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05
   

着物完成か?

ようやく袖がつき、完成しました。
s-きものできた


矢絣の着物です。3年以上未完成のまま放置してました。押入れのすきまにあるのをようやく発見し、続きを縫いました。襟付けや袖付けが難しいかと案じていましたが、やりだしたらあっけなく完成しました。

矢絣は昔の御殿女中が着ていたそうです。仕事着だったのでしょう。
縫い始めたのがずいぶん前なので、麻とポリだと思い込んでいましたが、麻と、綿の混紡のようです。

矢絣という柄は、矢の羽の部分をデザインしています。大きいと、粋ですが、舞台衣装のような大胆さもあります。しかし、この柄は小さいので粋とまではいきませんね。
紫の矢絣だと、ハイカラさんみたいです。しかし、そんな時代はとうに過ぎ、おばさんになってしまいました。この矢絣なら、今の時代のおばさんでもOKでしょう。
縫い終わって感じたのは、反物が短かったということです。縫う前に水に通したせいか、もともとなのか、私の身長に合わせて縫って丁度の長さでした。麻だから縮んだのか、ちょっと前の反物だから短かったのか今となっては分かりません。

大きい方は柄あわせがありますので、仕立て方にもうひと工夫いるかもしれません。

しかし、麻の着物...どのように着たらよいでしょうか。帯は何を?
こんどは、合わせる帯、小物、なにを選んだらよいか?しばらく悩みそうです。



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結果発表 みんなでESPカード等をあててみよう-18-

みんなでESPカード等をあててみよう-18-

さて、結果は

縮百間滝 さいころカップ 着物 022

6でした。

みなさん、また、来週もよろしくお願いします。
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トンデモ話は奥で繋がる(30) 22.5.29

トンデモ話は奥で繋がる 「第三十夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪無から有の世界に生きる一族≫

 ★ それは金融業から始まった

 ロスチャイルド家の系譜を辿る前に、そもそも「貨幣」とは何なのか
を考えてみたいと思います。

 物々交換の時代にあっては、お互いの所有する物品について「等価
値」 となるような交換
がなされており、仮にどちらかが「利ざや」を取っ
ていたにせよ、長期的には「うまみ」が相殺されて均衡するはずです。

 しかし、これではお互いの要求を満たす相手が現れた時にしか交
ができません。そこで、物品の価値を表す共通の媒体として「貨幣
が考案され、品物はいったん「貨幣」と交換され、それと等価のものを購
入する権利
を担保されます。

 「貨幣」として、長期間品質の変らないものが望まれ、次第に金・銀が
一般的な貨幣
となります。しかし、乱発されればその価値の信用度が
なくなってしまうため、鋳造の権利が国王等に特定化されてゆきます。

 また、国費を調達する手段として、定期的に金貨等の一部を税金とし
て削り取り、新たに刻印して改鋳することも行われます。これを請け負
ったのが「金細工師」です。

 しかし、大権力者ともなると、集まってくる金貨等の保管場所に困っ
てきます。そこで、現物は「金細工師」に保管させ、自らはその預り証
を保有するスタイルが生まれ、「金細工師」はサイドビジネスとして、保管
料の収入
を得るようになります。

 やがて、物品の購入の際、保管してある金・銀を引き出すことなく、
預り証を譲渡することで、金・銀の所有権のみを移転させる方法に変
ってゆきます。これが「紙幣」の発生で、これについては、いつでも金貨
と引き換えのできる、実際の価値の裏づのあるものです。

 その一方で、「金細工師」達は、一向に引き出されることのない金貨
に目をつけます。眠ったままの金貨を裏づけとして、金に困った人達
「紙幣」を貸付け、「利子」を取というビジネスが生まれます。

 これこそ、現在の銀行の収益方法ですが、裏づけとしている金貨は、
預金者の資産として既に「預り証」が発行されています。それに対して
さらに「紙幣」の貸付を設定することは、同じ金貨に対して二重の紙幣
を発行していることを意味しています。

 つまり後者は、あくまでも借手が、将来、同額をもって返済すべきこ
とを示す債務としての「紙幣」
であって、貸し付けた時点では実際の
貨の裏づけは何もない
のです。

 ★ 銀行、それは巧妙に仕組まれた詐欺

 つまるところ、銀行の融資する紙幣とは、貸し付ければ貸し付けるだ
け、返済者の債務が積みあがっていく負の財産です。そして、借手が
苦労して返済した金貨等の大半が先の債務の相殺に消える一方で、
銀行は労せずして利子分の金貨を手に入れるシステムなのです。

 まさに、何の労力もかけずに「無」から財産を生み出このシステム
唯一の弱点は、金融不安による「取り付け騒ぎ」です。

 預け主が一斉に金貨等を引き出そうとしても、金庫には「二重に発行
された」分、そして、実際にはそれが連鎖的に繰り返されて何重にも膨
れ上がった分の紙幣
はありません

 従って、銀行家同士は互いにカルテルを結び、「取り付け騒ぎ」が起
こった場合は、金貨を融通し合ます。そうしないと、全体的な紙幣の
金額が、実際の金貨等の何倍にも膨れ上がっている以上、騒ぎが連鎖的
に拡大してゆくからです。

 そして、これらの詐欺的な利殖方法を、外部に漏らすことなく、できるだけ
永続的なものとするたに、銀行家同士の姻戚関係が進み、金貨は次
第に少数の一族の金庫の中に集められてゆくのです。

 ★ そしてダイヤモンド、ウランへ

 さて、彼等がそれを「本業」としてゆく上で、むやみに金・銀が産出された
のでは、借手がなくなってしまいます
。そこで彼等は、その金貨をつぎ込
んで、その大元である「鉱山」を買い占てゆきます。

