神分裂病》と診断される患者の中には、
現に太陽を生命あるものと感じる人もおり、ユングはそれを、人類が共通に持つ
原始的な心象
の表れかも知れないとし、「元型」と名づけたのです。

 むしろ逆に、そのような「元型」が見える患者こそ、我々の古来の力を持って、太陽
の《本性》
を見出しているのかも知れません。その意味では、それが見えない我々
そが、知覚器官に損傷を負った患者なのかも知れないのです。

 ★ 三位一体とは 

 第138夜でお話ししたように、シュタイナーによれば、動物や植物のみならず、鉱物
にも神界に《自我》が存在します
。ならば、エネルギー体である《太陽》自身にも《意
思》 があってもおかしくはありません。

 さらにそれらの《自我》は、我々とは違って《集合的な自我》であり、それぞれの個
体で同じ《意思》を共有
することになります。つまり、同じ《意思》を持った個体を分
させることができるはずです。

 ところで、以前、第五夜でお話ししたように、キリスト教の最大の教義にして、その解
釈により諸派が分裂してしまった程の謎のひとつが《三位一体》の教義です。
 簡単に言えば、

 『父なる、子なるイエス・キリスト聖霊の三者は、等質で不可分』

 ということで、この三つは別の存在ではあるが、同じ「実体」を持つということで、う
「聖霊」とは「復活」後に使徒たちの前に現れた「実体」のことを言います。

(ちなみにウィキペディアによれば、もともと《三位一体》とは教父のテルトゥリアヌスに
よる造語で、『ヨハネによる福音書』の以下の一説の解釈を示すものとされています。

 「 神であるが神であることば(=)を遣わし、見えざる父を子が顕わし、
  子は天の父のもとへ帰るが、父のもとから子の名によって「助け主」なる
  霊
を遣わす」)

 しかしここで、前夜でゾロアスターが弟子達に示した言葉―《太陽》の本性は《アフ
ラ・マズダ=キリスト》
を文字通り捉えれば、この難解な《三位一体》の本当の意味が
現れては来ないでしょうか。以下、小生なりの解釈を述べてみます。

 《神である父》とは我々の太陽の本性であり、天界にある集合的な自我です。
 《聖霊》は時に応じて太陽から分化して、地上に降り立つ自我です。
 《》はその自我が受肉し、目に見える肉体にある時の姿です。


 まさにこれらは別々のものを表してはいますが、同じ《集合的な自我》から生じた
もの
であり、同一のものです。
 《三位一体》の意味だけを考えるのであれば、ここまでで『ヨハネによる福音書』の
件は《証明終わり》
とすべきです。

 キリスト教が問題としたのは、この存在が《神》なのかどうかで、その解釈をめぐっ
てアリウス派とアナスタシウス派が分裂したわけですが、小生の考えからすると、こん
なことは全く不毛の議論のように思えるのです。

 まず、《三位一体》の主体が《太陽の本性=アフラ・マズダ》である以上は、唯一
の至高存在と思われる《神》とは別の存在
ではあります。

 ただし、第140夜でお話ししたように、全ての存在はアフラ・マズダも含め、至高存
が自らを知るために、そして恐らく自らの孤独感から逃れるために、自身を分化
せて創り上げたものなのだと小生は思っています。

 つまりアフラ・マズダ唯一絶対神そのものではないがそれが分化したもの
ということです。それがもとの《神》と等しいかどうかなど、《西の空》は《東の空》と
同じか否か
といっているようなものだと小生は思います。
 ……………………………………………………………………………………………

 ちなみに、『もし星が神ならば』の第2部の終わりの会話の部分で、ジョナサンは、
レ ナルズの考えていることを察知して話します。不思議に思っている彼に対して、
ョナサン
は次のように答えます。

