fc2ブログ
   
01
   

感覚を目覚めさせる-スピリチュアルエクササイズ-

ひさびさに超感覚を目覚めさせるエクササイズについて書きます。

サイキック能力の発達はいろいろな感覚をとぎすます。通常の知覚を意識して使うことをまず心がける。そんなことから始まるのかもしれません。

知覚能力、触覚、味覚、嗅覚、視覚、聴覚を意識して目覚めさせる。そして、よく使うことが次の第六感の目覚めに必要なのだと、いいます。

よくある霊媒も、視覚型、聴覚型、感覚型、思考型などあるようですが、見えない世界もこの世と接点をもつにはこの世の感覚をベースにあらわれる、表現される以上、まずは通常の感覚をとぎすますのが重要であるともいえます。

そのためには、自然を体感するのが一番です。

 まずは、自分のくつろげる場所に行きます。

例えば、とある公園の水辺の大きな木の下がよかったらそこに行きます。
そこで、数分間、まずは-見る-ということに集中します。水辺をさらさらとこぼれる太陽光。木々のみどり。道を行く人の靴の跡。虫の動き...普段いかに見てないか、そんなことを感じるかもしれません。

そして、次は-聞く-ということに集中します。どうとふきつける風の音。とおくの水音。はるかかなたに響くこどもの歓声。

そして、-触覚-木にもたれていたら、木にふれている背中の感覚。顔にあたる日光の暖かさ。...

-嗅覚-花の匂い。みずの匂いetc

-味覚-自然の中で口をあけて、空気のなかにただよう香りを味わう。味はあるようなないようなですが、やってみる。

こんなことをやってみるとふかく自然とふれあうことになります。
なんどもやると、直観力がつき、創造性もふかまるそうです。

-アトランティスからのスピリチュアルヒーリング-によると、こういうことをつづけるとスピリットを感ずることができるようになり、地上の存在の背後にある存在を意識できるようになる。自然のかくれた音が聞こえるようになる と、言っています。

私たちは普段はそう注意してものも見てないし、聞いてないかもしれません。まいにちおんなじことの繰り返しなので、そう目覚めていないのでしょう。
たまには、意識して、自然を感じてみてもいいのではないでしょうか。

同じ場所でも、こうして感覚をひらいてみると違った風景に感じるかもしれません、それだけでも、心身がリフレッシュしそうですね。
関連記事

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

トンデモ話は奥で繋がる(75) 23.1.30

トンデモ話は奥で繋がる 「第七十五夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪プレアデス メッセージ ④≫

 ★『神々』の告白 

 さて、最初に「序文」の後に挿しこまれている、「故郷をつくる」 と題
された『神々』の言葉を紹介します。これは「第1章」の前に「語録」的
に置かれているものです。

 筆者は、いろいろな知性的存在からチャネリングをうけていますが、
この部分は「アヌンナキ(恐らく「アヌ」)」からのメッセージとしてチ
ャネリングされたものです。

 彼がこの言葉を発した背景がわからないと、意味がわからない部分
もあるかもしれませんが、まずは感覚的に捉えてみてください。

 「 我々『神々』は、人間が最初に持っていた統一性を少しも
   取り上げたわけではない。それは誰にもできないことだ。
   しかし、君たちの現実の一部をひどく歪めてしまった。

   遥か遠くまで旅するために、我々は強大な戦士となり、
   非常に男性的でもある。

   それに対して君たちは、本来ここに「故郷」をつくり、地球
   上のあらゆる種と調和して生きるべきなのだ。ガイアと共
    鳴するには非常に女性的であることが必要だ。

   我々は君たちに、あまりに好戦的で、強迫感にとらわれ、
    直線的な時間と空間しか見えない、怖れに満ちた状態
   
を強制した。そして今、これらの相容れない傾向が君た
   ちの細胞を破裂させている。

   ただ幸運なことに、君たちの遺伝子基盤には星からの誘
   因も含まれており、この細胞内の星の基盤が今こそ目覚
   めさせなければならない。自らを癒すために、多次元世界
   
と係わることが必要なのだ。」

 まずは、概略を簡単に解説しておきます。

 我々はアヌンナキによって、自分たちが本来「多次元」を体現でき
るにもかかわらず、彼らの巧妙な「現実の覆い隠し」によって、その
事実を知らないままにされたのです。

 我々は、

 ① 彼らが我々の感覚を操作するために創り上げる、「常に襲い掛
   かる恐怖感」
を持ち、

 ② 我々の起源や文明の進化を含めた「偽りの歴史観」を継承しな
   がら、

 ③ 偏狭な科学理論による「3次元的な現実の理解」に基づく、

この世界のみが、現実であると思い込まされてきたのです。

 そして、唯一『神々』だけが、我々の次元を超える存在であると思
い込まされ、彼ら「アヌンナキ」がその『神々』の座におさまっていたと
いうわけです。

 そして、あまりにもその締め付けが強すぎたため、「生命科学的」に
も「社会的」にも、人類が自らの個体を破滅させてしまう危険性の高
まりを、アヌンナキ自身も気がついたのです。

 ただし、幸いなことにこの地球は「フォトンベルト」内の領域に入っ
てゆく時期となり、自らの「多次元性」に目覚めるための遺伝子的特
性は活性化
されつつあるということです。

 そしてこの「多次元性」に関する説明こそ、「フォトンベルトの本来
の役割
」なのではないかと、小生は感じているのです。 

 ★ 魂の次元   

 さて、前段の文章を読んだ方に、質問しますが、「あなた」は「3次元
の存在」
ですか?
 (続きを読む前に、少しだけ考えてみてください。)

 まず、肉体だけを考えれば、確かにそれは「この次元」にあります。
しかし、「それ」は「あなた自身」ですか。あなたは、単に脳からの電気
的な信号を受けて動いている肉塊ですか。

 もし、そのように考えているのならば、これから先の話は、単なる「お
伽話」
として読んでください。
(「オーラの泉」で江原氏がよく言っていた台詞です。)

 その場合は「フォトンベルト」の影響のことを考える必要はないと思
われます。同書の内容を見る限り、恐らく「3次元的」な脅威のレベ
は、今までと全く変わらないと小生は思います。

 さて「肉体」以外に「あなた自身」の意識としての「魂」のようなものが
あると思われる方は、それが「どこ」にあるのか、また、それ自体は「
次元の物質
」なのかを再度考えてみてください。

 アメリカの医師ダンカン・マクドゥーガルは、「生前」と「死後」の肉
体の重量を比較して、死によって失われる重量である約21グラムを
「魂」の重さではないかと推定しました。

 (ウィキペディアでは「俗説」と切り捨てられています。確かに
測定方法の精密さには疑問が残りますが、死後「ある重量」が
失われるということを「誤り」とする根拠があるわけではありませ
ん。

 現在の「科学」では「3次元的に存在するもの以外は全て「存
在しない
」として切り捨てていますが、存在していても、単に我
々が感知できないだけなのかもしれません。)

 実際に「と呼ばれる実体」は、生命が誕生してから、ある時点で
どこからか入り込み、「肉体」を全体的に支配するようになり、「死後」
にはどこかへ消えてしまうように見えます。

 小生は、この現象そのものが、「光子」の現象に似ているような気
がします。つまり、どこかにはあるはずなのですが、突き止めようとす
ると「3次元的には見つからない」のです。

 このことは、我々の「実体」のうち、少なくとも「」については、既に
「3次元」以外の次元との関わりを持っているということではないか
と、小生は思います。

 と、言うよりむしろ「」は今いる「3次元の存在」ではなく、もっと
別の次元でとらえるべき存在ではないかという考え方もできます。

 そして、前段のアヌンナキの言葉は、もう一歩進めて、「魂である
我々
」がこの「3次元」の世界にいながら、「魂の故郷」である多次
の世界にも繋がる時が来たということなのです。

 ではいったい、多次元とはいったい何を指しているのか、その
中でフォトンベルトがどうかかわるのかを、次回第七十六夜
お話しします。


目次のペーシへはこちらから




☆直感で当ててみてね☆投票-40-
縮IMG_0786




関連記事

寒いときは紅茶

日本海側は大雪になるのでしょうか。

太平洋側のこちらも風が身を切るように冷たいです。今日は外を歩くときは毛皮もどきの上着を着ました。内側が毛皮、外が皮-みたい-な上着でエスキモーみたいな感じです。エスキモーって言ってはいけないか...イヌイットですか。そんなことはさておき、冷えた外気はこんな厚着でちょうどのものでした。

こんな時飲むのはやはりお茶です。
縮IMG_0831


濃い印度産の紅茶を飲むとおいしく、体も暖まります。今日も朝食でのみ、帰ってのみ、よく飲んでます。

ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...

印度紅茶販売さんからメールで教えてもらったのですが、しょうがを入れて飲むというのもいいそうです。詳しい出し方はまたの機会にしますが、今日、スーパーでしょうがをみかけました。

そういえば、しょうがを紅茶に入れるということがかいてあったなぁ...
そんなことを思い出し、しょうがを買いました。

今日はでかけたのであれこれ用意するのも面倒です。あしたにでもしょうが紅茶をやってみようかなぁ...なんて思っています。紅茶にしょうが...薬屋さんでパックのものは買ったことがあります。しかし、本格的にいれるのは初めてです。印度紅茶販売さんのやり方を参考にやってみようと思っています。
おいしかったら、また、書きますね。

投票-40-
2月には発表です
ぜひとも投票してください
写真を見て本の内容などを直感で当ててみてね縮IMG_0786



ブログランキング 
ぜひともクリックしておくんなまし
関連記事

theme : 毎日の暮らし
genre : ライフ

夕暮れの街かどで...犬がいた

今日は夕方、ちょっとしたことである人を訪問するため、手土産を買いに行きました。
夕暮れの街、サークルKのある角を車で信号待ちしていたら、犬をつれた女の人がやってきました。手土産はあの店のあのクッキーが...いや、どうせなら、タルトみたいなものもいいし...んなて考えながら信号の青を待っていると、
ひょこひょっこ、雑種とおぼしきベージュ色の犬が年配の女の人に引かれてやってきました。
うわぁ...背中が曲がっている。気もわさわさと長く生えていますが、なんとなくしょぼくれている。信号まで、右前足、左後ろ足、左前、右後ろと、だし、ソノ足の出し方が、よろよろとおぼつかない...

犬の背中つて曲がっているともなんともいつもは見分けがつかないですが、背中の真ん中からちょっと下方がぽこっと盛り上がり、なんとなく情けない感じです。

これは、歳をとった犬なんでは?ついでに飼い主を見ると、棺桶に首までつかっているような高齢とまではいかないですが、それなりの人生の重みがありそうな方でした。
歳をとった犬と、年をとった飼い主と、そろって交差点でひとやすみですが、いささか犬のほうが高齢のようで、よたりながら、夕日に向かって再び歩いていくのを見ると、
-この寒いのに、犬もたいへんだなぁ。たぶん、あの犬、もうおうちに帰りたいのだろうなぁ-なんておもいました。ついでに、犬の歩き方ってどんなんだろう?と思い出したら、気になってしょうがなくなり、交差点で止まるたび、犬の足をみましたが、犬って、右足前をだし、左足後ろをだすのか、右は前も後ろもいつぺんなのか...そんなことを考えちょうど通りかかったポインターの足を見たのですが、
これがはやい。
右、左、前後ろ、どれがとの順番にでてるかよく見えません。

犬の足をみるのもなかなか難しいです。
そんなことをしているうちにお菓子屋さんに到着しました。

買ったのは、クッキーやバターケーキのせっとです。多分、明日も犬を見たら足の動きを見てしまいそうです。
関連記事

theme : 毎日の暮らし
genre : ライフ

願望は?

私たちの日常は、だいたいが同じような暮らしぶりをし、決まった毎日を過ごす人が多いです。
そんな時、-あなたの願望は-とか、どうしたいのか?とか自分自身に説いてみると、はたっと立ち止まることがあります。
-いったい、じぶんは何をしたいのか-
-やりたいこと?-
-そんなことは若い人の考えることだろう-なんて言われる方もいます。
-そんな、今満足してるから、願望なんてべつにないよ-なんて思う人もいるでしょう。

まぁ、人間、特に現代人は忙しく毎日を送っているので、-何をしたいか-なんて、哲学的なまたは浮世離れした考えは思いもしないことも多いと思います。

しかし、たまに、考えるといいですよ。

人って、日常生活の輪のなかにどっぷりとつかっていると、いつの間にやら、なにも考えないでただ、もくもくと毎日を暮らし、過ぎていくだけの時間消費ロボットみたいになってしまうこともあると思います。

こんな、たいへんな時代に、-なにをしたいか-なんて、悠長なこと、考えられるか...そんなことも忙しい方は思われるでしょうが、ちょっと立ち止まるつもりで、-自分の願望-ってなんだろう...と、ふと、思い浮かべることって、いいんじゃあないでしょうか?
日常、気に食わない人がいたら、いつもそいつのことは-やなやつ-としか映っていません。しかし、ふと、そいつのことをどう思いたいのか?と、問う。
-やなやつともいいやつともなんとも思いたくない-そんな答えが返ってきたりして...

もうちょっとあいつとは距離を離れて付き合おう...なんてアイデアが出たりします。
-願望-たまには、自分に問うてもいいのではないでしょうか。

気づいてなかった自分の心の舵の存在に気づくことになるかもしれません。
関連記事

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

トンデモ話は奥で繋がる(74) 23.1.26

トンデモ話は奥で繋がる 「第七十四夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪プレアデス メッセージ ③≫

 ★ 回転軸の位置

 フォトンベルトと我々の太陽系との関係についても、いくつか科学的
反論がされており、その一つが我々の太陽系全体の回転運動について
のものです。

 ただし、その「回転軸」の位置については、ウィキペディアが「共通事
項」として記載されているものと『プレアデス銀河の夜明け』の説明とは
若干差異があります。

 肯定論の①では  

  「太陽系はプレアデス星団のアルシオーネを中心として約
  26,000年周期で回っている。」

 とあります。同書でも「アルシオーネを中心として」いるのは同じな
のですが、その周りを水平面として公転するのではなく、アルシオーネ
を頂点とする円錐形の側面に添って回転しているとしています。

縮円錐
(バーバラ・ハンド・クロウ『プレアデス 銀河の夜明け』
p75《太陽出版(高橋裕子・邦訳)》より転載)
 

 つまり太陽系は、この回転する「円錐形」のグループとして回転
ながら、銀河系を公転するということです。

 否定論の中に、プレアデス星団との距離そのものを半径とする
円上を26,000年で動くことは光速度に近い速度となり、物理的に
不可能だとの反論もありますが、それよりずっと小さい距離です。

 そして、その円錐の回転軸そのものがフォトンベルトの存在方
になっています。従って、肯定論③

  「フォトンベルトはアルシオーネを中心に垂直に分布
  しており、NASAが観測に成功している。」

 という前段部分とは一致しています。
 (「NASAが観測に成功している。」の部分については、前夜
  で述べたとおりです。)

 この運動からすると、否定論⑭・⑯

  「実際に26,000年周期で太陽系が銀河系を公転すると
  すると、光速度を超えてしまう(特殊相対性理論に反す
  る)。」

  「フォトンベルト説では、地球がプレアデス星団のまわ
   りを回っている説と、わずか26,000年で銀河を回る
   いう二説が、それぞれ相互に矛盾しているにもかかわ
   らず併記されていることが多い。」