 そもそも、金・銀についても、その細工のし易さや、錆びない利点から、食
器や調度品に使用されており、それなりの価値は持っていますが、その価
値の大半は、その「輝き」に対するも
で、それに興味のない人達にとっ
てはその部分の価値は無きに等しいといえます。

 例えば、再び氷河期が訪れて、寒さと飢えに困窮する中、物々交換だけ
が行われる世界であれば、「木の実」と「毛皮」は交換する価値があるで
しょうが、金銀など何の足しにもならないでしょう。 

 さらに、鉱山から得られるものの中に、宝石があります。こちらはまさに
「輝き」のみの価値です。掘り出すのに労力を要するとはいえ、 偶然に手
に入れれば、まさに「無」が莫大な「資産」に変わるのが今の世の中です。

 さて、今でこそ宝石の王様となった「ダイヤモンド」も、原石のままでの輝
きは乏しかったため、中世ではその価値は低く、原石での価値はエメラル
ドの4分の1、ルビーの8分の1
で、主として金銀細工の副飾品として取引
されていました。

 しかし、17世紀に開発されたブリリアン・カットの技術がその価値を一変
させます。単独でも充分な価値を得たダイヤモンドは、新しい産業であるため、
まだギルドも発生しておらず前二十九夜でお話したアムステルダムへ退避
したユダヤ人の主たる職業となってゆきます。

 さらにもう一つが、二十四夜から二十八夜にかけてお話した、ウラン鉱石です。
これも、安全に取り扱うコストを考えれば、発電用としての価値は非常に低く、核
兵器という「人道に外れた」使用価値しか持たない無用のものなのです。

 ただし、忘れてはならないのは、彼等がこうした稼業に手を染めてゆくことにな
った背景には、主としてキリスト教皇が取ってきた極端な身分差別により、彼等
が"賤業"とした金融業以外の生業を奪い、かつ、それを蔑みながらも"必要悪"
として利用してき
一面があることも事実なのです。

 ロスチャイルド財閥の増長の歴史は、まさにこの「無用の長物」を、次々と経
済の主役にすり替えていった歴史
そのものです。次回第三十一夜からは、も
う一度「赤い楯」に戻って、その足取りを辿ってゆこうと思います。

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バラ園へ行ってきました

可児の花フェスタ公園へバラを見てきました。

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赤、白、ピンクなどなど、バラが咲き誇っていました。

バラの中にカメムシが入り込んだり、大きい蜂がぶーんと飛んできたり、虫も飛び回っていました。
平日だというのに売店も飲み物をなんども補充しています。まだ冷えてないうちからすぐにジュース、お茶が売られていくのを見ると、土曜日曜の人出はものすごいだろうと、予想がつきます。

しかし、園内のひとを見ると、95パーセントが定年以上の人たちに見えます。
昔は、平日にどこかに出かけてもこんなに定年以上の人ばかりということはなかったですが、今は、違います。

団塊の世代の人たちとそれ以上の方々かの人口比率が高いのを実感しました。
こんな感じだとじきに平均寿命も110ぐらい行きそうな気さえしてきます。

とにかく元気だということはいいことです。苗を買っている人もいました。優雅なセカンドライフをバラとともに過ごす人がいるのですね。
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みんなでESPカード等をあててみよう-18-

今回はさいころの目を当てていただきます。
カップの中のさいころの目を当ててください。
s-5.27かっぶさい


結果発表は日曜日です。
よろしかったら下の欄にクリックを...
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京都であぶら汗...

雨が激しく降る中、鞍馬山に登ってきました。
雨が強かったので、途中の階段、山道も水たまりの中に靴を突っ込みながらの道中となりました。
ただ歩くだけで、風景を見る余裕もなかったです。

これは修行か?とまではいきませんでしたが、翌日、これより困難な旅となりました。

なーんて...翌日は車です。

歩きもせず、なーにが修行ぞ?

歩きませんでしたが、京都の道とナビが曲者でした。
京大の近くのあるところにナビを頼りに行ったところ、目的の駐車場はありません。がっかりする間もなく、この道の狭さにきづきました。進めない、バックできない、曲がれない...三重苦です。

こんな狭い道...通れるものか?でも、通らないと出られません。
まるで、ちいさな穴を通る-いたち-になった気分です。
猫なら、関節をはずし、らくらくと抜けるはずですが、車はそうもいきません。

右に切り返し左に寄せ...あーダメだ。電信柱がいやに出っ張っている。
今まで電信柱なんか気にしたこともなかつたですが、この京都というところは、いやに電信柱が威張っているような...そんな気さえしてきます。

とにかく、前に進み、なんとか、角を曲がることができた時には、もう、市内観光をする気はすっかり失せて、京都市内から逃げることにしました。

わたしがあぶら汗をたらして通りぬけた道沿いにも、私の車より大きい車がとまっていました。京都の人はすごいです。猫みたいに細い道を運転できるのですね。また、行けといわれても辞退します。無事出られてよかったです。

鞍馬山を登って降りるほうがよほどラクでした。

車での難行苦行はもうしません。

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京都にいってきました。一番はこれでした↓

鞍馬山に行きました。どしゃぶりの雨の中、鞍馬を抜けて、貴船まで行ってきましたが、雨だったので、鞍馬は、歩くだけ...となり、山中の写真はありません。
ところどころ、水たまりになって歩きにくく、木の根っこがどうのこうのというよりも、水のなかをいかに歩くかが精一杯でした。感想も、なにも感じる余裕もなかったです。というわけで、鞍馬に関しては、雨の印象ばかりで、これといった印象がありません。

