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クラスでの誘導瞑想 続き

誘導瞑想...夢を見ているのとは違います。椅子に座り、座っているぞ、目をつぶっているぞという意識はちゃんとあります。途中で、誰かがくしゃみをしたら、-誰かがくしゃみをしたなぁ-とわかるし、気づきます。

普通に座っている...その状態で、目をつぶり、想像する。夢想する...だけともいえますが、100パーセント自分の想像だとも、霊界や高次の存在からのメッセージや映像が頭に浮かんでいるのか、どちらともいえません。
人によっては誘導瞑想で、深く意識が飛ぶような状態になるかたもいます。そうなると、自分の意識で作り出されたイメージでなく、なにかの映像、メッセージを強く受けた、となるかと思うと、そうはならず、覚醒意識から無意識→深い眠りに落ちてしまい、なにも覚えてない、となることも多々あるようです。

私は、誘導では、寝入ったことはなく、いつも何らかのイメージが浮かびますが、
イメージに、なんだかわけのわからない妖怪のたぐいなど、いろいろな存在とだんなまで出てくると、これは...
妄想か?願望か?なんていつもの疑いの気持ちがでてしまいました。

いくらなんでも-だんな-が瞑想に出てくるとは...変ですが、まぁそういうことです。
いつもの軽い山歩きのように、私の荷物を少し持ってくれているような感じでした。

今回は、なぜか気が散り、ぐっと集中してないような瞑想でしたが、自分といろんな存在が一緒に歩んでいる気がしたのは、満足でした。
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genre : 心と身体

中古マンションの価格

名古屋のフリーペーパーを今日貰いました。
中をあけてみると、バイキング、焼肉、マッサージ、お稽古ごと...さまざまなものが載っています。その中に、中古マンション、新築マンション、郊外の一戸建てまで載っていました。

いまどきのフリーペーパーは住宅情報までのっているのですね。びっくりしました。ずっしりと、何枚もあり、厚みもあるわけです。
さて、その記事の中身ですが、中古マンション...場所は名古屋駅近く、とか、八事-高級住宅地-の近くとかもあります。値段はといえば、6百何万とか、8百何万とか...
やっ、安い、と思いますよね。

築年を見ると、昭和50年代前半、40年代後半です。3,40年前の物件なのです。なので、安いのか...と思いましたが、よく考えると、築、3.40年も経って、6百から8百万もの値段がついていることに意外な気がします。

たしか、我が家を買ったとき、家というものは車と同じでだんだん価値が無くなっていく。10年もたてば、土地の値段だけになってしまう。家に金をかけても実際の価格は0になるのだ、といわれたことがあります。しかし、1千万弱の値段がつく名古屋の中古マンション...名古屋市内という場所の利があるのでしょう。

名古屋市内だと築40年近くても800万もの値をつけて売れるということでしょうか。もともといったいいくらぐらいのマンションだったのでしょう。管理費など毎月かかるお金は2万ほどいります。これに駐車場代も毎月払うとなると、これらのマンションを購入しても3万は毎月かかるでしょう。

写真を見るとなかなかよさそうですが、中古マンション...どれくらいもつのでしょうか?マンションというのは、住まなくなっても管理費や修繕費を払わなくてはならないとしたら、いざ売るときのことを考えると、大変そうです。普通のひとだと、仮に遺産相続でもらっても、誰か人に貸さないかぎり、毎月。何万円かの出費が重くのしかかります。

そう考えると、一戸建てなら負担はないですが、マンションという財産はなかなかいいようで大変なものですね。まぁ、縁のない庶民なので考えるだけで終わってますから、関係ないですね。

でも、このような情報誌をみるのは、いろんなことが夢想できて楽しいです。もし、名古屋のマンションがあったら、そこで何をしようか?人に貸す?飲み会の時のねぐらにする?なーんて考えたりして...
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クラス 4回目 誘導瞑想、その他

クラスの誘導瞑想をする前、少し、目を閉じ瞑想状態になります。その時、そして、クラスの瞑想の時、最初の頃ですが、どうも後ろで人の気配がします。
これは思い込みか、どうか、わかりかねますが、女の人が後ろを行ったりきたりするような...感覚があります。

普段だと、思い込みと思うのが強く、そう気にしないのですが、今回は、
どうも、誰かがいるような、それも女の人がいるような気がしてなりません。そうこうしているうち、それほど気にならなくなりましたが...

いろんな学びを通しての実感、感覚、重量感、空気の動き...そんなものの違いがあったような気がしないでもないです。なんだったんだろう... です。

瞑想は、先生の誘導より早く、自分がどこかに行ったり、反対だったり、どうも-すっと-はいきませんでした。
今回の瞑想は重荷を背負って、道を歩いているといった場面がありました。

どこかの山か、林の...少しだけ坂道になっている、林道です。道幅はそんなに細くなく、車も通れるほどです。落ち葉が積もった土の道...そこを重荷を背負って歩いています。
しばらくし、重荷、荷物を降ろします。それは最近手放したもの、手放すものです。

荷物はそれほど大きくもなく、降ろします。荷物の意味は、人の世話を焼きすぎない、いたれりつくせりは、もう終わった...ということのようです。
また、道を歩き始めます。道は人生、重荷は文字どおり、人生の重荷でしょうか?

今回の瞑想では、木立の中の道、光も適度に差し込んできていて、勾配もほぼ平坦に近かったです。なにかを背負っているのですが、それほどたいへんでもなく、歩いていました。
まわりにはいろんな-なにか-がいっぱいいて、一緒に歩いていました。一緒に歩いているのは、ガイドとこれは本当におかしいと思われそうですが、妖怪のようなものたち、山や自然の精霊のたぐいのものたち...動物、虫、、そして、なんと、
だんなが一緒でした。

いっ、生きた人間が...だんなが...出てきておる!

続く
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トンデモ話は奥で繋がる(147) 24.2.26

トンデモ話は奥で繋がる 「第147夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪キリスト衝動 ①≫
 
 ★ 始めてしまう前に

 さて、これからお話しするシュタイナーのキリスト観については、小生自
身もほとんど理解できておらず、とてつもない誤解をしでかしているかも知
れないことを、始めにお断りしておかなければなりません。

 そして恐らくこの分野は、シュタイナーを一般にわかるレベルで紹介しよう
としてきた、有名・無名のあらゆる批評家の前に、壁となって立ち塞がってき
た難題であろうと思います。

 特に、西平氏を始め、学会でそれなりの地位を占めている専門家や研究者
にとっては、あまり深入りすることは、自らの職歴に《オカルト的》と書かれ
かどうかの選択を迫られることを意味しています。

 幸い小生のような、傷つくような経歴など一つも無い凡人であれば、どのよ
うに書いてもよいのですが、さりとて変人扱いされることは覚悟せねばなり
ません。 (といっても、小生は既にその類に属していますが…)

 しかし、やはりこの部分を無難に見過ごしてしまうことはできません。既
に延々と続けてきたこの奇文―それは小生自身の思考の遍歴でもあります
―に登場してきた、数々のトンデモ話の焦点は、まさにここにあると思うから
です。

 ★ オカルト過ぎるキリスト?

 思うに近代において、およそシュタイナー程、オカルト的な批判を恐れずに真
正面から人間の真にあるべき姿を語っている人物はいないと思うのですが、
それがために、2つの極端な取り上げられ方をしているように思います。

 一方には、彼のオカルト的な面には全く触れずに、教育論だけを取り上げ
て、その功罪を述べている人達がいます。

 しかし、彼の教育論は、前夜までに述べてきた4つの体の周期的な発育とセ
ットで考えなければほとんど意味を持ちません。

 そしてもう一方が、オカルト的な面だけに焦点を当てて、アーリマンやルシ
ファーのことばかり述べ立てている人達です。

 特に、ツイッター等ではオカルト的な書き込みは頻繁に目にしますが、キリス
トとの秘蹟と関連
付けて話を述べているものにはなかなか遭遇しません。

 一つには、キリストの名を出すことが、古臭い宗教色を連想され、野暮った
い感じを持たれることを嫌ってのことかと思います。しかし、以前にも述べたとお
り、キリストの言動と正統的キリスト教とは全くの別物です。

 そして、もう一つの主たる理由は、シュタイナーのキリスト観が十分過ぎる程
オカルト感を持ちながら、そのまま伝えるにはあまりにも難解で、あれこれと自
分の想像力で補って解釈しなければ、意見としてまとまらないからではないか
と思っています。

 つまり、《知ったかぶりをするにも、うかつにはツブヤケない》のです。
そのため、常に攻撃のスキを与えたくない人達には、およそ近づかぬ方がよい
話題
なのだと思います。

 しかし、キリストの秘蹟の意味を考えることなしに、スピリチュアリズムを
語ることはできない
と、小生は考えています。シュタイナー自身、これ以前とそ
の後では、人間の霊界との関わり方が大きく変わったとしているからです。

 ★ キリスト衝動

 仏陀、心の道場、エドガー・ケイシー、濱田政彦、プレストン・ニコルズ、
ゼカリア・シッチン、バーバラ・ハンド・クロウ、ドランヴァロ・メルキゼデク、
東條真人
…彼等が共通に説いているものがあるとすれば、それは一見不条理
な現世の意味
ではないかと思います。

 恐らくそのキーポイントとなるのが、キリストの秘蹟の持つ本当の意味であ
り、イエスは単なる宗教上の聖人にとどまらず、人類にとって特別な意味を
もった存在
だったのではないかと思います。

 そして、それを最も大胆神秘的ながら、最も緻密な整合性を持ち、かつ、
今までのトンデモ話を全て包容するような形で示しているのが、これからお話
ししようとしている《キリスト衝動》ではないかと、小生は感じています。

 詳しくは後述してゆきますが、シュタイナーの説く《キリスト衝動》とは、ゴル
ゴダの丘でイエスが死んだことで、我々の体の一部に生じた《霊の体への甦り
を促す力》
をのことを言います。

 ただし、冒頭にもお話ししたように、とても小生のような凡人が、全てを見通せ
るような話ではありません。それどころか、人智学協会の高橋氏は、シュタイ
ナーの講義の翻訳書の解説の中でこんなことを言っています。

 「 シュタイナーは、そもそも《キリスト衝動》は、今日の霊学を
  持ってしても、ごく僅かな部分しか理解できない
、と言ってい
  るくらいです。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション5(イエスを語る)』
  p407《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 つまり、人智学の最先端でキリストの秘蹟の意味を説いていたシュタイナー本
人でさえ、その全体像は見えていなかった
わけです。それならば、小生ごとき
が間違えるのは当然のことと、逆に開き直れるというものです。

 それでは、そんなスタンスをご承知いただき、次回第148夜から具体的な
話へと入って行きましょう。

( 追伸 )

 中曽根君、君も《単なる政治上の悪人》にはとどま
らぬ存在だね。

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アゥェアスクラス4回目2/23

アゥェアスクラスについては、このブログの中で説明しています。なんだかわからない方、興味ない方はスルーしてください。

この日の実習の一つはサイコメトリーです。

中身がなんなのかわからない封筒のなかを当てる実習です。

封筒の中身はスピリチュアルなもの...というだけで、ほかのヒントはありません。先生から封筒を渡され、瞬間に感じたものは...

