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からすの集合

週末に近所の田んぼの前の信号が赤だったので、ちらっと田んぼを見ると...

カラス、からす、烏

田んぼ一面におびただしい数のカラスが立っていました。100以上もいたような...すごい数のカラスです。冬の田んぼは黒い寒々とした土がぼこぼこしているだけです。いつかは、大きなみかんを口にくわえ飛んでいるカラスを見ましたが、何もない田んぼに、こんなたくさんのカラスが...

何かあるのか?宏観異常現象か?

近頃、クジラが打ち上げられたりするニュースもよく耳にします。

地震はいつあってもおかしくないと、この頃は大学での研究でも近々の地震を警告したりしています。

地震か?まぁ、耳鳴りもたまにあるし、地震もあってもおかしくはないですが、身近に地震が迫っているとは、自分の動物的勘や、耳鳴り、予知夢からしても、なんとなく感じません。しかし...あのカラスの大群は?と思い、調べてみたら、

カラスって、たくさんで冬の田んぼにいることがあるそうです。実は冬の田んぼは、いろんな餌がいっぱいなのです。ミミズ、ねずみ、その他、動植物、虫などがあの冷たい吹きさらしの土の中、上にいて、それをカラスは食べているそうです。

寒そうに見えても土の中にはいろんな生物が生きて、活動しているのですね。雪が降ると田んぼの表面は真っ白になりますが、それでもその中にちゃんと生きているものたちがいるとは...そしてそれらを食べるものもいる。面白いですね。
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長崎で、一ヵ月後、高濃度放射性物質が...検出されていた

長崎は福島から千キロ以上も離れています。そんなに離れている長崎でも、高濃度、放射性物質が検出されていたということです。

以下中国新聞より転載です。

福島第1原発から約千キロ離れた長崎市の大気観測所の吸引調査で、事故1カ月後に高い数値の放射性物質が確認されていたことが分かった。
中略
高辻准教授は事故後、1週間ごとに装置で吸引した空気や吸引口のろ紙の付着物のセシウムの量を調査。2011年3月23日から7月27日までの結果を報告した。

 4月6日からの週が特に高く、ろ紙に付着したちりなどのセシウム134の濃度は福島県飯舘村の土壌に相当する1キロ当たり1万1300ベクレルだった。

 高辻准教授は米海洋大気局のデータから、4月6日は日本列島の南側を半円を描くように風が東北から九州に達していたと指摘。福島からの放射性物質と推測した。

 高辻准教授は「大気中の数値は低くても、空調機のフィルターなどには放射性物質が集積し高くなる可能性がある」と指摘した。  シンポジウムは26日もある。(金崎由美)

(2012年1月26日朝刊掲載)

転載終わり

四月といえば、全国で新学期が始まり、子供も外を歩いています。雨に濡れた子供も多いでしょう。
空と海に隔てはなく、何キロ離れていてもどこまでも繋がっているのですね。

車や、エアコンのエアフィルターは、空気中のチリや埃を集めています。ちりも積もれば山となる...そのままですね。何千キロ離れていても、細かく集めて集積すれば、被災地と変わらないぐらいの放射性物質が溜まるということです。
フィルター...うちにもエアコン、ストーブ、車...いっぱいありますが、一つずつ交換をしようと思っています。
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トンデモ話は奥で繋がる(143) 24.1.29

トンデモ話は奥で繋がる 「第143夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ⑬≫
 
 ★ 過去の諸体験の決着

 さて、霊界の真夜中を過ぎ、過去の生活の果実として、来世でどのような
能力を得るかを体験していると、私達は、転生に関わるもうひとつの重要な
光景
を見ることになると、シュタイナーは言います。

 「 そのようにしてしばらく霊界を生き続けますと、やがて周囲
  の霊的環境の薄闇の中から、ひとつの光景がはっきりと現
  れます。

   それは、私達自身の過去の諸生活の光景であるとともに、
  その生活と密接に結びついた人間関係の光景でもあるので
  す。
  (…中略…)

   死から新しい誕生までの人生の大部分の間、私達はかつ
  て地上で親しい関係にあった人たちと体験を共にしています
  から、それまでもその人たちと結びつきを保っていましたが、

   しかし霊的生活の真夜中時の後、改めてその人達と再会
  するときには、《私達がその人達に負担をかけていた事柄》
  
と、その人達が私達に負担をかけていた事柄》とが、はっき
  りと見えるのです。
  (…中略…)

   今やこの人達は、以前の諸体験に決着をつけるために現
  れるのです。

   その人々が私達に向かって来る時、私達は来世において
  どんな体験
をすれば、その人々に負担をかけた以前の行い
  に決着をつけることができるのかを、その人達から見て取る
  のです。」

 (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp199-200 
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 前世において、自分達の行為のため、他の人の負担となってしまった事柄、
いわゆるカルマが、一つひとつの光景となって意識されるようになるとシュ
タイナーは言います。

 それに対して、私達の魂は《それを償いたい》という思いに駆られることに
なります。そして《それを償う方法》まで、はっきりと認識することになります。
しかし、同時にこう悟ります。

 『 お前がかつて地上に生じさせた不正な行為を償うには、
  再び肉体を身につけなければならない。

   その時にもなお償うことが出来なければ、お前がさらに
  死の門
を通った後で、この人がまたお前の前に現れて
  しみを促す
であろう。』
  
  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p201 
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)

 ★ カルマの呵責

 ここで、誤解のないように少々説明しますが、

 《この人がまたお前の前に現れて苦しみを促す》

 と言っているのは《その人が霊界で敵討ちに来る》ということでありませ
ん。シュタイナーは『その人に嘘をついた』ことを例に挙げてこう説明してい
ます。

 私達は、自分が嘘をついた相手を、しばしば霊眼で見ます。すると、相手
を見るたび《嘘をつくべきではなかった》という真実が湧き起こって来て、
それが私達を苦しめるのだと言うのです。

 《なんだ、そんなことなら現世でもあることだ》と思われる方もあるでし
ょう。もちろんその通りです。よほどの極悪非道の人間でない限り、何か
しら良心の呵責を感じるでしょう。

 ただし、現世と違うのは、
 ● どんな極悪非道な方にも、自らの心に湧き起こること。
 ● いつどこに居ても四六時中、湧き起こること。

 でしょう。これはかなりきついと思います。ましてや誰しも、犯してしまった
不正は、ひとつやふたつどころではないはずです。

 しかも、霊界においては、《負担をかけた》と理解することは出来ても、
清算することはできず、償うためには再び地上に転生し、その方法を実
するしかないのです。

 この一連のカルマのシステムが、私達に強烈な《転生への衝動》を呼び
起こす原因のひとつとなっているシュタイナーは言います。

 原因の《ひとつ》と言っているのは、上記のような《負》からのものではなく、
《正》の衝動もあるとして、シュタイナーは次のような衝動の例も挙げていま
す。

 「 私達が過去に体験したある種の喜びを回顧して、次のよう
  に言うとします。

   『 このような体験をしたのだから、再び地上に生を
    享けた時のために、今この体験を地上生活に役立
    つ能力に変えよう
』」 

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p201 
   《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)

 
 これ以上の説明がないのでよくわかりませんが、《過去に体験した喜び》
を、次の地上生活に是非役立てたいという衝動も、転生に向かわせる力
となるようです。

 ★ 妨害に立ち向かう 

 しかし、シュタイナーは、私達が過去の体験を来世に役立てる能力に変
換することを望まない、ある種の四大霊が存在するのだとも語っています。

 その能力は、来世で特定の人に役立てるためには必須のものであり、私
達は何としても得る必要があります。

 しかし、無理に手に入れようとすると、回りの四大霊は、自分達の叡智の
一部が奪われて
、自らの存在が暗くなるように感じるのだと言います。

 その結果、四大霊達は、我々が転生する時を見計らって、同時期に地上
に転生している、一人又は複数の人間に憑依
して、その人間に敵対
するような意図を吹きこむのだと言います。

 私達は、自分の転生の目的を果たすために、霊界では、このような四大
霊達を敵に回す
他ありません。それでは、現世でのこのような四大霊の
妨害
に、我々はどう対処すればよいのでしょうか。

 今はやりのスピリチュアリズムの指導者の多くは、この手の《闇》の部分
には関わらず《そのままそっとしておき》、
ひたすら自分の霊性を高め
るのに専念しなさいと言います。

 さて、それでは神秘学の源である、シュタイナー自身はどのように語って
いるでしょうか。以下、シュタイナー自身の言葉を記してみます。

 「 この敵達をそっとしておく方がよい場合もあるでしょう
  しかし、反対の場合もあります

   私達がそれをそのままにしておくと、この敵対的な四大霊
  達は、地上でいろいろな人に働きかけて、私達が四大霊から
  奪い取ったものの代償を、たっぷりと受け取ろうとします

   私達が奪い取ったものよりも、もっと多くのものを得ようとし
  ます。

   そしてその結果、再び死の門を通った後で、私達は四大霊
  から自分を守ることが出来なくなります。彼等は、能力を得
  た私達を打ち殺すかもしれません。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p203 
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)  

 実際、最後の《打ち殺す》が、既に死の門をくぐった我々にとって何を意味
するのかはよくわかりませんが、存在そのものさえ消えてしまうのか、或
いは得たものを全て失うのかも知れません。

 いずれにせよ、この種の四大霊を放って置けば、我々が得て来た以上の
ものを、私達から奪いとるよう、地上の人間を仕向れてゆき、死後にお
いて、その力で我々の存在そのものを脅かすのです。

 数あるスピリチュアリズムの指導者の方も、今一度よく考えてみて
ください。

 
彼らの闇のシステムには屈するべきでは無いのです。霊性の向上の
ためにも、断固戦うべきなのです。
 
 そうしなければ、いくら今世で霊性を高めても、霊界でその全てを奪わ
れては何にもなりません。
そして彼らが野放しにされ、強大になればなる
ほど、被害を受ける魂の数も多くなるのです。

 彼等の力は、一見巨大に感じますが、実際はほんの一握りの、しかも
心の奥底では決して一枚岩でない烏合の衆であり、我々の大多数が
しない道を選べば、消滅させ得る
存在なのです。   

 さて、続きは次回第144夜転生の最後の関門についてお話しします。

( 追伸 )

 中曽根君、君こそ典型的な、
その種の4大霊に取り付かれた見本人物だ


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大阪でのアウェアネスクラス 2回目

アイイスのクラスが大阪でありました。
大阪でのクラスにわざわざ行っているのは、N講師のワークを受け、この先生の授業なら、ひとつひとつ、必ず納得しつつ学べると思ったからです。学んでいるのはスピリチュアルなことなので、興味のある方だけ、読んでください。

わざわざ大阪まで行くからには必ず、何かをつかんで帰りたい。他の人に対する先生のアドバイスももらすことなく聞き、よく理解しよう。など、欲深い思いを抱きながら行っているせいか、クラスでの学びは毎回毎回、大きな収穫があります。

先回での収穫はなにか、その人特有のしるし、というものがあるということ。これも先生の説明が丁度いいタイミングであり、これは、と思うようなしるしを感じることができました。

そして、今回は、そのしるしの確認と、自分なりの高次からやガイドからのメッセージが、いつもあやふやな感覚があるのですが、先生がそのことをうまく言って下さり、先生の感じたことと自分の感じたこととが一致したことにより、その時の感覚をよく反芻し、確認することができました。

また、実習で、人を当てたり、その人についていろいろなことを感じ取る、メッセージなどもいう、などのことをしたのですが、これについては、その人の現実について、例えば、おうちの様子とか、着ているものとか、家族、ペットなど現実の生活のビジョンをみているのか?それとも、何かのメッセージやその人の内面について、シンボルのような形で映像がみえているのか?その区別がわかりがたかったのですが、
現実の生活のビジョンと、シンボルの違いがなんとなくつかめてきました。詳しくは、語れませんが、
これがその人特有の映像であったり、見え方であったりするのか...?とつかめてきたような...