 「 星の話に耳を傾けるのです。星は生きており、私達にはその本来の姿
  
を見ることが許されています。あなた方は違います。あなた方はまだ若い。

   あなた方の元を訪れる時、星はあなた方にも見えるような仮の姿を取り
  ます。 そういう風にして、この宇宙での時を過ごすのです。星の姿は戸口
  のような物
だと思ってください。」

   (『もし星が神ならば』p127《ハヤカワ文庫(宮脇孝雄訳)》より抜粋転載)

 そして、レナルズを含め一般の地球人は、その《戸口》を通れないのだと言います。
作者が何を意図して《戸口》としたのかは不明ですが、その前の部分については《太陽
が我々を訪れた時、キリストの姿を取ったのだ》
と読めないこともありません。

 ウィキペディアによれば、作者の一人であるG・ベンフォードは《無神論者》だとして
あります。この台詞の発案者がG・ベンフォードなのか、G・エクランドなのかがわからな
いので何とも言えませんが、少なくとも2人の納得の上の言葉でしょう。

 とすれば作者のうち、少なくとも一人は、既存の《神》の捉え方に不満足ではあるけれ
ど、何かしら超越的な意思の存在は認めているのではないか、場合によっては、
シュタイナーの説に共感していた可能性さえ感じてしまいます。

 さてしかし、我々の体はキリストにとっても、誘惑を受けないわけではありませんでした。
 次回第154夜は、その辺りの話から始めます。
 
( 追伸 )

 中曽根君、君に関しては《神》と違うかも?
と思ってしまうのだが…。

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難しいミディアムシップ

ヘンリーカミングさんのミディアムシップワークに行きましたが、難しかったです。

ミディアムシップ...その不思議さをもっと深く知りたいものだと、去年からワークを受けていますが、今回はなかなか、確実な感覚をつかむことは出来ませんでした、
しかし、つかめなかったということを、また一つの経験として、次の学びに活かしたいと思っています。

大阪でアクア講師から学んでいたので、ミディアムシップの実習中は、ひるまず、とにかく思い浮かんできたことは言うようにしました。それで少しは、それなりのイメージが出たような気がしますが...

後から思った反省点としては、

まず、呼吸を止めないこと...とめないように気をつけること、です。これは呼吸ならずも、カードリーディングのときもそうですが、ちょっと止まって考えてしまいました。

また、今回は大阪での実習のように、どんと、背中に何者かがあたったような感覚などはなく、ただ、ミディアム実習に突入してしまいました。前の実習では、なにかガイドのしるしのような、シンボリックな形も感じた気がしたのですが...
あたふたしている間に、もう始まってしまい、とにかく何かを言わなければ、などと思えども、なかなかイメージがわかないような...難しかったです。

その後、色々なイメージ、思いつくことを言ったのですが、それが当たっているか外れているかもわかりません。相手の方によるとそれらしき人がいるような...しかし、確定的ではないようで、自分の感覚の精度はわかりませんでした。

また関西でミディアムシップのワークがありますが、
ガイドの合図、その時の感覚、呼吸、を忘れず、思い浮かんだイメージを物怖じせずに言うということをしたいと思います。今回のミディアムシップワークでの実習は成功とは言い難いとはいえ、これも経験とし、次の糧としたいと思います。
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今回のミディアムシップの感覚

4/3のヘンリーカミングさんのミディアムシップでの瞑想は、
どこかの海岸に行き、ガイドと会うというものでした。

今回は、いつもと違って、瞑想の場面が、しっくりとこず、まだ誘導では海岸の手前なのに、もう、波打ち際の、海水、黒くしめった砂、その上をざっと、寄せて返す波。波の透明感、その下に見える砂や、小石、貝のかけら...
そんな感覚がまざまざとありました。

しかし、誘導ではそのような場面ではないので、もっとべつのイメージを持った方がいいのだろう?と考えたりも...そうこうしているうち、ガイドらしき人が白装束の遍路姿で、竹箕を地面に立てて、それにかくれながらこちらに進んできます。しばらくして、自分の左側後ろに行きました。編み笠をかぶっていましたが、少し、目が見えたような気がしました。