さて、夜、京都駅のアスティロード?で、これは...というものを発見しました。

関西のひとには、珍しくないかもしれませんが、よそからの人間の度肝を抜く-せんとくんカプチーノ-です。

s-ちゃおぷれっそせんとくん 003s-ちゃおぷれっそせんとくん 001

だんなと二人、かわいいせんとくんにまいり、夕食後、お店に出かけて、飲んできました。

せんとくんは奈良のマスコットですが、そんなことは気にしない...
見て満足、飲んで満足の-せんとくんカプチーノ-でした。

お店については下のせんとくんをクリック
せんとくん
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トンデモ話は奥で繋がる(29) 22.5.24

トンデモ話は奥で繋がる 「第二十九夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪ユダヤに架せられた運命≫

 ★ 選民思想の極み「タルムード」

 さて、第六夜でお話ししたとおり、135年のローマとの2度目の戦争に
破れ、エルサレムへの入市を禁じられたユダヤの民は、「ディアスポラ
(祖国なき民)
」として流浪の生活を強いられます。

 一方、民族的危機に立たされたユダヤの民は、当時のイスラエルにお
けるユダヤ人共同体の長であったユダ・ハナシーの下、複数のラビたち
を召集し、「律法」には記されていなかった口伝的生活規範を、民族内
規の書物として体系的に記述する作業に着手します。

 これが、ユダヤ民族のもうひとつの聖典とされるタルムードと呼
ばれる書物です。その内容は、現実的な利益を求める生活指向を示
すものでしたが、同時に、非ユダヤ人のことを「ゴイム(家畜」と表現し
罵るなどの、故意に歪められた民族的排他性独善的選民思想が付
随し、これが、他民族に反ユダヤ感情を植え付ける一因となりました。

 一例をあげてみると、

 ● イスラエル人は、他のすべての民に対し優越する者である。
  他の諸族の中には、賢い者は唯一人としていないが、イスラ
  エル人は全部が特別に賢い人間である。
 ● 他の宗教に改宗した者は、盗賊になったのに等しい。
 ● イスラエル人は人類であるが、世界の他の国民は人類では
  なく
、獣類である。
 ● 十戒の「汝殺すなかれ」とは「イスラエル人を殺すなかれ」の
  意であり、ゴイム、ノアの子等、異教徒は除かれる
 ● 聖書に「隣人」と書かれた箇所は、全てゴイムを含まない
 ● ゴイムが証人となっている証書すべて無効である。
 ● 偽善はこの世では許される。すなわち、背神者に対し慇懃に
  振る舞い、彼らを敬い、彼らに向いて「我汝を愛す]と言うのも
  よい。 すなわち、必要上止むを得ざる場合や恐怖に駆られた
  る場合である。
 ● ユダヤ人はゴイムから奪ってよい。ユダヤ人はゴイムから金
  を騙しとってよい。ゴイムは金を持つべきではなく、持てば神の
  名において不名誉となるだろう。
 ● ユダヤ人はユダヤ同族より利子を取ってはならない。ただ
  イムからのみこれを取るべき
である。
 ● ゴイムが、われらの書物には何かゴイムを害するこが書い
  てあるのではないかと聞いたら、「そのようなことは誓って書い
  てない
」と偽りの誓を立てなければならない。
 ● 自由思想家及びトーラと預言者を否定する者を殺のは掟
  である。公然と刀剣を以て為し得る時はそのようにし、もし為し
  得なければ策計をめぐらして死に至らしむべし

 ディアスポラの時代、ユダヤ社会はかっての神殿祭祀ではなく、「シ
ナゴーグ(ユダヤ教会堂)」のラビ(ユダヤ教指導者)による旧約聖書
やタルムードの研究解釈
に切り替わりました。

 このシステムは、現在のユダヤ教にそのまま受け継がれていますが、
タルムードを中核とする「新ユダヤ教」にあっては、もはやかつてのよ
うな預言者も神の声もなく、「原始ユダヤ教」からは遠い存在となっ
ています。

 もっとも、聖典として認められるのは、あくまでヘブライ語で記述され
たもののみで、他の言語に翻訳されたものについては、意味を正確に
伝えていない可能性があるため、聖典とみなされていません

 小生自身、原文を読みこなすことは不可能なので、こうした「邦訳」 が
タルムードの真意を伝えているのかどうかはわからないのですが、残
念ながら、近年の歴史に関わってきた、一部のユダヤ富裕層の行動
を見てゆくと、この邦訳に沿った思想を持っているとしか思えない部分
があります。

 しかし、ユダヤ人全てがこうした思想を持っているわけではありません。
『ウィキペギィア』は「ユダヤ教徒にとってのタルムード」について、こう述
べています。

 『 タルムードの権威とは、すなわちラビ(教師)の権威のこと
  でもあり、こうした権威を認めないユダヤ教の宗派は決して
  少なくはない

   カライ派は、ラビ文書の権威を認めない代表的な宗派であ
  り、モーセのトーラーのみを聖典としているのは有名である。
   また、シャブタイ派(サバタイ派)の流れを汲むユダヤ教に
  おいては、むしろタルムードを否定するという立場をとる。』

 ★ ディアスポラとしての処世術

 ディアスポラとなった彼等は、祖国は追われたものの、ローマ帝国の
市民権
が与えられており、その初期においては、身分的な差別はあった
ものの、さまざまな職業に就くことも可能でした。

 しかし、379年熱心なキリスト教保護者のテオドシウス帝がユダヤ
人を公職から追放したのを始め、589年には、西ゴート王国(今日の
スペイン)でも、第3回トレド会議で公職につけないこととされ、多くの
地域で、ユダヤ人はキリスト教徒が蔑んだ仕事に就ほかなくなりま
す。