いろんなビジョン、感覚は非常に繊細で、見え方、感じ方、感じる対象も様々です。それを少しずつ実習をしながら感じ取る...これは、一見まだろっこしいように見えますが、一番正確で、確実なような気がいたします。何年も大変な鍛錬、練習をしなければならない古い芸術をしていた自分にとっては、このアイイスの実習を重ねるという姿勢は、誠に納得できる学びの方法と思えます。

お金を払い、セミナーに出たら、資格が得られるスピリチュアルな世界もありますが、どうも納得できないわたしには、このように訓練を重ねることにより、確かな実感と実力をつけていく...そんなことがあっている気がいたします。私は紙の資格証書はいらないのです。

今回のクラスは2かいめですが、シンボルと、しるしと、現実の透視についての差がより鮮明になりました。次のクラスでの学びが楽しみです。
具体的な内容については、非公開にしていますが、見たいかたがいたら、公開にするかも...



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大阪へ行ってきました

木曜日に大阪で用事があり、行ってきました。いつもは最終一つ前の新幹線で帰ってくるのですが、先々週、夜中に帰ってから、体調をこわし、大変でした。この厳冬に夜中の12時近く、自転車を走らせ帰るのは、ちょっと体にこたえるかも...家族もそんな時間まで落ち着かず起きているし...
いっそのこと泊まったほうが、よいかも?、と宿を検索したら、
安い、しかし、ちゃんとした感じです。
近鉄で行けば、宿代を合わせても新幹線代とそう変わりません。そんなわけで、近鉄特急で大阪まで行ってみました。

木曜日午後のアーバンライナーです。ふと、窓の外を見たら、
降りしきる雪...さっと通り過ぎる駅名は、赤目口、と書いてあったと思います。強度近視だし、老眼もあるし、目は非常に悪いのですが、動体視力だけはいいのかなぁ。
自分の乗る近鉄電車がぐっとカーブを描き西へと向かっています。細かい雪が、もやのように車体を包み、ざっと、ひらけた田んぼと、両脇の山が、かすんで見えます。途中、吉野の近くでしょうか?製材所の上の雪が薄くなり、だんだん、雪が屋根からも消えたら、すっかり町の中を走っていました。

この日は寒い、雪の日でした。三重県、奈良県の山沿いのところは雪が積もっていたり、降っていたりしていましたが、大阪は雪はなく、震えずにすみました。

宿もちゃんとしたホテルで、備品は、資生堂のクレンジングまでおいてある充実振りでした。ほんとうに、大阪って、いいですね。安くてもきちんとしたホテルが当然のようにあるし...

切符も...実は近鉄は、自宅近くのディスカウントショップで買っていったのですが、大阪の商店街を歩いていたら、そこでも売っていました。
なんと、自宅近くの店より100円も安く(3350→3250)、これまた驚きました。
なんとなく、大阪で買ったほうが安い気がして、近鉄切符も片道だけしか買わなかったのですが、勘は当たったようです。

寒い雪の舞うような日でしたが、大阪の町を楽しませてもらいました。韓国のポ◎◎という靴下も買ってしまいました。
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何をしに行ったか?って...

それはまた書きますね。大阪って、気楽に行って帰れるところがいいです。まだ何回か行く予定です。
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genre : 旅行

地竜、牛黄

先日、高熱が続く風邪で一週間苦しみました。
医者に行き、48時間以内に薬を吸入したり、注射したりすれば、インフルでもさっと良くなるという話をききましたが、医者に行かずになんとかおさまりました。
とはいってももインフルエンザはだいたいが熱も3.4日たてばおさまり、よくなります。ちまたで騒ぐほどのこともないとは思います。

子供のころもよく罹りました。熱が高くなり、その間が大変です。昔も医者に行ったり、民間の薬を飲んだりしましたが、そのころ、よく効いたと思ったのが、
地竜です。地竜入りの薬は、熱を和らげ、体の痛みもソフトになったような...
そんなことを思い出し、熱が出て2日目くらいに、葛根湯から地竜へと薬を替えようとしたら、
ない。

置き薬屋の薬をみたら、
かわりに牛黄が...これでもいいだろう。確か牛黄もずいぶん効くぞ。

そう思い、飲みました。そして翌日楽になり、それから橋本七度煎も煎じてのみ、全快しました。

今は医者に行くのが一番のようですが、医者にいけないときなどは、このような漢方のたぐいの薬もよいですね。
ところで、地竜とは?
ミミズです。ミミズを粉末にし、乾燥させたものです。これが熱や、体の痛み、咳などにききます。子供のころは気管支も弱かったので、こどものころ、-よく効いた-という記憶は確かだったようです。

また、今回飲んだ牛黄、これも熱にいいようですね、体の痛みも和らいだのは、このおかげかな?

いずれも感冒薬に少し入っていました。子供ころ、じょうぶだったら、-地竜-なんて言葉もしらなかったと思います。ドラッグストアに入ってもそれ入りの薬はなかなかないですね。こんなことを書いていたら、陀羅尼すけという薬もよく効いたなぁなんて思い出しました。小さいときは、だらすけ、なんて言ってたなぁ。
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genre : 心と身体

おかゆとリゾット

先週は高熱と体の痛みのため、何日かあまり食べられませんでした。
アルミの鍋入りのうどんを少し食べたり、だんながファミレスの料理を買ってきたりしましたが、ほとんど食べられず過ごしました。
熱が少し下がってから自分でおかゆを作り食べましたが、白いおかゆに梅干しだけで十分おいしくいただけます。普段なら、おかゆに梅干しだけ...とてもがまんできない、ですが。それでちょうどいいというのが、病気のせいだったのでしょうか?
おかゆだけでも作って食べることができるというのが、だんだんよくなったしるしで、それから2日ほどで回復しました。
おかゆは白いなんの味付けもないものです。しかし、雑炊はだしが効いていて、いろんなものが入っています。雑炊を西洋風にするとリゾットです。浅田次郎の-プリズンホテル-では、板長とシェフが、お互いの腕を競い合い、雑炊と、リゾットを作る場面があります。それを副支配人が味見したところ、どちらもあまりにもおいしく、甲乙つけがたいと、いった表情をみせたような...

粥をおいしくいただいたところに、先週の日曜日、スーパーで、見たことのない、インスタントリゾットのもとを発見しました。-赤〇〇チーズリゾット-
最近ちょくちょく見る、赤なんとか鳥鍋やの看板の字に似ています。いつも通りすがりに見るのですが、ここのお店なんとなくとてもおいしそうです。
あの、せせり〇〇なども売っているお店のだろう。

赤というのは赤味噌かなぁ。パッケージをみると味噌屋が作っているようです。
チーズ味...濃厚そうでおいしいだろう、と買いました。

翌日、残りごはんにリゾットのもとを使い作ってみようとしたところ...
くっ、臭い。気持ち悪い...臭すぎる...

甘ったるいうえ、赤みそとチーズが絶妙に組み合わされ、臭いのなんの...でももったいないので食べましたが、あと、口の匂いまでもがくさく、はきそうなくらいです。

前、卵かけ味噌、というのを試した時もそうだった。甘い赤みそにご飯...くさくてとても食べられませんでした。好きな人もいるかもしれません。
新し物好き、変わった物好きなのでつい試してしまいましたが、赤みそを日頃食する私でもあのリゾットのもとはだめでした。意外と。甘い味噌の京都の方などに向いているかもしれませんが、あのリゾットのもと、まだ一人前残っています。でも、だれも食べないので捨てることとします。あーもったいない。
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genre : ライフ

るりびたき を作り始めた

何年か前にキセキレイを作ったことがあります。本物そっくりにつくるバードカービングです。木を彫り取り、色を塗り、仕上げましたが。なかなか鳥の毛一本おろそかにできないのが、苦しく、一羽作っただけでやめてしまいました。
その時、鳥好きのだんなが強く勧め、買ったのが、るりびたきのバードかーびんぐセットです。買ったのはいいけれど、木を彫るって、なかなか難しく、しかも立体です。前から後ろから上から下からどこから見てもちゃんとした本物そっくりに作るのはもうごめんだと、押入れに放り込んで5年以上、
あんまりやる気はないですが、作ろうとしてやめたものの山を解消すべく、とうとうとりかかりました。

ルリビタキ です。
るれびたきimage

木はいったってシンプルで、上下に鳥の方がくりぬいてあるだけです。
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 これをのこぎりやのみで角を切り取ります。

大まかな印をつけ、だんだん削っていきます。縮バードIMG_1268

前は切りだし小刀でけずりとったのですが、こんどは鑿を使っています。
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少しずつ削っていきます。
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うまく鳥の形に削れるか?まだまだ海のものとも山のものともつきません。
おいおい鳥の制作過程は載せていきます。
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アイイス アウェアネスクラスでのきづき

アイイスのクラスでまたも学んでいます。
このクラスの詳細については、アイイス、と検索すれば出ますのでそちらを参考にしてください。

この間、クラスを久しぶりに受講し、超感覚、霊視、霊感などについて考えさせられました。すぐにブログに書こうとおもいきや、1週間、体調を崩し、ブログどころではなく、ようやく書こうとしたところが...

なんだったか?

忘れています。とほほほほ。

とはいえ、少しは思い出しました。

クラスの霊感-クレアセンティエンス-の強いタイプの方と話していて、感じるというのもいろいろとある...ということを知ったのです。
この間のブログではぞくっとするという感覚を持ったと、書きましたが、感じるというのも、寒気とただ単にいえるものではなく、いろいいろな、ぞくぞく感、があるようだし、重くなるなんてこともあると聞きました。

やゃ...なんと。こりゃまた、知らなかった。
鋭敏なる感覚の方だからわかるのでしょう。いろいろと感じる感覚も違うと、このようなわからない人間にもわかるように表現してくださいました。

勉強になります。感覚があまりさえてない人間は、もともと感じないことも多いし。たまに感じても、たまたま、すっと背中がしたとか、ちょっと肩が重いとかで気にせずに過ぎてしまいます。しかし、たまたまとか、普通のことと過ごすのではなく、なにか違うなぁと、その時々、感覚を研ぎ澄ませば、ちょっと違う自分がみえてくるかもしれません。

普通の人間でも、自分の体感、その他感覚に敏感になり、いままで注意してなかったことに気をつけてみると、意外と見えない世界との接点が見えてくるかもしれないと、思ったりしました。人間は意外ともっと繊細な感覚を持ち合わせているんだけど、現実世界に合わせて、高度な機能、能力を打ち捨てて生きているのかもしれません。

とはいってもいつも霊の気配をうかがいながら、忍者みたいに壁に沿って歩いたり、ばっと伏せたりするのもしんどいです。道を歩きながら、ふっと風の重さ、軽やかさを意識してみる、塀のむこうの沈丁花の匂いに、その花の色を感じてみる...いつもは気にもしないことから感覚を呼び覚ましていくのが意外といいかもしれませんね。
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お寿司-エビ、魚-

お正月にお寿司を作りました。
握り寿司、ネタは、エビ(生)と魚-あいなめか?なにか-です。

エビはアルゼンチン産のもので生を開いて作りました。さかなは寿司ネタの冷凍です。

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アルゼンチン産のエビは大きく、とろけるように甘く、おいしかったです。
しかし...寿司ネタパックの冷凍物の魚はアジもとんで、あまりおいしくなかったです。

本当は近海物は、じぶんでおろして寿司ネタにするのですが、昨今の放射能の海洋汚染で、近海物は食べれなくなりました。外国産ばかりでのお寿司はいささかさびしい感がありますが、アルゼンチン産のエビはそんな思いも一掃されるほど、おいしくうまみたっぷりでした。
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トンデモ話は奥で繋がる(142) 24.1.21