プレゼントは大きい20センチ直径くらいの透明の玉、そして、厚い表紙の本です。見た目は聖書に似ていましたが、中身はわかりません。意味は、なんでしょうか?考え中です。

このところ、いつも同じガイドさんが出ていますが、今回のガイド...見た目はちょっと違っています。しかし、同じような気もし...なんとなーく、
いつもの人が、変装し、箕や編み笠に身を隠しながら出てきたような気がしました。今回は全て講師の解説や補足はないので、自分で何なのか?推測するだけです。

意味は、分かりませんでした。ただ、ミディアムシップの実習の感覚もいつもと違っていたし、ガイドが、今回はあまり関与しようとしていなかったような気もします。

わかりかけてきたガイドの感覚と、ガイドの関与が少ない感覚の差異を感じてみよ、ということでしょうか?とにかく次のアクア講師のワークでは教わったことをもう一度反芻し、再度チャレンジしてみたいと思います。

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ヘンリーカミングさんのミディアムシップワーク

4/3に浜松でヘンリーカミングさんのワークがありました。
この一年ほど、ミディアムシップに興味があり、大阪、神戸のアクア(旧中村)講師のワーク、その他に出席しています。何度も書いてますが、ミディアムシップ...
ただ、その不思議さに興味がわいたのと、全くそのこと自体がわからず、得体が知れないものだったので、少しはなんなのか知りたいと思ったのです。

ずぶのしろうと、とうしろう...そんな状態から、いろんな感覚をつかめるようになったか←なーんて、思っていたのもつかのま。

今回のワークでは、もとに戻ってしまったような...

そういえば、前のクラスでのときはこんな感じだったよ...と、
オートリバース、どしろうと再生...といった具合で、今回はあまり、つかめませんでした。ぐほほほ。

ということで、このブログに体験談として書くことはあまり...ないのですが、

今回は3時間のうち、最初の1時間がヘンリーさんの、自己紹介-人生と、ミディアムについて、といったようなお話でした。ヘンリーさんはご自分の人生、幼少時から青年時代、その後の人生、いろんなエピソードを語り、船に乗っていて死にそうになりながらも、助かった話、幼少時にも見えない世界に対する感覚があったということを話されました。成人してから、あるジプシーに自分の人生、自分自身について、事前情報なしに語られ、そのジプシーから、-あなたもミディアムだ-といわれて、ミディアムという存在を知り、現在は世界的なミディアムになったのだ、ということ。
なかなか興味深い話でしたが...
途中で、へんりーさんの足元を見ると、
足が...でかい。
大きい。おまけに靴が、とんがっている...

まじめにみんなが、お話を聞いている中、靴をみて、
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小人のくつ、ガリバーの足を連想し、笑いが...それでもなんとかとめていましたが、どうもこんなことに気をちらしているから、いけないのでしょう。←本物は黒い普通の靴でしたが...

そのお話の中で、コレは!、とおもったことは、

◎ミディアムシップは誰でも出来る分野ではない。
これは厳しい言葉でした。サイキックでも、ミディアムと、言えないともおっしゃっており、霊界、見えない世界の住民とのコンタクトは、しろうとには難しのか...とふーむと思いました。

そして、
霊界とコンタクトするに当たって、光の世界の人は波動をこちらに合わせてを落としてくるから、地上の肉体の制限のある私達は、できる限り、波動をあげないといけないのだ。霊界の霊が波動を下げ、こちらが波動をあげ、その途中で出会う....そんなことをおっしゃってました。

これは確かにそうだと、思いました。

波動...確かに...靴をみて面白がっていてはだめなのです。

今回のワークは、このお話の後、アイイスのクラスやワークでよくやる、カードを使ったリーディングと、その場で二人組んでミディアム実習をしました。

しかし...今回は、だめだったなぁ。撃沈でした。というわけで、自分のあいてへのリーディングなどは書くことはないのですが、今回は、カードリーディングがすばらしかったです。