 については、同書の否定の根拠にはなりません。また、「プレア
デス星団」の周りを回っている訳でもない
ので、否定論⑮の、

  「仮にプレアデス星団を中心に回っているとすると、そ
   こには銀河系を遥かに上回る質量がなければならな
   い。」

 というのも、同書には直接には当てはまりません

 ★ 科学的根拠とは

 さて、科学的な説明を求める否定論者に対して、肯定論⑧では、 

  「恒星レベルの運動を理解する科学力は地球にはない。
   故に、太陽系がプレアデス星団を中心に廻ることは有
   り得ないという批判は誤っている。」
 
 と反論し、それに対して否定論⑱では、

  「『恒星レベルの運動を理解する科学力は地球にはない
   としながら、「太陽系プレアデス星団周回説」を唱えるの
   は矛盾している
   そういった事実があると主張するのであれば、万人に理
   解できる根拠
を示す必要がある。
   一般的に、存在するという証明ができない限りは理論た
   り得ない。」

 とし、両者は水掛け論に陥っています。しかし、そもそも我々は現実
に存在している「光の二重スリットの現象」ですら、万人に理解でき
るような科学的理論を出せていません


 否定論者の論理で考えれば、「瞬間的に左右同時のスリットを通
り抜ける光子が存在する」
という証明ができなければ、「量子理論」
を出してはならないことになります。

 しかし、いまだかつて、そのような光子が存在する瞬間を見た科
学者はいないはずです。しかし、それを前提として「量子理論」は次々
と進展してきたのです。

 また、「惑星や星団が公転する際には、それに見合う質量がな
ければならない
」という理論についても、万人に理解できるとは思え
ません。(小生にはその必然性がさっぱりわかりません。)

 そもそも「重力が何故存在するのか」についてすら、現代の科学
では解明されていません。重力的根拠をかざしてあれこれ否定す
る方々には、まず重力について是非万人に理解できる説明をして欲
しいものです。

 (ちなみに、昨年の10月にはオランダのアムステルダム大学理論
物理学院のエリック・ベルリンド教授は「重力は存在しない」とい
う学説さえ発表しています。)

 我々の科学力など「そう考えれは上手く説明がつく」というもの
の寄せ集めに過ぎません。実際、物質を構成する最小単位ですら、
その時代時代で、次々と塗り替えられてきたのです。

 ましてや、その「科学的事実」が、一部の権威者や産業界の思惑
によって、限定的に「公認」「非公認」が決められているとしたら
どうでしょうか。

 我々は既存の「科学的根拠」を鵜呑みにしてはいけないので
。我々自身は、実生活の中で「科学的事実」とされているものより
遥かに多くの「非科学的事実」に遭遇し、利用さえしているのです。

 その意味では、否定論⑨

  「メディアで伝えられるフォトンベルトの実在性は科学
   的ではなく
、神秘主義の一種である。」

 は全く正しいと言えます。しかし「科学的ではない」ことと、「存
在しない」こととはイコールではな
いことを、常に心に留めておく
必要があります。

 また、否定論⑩

  「アセンションを唱えるニューエイジ系信仰の一つとし
  て採用されている。」

 というのも概ね正しいでしょう。ただし、忘れないで欲しいのは「科
学」も、一見宗教とは見なされない「信仰」
に過ぎません。
その「教義」に盲目的になるのは危険です。

(例えば、「予防接種」は科学的に「免疫」を得る方法とされて
いますが、その効果は不完全なものです。しかし、必要と信じ
わないのであれば、「注射信仰教」でしかないのです。)

 ★ ④・⑤・⑪は共通事項ではない

 肯定論②では、フォトンベルトの影響時期について、

  「地球は公転軌道の関係でフォトンベルトに一時的に
   入ったり出たりしているが、2012年12月23日
   は完全に突入し、通過するのに2000年程を要する
   と見られる。」

 としています。同書でもほぼ同じような説明がされており、地球は
1986年か87年の春分から公転軌道の一部がフォトンベルト
に入り始め、毎年その前後1週間ずつその期間が増えるとし
ています。

 つまり、地球はとっくの昔にフォトンベルトの中に入っており、
今年では、その外にいる期間はわずかに2週間足らずなのです。
その中にいることの影響は既に起こっていることになります。

 そして、全ての公転軌道がすっぽりとその中に入るのが2012年
の冬至の日
なのです。マヤ歴がここで終わっているのは、単にそ
の状態となる日
までカウントしていたに過ぎないのです。

 侵入がそれ程緩慢な上、今後2000年間は、フォトンベルトの中
に入っている期間が続きます。とすれば、何か変化があるとしても、
その日を境に、ピンポイントに何かが起こるとは考えにくいのです。

 肯定論④では、

  「フォトンベルトに突入すると強力な電磁波により、太
   陽や地球の活動に大きな影響が出て、電子機器が
   使用できなくなる
とも言われている。」

 と言っていますが、1986年以降、特にそのようなことは起こっ
ていません
。「完全に入った瞬間に起こる」という必然性も低いと思
われます。

 また、肯定論⑤では、

  「20世紀末から異常気象火山活動地震が頻発し
  ているのは、地球がフォトンベルトに入り始めたから
  とも主張している。」

 とありますが、直接の因果関係を説明できるとは思われません
し、同署ではそのような見解は述べていません。

 また否定論⑪で、

  「フォトンベルトとアセンションは、共に、聖書の至福 
  千年
との共通点もあるという指摘もある。」

 と述べられていますが、同署ではむしろ、999年1999年の過
去2回の宗教的世紀末思想について、「何かが起こる」と思ってい
た人がいたものの、999年には何も起こらず、また1999年にも
「結局何も起こらないだろう」(1995年著)としています。

 むしろ、これらの④・⑤・⑪の記述は、「アセンション思想」を利
用して、宗教的な誘導を図ろうとする集団の喧伝事項であり、フォ
トンベルトの「共通事項」として載せるには不適切と思われます。
  
 ★ サティアの説では

 それでは、同署では「何が起こる」としているのかというと、一言
で言えば『故郷をつくる時が来た』という表現がされています。と、
言っても「???」でしょうね。

 ついでに言えば、この言葉はなんと『神々』であるアヌンナキの、
我々への懺悔もこめた言葉であるといったら、増々「???」でし
ょうか。

 説明するのも非常に難しいのですが、次回第七十五夜以降
でその要点をまとめてみます。


目次のペーシへはこちらから
関連記事

紅茶が届きました

縮IMG_0831
去年、アッサムティを京都のお店に注文しました。
実は我が家は紅茶...それもアッサムが好きで、何年かまえまで、イギリスのフォートナムメーソンのアッサムを個人輸入していました。水色が赤くあざやかなのはもちろん、こくがあり、濃くてもそう渋みがなく、うまみがある...そんなアッサムに魅せられて飲んでいたのですが、フォートナムメーソンが個人輸入を受け付けなくなりました。
その時確か、送料も含めて、4缶か5缶のアッサムとほかの紅茶...全部を250グラムの大きい缶一個あたりに換算すると2000円しないことがよくありました。
日本では125グラムのものが2500円くらいで今でも売られています。日本では2倍から3倍で同じものを買わなくてはならない?ばかばかしくて、それからは国内のさまざまな紅茶を買いました。日本で買うので結局は100グラム2000円はするものが多かったですが...

缶入りの外国-主にイギリス、フランス等のヨーロッパのメーカーのもの-からの輸入物...日本の業者のもの、日東、トワイニングから、ウエッジウッド...etcでまわっているものはほとんど買いました。

しかし、なんか違う。おいしくないのです。
濃くない。うまくない。味わいが薄い...

いろいろといいものと言われるものを買ってもどうも違います。イギリスから直輸入したものと違います。なぜか?気のせいか?そう思いネットで調べたら、イギリスの紅茶などは、本国で売っているものと日本で売っているものと中身が違うようなのです。紅茶は、もともとはインドのものです。しかし、紅茶が欲しいがために、イギリスはインドを植民地にし、奴隷という考えの元、インド人を働かせ、紅茶やその他の富を奪い取ってきたという歴史があります。
当時、キリスト教徒でないものは、-人間ではない-という考えをもちだし、イギリス人はおおっぴらにインド人その他を奴隷としてわがものとしたのです。
そんなゆ歴史がある紅茶です。紅茶は緑茶と違って古いものをまぜて売ることをしています。そして、今でも紅茶の木はイギリス人のもので、おまけに新しい木を一般人が植えることを禁じているということを人に聞きました。印度の紅茶は一部の英国人が独占しています。

だからでしょう。たぶん、紅茶は、本当においしいものはなかなか手にいれられない。そして、イギリスの会社などが売っているものは、いいものは本国へ...そして、どうしようもないものは、昔人間と認めてなかった有色人種に売っているのでは?そんな想像をしていたら、あるイギリスに住んでいた日本人のブログで、-日本の紅茶はまずい。水のせいかと思っていたが、イギリスで買った同じメーカーの同じ紅茶を飲んだらあまりにも違っていた。そこで茶葉を見たら違っていた-と、書いてありました。

日本でおいしい紅茶がみあたらないわけがわかりました。日本人には、古いやぐい茶葉を本国の4.5倍で売って、自分たちはいいものを非常に安く...いや、ただぐらいの値段でインドから仕入れているのではないか?急に昔の奴隷の時代が近くに迫ってきた気がしました。

でも、日本人は、ブランド好きです。古い香りも味もないお茶を-ブランドの紅茶、いいもの-と飲んでいる人が多いと思います。なーんかやな感じですね。

うちもいろいろと買って飲み比べていたのですが、これはというものに行き当たらず、外国のものほとんどと、国内の輸入業者のものを取り寄せ4.5件めでしょうか。
やっとこれはと、いうものに出会えました。

アッサムのこく、うまみ..おいしさ...これなら飲めると家族が言いました。
いままで、紅茶は大体100グラム2000円以上はしましたが、驚くことに100グラム800円でした。安い...しかし、これがおいしいのです。紅茶が生きている感じがするのです。

私は人を集めてお茶会もするので紅茶がまずいのは-まずいのです-が、このお茶なら、人にだせると...やっといいお茶に巡り合うことができうれしい思いです。

印度紅茶販売の アッサム...いいですよ。おすすめです。
関連記事

theme : 食べ物
genre : ライフ

おいしいパリパリのパエリヤの作り方

サフランを買い、材料は全部そろいました。
材料
米 3合
エビ 中12匹
ムール貝みたいな貝 12個
小いか 両手いっぱいほど
鳥モモ肉でも胸肉でもお好みで 200グラムくらい
トマトの缶詰 中身1/2 カットしたものでも丸ごとでもよい
玉ねぎ 1/2個
にんにく ひとかけ
固形スープの素 1つ
サフラン 0.3ぐらむ入り一瓶
オリーブ油 大さじ4
日本酒 1/4カップ
塩、こしょう、レモンかゆず
水3カップ

以上です。
これはわたしのつくったレシピで本のものではありません。本では、日本酒でなく白ワイン、トマトは生を2つ、サフランは0.5グラム、イカは小いかでなくするめいか1ぱいです。また、スープのもとは1/2個、貝はあさりとのことでした。

まず、お米を洗い、ざるにあけ、水を切ります。
縮IMG_0802
縮IMG_0799
縮IMG_0800

えびは足などをとります。鶏肉は一口大にカットします。
玉ねぎ、にんにくをみじん切りにします。にんにくの風味が好きな方は2かけ使ってもいいです。

スープをつくる
鍋に水3カップを入れ沸騰したら、スープのもとを入れて溶かします。
縮IMG_0803

イカは皮を完全にむいて、吸盤もとり、7.8ミリの輪切りに...ということですが、私は取れたての小イカがあったので、それを使いました。小イカは小さく、うまくずるっと皮がむけず少しのこってしまいます。時間をかければきれいにとれるでしょうが、めんどくさいので、適当に皮をとりました。ですので、できあがりが、サフランの黄色にイカの皮の赤みが加わり、ちょっと汚い黄色になっちゃいましたが...いいとします。

鍋にオリーブ油11/2をたらし鶏肉を炒めます。
縮IMG_0804

オーブンであとから火を通すので焼き色がついたらよいです。
縮IMG_0801
縮IMG_0798

肉を鍋から取り出し、こんどはにんにくと貝をいれます。強火です。ちょっとたったら、えびといかを加えて炒めます。いかの色が白く(皮が残っているとしろと赤のだらだらもよう)なったら、塩コショウで味付けです。
これぐらいになると、肉や海産物のにおいと、にんにくの香りがたまらない感じになってきます。

トマトを缶詰1/2-固形分のみ-入れ、日本酒を入れます。
貝に火が通ったら、鶏肉がいれてあるボールに入れます。

その次に同じ鍋をさっと洗い、こんどはコメを炒めます。オリーブ21/2大匙 を入れ、玉ねぎを透き通るまで炒めます。中火です。コメを加えてこれまた透き通るまで炒めます。
このコメを炒めるというのが、なかなか気配りがいります。常に木べらを全体にかきまぜてないと、こげつき、なべ底にくっついてしまいます。しかし、思ったように、すぐには透明になりません。
5.6分炒めると、本には書いてあるのですが、まあまあ透き通るとおもえるまで、7.8分もかかるような気がしました。しかし、全部が透き通ったような気がしませんでしたが...とにかく、こげてもなんなのでこのへんで火を消しました。

ここで、オーブンの準備です。230度にあたためておきます。セットする調理時間は10分です。

ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...
スープを温めます。煮立つ直前にサフランをいれます。
サフランは0.3グラムです。びんのなかにちょっとだけですが、鍋に入れるとき、指の先にサフランがふれました。すると、さっと指の先が黄色くなりました。サフラン...ちょっとでもいい色が出ます。

サフランを入れたら、すぐに火をとめます。
 再びコメの鍋を火にかけ、温めます。暖かい米の鍋に暖かいスープを入れます。
ここで大事なことは、必ず、スープもコメも温めておくということです。
コメが冷えていると温度差のため、出来上がりが芯の多いパエリヤになってしまいます。どちらも温めておきます。

コメ入りのスープ鍋を少し煮詰めます。
煮詰めすぎずに、米に汁がまだかぶっている状態になったら、具を鍋に加えます。そして、さっと混ぜて、火を止めます。

天板に鍋の中身をあけ、広げ、オーブンに入れて10分焼きます。
周囲にうっすらと焦げができるまで焼きます。

食べるときにレモンやゆずのくし切りを添え、しぼっていただいてもおいしいですよ。

今回はずいぶん昔のレシピを参考にしましたが、やってみると、平日の夜の料理としてできるくらいで、普通の料理より手間かなぁ と、思えましたが、作り出せば、それほど大幅に時間がかかることもなくできました。

うっと思ったのは。ご飯の黄色です。
0.5グラムではなく、お金をケチって0.3グラムのサフランにしたせいか、イカの皮のいろのせいか、両方でしょうが、色が鮮やかでなく、くすんだ黄色になってしまいました。
縮IMG_0805


食べながら、さふらんをケチったせいか...なんて言っていたら
子供も旦那も
「サフランなんかいらん。なに、まだ材料がある?また、食べれるのか」うれしそうにぱくぱくと食べまくり、すぐに天版一枚分の-パエリャ-はみんなのおなかの中に消えたのでした。

キッシュも作ってすぐにまた、食べたいと家族が言うので、2枚目を焼きましたが、パエリャ(サフラン抜きで)ももう一回やることになりそうです。

パエリャ鍋ではないですが、オーブンで焼くと本当にぱりっとでき、おいしいですよ。
どうしても多少、上の部分に芯は残りますが、外国のコメ料理はこんなものでしょう。これは、海の生き物をたくさん使っているので、うまみが多くおいしさ抜群です。
みなさんも、一度作られるとよいですよ。
ただ、天板の隅に溝が少しあるのでそこだけ、柔らかいご飯で...なんてこまった点もありますが、おいしいです。えび、いか、鶏肉がそろったら是非おつくりください。

投票-40-
直感で当ててみてください。結果発表は2月はじめです

縮IMG_0786
関連記事

theme : 食べ物
genre : ライフ

私のタカラキッチンの △なところ...ガスコンロが△

去年、キッチンのことを書きました。8月末にリフォームして、どんなか?使ってみた感想。なにか、不具合、不便は生じたか?いくらタカラの最高級キッチン、レミューでも、すべてがよいわけではないだろう...そう思われる方もいると思われます。
4か月経ち、感じたのは、キッチンそのものはよいです。掃除もそんなにしなくてもいいし、使いやすいし、それほどなにかが気になることはありません。

しかし、このキッチン...あるところが、ちょっと...とおもうのです。

それは、ガスコンロと、食器洗い乾燥機です。

まずはガスコンロから...
実は9月から使い始めて、10月ごろ、ガスコンロの排気口のカバーを初めてはずしました。食器洗いで洗うためです。その時に、排気口を見て、なにか違和感を感じました。
「なんとなく狭い排気口だなぁ」なんかおかしい気がしましたが、気にしませんでした。だって、新品のビルトインガスコンロですから...こわれていることもないだろう...勝手に思い込んでいたのでしょう。気にせずそのままにしておきました。それからまた、油汚れが気になり、またも排気口を覗いてみました。

すると、排気口が狭い。しかも奥の壁との間に隙間があるじゃあないですか...