トンデモ話は奥で繋がる 「第142夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ⑫≫
 
 ★ 喜びは自分のものならず

 さて、今回は再受肉へのソフトウェアの部分、つまり転生後の我々の生き
方を創造する作用になります。まずは、その導入の部分から見てみましょう。

 「 霊界の人間は、この真夜中まで到ると、その内的体験が最も
  集中するようになります。…そして私達は、特別な種類の外界
  
を観ることができるようになるのです。

   …それは、これまでに繰り返されてきた輪廻転生の中で得て
  来た《地上界の体験》《霊界の体験》とから成り立っています
  が、私達はそれを今、ひとつの外界として展望するのです。

   その外界は私達に、宇宙存在から得たものを思い出させ、
  宇宙存在に何を負っているのか悟らせます。
  …過ぎ去った諸体験をそのような仕方で回顧する時、2つの方
  向が二者択一
を迫って私達の前に現れて来ます。

   これまで体験してきた喜びや楽しみの全てが、どのようにし
  て霊的な価値となり、どのように私達を変えたか、回顧できる
  ようになった時にです。

   …実際、過去における満足や喜びの体験は、今でも自分の
  中に生きています。私達はそれを回顧する度に、それを直接
  体験し直して、それを魂の力にしているのです。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp195-196  
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 我々は、外界を観る力を失うかわりに、地上界と霊界での体験を《外界とす
る体験》
をするとシュタイナーは言います。妙な言い回しですが、今まで主観
的に感じてきたことの、客観的な意味を知るということのようです。

 最後の《過去の体験を回顧する時、それが魂の力となる》というのも『あ
の日の感動を糧として生きる』
などの言葉のように、この辺りまでは現世の
私達でも感じることのように思います。

 ★ 喜びと満足の受け取り方

 しかし問題は、この《喜びや満足》の受け取り方です。シュタイナーによれ
ば、過去を回顧する魂の力が、私達の前に2つの選択肢を示すのだと言いま
す。それは次のようなものです。

 「 Ⅰ 私は体験したことに、喜びと満足を感じている。
     私はこの喜びを、魂で受けとめる
     過去にこのような喜びが持てたことは嬉しいことだ。」

 「 Ⅱ 喜びや楽しみや満足の感情を、お前自身のために
     受け取ることは許されない
     喜びは宇宙に対する、宇宙の霊的力に対する、
     感謝の感情とならなくてはならない 」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p197  
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 こうして2つ並べると、正しい選択肢は《Ⅱ》であろうと予測はつきますが、
《Ⅰ》の《喜びを、魂で受けとめる》ということも、あながち悪いことのよう
にも思えません。

 また《Ⅱ》についても、各種の『スピリチュアリズム的生き方読本』にも
よく見かけるような、《日々の喜びに感謝しましょう》というような軽いもの
ではなく、シュタイナーは強い調子でこう語ります。

 「 もし私達が過去に体験してきた喜びや満足から、このような
  気分だけを取り出す
とするならば、私達は自分の内部に、次
  第に私達自身を霊的に退化させ、窒息させるような力を生み
  出すでしょう。
 
   このことは、霊界において学ばねばならない、最も重要な事
  項に属します。
  (…中略…)
  
   物質界で体を使ってしか満足させられない喜びや楽しみは、
  死から新しい誕生に到るまでの、前述した時点においても、
  眼前に存在しており、
   その中で窒息させられないためには、それを変化ざせなけ
  ればならない
のですが、
   しかし、それを価値あるものに転化するには、私達が転生
  を重ね、繰り返し霊界の中に生きることが必要なのです。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp197-198  
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 つまり、現世で喜びや満足を体験したことをただ感謝すればよいという
ではなく、確実にそれを価値あるものに転化させるために、何度も転生しな
ければ、霊的には退化していってしまうというのです。

 ★ 第2の選択肢

 何故、喜びや満足が我々を霊的に退化させてしまうのでしょうか。そもそも
我々は現世で喜びや満足を得てはいけないのでしょうか。それに対して
彼は、その原因が今の世の性質そのものにあることを示唆します。

 「  《現代》という、人類史の一時期における私達の喜び、楽
  しみは、物質界を生きる私達の霊魂を堕落させてしまいかね
  ません。

   この時代の喜びと満足は、動物的とは言わないまでも、
  人間的な性格を持つ傾向
にあるからです。

   そのような喜びを体験した私達が、死後、霊界へ参入しま
  すと、そこで初めて出会う霊界の存在者達に、私達は無限の
  苦しみを与える
のです。

   その苦しみは、その様子を見ただけで呆然自失の状態をも
  たらすほどのものです。私達の魂はその影響を受けて、来世
  のための条件を調和的に調えることができなくなってしまい
  ます。

   反対に、私達が地上で苦しみや悩みを体験する場合のこと
  を考察致しますと、物質界で得た苦しみや悩みは、霊界にお
  いては、意志の力となって私達の魂に働きかけているのがわ
  かります。

   そしてその力強さが《道徳的な力》に変化するのです。私達
  がその力を再び地上界に持ち込みますと、それは既に

   周囲のために価値あるものを創造することのできる能力

  と、そして
 
   自分の個性にふさわしくこの能力を生かそうとする
                              道徳的な力

  となっているのです。」

    (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』pp198-199  
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 『この時代の喜びと満足は動物的(に近い)』とシュタイナーは言います。
小生は初め、この意味がイマイチよくわかりませんでした。
 (ひょっとすると、今でもわかっていないのかも知れません。)

 これまでのシュタイナーの一連の説明からすれば、動物達の方が物質界
に 俗されておらず
、《自我》を持たずに、種全体のみならず人間のためにま
献身的に生きているはずだからです。

 また、動物達が現世で喜びや満足を感じているのかどうかはわかりま
せんが、少なくとも小生には、彼等の《集合的自我》のあるアストラル界では、
我々より高次の喜びや満足を感じているような気がします。

 残念ながら、小生は、この疑問について明快に解き明かしてくれている書
物やブログには出会ったことがありません。従って、以下の説明は自らの推
測の域を超えるものではありません。

( シュタイナーの言葉自体については、ブログで紹介されている方が
多数あるのですが、概して、文言の意味についての解説をされている
方は、それ程多くないのが現状です。)

 ★ 動物的で無いとは?

 さて、小生は若かりし頃《人間が動物に比べて優れている点は何か》
いうことを考えた事があります。
皆さん自身も、しばしその回答を考えてみてください。

 ……………………………………《考え中》………………………………














 当時小生が当時まず、思い浮かべたのは

 《① 言語を操ることができる
 《② 道具を使って物を創造することができる
 《③ 抽象的な思考をすることができる

 ぐらいでした。しかし次に、それらが全宇宙的なレベルで考えて、果たし
て本当に動物より優れているのかどうかを考えてみると、次々に欠点が見
えてきます。

 例えば言語についてみると、時と場所を超えて伝えるという点において
は確かに優れているかも知れませんが、実際の物や出来事がそのままの
形で伝えられているわけではありません


 物や出来事は《言語》に置き換えられた瞬間に、それは語られた人にと
っての物や出来事から、他の人の知っている判断基準による物や出来
事にすりかわって
しまいます。

 ということは、《言語》にしたために、かえって全く別の意味や印象を持っ
て伝えられることもあるわけです。その点動物は、教えられなくても本能や
直観力でわかるものが人間より多い点
で優れています。

 物を創る点はどうでしょうか。人類はその能力を発揮することによって、
衣食住の可能性を大きく拡大し、現在のような繁栄を築いてきたことは間
違いありません。

 しかし、一方で我々は動植物や地球環境に多大な負荷をかけて来まし
た。それどころか、現代の生産システムは、生きるために必要な量を超え
大量消費・大量廃棄をあおり、コンピューターウィルス等必要でないもの
まで創造
しています。これでは動物より優れているとは言えません。

 こうして最後に残るのが《抽象思考》です。中には何の役に立つのかわ
からないもの
もありますが、《思考》そのものが動植物や地球環境に害を与
えることはありません。(もっとも、霊界では違うようですが…) 

 そして《抽象思考》の中でも、特に優れているのが《芸術創作》であり、こ
れこそが、人間が動物に誇れるものであると、当時の小生は得意げに結論
づけたものです。
 ………………………………………………………………………………………

 しかしながら、その《芸術創作》でさえ、いざそれを表現しようとする時
は、我々は動植物・地球環境に対して、何かしらの犠牲や負荷を強い
ていることに気がつくべきだとシュタイナーは言うのです。

 例えば、至高の名曲を奏でるバイオリンも、その弓には馬の尻尾の毛
必要ですし、胴には数百年生きてきた樹木の体が使われます。
 感動の名作本にも、木々の体であったが必要です。電子媒体にしたと
しても、そのエネルギーとなる電力には化石燃料が必要です。

 ましてや、我々が生きていくだけでも幾多の動物性蛋白が必要です。菜
食主義を気取ったところで、動物由来の必須アミノ酸が必要ですし、植物
にしても、果実だけならともかく、その本体を食べるなら同じことです。

 《そうは言っても、そうしなけりゃ生きていられないじゃないか!》と言
う声がします。まさにそのとおりです。動植物もそれは同じで、シュタイナ
ーも、それ自身が《悪》だとは言っていません

 ただシュタイナーは《それが現世に生きるということなのだと自覚せよ
と言っているのだと、小生は思います。そして、自覚できていれば《動物的
な喜びと満足》
を受け取る事はできないはずだというのでしょう。 

 その後の続き具合からみると、どうやら《動物的》とは《喜びや満足》が
《不道徳》なもの
指しているような感じがします。そして、恐らく動物的と
は言っても、動物なら喜びを感じない類のものだと思います。

 以前にお話しした、動物を使った生体実験などがその例でしょう。実験者
にとっては、成功すれば感動もひとしおなのかも知れませんが、《霊界の存
在者達に、無限の苦しみを与える》
ものなのです。

 それに対し、苦しみや悩みを体験する場合は《道徳的な心》に変化すると
されています。実際、そのような人生であれば《動物的な喜びと満足》は少
ない
でしょうから、霊界に与える苦しみも少ないはずです。

 かといって、シュタイナーは道徳的な、面白みのない人生を送れ言っ
ているわけではないのです。苦難に立ち向かう人生を送れば、次の人生
で、価値あるものを創造でき、自身の能力を生かせる力がつくと言ってい
るのだと思います。

 さて、続きは次回第143夜でお話しします。

( 追伸 )

 中曽根君、君の喜びや満足は、
  現世でさえ無限の苦しみを与えるものだ。

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がま口財布をまた作りました

縮大がまぐちIMG_1262

がま口財布をいくつか作りました。もう少し大きな口金で、柔らかい厚いふわふわの接着芯を貼り、作ってみました。
付属の型紙を使いました。

表は白に水遊びの絵。
裏はピンクの水玉。

接着芯を貼り、表、裏を縫い合わせ、裏返します。
ダイソーや他の本の作り方によると、裏地の底をひっくり返す口にし、そのためあけておくのですが、どうもこうすると格好がよくありません。そこで、反対に、がま口につける口の部分をひっくり返し口にしてみました。ひっくり返してから、この部分はいつも軽いしつけをつけてからがま口の口金にはめています。なので、この方が手間がないし、形にも響かないと思い、やってたのです。

アイロンをかけ、いよいよ、がま口に本体をはめ込みます。

ボンドを口金に塗り、中心からはめます。右、左、と布がはめれたら、次は、ひもです。紐はこんどは非常に細いものにしました。厚い芯を貼ったので、細いのでないとダメです。

ちなみに今までいくつか作りましたが、この生地の厚さ、張り具合、紐の太さが、はめ込むときに重要で、心配な方は、作る予定の生地の端っこで、実際にはめこんでみるとよいです。ゆるかったら、紐をふとくするとか、薄い芯を貼るとか、工夫しないといけません。

100円ショップのはゆるすぎるといわれている方もいますが、はめ込む部分の布の厚さ、紐、ボンドの使い方、などなどを考えることでちゃんとできます。普通の薄さの布でも十分いけます。

紐を前後のがま口金にはめ、ボンドが乾いたら出来上がりです。
縮大がまぐちIMG_1260
縮大がまぐちIMG_1261
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青春のグラフィティコンサート続きの続き 山本さん、杉田さん、こうせつさん、

ちょっと間があいてしまったので、詳しいことは大分忘れました。

山本潤子さん、声が伸びやかで、きれいです。-中央フリーウェイ-卒業写真-など、ユーミンの歌が多かったです。ハイファイセットの曲を大学のクラブでのコンサートでやったことを思い出しました。
この方は 赤い鳥 時代から活躍されていると聞き、びっくりです。そうだとするともう、60超えている?とは思えない瑞々しいすばらしい声でした。

そして、杉田さん...杉田さんは、-息子-という曲が良かったです。太い強い声です。ギターの音も力強く、話も面白くみんなをわかせてました。私はこの力強さがちょっと苦手で、杉田さんは敬遠していましたが、生の-息子-は聞き入りました。

そして、こうせつさんは、一番目に お父さん...最初からみんなリズムに合わせ手拍子です。強いお母さん、弱いお父さんの話などでみんな、笑っていました。
それから、しょぅやんと一緒だったかどうだったか忘れましたが、
妹よ...これはよかった。ほんもの、かぐや姫です。
それから-神田川-を含む名曲の数々、圧巻でした。

これらの曲を一曲聴くだけでも多分、みんな、満足しただろうと思います。
最後に武田哲矢氏のビデオレターを見て、何曲かのアンコール....