今回は久しぶりに会ったYさんにリーディングをしてもらいました。私が無意識に選んだカードを見て、リーディングしてくださったのですが、
これが、圧巻、すばらしかったのひとことにつきました。

いろいろと人も思い悩むことがあると思います。お金、人間関係、職業...世の占い師は恋愛問題を抱えている客の相談が一番多いといいます。そんな普通のこの世に生きている生身の人間としての悩み...そんなことがスピリチュアル相談でも多いと思います...

そんな時、-あなたは、人間関係に悩んでいるとか、健康に注意せよ-とか、いえば、遠からずもあたるので、そんなことをいわれればそんなものかなぁと思うのですが、Yさんのリーディングは全くそうではなく、
私の悩みといえば悩み、を言い当て、その原因、解決策みたいなことを言ってくれました。

悩みというのは、いわば、創作する人が、いかにいいものを作るか、作りたいが、なかなかつくれない、でもなんとかしたいが、思えば思うほどなにも出なくなる。また、どういう方向でなにをつくればいいのか?などとあでもない、こうでもない、とぐるぐるぐる状態、とでも言ったらよいでしょうか?
まぁ、贅沢な、生活に関わる問題ではないのですが、自分には大きい問題で、でも、他人にはたいしたことではない...

そんなわけで、思っているだけだったのが...
Yさんの口をついて出てきた最初の言葉が、
-自分のユニークな感性を...-でした。
でた、感性この感性という言葉は、私がある先生について芸術的なことを学んでいたときに先生がよく言っていた言葉なのです。
おぅ...感性、

Yさんは、私の状態を、感性を活かし、なにかを作ろうとしているが、難しい、とか、壁を感じている。
しかし、この壁や難しさというものは、実は自分で作り出しているものである
と、雲の写真を見ながら言ってくれました。

自分でつくりだしている?

言われて見て、本当だと思い、
では、その壁を乗り越えればいいのか?なんて聞くと、

そうじゃない、自分で作り、自分で思い込んでいるもので、こういうことはだれにでもあるかもしれないと言います。

私としては、その悩みは深く、高い壁を必死の思いでよじ登るとか、
ねこぱんちP1020872

打ち負かす、とか、そんなイメージがあったのですが、
そうではない?

Yさんがうーんと言いながら次の言葉を言いました。
中から自然に出てくるものを次々に出せばよい...

はっ。
なにか、心の奥底で合点がいくものがありました。見えない霧や、もやを自分で作り出し、自然に出てくる何かを信じてなかったかもしれない...格闘しているつもりが、幻影にすぎなかったような...

今までのミディアムワークなどで、先生に言われたこと、それから、はるか昔にある芸術の先生に言われたこと、そんなことを思い出し、
なにはともあれ、やれるんじゃあないかと、思えてきました。

ヘンリーさんのミディアムシップワーク、自分の実習はさんざんでしたが、Yさんのリーディング...そのためだけにいったような...しかし、収穫でした。
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昨日はヘンリーカミングさんのミディアムシップワークでした

昨日はすごい風でした。
アイイスがイギリスから招聘したヘンリーカミングさんのワークが浜松でありました。浜松も遠いですが、友人に会うこともできるし...と、参加してきました。

しかーし...昨日の嵐、すごいものでした。行きはそれほどでもなかったのですが、信号トラブルで、豊橋行きの電車が結局10分弱遅れてしまい、そこでの乗り換えの電車に乗り遅れてしまいました。
全力疾走しつつも、階段の半ばで、
ビューと立ち去る電車に
-バイバーイ-と心の中で言ってしまいましましたが...困ったのは、浜松駅で待ち合わせの友人に遅れるということもできず、心配しながら次の電車を待つこととなってしまいました。友人は携帯をあまり使わず、こちらの電話番号しか知らないのです。とほほほ。