木造の神殿?赤い建物?ペンギンのくちばしを右上にあげている感じが浮かびます

しばらく息を整え、手を封筒から離したり、また近づけたり...

うーむ。仁王さん?

しばらくまだ集中します。

赤鬼? 今度はペンギンのくちばしがイルカの頭となり右上に向いている感じに思えてきます。イルカが右上に向かって口をあけている...イルカ?

しかし、木造の神殿、ペンギン、仁王、赤鬼 とは...全然同一項がありません。

なんなんだ

みんなが何かを言い終わり、中身を開けてみると、

赤、オレンジの光の中で右から白い光が何筋も差し込んでいる写真でした。
下の絵はあとから私が思い出したものなので、大体の感じです。実際はもっと美しいです。ペンギンDSC01081_copy

ペンギン...のつもり、が描いてありますが、マウスで適当に描いたので、うまくないです。実際はこのペンギンはないです。

開けてみたら、きれいな光の写真...
赤鬼も神殿も、建物も、ペンギンもないです。 難しいですね。

これでどの時の感覚が印象に残ったか?そう考えると、こじつけのようですが、
ペンギンと、イルカのくちばしの輪郭が、実際の写真の白い光の光線に似ていたような気がします。
赤い何か、赤鬼...これは写真の赤っぽい色を感じていたのか?

しかし、あまりにも違いますから、何とも言えませんが...
ただ。右上に向かって細長いくちばしのような△がなんども思い浮かんだのは確かです。これが写真の光線のさしているさまを感じていたかどうかはわかりませんが、この時の感覚を忘れず、今度の実習の参考としようと思っています。
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アアウェアネスクラス 中上級クラス 4回目

今回の中上級クラスでの瞑想については、後書くことにし、違うことを...先に書きます。

今回の様々な実習の中で、色鉛筆を使ったものがありました。簡単な曼荼羅風の下絵に、色を塗るというものです。大きな何重もの花弁が円を描いている絵に色を塗ります。

塗っているのをお互いに見ないようにして、完成させます。それを先生がまだ違う誰かに手渡し、それぞれが手渡された絵をよみとるというものです。

よみとる内容と言えば、その絵からわかること、誰か?なんてことですが、

最初にどんな感じの人か?と、先生に質問されたとき、
〇〇な人などと答えました。

そして、すぐに、
-この方は、〇×△の手入れ、問題を気にしている。いろいろとやっている...〇△している。-なんて言葉が出ました。
結果は、残念ながら最初に思った人でなかったのですが、
-〇×△-に関しては全くそうだったようです。

あたったようで-ひょえー-と思いましたが...

この感覚、なんだろう

頭の中にイメージが浮かぶというのではありません。
風景や物事の細かい場面、像があいまいであれ、鮮明であれ、頭、心に浮かぶという訳でもないのです。いつもはイメージが多いです。しかし、今回の感覚は違います。

昨日の実習のことを考えながら、
どうしてだろう。どういうわけだ

家に帰る道すがら考えました。小道を左に曲がり、すっとハンドルを切る瞬間、

あれは...あの感覚は、あの感覚に似ているぞ...

もともと誰かのことをよく知っており、その人のことを違う他人に聞かれたら、-これこれこういう人だよ-と、普通に答えます。答えるときは自信がないとか、違っていたらどうだろうとか、ないです。
なぜなら、もう知っていることを答えるからです。

もともと知っている感覚...知っていることを瞬間に答える感覚に近いような気がしたのです。

実際は相手の方のこと、遠方の教室で、話しもしてないので知りません。
でも、今回、答えるとき、
いつものような、これでいいかなぁ?確証が?なんて考えより速く、

机の上の絵を見ていたら、〇△×、というのがわいてきたのです。そして不思議なのは、〇△×というのが、あたりまえのような感覚があったのです。
感じるのではないです。イメージがわくのでもない。

でも、-絵-をみていたら、このひとは〇△×だ。と、わかる...そう、感じるのではなく、わかる、もうわかっている...という感覚。だから、いつもより、事実を言っている感覚が強く、迷わない気がしました。

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雨が降っています

昨日は暖かく、風も吹かず、過ごしやすい一日でした。寒い日に室内の温度を見ると、7度を示していたりしますが、昨日、エアコンの掃除の傍ら、室内温度をちらっと見ると、
15度...暖かいです。

今日は雨。よく降ります。2月は寒いときと暖かいときの差が激しいです。

雨で寒さもふわっと緩むような日です。しかし、外に出ると、雨粒は冷たく、激しくまだ降っています。
沈丁花image


こんな日は沈丁花の匂いを思い出します。お庭に一本ある方は今、香りが漂っていることでしょう。沈丁花の学名「Daphne odora」はギリシャ神話の女神、ダフネ、と月桂樹から名づけられているとか...
沈丁花の葉は肉厚で月桂樹に似ているからなのでしょうが、アポロンの求愛を頑なに拒み、月桂樹に姿を変えたダフネ...香りのよさは月桂樹も沈丁花も同じです。

日一日、暖かくなっていく...しかし、時折凍るような冷たい風もふきつける二月の末、花をつける沈丁花。甘い香りです。でも、凛として、品の良い香りです。

沈丁花は冬の寒い日と、そうだ、こんな雨の日もあったなぁ、と思い出させてくれます。雨の中にひっそりと花をつける沈丁花。震える寒さの中、沈丁花が花をつけると、
亡き人に、「沈丁花の花が咲いたよ。いい香りだ」と、庭まで引っ張り出され、その花を見、匂いをかいだ覚えがあります。
柔らかで白い手がまだつぼみの多い花を指差していました。



亡くなってから、もう10年を越えてしまいました。梅の香りも好きだった。
春は、だんだん日差しが強くなってきます。強い光と、香りと一緒に春は来つつあるのでしょうか。思い切り冷たく、寒く、暗い冬から...少しずつ明るくなっていく二月、三月...いい月です。

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やっぱりしいたけは、避けたほうが無難なのか...放射能、セシウム

食品の放射能測定...政府や公の機関のものは、なんとなく信用ができません。市民による市民の測定...そんなものはないかと探していたら、

名古屋の市民放射能測定センターというのがありました。

そこで、一般人からの依頼でいろんなものを測定しています。
魚、牛乳など...以外にもNDというものが多い中、

福島から離れているのに、ばんと、セシウムなどが出ているものがあります。
富山のしいたけから、セシウム137が5.3、134はNDです。

富山は日本海側です。しかも距離的にも離れています。

距離が3.400キロと離れているとなんでもNDのところが多い中、5.3。あまり多くはないですが、しいたけ、キノコ類が他の食品より並はずれて放射性物質を取り込みやすいということのあらわれのようです。

実は、この間、あまりにもおいしそうなので、和歌山のしいたけをグリルで焼いて食べました。
遠いからいいだろう...なんて思ったけど、ちょっと入っていたかもね。

チェルノブイリでは牛乳の危険性を声高く言っています。それは牛乳が餌の牧草に含まれる放射性物質を濃縮するから...ということです。しかし、日本の牛は、ほとんどが配合飼料です。大量に水を飲みますから、放射性物質が大量に降ったところの水を牛が飲まなければ、大丈夫と、中部関西以西の産地ののみの牛乳なら意外と大丈夫だと思いますが...

富山のきのこまで少しでも、セシウムを取り込んでいるということは、きのこ...いろいろと考えて買ったり、食べたりしようかなぁと思っています。日本にいる以上、知らないうちにセシウムなどを取り込んでいると思います。

野菜、その他、意識的に買い物をし続けるしかないですね。
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衣紋を抜く...うまく抜けない

なかなか着る機会がなく、ついつい何年も一度も着ずに過ごしてしまいます。
着物です。

着物と言えば、帯結び...これが難しいという方が多いですが、わたしは帯よりもこれ。
えもんimages
着物は衿の後ろをぱかっと引いて、好み、または場面により、大きくあきをつくったり、詰め気味にしたりします。しかし、詰めると言っても洋服のカッターシャツのように襟を首にぴたっと添わせてはいけません。適度に間をあけるのですが...
私は、この衣紋を抜いて着物を着るのがうまくできません。

いつも、もう来ている最中に衿が、カッターシャツのように首にそってきます。

衣紋抜きをつけてもすぐに詰まってくる...いやになってきます。

この衣紋を抜くということがなければ、帯はささっとうまく結べるのに、襟の部分で格闘しすぎるあまり、着物もあちこち適当になってしまいます。
そこでいろいろとやってみました。

① ゴムベルトで長じゅばんをしめる。→きちっととまるかと思ったが、なんとなく衿がどんどん詰まってくる気がする。
② 衣紋抜きをつける。→引っ張っても引っ張ってもその時だけ...おまけに着物をきつけてからひもを引っ張ろうとすると着物の上にひもが行っており、とりにくい。後ろ手にしてさぐっている間に、どんどん着崩れる。
③ 思い切って衿芯をやめてみる→多少、衿のつまりが弱まったような気がする...
④ 襦袢の背縫いにひもを固定するわっかを縫いつける。→衣紋抜きよりいい感じだが、まだまだ゛だ。

という訳で、ぐるっと背縫いに直角にひもを縫い付けたらどうだろうと、思っていたら、ありました。

クリック↓

きものモノローグさんの-長襦袢に衣紋抜き用の腰紐を付けました-

昔の竹久夢二の愛人さんもこうしてたとか...