排気口の中の奥側のステンレス?の板がぐわっと曲線を描き、真ん中は奥の壁と離れています。板が奥にぴしっとくっついてないので、本来の排気口が狭くなっています。その隙間を見ると中が空洞で広がっています。

ややっ...これでは野菜カスとかとんだら中に入り込むんじゃあないか。

私はこれはおかしいと思いました。しかし、新しいし、これってメーカーにいうほどなのかなぁ。普通なのかなぁ?と思いそのままにしていたところ、ちょうど、ある機会でガス器具を見ることができました。そこで、ガス器具をみたら、そんなふうにおくの板が湾曲し、すきまが空いて、ほんらいの排気口が狭くなっているなんてことはありません。

そこで、さっそく、リフォームの業者のひとにきてもらったところ、
いろいろとドライバーではずしてなんとかしようとしてくれたのですが、なんともならなく、メーカーに来てもらうことになりました。
メーカーは、キッチンはタカラですが、ガスコンロは-パロマ-です。パロマにさっそくリフォーム会社から連絡をするといっていたのですが、これが非常に遅い。2週間ぐらいはなしのつぶて...パロマがこんなに遅い対応なのか、リフォーム会社が遅く連絡したのか?わかりません。ただ、その後、食器洗い乾燥機も不具合が発生したのでそのときに同じようにリフォーム会社を通じて連絡したのですが、こちらは2日ぐらいで来てくれました。

1週間、十日以上待ち、パロマの修理の人が来ました。
やっぱり、奥の板はおかしかったようですが、分解をしていろいろとやったらぴしっとはまったようです。

しかし、不具合はこれだけではなく、じつはこのコンロ、グリルの火をつけると、ブーンと音がするのです。まるで、大きいバイクが近くの道路を走っていくような音です。魚を焼くたびに、ブーン...餅をやいてもぶぅぅぅぅうぉーん、何台のバイクの音をきいたでしょうか。いままではリンナイのものを使っていたのですが、こんな音は聞いたことはありませんでした。

「あのう。グリルを使うたびにバイクのエンジン音のようなうなる音が聞こえるのですが...」そう修理の人に言いました。
修理の人は-空気の調節をすればいいです-と、言い調節をしてくれました。
また、空気の音だから、おかしいことではないといったこともいわれたような゜気がしまいす。しかし、よく考えるといままで、こんなブンブンキッチンにであったことはありません。

ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...

おかしいじゃあないのか?パロマ...

また、今まで、グリルの上火と下火の火力はそう違わなかったのですが、使っていて火力が違うのです。まったく同じ位置にしていても下が強すぎる。また、焼きむらが、以前のコンロに比べて大きく、水なし両面コンロでも裏返しをよくしないとなりません。


これって、ちょっと雑な製品じゃあないの?私は思いました。
今までは同じ機能の水なし両面焼きでもこんなに焼きむらはありません。

おかしいなぁ。パロマの人に言ったら、-3分間から焼きをして使えばいいですよ-と、言います。
修理は終了しました。

ああ、そうか...

そう思い、3分間から焼きをして使うことにしましたが、焼きむら、上と下の火のアンバランス、まだあります。
同じ火力で縮グリル1IMG_0823

白いかたいパンを置く
縮IMG_0822

7分後の上面
縮ぐりる2IMG_0824

7分後の下面、-裏返しました-
縮ぐりる3IMG_0825

縦に高さ4.5センチのものを置いてみました。すきまは少なく、タイトです。
縮ぐりる4IMG_0826


写真の一つは上面をそのままとったもの、もうひとつは下面を裏返してとってみました。下面のほうが大幅にこげています。温度はどちらも同じ位置にしています。これは、どうも製品のクオリティが低いのではないか?そんなことが頭に浮かびます。
そして、修理したはずなのに、まだもブーンとちいさくなった音が続きました。不思議なことにこのごろはかんじませんが...

このパロマのガスグリルの不満はほかにもあります。それは、網から上まで、4.5センチしかないということです。
一度魚を焼いたら、ひれが高温で反り繰り返り、天井に達し、焦げ落ちるし、高さは4.5センチのものはほとんど隙間はなくなるので、いれることはできません。3センチくらいでも焼きにくいです。

もうちょっと上までの高さがあれば...
それに、このグリルのトビラは跳ね上げ式になっていて、魚を出し入れするときに邪魔になるし、さわると危険だし、しかし、焼きむらがあるとなんども魚を返さねばなりません。
魚を触り、裏返し、身が崩れるたびにやな感じ...と言いたくなります。

もうちょっと、使いやすい設計にしんか。こらっ。いいたくなります。だって、おなじようなグリルで今まではそんなことは思わなかったのですから...

システムキッチンは各キッチンメーカーの採用しているガス機器メーカーのものを自動的に選ぶことになります。ですからでしょうか。ちょっとお粗末な気がします。
みなさんもキッチン、ショールームだけでなく、ガス器具、電気メーカーの展示会などにも行かれて、熟考されるといいですよ。キッチンの組み込み機器、すごくわるくはない...でも、なんか、雑な仕事をしてる気がします。キッチンメーカーで決めてしまえば自動的に売れるから、緊張感がないのでしょうか。タカラのキッチン自体は非常にいいのに、惜しい気がします。

それから、あと、△な点は、食器洗い乾燥機です。そのことについてはまた書きますね。

投票-40-


縮IMG_0786
結果は2月はじめに発表します
関連記事

theme : 住まい リフォーム
genre : ライフ

トンデモ話は奥で繋がる(73) 23.1.22

トンデモ話は奥で繋がる 「第七十三夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪プレアデス メッセージ ②≫

 ★ フォトンベルトとは

 初めに、「フォトン・ベルト」についての、小生の現時点での考
を明らかにしておこうと思います。小生は、この件について、大
きく3つの点に分けて考える必要があると思います。

 【1】フォトンベルトが存在するのかどうか
 【2】存在する場合、その確認ができるのかどうか。 
 【3】存在する場合、その影響とは何なのか

 【1】については、存在する・しないのどらちの立場もとっていま
せん
。それ自体が「3次元的」に存在するものなのかどうか
断ができないと思うからです。

 【2】については、現時点の科学力で「3次元的」に明確に確認
することは、恐らくできないのではないかと思っています。

 【3】については、「3次元的」にはほとんど何も起こらない
ではないかと思っています。特にウィキペディアで「共通事項
とされていることについては、明確な根拠はないものと考えます。

 以下、その考え方の拠り所について、順を追って説明してゆこう
と思います。

 『プレアデス銀河の夜明け』では、「フォトン・ベルト」 について
サティアが次のように説明しています。

 (1) フォトンとは電磁的エネルギーの量子(最小の粒子)
  で、質量はゼロ、全く電荷を帯びず寿命は無制限とい
  ってもいい長さです。

  (2) 量子物理学によると、ポジトロニウム電子陽電
  子
1個ずつで構成され、陽電子は電子の反粒子に当た
  るので、やがてふたつは衝突して2個の光の量子、つ
  まりフォトン(光子)になります。

 (3) この衝突は本質的な二元性を光に分解し、また電
  子は活性化(生命)の基本単位なので、陽電子(カル
  マ)の変換
を誘発します。

 (4) 従って太陽系にフォトンの光が増えていくと、あな
  た方のカルマは情報に変換されていきます。

 (5) 人間がカルマを開放すると、反粒子と電子が衝突
  し、光量子ができてフォトン・ベルトが具現化します。

 そもそも、「フォトンベルト」自体を、漠然と「光の帯」と考え てい
る方が大半だと思いますが、そもそも「フォトン(光子)」そのものが、
一般人には難解な性質を持っています。
 
 ★ 謎の物体「光」 

縮IMG_0010  まず(1)で、あっさりと「フォトンは量子である
と説明していますが、「量子」のもつ不可思議性に
ついては、かのアインシュタイン博士も最後まで
納得できずにいた理論なのです。

 以下、『「量子論」を楽しむ本』(佐藤 勝彦 監修
 PHP文庫)
から抜粋して紹介してみます。 

  「量子」というのは一般的な「粒子」とは違って
存在場所」が特定できない分布確率図のようなものです。(もうこの
時点で一般人の理解を超えるものです。 )

 「光が量子」であることの有名な現象として、光の「二重スリット」 の
通過実験があります。光源とスクリーンの間に左右のスリットを持つ
ついたてを設けると、スクリーンに光の干渉縞ができるものです。
 縮スリット

『「量子論」を楽しむ本』(佐藤 勝彦 監修 PHP文庫)p44より転載

 しかし、左右どちらかのスリットを閉じた途端、スクリーンには一本の
光の帯
しか出来なくなります。左右のスリットが同時に空いている時の
み、干渉縞ができるのです。

 この場合、光が単なる「粒子」であれば、個々の光子は必ず左右どち
らかのスリット
を通り、スクリーンにはスリットに見合った二本の光の帯
しか出来ないはずです。

 しかしどんな場合でも、二本のスリットがある場合は、干渉縞ができま
す。これは、光があたかも左右のスリットを同時に通り抜ける「波」
ようなものでない限りおきない現象です。
 
 この場合、量子論の世界では、光の1つの量子は、スリットを通る瞬間
には、左を通るものと右を通るものの2通りが存在し、その直後には1
つに戻っていることになるのです。
縮同時通過
『「量子論」を楽しむ本』(佐藤 勝彦 監修 PHP文庫)p213より転載

 さらに、「電子銃」で電子を一個ずつ、ついたてに向けて撃ちこんでゆく
と、スクリーン上で最初はばらばらに分布していた到着点が、撃ち込む
回数を増すごとにきちんとした干渉縞を作るのです。

 これは、まるで「電子」の一つひとつが、最終的には同じ干渉縞を作るた
めに、予め自分の到着点を決めているかのように振舞っていることを
意味するのです。
縮光子銃 
『「量子論」を楽しむ本』(佐藤 勝彦 監修 PHP文庫)p151より転載

 ところが、一つひとつの電子が左右どちらのスリットを通ったのかを確認し
ようとすると
、観測装置の発する光子のために、本来の電子の波が収縮し
てしまい、決して干渉縞は観測できないのです。
縮観測 
『「量子論」を楽しむ本』(佐藤 勝彦 監修 PHP文庫)p163より転載

 我々の「見る」という行為も、物体に当たって反射した光を、網膜の視細胞
が感知することで成立します。つまりミクロの世界では、我々には「見る前
の実体」を観測できない
のです。

 故に「光が量子」であるという意味は、「我々は本物の光(の振る舞い)
を見ることは出来ず、我々に観測された瞬間、光はその性質を変えて
しまう
」ということなのです。

 この理論に最後まで抵抗を示したアインシュタイン博士は、 「それでは、
月は我々が見ていない時には存在しないということになる
」 という有名
な台詞を残しています。一般人にはよくわかる心情です。

 我々が当たり前のように「見ていると思っている光」は、その本質のうち、
3次元的な「影」のような部分でしかないのです。量子論に従えば、「光」
の正体は、現在の科学では捕えられない「異次元的なもの」なのです。
 
 (2) でフォトンは「電子と陽電子1個ずつで構成されたポジトロニウム
衝突してできる」としています。つまり、フォトン・ベルトとはポジトロニウム
が次々と衝突して、そこから光子が飛びだしてくる一帯
であって、光そ
のものの帯ではない
と思われます。

 その意味で、ウィキペディアの反論⑫

 「そもそもフォトンは光子であり、フォトンの帯が形成されること
  はない。」

 というのは正しいのではないかと思います。ただし、それが発生する一帯
が存在するかどうかについては、「光」が我々の次元を超えた性質を持
っている以上、確認すうるすべがありません。
 
 従ってこの反論については、「我々の知り得る科学の範囲では」という
条件文をつけるべきでしょう。逆に「帯を作る」とも言い切りません
 
 ★ 観測できるものなのか?
  
 さて、巷の「フォトン・ベルトを巡る論争」では、肯定派否定派が真っ
向から対立した状態が続いています。

 肯定論の代表論者は「渡邊延朗」あたりでしょうか。発見者はドイツ人
天文学者ポール・オット・ヘッセ博士とされ、その経緯から効果に至るま
「宇宙の法則研究会」と称するHPで紹介しています。

 一方、否定論者では「松永英明(河上イチロー)」が有名なようです。
彼のHP「絵文禄ことのは」の中で「フォトン・ベルトは天文学的にあり
えない
」という話を詳しく論じています。

 そして、「フォトン・ベルト」のことを書いたブログの多くは、これらを元ネ
タとして、そのまま引用
しているものが大半のようです。

 (小生はどちらの説にも組しないので、あえて紹介はしませんが、
両者の論争を理解する上では役に立つかもしれません。ただし、
者とも大手メディアとの関わりが深く
、経歴にも胡散臭いものを感じ
ます。
 
 この両者のバトルを見ていると「TVタックル」の「UFOバトル」の様
相を呈しており、わざと極論を戦わせて、その中にある「知られたくな
い事実
」を茶化してしまおうという意図を、小生は感じます。)


 さて、『プレアデス銀河の夜明け』ではその存在を肯定しており、196
1年
に、人工衛星を利用した装置によってフォトン・ベルトが発見された
と記載されていますが、どのように確認したのかについては全く説
明されていません。

 その意味で、小生は「発見された」という記載の部分は信頼性が薄い
と 思っています。仮にそれらしい痕跡があったとしても、「フォトン・ベルト」
として確認できるようなものではなかったと思います。

 ところで、ウィキペディアの反論⑰では
 
 NASAが観測したフォトンベルトとする写真は、フォトンベル
  トと無関係の
銀河NGC4650Aのことである。」
  
 とあり、事実そのとおりのようで、実際にこの写真を引用しているもの
も多々あります。

 そもそもNASAの言うことを、鵜呑みにすることの方がかえって危険
です。これまでのNASAの行動からみても、仮に真実だとしても、積極
的に「フォトンベルト」を公開するとは思えません


 その意味では、肯定論⑦

 「NASA等の組織が、フォトンベルトを観測した事実を隠蔽して
  いる。」

 というのも、「何を今さら」という感じです。観測していようがいまいが、
闇の勢力」にとって都合の悪いものであれば、公表するはずがあり
ません


まだまだ長くなりそうなので、続きは次回第七十四夜でお話しし
ます。


目次のペーシへはこちらから

関連記事

パエリヤを作りました

縮IMG_0805

昔、アンノン族というのがはやったことがあります。アンアン、ノンノンという雑誌が昔あり、それを若い女の子が読む。そんな時代がありました。学生の頃、手持ち無沙汰なときに、ノンノを買って読んだりしました。ノンノはファッションばかりでなくいろいろな記事があり、料理のことものっていました。

赤毛のアンのケーキとかアイスクリームとかの記事などとともに、パエリヤの作り方がのっていました。
パエリヤはスペインのカリッとした炊き込みご飯のようなもので本当はパエリヤ鍋で作りますが、いまでさえパエリヤ鍋はあまり売ってなく、当時はまるでなかったと思います。
それで、オーブンで作るパエリャという料理記事がノンノにあるのを見たときは、これはいいぞと思い、その記事を切り抜いておきました。
つい最近、その切り抜きがひょっこりと出てきて、写真を見たら、とてもおいしそうです。みるだけでスペインに行ったような気分になりました。おっほっほっほ...