満足でした。
帰りには、人並みの上、向こうに白い満月が出ていました。遠くから来ていた人もいたようで、青春18切符で来たといっている人もいました。とまりの人もたくさんいたと思います。でも、みんな満足でしたでしょう。とってもよいコンサートでしたからね。
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ようやく平熱にもどりました。-橋本七度煎を飲みました-

金曜日夜に38度を超えてから、一時7度台もありましたが、月曜日まで38度超えが続きました。
 
変だなぁ。体がしんどいなぁと思ったのが金曜日の朝、ずっとだらだらとそのまますごし、夜もっとつらくなってきました。床に入って体温を測ると38度。
頭も体も痛く、鼻水も出る...ただの風邪だろうと思っていたら、次の日に38.4度。薬を飲んで7度台に下がり、家族の送迎などをやり、次の日も同じように過ごしました。

日曜日も家族の送迎などがあり、車の運転をしましたが、体が痛く、どうにもたまりません。この日から熱は下がらずずっと高いまま。体は痛く、苦しいです。服の脱ぎ着も関節が痛くできません。

どうしようもないので、ひたすら寝て過ごしました。月曜日は用事があったので、行く予定でしたがそれもできずキャンセルし、寝ていました。熱はいまだ出続け、全然下がる気配もありませんでした。病院に行ければよいのですが、体が痛く、歩くのも車を運転するのも大変なので行きません。結婚する前は親がすぐに連れて行ってくれましたが、いまは家で運転できる人間は私だけなので、自分が病気の時は家で寝てるだけとなりました。

それにしてもあまりにもきつい連日の熱と頭痛と体の痛み、こう毎日、4日も続くと痛みながらふっと不安になります。
こりゃあ、ただのインフルだ。でも...違っていたら?
そんなことを思いながらひかない熱にうんざりしながら、

そうだ、薬を飲んでみよう、と煎じて飲んだのがこれです。実際は、もう一つ、牛黄入りの総合感冒薬も服していますが、生薬ばかりのこの薬はよくきいたように思います。
しちどせんimage
よく効くけど、におい、味...すごいです。もろ漢方です。小さい時から家でこの匂いに慣れている人はいいですが、初めての人には悪くはないが強烈でしょう。私は小さい時、親が風邪をひいたとき、うすめたものに砂糖を入れてもらって少しだけ飲んでました。
飲んでみたい方は専用カップを用意して飲んでね。うちでは茶色く変色したカップをそれ専用にしています。普通の湯のみで飲むと匂いがうつってなかなかとれません。

橋本七度煎
ようやく火曜日に平熱に下がり、今日は完全に平熱になりました。インフルかどうかわかりませんが、今回の身体症状はきつかったです。おかげで今まで一度も休んでなかったブログ更新を休んでしまいました。残念。

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着物と、帯を縫いました。

カテゴリわけで、着物ででなく、創作いろいろに入っています。

博多帯はこちら

麻の単着物はこちら

麻の単着物2はこちら
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風邪ひいてまんねん

風邪で体が痛く、マウスを使うのも辛いです。
先週は、遠出一回、お茶会、長丁場コンサート、京大阪へ日帰り、まではなんとかこなしましたが、風邪をひき、週末の放射能に関する講演ー立命館 安西教授ーは断念せざるをえませんでした。

たまたまいろんな行事が重なっただけなのです。いつもこう出かけているわけではないです。普段そう電車に乗ってない人間が電車バス、地下鉄に乗り、風邪の菌を吸い込んみ、体の具合が悪くなったのでしょう。

そんなこんなで、料理もなにもできず、だんなにいろいろと買いに行ってもらっていたら、
今日の朝、
「財布がない。落としたかもしれん」とのこと。なにー。体が痛く、だんなの首をしめることもできません。


痛む体を杖にすがり、だんなを車に乗せ、もよりの交番へと...
多分、買い物の際、買い物袋に商品をしまったときに、そのまま財布を忘れたか?途中で落としてたか?です。

くほほほ。いろいろと節約してもこれではなんにもならん。
大阪への日帰りがちょっと無理だということかもしれません。勤務先の割引がたくさんきくホテルを見つけたので、こんどは一泊してみることとします。

まだ布団の中が定位置です。



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風邪をひきました。

風邪をひいてしまいました。熱いのと寒いのと、両方の感覚。手も腰も目も痛く、寝てないとおれません。
しかし、このブログは毎日更新しているので、少しは書いてます。

この一週間、あちこちに出かける用があった上に、夜中に帰ってくることもあり、疲れていたところに人がいっぱいの電車などに乗ったためかと、思われます。大阪の行きの車内ではマスクの人も多く、なんだ?と思いましたが、風邪予防のためかもしれません。

家族にこれからはマスクをすべしと言われてしまいました。

インフルエンザも、胃腸風邪も流行っているようです。みなさんもお気をつけください。
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トンデモ話は奥で繋がる(141) 24.1.14

トンデモ話は奥で繋がる 「第141夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ⑪≫
 
 ★ 宇宙の真夜中

 こうして私達は、次第に《霊的環境》を照らし出す創造的な魂の力を失ってい
き、ついには全くその力を失います。もはや、外的には全くの暗闇となった状態
をシュタイナーは《宇宙の真夜中》と呼んでいます。

 「 そして私が《宇宙の真夜中》と述べた、死から新しい誕生までの
  人生における、あの中間点に到ります。

   その時人間は、最も力強い内面生活を持つようになっているの
        ですが、しかし外なる霊界に照明を当てることの出来る創造的
   な魂の力をもはや持っていません。

    無限の宇宙は私達の内部から内的・霊的に私達を満たしてく
   れるのですが、しかし私達は自分の存在以外のことは何も知る
   ことができずにいるのです。」

   (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p191  
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 すると、我々の中に、今までどおり《外界》が欲しいという願望が起こると彼は
言います。前夜でも述べたとおり、これは極めて自然な感情でしょう。暗闇にた
った一人、永遠に存在することなど、凡人にはできないのです。

 ただし、受動的に体験できる今までの《外界》はもはやありません。しかし、我
々は霊界で《創造する意志》を目覚めさせているのです。つまりこの《外界を
持ちたいという憧れ》
は、《外界》を能動的に創造する力に変わるのです。
 
 「 今や人間の中で、《憧れ》が積極的な創造力になる時期が始ま
  ります。…《憧れ》は霊界の場合と物質界の場合では非常に異な
  っています。物質界での《憧れ》は受動的な力であるのに対して、
  霊界ではその反対なのです。

   地上界での私達が何かに憧れる時、その憧れの対象が私達を
  左右しますから、その憧れは私達に受動的な態度を取らせます。

   しかし、霊界での憧れは、これとは反対に、創造的な力となり、
  新しい種類の魂の光となって、私達にひとつの新しい《外界》を与
  えてくれるのです。

   とはいえ、その《外界》は本当は《内界》なのです。つまり、私達
  のこれまでの輪廻転生の世界なのです。私達の《憧れ》の光に照
  らされて、転生の諸相が私達の前に現れるのです。」

   (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』
   pp191-192《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 ★ 転生のハードウェア

 さて、この先は新しい転生、つまり再受肉への話となります。これには実際の
《受肉》作用そのものであるハードウェアと、《新たな人生》の設計図とも言うべ
ソフトウェアの、ふたつの側面があります。

 うち『シュタイナーの死者の書』では、主にソフト面での様相が語られていま
すが、ハード面での展開については、前述の西川氏の訳による『神智学の門前
にて』
に、霊視者がアストラル界で見る受肉の様子が書かれています。

 少々長い引用になりますが、なかなか興味深い記述となっていますので、先に
こちらを紹介してみます。

 「 霊死者は全く特別の、注目すべき構成体を見る。鐘の形をした構
  成体
で、非常な速さで、アストラル空間を飛ぶように駆け抜けていく。
  それは受肉に向かって下っていく人間の萌芽である。

   やすやすと動くことが出来るので、この受肉に向かう人間の萌芽
  にとって、時間や場所はほとんど意味を持っていない。…これが、
  神界からアストラル空間に入って来た、人間の萌芽である。

   ここで何が生じるのだろうか。人間は、高次のアストラル体と、さま
  ざまな人生の果実であるコザール体を伴って、神界に到った。そし
  て、自分の周りに、新しい《アストラル実質》を集める。

   ばら撒かれた鉄屑が、磁力によってある形に吸い付けられるのと
  同じである。内在する力によって、人間は《アストラル実質》を自分
  の周りに集める。

   よい前世を送った人と、悪い人生を送った人とでは、異なった《ア
  ストラル実質》を集める。鐘の形の構成体は、かつてのコザール体
  
であり、古いアストラル体新しいアストラル体の力である。

   人間の萌芽は、古いアストラル体を見出すべきではない。人間の
  萌芽は、分化していない《アストラル実質》から、新しいアストラル
  体を形成
しなければならないのである。

   この経過は、人間自身に委ねられている。前世の諸力によって、
  新しいアストラル体の形と色が決まる。これは、よく注意すべき事実
  のひとつである。
  …………………………………………………………………………………

   どうして、この人間の萌芽は、荒れ狂ったような速さで突進してい
  くのだろうか。自分に適した両親を探さねばならないからである。猛
  烈な速さで飛んでいくことによって、両親を探し出すことが可能にな
  るのである。

   この人間の萌芽は、今ここにいたかと思うと、次の瞬間にはアメリ
  カにいるというふうに、あっという間に飛んでいく。

   次に、人間は助けを必要とする。高次の存在、リピカが人間の萌芽
  を両親の所に導き、マハーラージャアストラル形態に適したエーテ
  ル体
と、両親が提供する物質体に適したエーテル体を形成する。

   霊視者は、受精する時、両親の側から発展していく情熱の中に《ア
  ストラル実質》も見出すことが出来る。…そして、エーテル物質が東
  西南北、上下から突進してくる。

   常に、人間の萌芽に完全に適した両親が見つかる訳ではない。完
  全には適していないが、それでも、最も適した両親が選び出されるの
  である。
  
   また、人間の萌芽のエーテル体に、完全に適した物質体が形成さ
  れることも少ない
。《完全にエーテル体に調和した物質体》というの
  はどこにも無い。そのために、人間の魂と身体の間の葛藤が生じる
  のである。
  …………………………………………………………………………………

   受肉する直前に、死の直後に生じる出来事に似た、非常に重要な
  ことが生じる。…受肉の直前に、来るべき人生を前もって見るのであ
  る。細部に渡って見るのではなく、大まかな概略を見るのである。