わたしとしてはこんなことをしなくてもいいようにしたての段階で、衣紋大、中、小と最初から作り分ければいいのに、と思います。
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運転免許の更新-ふりだしに戻る

運転免許の更新に行ってきました。更新と言っても、視力を測ったり、お金を払うのは先週済んでます。今日は1時間の講習で、このあたりの住民は2度も警察、別の講習会場に行かねばなりません。

運転免許...なんでこんなに何度もいかねばならないのか?まったく...何十年も無事故無違反なのに...青免許。しかも3年での更新。

実は、前の更新の時、更新を忘れていて、失効し、新しい免許ということに→初心者という訳で、3年講習、初心者になってしまいました。ではその前の免許は古いかといえば、それもいちど更新できず失効しました。外国に何年も住んでいたため、更新できませんでした...→帰ってから、初心者でした。

もう、いったいなんどふりだしに戻っているのか?ほんとうは超優良ドライバーでダイヤモンド免許をもらってもいいぐらいです。それなのに...なんどもなんども青免許。

すごろくでなんどもスタート位置にもどっているような、要領の悪さ。
やっばり。忘れていた、しかも一か月も...というのはアホです。

もらった免許がまだ青で3年の有効期限しかないのを見て、
あーあ、とため息をつくだけです。
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トンデモ話は奥で繋がる(146) 24.2.19

トンデモ話は奥で繋がる 「第146夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ⑯≫
 
 ★ 記憶の第二・7年期

 「第二・7年期」の7~15・6歳になると、ようやく「エーテル体」が《莢》から抜
け出て
来ます。エーテル体の成長には、単なる模倣ではなく、子どもにとって英
雄的な「価値ある具体的な手本」が必要とされます。

 何故なら、この時期にはまだ「アストラル体」は《莢》の中にあり、正義とか道徳と
いった抽象的な概念で行動する能力は、まだ発現されておらず、具体的な行動
でそれを体現する人物に「権威」を感じて付き従うからです。

縮輪廻 

   
    ( 西平直『シュタイナー入門』p129《講談社現代新書》より転載)

 また「エーテル体」の発育に伴い、その時期の子ども達は、特定の気質や習
を持つようになります。仮にそれが誤っている場合、単に警告を発しても「アス
トラル体」の発現されていない体は受け止めることが出来ません。

 そうした場合には、物語や比喩を用いて、そのような考え方や行動を持った人
物が、現実にどんな目に遭うのか、具体的に示してやることが必要だと言いま
す。

 「 思考の本来の姿である、抽象概念による内的作業は、第二・
  7年期の子どもには、まだ控えておかなければならない。それ
  は、外から影響されてでは無く、いわば自ずから生じるのでな
  ければならない。

   7歳から思春期に至る時期の魂は、人生や神秘な自然を、
  比喩と形象を通して受け入れる。この時期の思考は、思考以外
  の魂の諸体験の中で、次第に成長していかなければならない。

   そのようにして判断力を次第に成熟させ、思春期を過ぎた頃
  になって、生きることと認識することとに関して、完全に独立
  した自分の意見が持てる様にならなければならない。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションⅠ(子どもの教育)』p61 
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)

 そして、この時期に何よりも優先して育てられるべきものは「記憶力」です。
そしてこの時期には、例えその段階では「知的に理解できないもの」であっ
ても、「記憶」を優先させる
べきものがいくつかあると言います。

 例えば、詩的な文章などは、たとえその全体が理解できなくとも、その語彙
の持つ響きやアクセント
として記憶に刻み、また掛け算の九九のようなもの
は、考える事より先に暗記すべき時期なのです。

 「 子どもは文法規則を知的に理解しないでも、言語を自由に話
  すことができる。

   同様に、子どもは、後にならなければ、概念的に理解できな
  いような事柄をも、記憶力を働かせて予め学んでおく必要があ
  る。

   それどころか、純粋に記憶だけで身につけておいたものこそ、
  後になって最上の仕方で、概念的に把握することができるので
  ある。

   …理解できない内容を記憶させるのは良くないという批難は、
  唯物論的な偏見に過ぎない。…後になって、概念によって把握
  できるように、予め記憶に刻印づけておく事が、子どもにとっ
  ては大切なのである。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションⅠ(子どもの教育)』pp54-55  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)
   
 ★ 真の意味での成・人・式
 
 そして思春期を迎える「第三・7年期」、「アストラル体」が《莢》から抜け
出て
来ます。この時期になって初めて、人間はこれまで学んで来た事柄につい
て、自分で判断を下せるようになります。

 「 あまりに早い時期から、自主的な判断をさせようとするくらい、
  人間に悪い影響を与えるものは無い。

   自分自身の中に、まず判断や比較のための材料を十分に貯
  えた時、初めて人間は判断を下すことができる。

   それ以前に自主的な判断をしようとしても、そのための基礎
  が欠けているのである。
  (…中略…)

   それ故、思春期以前の子どもは、事物についてのどんな理
  論からも守られていなければならない。

   そして、日々の諸体験を魂の中に受け入れることに、主要な
  価値が置かれなければならない。
  …………………………………………………………………………

   模倣する存在だった時の人間は、体の中に、魂に必要な力を
  貯えました。その力によって、第二・7年期になると、道徳感情、
  共感、反感の力
が育ってきました。
 
   そして、第三・7年期に、子どもはのびのびと個性を生かしな
  がら、つまり自分の知性で道徳的な判断を下せるようになるの
  です。ちょうど太陽の光に応じて植物が花を開き、実を結ぶよ
  うにです。

   第一・7年期の《体》第二・7年期の《心》の中で、道徳
  のために用意されたものが、ちょうど植物の実が稔るように、
  自由に人生を生きるために目覚めるのです。」

     (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションⅠ(子どもの教育)』
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 こうして、3つの体を生育させた私達は、20歳前後にして《自我》を脱皮させ、
文字通り《成人》するのです。現代の《成人式》はシュタイナーから見れば、まさ
しく理にかなった儀式となるでしょう。

 ここまででようやく、西平氏のサイクル最深部に達します。つまりここから
の年月こそ、4つの体が全て機能した本来の人間としての人生を歩み始める
ことになるのです。

 無論、それまでに若くして夭折した魂もあります。しかし、それらの魂は、成
人後に死の門をくぐった魂よりも、それぞれの体が霊界でより多くの霊的な力
へと変換され、来世で大きな仕事を成し遂げる者が多いとも述べています。

 ★ 老化と4つの体

 さて、サイクル図が示すように、人生の後半に差し掛かると、再び4つの体が、
順に成長とは逆の変化を始めるのだといいます。ただし、この部分については、
シュタイナーは多くを語っていないと西平氏は言います。

 「 ところが、その時期が過ぎた頃から、シュタイナーの話では、
  《発達》の視点がぼやけてきて、成人期・老年期に当たる時期
  の説明がない。
 
   ごくわずか、
  《人生の後半生は、前半生を遡るようにたどり直す》
  とか、

   或いは、
  《前半とは逆の順序で、アストラル体がエーテル体から養分を
   とり
始め、次いでエーテル体が物質体から養分を取るように
   なり、それが、老年期における物質体の衰えと関連する》
  という程度である。

   それは、例えば、幼年期の詳しい説明と比べて見れば、物足
  らないものである。何故シュタイナーは、人生後半について十
  分論じなかったのか。

   彼がもう少し長生きしていれば、いずれは論じたことなのか。
   それとも、その理論の枠組みからして、展開しにくい領域だ
  ったのか。或いは、本当は老いや衰えの内に、前半とは異なる
  独自の価値を見ていたのか
。」

span style="color: #9900ff"> (西平直『シュタイナー入門』p131《講談社現代新書》より転載)


 西平氏の図にもあるように、成人期以降の4つの体について、僅かに述べ
られているのは、まず《アストラル体》が《エーテル体》の養分を奪い、その
《エーテル体》が《物質体》の養分を奪うということぐらいです。

 しかし、これだけでも、人間の《老化》について、随分興味深いことが語られ
ているように感じますので、以下、小生の独断による考察を加えてみようと思
います。

 まず、第二・7年期に《アストラル体》が《エーテル体》に与えた成長力
取り返すように書かれています。

 小生は、この力こそ、第136夜でお話しした《意志する感情》の元になる
力ではないかと思います。つまり、死の門をくぐった後の、霊界での生活の
ための準備
を始めるのです。

 そして、その代償として《エーテル体》の能力が奪われます。その主た
るものは、《新しい環境への適応力》《新しい事柄の記憶力》でしょう。
まさに精神活動の《老化》の始まりを示すものです。

 次いで、第一・7年期に《肉体》の成長をサポートしてきた《エーテル体》が、
《肉体》に与えた成長力
を、同じように取り返すと書かれています。

 これが、第135夜でお話しした《過去の記憶=思い出のタブロー》にな
るべき力と《身体的な活力》ではないかと小生は思います。この時点で肉体
的な《老化》と、過去の記憶の喪失
が始まるわけです。

 こうして、それぞれの体は、誕生以前にそれぞれ独立していた状態に還
ってゆくべく、死の門をくぐる準備を始めてゆくのだと、小生は思います。まさ
に見事な《4つの体のサイクル》がこうして完成するのです。

 さて、次回第147夜からは、シュタイナーのキリスト観へと話を進
める予定です。

( 追伸 )

 中曽根君、君には是非「本当のことをしゃべって
しまう」老化が訪れて欲しいものだね。

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京都の地下鉄で...

今年になり、京都に何回か行っています。趣味のものづくりに使うものが、京都のお店で売っていると知り、2回行きました。1月、2月の寒い盛り...

京都駅から三条まで地下鉄に乗りました。地下鉄に乗ると雅な和風の発進音...さすが京都だ。と感心し、乗っていると、次の駅で、地下鉄がとまりました。
昼の2時過ぎです。人もそれほど多いわけでなく、乗り降りはスムーズです。また、走りだし、止まる...ドアが開く。
その時、

ドアの近くで、大きな声が...

  

のアクセントが高く、強く...-け-は低く。

その辺の労働者風でもない、初老のコート姿のじいさんだったか?