うっうまそうだ。黄色く光る米粒。赤いエビ。上にのっている貝の姿が-おまえもはやく食べてくれ-と言っているようで、もう我慢できません。

しっしかし...サフランは、高い。
いつもこのサフランで、作るのをあきらめるか、サフランなしにするか...とにかく安くつくることになってしまいます。でも、黄色いご飯がすごくおいしそうです。

いざや、いまこそは、黄色いご飯を食べようではないか。決心をして、サフランを買い(600円くらいしたかなぁ)エビ、小イカ、ムール貝みたいな貝、鳥肉、などを用意しました。

日本では釜飯は窯でつくります。当たり前だぞ...なーんてそのままですね。
しかし、パエリヤはパエリヤ鍋というそこの広がった浅めの鍋で作るのが本来のようです。外人は芯が入ったコメもよしとするようなので、薄くコメをなべ底に広げて調理し、ぱりっとしているがちょっと芯もある、というのは普通のようです。オーブンでつくるというのはこのパリッとするのを大切にするということのようで、どんなふうにできるか、わくわくしながら作りました。

作り方は、この次にね。
関連記事

theme : 食べ物
genre : ライフ

寒いとき

今の季節、一番寒い時でしょうか。

昔、子供のころ、近所の日蓮宗のお寺の方々が、今時分になるとたいこをどんどん鳴らして、外を歩いていました。日蓮宗の寒行です。一番寒いころだったから、一月の終わりから、二月の終わりだったと思います。しんとした冬の夜、どんどんどんと法華太鼓の音が遠くから近づいてきます。
寒くなると通りを歩く人も途絶え、太鼓をたたく人々の足音がおおきな太鼓の音と通り過ぎていくと、いままで気にならなかったストーブの上の薬缶がしゅわしゅわと音を立てているのに気付き、あわてて水を足したりします。

高校のころは、夜は結局は勉強しなくても、勉強しなければ...リーダーの予習をしなければ...と、思いつつも、部屋の暖かさについうつらうつらとしてしまい、太鼓の音にまた、背筋をのばす...そんなこともあったような気がします。

冬の太鼓、それを何度か聞いて、太鼓の音もなくなり、梅の香がいつのまにか漂い始め、日の光もだんだん強くなってきます。一番寒いときも、人生の辛いときも、いてつくときは永遠ではなく、花の香がにおう春がやってくるのだろうと、思います。
関連記事

theme : 日々のできごと
genre : ライフ

展覧会...彫刻を見るときは

今、日展をやっているようです。
昔、高校の頃、芸術の科目は書道、音楽、美術の3科目から選ぶことになっていました。1.2ねんで芸術科目は履修するので、書道組、音楽組、美術組とクラス分けがなされ、2年間はおなじ芸術を選ぶ人としか同じクラスになりませんでした。
今はどうでしょうか。もともと女生徒の少ない高校でした。新一年生のクラス発表のとき、驚いたのは女子の少なさです。一クラス45人で女子は15人。女の子は大体が、音楽にいくか書道に行きました。もともと男子が多い学校です。その上、美術は女子があまりえらばない科目だったようで、15人というのは、居心地の悪いようないいような2年間でした。

さて、その美術の時間ですが、1年のときはむちゃくちゃマイペースなおじいさん先生。2年のときは、あまりにもおじいちゃん先生がマイペースすぎ、エリートの(京大出)校長先生に嫌われ、首になりました。←推測です。
2年生になり、30代くらいの先生が来ました。おじいちゃん先生のように写生なんかもどこまで行ってもよい...としてくれなかったのが不満でしたが、この先生、美術の先生だけあって言うことが面白かったです。

特に印象に残っているのが、「彫刻は、触れ、触るんだ。美術館で監視がいるが目を盗んでさわるんだぞ。彫刻は見るだけではわからない。つかめない。触って感じるんだ...」

私は、展覧会、美術展で、監視人がいても-触れ-と言う先生が気に入りました。
それから、展覧会などでは、彫刻はできれば触ってます。-もちろん手はきれいに洗って、やさしくです-

見て鑑賞する美術、しかし、手で触ってみるというのはすべきことだ。なんて今も思っています。私の住んでいる町にも外に彫像があったりして、気に入ってますが、車で通り過ぎてしまいます。こんど自転車で通りかかったら、手で触ってみようと思っています。

考えてみれば、芸術は見る聞くだけでなく、触るといった感覚もあるのでしょうね。
関連記事

theme : どーでもいいこと
genre : その他

屈原もいない今...

昔、屈原という人がいたという話はみなさんご存知と思います。
屈原は腐り汚れた世を嘆いて、自分は正義、清らかさを保つ...と、最後は自殺した古代の中国の人です。

何を見てもそらぞらしく、濁り、信用ならないこの世で、何を真実として生きるか?真実すらもなにやなにやらわからない混沌とした現代で、頑固ながらも、清く生きようとする-屈原-のような人もさがせばいるでしょうが、なかなかいません。

しかし、この屈原という人...
正義感が強く曲がったことがきらいで、自分は悪に手を染めることもなく、浮世に流されることも嫌い、最後は自殺したのです。

まわりの世はみんな腐っている。自分だけが清らかだ。自分はそれだから官職を追われ、このように不遇に過ごしているのだ...屈原のいうことももっともです。でも、なんか少しお高い気もします。

しかし、わが身を振り返ると、どうせ汚れているのだ。この世の中、好きに泥にまみれて生きてやれ...そんな風に開き直ることも、できません。かといって、正義を貫き、水に飛び込み死ぬというのもできません。
しかし、正義...マスコミなどが自分に都合の良いことばかりをのべ伝え、その合間に、人の心の大切さとか、正義を説く。そんなのを見ていると、この濁世とはいえ、濁りのすさまじさにへきへきとするのです。

自分自身もこの浮世の片隅で、濁り水を飲み、そして出している...そんなことを考えると、自分も人ももろもろもこの地球のちいさな寄生虫のように見えてきます。
貧富の格差。職もない、結婚もできない若い人たち...若い人たちは自分の若さが若いだけ、重量を増した長旅のリュックのように感じているかもしれません。

濁世。しゃばは平等も理想もぶっとんで、すさまじい欲と矛盾だらけで...でも、私たちは生きています。やっぱり、屈原のようにはなれません。
この世はちょうど、濁った川、ふぶいた雪空のように先はなにも見えず、ただ進む...そんな虫としての生活。
濁っていても、ふぶいていても、やっぱり生きていたい。そして、足をとられて立ち往生していても...私たちは生きている。

虫は弱く、はかない。濁りも、正義もそんなものはなくたんたんと生きて死んでいく...どう生きよう。強く、清く生きようということを考えること自体がむだのように思えてもきます。濁っていようと澄んでいようと、どうせ小さい虫なのだ。好きなように生きてやれ...と、思いつつも、雪がやんだことにほっとしているところです。

関連記事

theme : 心のつぶやき
genre : 心と身体

トンデモ話は奥で繋がる(72) 23.1.17

トンデモ話は奥で繋がる 「第七十二夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪プレアデス メッセージ ①≫

 ★ プレアデス系チャネリング
縮プレアデス  
   さて、しばらくはプレアデス系のチャネ
ラー、バーバラ・ハンド・クロウ『プレ
アデス 銀河の夜明け』
より、異星人と
のチャネリングによる交信内容からお話
しすることとなります。

 ご承知の通り、この分野は玉石混光の
世界ですので、全ての内容についての
過信は禁物です。


 小生自身も、所々納得ゆかない部分もあり、その部分について
は少し距離を置いてお話するつもりです。

 さて、一般にプレアデス系のチャネリングについては、以下の2
点について大きな疑問点が指摘されており、内容について「全
デタラメ」
であるとする意見が多々あります。

 一つ目は、1975年にプレアデス星人とのコンタクト人に成功し
たと発表したエドワルド・マイヤーの一連の言動によるものです。

 彼は「アスカット」と名乗る女性宇宙人と頻繁にコンタクトを取り、
100回以上もUFOに搭乗するとともに、伝えられた「宇宙哲学
や「隠された地球の歴史」を布教し、一大カルトを組織しました。

 しかし、800枚以上の写真のうち、宇宙船の写真が「鮮明過ぎ
る(?)」ことから「UFO研究機関」であるGSWが調査した結果、
全てがトリック写真だと判定されました。

 また、宇宙人の写真もいくつかあるものの、宇宙船とは対照的
に全てがピンボケや、顔だけが不鮮明なもので、その理由を「宇宙
人の波動」のためとしたことも不審をつのらせる原因となりました。

 ★ フォトンベルト論争

 二つ目は、プレアデス系のチャネリングの中核になっているフォ
トンベルト
の実在の是非について、さまざまな観点から論争の的
となっていることです。

 そもそも、フォトンベルトの実態についてはさまざまながあり、
その「共通項」を拾い上げたものとして、ウィキペディアでは以下
のように記載されています。(23年1月15日現在)

  フォトンベルト(Photon Belt)とは、一部の人々のあいだ
 で銀河系に存在が主張されている高エネルギー光子の
 帯
。 フォトンとは光子のこと。
  その内容については人により説がいくつか存在し、共通
 点
として以下のことが挙げられている。

  太陽系はプレアデス星団のアルシオーネを中心とし
  て約26,000年周期で回っている。

  地球は公転軌道の関係でフォトンベルトに一時的に
  入ったり出たりしているが、2012年12月23日には完全
  に突入し、通過するのに2000年程を要すると見られる。

  フォトンベルトはアルシオーネを中心に垂直に分布し
  ており、NASAが観測に成功している。

  フォトンベルトに突入すると強力な電磁波により太陽
  や地球の活動に大きな影響が出て、電子機器が使用で
  きなくなるとも言われている。

  20世紀末から異常気象や火山活動・地震が頻発し
  ているのは、地球がフォトンベルトに入り始めたからと
  も主張している。

 さらに下記⑬~⑰等の批判への反論として、

  NASA等の組織が、フォトンベルトを観測した事実
  を隠蔽
している。

  恒星レベルの運動を理解する科学力は地球にはな
  い。故に、太陽系がプレアデス星団を中心に廻ること
  は有り得ないという批判は誤っている。

 また、上記の肯定説に対する批判についても、以下のよう
にまとめられています。

  メディアで伝えられるフォトンベルトの実在性は科
  学的ではなく、神秘主義の一種である。

  アセンションを唱えるニューエイジ系信仰の一つと
  して採用されている。

  フォトンベルトアセンションは、共に、聖書の至福
  千年
との共通点もあるという指摘もある。

  そもそもフォトンは光子であり、フォトンの帯が形成
  されることはない。

  太陽系は銀河系中心に対して約2億2600万年周期
  
で公転しており、プレアデス星団を中心に回るというこ
  とはない


  実際に26,000年周期で太陽系が銀河系を公転する
  とすると、光速度を超えてしまう(特殊相対性理論に反
  する)。

  仮にプレアデス星団を中心に回っているとすると、
  そこには銀河系を遥かに上回る質量がなければなら
  ない。

  フォトンベルト説では、地球がプレアデス星団のま
  わりを回っている説と、わずか26,000年で銀河を回る
  
るという二説が、それぞれ相互に矛盾しているにもか
  かわらず併記されていることが多い

  NASAが観測したフォトンベルトとする写真は、フ
  ォトンベルトと無関係の銀河NGC4650Aのことであ
  る。

 さらにに対する批判として、

  「恒星レベルの運動を理解する科学力は地球には
  ない
」としながら、「太陽系プレアデス星団周回説」を
  唱えるのは矛盾している。
   そういった事実があると主張するのであれば、万人
  に理解できる根拠を示す必要がある。
   一般的に、存在するという証明ができない限りは
  論たり得ない


 ★ 同書の立ち位置

 従って、このような問題点に対し『プレアデス 銀河の夜明
け』
が、どのような視点を持って書かれているか、また、小生が
どのように考えているかについて、初めに明らかにしておこうと
思います。

 まず、"ビリー"・エドワルド・マイヤーの件については、
でも、「プレアデス人」との交信の歴史として、その最初の
コンダクター
として紹介しています。

 しかし、著者自身の言葉により、たった2行述べられている
のみで、さまざまな「交信主体」が彼女を通して伝えているメッ
セージ中には、"ビリー"については一度も触れられていません

 つまり、同じプレアデス人からの交信ではあっても、その交信
主体がそれぞれ違っており
、彼女とコンタクトした「交信主体」
は、"ビリー"の存在には、必ずしも重きを置いていないようです。

 彼女自身は1988年から、主にプレアデス星団の中心星「
ルシオネ
」の「サティア」という交信主体から多くのメツセージを
受け、同書の内容の大半は「サティア」からのものとしています。

 一方、第四十五夜以降に登場した浜田氏は、彼ら異星人との
コンタクトに「闇の勢力」の意図を感じており、"ビリー"のカルト
集団
の言動についても次のように述べています。

  『 ジョージ・アダムスキー亡き後、彼に入れ替わる形
   で登場したのがUFOコンダクティー、エドワルド・マイ
   ヤー
である。
   (…中略…)
    マイヤーがプレアデス星人から授かった宇宙の教え
   
、マイヤー自身の全教養を総動員しても作り出すこ
   とは困難である

    誰一人部外者の目撃者はいないのだが、現在(小生
   注:1998年
)までアダムスキーの金星人会見事件を
   思わせる、プレアデス人会見事件が続いている。
    (マイヤーの主張によれば)ことを考えると、このミス
   テリーの背後には何らかの組織による大掛かりな工作
   
が存在している可能性が強い。
    この見えざる首謀者の目的はUFOカルトを創りだし
   て地球人をある種の方向に感化させようとすることにあ
   るようだ。』

  (浜田政彦『彼らはあまりにも知りすぎた』p160-162《三五館》
  より転載)


 
 小生も、この意見には概ね賛成です。ただし、見誤ってはなら
ない点は、彼のカルト集団の得た「交信の全て」が「闇の勢力」
の意図する工作によるものであるとは限らない
点です。

 今までも度々お話しして来ましたが、「闇の勢力」のやり口の一
つに「真実」を捻じ曲げることがあります。つまり「真実を知りす
ぎた
」人物や集団に対し、その主張するところを逆利用するので
す。

 異星人と同じ次元を持つ「闇の勢力」にとって、彼等の「チャネ
リング」に入り込む
のも容易なことであり、彼等の都合のよいメ
ッセージ
や、逆に信頼性を落とすようなメッセージを送るので
す。

 小生は、エドワルド・マイヤーとその教団は、彼自身も主張し
ているように、既に「闇の勢力」に利用されてしまっていたように
感じます。
 
 そのように「プレアデス人」との最初のコンダクターとしての彼
を貶めることで、プレアデス人からのメツセージ全てを「胡散臭
」ものとしてしまうのが 「闇の勢力」の狙いではないでしょうか。

 その意味では、「サティア」からのメッセージにも真実の部分が
ある可能性があると、小生は思っています。ただし、どの部分を
真実と判断するかは、個々の感性
におまかせします。

 さて、次回第七十三夜はフォトンベルト」の実在の是非に
ついて考えてみます。


目次のペーシへはこちらから
関連記事

今日は雪です

縮IMG_0814
寒いです。雪が降っています。
雪の降る日曜日...家族で一つの部屋にいます。こたつに入ってもしばらく...というより相当長い時間の間、足が暖まりません。外を見ると雪がしきりに降っています。

きのうは、ひゅぅ とか、ごう とか、の音がしきりにして、雪が降っているのだろうと、子供に言ったら、案に反して、空はくっきりと晴れ渡って、雲もないと、言っていました。澄んだ空だよ...と、窓を開けて言っていましたが...朝、外を見たら一面真っ白。

天気予報はお日様マークで-晴れ-です。しかし、きょうは朝から雪じゃあないか...そう思いピンポイント天気を見たら、みんなの投票は100人が-雪-  一人が-晴れ-です。この一人って、天気予報の関係者?どう見ても-雪-晴れではまったくありません。きょうはこのうそ天気予報ででかけて、ひどい目にあった人も多いかもしれませんね。


それでも昼近くには、道路はくろぐろとしていたので、買い物に行ったところ、そのあと、雪が降り続き、家の屋根はもちろん、道路もまっしろになりました。
買い物に早めに出かけて正解でした。

夕方、雪がやまず、しきりに斜めに降る雪を、窓越しに眺めながら、だれともなく
-太郎の屋根に雪ふりつむ-
と言ったら、
こどもが
-次郎...-と言いました。

こんな雪の日は、太平洋側の我が家は年に何回かあるかないかです。

降りしきる雪。でも、家の中は温かく、きもちがよいです。
だれかがコーヒーが飲みたいなぁと言います。早速、やかんの水を火にかけて、たぎってきたら、サイホンの容器に入れ、アルコールランプで温め、コーヒーを入れた上部器具を差し込みます。
すこしずつ、お湯は上に上りしばらくして、ランプをはずします。コーヒーは下のガラス容器へ...サイホンでコーヒーを入れると時間がかかりますが、ふつと気が遠くなるような心地よさを感じるのは、おもいすごしでしょうか。
 
できあがりました。
コーヒーをみんなのカップにいれて、飲みます。
シナモンをいれたり、ミルクを入れたり...