結局は途中で友人から電話がかかってきてなんとか会えましたが...雨、風、その時はさほど猛烈でなく、なんとかなるだろうと、楽観したのが甘かった。

ワークが夜九時半過ぎに終わり、駅の改札口にさしかかったら、電光掲示板に時刻も列車名もなにもない
聞けば電車はどこかを動いているらしいが、ここ浜松にいつ下りがくるか?まったくわからない。とにかく東海道線は遅れていたり、止まっていたりし、浜松から西にいつ電車が来て、発車するのかは時まかせ、風まかせ...わからない。大幅におくれているのは確かだ、というだけでまことに頼りになりません。と、いうよりも、10時1分の電車がなくなる、遅くなるという事態で、途中のいくつかの乗り継ぎ予定の電車をのがすこととなる?、→浜松駅で野宿?それとも豊橋で野宿?なんだかわからない土地でそれだけは避けたい...

うっっっっ。こんなことになるだなんて...

改札口をみると、たくさんの人が殺到しているかと思いきや、さにあらず、ぽつぽつと駅員に質問している人がいる程度で、さほど困っている人はいません。

ーだよ大体こんな日はみんな外出を控えているんだ。よりにもよってワークの日がこんな天候になるとはまったくもって不運です。
そうこうしているうちに、上りはぽつぽつと電車が来るのですが、くだりはまったくありません。ウォーどうしたらよいのだろう...駅の構内の床がいやにつめたそうに見えます。
まぁ、いいか。床に寝るのもおつなもの...と、あきらめかけたら

そうだ。思いつきました。
新幹線にしよう。
まったく...思いつくのが、遅すぎるよ。
新幹線にも逃げられるか...と、不安に身もだえしながら、

駅員に聞くと、新幹線は遅れているが、遅れて着くこだまがそろそろつくから乗れますよ、と言います。
よし!


切符を買い、豊橋までこだまを利用、そして名古屋でまた乗り換え、最終電車にからくも乗り込むことができ、最寄駅に、午前0時半ごろ着きました。
そこから駐車場のエレベーターに乗ろうとしたところ、
水害の恐れがあり、エレベーターは臨時使用禁止との張り紙が...

最後の最後に、それかぁ。
予定の東海道線をいつまでも待っていたら、野宿だったところ、なんとか、4階まで立体駐車場をのぼり、車に乗り、家に帰りつくことができました。

自分のふとんに寝ることができ、私は運がいいと、げっそりしながら思いました。

以上、ヘンリーさんの話はこんどにします。あー、疲れました。

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青もみじの新芽が出てきました

もみじは一年で新梢をずいぶん伸ばします。冬前に、ほとんど枝を打ち払いますが、秋まで切らないと、二階のベランダより上に伸びる勢いです。

うちのもみじは、なぜか、ずっと青いままです。青もみじというのでしょうか?そう赤くなりません。虫もイラガなどがつくので、少々もてあまし気味です。
そんなもみじ...夏になるといやになるほど青いはっぱをいっぱいつけますが、今日よくみたら、小さい、ごくごく小さい若葉を漬けていました。

もみじの若葉は、きれいな緑でなく、紅葉の色、ちょっとくすんだ、赤でした。本当に小さい若葉のころは、はっぱは赤なんですね。
夏になるとたくましく、ぐんぐんのび、青い葉を繁らせますが、3月終わりに、パチンコ玉よりもちいさい、はかない赤い若葉をちょこっとだし、だんだん大きくなっていくのです。赤い赤ちゃん葉っぱの向こうに、大きな青い葉と、夏の空が一瞬見えたような...