どけの声にびっくりし、そうみることもできませんでしたが...雅な、発進音の割には、結構...すごい。度肝を抜かれました。

地下鉄の駅から降りて、外を歩くと、冷たい空気が体を包みます。家と家の隙間もびっしりで、道を歩くのも遠慮しなくてはならないような気になってます。大きい街路樹もないし...お店で品物を尋ねても、親切に説明してくれるわけでなく、通り一遍です...品物を出してくれるわけでもない。

底冷えのする緑の少ない京都の歩道を歩きながら、京都の人って、お高くて自己主張が強いのかなぁ。なんて、寒々とした思いが出てきます。そういえば、いつかの夏、車で京都を走った時、やたらと、-どけ-とのことなのか?クラクションを鳴らされたなぁ。

どけって人になかなか言えないけど、ここの人は見かけは紳士でも簡単に言うのが普通なのか?なんて思っていたら、早く京都から脱出したく、京阪で、大阪に入った途端、なんとなく落ち着いてきました。

道を聞いてもそっけないし、ここのひやっとした感じは京都独特のものなのかなぁ。どうも自分は京都は苦手だと来るたびに思います。
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よくある銀行振り込み先について

よく利用するのが、銀行振り込みです。
振込先は、◎×銀行です。こちらに振込み願います、と何かを買い物したときなど、書いてあります。

ネットでいろんなものを頼みますが、大体は、カード支払いが出来ます。カードの場合は手数料は発生しません。ですのでそれほど気にせずにすみます。そして、カードで支払いをしたくないときも...コンビニ支払い、とかもできます。手数料もそれほどでもありません。

そして銀行振り込み、ネットでのお買い物は、お店も客のことを考えているのか、全国どこにでもあるUFJ銀行、郵貯銀行などが振込先のことが多く、私のような地方の人間でも、振り込み料を気それほど気にせずに振り込めることが多いです。
特に郵貯銀行は口座を持っていると他の郵貯口座への振込みはただなので、振込み料のことは全く気にせずにおられます。UFJ銀行は同行他支店だと手数料が発生したと思いますが、他店よりは安いです。

この振込み料、料金といっても、振り込む本人が機械操作し、あとは機械がやるだけ...手数料といっても実際に銀行の行員がなにもするのではなし、これで1000円近くもかっさらわれるのは、非常にくやしく、納得がいきません。手数料、なんとなく、腑に落ちない料金です...

個人や団体でもいろんなものを売ったり、サービスを提供したりして、料金はこちらへ...と振込先を指定するようになっていることが多いですが、その際、
うーんと、うなってしまうのが、振込先です。

私は自分が振り込み料を払いたくないので、反対にたまに会費などを誰かから振り込んでもらうとき、相手に負担のかからない手数料のかからないところ、かかってもやすくすむところ、銀行なら全国どこでもあり、直接支店で振り込むことができるところ...など、相手の方がお金をできる限り使わないですむように、振込先は、郵貯と、UFJの二つを使っています。

しかし、なにかを個人でやられているところは、一般の会社と違って、あんまり地方にない銀行に振込みを指定してきたりします。

みずほ銀行、新生銀行...そんな銀行を指定されると、あーあと、思います。せめてUFJにしてほしかったよ。なんて思ってしまいます。みんなが東京や大阪の中心地に住んでいるわけでないのです。

みずほ、しんせい、なんて、地方の小都市にはありません。地方の人間が、みずほ銀行に振り込んだりするということは、一番高い振込み料を負担するということです。

払うのは、購入者だからいいんだ...なんて、なんとなく優しくないなぁと思います。せめて郵貯の口座くらいは、売る人ももっていてほしいと思います。
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南相馬に降った黒い粉のおそるべき数値-数百万ベクレル

南相馬に降った黒い粉を広島大の教授が分析したところ、セシウムだけで100万ベクレルを超えているそうです。
以下
木下さんのブログ

大山こういちさんのブログ

セシウムだけではなく、α線核種、β線核種など、他の核種もあることは間違いないと、内部被曝の専門家、矢ケ崎克馬先生も言っておられると、木下さんのブログには書いてあります。

148万ベクレル/㎡ がチェルノブイリでの強制避難レベルです。

今回の数値は
1089612 × 65 = 70824780 Bq/m2
7千万ベクレル...
おそるべき数字です。
先ほどのブログにも書かれていましたが、近づくのは危険すぎます。
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昭和65年?

大阪でスピリチュアルな学びをしています。とはいっても、大阪は遠く、泊りとなることもあります。いままでかつてない実感をともなった学びはまだまだ続きます。
しかーし...交通費がばかにならない。

アイイスは授業料は良心的なので、その点はよいのですが、名古屋大阪間の交通費は結構かさみます。そういうわけで、ちょこっ、ちょこっと短期のアルバイトを探していたところ、
履歴書、職務経歴書を持って、来てください、とのこと。

急な話なので、履歴書も写真も全部パソコンで打ち出しました。主にパソコンを使う仕事なのでその方がいいでしょう、なんて...手をぬいています。

さて、プリントアウトした職歴のところを見ると、
昭和65年〇×△...

全然気づかなかった。
昭和65年て、聞いたことないぞ?

昭和から平成へ変わった時、外国にいたので、65年と自分で書いていてもおかしく思わなかったのです。和暦、西暦の照合を改めてパソコンでしてみて気づきました。人生の何年か、年号が、西暦で、しかも、〇〇語で覚えているので、間違えてました。

65年はなく平成だったのですね。平成は一体何月からからだったのか、いまだに知りません。

年号って、日本人でもその時に日本に住んでいる人でないとぴんと来ないのですね。たぶん、外人でも日本に住んでいる人は和暦がぴんとくるのではないでしょうか?
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中上級クラス3回目-4-

-信念-
そんな言葉を見て、
きばり、とか がんこじじい、とか...そんなことを連想するまもなく、すぐに皆のほうをむいてスピーチです。

しかし...信念、というのも、気恥ずかしいです。よく言ったよ。この私か゛...

内容はといえば、これこそ、きれいさっぱり、覚えてない。

というわけで、なーんにも書けません。

おい、こらっ これだけ引っ張っておいて、なんだ。なんて、いう人もいないと思います。(そんなにこのブログを見る人はいないだろう)

でも、このスピーチにに関して、内容はさておいて、その時の体感、というものは、
おっと思わせるものがありました。

言葉が出てくる瞬間、ぶわっと、背中の後ろにドッチボール大の丸い感触が立ち起こりました。そのとき、すぐに、ちょっとためらいがあり、ことばを一瞬選びなおし、すぐに言い出す瞬間。
その間、1秒あるかないか...
次に、もっと大きく、ちょうど背中上部から頭にかけて、子供の傘をばっと広げたような感覚がありました。何かが大きく動いた。背中後部でちょうど打ち上げ花火が咲いたような...

これがエネルギーというものか。何かが確実にどんとエネルギーをもたらしているか?オーラに変化があったのか?

あと全く内容を覚えてない状態であるぐらい、その時は夢中で、細かいことは気にせず、突っ走るように話し、終わります。

スピーチが終わり、
-あれはなんだっか-と、思いながら先生のお言葉を聞いていると、
最初にばっと、背中が開いて、エネルギーが開いたとか、満ちたとか←私の背中がそのように見えたとのことです。ガイドが働きかけたとも...

やっぱり、本当だ。先生はあの時の私の感覚を確実にとらえている...

もしかして、あれは、ガイドが関わってきたということ、私をまさにガイドしてくれたということをはっきりと示してくれたのでは。

瞑想のときの体感、ガイドと深く語り合ったという感覚、そして、このスピーチ...先生が語ってくれた、私の様子、ガイド...それと自分の感じていたことがまたも一致です。

いままでは、思い込みとか、気のせいとかで片付けてきた。ひそやかなガイドの導き、本当に気付かない、いや、きづいても信じなかっただけなのだ。
その前の瞑想、人生前半の苦しいこと、どうしようもないこと、
あんなこともあった。こうだったね。

私はたびたび、遠い記憶に-なぜか-なんて考えてしまうことがよくありました。
なぜ、あんなことまで、あのことも...他の人はそんな思いはしなくて過ぎたのに、どうしてだろう...そんなことを考えることがあったのです。
そのたびに、ガイドがいたらなぁ、とどこかにいるかもしれないガイドに問いかけること数回。寝入りばななど、ふと問いかけると、

-底をうつ-という言葉が浮かぶのです。

底をうつ。水は高みを望みはしない。這うように低いところ低いところと、下がっていく。水は、一番底までひるむことなく進み、底の暗さを味わい、そしてまた、なにごともなく表面に満ちていく。海の青が美しいのは、そんな水の底を見た神聖さがその青に美しさをいっそう加えているのだからだろうか。

思い込みかもしれないと思ったガイドの言葉。-底をうつ-
深い底に足をしっかりとつける。中途半端は好きじゃあないだろう。底に足をつけたら、後はジャンプするだけだ。人生の幅は大きいほうが喜びも大きく、楽しい。

宙ぶらりんは、いやだ。実感のある、生き方をしたい...心の中のそんな願望をガイドは知っていたのだろう。
そして、-自分で納得して、自分でできる限り...-と自分自身が思っていたから、いつも、-沈黙-だったのだ。

今回のガイドの贈り物は、袋いっぱいの砂金。前回は特別な材質の鈴、そして、前回の瞑想で誘導の狭間に、出たイメージが、大きく帆をはらんだ船。大きい昔の帆船だけど、中に入ると最新鋭のスペースシャトルのような船。

ガイドは具体的にこれをしろとか、何になれ。なんて絶対に言わない...もちろん、感謝しろとかさえもない。
でも、すぐ傍らにいたのだ。一人ぽつねんと草原に座るセーラー服。夕日に伸びる細長い影...気づかなかったけど、寄り添うガイドの影が横に大きく広がっていたのだ。

瞑想の後、感想は?という先生の質問に答えるとき、

うっと、感情が噴き出てくるのを、ようやくの思いで押さえました。自分と一緒にこの人生を歩んでいる、そして歩んで行く人-ガイド-がいる。寄り添って...あぁ、と声にならぬ声をあげていました。
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中上級クラス3回目-3-

クラスでは瞑想がまず基本です。誘導瞑想といったもので、おだやかなサウンドに先生の誘導の台詞を聞きながら深く瞑想状態に入ります。

私は去年のミディアムシップワークで、先生が、
-他の人がやっているのををみるのも勉強だ-と、おっしゃっていたのになるほどと、思ったので、色んな実習の自分に対する先生のアドバイスだけでなく、他の人への助言、また、瞑想のときの体感、感覚についても、他の実習生の方の実際の様子や、言葉、それに対する先生の言葉など、気を抜かずに注意し、聞いています。

そんな中で、ひとつ、
本当だ...そのままだ、と思ったことが...