   この瞬間は非常に大きな意味を持っている。前世で非常な苦しみ
  
を体験し、困難な人生を歩んだ人は、新しい人生の運命を見てショッ
  クを感じ、魂が完全に肉体の中に入るのを控えることもある。

   魂の一部しか、身体の中に入らないのである。来るべき人生を見て、
  このようなショックを受けた結果、白痴や癲癇持ちとして生まれるので
  ある。
  (…中略…)

   高次の構成要素が、最初から完全に胎児に結びついている、と思っ
  てはならない。…生まれてからあとは、様々に段階的に進化していく。
  教育にとって、もっとも大事なのは7歳から14歳の間の時期である。」

   (ルドルフ・シュタイナー『神智学の門前にて』pp64-67
   《イザラ書房(西川隆範訳)》より抜粋転載)


 《コザール体》とは、第136夜でお話しした、自らが前世で産み出した《人生の
果実》です。神界にいた《自我》は、そのコザール体を媒介として、新しい《アストラ
ル体》をまとうため、アストラル界へ降りてくるのです。

 そして、新しい親を見つけ出すと、その《アストラル体》と両親が提供する《肉体》
の間を取り持つ《エーテル体》が、四方八方から吸い寄せられて新しい4つの体
が完成します。

 ★ 生と死のサイクル

 さて、この経過を何となく聞き流してしまうと、ある重要なポイントが見逃がされてし
まいます。そこに的確なグラフを示してくれたのが、前述の西平直氏です。
まずは、下の図をごらんください。

縮輪廻  

     (西平直『シュタイナー入門』p129《講談社現代新書》より転載)

 上の図の真ん中の交点が我々の知っている《死》であり、両端の交点が《誕生》
です。つまり、人間の魂は転生のサイクルを繰り返しながら、4つの体を規則正
しく脱着してゆくのです。

 今まで述べてきた経過は、ちょうど後半の《山》の部分に当たります。《自我》
けとなる最上点を境として、《アストラル体》のみをまとう時期、《エーテル体》
加わる時期、さらに《肉体》が加わる時期が対照的に配置されます。

 そして、山を登ってゆく過程と、山を下ってゆく過程で、ちょうどビデオテープ
《順送り》《逆回転》に切り替えるように、ほぼ逆の現象を体験するということ
なのです。

 そして、前半の《谷》の部分が、我々の現世生活です。実はそこにも同じような
対照的な現象、4つの体の成長と衰弱があるというのです。これについては後述
しますが、この《谷》に沿った成長を促す教育こそがシュタイナー教育なのです。

 ここで第134夜の『生と死』の話を思い出してみてください。我々の《自我》は滅
することはありません
。とすれば《生》とは4つの体が全て結びついている期
であり、《死》とはそのいずれかを欠いている期間のことです。

 このように捉えれば、《生の期間》《死の期間》はまさに対照されるべき概念で
あり、《生の反対が死である》と言っても、全くの間違いではないことになります。

 ★ 望み通りにはなり難し

 さて、他にもいくつか興味深い点が見られます。

 スピリチュアリズムの世界では、《子どもの方が、両親を選んで生まれてくる》
ということがよく言われます。それは全くその通りなのですが、どうやら完璧に思い
通りという訳ではない
ようです。

 限られた選択肢の中から、できるだけ思い通りの人生を送るのに適した両親の
元へと生まれてくるのであって、多少の不満はある訳です。従って、《お前が我々
両親を選んだのだから文句を言うな》
というのは、少々言い過ぎなのです。

 《肉体》についても、望み通りの体が得られることはまず無いと言っています。
中には敢えて障害を背負って生まれる、高い意志を持った魂もあるのですが、その
場合でも、それが《望み通りの体》であるとは限らないのです。

 また、前世で大きな苦しみを体験した魂が、生まれる直前に今回の新しい人生の
概略を知ってショックを受け、肉体に完全には入らずに転生する場合もあると述
べています。

 これなどは《前世の苦しみの報いはないのか》とも感じてしまいます。再チャレ
ンジと言う意味で考えれば、それを乗り越えられる力を持って生まれてくるので
しょうが、現実に見せられてしまうと、やはり耐えられない場合もあるでしょう。

 蛇足ながら言うと、シュタイナーが《人間の萌芽》と呼んでいる、一瞬にして空間
を移動する鐘状のコザール体、小生には第五十六夜でお話した《マカバ》のよう
に思えて仕方が無いのです。
 
 さらに、この移動物体こそ、異次元空間から突然出現するUFOなのかも知れま
せん。とすれば、UFOが非物質的な動きをする理由も見えてきます。なにせ《生
き物》なのですから…まぁ取りあえず小生の直感にすぎません。

 さて、次回第142夜は、転生のもう一つの側面、転生のソフトウェアの話
へ入っていきます。

( 追伸 )

 中曽根君、君はとんでもない望みを持ったものだね。

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青春のグラフティコンサート続きの続き ばんばさん、さちこ しょうやん

ばんばさんは、いちご白書をもういちど、がはじめでした。いちご白書...哀切があります。声量もあるし、ひきこまれます。そして、おなじみのーsachiko-です。
実はさちこ...当時、あまりにもヒットしすぎ、どこを歩いてもさちこの歌が...スーパーなんか、よく流れてましたね。あんまり聞きすぎて、当時は食傷気味で、(長淵剛の順子もそうだった)かえってあんまり聞きたくなかったのですが、聞いてみたら、いい
この曲も帰ってからなんども頭の中をリフレインしています。

なつかしのメロディ...なんてじじむさく、昔親たちが懐メロを聞いていて喜んでいたのを横目に、ーああはなりたくないものだーと、思っていたのに、おなじような穴にすっぽりとはまってしまいました。

さちこ、醜いアヒルの...くだりはやはり心を打ちます。

ばんばさん、後こうせつさんが言ってましたが、汗びっしょりの全開モードで、熱唱だったようです。

そして、休憩をはさんでしょうやんですが、ここまでで、もう四時を過ぎてました。2時間、長くても2.5時間ぐらいだろうと予想したのが見事にはずれ、半分のアーティストを残し、もう、2時間以上経過です。一体いつまでやるんだ?
20分の休憩はみんながトイレに駆け込み、すごい列です。わたしはあいかわらず要領が悪いのか、最後尾からちょっとだけ前...もう始まるとアナウンスが聞こえると、
しょうやんの、海岸通?なごり雪?外なのでよく聞こえませんが、聞こえてきます。

列の人が、
しょうやん?うわーこんなの、ざんねんだぁ。
なんて、言っていましたが、この歌声で、みんながそそくさと会場にもどり、トイレの列は急速に短くなり、ふたたび席へと戻りました。

これからが
名曲の数々です。

しょうやん、さすがに人気がすさまじく、会場の前、後ろと、-しょうやんーの掛け声が...
わたしもー秀志さんーと掛け声をかければよかったと思った瞬間でした。しょうやん、ステージに立つととてもかっこよく、決まってます。そのうえ、ギター...うまい。すごい。双眼鏡を持ってきてよかったと思う瞬間です。

しょうやんの声はかすれているので、テレビだとちょっと...という感覚を持ちましたが、生はいいですね。とくに最後の曲、これも名前は忘れましたが、-君は......男に生まれてこなかったのかーという最後のフレーズ、いま思い出しても心に響きます。
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genre : ライフ

グラフティコンサート2012 続き 

永井さんの最後の歌は、震災後に作られた歌で、心にしみるいい曲でしたが、これも名前を忘れました。残念。

そして、次は因幡晃さんです。
因幡さんは長い髪、長身で、とっても都会的です。実物を見るのも聞くのも初めてです。
一曲目は-すいかずら-これがまた、いい。都会的、でも抒情感たっぷりです。
そして、お話は、外見とちがって親しみやすく面白いです。おはなしで秋田出身の方だと初めて知りました

-わかってください-はきれいでしたよ。不思議なのは、秋田の方のうたなのに、最後の-別れ-の曲なんかはなぜか急に、昔過ごした外国の街の-駅-を思い出しました。古くさい、でも情緒たっぷりのC駅...汽車と、駅の高い天井と...外の石畳の道と、シトロエンのタクシー...
因幡さんのうたは、街を歌っているんだけど、古い外国の都会のような哀愁があるんでしょうか?因幡さんのうたを聞いている間、外国の街角のレストランの明かりと、街灯と...つぎつぎにいろいろな光景が浮かんでは消えます。

因幡さんの曲の前だったか、あとだったか?

伊藤さんと、三浦さんと、永井さんと3人で一曲歌われました。
村下孝蔵さんの-初恋-です。
実はこの三人のコラボ?は前にも聞いたことがあります。三浦さんのデビュー〇周年記念コンサートが一昨年あり、先輩、同輩、後輩たちと見に行ったとき、応援にいらしてた秀志さんと、永井さんと三浦さんの歌声も聞いたのです。あのときもきれいな歌声でしたが、三人の-初恋-とは...村下孝蔵さんが亡くなってしまった今、聞きごたえがありました。

抒情的な歌詞に、3人の声がぴったりで、これまた、初恋を聞いていたころのことを思い出し、聞いていました。
初恋を聞くと、かなしい、切ないきもちになります。家に帰ってからユーチューブで初恋、踊り子、と聞いていたらとまらなくなって、パソコンの前から離れられなくなっています。

続く


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2012 青春のグラフティコンサート-名古屋ガイシホール-行きました

ガイシホールでコンサートがありました。先輩のNさんに誘われ行ってきました。青春のグラフティコンサートです。懐かしのフォークソングばかり...豪華なコンサートでした。
ガイシホールには初めて行ったのですが、笠寺行きのJRに乗り込むときから押し合いへし合いです。途中熱田で停車したのでここで人がおりると思っていたところが、降りない...

次の笠寺で人の波がホールまでえんえんと続きました。びっくりです。昔のフォークソングなどにそう人も来ないだろうと思ったのが間違いだったと、会場に入る前に気づきました。年齢も初老、もしくはくたびれかけた中高年の人ばかりです。としの人がこんなに来るとは...集まったミュージシャンたちの人気はまた゛まだすてたものではありません。

出演者はこうせつさん、しょうやん、伊藤秀志さん、三浦和人さん、因幡晃さん、永井龍雲さん、ばんばひろふみさん、山本潤子さん、杉田二郎さんでした。
ガイシホールって非常に広いのですね。スタンド席のステージより見ましたが、7000にん観客がいたそうで、拍手がそろうと壮観です。

始まりは皆さんがギターを持って一列に並び、そろって歌を歌った後、トップバッターは伊藤秀志さんです。

このコンサート、先輩と後輩と3人で行ったのですが、秀志さん...先輩です。こんな大きい場所で、7000人もの人の前で歌う秀志さん...フォークソングクラブの先輩があの、こうせつさんたちと同じ舞台に立って歌うとは...感激でしたが、双眼鏡で秀志さんをみると、違う人に見えます。

ち、違う人に見える...と、双眼鏡を後輩に、

後輩曰く-あっほんとうだ、やせたんじゃあないですか-

そして双眼鏡をN先輩に渡すと、
 
-緊張しとる-

緊張...三人で言ってしまいましたが...見てる方が緊張してたのかも?