 そのひとつが「商人」で、ローマ・カトリックが「多かれ少なかれイカ
サマを含んだ職業
」とみなしていたことから、キリスト教徒には敬遠
され、その多くをユダヤの民が握ることとなります。

 その後、ローマ帝国は395年に東西分裂476年にはゲルマン民
族の大移動に伴い西ローマ帝国は滅亡します。
 その後の混乱期を経て、7世紀カール大帝がヨーロッパの秩序を
回復すると、彼及びその後のカロリング諸王の保護を受けたユダヤ
の民は、軍事物資の調達や、その「分散」を逆手にとった東西貿易に手
腕を発揮します。

 東西貿易の主流は、インドからの香料、胡椒、宝石、真珠、象牙、
絹、綿、皮革、チーク材
などの商品と、西洋のぶどう酒、金属、手工
製品、金
との交換でした。

 特に封建領主達は、東洋の奢侈品を貪欲に求めたため、商業を厭
わないユダヤ人には寛容
で、10世紀には東西貿易の担い手はほぼ
ユダヤ人が独占することとなります。

 ★ 十字軍とヴェネチア商人の台頭

 ところが12世紀に入ると、二つの要因が彼等の繁栄に終止符を打つ
ことになります。

 一つ目は、1096年から1270年にかけて8回に渡って計画され
た、キリスト教徒の十字軍の遠征です。キリストの聖地を取り戻そうと
いうこの運動は、異教徒に対する戦いに姿を変え、特に「改宗しようと
しないユダヤ人の根絶
」と言う思想が現れます。

 これ以後、西欧ユダヤ人の迫害史が正式に開始され、東西貿易
の拠点
に生活していたユダヤ人は次々とその犠牲者となり、彼等の作
り上げた東西貿易のルートが断たれてしまいます。

 二つ目は、東西貿易の形が、単に自給自足経済の中での余剰品の
仲介から、最初から「交換」を目的とした商品を大量に「生産」する形
に変化したことです。

 一方、1078年には、ローマ教皇グレゴリウス7世が、ユダヤ人に
対し、全てのキリスト教国での「公職追放令」を発令します。これによ
りユダヤ人は「生産に関わる手工業者のギルド(職人組合)」に参加で
きなくなります
。そのため、東西貿易の担い手は、主としてヴェネチア
のキリスト教商人
たちにとって変られてしまいます。

 こうして、「商人」としての選択も閉ざされた彼等は、キリスト教徒
が蔑んだもうひとつの職業、「貸金業」へと追いやられます。もともと
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三教とも、借り手から「利子」を
取ることは禁じられていたのですが、ユダヤ教のみは、先のタルムード
にあったとおり、異教徒から「利子」を取ことは禁じていなかったた
めです。

 ★ ユダヤ人の相次ぐ迫害と追放

 その後、12世紀末からキリスト教権力による、ユダヤ人の迫害と国
外追放
が相次ぎます。

 1290年には、イギリスでイングランドのエドワード1世が、ユダ
ヤ人を国内から追放します。次いで1306年には、フランスのフィリ
ップ王が、ユダヤ人を国内から追放します。

 1348年からヨーロッパを死の恐怖に陥れたペストの大流行では、
ユダヤ人がペストをばらまく犯人だとされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人
の虐殺が起こっています。

 1391年にはスペインで、改宗をしないユダヤ人の大虐殺が起こり、
3万人ものユダヤ人が命を落としています。この際、ユダヤ教の宗教指
導者は、殺戮を免れるための「見せ掛けの改宗」を許し、こうした者達
マラ-ノ(隠れユダヤ人)と呼ばれるようになります。

 その他、1421年にはオーストリアがユダヤ人の国外追放を、14
49年
にはポルトガルのリスボンでユダヤ人の大虐殺と、彼等にとって
まさに「第二のディアスポラ」の時代となってしまいます。

 ★ 「ゲットー」とアムステルダム、ドイツ

 1554年には、ローマ教皇パウルス4世が、「ユダヤ人集団隔離居
住区(ゲットー)
」を設置し、ユダヤ人に当該地域への居住を強制させ
ます。以後、ヨーロッパに散ったユダヤ人は「ゲットー」と呼ばれるユ
ダヤ人集落を各地に作って居住するようになります。

 しかし、全てのユダヤ人がゲットー生活を強いられていたわけではな
く、他とは違う扱いを受けた2つの地域がありました。

 そのひとつがアムステルダム(オランダ)です。ここでは宗教の自由
が保障され、異教徒に対して比較的寛大だったばかりでなく、一歩進ん
宗教弾圧や宗教による差別をも禁じていたためです。このため迫害
を恐れた多くのユダヤ人がこの地を目指こととなります。
 
 もうひとつがドイツで、13世紀のドイツ国王は、「キリスト殺し」 のレッ
テルを貼られたユダヤ人を特別に保護し、その代償として種々の納税
務を架す政策をとりました。

 逆に国王の意に反してドイツを去ることは許されず、ユダヤ人はその
国際通商能力、経済力を持って国王一人に属する「下僕」としての扱
いをうけていました。

 そうしたユダヤ人は「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人) 」と呼ばれ、
諸侯の高級官僚や宮廷出入りの御用商人となり、完全に自由な特権
享受していました。彼らは天性の商才によって、莫大な富を蓄積してゆき
ます。

 そして、その中のひとつとして台頭していったのが、世界最大最強の財
として地上に君臨しているロスチャイルド財閥なのです。
 次回第三十夜では、その歴史に触れてみようと思います。