縮IMG_0815

そとは雪ですが、おうちのなかは暖かく、コーヒーの香りにくつろぎます。
雪の日は家の中もいいです。
関連記事

theme : 日々のできごと
genre : ライフ

焼きそばソース-粉-はなかなか売ってない

今日は町まで調理器具などを見に行ってきました。
お菓子の型などおもしろいものがあったら買おうと思いでかけましたが、目新しいものはなく、そのまま帰ってきました。
その帰り道、食品、材料の店を発見しました。中を覗くと-小売-もしますと書いてあります。

おお...材料。焼きそばソースの字もあります。
も、もしかしたら、粉末のやきそばソースがあるかもしれない...
中に入り聞いてみたら、「ないですねぇ」と、恐縮されながらお店の人が返事してくれました。
やっぱり。業務用のお店でもなかなかないのだなぁ。

やっぱりないか...

よくスーパーで焼きそばと一緒についている袋入りの粉末ソース。液体のソースと違う独特のあじわいがあります。よく売っているだしの素ぐらいの袋で粉末の焼きそばソースがあればいいのだが...手に入れるには、そばも一緒のセットを買うしかない。
そう思い、ネットでもさがしましたが、2件ほど売っているところがありました。しかし、量が多く、大袋です。ちょっとした中袋。そんなのがほしいですが、ないです。

焼きそばソース。人気はやっぱり液体ソースなのですね。
関連記事

theme : 食べ物
genre : ライフ

トンデモ話は奥で繋がる(71)

トンデモ話は奥で繋がる 「第七十一夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪まずは勢いで1年≫

 ★ ブログ1年を振り返って

 「トンデモ話は奥で繋がる」も、今日で連載期間が1年となりました。
いつまで続けられるのか全く見当もつかないまま書き始めたブログでし
たが、どうやら当分書く内容は尽きないようです。

 ここ数年の「現実の裏側の真実」に関する書物の出版は目覚しく、特
にこの1年の間には、もっと核心に触れる様な情報が次々と公開され
ています。

 無論「玉石混光」の世界ですので、新説が出れば出るほど、個人の感
性による取捨選択が、ますます重要になってきていると感じています。

 そんな中、小生が最も注意しているのは、「特定の概念や思想」に嵌
ってしまわない
ことです。第十夜でもお話ししたとおり、「真理」へのアプ
ローチは∞(無限大)だと思うからです。

 最近は、マヤ歴の最終年である2012年が近づいたこともあって、そ
れに関連した「超真理」の紹介が目につきます。確かにその中に「真理」
の部分を含んでいるかも知れませんが盲信は禁物です。

 どう頑張って感性を磨いたとしても、我々が確実に感じられるのは「三
次元」の世界の現象
にとどまります。しかし、それさえも、マスメディア
や金融資本に踊らされていないかどうかは怪しいものです。

 ましてや他の次元の話やメッセージについては、どれが本当なのか
は誰にも特定できないものだと思います。それどころか「平行宇宙」の
存在を考えれば、現実は無数にあることになります。

 「真理」を説く人に悪意の有る無しにかかわらず、その人の説く真理は
その人の価値観そのものであり、正しくも有り、間違いでも有り、益も
あり、害も有る
ものです。

  「人のふり見て我がふり直せ」で、「師」と仰ぐ人であっても、自分が
「良い」と思うところは取り入れ、「悪い」と思うところは直すべきです。
ましてや「自分」がその「師」の模範となることだってあるのです。

 小生のブログも、その精神で書き連ねています。書いてきた情報全て
が正しいとは思っていません。「真理」かどうかは、個々人の直感で判
断することだと思っています。

 しかしながら、つい最近までは、上位権力者によって、そうした情報そ
のものが「不正なもの」として衆目から遠ざけられてきた
ことだけは、
知っておく必要があると思っています。

 ★ 神話とは何か

 さて、前年の後半からシッチンの「シュメール神話」の読み解きにつ
いて、長きに渡って掲載してきました。

 一般に「神話」と言えば、人類が文明的に未開であった時代の、「
とぎ話」
による比喩的な物語であるという見方が大半です。しかし、そう
断言できるのでしょうか。
 
 実際、未開であったはずの時代の遺跡から、現代の科学力を持ってし
ても作成不可能な遺物が数多く見つかっており、それに呼応した内容
が神話として残っているものが数多くあります。
 
 詳しく知りたい方は、こちらの映像をお勧めします。

 そもそも、「神話」とは、文字通り「神についての話」であるはずです。
古代の人達が、実在していた「誰か」を差して『神』と呼んでいただけ
のことで、現代人が普遍的にイメージする「神」とは別のものです。

 また、古代の文献の中に、「これは空想上の話だが…」とでも書かれて
いるか、歴史上の厳然たる事実と食い違わない限り、それが作り話かど
うかを判断することは不可能
でしょう。

 しかし、我々は「古代には、文献どおりのことができたはずがない
という「強制的な根拠」に基づいて「神話」=「作り話」と教え込まれてい
るに過ぎないのです。

 一方で、「大洪水」に関する神話などは、時代やを超えて多くの地域で
語り継がれています。これが「作り話」であり、異地域の多くの語り手が
同じような話を考えたとする方が不自然なのです。

 そうした意味で、シュメールの神話、そしてそこに語られているアヌン
ナキの物語
が、表向きは「単なる作り話」として封じ込まれてきた裏側
を考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 特に、今まで「異説」として無視されるように仕向けてきた主体が、アヌ
ンナキとその背後に繋がる守銭奴
たちだったとしたら…。我々は誤っ
た過去
を押し付けられたまま、彼らに操られているのかも知れないの
です。

 ★ アヌンナキの考察

 さて、純粋な(?)スピリチュアル信奉者陰謀論者の方には馴染み
が薄いのかも知れませんが、双方を結びつけて考えているチャネラー
も複数存在し、その中ではアヌンナキの存在はよく語られています。

 そこで、第七十二夜からは2人のチャネラーの、アヌンナキの正体につ
いてのチャネリングの話を中心に、お話をしようと思います。

 1人は第五十六夜でお話しした、ドランヴァロ・メルキゼデク氏、もう
1人はプレアデス系の女性チャネラーの1人であるバーバラ・ハンド・
クロウ氏
です。

 無論、チャネラーの言葉が唯一の手がかりであることも多いため、真
実ではない可能性もありますが、前夜でも述べたとおり、そのことを「知
識」として知っておく
ことは、判断のための大きな手がかりになると思い
ます。

 それでは、次回第七十二夜から2年目へと突入します。

目次のペーシへはこちらから
関連記事

八雲の怪談-恋文の話-

ハーン(小泉八雲)の怪談を急に引っ張り出し読んでみた。

ろくろくび、耳なし芳一の話、などなどの話があり、珍しいハーンの近親者が登場する話-天使の輪-だったか、妖精の輪が出てくる-もあり、ついつい読んでしまった。
怪談とついているが、-蚊-の多さに悩まされる話もある。現代に生きる私たちにも十分通じる内容もあるのが、おもしろい。当時の東京中のお寺の墓場の竹筒などを幕でおおったらよいなどと発想しているところに、当時の蚊の多さがわかる。

さて、ハーンの-怪談-の中に、

死んだ女房が毎夜、出てくるという話がある。
昔、あるところの女房が幼い子供を残して死ぬ。死んでから、その女房が、毎夜、家の箪笥の前にあらわれ、じっとたんすを見る。
家族はこれは女がたんすの中のものに執着があるから、浮かばれず出るのだろうという。そこで、箪笥のなかのものを処分したのだが、どうしたことだろう。なかみはすっかりなくなったのに、夜になるとまたも女房が箪笥の前にでてくる。そして箪笥をじっと眺めているのだ。

弱った縁者は、ある寺の住職に相談する、住職はひとりで夜、その箪笥の部屋に待機する。-自分一人にしておいてくれ。ほかのものは入ってはいけない-と、家の者に言いふくめて...
夜もふかまり、果たして、女の幽霊はあらわれる。住職は経をよみ、おんなに尋ねる。なにかたんすにあるのでは?おんなは答えないがじっと箪笥を見る。

ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...


住職は箪笥を探すが、なにもない、。しかし、箪笥の上敷きの下になにかがあるかもしれないとおもいつく。
上から箪笥の中の中を調べると、ある段に、-手紙-が入っているのが見つかる。

手紙とは...
住職はこれが幽霊の浮かばれない理由だと知る。
彼は、幽霊に-、この手紙はわしがほかの誰にもしらせず処分する-と言う。それから、幽霊はでなくなったという。
-手紙-これはなんの手紙だったのだろう。女房は結婚する前、都に行儀見習いに出ていてそこで恋文をもらっていたのだ。内容はわからない。

こんな内容である。恋文...昔結婚する前にもらった手紙...それは亭主にも子供にもみせられないものだったのだろうか...若い時の恋愛と、現在の家庭の家族。
てがみには、家族と接していたときとまったく違う若い時の自分があったかもしれないし、秘密があったかもしれない。現代でも、ふいに死んでしまって、昔の恋人の手紙が出てきて、配偶者によまれるとなったら、ちょっとまずい気がする。やばいのだ。

しかし、ハーンのこの話のうまさは、手紙を住職は読んだとかいているが、内容は書いてないところだ。書いてないから、どうしても知りたくなってしまう。

投票-40-


縮IMG_0786
関連記事

theme : その他
genre : その他

キッシュロレーヌ さいご

縮IMG_0792

タルト生地を麺棒で伸ばし、ふちをスプーンの背中で切り落としました。
...本では、麺棒で押して切り離すと出ています。この方がいっぺんにできてよかったなぁ...

ふちはスプーンの背中でも、ナイフの背でもそれほど大差ないようで、パイ皿にタルト生地はおさまりました。

そして、タルト生地の上に大豆を広げ並べ、オーブンへ...
-大豆は重しで、生地が膨らまず、ぴっちりと焼きこむために並べます。-

オーブンは180度で20分焼きます。しかし、これは18センチのかげんです。私は25センチ強のものを焼いたので、もう3.5分延長してもいいぐらいだったと思います。

オーブンに放り込みました。

ばしっ。ばたっ、ポン

ここで失敗です。タルト生地、大豆の重しを乗せる前に、フォークで穴をぽちぽちと開け、15分ほど冷蔵庫でやすませるのでした。そして、大豆や金属の重しをのせるには、紙-ケーキの敷紙など-をのせてその上にのせねばなりませんでした。

うわっ。忘れちゃったよ。...途中できづきましたが、あとのまつりとはこのことです。
生地が縮まないか?タルト生地の端がきっちりとでなくなるのでは?と思い心配しましたが、20分後、取り出してみるとちゃんときれいにふちもしっかりとぼこぼこになっており、きれいに焼けております。
しかし、大豆は取り出すのが大変でした。あついけど、取らないわけにいきません。最初は手で-あちち-と言いながら取ってましたが、そのうちちいさいオタマジャクシでとりました。これできれいにとれましたが、敷紙は敷いたほうがいいですよ。

ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...


型の下焼きがすんだら、次は中身を作ります。
焼いているときに半分くらいは作ってますが...

中身(アパレイユ)
卵 3個
生クリーム 200cc
ぐりゅエールチーズ 50グラム

こしょう
ナツメグ 少々
です。

以上は18センチのものです。
それと、具
ベーコン100グラム ですが、

私は法蓮草をいれ、タルトも大きいので、

チーズをとろけるチーズ80グラムぐらい
法蓮草半束...ゆでて刻んでおく
ベーコン150グラムくらい  
と、変更しました。


ベーコンは塊を好みのおおきさに刻み、炒めます。
炒めたベーコンをタルト生地に乗せ、法蓮草を乗せ、卵をかき混ぜた卵液に生クリームを入れかき混ぜ、チーズをいれ、塩その他をいれかき混ぜたら、タルト生地に流し込みます。

ちょうどぴったり入りました。

180度のオーブンで25分。焼きあがったらあついうちに型からはずし、いただきます。
縮IMG_0793

食べてみたら、とても濃厚。おいしいですが、ボリュームありすぎ。3人で半分も食べれませんでした。しかし、非常においしかったです。

キッシュは意外と簡単にできます。
大きいかたまりのベーコンが手に入ったら、ぜひおつくりください。手作りのキッシュはおどろくほどこくがあり、おいしいです。

投票-40-


縮IMG_0786
関連記事

theme : 食品・食べ物・食生活
genre : ライフ

トンデモ話は奥で繋がる(70) 23.1.11

トンデモ話は奥で繋がる 「第七十夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪大洪水の真相 ②≫

 ★ 神々の後悔
 
 ネフィリム達は、大洪水の前触れとして嵐が吹き荒れ始めると、シッパ
ールの宇宙空港から、数隻のロケットに分乗して、で次々と空へと飛び立
ちます。彼等は嵐が静まるまで、空中で待機することにしたのです。

 エンキから、彼等の行動を、注意深く見ているように言われていたアト
ラ・ハシス
は、『神々』の脱出の気配とともに、方舟を密閉する作業に取
り掛かります。

  アヌンナキロケット船を打ち上げた
  たいまつのようにその火炎は大地を焦がした

 やがて、天候が急変し、並みの嵐とは桁違いに激しくなります。古文書
はその様子を生々しく描写しています。

  月は消え去り 天気は急変し
  雲は重たく宿り 風は激しさを加え
  大洪水が始まったのだ
  戦のように 凶暴な力が人を襲い  
  お互いに人の見分けもつかず 破壊の中で見分けもつかず
  大洪水は牛のように吠え猛り
  風は野生のロバのようにいなないた
  暗黒が迫り 太陽も見えなかった
  暗黒が広がり 地平線から黒い雲が現れた
  その中から 嵐の神が稲妻を走らせた
  輝けるものは全て 暗黒と化した
  一日中南の風が吹き荒れた
  吹くに連れて速さは高まり 山々を水で浸し
  6日6夜 風は吹きまくり
  7日目になると嵐は静まった