何曲が聞き、福寿草を聞き、
さあ、次は、またもや先輩の登場です。 三浦さん、今日はギターの関さんはいないようです。

ここでいきなり-愛はかげろう-です。このような大きなところでクラブの先輩の曲を聴けることに感激しつつ、聞きます。いつもながら-愛はかげろう-を聞くと八事の交差点、大学の教室、夕方の空き教室から聞こえる-愛はかげろう-の歌声、ギター...思い出します。

三浦さんの最後の曲は帰郷でしたか?故郷、望郷でしたか?いい曲でした。
先輩たちが歌い終わり、次は永井龍雲さんです。

龍雲さんって、昔はアフロ犬みたいなイメージ゛でしたが、今は違います。髪はストレートです。
最初の曲は-閉ざされた部屋の窓を...-という歌詞の曲、すいません。題名は忘れました。
永井さん、声がきれい、歌もきれい...歌が始まった途端、聞きほれました。あたまに初夏の風がふきわたり、緑の梢がざわざわと揺れる...ぽろぽろと光のつぶがこぼれる...そんなイメージが次から次へとわいてきました。きれいなものはやはりいい...何曲か聞き、その後、秀志さん、三浦さん、龍雲さんで、村下孝蔵の-初恋-です。三人が替りばんこに歌っていたのがまたいい感じでした。

そして、コンサートは因幡さんへと続きます。

長くなりそうなので続きはまた
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ガイガーカウンターで測ったら 東名編④

 1月6日のブログでお知らせしましたとおり、新年早々「冷温停止」のウソをさらけ出
すように福島及び関東方面で、2・3日の二日間で、前年4月ひと月間の放射性物質量
に匹敵するセシウムが降下したとのことです。

 本年は、日本人の作成した初めての機器である「ガイガーFUKUSHIMA」が手に入っ
てから、改めて数値を計測するつもりでしたが、この事態を危惧する各方面から、各地
の空中放射線量を報告していただくよう呼びかけが行われていますので、及ばずなが
ら私も早速、東名高速の放射線量を計測してみました。

 (当ブログでお話ししてきたように、素人測定の上、計器の信頼性にも若干不安がある
のですが、少なくとも相対的な比較にはなるのではないかと思い、尾張地方の各地点の
空中放射線量を掲載してきております。)

 さて、今回の計測値は以下のとおりでした。成人式の関係で、豊川方面や伊勢湾岸道
の混雑が予想されたため、上りについてはかなり早朝にスタートしています。

東名図 

 上りについては、小牧JCTから庄内川の辺りまで、0.18μSVの数値が続きました。
その後、名古屋ICから豊田ICにかけては、車の量も少ないせいか、比較的低い数
値となりました。
 特に、今までは数値が高く出がちであった、日進~東郷間の林間部についても、
木の葉がすっかり落ちたせいか、放射線量はほとんど上がりませんでした。 

 一方、この日は予想通り「伊勢湾岸道」から「豊川稲荷」方面へ入ってくる車で、早
朝ながらかなりの車が走っていましたが、幸いこの区間の3車線化工事がかなり進
んでいるため、渋滞はありませんでした。
 しかし、やはり車の量によるものか、放射線量はしばしば0.18μSVを超えています。

 下りについては、既に「伊勢湾岸道」には渋滞情報が出ており、昼の早い時間帯に
も関わらず岡崎から東郷までは車の量は多めです。豊田を過ぎると車量は減りまし
たが、上りに比べ ると 放射線量はやや高めとなっています。

 さて、今回の数値を、比較的普通の条件であった前回(23年8月2日)と比べたグラ
フが下の図です。

縮東名 
 「美合PA」及び「日進JCT」付近を除くと、各地点とも同じかやや高めになっています。
(ただし、前回については上りには雨がパラついていました。)各地点の平均値を合計し
たものの総平均値では、今回の方が0.05μSV高くなっています。

 ただし、この上昇分が今回の大量放出の影響かどうかは微妙なところで、むしろ、年始
で各地方から訪れる車が運んで来たための上昇分の可能性の方が強いかも知れません。

 いずれにせよ、事故後の放射性物質を吸着した草木が枯れた今、初期の放射性汚染
が比較的少ないこの地方にとっては、他地域からの車が、放射性物質の最大の「運び
手」となっている疑いはかなり高いと言えます。
 
 この上さらに放射性物質の残留が疑わしい「瓦礫」を各地方に振り分けるのは、日本国
土にとっては自殺行為です。感傷的な「痛みの分かち合い」的論調に乗せられてはいけ
ません。今必要なことは、我々の次の世代のため、居住可能な地域を出来る限り広く保
つことなのです。

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トンデモ話は奥で繋がる(140) 24.1.8

トンデモ話は奥で繋がる 「第140夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ⑩≫
 
 ★ 浄福と孤独

 私達は、霊界において《創造する意志》を使って《霊的環境》を明るく照ら
し出す時、言い様もない至福感―宗教上『浄福』と呼ばれている感覚ーを体
験すると言います。

 「 こうして死者の魂は、創造的な力を目覚めさせる度合に応じ
  て、霊的環境をより明るく照らし出します。…創造的な力を自
      分の中に感じ取ること、自分の光を投げかけて、見えるように
  した世界へ参入することは、浄福としか言いようの無い感覚体
  験なのです。」 

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p61  
    《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 それ程の至福体験であるならば、いつまでも体験していたいものです。しか
し、シュタイナーによれば、この状態は、そうでない時期と交互に現れるよう
なのです。彼の説明を続けます。

 「 魂は、いつでも自分の霊的な照明力、創造力を環境に向け
  て放射し、それによって周囲の神霊達を体験できるようにする
  のではありません。

   この状態は、照明力が放射できないように感じられる状態と
  交替する
のです。この状態の時の魂は内的に鈍くなり、もは
  や光を放射できず、その全存在を内に向け、全く孤独な生活
  
を体験します。

   ですから、ちょうど日常生活において、眠りと目覚めが交替
  するように、死後の魂は、外界へ流れ出る生活と、内的な孤
  独の生活
を交互に繰り返すのです。

   内的に孤独な時の魂は、予め拡がりの状態で体験して来た
  ことの全てを内に取り込んでいますが、しかし今の自分が孤
  独であることを知っています。

   ―その時の魂は、意識を失っているのではなく、むしろ高め
  られた意識を体験
しているのですが、

  《 霊界が外に存在しているのに、私は一人だ。私が体験する
   全ては、心の内側だけで体験されている。》
  と感じているのです。
  (…中略…)

   ただこの《内的体験》を通してのみ、内なる証明力が再び強
  まるのです
。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p62  
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 この辺りの状況は、シュタイナーの言葉から想像するしかありませんが、小
生には、秋の虫が力の続く限り鳴いた後、しばらく闇の中に沈黙し、また次の
力を蓄えて鳴き始めるようなイメージに思えてきます。

 ★ 孤独の極みへ

 しかし、こうした状況もずっと続くわけではありません。やがて我々の魂は、
シュタイナーが死から新しい誕生までの霊的存在の真夜中と呼ぶ時期
へと近づいてゆきます。

 「 死から新しい誕生まで行き続ける魂はやがて、次第に自分
  の照明力が衰えてゆくのを感じるようになり、そして内的な孤
  独感が益々強まります。

   そうすると人間は内的に宇宙を体験するようになります。魂
  の内部に《全て》が入ってしまったのを知った魂は、いい知れ
  ぬ恐怖感に襲われます。」

  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』p63  
  《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)

 また、同書の終わりの部分では、このとき我々が受け取る感覚を次のように
表現しています。

 「 私達は次のように感じます。

  《 お前は今、お前の魂の証明力を次第に失っていく。周囲を
   霊的な意味で益々暗くしていかなければならない。

    お前はそうすることによって、霊的本性たちを見る機会を
   益々失い、益々孤独になっていく。

    お前は自分の魂の内容だけしか持てなくなる。しかし、外
   の存在を照明できなくなればなるほど、魂は豊かになってい
   く
。》

   (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』
   pp189-190《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 一見我々は、今まで力強く光り輝いていた《霊性》を次第に失い、闇の世界
の中に埋もれてしまうような状況
に感じてしまいますが、シュタイナーは最
後に《魂は豊かになっていく》と言っています。

 それを説明するように、こう続けられます。

 「 霊的孤独とは、もはや社会的な体験をせずに、霊的な暗闇
  の中で、これまで体験してきたものを思い出している、というの
  では無く、どの瞬間にも生き生きと思い出を作り出さなくてはな
  らない
状態なのです。

   それは、《絶えざる内的創造活動の時期》であるとも言えます。
   しかし、その時の私達は、外界があるのに、自分だけに関わり、
  ひたすら孤独な創造作業をしていかなければならない、というこ
  とを自覚しているのです。」
  
  (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーの死者の書』
  p190《ちくま文芸文庫(高橋巌訳)》より抜粋転載)
 

 つまり、今まで自分の外界に向けて霊的環境を感じ取ることに使ってきた
《創造する意志》を、自分自身の内側に向けて自分自身の魂の世界を創
ってゆく
くために使用するべき時を迎えた、と魂が自覚してゆくのです。

 しかし、それは霊的環境を照らし出す『浄福感』とは全く逆の、いい知れぬ
『孤独感』を伴う作業であり、決して楽しい作業では無いようです。一体何故
そんな選択をするのでしょうか。

 ★ 至高存在の孤独

 一般に、多くのスピリチュアリズムでは、『最も高次の存在』については、
全知全能の唯一の至高存在』として説明されています。そして我々も実は
彼の存在の一部でしかないとされています。

 しかし、《至高存在》は唯一の存在であるため、自分自身が何者であるか、
言い換えれば、自分以外の他の存在があるとすれば、自分自身をどのよう
に感じるのか
を知ることができません。

 そこで《至高存在》は、自分自身から個々に切り離された《分身》を生じさせ、
それに個々の《意識を持たせ、彼等の体験を通じて、自分自身のさまざま
な側面を知ろうとして、我々を産み出したのだと説明されています。

 しかし小生は、明確には説明されていない、もう一つの動機が加わっている
ように感じています。それは、《魂》が《自分自身の魂の世界》を創り出している
時のいい知れぬ《孤独感》と同質のもののような気がするのです。

 全知全能で唯一の存在であるが故に、《至高存在》には理不尽な対立や葛
藤は生じません
。しかし同時に、他の存在を愛したり愛されたりする喜び
を感じることもできません。

 手塚治虫氏は火の鳥宇宙篇で、不死の生命を得た主人公「山之辺マ
サト」
を登場させます。彼は、宇宙の全生命が死滅した後も、悠久の時の中を
全く一人で存在し続け、ひたすら他の生命の誕生を待ち焦れる日々を過ごしま
す。
 
 意識を持つ存在にとって、恐らくこれ以上の《孤独感》は無いでしょう。
《至高存在》にはこれと同じ『孤独感』があり、何とかその感覚から逃れる方
法を模索
しているのではないでしょうか。

 それが、自分の一部でありながら、自分を《他の存在》だと思い込む存在
創り出して、彼等に自由な喜怒哀楽の体験をさせ、その体験を持ち帰らせて自
分のこととして感じることこそ本当の目的ではないかと、小生は思います。

 《霊界》にいる時の私達は、まさに《至高存在》の意識に限りなく近づいていくよ
うです。恐らく《本当は自分は唯一の存在》であることも認識しているのでは
無いでしょうか。

 この時、《至高存在》の感じる《孤独感》も共有しているとすると、次にはその
感覚から逃れる方向へと向かうはずです。それが個別の意識を持つ世界―転
生への道
を選ばせるのではないでしょうか。

 無論、これは小生の直感に過ぎません。《至高存在》はそんな《孤独感》など
全く超越した存在
なのかも知れません。また、仏教の菩薩道も、最近のアセ
ンションの提唱者
も、そのような輪廻転生から解脱すべしと言います。

 しかし、少なくとも小生のような凡人は、そのような《孤独感》の状態に置かれた
まま、永遠の時を過ごす覚悟は到底できておらず、また転生への道を選んでし
まう
ような気がします。

 仮に全ての《個我》が覚醒してしまえば、全意識は一つになり、自分の他には
何も存在しない《孤独感》を一様に感じることになるでしょう。しかし、その覚悟が出
来ていない《個我》、(そしてもしかしたら至高存在自身)がある限り、輪廻転生は
永遠に続いてゆくのではないかと小生は思います。
      
 さて、次回第141夜は、いよいよ転生への転換点へと入ってゆきます。

( 追伸 )

 
中曽根君、君はプルト君さえいれば孤独ではない
のかね。


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豆乳ヨーグルトを何度か作りました。

コメのとぎ汁にぬかを少々混ぜ、風呂に入れたり、太陽光に当てたり、途中黒砂糖のえさをあげたりと、4.5日世話をし続け、自前の乳酸菌を培養しました。
詳しくはこちらをクリック
米のとぎ汁で乳酸菌を培養する

詳しくは上記を参考していただくとし、その乳酸菌で豆乳ヨーグルトを作ってみました。

もう、10回くらい作りましたが、失敗なしです。といっても、3回ぐらいは亀裂が入り、ちょっと柔らかめになりましたが、ほとんどきっちりと固まりました。

最初のものです。↓きっちりと固めにかたまり、亀裂もありませんでした。


縮豆乳ヨーグルトIMG_1212
最初はレンジの発酵機能を利用し40度で6時間やってみましたが、全く固まる気配もなく、保温容器に熱い湯を入れその上に容器を重ね、一晩そのまま置いたら、このように固いヨーグルトとなりました。

みんなのブログを見ると36度で6時間とかそれ以上とか言ってますが、なんと40度で6時間、その後、保温容器で8時間ほど...朝容器の中は少し温かみがありましたが、それほどの暖かさではありませんでした。

40度で何時間かやっても、その後、温度がかなりアバウトで、かつ徐々に下がっていく保温鍋に入れて成功するとは?