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結果発表 みんなでESPカード等をあててみよう-17-

結果発表です。

s-5zつき23 結果

左から321でした。

ぽつぽつと投票くださっています。
ありがとうございます。

来週もよろしくお願いします。

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雨の予報

天気予報を見ると、雨の予報が出ています。
今は5月の終わりです。小学校から高校まで、修学旅行の子供たちも多いと思います。できたら、雨でなく、晴れてほしいものです。

今の気候は、寒かったり暑かったりしていますが、雨も多いですね。いつも梅雨のようです。
こんな天気のとき、山登りの人はどうしているのでしょう。地盤がゆるんだりすると、山の奥では、落石もあるでしょう。ふぶきも大変ですが、激しい雨の中の登山も危険ですね。

しかし、この日しか、とか、休み事情もあるし、雨の中、高い山に登る人もいるでしょう。あんまり高いと、雨雲は下に広がってますか?でも、風が吹いたりします。

まだ夏には間があります。とにかくも、お出かけする人...天候に恵まれることを祈ります。

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お茶とくるみ

緑茶、紅茶、どれも良い茶葉で適温で淹れたものは、おいしいです。
今日は、中国茶の講座に行ってきました。中国茶の講座は二度目ですが、前は、工夫茶というものでした。お茶の入れ方が中心でした。しかし、お茶そのものもおいしく、その後、専門店で中国茶を何度か買うきっかけになりました。

お茶というものは、習慣性があるのか、また、飲んだときの心地よさが忘れられないのか、いちどつかまると、離れられません。紅茶も一時個人輸入までして飲んでいましたが、おいしい中国茶も捨てたものじゃあありません。ことに香りの甘さ、中国茶独特のよさがあります。

今回の講座は、健康と中国茶がテーマです。中国茶そのものを飲んだあと、健康にいいブレンド茶をいただきました。
中国茶にブレンドしたのは、なんと、にんじんと、くるみでした。にんじんは、朝鮮人参のような匂いと苦味がしました。驚いたのは、くるみをいれたことです。くるみをお茶に入れるなんて...初めて見ました。
淹れてみて飲むときに、やはり、油が浮いています。くるみは、油分が多いので、どうなるかと、おもっていましたが、やはり油が...
味は、そうとう薬っぽい、でも、朝鮮人参だけを飲むよりだいぶいいと、いった感じです。くるみの味は?なんにもわかりませんでした。
くるみというのは、漢方では、滋養強壮に用いているそうです。意外なところでは抗菌作用があるとかなんとか...
昔の人は髪を黒くするのにいいとかもいったそうです。

食べるだけでお茶にいれるなんて考えてもなかったですが、お茶に入れて、効用やなどを聞いたりしていると、なんだか、とても体によいような気がしてきます。ちょっと油がうきますが、くるみ茶...ためしてみてはいかがでしょう。
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みんなでESPカード等をあててみよう-17-

みんなでESPカード等をあててみよう-17-
今回も、トランプの数字を当てていただきます。
縮とらんぷっほためしイラスト 023

1.2.3のトランプがあります。
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左からどの順番で並んでいるか、当ててみてね。

下の投票にクリックしてね。
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着物を縫う

着物...4.5年前、自分で着物をつくりたいと、和裁を習い、着物、帯、何点もつくりました。
とは言っても、プロの和裁教室ではなく、文化センターで習ったので、たくさんは習っていません。名古屋帯、単衣、袷の付け下げ、そんなところですが、付け下げをつくっている途中で教室をやめ、てきとうに家で着物、帯を作りました。もともとはどしろうとです。浴衣を学校で習った方も多いですが、そんなこともなく、なにもしらないずぶのしろうとでした。
名古屋帯などは、芯が固いので、指を針でなんどぶすっと刺したことか...

そんなわけで、あまりうまくも、スピードが早くもないですが、何年か前につくり始め、途中でほうかってあった単衣...
仕事を辞め時間ができたので、また、縫い始めています。

着物は、直線の反物をうまく縫い、立体の肉体にあわせる形にします。
縫っていくうち、いつも一番難しく感じるのが、襟付けです。襟をうまく、ゆるめて、着たときにちゃんとフィットする形に縫います。
s-さい1滝、着物縫う、さいころ目1-6 001
表が縫えても裏襟がつったり、どちらかの縫い目が変だったり、難しいです。

でも、これで何枚目の着物かな?6枚目?何年も縫ってなかったので、忘れている気がしましたが、結構覚えています。意外とささっと襟がついて、あとは、掛け襟と、袖付けです。
s-さい1滝、着物縫う、さいころ目1-6 002 
これは、今はあまりない生地でしょうか。麻と、ポリの混じりで、アイロンをかけるとピシッとします。柄はなつかしい矢絣です。松屋大丸さんで非常に安く手にいれました。麻はしわになりやすいのですが、少しポリが混じっているといいですよ。とりあつかいしやすいです。
今の季節に麻の単衣...はやく完成させたいです。
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トンデモ話は奥で繋がる(28) 22.5.18

トンデモ話は奥で繋がる 「第二十八夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪鉱山資源を操る"ロートシルト"≫

 ★ 一族の家紋「赤い楯」

 縮赤い楯                                                
  
  さて、これからしばらくは『広瀬隆』
の『赤い楯』を中心に話を進めようと
思います。
 本書の初版は「菊判」(上下刊1,024
頁)として1991年集英社から刊行さ
れ、その5年後に「文庫判」(全4巻
1,715頁) が刊行されています。

 今でこそ、ネットの裏情報の世界で
は定番となった当書ですが、当時は
まだまだ、よくある「トンデモ本」のひ
とつという評価でした。
 しかし、その「系図」の解読作業の
丹念さにおいては、右に出るものが
無いのではないかと思われます。