 空に逃げた『神々』は、この凄まじい大破壊の様子を、宇宙船の中から
心痛な面持ちで眺めていました。古文書は、誕生の女神であるニンフル
サグ
が、悲惨な災害に嘆き悲しむ様子を詠っています。

  女神は惨状を見てすすり泣いた
  その唇は 興奮のため震えていた
  「私の生き物は、蝿のようになってしまったわ
   彼等はトンボのようになって河を埋めている
   父親達は のた打ち回る海に呑み込まれたわ
   私は天界へ上がっていいのでしょうか
   奉納された家に住み着くために
   我が主アヌはどこへ行けと言ったのでしょう

 アヌはその「地球」を見捨てて天界である母船に戻る」よう命令していま
した。ことでした。エンリルとその息子ニンウルタは、命令どおり母船へ
向かいますが、他の神々は態度を決めかねていました。
 
 ニンフルサグと彼女のアヌンナキのグループは、彼女の乗った宇宙船
の中で、アヌの命令の善悪を議論し、イシュタルの宇宙船では「古きよ
き日々はもう帰ってこない
」と泣き悲しんでいます。

 ★ エンキの計略

 一方、別の宇宙船に乗ったエンキは、ある計略を持って、アトラ・ハシ
との手はずの進行を見守っていました。彼はアトラ・ハシスに、方舟の
目指すべき地点を予め決めておいたのです。

 メソポタミアの古文書によれば、方舟にはアトラ・ハシスだけでなく、
ギルガメッシュの叙事詩で大洪水の語り部を演じるウトナピシュティム
と、プズルアムリという船乗りが乗っていました。

 プズルアムリは経験豊富な船乗りであり、嵐の中、目指すべき方向へ
方舟を辿り着かせ、彼のその後の計略を実行するためには、必要不可欠
な乗員だったのです。

 エンキは、暴風が南風であること、また、水位が下がり始めた時、南
風に吹かれて最初にたどり着くであろう高地を予測していました。その
場所こそ聖書に記された「アララト山」でした。

 そしてアトラ・ハシスは、上陸後すぐに、連れてきた動物の何頭かを、
食物を用意するために火であぶったのです。そのは当然、態度を決め
かねていた『神々』の目に留まる事となります。

 『神々』は人類の滅亡に意気消沈していたとともに、長期間の絶食に
極度の空腹状態でもあったのです。『神々』が大洪水を眺めている詠っ
アトラ・ハシスの文書版にはこう書かれています。

  大いなる神々アヌンナキ
  喉もがらがらに 腹を空かして座っていた
  (…中略…)
  その唇は ひからび ひび割れていた
  彼等は空腹のため 激しい腹痛に悩んでいた

 よれよれになった空腹の『神々』は、上陸すると蝿のように貢物に群が
ります。『神々』は人間が育てた食べ物がいかに大切なものであるかを身
にしみて思い知るのです。ギルガメッシュ叙事詩はこう詠います。

  その神々は匂いを感じた 神々は快い風味の匂いを感じた
  神々はのように生贄を捧げるものの回りに押し寄せた

 この時点で、エンキの計略はほぼ成功したと言えます。到着した『神
々』
の心の中には、再び人間とともに地球で暮らすことへの意思決定が
なされたに違いありません。

 ★ エンリルの処遇 

 さて、問題はエンリルです。彼は遅れてその現場に到着し、食べ物に
は目もくれず、数名の人間がいることに激怒して言います。

 生きている者がいるのか?
  1人も絶滅を免れないことになっていた!」

 そして、彼の息子ニンウルタエンキを指差して言います。

 「エンキ以外の誰が、この計画を考え出すことができる?
  あらゆる問題を知っているのはエンキだけである」


 その告訴に対して、エンキは、まずエンリルの賢さを褒め称え、彼に
その「賢さ」を持って判断して欲しいと念を押してから、雄弁に反論し
ます。まず、彼の掟破りについて、エンキはこう述べます。 

 「神々の秘密を打ち明けたのは私ではない。
  私は単に一人の人間、非常に賢い人間の1人に、
  彼自身の知恵によって神々の秘密を推測させたのです。」

 そして、アトラ・ハシス達の処遇については、この人間の賢さを、
無にしていまうことが、さらに「賢い者」の為すべきことかどうかの処遇
を、エンリルに問います。

 エンリルはその「賢さ」故に取った行為を処分することができません
でした。ギルガメッシュの叙事詩では、ウトナピシュティムが自身のこ
とをこう語ります。

  エンリルはそこで船に乗って行った
  手で私(ウトナピシュティム)を掴んで 彼は私を乗せた
  彼は私の妻を乗せ 私のそばで跪かせた
  彼は我々を祝福するために我々の額に触れた
  「今までのウトナピシュティムは人間であった
   これからはウトナピシュティムと彼の妻
   我々神々のようになる
   ウトナピシュティムは遥か遠く 水の口に住む」

 そして、ギルガメッシュの叙事詩は、アヌとエンリルが下したアト
ラ・ハシスとウトナピシュティムの処遇
について、こう結んでいます。

  彼に神のような生命を与えた
  神のように 彼を永遠の生命に昇任させた

 これを、単なる比喩的表現と取ることも可能ですが、そもそも人類の
滅亡計画については、『神々』が人間との交雑で「死せる肉体」となっ
たことにを厄介なものとしたところから始まっています。

 エンリルは、これら生き残った人間だけに『神々』の遺伝子へと改
良することによって「不死」の身とし、面倒な問題が起きないようにしよ
うとしたとも考えられます。

 ★ 地球の開放

 エンリルは、その他の人類については、やはり滅亡させようとして
いたのかも知れません。しかし、他の『神々』の意志は、もはやそれ
を望んではいなかったのです。

  人間を3番目の種類にしよう
  人間の中に存在させなせい
  生む女性 そして産まない女性
  人類のための規定
  男を若い処女に(…欠落…)なさい
  若い処女(…欠落…)をなさい
  青年を若い処女へ(…欠落…)
  寝床が用意されたら その配偶者と彼女の夫
  一緒に横たわらせなさい

 シッチンは詳しくは述べていませんが、小生はこの記述から、人間
は「3番目の種類」として、遺伝子的に「生殖可能な期間を持つ動
物」
に定められたということではないかと推測します。
 
 そして「生む女性」は「処女」の状態で男と交わり、配偶者として1
人の男性のみを「夫」
とすることで、無尽蔵に増えてゆくことの無い
様に規定されたのです。

 これでエンキエンリルの対決に決着がつきました。『神々』は人
類に地球を開放し、繁殖する能力を認め、『神々』の役に立つ物資
生産の担い手として利用することにしたのです。

 こうして、以後第五十八夜でお話ししたように、ネフィリム達は惑星
ニビルの接近
の度に、紀元前1万1千年、同7500年、同3800年
の3段階に渡って、文明を加速させてゆくことになります。

 …………………………………………………………………………

 以上が、シッチンの『人類を創成した宇宙人』の要約です。随
分と長いものとなりましたが、彼の解読したこの物語は、陰謀論
スピリチュアリズムを考える上で、是非とも必要なものと思っ
ています。

 無論「バシャール」も言っていた通り、その全てが真実とは言
うわけではありませんが、常にその可能性を探りながら、現実
(と思い込まされている世界)を見てゆく必要があると思います。

 特にスピリチュアリズムの信奉者の皆さんは、第五十八夜
須藤元気バシャールと交わした、たった数秒の下記のフレー
ズをもう一度よくかみしめてください。

 元気    「ゼカリア・シッチンが古代シュメールの円筒印章
         を解読した内容は、概ね正しい言うことですね」

 バシャール 「シッチンの本は、幾分間違っている所もあります
         が、だいたいは当たっています

 バシャールの言葉をそのまま信じるのならば、シッチンの解読
した「シュメール神話」も概ね真実だということになります。その
場合、今まで聖書の『神々』とされていたものはアヌンナキだった
ことになります。

 逆に、これを「全く馬鹿げている」と取る事も全く自由です。しか
し、その場合には、バシャールの言葉が必ずしも真実ではない
心得て、彼のチャネリングには注意を要することになります。

 チャネリングによっては、これに類するような会話がなされるこ
とは日常茶飯事なのです。それ故に、それを判断するための知
識さ
えない状態で深入りすることは大変危険なことです。
 
 そのためには、特定のチャネラーの説に偏るのでなく、清濁併
せ呑むつもりで、あらゆるトンデモ話に耳を傾けつつ、どれにも
深入りしない態度がベストではないかと小生は思います。

  さて、次回第七十一夜では小生の「神話」についての考えに
ついてお話しします。


目次のペーシへはこちらから
関連記事

キッシュロレーヌ

キッシュというのは、フランスのアルザスロレーヌ地方の食べ物のようです。
卵と生クリームをかき混ぜてタルトやパイ生地に流し込み焼いたものです。

このキッシュロレーヌを知ったのは高校生の頃、ちょうど家を建て替え、キッチンにはガスオーブンが据え付られました。母がアップルパイをよく焼いてましたが、お菓子系でないものを食べたい、作りたいと思っていたときに、NHKの今日の料理に載っていたのを目にしたか、そのころとっていた-COOK-]という料理小冊子に載っていたか?定かではないですが、パイ生地にクリーム生地が焼きこんであるのがとってもおしゃれで、素敵に感じたものです。
その時、さつそく作ってみました。おいしくできました。しかし、ベーコン、生クリーム、バター...などの材料が高く、そう何度も作れないなぁと思いました。あのころは、卵も1パック250円ほどしました。特別のものではなく、普通のブロイラーの卵です。
あのころを思うと、今は物価が安いですね。

卵が1パック100円だなんて、考えられない時代だったのです。

ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...

さて、キッシュですが、私は今回は

ル コルドン ブルー の
フランス料理基礎ノート サブリナを夢見て
という本を見て作りました。この本はフランスの歴史ある料理学校が作ったもので、普通の人でもこの本に従って作ればちゃんとフランス料理ができる...といったことが中に書いてあります。私はこの本は最初にぱっと見たとき、これは、いける。いい本だ。この本なら、どんな人でも洗練されたおいしい本場のものがつくれるのでは。と、思いました。


縮IMG_0797

料理というのは、その人の気質も重要です。日本の本は、清潔できれいで繊細です。しかし、どこか、四角四面。鷹揚さに欠けているような気がする時があります。私は大体がおおざっぱです。若い時は南米大陸に住んでいたので、よけいそんな気分が染みついています。
大陸的なのでしょう...

なので、パイやケーキもあんまり小さい型でちんまりと作るのは好きではなく、大きいものが好きです。とはいっても、自転車は子供自転車にのってますが。

この本でいいところは、ルーなどを作るとき、1リットルとかある程度まとまった単位で作るようにしてあることです。タルト生地も作ってみたら、手持ちの25センチ前後の型でも十分いけました。
普通の本だとこうはいかないです。18センチか、21センチぐらいで大きいものはなかなかありません。大目に作っておいて、必要なだけ使う。こうしておけば、けちけちとしなくてもいいです。

さて、キッシュですが、タルト生地...冷蔵庫から出して伸ばしました。
大理石の麺棒をもっているのでそれで伸ばします。上下左右、斜め上から...生地を伸ばしていくと、まわりがでこぼことなっていきますが気にせず、伸ばします。

タルト型からゆうにはみ出るくらいになったら、
本の説明の-3ミリくらいに伸ばす-というのを参考にし、3ミリ前後か確認しました。

見るとちょうど3ミリていどになっています。
私はこの3ミリという説明が非常に気に入りました。おおざっぱとは言え、急所は押えたい...この3ミリというのはタルトを焼くのに適切なアドバイスで不可欠だなぁと納得します。

タルト生地をタルト型に長いサーバー、パン切ナイフの長いものなどをつかってひょいっと、型の上に乗せます。
乗せたら、型の上を指ですきまがないように押さえます。立ち上がりのぎざぎざのところは指でぐいぐいとていねいに押しました-これは、本には書いてないことで、自分での判断です。-

次に、冷蔵庫で休ませ、敷紙をのせその上におもしを乗せ、オーブンに放り込むのですが、私はここで失敗を...

続きはまたね
投票-40-


縮IMG_0786
関連記事

theme : 食品・食べ物・食生活
genre : ライフ

キッシュロレーヌを作りました

キッシュロレーヌを作りました縮IMG_0794


昔作ったことがありますが、キッチンが狭く、使い勝手が悪かったので、パイやタルト生地をのばしたりするキッシュは大変だなぁという思いが強く作ってませんでした。
去年、リフォームをし、キッチンも格段に使いやすくなり、物置につっこんだままのタルト型を使いたくなりました。また、何か月か前に買った、フランス料理の本-ル コルドン ブルー-の本がとてもわかりやすく作ってみたい気にさせてくれました。

青い-フランス料理の本-をめくり、まず、タルト生地の作り方です。

生地の分量
小麦粉 200グラム
バター 100グラム
卵一個
水小さじ 一杯

と書いてあります。

これはすっきりとしていていいぞ。
私はパンやお菓子を作るために、バターはもう、100グラムに小分けしてあるものがあります。

小麦粉を量るだけ...
楽だ。

本の説明もまことに簡単で要領を得ています。なんだかんだ細かく、でも、肝心なことが説明してない本の多いこと...それに比べ、この本はいい。

まず、小麦粉と、卵とちょっと柔らかくしたバターを混ぜます。
この時に、注意しないと手で混ぜて、生地がべとついたりしますが、この本の説明は「スケッパーで切るようにマゼよ」むむむ...
スケッパー...スリッパはあるが、スケッパーはないぞ。手で混ぜるか。...いや、いいものがあるじゃあないか。

と、とりだしたのはこれ。
縮IMG_0796

フライ返しです
実は私は今まで最初から手でタルト生地をこねまわしていましたが、「スケッパー?フライ返しで切りながらまぜるなんて、やれるのか...」疑いながらもフライ返しを手に取り、材料のバターを切りながら混ぜていくと、
いい感じ。だんだんバターは小さくなるし、生地はちいさい粒粒ができてき、混ざっていく予感が...

しかし、バターはべたべたしません。手でないから、見るからにさくさくっとした生地になりつつあります。
よし、ここらで、手に変えてまぜよう。
水を混ぜて少ししてから、手で混ぜると丸く、べとつかず、黄色いタルト生地ができました。-ただこねるだけでなく。折り重ねるように-と、本の説明です。本のいう通り、生地を重ねるようにこね、丸く整え、冷蔵庫で30分ほど休ませました。

タルト生地...今までにないサラサラ感。べとつきのなさです。
これはいいぞ。うまくいきそうだ。期待が高まります。

ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...