その後条件を変えて何度かやってみました。
入浴後の40度くらいの風呂に入れたところ、少し柔らかめ、あばたもちょくちょく...
また、出来上がったヨーグルトをぐりぐりと混ぜ作った時も少し柔らかめで気泡がありました。

どうやら、温度は36度でなくてもいいが、長く40度ぐらいから徐々に時間をかけて下げていくと、気泡が少なく亀裂も入らず、かたいヨーグルトができるのでは?
また、最初は豆乳に乳酸菌を入れ、静かに混ぜていたのですが、途中から容器にまず乳酸菌を入れてから、豆乳を静かに注ぎ、軽くあと混ぜることにしました。この方が固まり方がよいような気がします。

そして、豆乳と菌の割合ですが、皆さんの説明を読むと、10対1 か、9対1の割合と書いてあります。豆乳10で菌が1の方がより固く固まると書いてあり、
それでは11対1では?と思い、やってみました。

時間と温度条件は同じです。
確か40度で4時間、あとは保温容器にいれました。保温容器は大体40度から20度ぐらいになったと思いますが、なんどか保温する湯を買えたので30度台を保ち最後に放置したので、時間をかけて室温、10度くらいになったと思います。計11時間です。

菌は二つ、青いシールは前回作ったヨーグルトを種菌としたものです。そして、赤いシールは自作乳酸菌そのものです。
そして、豆乳と菌の割合を10対1としたものを黄色シール、11対1としたものを白シールとしました。

固まり方は同じでした。
食べてみた感想はというと、11対1のもの、白シールのものの方が固くてよいという評判でした。ヨーグルト菌と培養菌の違いはあまりないようでした。

↓左二つ赤 乳酸菌は培養したものそのもの 右二つ前回のヨーグルトを乳酸菌種菌としたもの
白シールは 豆乳11 菌1の割合 青シールは 豆乳10 菌1の割合 白と黄のシールはみにくいですが、よくみるとわかると思います。使用した容器は、アイスクリームの空容器です。
左から 白赤 黄色赤 黄色青 白青 です。

縮かっぷよーぐるとIMG_1219
縮かっぷよーぐるとIMG_1220

↓青ヨーグルト種菌 黄色10対1 青ヨーグルト種菌 白11対1
縮かっぷよーぐるとIMG_1221

①ヨーグルトを作るには36度を厳守する必要はない。
②風呂につけたヨーグルトを冬の室内に出したら崩れ、気泡が発生した。ヨーグルトの気泡は温度差で生じることがあるかもしれない。そう思い、徐々に温度を下げると固いものができ、気泡も出ない。冷蔵庫に入れる順番とすると、野菜室、普通室、チルト、といれるともっと固くなるが、気泡は生じない。
③種菌でも前回のヨーグルトを種菌にしても固まり具合に差はあまりないが、その量により固さの違いは出る。一般に言われている10対1より11対1の方がより固くなるようだ-40度から始め徐々に温度を下げていった場合による-

なんどか作っていたら↑以上のようなことがわかりました。

-豆乳ヨーグルトを作ってみたい方へ-

一番簡単な方法は、風呂に菌と豆乳を入れた容器をひもでぶらさげ、一晩おいて、急に冷蔵庫に入れなければ、割合固いものができます。オーブンもヨーグルトメーカーもいりません。風呂の残り湯でできます。また、コメのとぎ汁で乳酸菌は自作すると非常に強力な丈夫なものができますので、容器の消毒などそう気を遣わなくてもよいです。

みなさんもいちど作られたらいかがでしょう。豆乳ヨーグルトは市販のものより味は良いと思います。豆乳の匂いがするとか、豆腐みたいだと思われる方は、作って冷蔵庫に入れてから、4.5日おいてから食べると豆腐臭さが抜けます。固さも出ますよ。うちは一週間前のをチルドルームに入れてましたが、乳酸菌が丈夫なので何ともなってませんが、豆腐の味が抜けてよりヨーグルトの味でした。これは、自作の乳酸菌を使っているからこそでしょうね。♪
 最後に、豆乳ヨーグルトを500cc作るぐらいだと、キビ砂糖を大さじ1弱、餌として入れてやると、ヨーグルトのできがいいです。
入れないでつくれますが、入れたほうが失敗は少ないと思います。
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genre : 趣味・実用

一月二日、三日に相当量のセシウムが降下しているとのこと

こどもを守ろう、セーブチャイルド より...
福島県の1月2日・3日の2日間で降ったセシウムは合計で558Mbq/km2、11月の月間降下量より多い(東京の4月の月間降下量と同じくらい)
2日と3日のセシウム134と137を合わせると1平方キロメートルあたり558.1メガベクレルという結果でした。(1平方メートルあたり558.1ベクレルのセシウムが降ったということです。)

地震で四号機に異変があったのでしょうか?それにしてもマスコミも政府も何事もなかったかのようになにも言いません。
武田先生は
子供の服はまめに洗濯を...マスクの着用を、と呼びかけています。

急に線量があがっているということは、遠くまで風でセシウムが飛ばされる可能性もあります。今は北西の風が強いのに、福島市の線量も上がっているということは、濃い放射能がまた新たに放出されているということかもしれません。

マスク、と風向きのチェックはかかせません。
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genre : 心と身体

ミディアムシップワークに行ってきました12/23-5-

このミディアムシップワークを行っている-アイイス-では、単なる霊能力の開発だけでなく、霊性開花、霊性を高めることを第一としていて、それに伴い、霊能力なども開かれていくということをいっています。

霊性をあげる...といえば聞こえはいいですが、霊性って、どうしたらあがるでしょうか?このごろ私は疑問に思っていたのです。霊性を高めようと瞑想など、欠かさない人、スピリチュアルな道にまい進している人、宗教にはまっている人、善人だけと唯物的な人、霊的な能力があると自他ともに認められているけど、なんとなく、選民思想のある人...世の中にはいろんな人がいます。

私は霊性って、スピリチュアル的な修行に励むことばりでなく、日常の生活でできることではないか?なんて思っています。では、霊性を高める、と言ってわざわざスピリチュアル的な訓練や瞑想をするということは何だろう?なんて思っていたのです。というのは、スピリチュアルが好きで瞑想をやっていても、ちょっとした行動が、傲慢だったり、人を傷つけたりしている人も多く...いろんな矛盾を感じていたからです。

わたしなりに思っていたのは、瞑想を続けることで自分の想念を統御する、その他の訓練は超感覚に目覚めることにより、自分をもっと信頼し、より多くの知らなかった自分自身、世界を知ることができ、より大きな可能性のある人間へと向かうことができる...なんてことです。

霊性をあげる、霊性開花...一口に言うと難しいです。
このミディアム実習で、なにか質問は?と先生に投げかけられたとき、聞いてみようとしましたが゛、躊躇してためらっていたら、
なんと、隣に座っていた方が
「霊性をあげるにはどうしたらよいか?」と質問しました。
私の思っていたことと同じ質問です。こんなわかりきったようだけど、実は奥が深くて聞きあぐねていたことを、アイイスは初めての方が、そのままずばり、質問されました。

その答えは...
瞑想を欠かさずするということと、もう一つ、自分のしないこと、できないことをすること、と講師がおっしゃいました。

私はこの答えを聞き、瞑想をし、心を自分の意のままに統御しすること、そして、自分のできないと思ったことをあえてやってみることで自分の枠を超える...そういうことだろうと、納得しました。
限られた時間なので、もっといろいろなこともあると思いますが、この2点を中村講師から聞いたことは収穫でした。

瞑想をするということはこのような道を歩む者にとってはスタンダードです。そして、普通の生活の中で、いろいろと挑戦してみる...スピリチュアルことに限らず、それは人の幅を広げるでしょう。

霊性開花...瞑想なども必要ですが、日常生活での生き方、過ごし方も大事だということでしょうか。日常での心構えと、瞑想などの鍛錬、その両輪がそろってこそ、霊性開花がうまくいく...なかなか簡単なようで厳密にしようとすると非常に厳しい道ですね。
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genre : 心と身体

がま口を作ってみました

がま口を作ってみたいと思っていました。がまぐちはぱちんと閉まる感覚と丸っこい形が昔から好きです。がまぐちの口金には四角もありますが、丸いのが好きです。小学生の時は動物の顔の形のがまぐち、和布のがまぐち、いろいろと持っていましたが。大人になってからがまぐちはとんとご無沙汰です。

昔、相当使ったがまぐちに小銭を入れすぎて、がまぐちの口金から布がとれました。その時がまぐちの口金からだらんと紙ひもが垂れたのを見て
「こんな紐を入れて止めてあるだけか!」と驚きました。
頼りないひもと接着剤のみで、硬貨をたくさん入れるがまぐちの丈夫さに-ほぅ-と思ったことがあります。

その後、大きくなり、手芸店でがま口のセットや作り方を見て、やはり、がまぐちは布を接着剤とひもでがまぐち口金に固定するのだ、ということを知ったのですが、自分でつくると頼りない気がし、手をつけるのをためらっているうち何年も過ぎてしまいました。
着物を何枚も持っていて、残り切れもあります。残り切れはわざわざ、着物と揃えてバッグや財布を作ろうとわざと残した布もあります。

このまま死蔵していてもしかたない。がまぐちを作ろう。
そう思い立ち、まずは自作帯の余り切れで財布を作りました。
表地 絹の帯地
裏地 八掛布
口金はダイソーのものです。
布を切ります。
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縮さいふIMG_1234
裏地、表地を縫います。このダイソーの型紙ではがまぐちに入れ込む部分も縫っておいて裏返すようです。


口金に接着剤をつけ、ひもで接合部分を固定して出来上がりです。ついているミニ下駄は手作りです。
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先に自作してあった絹の帯とお揃いとなりました。
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がま口、つくつてみると面白くやみつきになります。
実はもっと大きいがまぐちバッグを作りたい...そのためには何度もがまぐちの口金をはめる技を鍛錬しないとなりません。また、ミニがまぐちを作ってパワーストーン入れにしてもいいです。

そんなこんなでまたもがまぐち口金を買ってきました。
今度は、布に芯を貼り付けたもの、キルティング生地を使ったもの、いろいろと試してみることにしました。

まずは、裏に芯を貼った花柄のブロードを表地に、張りのある青のギンガムチャックを裏地にしてみました。
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つぎはキルティング地の兎の柄の表地とカバ柄の裏地のつもりが...
なんと、口金に表裏逆につけてしまい、表裏が逆に...
がま口サイズも小さめです。
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せっかく兎を真ん中にしたのに、残念です。リベンジということで、こんどこそは兎を表、かばを裏、作ってみました。こんどはもっと小さく作りました。こんどはがまぐちに差し込むところを裏返さず、差し込んでみました。この方が差し込みやすかったです。
縮IMG_1247
縮IMG_1248

4つ揃えてこんな感じです。♡
縮IMG_1249
 
帯地以外のの布は何十年も昔に買ったもので、今見ると、
-青ばっか-だぁ...と、思います。
昔は青ばかりひかれていたな、昔の心境を思い出したりして、空の果てと海のはてのむこうにあこがれていたよ...