  一般には、「ユダヤ支配」と聞くだけで、「眉唾物」と決め付けて
しまう方々もいらっしゃいますが、それは「ユダヤ人の全てが、ユ
ダヤ教徒以外の者を支配することを目論んでいる
」かのような、
一部の誤った解釈に原因があると思います。

 一方で、それらの方々も、この世界の「富」と「権力」が一部の支
配階級層に集中している
という見方については、漠然と肯定されて
いることと思われます。

 がしかし、その一つひとつについて、その経歴を緻密に調べ上げる
ことまではしていません。広瀬氏はまさにその作業をコツコツと続
けた方
です。

 そうすることで、漠然と感じていた「富」と「権力」の集中が、ある
「一族」へと集約されていく
という事実が浮かび上がっていきます。

 そして、彼等が最初からその座に着いていたわけではなく、彼等が
姻戚関係になることで、同様な別の「権力者」の支配を次々と集
していったこと、そして彼等を「その道」に駆り立てることとなった、
「ユダヤ民族」に課せられた差別的待遇の歴史を垣間見ることと
なります。

 ★ ウラン鉱石の偏在

 縮円グラフ
                      (昭和36年「原子力白書」より転載)
 図の「円グラフ」は昭和36年の「原子力白書」に掲載された、
1960年当時のウラン鉱石の、国別の推定埋蔵量です。 
   カナダ、米国、南アフリカの上位3ヶ国で、世界の約4分の3
の量となっています。

 縮推移
                      (昭和36年「原子力白書」より転載)
 さらに、実際の精製された生産量の1956年からの推移で見ま
すと、「棒グラフ」のとおり、この3ヶ国でほぼ9割以上を閉めてい
ることがわかります。

 つまり当時は、「核兵器」にせよ「原子炉」にせよ、この3ヶ国のい
ずれかで生産されたウラン
を使うより他なかったということになり
ます。
 それでは、その生産者が誰だったのかを順に追ってみましょう。

 ★ 「功績=死」、そして「鉱石=富」

 まずは、その発見の舞台となった場所です。

 1886年、フランスの物理学者アンリ・ベクレルは、偶然にも
ラン鉱石
の傍らに置かれていた写真乾板が、感光していたのを不
思議に思い、天然の「放射能」を初めて発見しました。

 その後「放射能」の研究を始めたキュリー夫妻は、大量のピッチ
ブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムポロニウムを精製、
発見します。
 この功績により、3人は1903年の「ノーベル物理学賞」を受賞
しています。
 
 しかし、キュリー一家には不幸が重なります。受賞のわずか3年
後、夫ピエールは、大学からの帰途、荷馬車に轢かれて即死して
しまいます。

 残されたマリアとの間には、二人の娘があり、うちエ-ヴは作家
となりますが、イレーヌは母親、そしてその夫のフレデリックとと
もに「放射能」の研究を続けます。

 その後、3人とも(マリアは2度目の)、ノーベル賞の栄誉に輝き
ます。しかしその引き換えに、3人とも「白血病」でこの世を去っ
ています。
 まさに、最初の「放射線」の犠牲者とも言えるでしょう。

 一方で、キュリー夫妻の「ラジウム発見」に「事業」として目をつけ
た男がいました。アンリ・ロスチャイルド、後に説明することとなる
金融王ネイサン」の曾孫に当たる人物です。

 彼は、「道楽者アンリ」と号される程、有り余る資産を元手に自ら
の趣味的生活に明け暮れていましたが、傷心の夫人のパトロンと
なって「ラジウム研究所」を建てています。

 そして、キュリー一家が次々と病魔に倒れる中、放射能の生む
」の方は、彼の一族へと手渡されることとなります。

 ★ 未知の「富」の宝庫を握った一族

 その当時の「ロスチャイルド一族」は、貨幣の交換で財を成し、
その取扱貴金属である「金・銀」については、既に支配権を得て
いました。 (これらの過程については、後に触れる予定です。)

 一方、金・銀の精製には「水銀」が必要でした。水銀は多くの金
属との柔らかい合金(アマルガム)を生成します。そのため、金・銀
を含んでいる泥に水銀を混ぜてアマルガムを生成させ、金・銀
を抽出
しておき、加熱によって水銀を蒸発させることで高純度の
金・銀を得ていました。

 その「水銀」の確保のため、彼等一族はスペイン王室が握って
いたアルマダ鉱山に目を付け、王室との利権の取引のもと、これ
を掌握します。

 一方、この鉱山は他の貴重な金属であった「亜鉛(ジンク)」も豊
富に産出しました。これが後に、ロスチャイルド商会が手がけた
「リオ・チント銅山」と合併し、1962年に「リオ・チント・ジンク」と
なります。

 そして、そのスペインの事業を行ったのが、ユダヤの12大富豪
のひとつ、「ワイスワイラー一族」。そして、先のアンリ・ロスチャ
イルドの妻はその一族マティルド・ワイスワイラーでした。

 こうして、最初の「放射能」を発する鉱物はロンドンを拠点とす
「リオ・チント・ジンク」の所有するところとなります。

 ★ 「南アフリカ」、「カナダ」、新興「オーストラリア」

 1939年には、スペイン内戦により、国政は王室から独裁者フラン
に変わり、スペイン全土の金融と産業を支配する「スペイン産業公
」 が設立され、鉱山、鉄工、電力といった主力産業がほぼ1社に
集約
されていきますが、それにはロスチャイルド一族のバックアッ
を必要としました。こうして、フランコと彼ら一族が手を結びます。

