2011.01.04
スピリチュアルと明るさ...正しさ ふざけ
このごろは、スピリチュアルな明るさにとまどいを覚えることが多いです。
何言っているんだ。お前は...
スピリチュアルエクササイズとお茶会なんて、やっているんじゃあないか...と、糾されたら、ぎゅうの音も出ませんが...言い訳じみてますが、私のスピエクササイズは、道徳的でも、明るさ/100パーセントでも、ありません。
一言で言えば、学んだことをみんなに伝える...ということですね。
見えない世界があると信じている、感じているので、そういったことが特別のひとのものだけではないと、訴えたい...そんな叫びにも似た感じでほえているだけと、いったところです。
私のスピリチュアルエクササイズはさておき、スピリチュアルな世界の人は、人生のあり方や、生き方をとくことが多いです。そして、光の道を歩こうとみんなを鼓舞し、率いていく...私は不思議なこと、おばけ、超常現象、神話の世界などは好きですが、道徳的に道を説くとか、どうも好きではありません。
友達とかが大変な思いをしていると、物事の捉え方とか...こう考えたらどえだろうとか、こんな楽な考え方もあるとかはつい言ったりしますが、いざ、人に道を説くか?となるとNOです。
確かに物事は自分の創造性にかかっているのだろうと、思ったりします。しかし、スピリチュアルの本...私も持っていますが、観念的かつ、実際の生活での対人関係での処し方や、金銭に対する考え方が、一律的...読んでいると飽きてきます。
この間、ビジネスコーナーの本を手に取ったら、内容がスピリチュアルの本とほとんど同じでした。人を動かす。豊かになる。売り上げを伸ばす...
なんだか、精神性と、功利主義とまぜこぜになっているようなところに、はっとした思いがありました。
人は民草ともいいます。この世におびただしく生えては消え、また生えてくる草のようにこの地球上には名もない庶民が生まれては死んでいく。草の人生。今、現実、アメリカ由来のスピリチュアルには乗り切らない草が、この地球には名もない人々が、うごめいている。
そんなことを感じると、スピリチュアルがはなばなしければ華々しいほど、うつろな虚しさを感じることもしばしばです。アメリカからのアメリカンドリーム的スピリチュアルは、どこか、疑問を感じざるをえません。
スピリチュアルの本。確かにすばらしいことを言っています。
そして、それをそのまま、世のチャネラー、ヒーラーは伝え、みんなを癒しています。しかし、私は思ってしまうのです。みんなおんなじではない。みんなそれぞれの抱えている心の淵の深さは一様ではなく、底にうごめくものも違う...
昔、学生のころ、同級生に宗教を勧められました。非常に戒律のきびしいところで、神の話に感動し、修行に励む同年齢の人たちを私は畏敬のまなざしで見ました。みんな、信仰深く、マジメだったのです。
そこで、神の話をみんながしていたときに、私は、急に、面白いことをおもいつき、知り合いに言ったら、まじめなみんなは驚きあきれ、年上のリーダーは目をつりあげて怒り出しました。
立派なことを言っている...確かに...
しかし、みんなおんなじ。つまらんなぁ。
やっぱり私はふざけた人間で、人間の矛盾や、光と共に暗黒、名もない人々の息遣い...そんなことを見ているほうが好きです。暗い小説。いやらしい物語。やくざの啖呵
でもなんだか感動してしまう...いつのまにか、そんなものがいっぱいつまっている文学、小説の方に走っているのです。ぜんぜん高尚でも、高次元でもないなぁ。
むかし、あのリーダーは言っておった...
-文学、小説なんか夢中になって...低俗だ-
低俗だっていいではないか。高次でなくても、神でなくても...
この世に生きている。生きているんだ。愛という高尚な言葉一つにくくれない、それぞれの真実、現実をよく見ていたい...
私も民草のひとつだ。わけもなく思うこの頃です。
何言っているんだ。お前は...
スピリチュアルエクササイズとお茶会なんて、やっているんじゃあないか...と、糾されたら、ぎゅうの音も出ませんが...言い訳じみてますが、私のスピエクササイズは、道徳的でも、明るさ/100パーセントでも、ありません。
一言で言えば、学んだことをみんなに伝える...ということですね。
見えない世界があると信じている、感じているので、そういったことが特別のひとのものだけではないと、訴えたい...そんな叫びにも似た感じでほえているだけと、いったところです。
私のスピリチュアルエクササイズはさておき、スピリチュアルな世界の人は、人生のあり方や、生き方をとくことが多いです。そして、光の道を歩こうとみんなを鼓舞し、率いていく...私は不思議なこと、おばけ、超常現象、神話の世界などは好きですが、道徳的に道を説くとか、どうも好きではありません。
友達とかが大変な思いをしていると、物事の捉え方とか...こう考えたらどえだろうとか、こんな楽な考え方もあるとかはつい言ったりしますが、いざ、人に道を説くか?となるとNOです。
確かに物事は自分の創造性にかかっているのだろうと、思ったりします。しかし、スピリチュアルの本...私も持っていますが、観念的かつ、実際の生活での対人関係での処し方や、金銭に対する考え方が、一律的...読んでいると飽きてきます。
この間、ビジネスコーナーの本を手に取ったら、内容がスピリチュアルの本とほとんど同じでした。人を動かす。豊かになる。売り上げを伸ばす...
なんだか、精神性と、功利主義とまぜこぜになっているようなところに、はっとした思いがありました。
人は民草ともいいます。この世におびただしく生えては消え、また生えてくる草のようにこの地球上には名もない庶民が生まれては死んでいく。草の人生。今、現実、アメリカ由来のスピリチュアルには乗り切らない草が、この地球には名もない人々が、うごめいている。
そんなことを感じると、スピリチュアルがはなばなしければ華々しいほど、うつろな虚しさを感じることもしばしばです。アメリカからのアメリカンドリーム的スピリチュアルは、どこか、疑問を感じざるをえません。
スピリチュアルの本。確かにすばらしいことを言っています。
そして、それをそのまま、世のチャネラー、ヒーラーは伝え、みんなを癒しています。しかし、私は思ってしまうのです。みんなおんなじではない。みんなそれぞれの抱えている心の淵の深さは一様ではなく、底にうごめくものも違う...
昔、学生のころ、同級生に宗教を勧められました。非常に戒律のきびしいところで、神の話に感動し、修行に励む同年齢の人たちを私は畏敬のまなざしで見ました。みんな、信仰深く、マジメだったのです。
そこで、神の話をみんながしていたときに、私は、急に、面白いことをおもいつき、知り合いに言ったら、まじめなみんなは驚きあきれ、年上のリーダーは目をつりあげて怒り出しました。
立派なことを言っている...確かに...
しかし、みんなおんなじ。つまらんなぁ。
やっぱり私はふざけた人間で、人間の矛盾や、光と共に暗黒、名もない人々の息遣い...そんなことを見ているほうが好きです。暗い小説。いやらしい物語。やくざの啖呵
でもなんだか感動してしまう...いつのまにか、そんなものがいっぱいつまっている文学、小説の方に走っているのです。ぜんぜん高尚でも、高次元でもないなぁ。
むかし、あのリーダーは言っておった...
-文学、小説なんか夢中になって...低俗だ-
低俗だっていいではないか。高次でなくても、神でなくても...
この世に生きている。生きているんだ。愛という高尚な言葉一つにくくれない、それぞれの真実、現実をよく見ていたい...
私も民草のひとつだ。わけもなく思うこの頃です。
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