その間に、キッシュの中身を作ります。
この本によるとペーコンを入れるとのことですが、私はベーコンだけよりも、ベーコンと法蓮草のキッシュが好きです。しかし、法蓮草はありません。
家族に-法蓮草、なくてもいいか?-と、聞いたら、最初は小松菜でもいいんじゃあとの答えでしたが、小松菜...独特のにおいがあります。ふぅーむ。
迷いつつ、タルト型を物置から探しだしたら、これが大きい。
なんと、直径25センチ近くもあります。
縮IMG_0795

うっ...?
あわてて本を見たら、本でのキッシュの中身は18センチの型用で分量が書いてあります。
18センチだと、生クリーム200ccです。

うちのタルト型は約25から26センチです。でかい...大きい。
では、タルト生地は?あの分量でいいのか...そう思い見たら、タルト生地は、小麦粉200グラムの割合で作ったもので、250グラムを使用すると書いてあります。
この本はタルト生地は巻末に作り方が書いてあり、ある程度たくさんの量の生地をつくり、それをそれぞれの料理や、タルトの大きさに取り分けてつかうということのようです。

小麦粉200グラムで作って、18センチの型でしかできなかったら、どうやって焼こうか?一瞬不安な気分になりました。しかし、よく見ると、18センチの型では、タルト生地が250グラムいると書いてあります。そこで冷蔵庫に休ませてあった生地を量ったら、350グラムほどありました。2倍ほどはないですが、あるていどはあります。
ちょうど25.26センチの型にいいぐらいかもしれない...そう思い、タルト型に油をつけ、生地を伸ばしはじめました。

しかし、中身の生クリームは200CCでは足りません。法蓮草も、ありません。そんなことを言ったら、だんながちかくのスーパーまで買いに行ってくれるといいます。だんなはくいしんぼうなので、できあがりがいいほうがいいのでしょう。寒い夕方、買い物に行ってくれたのです。

私はその間に、法蓮草をゆで、ベーコンを炒めます。

続きはまたね。
投票-40-


縮IMG_0786


関連記事

theme : 食品・食べ物・食生活
genre : ライフ

トンデモ話は奥で繋がる(69) 23.1.8

 トンデモ話は奥で繋がる 「第六十九夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪大洪水の真相 ①≫

 ★ 最後の切り札
 
 さて、先の会議でエンリルエンキを非難した後、こう言います。

 「しかしながら、まだ人類を滅ぼすチャンスはある」

 この最後の切り札こそ、世に知れた「大洪水」なのです。しかし、
シュメールの文献では、「大洪水」そのものは神々の仕業ではな
ようです。彼らは、それが起こることを人類に伝えるかどうかの
採決
をします。

 この会議には長老であるアヌも出席しています。そして、そのこ
とは、ある重要な事実を示すものです。彼がやって来られるのは、
彼の住居のあるニビルが太陽系近くまで接近している時なので
す。

 ある小さな粘土板に刻まれた、約30行ほどの楔型文字の冒頭
には、「天の支配者」について、次のように書かれた文書がありま
す。

  英雄は素晴らしい力と大きさを誇っていたが
  太陽よりは弱く、太陽の下僕として
  太陽の周りを回転していた

 そして、この英雄はかつてティアマトとせめぎ合い、地球のそば
を通過したことが述べられており、惑星ニビルを表していることが
わかります。そして、古文書はこう続いてゆきます。

  英雄と言う名の支配者よ 
  汝は、細かき水を集め ほとばしる水をつくり
  正しき者も悪しき者も洗い清めり
  双頭の峰をいだく山々に 休める者をいたわり
  魚の棲める河々に洪水は終わりぬ
  山々の木々に、鳥は休み
  新しき日々は始まりぬ

 これは聖書の「大洪水」の記載とほぼ同じ内容を表しているものと
思われます。そして、このメソポタミアの洪水伝説では、それを引き
起こしのは「英雄」である惑星ニビルとなっているのです。

 折しも地球は、何度目かの氷河期の終わりの時代に入っていまし
た。ネフィリム達は、南極の氷の不安定さを観察し、惑星ニビルの
通過の際、その氷塊の崩落による水位の急上昇を予測していたの
です。

 加えて、ニビルの通過に伴い、地球の海面はとてつもない潮汐力
を受けることになります。ネフィリム達は、地球には住めるような陸
地は残らないものと予測したようです。

 そして、「人類全てをこの災害で葬り去ってしまおう」というのが
エンリルの「最後の切り札」だったのです。そのためには、人類にこ
のことを一切伝えてはならないという議決がされたのです。

 特にエンキには、「秘密を洩らさない」旨の宣誓を迫られました。
彼は「何故、私を宣誓で縛ろうとするのか。どうして私は、自分
の仲間の人間に手を振り上げなくてはいけないのか」
と反論しま
す。

 しかし、最後には強要されてしまいます。古文書には「アヌ、エンリ
ル、エンキとニンフルサグを始め、天地を治める神々は宣誓を
した」
と記されているのです。

 ★ 掟破りの人類救済

 エンキは、迫り来る危機を何とかして人類に伝えたいと考えます。
秘密を漏らさないという宣誓は守らねばなりません。しかし、彼は
「間接的に人類に"秘密"を悟らせけばよいのだ」とひらめきます。

 彼は宮殿にアトラ・ハシスを呼んで、葦で作られたスクリーンの
後ろに控えるように仕向けます。そして、自身はそのスクリーンに向
かって「独り言」を呟き始めたのです。

  私の指示に注意を払いなさい 
  全ての住民に 全ての都市に が襲い掛かるだろう
  人類の子孫は絶えるであろう これが最終決定なのだ
  神々の集会が決めたことなのだ
  アヌ、エンリル、ニンフルサグが言ったのだ

 この様子を描写した円筒印章が残っています。そこには、蛇の神
エンキが、共の者にスクリーンを支えさせ、アトラ・ハシスに洪水の
秘密を独白している絵が描かれています。

縮秘密 
(ゼカリア・シッチン『人類を創成した宇宙人』p489《徳間書店(竹内 慧・邦訳)》
より転載)
 
 さらに「ギルガメッシュの叙事詩」には、その時エンキの言葉を、語り
部であるウトナピシュティが、ギルガメッシュに伝えている場面として、
次のように述べています。

  シュルッパクの人、ウバルツツの息子よ
  家を壊してを作りなさい!
  領地をあきらめ、汝の生命を捜しなさい!
  財産を強く否定しなさい 魂をずっと元気にしておきなさい!
  船に乗って、全ての生物の子孫を持っていきなさい
  汝は船を作らねばならない
  その船は寸法を測られるのを待っている

 まさに、聖書の『神』がノアに伝えた言葉そのものです。この『神』こ
エンキであり、『神々』の中のたった一人の反逆者であり、その意
志は、他の『神々』の意志ではなかったのです。

 この場面で、アトラ・ハシスエンキに「舟を作ったことがないの
で、見えるようにそのデザインを土の上に描いてくれませんか」と頼み、
エンキはその舟の寸法や構造さえ示しています。

 アッカドの古文書によると、「そのボートは固い樹脂で密封され、上
にも下にも屋根があり、甲板も開口部もない潜水艦」のようなものだ
ったとしています。

 エンキはその舟の名を「マグルグル」と名づけています。その意味
するところは「回転したり、ひっくり返ったりできる」で、まさに大洪水
強力な水の動きに耐えうる構造であったと想像されます。

 こうして、1人の『神』の掟破りに従ってアトラ・ハシスは、表向きは
エンキの宮殿を建て、エンリルの怒りを避けるのだとしながら、1人
「方舟」を創り始めます。

 他の『神々』はと言えば、あくまでも「人類全ての滅亡」を想定して
いたのであって、『神々』は「心正しきノアだけを救った」というのは、
その後の結果からこじつけた聖書の解釈にすぎないのです。

  さて、次回第七十夜は「大洪水」の実態へと続きます。

目次のペーシへはこちらから


目ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...


投票-40-
縮IMG_0786



次のペーシへはこちらから

関連記事

朝...日の出がまだ遅いです

冬至のころは、柚子で検索してくる人が多かったです。このごろは、少なくなってきましたが、まだまだ柚子でこのブログにたどり着いてこられる方もいます。
冬至は、日の暮れるのが早く、夜明けは逆にもっとも遅くなります。

冬の夕方、とっぷりと暮れた空の下、自転車の明かりをつけて田んぼの中を走るのはこわいです。去年は、知り合いと自転車で忘年会と称し、焼き鳥屋に飲みに行きました。

いつもは自転車ではとおりません。夏や秋、春の気候の良い時、自転車で走りましたが、こう寒くなっては自転車には乗ってられません...というより、自分の自転車が秋にこわれ、廃品回収に出してしまい、自転車はなくなりました。そこで小さい小学生用のこども自転車に乗っていましたが、これが乗りにくい。
あたりまえだろう。おとながこどもの豆自転車にのれるもんか。
それはそうです。
でも、私は小さい。ちびの大人です。
何年か前には大学の同級生に
縮んだ...と、失礼なことも言われたし、子供自転車、どうってことないや と、乗ってみたところ、
乗れます。
ブログ村ランキングに参加中
面倒をおかけしますが、クリックしてにゃあ
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

押してくれると-くほほほ-と笑みがこぼれちゃう...


しかし...

やはり、乗りにくい。21インチか18インチか忘れましたが、この自転車で漕ぐと、てっぺんに膝が来るときはいいのですが、ぐっと下に足が来て、足をのばす...となるといけません。
伸ばしきれない...ずっと曲がった膝のままえんえんと漕ぐ...関節が痛くなる。

子供サイズと自分を思っていましたが、足は意外にも長かった?

子供自転車は長距離はこげません。そんなことを膝をさすりながら思いました。

さて、去年の焼き鳥屋の忘年会ですが、友人と自転車に乗っていきましたが、たまたまだんなの自転車があったのでそれに乗って出かけました。6時半ごろです。
12月の暮れというのは6時台でも真っ暗で、自転車を走らせましたが途中、いやな予感が...

ここをまっすぐは、行けなかったような...気がする。
しかし、そのまま、暗闇で走ったら、なんと、木の茂みに激突しました。

木の間に自転車が挟まり、自転車も人間もなんともなかったですが、こわいですね。旦那の自転車だったからよかったですが、子供用だったらもっとまともにぶつかっていたと思います。車の通る車道沿いの歩道ですが、車のライト反射でかえってなにも見えなくなっており、ぶつかったのです。

夜、街灯がないというのはかように危険なのです。なにもなくてよかったです。
夜はこんなにとっぷりと暮れていますが、今、朝の6時半は、もう日が出てます。
朝早いと、道路のミラーもくもったりしていて、冷え込みは厳しいです。でも、朝の太陽光が冬の空に赤みがさすように広がっているのをみると、気持ちいいなぁと感じます。

夜、光がないところを心細く走るのを思い出すと、ちょっとでも太陽が出る早朝は、不安も憂鬱も瞬間的に払ってくれるような気がします。
投票-40-
縮IMG_0786




関連記事

theme : 日々のできごと
genre : ライフ

トンデモ話は奥で繋がる(68) 23.1.6

トンデモ話は奥で繋がる 「第六十八夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪神権者アヌンナキ ④≫

 ★ 神々の純血

 人類が地球上に増え始めたことに対して、聖書の創世記6章は、次の
ような記載を持って始められています。

  人が地のおもてに増え始めて 娘たちが彼らに生まれた時
  神の子たちは 人の娘たちの美しいのを見て 
  自分の好む者をに娶った
  そこで主は言われた
  「わたしの霊は、ながく人の中にとどまらない
   彼はさまよう、肉にすぎないのだ」


 このことこそ、神々が人類に繁殖能力を与えたことの「厄介さ」を示し
ているらしいのですが、この後半の「主」の発言については、聖書の研
究者もその意味について、首をひねっててきたようです。

 シッチンは、この文について、「神々の息子が性的に人間の娘とかか
わり始めたので、神々自身の神霊が悪化し始め、"肉にすぎない"類
人猿
に近づいてしまった」との解釈を示しています。

 具体的には、アヌンナキと人間との「2世」たちが神々の子孫として
加わることで、遺伝の純粋性が薄くなった神々の血族結婚が増え、神
々自身の遺伝子が悪化したのだとしています。 
 ……………………………………………………………………………

 結果的には同じことかもしれませんが、小生はもう少し突っ込ん
だ見方
をしています。主であるアヌンナキの発言は、もっと直接的
な表現をしている
ような気がするのです。

 多くの「神話」は神の不老不死を謳っています。つまり、純粋な彼
らには永遠の寿命があるのではないでしょうか。しかし、我々の肉
はどんなに頑張っても、老化から逃れることはできないのです。

 つまり、主であるアヌンナキと人間との「2世」たちは、人間の肉体
を持ってしまうが故に、人間ほど短くはないにせよ、「死すべき存在」
になってしまうということではないかと思います。

 そのような肉体を得た状態は、彼らの本来の姿ではなく、そんな神
々が増えてしまうことを野放しにはしておけない
…というのがこの発
言の意味ではないかと、小生は思うのです。

 (そんな「彼らの霊」とは一体どんな存在なのか…この点について
は、シッチンの謎解きには出てきませんが、複数のチャネラーが
味深いチャネリング
をしており、後ほどお話ししようと思います。)

 ★ 人類根絶計画 

 シュメールの『神が人になったとき』と題された古文書は、こうした時
代を扱ったものと思われ、人類の急速な増加を快く思わなかったエンリ
らの様子が、以下のように記述されています。

  土地は広がり、人も増え続けた
  人々は牛のように大地に寝そべった
  人は変わりゆき、神は安らぎを失った
  神エンリルは耳障りなおしゃべりを聞いた
  そして、大いなる神々はつぶやいた
  「この重苦しさは、人類の騒がしさのため
   そのうごめきは、我より安息を奪えり」

 ここで、神々は人類に「罰」を与えます。聖書でも有名な、大洪水を引
き起こすのかと思いきや、意外にも、エンリルがとった行為には「洪水を
起こす」話は出て来ない
のです。

 エンリルはまず「疫病」によって人類を根絶しようと考えます。

  「痛み、目まい、悪寒や高熱を与えよ
   そして疾病、伝染病、疫病を広めよ」
 
 しかし、この計画に対し、エンキの側近である「特に賢き者」アトラ・
ハシス
はこう懇願します。

  「我が主よ、人々は苦しんでいます
   神々の怒りは大地を飲みつくしております
   しかし我々人類をお創りになったのはあなたです
   人々の苦痛や目まい、悪寒や高熱をお取り除きください!」

 エンキの計らいで、疫病は鎮まります。エンリルは神々に激しい不
満をぶつけ、次なる計画を立てます。

  「何ということだ、人々は滅亡するどころか
   前より増えているではないか!
   人間から食べるものをとりあげてしまえ
   胃の中をからっぽにせよ
   果物や植物を欠乏させよ!」

 こうして「飢饉」が始まります。さらにエンリルは念を入れて、海産物
も取り上げるよう、エンキに命令しています。この間の出来事が「シャ
アトタム」という期間の単位とともに記載されています。

  1シャアトタムのあいだ人々は草を食べた
  2シャアトタムのあいだ人々は天罰に苦しんだ
  3シャアトタムがやってきた
   人々の姿は飢えのために変わってしまった
   人々の顔は骨と皮になり引きつっていた
   人々は死と隣り合わせで生きてきていた
  4シャアトタムがやって来た時
   人々の顔は緑色に変わっていた
   人々は街路を這いずって歩いた
   人々の広い(肩?)は縮まって小さくなった
  5シャアトタムがやって来た時
   母親は飢えて泣く自分のを 
   戸口にかんぬきをかけて追い出した
   娘たちは 母親がどこかに食べ物を隠していないか
   嗅ぎまわっていた
  6シャアトタムがやって来た時
   人々はその娘を食事のために用意した
   子供を食物にしたのだ
   一つの家族が他の家族をむさぼり食った
 …………………………………………………………………………… 
 
(「伝染病」そして「天候の操作」。これがエンリルの取った手段で
した。これらは現代でも「自然災害」として人類を襲っていますが、
この手の『神々』がいて、意図的に起こしている可能性もあるわけ
です。)
  …………………………………………………………………………… 

 この間アトラ・ハシスは、何度もエンキにとりなしを願い出ました。
 第7シャアトタムに入り、生き残った人々が死神のように成り果てたと
き、エンキはついに動きます。

 途切れとぎれの叙事詩からシッチンが読み取った内容は、海の魚
檻のかんぬきを人間に壊させ、エンキはそれを見過ごしたようです。
ンキ
は「魚が自ら壊した」とうそぶきますが、エンリルは激怒します。