 そして、この「スペイン産業公社」は、「南アフリカ」の隣国である、
アンゴラ」「モザンビーク」に子会社を設立します。つまり、そこを拠
点として、ウランの産出地である「南アフリカ」と「ナミビア」(1990年
まで南アフリカが違法併合
)に進出したわけです。

 この時点で、「南アフリカ」には地元の企業として「金鉱山」を支配す
る「アングロ・アメリカン」、「ダイアモンド鉱山」を支配する「デビアス
があり、これらと提携する形で、南アフリカの「3大鉱山シンジケート
が完成します。

 一方、1951年に、カナダがイギリスに対して「ダム建設事業」を持
ちかけます。その資金調達の白羽の矢がたったのは、「金融王ネイサン」
のもう一人の曾孫である、アンソニー・ロスチャイルドでした。

 表向きは「チャーチル滝」の水力発電所建設であるこの事業を請け
負ったのは「リオ・チント・ジンク」でした。これにより、アンソニー・ロスチ
ャイルドは、カナダの広大な山林の開発権を手に入れます。その面積
13万㎡と、実に日本の面積の約3分の1に当たる膨大な広さです。

 その後10年間で、「リオ・チント・ジンク」は「アルゴム・ウラン鉱」、「プ
ロント・ウラン鉱」、「ノーススパン・ウラン鉱」、「ミリケン・レーク・ウラン鉱」
等を次々と乗っ取り1960年、子会社である「リオ・アルゴム社」を設
立し、カナダのウラン鉱山の独占支配を完成させます。

 さらに「リオ・チント・ジンク」と「リオ・アルゴム社」は南アフリカ政府
に働きかけ、1970年にはナミビアの「ロッシング鉱山」を子会社である
ロッシング・ウラニウム」の支配下に置きます。

 また、1949年ラム・ジャングルのウラン鉱が発見されて以来、
界の埋蔵量の20%以上
を占めると目されるようになったオーストラリア
では、1953年に英国と米国の主導で「オーストラリア原子力委員会」が
設置されます。

 そして、その委員長に選出されたジョン・バクスターは、ロスチャイルド財
のインペリアル・ケミカルの子会社であるICIゼネラル・ケミカルズの重役
として迎え入れられています。

 さらに「リオ・チント・ジンク」のオーストラリアでの子会社である、「メアリー・
キャサリ-ン・ウラン鉱山
」の大部分の株式を、この「オーストラリア原子力
委員会」が保有
するという、国家ぐるみの独占体制が出来上がっていった
のです。

 ★ 残された「アメリカ」のウランは

 さて、もうひとつのウラン資源国「アメリカ」は、西部のユタ州を中心に次々
とウラン鉱山が発見され、カリフォルニア、コロラド、ネバダ等の各州は「ゴ
ールドラッシュ」から「ウランラッシュ」の時代へ移ります。

 そこに誕生したのは「ユタ・インターナショナル」を根城とするウラン・ カル
テルで、銅山業者の「ケネコット」及び世界第一の非鉄金属業者「アサルコ
の支配にあり、それを動かしていたのは、アメリカの大富豪ルガン家のJ・P
・モルガンの孫、「ヘンリー・スタージス・モルガン」でした。

 「世界的ウラン・カルテル」を完成させるには、この勢力を取り込ことが
必要でしたが、彼等はシティーのモルガン・グレンフェル銀行を通じて交渉
に出ることはしませんでした。

 当時、「ロスチャイルド財閥はもはや存在しない」ことになっていたのです。
第二次大戦後の1946年に出された、GHQの日本の「財閥解体」の命令書
の冒頭には、こう書かれていました。

 『財閥は、日本特有のものであって、他国でこれに類似するものとして
  はロスチャイルド以外にはない。しかし、ロスチャイルドは現在存在
  しない
。…』


 彼等にとって、戦後の社会がこうした思い込みを持っていることは好都合でし
た。しかし、ここでモルガン家に働きかけてしまえば、その手の内が再びクロー
ズアップされてしまいます。

 そこで彼等のとった手段とは…実は、何もしなかったのです。「ユタ・インタ
ーナショナル」は確かにモルガン家の支配にありましたが、それを支配する、
供給主の「ケネコット」及び「アサルコ」の要職を占めてきたのは、ロスチャイ
ルド一族の鉱山王「グッケンハイム財閥」
だったのです。「供給側」の権限
を抑えている限り、彼等の支配下にあるも同然でした。

(左下図:国際ウランカルテルの配置図、同署文庫版第Ⅲ巻p1250-1251より転載)
(右下図:ロスチャイルド・鉱山企業群、同書文庫版第Ⅳ巻p1338-1339より転載)
縮ウラン縮全体
《クリックした後、「+虫眼鏡表示」すると、さらに拡大表示されます》

 ★ 彼等にとっての「不都合な事実」

 こうして、当時の世界のウラン鉱山の全ては、ロスチャイルド一族の手中
にあり、日本はもちろん、世界のどこで「原子力開発」を開始しようと、既存の鉱
物資源からの供給に頼る限りは、彼等の意のままに動くより他なかったわけ
です。

 そしてこの事実は、軍事目的であれ平和利用であれ、全てのウラン産業
はロスチャイルド一族の私腹のために存在している
ことになるのです。
 反対に、「ウランなど本当は何の価値もない」ということが事実であれば、
彼等にとっては「最も不都合な事実」なのです。
 そして実のところ、彼らの富の源泉をたどれば、その全てが同じ性質をもっ
ていることが見えてきます。

 それには、彼らが「ユダヤ人」として背負わされてきた歴史が関係して
います。次回第二十九夜からは、そのあたりに触れてみようと思います。


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湧き水

縮百間滝 さいころカップ 着物 005

先日、田舎に行きました。滝があるところでした。滝のすぐ近くに湧き水があり、水を持って帰りました。ここの滝に行くのは、何回目かなのですが、最初に見かけた二人連れは、湧き水を汲んだぺっとぽとるを何本もだんぼーる箱に詰めていました。

あれだけ積むと、車も重たいだろう...
売るのかなぁ?欲がふかいなぁ。

なんて思っていたのに...