霊的な勉強はまだ浅いOさん、勉強歴はそれほど長くはない、といったOさんですが、すばらしい能力をもたれているようで、彼の感覚、またその感覚で感じたさまざまなことの説明は、聞いているととても勉強になります。

今回彼は瞑想中、今まで違う感覚を受けたようです。(自分のことではないので詳しくは言わないでおきます)このとき、彼の様子をうかがうと、まるで、サウナに入っているように、お顔が赤くのぼせていました。

なにか、霊媒体質のかたが、エネルギーを感じる、とか言ったとしても、それを形で見ることはできません。霊的な素質が飛びぬけているのでしょうか?Oさんが霊的に何かを感じた、とおっしゃると、それほど感じない人間でも、Oさんを目で見たり、話に耳を傾けることにより、こちらの普通の体感で、

-本当だ-

これは見えないが、本当にエネルギーがこの場に渦巻き、色んな作用を及ぼしているのだ、と実感できるのです。これは、疑り深い自分には、実に勉強になるし、目に見えない世界があるという実感をもたらしてくれます。

自分の体験も他の人の体験も、そして、講師の助言も、全てが、どんぴしゃと、自分のアドバイスであり、助力となって行きます。非常に濃密ですばらしい経験と、理解をもたらすクラスの学び、これは、得がたい学びであります。クラスが終わり、ホテルでだんなに電話をかけると、

-どうだった?-
-わざわざ来て、よかったよ。-なんて思わずもらしたりして...

他の人のスピーチ、なども、心の中の疑問に直球で答えを投げ返されるような、合点のいく、展開がありましたが、では、
あんたの、スピーチは?と矛先をむけられると、
たはっ...ぶほっ、
何を言ったのか?一番忘れてます。

しかし、このインスピレーショナルスピーチ、ただ人前に出て、もっともらしいことを言う、といった、思わずひきたくなるような実習...なんて、前は思っていましたが、違うということを実感しました。

私の番になり、言葉の書かれているカードをひきます。
どうか、-愛-とか-奉仕-とか、気恥ずかしい、言葉は出ませんように。
この私が、
だなんていうのは、我ながら照れくさく、穴に隠れたくなります。

出るな、愛...ひっこめ、でべそ。

強烈な願いが効いたのか、でましたよ。違うカードが...
でも、なんだったかなぁ。あれ?忘れてるよ。

そんなわけで家に帰り、いつものように詳細をだんなにこと細かく、言っていたところ、
-カードをひいて、それが、あれ?なんだったか、なんとか だよ。-
-なんとか-と言うカードを...

と言ったところ、
-なんとか?、!?...-
説明するにもその言葉を忘れて-なんとか-でごまかそうとしている私に絶句です。
その後、思い出したのですが、あれ?また忘れているぞ。

あっ、思い出した...
信念でした。

長くなるので今日はこの辺で
続く
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トンデモ話は奥で繋がる(145) 24.2.12

トンデモ話は奥で繋がる 「第145夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ⑮≫
 
 ★ 未完成四重奏曲

 さて、第141夜では、シュタイナーが転生に向けてのハードウェアについて
述べている部分を引用しましたが、その最後で、シュタイナーは次のように述べ
ていました。

 「 高次の構成要素が、最初から完全に胎児に結びついている、
  と思ってはならない
。…生まれてからあとは、様々に段階的
  進化していく。教育にとって、もっとも大事なのは7歳から14
  歳
の間の時期である。」

   (ルドルフ・シュタイナー『神智学の門前にて』p67
   《イザラ書房(西川隆範訳)》より抜粋転載)


 つまり、誕生の瞬間には4つの体が全て結び付くものの、それらのハードウェ
アがいきなり全開モードになって四重奏を奏でる訳ではないのです。いわば
それぞれの楽器を持っただけの素人の集まりなのです。

 …というと、
 《子供はだんだん成長してゆくものだなんて、当たり前の事だ》
 と言う声が聞こえてきそうですが、その成長の仕方が独特なものなのです。

 一言で言えば、4つの体は、それぞれ成長する時期が異なり、ある体が成長
する時期には、それだけを集中して完成させなければならない、いわばマンツ
ーマンで、一人ずつプロに仕立てるレッスンが必用だと言うのです。

 そして、それぞれの4つのパートを、その成長時期に合わせて一つひとつ成長
させてゆく指揮者に当たる教育法…それこそが、シュタイナーの教育法と呼ば
れているものに他ならないのです。 

 ★ 西平氏の永遠のサイクル図

 さて、その4つの体の成長の過程を見事な形で図示してくれたのが、前述の
西平氏です。それでは再度、141夜の図表に登場願いましょう。

縮輪廻 

   
   (西平直『シュタイナー入門』p129《講談社現代新書》より転載)

 我々が地上界での「一生」としているのは、図の左半分に当たる「物質体の誕
生」
から「物質体の死」までの間です。そして地上界においては、転生の過程と
は逆に、物質体―エーテル体―アストラル体の順に成長すると言います。

 そしてシュタイナーは、それぞれの成長が完成するまでの期間を、7年毎の時
、1~7歳まで、7~15、6歳(女性の方が幾分早い)、15~20歳前後まで、及
びそれ以降に区切っています。

 「物質体」の成長は文字通り、基本的な身体能力の源ですが、「エーテル体」
の成長は「記憶、気質、性向、恒常的な情熱」
を、「アストラル体」の成長は
「人格形成に必要な他者との人間関係、概念的判断、批評的態度」
の源と
なります。

 ★ 模倣の第一・7年期

 さて、「第一・7年期」つまり7歳までの幼児は、「物質体」の感覚器を通じて、
周りの「物質環境」をひたすら模倣する時期に当たり、「模倣と手本」というキー
ワードを用いて、次のように説明しています。

 「 幼児は物質環境の中の中の出来事を模倣する。そして、その
  模倣の中で、身体器官が特定の形態をとるまでに成長すると、
  その形態が一生保たれるのである。

   物質環境という言葉は、できるだけ広い意味に受け取る必要
  がある。

   幼児の周囲で、物質的に働きかけてくるものだけでは無く、幼
  児の感覚が知覚できるもの、物質空間から幼児の心に働きかけ
  て来るもの
、そういう周囲の一切の営みがこれに属する。

   幼児が見ることの出来る道徳的不道徳的な行為の全て、
  れた
、そして愚かしい行為の全てもこれに属する。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションⅠ(子どもの教育)』p36  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 ★ 莢入りのエーテル体・アストラル体

 そして、この時期の「エーテル体」と「アストラル体」は、ちょうど誕生前の胎
児の体が《母体》という《莢》に包まれているように、目に見えない《莢》をまとっ
ており、まだ外界から働きかけることはできないとされます。

 例えば幼児期には、時として驚異的な「記憶」を示す子どももいますが、それ
は歯で言えば乳歯に当たる「エーテル体」の《莢》の部分の支える記憶力
あり、それを無理に引き延ばしてはならないといいます。

 「 《 けれども、子どもは歯の生え変わる前でも、記憶その他を
    持っている…ではないか 
》、
   そう言って批難を加えようとする人は、ここに述べていること
  を十分に理解していないと思われる。

   エーテル体もアストラル体も、生まれた時から存在している。
  ただここで述べたような保護する莢の中で存在している。そし
  て、まさにこの莢が、歯の生え変わる前のエーテル体に、記憶
  力を発揮させているのである。

   しかし、胎児は肉眼を、その保護する母体の中でも既に所有
  している。この保護された眼に、外からの物質的な太陽光線が
  働きかけてはならない。
 
   それと同じ意味で、教育者は歯の生え変わる以前の子どもの
  記憶力を育成しようとしてはならな
いのである。

   この時期の記憶力は、養分を与えられるだけで、まだ外から
  手を加えられずにいるなら
それ自身の力によって自由に伸び
  ていく
のである。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションⅠ(子どもの教育)』
  pp31-32 《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)
 

 同じことが、アストラル体についても言えます。この時期の幼児は、目に見え
るもの、感じるものを、善悪の区別無くそのまま模倣する時期なのです。

 そのため、周りの大人たちは「道徳や善悪」を教え込むのではなく、ひたすら
手本となる行動や言動を、子ども達に真似させる形で教育が行われる必要が
あると言います。

 「 愛情に包まれて、健全な手本を模倣することが出来る時、子
  どもは正しい世界の中にいる。子どもに模倣させられないよう
  な事柄
を、子どもの環境の中に生じさせないように、出来る限
  りの努力を払わねばならない。
   
   《そんなことをしてはいけないよ》と子どもに言わなければな
  らないようなことを、我々自身が子どもの前でしてにならない

   子どもがどれ程、模倣に徹しようとしているかを知るには、例
  えば文字を理解するずっと以前に、既に文字を真似して書いて
  
いるところを観察すればいい。

   子どもはまず文字を真似して書き、その後になってその意味
  が理解
できるようになるが、このような模倣は、肉体が発達す
  る7歳までの時期にとって非常に必要な態度なのである。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションⅠ(子どもの教育)』
  pp42-43《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 ★ ただ体作りに専念すべし

 そして、シュタイナーは、この時期の人間にとっての課題は、「物質体」である
体を健全に発育させることのみに集中
することのみであると、次のよいうに言
い切っています。

 「 歯の生え変わる7歳までに、人間はひとつの課題を遂行しな
  ければならない。その課題は、人生の他の諸時期の課題とは
  本質的に異なっている。

   すなわち、身体の諸器官を7歳までのこの時期に、特定の形
  態までに発達
させなければならない。それらの器官の組織構
  造に、特定の方向付けを与えなければならない。

   成長はその後も続いていくが、その後の成長は全て、7歳ま
  でに作り上げられた形態に基づいて
行われる。形態は正しく作
  り出された時、正しい仕方で成長し続ける。歪んだ形態が作り
  だされた時は、歪んだまま成長していく
。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクションⅠ(子どもの教育)』p35  
  《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 さて、次回第146夜は、第二・7年期以降についてお話しします。

( 追伸 )