しかし...四月初めの空は、雲が出たりひっこんだり、不安定です。

まだ桜もほんの少しだけしか咲いていません。風の冷たさに、春もまだまだだと首をすくめました。
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桜が咲き始めました

近くに桜の名所があります。とはいっても普通の川べりの桜並木ですが...
今日の早朝は意外と寒く、外に出るとぴっとした空気を感じました。川沿いの桜を見ると、ちょっとだけ咲いています。1割咲きともいえないくらい。

花見するにはまだ早すぎる、と思い、お昼にその川沿いを通って出かけたら、人が多い...
ほとんど咲いてない桜の下を、ベビーカー、年よりの夫婦、若者の自転車の群れ...普段と違って走りにくくてしょうがありません。桜並木から過ぎ、駅前を走っていたら、ここも人が多い。前方を若者集団が自転車でたらたらと広がって走っていました。ちょうど後ろになってしまいました。女の子たちが道一杯に広がるので、追い越すこともできません。しょうがないから、ゆつくりとあとをついていたら、

りんりん、りんりんと、せかすようなベルの音...

前がつんでいるんだ。わかるだろう、なんなんだ、このベルは...と、思いながら後ろを見ると、おばあさんが、ベルをりんりんさせて、-おいこら、どけ-といわんばかりです。

じつはこの駅前の歩道...前も
年配の婦人に
りんりんどけどけと、やられたことがあります。このときは私は歩行者でした。

広がって自転車をたらたらと走らせる若者もいけないが、歩道を自転車でおりもせず、

他の人、歩行者に
りんりんりんとならし、けちらす超年配の御婦人方...

自転車で歩道に乗るときは、原則、
歩行者優先だ。降りて徐行せよ!また、前に自転車がつんでいたら、ちょっと降りて自転車を引っ張って歩くぐらいの余裕をもてよ!...なんていいたくなりました。

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トンデモ話は奥で繋がる(152) 24.4.1

トンデモ話は奥で繋がる 「第152夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪キリスト衝動 ⑥≫
 
 ★ ナタン系イエス

 『ルカによる福音書』の示す、ゾロアスターのアストラル体を受け継いできた
ナタン系イエスについて、シュタイナーは、まずこのように記しています。

 「 ナタン系イエスは、豊かな内面生活を育てていきます。少し不器
  用で、外的な智慧や知識を身につけることは下手でしたが、心情は
  限りなく純粋な内面性と愛情の力を持っていました。

   人がまだ地上に受肉せず、まだ神的な生き方をしていた時代から
  流れてくる力が、そのままこのイエスのエーテル体の中に生きてい
  たのです。神的な生き方が、無制限の愛の力となって生きていまし
  た。
  (…中略…)

   人が外的生活を通して身につける内面性を、この少年は初めから
  身につけており、誕生直後から人々に理解できる言葉を語ったので
  す。

   人類の諸世代が、地上で身につけなければならない外的適応力
  について言えば、全く不器用
でしたが、内面性に関しては、限りなく
  偉大
だったのです。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』p152  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 つまりナタン系イエスは、最初からゾロアスターの完成したアストラル体
受け継いでいましたから、第146夜でお話ししたように、本来は第三・7年期か
ら育ってくる、客観的な判断能力を持っていたということです。

 その代わり、地上生活については、古代アトランティス的な能力に近いもの
であったため、現世にたいする適用力については、むしろ劣っているように
周りの人々には感じられたということでしょう。

 ★ 2人がひとりに

 こうして同時代に、別々のゾロアスターの体を受け継いだ2人のイエスがこの
世に生を受けました。そしてさらに、この2人のイエスの間に、トンデモない事が
起こります。 シュタイナーの言葉を続けましょう。

 「 かくして、実にすばらしい出来事が生じるのですが、このことを理解
  しなければ、イエス・キリストの偉大な秘儀を把握することは出来ない
  のです。

   ゾロアスターの個性は、『マタイによる福音書』のイエスの肉体とエ
  ーテル体の中で、12歳までの時を過ごしました。

   実際、この個性の場合、風土のせいもあって、現在の私達の14、5
  歳に相当する時期がやや早く生じます。

   12歳までに、ソロモン系の肉体とエーテル体を用いて成し遂げるべ
  きも のは、全て成し遂げられ、

   そして12歳の時、ゾロアスターの個性は『マタイによる福音書』に述
  べられている肉体とエーテル体から離れ去って、『ルカによる福音書』
  のイエスに移った
のです。
  (…中略…)