作ってみて、最初のものがやはり一番雑なつくりでも一番いい生地です。実物を見ると余計に感じますが、帯地のものは高級感があります。
手間は同じだし、あとのものの方が出来はいいのですが、絹の織物の存在感は違います。

4つ作ってますますがまぐち作りに魅せられました。まだ何個も作る予定です。

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三重、その他西日本の土壌調査-放射能-

三重県のいなべで、セシウム137が9.67/ベクレル/kgとのことです。

木下さんのブログより転載2010/1/3
【個別土壌調査・三重】

①三重県鈴鹿市
Cs-134 不検出(定量下限 3.72Bq/kg) Cs-137 不検出(定量下限2.52Bq/kg)

②三重県いなべ市
Cs-134 不検出(定量下限 5.52Bq/kg) Cs-137 9.67Bq/kg(定量下限3.72Bq/kg)

③三重県三重郡菰野町
Cs-134 不検出(定量下限 4.26Bq/kg) Cs-137 4.69Bq/kg(定量下限2.88Bq/kg)


使用機器 EMF211型スペクトロメーター

2011/8/24のぶろぐより
検査機関A(NAIシンチレーション使用 測定機器:EMF211型γ線スペクトロメータ)、定量下限以下でも数値が出たものは表示


滋賀県日野町セシウム合算4.9Bq/kg、ヨウ素ND 
和歌山県和歌山市セシウム合算4.9Bq/kg 、ヨウ素ND
兵庫県朝来市セシウム合算19.9Bq/kg、ヨウ素ND      
三重県四日市市セシウム合算6.6Bq/kg 、 ヨウ素ND 
岐阜県中津川市セシウム合算11.4Bq/kg、ヨウ素ND
長野県茅野市セシウム合算8.9Bq/kg、ヨウ素ND 

検査機関B(NaIシンチレーション使用  シングルチャンネルアナライザー)、検出下限20Bq/kg

兵庫県神戸市西区全てND

5から20ベクレルほど...ばらつきはありますが、西日本でも全体的に薄いですが、セシウムが蓄積しています。

木下さんのぶろぐにもありますが、
チェルノブイリ当時のフランスの平均数値はおよそ30Bq/kg未満位で、それよりも低い数字なのでまだましだといえますが、ばらつきはあれども細かい微粒子状の放射性物資が風にあおられ飛んでいたり、それなりに局地的に濃い場所があり、そこの場所のものを食べているかもしれません。

西のものでも、一か所のものばかりでなく、いろんなところの食品を摂る。A市の農協の野菜を摂ったら、次は北側のB市のもの、また違う市のもの...同じものを続けてとらずに、狭い範囲でも分散させてとる、なんてそんなことも考えたいと思います。

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トンデモ話は奥で繋がる(139) 24.1.2

トンデモ話は奥で繋がる 「第139夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪輪廻転生 ⑨≫
 
 ★ 自ら置いた石を取り除く
 
 一部の特異な人(?)を除いて、我々は皆、現世では幸福でありたいと願ってい
ます。しかし残念ながら、現実の世は全ての人が幸福になれるようなシステムに
はなっていないようです。

 無論、その原因のひとつには『闇の勢力』の創り上げた、巧妙な権力システム
もあります。しかし一方で、現世利益だけを考えるならば、むしろ『闇の勢力』に
擦り寄っていけば幸福になれるシステム
、でもあります。

 そんな《この世的な幸福》では無く《心の幸福》を求めるのだ、と口では言って
みても、いざ《この世的な不幸》が訪れると、何故自分はこんな人生を選んで転
生したのだろうと、自らの運命を呪いたくなるのもまた心情です。

 たった今の瞬間にも、恐らく世界中で《何故こんな不幸が必要なのか》という
嘆きが渦巻いていることでしょう。シュタイナーは、そんな悲痛な思いに答えるべく、
『照応する宇宙』の最後を、こう締めくくっています。

 「 人間は、霊界にいる間に、生前獲得した全ての能力を、次の転生
  における身体形成のために用いることができるようになります。

   生前獲得したにもかかわらず、身体に組み込むことが出来ずに
  いた全てが、新しい人生の身体を形成する力となるのです。

   しかしそれだけでは無く、生前の状況に迫られて自分が犯してし
  まった不正や悪を清算しようとする衝動を、自分の《原像》の中に
  組み込み、そうすることによって、新たな人生において、その不正
  や悪を清算できる状況に導かれるのです。

   清算すべきことを清算して、自分の不完全さを補うことの出来る
  状況に到るために、私達はこの世に生まれて来るのです。

   ですから私達は、隠された意志に従って、必要な苦悩を求めま
  す。そして、その苦悩を克服することで、かつて自分で置いた
  上の石
を取り除くのです。
  (…中略…)

   この世の人生は、それだけを単独で取り出したり、周囲の環境、
  民族、家族の働きから理解しようとする限りは、何もわかりません。

  …人生が明確に把握できるのは、人間が霊と魂の世界の中で、以
  前の人生の成果、精髄を身につけて、人生をこの成果の助けで新
  たに形成していく
のだ、と思えた時です。
  (…中略…)

   過ぎ去った人生を、喜びも無く眺めやり

   《 あの時の辛さは自分で用意したことだった、今の自分の慰
    めようも無い気分も自分のせいだ》
   
  と、思い悩むことが、この認識の結果なのではありません。そうで
  はないのです。私達はこのように言う事ができるのです。

   《 この運命の定めは、眼を過去に向けさせるだけではなく、
    未来にも向けさせる。苦しみを克服したなら、その苦しみが
    未来に役立つ力
になるからだ。私達が苦しみを克服すれば
    するほど、私達は強くなる 》   

   幸せの中にいると、高次の意味では受動的にしか生きられません
  幸福は、以前の人生の成果なのです。

   けれども、苦悩は力を育てます。苦悩を克服することで培われた
  力は、未来の生活を高めます
。人生が一段一段と高まっていくため
  には、死が生の中に働きかけなければなりません。

   このことが分かれば、死の門を平然とくぐる事ができるでしょう。
  この意味で『神智学』は理論であるに留まらず、人生の果汁であり、
  力付けなのです。

   この果汁と力によって、私達の魂の営みは、健やかに、力強くな
  るのです。」

   (ルドルフ・シュタイナー『シュタイナーコレクション 3』pp336-340 
   《筑摩書房(高橋巌訳)》より抜粋転載)


 ★ 本物のリベンジ

 いかがでしょうか。我々は、よく『因果応報』的な説話で

 《 現世で悪事をすれば、必ずその報いが来る。たとえ今世で何事も
  なくとも、来世でその罰を受ける 》

 《 あれだけの苦しみを背負っているからには、きっと前世で相当の
  罪を背負ったに違いない 》

という戒め的な展開を考えがちです。しかしシュタイナーの説に従えば、《不幸》
はもっとポジティブな選択なのです。それどころか信賞必罰的なものでさえあ
りません。

 確かに、シュタイナーも《幸福は以前の人生の成果》として、幸福であることを
否定してはいません。しかし、《幸福》はあくまでも前世での努力の結果を受領す
るだけのことであって、今世での新たな成長の糧とはならないのです。

 逆に、前世で犯してしまった、特に無意識のうちに他人を傷つけていたような
場面まで、死後の世界では《自分の身》を通じて体験験します。確かにその
験そのものは辛い罰と感じる
のかも知れません。

 しかし、それは《霊界》で体験するのであって、《来世》にそのまま持ち込むの
ではない
と、シュタイナーは言うのです。《霊界》ではむしろ、その体験を得たこと
によって、《それを克服し、一段階上に登る力》を得るのです。

 そうであれば、(誤解を恐れずに言えば)今世で過ちを犯し、例えそれを今世の
間に償えなかった、或いは全くその必要性を感じられなかったとしても、その経
験をしなかった場合より、来世でのステップアップの力となるということです。

 そして、そのステップアップを完成させる体験こそが《現世での不幸》なので
す。無論、前世での過ちから生じたものである可能性はありますが、その罰は
既に《霊界》で受けており
、《現世》では自らが課した課題のひとつなのです。

 もちろん、課題が大きすぎて《現世》では《不幸》に押しつぶされてしまうかも
知れません。しかし、それでもいいのです。そのまま死の門をくぐれば、さらに大
きな《それを克服する力》を得て
、また《来世》に向かうのです。

 《現世》では、どんなに苛酷な仕打ちを受けようが死によって中断されます。 そ
れによって《肉体》はいったん失いますが、《自我》はそのまま続きます。そしてま
リベンジに旅立つのです。
(小泉・竹中のリベンジはニセモノでしたが、こっちのは本物です。)
 
 それ故に、仮に自殺という方法を選んでしまったとしても、それ自体が責めら
れるわけではありません
。いずれまたリベンジのための力を得て《来世》に戻っ
てくるのです。

 かと言って、《死》を軽んじて、すぐに自殺に逃げ込んでもよいなどと言っている
訳ではありません。前夜でもお話ししたように、再受肉までは長い年月がかかりま
す。従って、それだけ成長するまでの期間が長くなるわけです。

 むしろ問題になるのは、《自我》がその課題から逃れられると思い込んで、自
ら《死》を選んでも、結局《霊界》では、課題を投げ出したことを後悔するだけ
ということを承知しておくべきだということです。
 
 こうして考えると、

 《こんなに何度もチャレンジするのはしんどい。そこから早く解脱したい》

 と思ってしまいますが、どうやら我々の《本性》は、中途半端な浄化など最初か
ら求めていない
ようです。嬉しいような悲しいような、とにかく我々は浄化のための
努力を怠ることなど、凡そ考えもしない性質を持っているようです。
      
 さて、次回第140夜は、《創造する意志》で来世を変える作業を続けて来た
我々が、《転生》へと向かう経緯についての話から入ってゆきます。

( 追伸 )

 中曽根君、君の次のチャレンジは相当ハードルが
高くなりそうだねえ。


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2012年が始まりました

2012年一月一日です。
このブログも2009年の冬至より。約2年を過ぎ。3年目へと突入です。始めた2009年はブログの内容について、スピリチュアル話、不思議なこと、食べ物、創作したものについ、着物、文学の話など、自分の興味のあることをきままに書くつもりで始めましたが、2011年3月11日の震災以来、がらりと内容編成が変わりました。
このブログの半分は放射能防御についての内容となってしまいました。

こんなこと、起きるとは思ってもいませんでした。本当にくやしく、悲しいです。原発災害が起こり、この国は変わりました。なにも変わらないと思っている人もいるかもしれません。しかし、いまだ、東京の水から-ヨウ素-が検出されるのですよ。半減期が八日という非常に短い周期の-ヨウ素-が出るということ、それはいまだに放射性物質は出続け、収まるどころか、どんどんたまっていっていることを表しています。

マスコミも、政府も冷温停止などと言い、もう収まっているかのように言っていますが、そんなことはありません。

放射能は見えないし、中部以西の人にとってはよその話とすることも多いです。でも、食品、中古車、目に見えないところで放射能汚染されたものがまわっています。

目に見えない放射能、その危険性、たくさんの人が健康被害を訴えるようになってからでは、-時。すでに遅し-です。今年も放射能防御について、つづけて取り組みたいと思っています。
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プロフィール

工芸美術をやっています。2017年からスペイン語の試験を受けています。が、ドンキホーテはいまだに完読できていません。握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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