 中曽根君、せめて幼児の前では悪行をしないで
くれたまえ。

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アイイスの中上級クラスの3回目-2-

この頃はアイイスのクラスに出席するとき、前日や、行きの乗り物のなかでしていることがあります。

クラスで勉強するにあたって、

①何を知りたいのかはっきりとさせる
②前回でのわからなかったこと、できなかったことについてなぜか、考え、できればこうしたらよいだろうと、自分なりに対策を考える

そのために、まずは、できれば、紙に①②を書く。

ただ、漫然とクラスに参加するのではなく、ある程度、いろんな問題点、体験したいことをはっきりと、書き出しておくと、勉強の成果を得るのに効率的だし、シャープに焦点を当てたほうが、より理解しやすいのでは?と、思っています。

釣りにしても、漫然とただ釣竿を持って、釣り針に適当な餌をつけて海の中にたらせばばよいというものではありません。
よい釣果をあげるためには、何を釣り上げたいのか、そのために必要なもの、技術は何がいるのか、自分自身が目標をきっちりと定めないことには、いつまでも技が定まりません。

アイイスのクラスはアウエアネスクラスという霊性を高めるクラスで、超感覚の開発は副次的に開いていくもの...と言っているような...
私もただいたずらに霊能力を得ようとしているわけではありません。しかし、クラスに出席し、漫然とただ受身的に自身の変容を待つ、そういうゆったりとした形もよいですが、今回はもっとできる限り、積極的に、勉強しよう、と思ったのです。

-問いをなげかけよう-前のクラスでの態度と自分の姿勢もずいぶん変わりました。

1.2回と、いろんな問いにはっときづき、ヒント、そして答えが得られ、こんどはどうか...そんなことを授業中は意識してないです。しかし...ありました。

シンクロか。

今回の実習はインスピレーショナルスピーチというものもしました。一人ずつ生徒が言葉を見て、それについてスピーチするというものです。
まずは、ベテランの女性の方、
この方は、-霊感-という言葉について話されました。よどみなく続く、スピーチ。
その中のひとことが、大きく頭に残っています。霊感とは、信頼、と言ったか?内容的には、霊感には信頼がなければならなく、霊感はそれを信じる信頼あってこそ、というような内容でした。これには、聞いていて、うっ、と思わずうめき声をもらしてしまうような、感覚がありました。

自分に言っているのか?

霊感と、自分の妄想との区別がつきがたく、霊感と信頼について、時々考え込んでしまうわたしに、この言葉はまさに、ずばりと迷妄を少しばかり取り去る作用があったような気がします。

頭で考え考え、なかなか思うような着地点がなかった、霊感と信頼ということ。それについて、ふわっと心の中に立体的に腑におちる感覚がありました。言葉では説明しがたいのですが、霊感と信頼...だから霊性を高めねばどうにもならないのだと、そんなことも思ったのです。

そして、もうひと方、Oさんのスピーチは-調和-でした。これも不思議...
Oさんの言葉もはっきり覚えてないですが、
―人間はエゴもあり、醜いところもあると言ったかな?そんな人間がよき人間関係を築くには、思いやりが大切-そんなことを言われたような記憶があります。

思いやり ということは何度も言われてました。

-思いやり-ふぅーむ、これもこの何日か、私が考えていたことなのです。

わたしはこの頃、人間関係、そして霊性開花も、そう別段かわったことはなく、普通の人間関係、例えば家族であったり、職場の仲間であったり、友人であったり...どんな関係でも、スピリチュアルとか、前世とか、-愛-なんて言葉をことさら強調しなくてもいい。普通にまわりの人に思いやりを持って行動すれば、うまくいく。
うまくいかないとか、まわりの人のいたらなさを思う前に、ちよっとの思いやりをまわりに配ればうまくいくのでは?と、思っていたのです。

Oさんのことばを聞いて、思いやり、人へのやさしさ、そしてエゴをとることが-調和-よい人間関係への大きな力となっているのだろうと、改めて思ったのです。

ベテランの女性の霊性についての言葉、Oさんの調和についての言葉、どれも私に対して、ヒント、確信、裏付けを与えてくれました。まったく、このクラスの学びはおそるべきものがあります。

続く

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アイイスの中上級クラスの3回目です。2/9

大阪のアウエアネス中上級クラスでの学び、3回目です。これはスピリチュアルなことなので、詳しい説明は過去の記事などを参考にしてください。霊、おばけ、その他、そういう話は好きではないとか、馬鹿馬鹿しいと思われる方はスルーしてください。

冬の最中、はるばる大阪まで出かけていくのは、なぜか?自分でも乗り物の中などで思います。なぜなんだ、なんのために...
ミディアムになりたいのか?といわれれはそうでもなく...ではいったいなんのためなのか?
わかりません。去年の中村講師のミディアムシップワークに参加し、-これだ、これが私の求めていた授業なのだ-と、感激し、このクラスに参加することにより、もっとわかる、経験できるということをしたい。それだけかなぁと思っています。

1回目。2回目と、気づき、経験、などありましたが、前後の体調の不良により、ブログに書くことは少しになってしまいました。途中、微細にわたり書くこともどうか?なんて思ったりして...しかし、自分の覚えとして、また、何かの気づきのきっかけとして記録として残すこともいいかぁ、などと考え直し、3回目のクラスでのことを書いてみます。

今回のクラスでは、サイコメトリーと、ガイドにあう瞑想、そして、デモンストレーションをしました。
軽い瞑想。グラウンディング、オーラを清める瞑想...そんなことをしつつ、ガイドに会う瞑想の中にいつの間にか突入です。今回は、手放すもの、完了するもの、だったか...いつもながらはっきり覚えてなく、とほほな記憶力です。
滝...滝をいつのまにか見ていて、滝に近づいていきます。その前に...なぜかと思うのですが、ビジョンが出てきたなぁと思うと、世界が紫。紫の空、紫のヒマラヤ、紫は薄い淡い藤色です。

オーラの色でも私は今まで黄色とかオレンジとか言われることが多く、
昔はこいつだ、と言われていたし
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今着ているシャツはこいつの絵がついています。
紫の高尚な世界より、こちらの方に親しみを感じたりも。
あひるimageCAGW50UU

それなのに、このクラスでは1回目から、瞑想の風景が、紫色に染まっています。薄紫の
空、白い雪を抱いた峰々もうっすらと紫色、なにかの宮殿をイメージすると紫色の宮殿...毎回毎回紫なのです。今回も最初から紫でした。
先生の誘導と、穏やかなヒーリングミュージックと...おぅ、紫だ。などと思いながら瞑想を続けていると、隣のお部屋の、-きゅう、きゅわん-なんて音が気になります。隣で胡弓を弾いているのです。クラスが始まる前に隣のクラスの窓の隙間から、机の上に胡弓を縦に立てているのが見えました。

おじいさんが弾いているのかなぁ。みんなで曲を合わせるのかなぁ。ふっふっと気が散りますが、瞑想の音楽と胡弓の音が次第に溶け合っていきます。

手放すもの?終わるもの?そんなようなもことを先生がおっしゃったような...
-締-ということばが浮かびました。

そして、瞑想はさらに深くなっていきます。滝の上に立ってばんざいをして手を振っている自分がいます。すぐに滝の傍らに移動します。紫の空に、滝に向かって龍ががぁと大きな口を開けて降りてきます。
龍の体は虹色です。
先生が虹色の階段と、おっしゃいます。

滝の上に龍が顔を乗せ大きな口をあけています。どうやら、龍の口が入口で、中が虹色の階段となっているようです。虹色の龍の体の中を上へとあがります。この龍の印象は強く残りました。

いつのまにやら、ガイドと話をしています。
昔のことが泡のようにいくつもよみがえりは、消えます。夏のセーラー服でポツンと原に一人で座っている自分。
実はこの頃、アニメの-夏目友人帳-というのにはまっています。
なつめeRJwl8

孤独に生きてきた高校生夏目が、友人、あやかし(妖怪)などいつのまにか、まわりに大切なひとたちができていくというお話です。
夏目は両親とも早く死に別れ、江原さんのように-視える-のがわざわいし、周囲にうとまれる子供時代を過ごしてきた、という設定です。
このアニメを一巻から見続けていると、必ずしも同じような人生ではないですが、自分の子供から高校ぐらいまでのことを思い出すのです。人は醜いと...残酷であると、思いながらも、美しいものを求め、ひたすら、遠藤周作の本を読みふけり、溜息をつきながらも空の青さにあこがれていた...

あぁ。自分も夏目のように、自分は気づかないけれどもみえない何者かが、応援していてくれたのかもしれないと、思ったのです。

ひとりでぽつねんと座る白いセーラー服姿。その傍らにいつもいた。

いつのまにやらガイドと話していたようです。

-よう頑張った-
がんばったなぁ!

白い衣だったか...小さい人でいつもの人のようです。

ガイドは
-扇を広げよ-とメッセージをくれました。その時の場面はきれいな能舞台のような場所でした。

そして、お土産は砂金です。量が大きく入りきらないので途中で大きな袋に替えました。この砂金は自分の状態により、色が変わっていくようでした。

瞑想の後、先生がいつものように、みんなの瞑想について解説をしてくれました。私については、やはり小さないつものガイドのようでした。
そして
-だいぶ深くガイドとお話してたようですね-とのお言葉...

おぅ。私はこのような昔のことを思い出すと、だれかが、-あんた、よくやったよ-なんて言ってくれる妄想で、自分で自分を元気づけているのだとしか思ってなかったのですが...

先生の言葉により、はたと、気づいたのです。

本当に、あれは、近くにいて、語り合った感じだったよ!あの感覚がガイドの感覚なのか?

あぁそうなのか。
小さい時、病気で死にそうになった時も、大切な人との別れの時も、小さな失敗でみんなに責められつらい時も...いつもそばにいた。

そして。先生がそのガイドと血縁関係とのつながりについて話されたとき、あっ、あの時の背中がぞくっとしたときの感覚も、そしてそれからある場所に行ったことも...すべて思い込みではなかった。母方の家に伝えられていることは本当だろう。などと、思ったのです。

続く
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またもや風邪をひいてしまいました-甘草湯-

家族が鼻水が出る。のどがいがいがする、なんて2.3日前に言いました。そこで近くの薬局で漢方薬を買い、飲ませたところ、鼻水もその他の症状も収まりました。
どうやら、連日の寒さで体がこたえたようです。体を温める作用のある薬と、小青龍湯を飲み、今日はいい具合のようです。これでみんなよくなったな、と思った次はわたしです。、きのうから鼻水が出て、体がつかれます。

今朝は喉も痛いし、咳も出る。でも、先月の連日38度半ばを出したような、だるさ、体の痛みはなく、普通の風邪のようです。

でも、のどが痛い。
そこで、家にある漢方薬、
甘草蕩を飲みました。少し甘い味のお薬です。のどの痛み、咳によいそうです。
でも、副作用もあるそうで、むくみや高血圧など気をつけよ、とブログなどを見ると書いてあります。それほど長期間服用しなければ普通の人には害はないとか...