   ルカが述べている、神殿での12歳のイエスの物語は、次の事を意
  味しています。

   『ルカによる福音書』の少年イエスは、突然両親の前に現れると、両
  親はそれが自分の息子であることに気がつきません。

   彼は全く別の存在になっており、彼の内部にゾロアスターの個性が
  入っていたのです。この個性は、その時までは、ソロモン系イエスの
  肉体とエーテル体の中で成長した
のです
  (…中略…)

   12歳のイエスは、神殿で学者達の間に座り、非常に注目すべき言
  葉を語ります。ナタン系のイエスは、どうしてそうできたのでしょうか。
   何故ならその瞬間に、ゾロアスターの個性が彼の中に《入り込んだ》
  
からです。

   ですから、性格を一変させて学者達の間に座っていた我が子を、両
  親はそれと認めることが出来なかったのです。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』pp151-152  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 まさに《合体ヒーローの世界?》です。或いは宇宙人を扱った超常現象では《ウ
ォーク・イン》
と呼ばれている現象に近いでしょう。さすがに聴講者の理解の範囲を
超えると思ったのか、シュタイナー自身も、このように付け加えています。

 「 今日の唯物論的な考え方では信じ難い事でしょうけれども、人生には
  このような事があるのです。
   個性が、或る身体から別の身体へと移行するのです。

   ゾロアスターの個性もまた、それまでの身体を離れ、特にアストラル
  体と自我の担い手を用意した『ルカによる福音書』のイエスの中へ移っ
  たのです。」
 
  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』p152  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 我々は《1個の肉体という単位》でしか人間を捉えていません。従って、例えその
時代に実在した人々が、それを超越した事実を目撃したとしても、後世に語り継が
れる歴史は、その《常識》に照らしたものとなってしまいます。

 しかし《常識》とは、我々が《通常の意識》で受け止めることのできる事象の集ま
りに過ぎません。それどころか、他の方法で現実の現象と解っていることでさえ、我々
視覚や聴覚では、受け取ることの出来る範囲は限られているのです。

 これまでに述べてきたように、我々を構成している4つの体のうち、肉体を除いては、
それぞれ単独で存在することが出来ます。そうであるならば、それぞれがある肉体
から別の肉体へと移ることにも、何の支障もないわけです。

 ★ 太陽智

 ところで、ゾロアスターの個性の移った後の『マタイによる福音書』のイエスのそ
の後
については、シュタイナーは次のように解説しています。

 「 個性が去って、肉体とエーテル体とアストラル体だけが後に残った人
  
も、一定期間は生き続けることができます。しかし、ソロモン系イエスの、
  後に残された3つの身体は、やがて衰弱し、死を迎えました。

   『マタイによる福音書』冒頭の数章に出てくるイエスは、12歳で死んだ
  のです
。こうして初めは1人のイエスがいたのですが、12歳の時に2人
  が1人になったのです。
  (…中略…)

   ゾロアスターは、後にキリストと呼ばれるあの本性を受容するために、
  肉体、エーテル体、アストラル体という3つの身体を、一定の高みにおい
  て、供犠に捧げることができるまでに成長させたのです。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』pp156-157  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 なんと、『自我』を失った方のイエスも、その後もしばらくは生きていたのです。し
かし、その状態は、第138夜でお話ししたように『自我』を持たない『動物』と同じ
ような状態
だったでしょう。
 まさにその使命のみを持って生まれた存在と言えます。

 一方、ナタン系イエスの方へ移ったゾロアスターの『自我』は、30歳になるまで育
った後
、今度は完成した自らの肉体を、キリストに捧げることになります。
 そして、その瞬間こそが『ヨハネの洗礼』であったとシュタイナーは言います。