 神々の会議が持たれ、エンキは「魚の監視人」を罰することで事を収
めようとしますが、エンリル「人間にいっさい食物を与えない」こと
を要求します。それに対するエンキの描写がこう続きます。

  神(エンキ)は馬鹿ばかしい神々の会議に飽きてしまい
  笑い出してしまった

 エンリルは「お前は会議を侮辱している」と罵りますが、エンキには、
神々の都合で自らが創り出した人間を、またも神々のモラル上の都
で絶滅させることなど、愚かしいことにしか思えなかったのです。

  この時点で、エンキエンリルの人間の処遇についての対立は
決定的なものとなります。しかし、エンリルにはまだ「最後のカード」
が残っていました。それについては 次回第六十九夜でお話ししま
す。


目次のペーシへはこちらから
関連記事

みんなでESPカード等をあててみよう-40-

本があります。
本にちなむ項目を直感で選んで当ててください
縮IMG_0786




結果発表は2月はじめです。
関連記事

theme : スピリチュアル
genre :

スピリチュアルと明るさ...正しさ ふざけ

このごろは、スピリチュアルな明るさにとまどいを覚えることが多いです。

何言っているんだ。お前は...
スピリチュアルエクササイズとお茶会なんて、やっているんじゃあないか...と、糾されたら、ぎゅうの音も出ませんが...言い訳じみてますが、私のスピエクササイズは、道徳的でも、明るさ/100パーセントでも、ありません。
一言で言えば、学んだことをみんなに伝える...ということですね。

見えない世界があると信じている、感じているので、そういったことが特別のひとのものだけではないと、訴えたい...そんな叫びにも似た感じでほえているだけと、いったところです。

私のスピリチュアルエクササイズはさておき、スピリチュアルな世界の人は、人生のあり方や、生き方をとくことが多いです。そして、光の道を歩こうとみんなを鼓舞し、率いていく...私は不思議なこと、おばけ、超常現象、神話の世界などは好きですが、道徳的に道を説くとか、どうも好きではありません。
友達とかが大変な思いをしていると、物事の捉え方とか...こう考えたらどえだろうとか、こんな楽な考え方もあるとかはつい言ったりしますが、いざ、人に道を説くか?となるとNOです。

確かに物事は自分の創造性にかかっているのだろうと、思ったりします。しかし、スピリチュアルの本...私も持っていますが、観念的かつ、実際の生活での対人関係での処し方や、金銭に対する考え方が、一律的...読んでいると飽きてきます。
この間、ビジネスコーナーの本を手に取ったら、内容がスピリチュアルの本とほとんど同じでした。人を動かす。豊かになる。売り上げを伸ばす...
なんだか、精神性と、功利主義とまぜこぜになっているようなところに、はっとした思いがありました。

人は民草ともいいます。この世におびただしく生えては消え、また生えてくる草のようにこの地球上には名もない庶民が生まれては死んでいく。草の人生。今、現実、アメリカ由来のスピリチュアルには乗り切らない草が、この地球には名もない人々が、うごめいている。
そんなことを感じると、スピリチュアルがはなばなしければ華々しいほど、うつろな虚しさを感じることもしばしばです。アメリカからのアメリカンドリーム的スピリチュアルは、どこか、疑問を感じざるをえません。

スピリチュアルの本。確かにすばらしいことを言っています。
そして、それをそのまま、世のチャネラー、ヒーラーは伝え、みんなを癒しています。しかし、私は思ってしまうのです。みんなおんなじではない。みんなそれぞれの抱えている心の淵の深さは一様ではなく、底にうごめくものも違う...

昔、学生のころ、同級生に宗教を勧められました。非常に戒律のきびしいところで、神の話に感動し、修行に励む同年齢の人たちを私は畏敬のまなざしで見ました。みんな、信仰深く、マジメだったのです。
そこで、神の話をみんながしていたときに、私は、急に、面白いことをおもいつき、知り合いに言ったら、まじめなみんなは驚きあきれ、年上のリーダーは目をつりあげて怒り出しました。

立派なことを言っている...確かに...
しかし、みんなおんなじ。つまらんなぁ。

やっぱり私はふざけた人間で、人間の矛盾や、光と共に暗黒、名もない人々の息遣い...そんなことを見ているほうが好きです。暗い小説。いやらしい物語。やくざの啖呵 
でもなんだか感動してしまう...いつのまにか、そんなものがいっぱいつまっている文学、小説の方に走っているのです。ぜんぜん高尚でも、高次元でもないなぁ。

むかし、あのリーダーは言っておった...
-文学、小説なんか夢中になって...低俗だ-

低俗だっていいではないか。高次でなくても、神でなくても...
この世に生きている。生きているんだ。愛という高尚な言葉一つにくくれない、それぞれの真実、現実をよく見ていたい...

私も民草のひとつだ。わけもなく思うこの頃です。



関連記事

theme : どうでもいいこと
genre : その他

結果発表ESPカード等を当ててみよう-39-あすはなろう

12月に本の表紙を見て内容を当てる問題を出しました。
なんだったか...

正解は、井上靖の-あすなろ物語-です。

伊豆に生まれ育った井上靖の自伝ではないですが、作者と重なるような主人公の-あすなろ-としての哀しさ、美しさ...を小説として書いたものです。
伊豆はもちろん、大人になってからの京都、その他東京でのこと...さまざまな場所が出てきます。

私はこの小説に限らず井上靖の小説は、たくさん読んでいます。そのなかでもこのあすなろ物語はドラマチックでないにかかわらず、際立って印象に残る一品です。
ヒノキになろうとして、なれない-あすなろ-...いや、あすなろにさえなろうとしていないと、信子に言われる鮎太。このくだりを読むといつも自分はどうなんだと考えてしまいます。
檜になろうと、檜にあこがれ、天を仰ぐ...しばらくすると、そんなことも忘れ、なんにもなろうともしない。まさにあすなろでさえもない...鮎太と同じです。

冬の伊豆の山の中、白い雪をうっすらとかぶり、屹立する檜...
その傍らに、無数の-あすなろ-が立っている。人はなんだ-アスナロ-か、と言う。
檜、あすなろ、その他雑木を抱え、大きなる山の白い山頂が青空に映えて美しい。檜もあすなろも、森の熊もすべては美しい...
そんなことを考えつ、やはり、私は-あすなろ-にすらなってないのだろうかと、思ったりもします。

この-あすなろ-声にだしてみるとちょっとだけ哀しさを感じますが、これはどうして、すばらしい木材のようで、実は-檜-よりも良材として珍重されている-ヒバ-だとは...
家のリフォームなどでいろいろと調べていて知りました。

明日はなろう...
いいではないか。

あすはなろう。なることも忘れる。なんになろう..いつのまにか.年をとり、年の数だけ天を、山を仰いでいる。
考えてみれば、生まれたときはなんでもないのです。名前すらない。なにかになる。檜である。そんなこともこの世の幻想かもしれませんね。

あすなろ...哀しいけど、早春の希望を感じます。早く春よ来い。雪の峰峰のしたには、春が待っているような気がします。-あすなろ-というとそれを思い出さしてくれるような気がします。檜は違います。冬の厳しさにも夏の暑さにもひるまず戦う強さを感じます。

ひのきは、すばらしい。しかし...じぶんではないなぁ。


あすなろは哀しい。でも、どことなく春の息吹を待っているかの風情があります。
私も早春の生まれです。生まれた時には春の雪が降っていたそうです。

あすなろ?それともあすなろですらない?
しかし、早春のあるとき、降りしきる雪の中のあすなろと化している自分を感じます。横殴りに降る雪。時折、音もなく雪がやむ。そんな時、春の明るい光が山に注ぐ。とける野兎の足跡。流れる沢の水。あすなろの枝の雪がざっと地面に落ちる...雪の中、ひっそりとたたずむあすなろ...


あすなろもわるくない...そんなひとことをつぶやいたりして。

関連記事

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

トンデモ話は奥で繋がる(67) 23.1.1

トンデモ話は奥で繋がる 「第六十七夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪神権者アヌンナキ ③≫

 ★ 心優しき祖先

 「人類の起源はいつなのか」については、現代でもまだ明確な答えを
出すに至っていません。しかし、シュメールバビロニアの古文書は
明確にその時期を特定します。

 前六十五夜でお話した「アヌンナキの反乱」については、45万年前
に地球へ最初に上陸してから40シャー(14万4000年)の経過後に起
こったとされており、今から約30万年前ということになります。

 聖書の記述では、神々(エロヒム)は「我々の形に、我々にかたどって
人を創った」とされており、「人間そのもの」を創りだしたようにも取れま
すが、シュメールの神話では、より具体的に述べられています。

 エンキは、神々が「人間」を創ることを決定し、その方法を打診された
時に、こう返事をしています。

  「あなたが言ったその生き物 それは実在する!
   既に存在しているその生き物の上に 神々の姿をのせよ」

 その生き物は、ネフィリムが初めて地球に降り立った氷河期の時代か
ら、そこに存在していた霊長類でした。原始の時代を扱ったシュメール
の物語は、次のように記載しています。

  人類が創られたとき 
  それらは、パンを食べることを知らなかった
  衣服を身に付けることを知らなかった
  彼らの手で羊のように植物を食べた 溝から水を飲んだ
  体中毛むくじゃらで 彼は女性の髪を授けられている
  彼は人々も土地も知らない
  彼はまるで緑の野原の一つのように見える
  彼はガゼルのように草を食べ
  彼は野獣と 水場において親しく接する
  水の中の豊かな生き物によって 彼の心は喜ばされる

 それらの「人間となる生き物」は、進化度は低かったものの、ある程度
知能を持ち、他の動物と共存する心優しい生き物だったようです。
 その一例として、ネフィリムのハンターが動物を捕らえる罠に対する、
彼らの行動について、次のような記述があります。

  彼は私が掘った落とし穴を埋めてしまった
  彼は私が仕掛けた罠を引き裂いた
  その大草原地帯の獣と生き物 彼は私の手からすり抜けた

 ★ 人間誕生
 
 エンキは、彼らを改造することを考えたのです。神々の労働を肩代わり
させるため、その野蛮さを取り除き、道具を扱える体を作り出すための
作業が始められます。

 2つの古文書『神々が人だったとき』『母なる女神による人類の創
造』
には、人類作成の方法の詳細が述べられています。母なる女神であ
ニンフルサグ(ニンティ)に相談を受けた彼はこうアドバイスします。

  私は清める風呂を準備する 一人の神を出血させなさい
  彼の肉と血から ニンティよ、粘土を混ぜなさい
  私の女神ー配偶者ニンキが 出産の苦しみを負うであろう
  手伝うために 7人の女神たちがそばにいる

 何らかの「粘土」に神の「血」が混ぜられ、さらに、自分のがその生み
の親として協力するとしています。まさに現代の人工授精を思わせるもの
です。さらに別の古文書では「粘土」についてこう述べています。

  この粘土の中で、神と人は結び付けられ 一緒になった
  一日が終わって 神の中の肉体と魂は成熟させられた
  血縁の魂が、束ねられる

 つまりこの「粘土」は受精卵を生育させるための培養液のようなもので
はないかと想像されるのです。こうして生み出された最初の人間はアダパ
と名づけられています。聖書では「アダム」とされる人間です。
  
 さて、満足のゆく人類第1号が創造されたことで、いよいよ人類の量産
体制
が始めらます。神々の遺伝子を持った「アダパの精子」が「類人猿
の女の卵子
」と受精され、選ばれた誕生の女神たちが人類を生み出しま
す。

  賢く、そして博識な7の2倍の誕生の女神たちは集合した
  7人が男性を生んだ、7人が女を生んだ
  誕生の女神は生んだ生命の息の風を(…欠落…)
  それらはペアで彼女の前で完了する
  この生き物は、母なる女神の民であった 

 ★ 人間の繁殖

 こうして、アヌンナキの労働を肩代わりする「人類」が創造されてゆきま
す。しかし、彼らの創造方法を見る限りは、人類自体に繁殖能力はなく、
あくまでもアヌンナキの必要に応じて増やされたように見えます。

 残念ながら、彼ら人類の繁殖能力について書かれたシュメールの文献
は残っていないようです。しかし、エンキアダパに何らかの知識を与え
たという記載が残っています。

  彼(エンキ)は広い理解力を仕上げた(…欠落…)
  彼は賢さを与えた(…欠落…)
  彼は知識を与えた
  彼は永遠の命は与えなかった

 さて、この記述と聖書の「失楽園」の話を照らし合わせてみると、ひとつ
の推測が浮かびあがるとシッチンは指摘しています。以下、聖書の物語
のくだりを抜粋して示してみます。

  はどこからともなく現れ、神の厳粛な警告に挑戦した
  そして、蛇は女に言った
  (…中略…)
  「あなた方は決して死ぬことはないでしょう
   それを食べると、あなたの目が開け
   神のように善悪を知るものとなることを、
   神は知っておられるのです」
  (…中略…)
  その実を取って食べ、
  また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた
  すると二人の目が開け、
  自分達がであることがわかったので
  いちじくの葉を綴り合せて、腰に巻いた
  (…中略…) 
  主なる神は言われた
  「見よ、アダムはわれわれの1人のようになり
   善悪を知るものとなった
   彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ
   永久に生きるかもしれない」
  そこで、主なる神はアダムをエデンの園から追放した

 メソポタミアで発見された絵図の一つに、ここで悪役を演じた「」が
果実の木」に絡みついた図が残っており、その頭上には「アヌ」を表す
天の星、蛇の近くには「エンキ」を表す三日月が描かれています。  

縮蛇 
(ゼカリア・シッチン『人類を創成した宇宙人』p461《徳間書店(竹内 慧・邦訳)》
より転載)


 つまり、蛇で表されたエンキが、天の意志に反して、禁断の2つの木の
果実のうち「知恵」を得る方の果実のみを与えたことを、聖書の物語が
示しているものと考えられます。

 そして、ここで「知恵」を得た最初の行為が、互いの生殖器を隠すこと
であったとすると、自分達が生殖能力を隠し持ったことを暗喩してい
るというのが、シッチンの導き出した推論なのです。

 エンキは、原始的な労働者であった人類に、子孫を残す方法を授け
ました。具体的な方法までは述べられていませんが、何らかの遺伝子的
な改良を加えたものと思われます。

 そしてこれ以降、アダパ(=アダム)の子孫が次々と生まれてゆ
くことになります。しかし、それは神々にとって厄介な問題の元に
もなったのです。続きは 次回第六十八夜でお話しします。


目次のペーシへはこちらから
関連記事

結果発表 ESPカード等をあててみよう-クリスマススペシャル-

あけましておめでとうございます。
さて、クリスマスにだしました問題の答えです。
縮IMG_0768

裏返した状態で入ってています。
こんな感じに見えた人もいるかもしれませんね。
ちなみに私は上がぽこぽことした山のように感じましたが...
はずれました。
縮IMG_0767


正解はプレゼントの箱のようでした。
関連記事

theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

プロフィール

握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。猫、鳥、虫等、とやり合いながら暮らしています。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

☆★☆管理画面★☆★


☆★☆

十二か月の着物

手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

カテゴリ

最新コメント

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
心と身体
301位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
スピリチュアル
79位
アクセスランキングを見る>>

検索BOX・タグ一覧

サイト内検索

全記事一覧,全タグ一覧へ

クマネルおすすめコーナー

月別アーカイブ

カテゴリ別記事一覧

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示

QRコード

以下のHPもありますが、休止中です。

星読の譜

QR

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

カレンダー

12 | 2011/01 | 02
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

メールフォーム

メールはこちらまで

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

RSS登録er

最新トラックバック

イラスト