まぁ、ちょっと飲んで、のどのいがいがが緩和したら、飲まなくなります。それほど心配することもないでしょう。

それよりも、このようにたびたび風邪をひいたり、鼻水が出たりするのは、体が冷えて抵抗力が少なくなっているからでしょう。今日も雪が外に残っています。お出かけの際は、みなさん、暖かい恰好で行きましょう。♪
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着物のカビ臭

骨董市で購入した着物、何週間も外に干し、もういいかげんよいだろうという訳で、ちょっと着てみたところ...

縮大島たてよこIMG_1186


やっぱりくさい。匂う。見た目は全くかびもしみもない。しかし...臭いのだ。

手持ちの着物を嗅いだら、そんな匂いは皆無です。コメ兵で買った着付け練習用の安い着物もまったく匂いません。
よく着物ってたんす臭いとか、独特の匂いが...なんておっしゃる方がいますが、ちゃんと乾燥したところで、ナフタリンも使わず、たびたび着ていれば匂いはしないのだ。

あぁ、しかし、かびくさ着物、もういいと思って、1か月ほど手持ちの箪笥に入れてしまったよ...風に何週間かあてたとはいえ。カビの胞子...ほかの着物に移らないで、と思うだけです。
しかし、カビの匂いが消えないほどなるには、どれだけの年月、タンスの中にいれっはぱなしだったのでしょう。今回買ったものはしつけがついたままの、未使用品でした。買ったのはいいけれどこれでは着て行けません。

ちょっと調べると、丸洗いをすると匂いは消えるとのこと、
でもね。丸洗いをすると今度はドライの匂いがするんだよね、でもいいかぁ、しかし、丸洗いも結局しなくてはならないとは、骨董市の古着は買ってはいけないな。やっぱり古着は落ち着いて、においをよく確かめて買うべきだな。しかし。当分は...買わないだろうなぁ。
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木にセシウムが...徐々に内部にも浸透していくのか?

福島の木からセシウムが検出されたということですが、

以下産経ニュースより転載

樹木にセシウム浸透 数千ベクレル「基準値必要」 東農大調査
2012.2.2 14:14 [放射能漏れ]
 樹木が吸収した放射性セシウムが徐々に木の内部に移ることが、東京農業大学(東京都)の調査で分かった。同大が採取した福島県南相馬市の木材の内部から1キロ当たり数千ベクレルと比較的高い放射線量が計測された。同県では放射能に汚染された石が使用された建築物が明らかになっている。調査を行った同大の林隆久教授(遺伝子工学)は「木材についても暫定基準値の設定が必要になるだろう」と話している。

 東京農大の調査には、近隣に複数の製材工場を抱える相馬地方森林組合が協力した。林教授の調査チームは昨年9月から12月にかけ、同市内などでスギやヒノキなど30本を伐採。木材を年輪ごとに削って放射線量を測定した。
 その結果、同市原町区大原で採取したスギ1本から、外樹皮で4万2260ベクレル、平成23年に成長した部分からも5430ベクレルを検出した。木の中心部に近い平成16年分からは930ベクレルだった。 林教授はこれらの結果から、「高濃度のセシウムがたまることも考えられ、(出荷する際の)基準値を作ることや、放置した木材からセシウムが放出されないかを調べる必要がある」としている。林教授はセシウムが樹木内部に入り込む詳しい仕組みについて今後、研究を進めるという。

 林野庁によると、木材出荷時の放射線に関する基準値はない。除染を必要とする基準値(10万cpm)を超えた際に表面を拭いたり洗い流すことを勧めている。


転載終わり

去年は愛知の新城のお茶からセシウムが検出されました。お茶の葉はセシウムを吸い込みやすいので、吸収してしまうのだろうと思っていましたが、スギなどの一般樹木も、表面樹皮のみならず、だんだん内部に入り込んでいくようです。

そう言えば、岐阜の業者のたきぎからセシウムがでたとのこと。その薪は福島から購入したものだそうです。
まきからセシウム=沖縄県に出荷―岐阜

スーパーなどで売られているお魚も偽装が多かったり、遠くてもセシウムがたっぷり入っていることもあったりと、いつのまにかセシウム。その他放射性物質をとりこんでいるかもしれません。

野菜、コメ、西日本以西のものとわかっているものがあれば、そちらを買うようにし、出来る限り放射性物質をとりこまないようにしましょう。

今、福一では2号機にホウ酸の大量投入がされています。再臨界だ、いやいやちがう...なんていろいろ言っています。3/11以降、福島の原発はもう、めちゃくちゃになりました。いつ何がおきても不思議ではないことは確かです。
政府の言うことは信用できません。自分で情報を常に集め、早めの判断をしたいと思っています。
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着物を着て歩く

先日、名古屋に出かけました。ちょっと待ち時間があったので、栄の中日ビル、三越、その周辺の地下街を歩いてきました。栄には松屋大丸さんがあるので、そこで雲柄の風呂敷を2枚ほど購入し週替わりのお買い得品の帯を見たりして...
白い名古屋帯がけっこういい値段でありましたが、買う気持ちを押さえて、三越へ...

三越では何を買うわけでもなく、ただ暇つぶしに2.3階を見て地下街へと戻りました。

地下の食料品売り場だったか?、地下街に出ようとすると、

青い、コートを着たおばあさんが階段を降りているところでした。おばあさんのコート、青と言っても真っ青でもなく、紺でもなく、夏の海をちょっとくすませたような、いい色でした。

珍しい色だなぁ。でも似合ってるし、素敵な青だ。なんてちらっとおばあさんを見たら。白い足袋を履いた足元が八掛をひるがえしながらさっさっと先へ急いでいます。地下街の人の波に紛れていくおばあさんの足袋の白い色がふっと上に浮くと、その下の草履の地色が見えました。

青です。はっとしました。
誂えか?コートと草履の青がどこにもないような独特の緑がかったような青でした。
いいですね。なんかうれしくなりました。昔は、着物やその他と、草履、バッグ、財布など一緒に誂えたりしたものです。うちにもあります。白の小紋に白の草履...それを誂えた親はその草履を一度か二度履いただけだったか?忙しい人だった...

おばあさんのコートと草履を見て、ふいに昔を思い出しました。白の地味な小紋を親が作ったのが、今の私よりはるかに若い時であったと...一瞬の、あの草履の青で、そんなたわいもない昔のことが蘇りました。
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トンデモ話は奥で繋がる(144) 24.2.5

トンデモ話は奥で繋がる 「第144夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ⑭≫
 
 ★ 成長の限界点

 前夜までにお話ししたように、我々が再び転生への道を選択する理由のひ
とつには、現世で他の人達に与えてしまった負荷について、清算せずにはお
られない衝動がありました。

 しかし、シュタイナーによれば、転生への道を選択する理由には、もう一つ
の側面
があります。そしてそれは、主として前世で得がたい修練を積んだ魂
に起こることのように思われます。

 このような魂が死の門をくぐった場合には、霊界で高次の霊的存在から、
我々が理想とし、目指すべき姿を教えられることで、その成長のレベルは、
最高潮
に達しています。

 しかし、我々が前世の間で学んだことには限りがあります。従って我々が
そこから受け取れる叡智にもまた限界があるのです。その時、我々の中に
次のような思いが起こります。

 「 神々の力がお前に働きかけた。それはお前の魂の内的な力
      となって、今お前の中に生きて働いている。

   しかしお前は、この力を持ってしては、もはや先へ進めない
  所まで達した。

   何故なら、さらに前進しようと思うなら、お前は今までよりも
  はるかに完全
でなければならないからだ。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p112 
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 この内なる声の導くままに、転生の過程へと進んでゆけば、我々は又次の
成長に向けての経験を積むことができます。しかし、ここに誘惑の罠を仕掛
ける存在があると、シュタイナーは言います。

 ★ その囁きは神か悪魔か

 その存在こそ、スピリチュアリズムの中でも、功罪様々に取り上げられる存
在であるルシファーです。彼は、今回獲得できる最高点にまで高められた我
々の力について、こう囁くのです。

 《 そうだ。お前は今なら神々の後についていける。お前は神々
  が与えてくれた力と一つになれる。お前は霊界の中へもっと
  もっと深く参入していけるのだ。》

 《 この機会を失うな。お前は今なら霊界に留まり続けることが
  できる。お前は十分進化を遂げてきた。その成果の全てを、
  今なら霊の力に移し変えることができる。》 

      (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p112・113 
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)
 

 どうでしょう。現世で辛酸を舐め、その成果を受け取った魂に対して、或
いは昨今はやりの《アセンション》を夢見ている多くの魂にとっても、最強
の誘惑
ではないでしょうか。

 そして、このルシファーの言葉も、全くのデタラメではなく、ある意味では
真実
なのです。転生か霊界にとどまるか―この究極の2者択一の意味を、
シュタイナーはこう語ります。

 「 自分が全く霊的な存在になれるという展望が、私達の前に拡
  がっているのです。

   しかし、私達がそうなるのは、私達が偉大な人間理想へ向か
  う道を踏み外した時
なのです。つまり、私達が全ての《不完全
  なもの》を担ったまま
、霊界への道を進む時なのです。

   確かにその《不完全なもの》は、そこで《完全なもの》に変
  化
していくでしょう。実際、そうなっていくでしょう

   私達は神的な力を内に取り込んでいますので、不完全なが
  ら霊界に参入し、不完全ながら霊的存在になれるでしょう。

   しかし、その時には、これまでの道の上でまだ育成できなか
  った素質、偉大な人間理想へ向かう素質を断念しなければな
  らないでしょう。

   私達は地上に受肉しようとする度ごとに、霊界に留まり、霊
  となり、既にあるものだけで神と化してしまおうという誘惑
  やって来ます。」  

     (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp112-113 
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)
 