 「 ヨハネの洗礼の瞬間に、キリストの本性がゾロアスターの準備した体
  の中に入ります。肉体、エーテル体、アストラル体という3つの体がキリ
  ストの本質に浸透された
ことで、この3つの体が再生するのです。

   ヨハネの洗礼は、ゾロアスターに育てられた体の再生なのです。これ
  が地上におけるキリストの誕生です。今やキリストは、人体の中に、3つ
  の体の中に生きます。

   特別に用意された人体の中にです。その人体は、たとえもっと不完全
  な体であるにしても、他の人々も持っている体と同じ種類の人体なので
  す。

   地上に生きうる至高の個性であるキリストは、今、人体の中で生き、そ
  して秘儀の完全な規範を、すなわち肉体とエーテル体への下降と、マク
  ロコスモスへの上昇という、秘儀の2つの側面の究極の型を人々に示す
  
のです。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』pp174-175 
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 この時、キリストの秘儀の準備が整ったわけです。ところでこのキリストの本性
はどのような存在なのでしょうか。これについてシュタイナーは、別の箇所で次のよう
に述べています。

 「 ナタン系イエスの中には、地上との関係では無く、天上との関係が現れ
  ています。『ルカによる福音書』は、イエスのアストラル体と自我を貫いて
  働いている、神霊的本性
のことを記しています。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』pp142-143  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 恐らく、何の前知識も無くこの部分だけを読んでみても、ごく《常識的》な感覚の持ち
主には、幾多の聖人的伝記の常として、イエスの神聖さを抽象的な言葉で表現し
ている
と受け取るにとどまることと思います。

 しかし、オカルティストであるシュタイナーがこのように述べる時には、まさに文字通
りの意味
を指しています。それは、《2人のイエスがいた》という驚きさえブッ飛んでしま
う程のトンデモ話なのです。

 先に第149夜で、ゾロアスターが《アフラ・マズダーの本性が、後にキリストとな
って地上に降臨する
》ことを、人々に示したと述べました。その本性こそ、ナタン系イ
エスの中に降り立って、彼のアストラル体と自我に働きかけていた、ということなの
です。

 つまり、ナタン系イエスもただの受容体であって《キリスト自身》では無く、キリ
ストとはあくまでも《神霊的本性》そのものを指すものであるということなのです。
 無論、この世を去った『マタイによる福音書』のイエスもまた、キリストそのもの
では無い
のです。

 それではこの《神霊的本性》とは何なのか。シュタイナーの説く所によれば、それは
ゾロアスターが《太陽智=太陽の背後に存在する叡智》と呼んだ存在であると言い
ます。彼はゾロアスターが弟子達に伝えた教えのエッセンスを、こう述べています。

 「 太陽を見るがよい。熱と光の恵みが大地に送られてくるのがわかるであ
  ろう。しかし、おまえ達が高次の器官を発達させ、霊的な知覚を持つこと
  ができれば、目に見える太陽の背後にまします太陽の本性を知ることが
  できよう。

   その時には更に、音響の作用を知覚し、音響の作用の中に生命の意味
  を知覚するであろう。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』p76  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 《キリストは太陽だった。》などと言うことは、各方面のキリスト教研究者からのバッ
シングは元より、一般大衆や、彼を理解しようとする者からさえ、変人としてそっぽを向
かれる見解だと思います。

 しかし、今日のスピリチュアリズム的な見解を総合的に考えてみると、これがキリスト
の本性であるという可能性も、あながち信憑性の低いことではないように思われます。  
 次回第153夜はその辺りについてお話しします。
( 追伸 )

 中曽根君、君の場合は
プルト君の背後に存在する黒幕だ。

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握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。猫、鳥、虫等、とやり合いながら暮らしています。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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十二か月の着物

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縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

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