   
 つまり、ルシファーの《輪廻転生の道から逃れて霊的な存在になれる》
という言葉に嘘はないのです。そして、日頃《輪廻からの解脱》のみが唯一
の目的のように思っている人達にとっては《神の声》に聞こえます。

 しかし、その道を選んでしまうと、もはやそれ以上の進化はありません。
無論、それで十分だと思う人もあるでしょう。ルシファーは、その人達にと
っては《真実を教えてくれる存在》です。

 ただし、ひとつ覚悟しなければならないのは、前世までに他の人達に与え
てしまった負荷を清算する機会は、それで失われることになります。そして
負荷を与えてしまった物を見る度、その過ちにさいなまれるのです。

 また、全く負荷を清算しきった場合でも、その成果として受け取った力を、
地上界で役立てることも出来なくなります

 しかし、小生の私見的には、何よりも《耐え難い》と思われるのは、我々は
《唯一存在》の分身のひとつに過ぎなく、本当は全く孤独な存在であること
を、永遠に感じなければならない
ことではないか思います。

 そして、万一全ての《分身》達が、《輪廻からの解脱》を選んでしまえば、
《唯一存在》は、もはや孤独感に打ち勝つ方法を無くしてしまうことになる
のではないかと思うのです。

 ★ 肉体の究極的な役割

 実際、シュタイナーは、この段階で、我々が全く一人でルシファーの誘惑
に立ち向かうとしたら、それに屈してしまうだろうと語っています。そして、
それに打ち勝つためのものこそ《肉体》であると言うのです。

 「 現在の人類の進化段階では、この時のルツィフェルの誘惑 
  に耐える事は―もしルツィフェルの敵である霊達が人間を助
  けてくれなければ―出来なかったでしょう。

   『神々の宗教』を通して人間を理想に導く神々と、ルツィフ
  ェル
との間で、人間の魂をめぐる戦いが今生じるのです。

   そしてこの戦いの結果、将来地上で生活する人間の原像
  が時間界から空間界へ投げ入れられ、空間界に吸い込まれ
  ます


   それは、人間が空間界へ移って、空間界との親和性を獲得
  する瞬間であり、両親による磁力的な吸引力が生じる瞬間な
  のです。

   その時には、霊界に留まろうとする誘惑の力が全て、人間
  の周りから覆い隠されます。そしてその《覆い》《身体》なの
  です。

   人間は、体内に組み込まれましたので、ルツィフェルが人間
  の眼前に示そうとしたもの
を、見ずにすませられたのです。

   この体的な《覆い》に包まれた人間が、身体器官による感覚
  と悟性の働きだけで世界を見る時には、誘惑者に誘われて
  界の中に留まろうと願ったことを知らず
にいられます。

   そして霊的世界を専ら外側から、感覚と、頭の働きである
  性との示すままに見る
のです。そして人間の指導霊たちが、
  人間の進化の責任を負うのです。」 

    (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p113 
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 つまり、我々の《進化を遂げる神々》は、我々からルシファーの誘惑を
遮断
するため、肉体を纏わせて霊界から引き離し、霊界を我々の眼前か
ら覆い隠す
のです。

 このために我々は、地上界にいる間は(シュタイナーの言葉を借りれば、)
《ちょうどよいと思える程度》にしか霊界を知ることができないのです。

 逆に、もし遮断されぬままに地上界に降り立てば、我々は一歩進むごと
に、ルシファーの誘惑にさらされ、いつも不完全な魂のまま霊界に参入しよ
ういう衝動
に駆り立てられてしまうとシュタイナーは言っています。

 ★ 常に百%信ずることなかれ 

 さて昨今、一部のリーディングマスター達が、アセンションによる意識の変
により、一部、或いは全ての人類が、通常の輪廻転生から抜けられる
いう説を唱えています。

 しかし、シュタイナーが説く輪廻転生によれば、我々はちょっとやそっとで、
そのサイクルから離脱できるほどの魂の進化は得られないということにな
ります。

 小生は、十中八九、シュタイナーの説が正しいような気がします。

 が、しかしです。人智学協会や、彼の信奉者の方には怒られるかもしれま
せんが、百%足を突っ込むのではなく、足首ひとつは外に出すべきでは
ないかとも思っています。

 当初の第十夜でお話ししたように、小生は、これこそ「絶対の真理」だと悟
ることは、我々には永遠に出来ないのではないかと思っています。そしてそ
れは、シュタイナーにとっても同じかも知れないのです。

 万一、シュタイナー自身が《進化を遂げる神々》に騙されているとすれば、
ルシファーこそ真実を語る神であり、我々は早々に輪廻転生から離脱した
方がよいということだってあり得るのです。

 その時、我々は《この人が言った事だから信ずる》という態度で臨むので
はなく、最終的な判断は、我々自身が行うべきなのです。そのためにも、
輪廻転生に関する、あらゆる可能性を知っておく必要があると、小生は考え
ています。

 ですから、逆も又然りです。現段階ではシュタイナーの言うことが全く理
解できない
という読者の方も、《こういう見方がある》ということだけは、悟性
の中に留めておいて損はないと思います。

 さて、次回第145夜は、転生後の人生についてお話しする予定です。

( 追伸 )

 中曽根君、君の肉体は『普通の人間の良心』まで
シャットアウトできる特別仕立てのようだね。

目次のペーシへはこちらから
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鳥の続き

鳥を作っています。
のみで削っていますが、まだまだです。
縮バードIMG_1290
鳥の頭は小さく。そのした胴体はふつくらとしています。

削りだすと細かい木くずが出るのでシートを下に敷いたり、あとの掃除機での掃除が大変です。そんなわけでしばらく手をつけてません。
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今日は節分です。恵方巻き?巻き寿司

二月三日です。立春大吉、春の文字がうそのように、寒い今日でした。今朝はなんと名古屋でマイナス5度を記録したそうです。昼は用事があり、名古屋まで車ででかけました。あちこち停車したり、走ったり、ビルの狭間の狭い歩道は雪が凍り、つるつるになっていました。
帰ってきたのが、4時半過ぎ...

今日は節分で、スーパーなどでは恵方巻きを売っています。スーパーで売っている恵方巻きは、とてもカラフルで中身が多く見えます。一回食べたいなぁ。
思っていましたが、毎年毎年、値札を見て、断念しています。
一本、500円以上すると、ちょっと手が引っ込んでしまいます。今時、500円なんてのもないですね。もっとします。

夕方帰ってから、寿司を作るのも面倒です。でも、なんとなく食べたくなり、作ってみました。冷蔵庫のえびの殻をむき、たて半分に切り、えびの天ぷらを作り、天むす ならぬ、天すしを作ることにしました。もちろん、他にも具をいれます。
具は全部で、海老天、卵焼き、かんぴょう、です。

寿司飯を作り、冷まします。
のりを巻きすにのせ、ご飯をのせます。
縮巻きすしIMG_1283

さきに海老天をのせます。
縮巻きすしIMG_1284

卵焼きをのせ、味付けしたかんぴょうをのせます。
縮巻きすしIMG_1285

巻き込んでいきます。
縮巻きすしIMG_1286

よこから見た感じ
縮巻きすしIMG_1287
まるかぶりには大きすぎ、細巻きをまるかぶりしました。

お寿司もたまにはいいですね。おいしかったです。
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theme : 食品・食べ物・食生活
genre : ライフ

寒いです。朝雪がつもったけど、昼にはすっかり溶けてなくなりました

今日の朝、寒かったです。玄関の扉をそっと開けると、庭も道路も雪です。雪が積もると、車がつかえないので、外の道路状況をみるため長靴を履いて近所を歩きました。
とはいっても50メートルほど歩いただけです。小さい用水路の蓋の上に降り積もった上を、黒いなにものかが、はねまわっています。
すわ、妖怪か?物の怪か?
ではなく...黒犬でした。
どこかの犬が雪の中をはしゃぎ回っていたのです。

行きやこんこ。あられやこんこ の世界です。昨日は今日の雪がひどくなるといけないと思い、ホームセンターなどを廻り、こんなものを買ってきました。
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そりです。子供の学校へは約6キロ。荷物は10キロ以上。車はノーマルタイヤです。ひどく積もったら、歩いて行かねばなりません。しかし、10キロ以上の荷物を抱えて6キロも雪道を歩くのも大変です。
そこで、荷物を載せて引っ張って行けるよう、そりがいるのです。

今日は雪は積もりましたが、車道は凍らず、なんとか車がつかえました。家族を送っていく途中。大きいボタン雪以上の雪が吹きかかってきたり、細かい雪になり、行き先がかすんだりすると、大丈夫かとふっと不安になりましたが、そろそろと低速で走らせ、無事に家に帰ることができました。

いつもの踏切の遮断機が下りるのを見たら、なんと竿が真っ白です。色を塗り替えたのか?一瞬そう思い。白もいいなぁなんて思いながら、白い竿、そのわきの神社の大きな木の白く染まった姿の所々に葉っぱの緑色が残っているのが新鮮に感じます。
民家のすっかり葉を落とした木々の枝の黒さと、その腕に抱かれている雪の白。

あぁ...きれいだ。

そんなひとこと、ふたことをもらすと、横にのっていた家族が、-通勤には大変だよと、笑いました。

しかし、雪のなかの木々の美しさ、感動します。
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がま口をまた作りました。

電車に乗っているときの時間を利用して、がま口を作りました。
辰年にふさわしく、龍のがまぐち、各種3個です。
縮がまぐち竜ビロードIMG_1280

他のがま口とあわせて、
縮がまぐち竜ビロードIMG_1279

更に、別珍の無地に厚手のふわふわの接着芯を貼り、大き目のがま口ポシェット(ポーチ)を作りました。これはミシンで縫いました。裏地にポケットをつけたのはよいのですが、接着芯を貼り付けた別珍がなんどもずれてしまいました。このようなふわふわの厚手の生地となるとすべるのでしょうか?ミシンで縫うのに一苦労でした。
裏地は薄赤紫の八掛地です。

がま口の付け根に、丸い金属のわっかをつければ紐をつけてポシェットになります。下の台はA4判の本です。
縮がまぐち竜ビロードIMG_1281
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プロフィール

工芸美術をやっています。2017年からスペイン語の試験を受けています。が、ドンキホーテはいまだに完読できていません。握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

☆★☆管理画面★☆★


☆★☆

十二か月の着物

手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

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