先日出かけたとき、何人かで行ったのですが、たくさん持っていく...といって水汲みに時間がかかる人がいたらどうしよう...なんて少々心配してましたが、みなさん、水筒ぐらいのものを持参され、大変スマートでした。欲のない人が多かったのでしょう。

でも、ひとり、大きいのをもってきた奴がいました。

私です。

どうも...欲の皮..厚いです。失礼します。20リットルのタンクを持ち出すのは、ちょっと恥ずかしかったです。
しかし、そんなことは気にせず、タンク半分入れました。

1リットルとか2リットルの容器を持つ人の中、20リットル...あまりにもでかいタンクです。
でかすぎて、全部は汲めません。重くて運べないのですよ。

しかし、おうちに帰って、大きいタンクから水をそそぐと安定感があって、使いやすいです。
恥ずかしいけど、よかったなぁ...大きいタンクで...

欲の深いのも少しはよいですね。やっぱり、欲の皮、張ってますね。
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外で笛を吹く

土曜日に日帰りで滝と、温泉に行ってきました。
滝のすぐ近くまで行けたので、水しぶきをあびながら滝を見ることができました。

滝では、あやしいですが、笛を吹いて楽しみました。笛は神楽笛という笛です。龍笛もそうですが、雅楽に使う笛は、音律が少し低く、西洋楽器と合わせると合いません。しかし、西洋楽器でC♯に近い音が神楽でも出ます。

C♯に近い音といえば、地球の振動数の何倍かの倍音となります。
よく、スピリチュアルな人が、夏至、冬至、春分、秋分を重要視しますが、春分点を基点とし、夏至などの季節のポイントを考えてみると、いずれも春分より倍、倍と、なった形になり、地球の振動数と共鳴する点であるといえます。

人間も地球に住み、物質的な体をもっています。古来、ドルイド、マヤ、もろもろの人々が季節の分岐点を特別視し、祝ったのは、自然のリズムを体で感じていたからなのでしょう。

雅楽では、龍笛を天と地を自由に動き、つなげる龍、笙を天、篳篥は地だといいますが、人声も地に属し、人も地球の一部だと思えます。

私たちも地球の一部であるなら、地球、大地と共鳴し、自然のリズムにあわせる...そんなことが、人には必要なのでしょう。

滝では、もちろん、C♯に近い音も吹きました。自然のなか、笛を吹き、歌をうたい、すごす...非常に気持ちよかったです。自然の中にいるというだけで癒されますが、それに、笛、歌を歌うということで、私たちも自然の一部であるということが、無意識のうちに思い出され、体も心も癒された気がします。
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theme : 人生を豊かに生きる
genre : 心と身体

結果発表 みんなでESPカード等を当ててみよう-16-

結果発表 みんなでESPカード等を当ててみよう-16-
今日はESP...あててみよう-16-の結果発表です。

いつもどなたかが投票してくださいます。本当にありがとうございます。投票しなくても見てくださるかたもおられるようです。

本当にありがとうございます。


今回はトランプを当てました。
3枚当たらなくても1枚当たっていたら、いい感じです。

では、発表です。
縮とらんぷっほためしイラスト 023

当てた人がいます。
すばらしいです。
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theme : スピリチュアル
genre : 心と身体

露天風呂

今日はちょっとした日帰りの旅で温泉に入ってきました。

このごろは5月というのに寒い日が続きます。きのうは、風が強く、外の木も寒そうでしたが、今日の日中は風も和らぎ、晴れました。
お昼ごはんの後、気のパワーがあふれているという温泉の露天風呂に入りました。昨日は強風で寒かったので、外の風呂は少し心配でしたが、風も少なく、顔を撫でる風の冷たさもなく、お湯にずぼんとつかりました。

外を見ると、青い空と、その下に山の緑が鮮やかに広がっています。静かです。緑もきみどり、緑、暗い色、明るい緑が入り乱れ、見るだけで何かが癒されるような気がします。
ここは源泉100パーセントのお湯です。足やお腹をなでるとつるつるします。外には、緑の山、体はぽかぽかと暖かい温泉に...

気持ちがいいです。たまには温泉もいいですね。忙しい方、ストレスの溜まっている方、今の季節に露天風呂に入ると気分がスカッとしますよ。木々の緑が美しい今...温泉、オススメです。

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なまけものと、ふっとしたおもい

朝、風呂掃除をしました。私は目が悪く、風呂で裸眼でいると都合のいいことに汚れも垢もほとんど見えません。
大きい汚れは、壁のアクセントに見えたりして...
見えないことをいいことにほとんど掃除はしません。だんながたまに夜ごしごしとやっているようです。しかし、今日、リフォームの下見に業者の人が来ることになり、メガネをはめて、床、蛇口まわりを見ると、結構汚れています。
あんまり汚いと、風呂のサイズをはかるのもいやだろうと、ちょっとだけごしごししました。

こすれば、立派な模様もなくなり、きれいになりました。こういう汚れは、気付いたらすぐこすればいつもきれいなんですが、すぐに怠け心が顔を出します。いましなくても...こんど、しまい風呂のときにやろう...なんて、理由を瞬間的に思いつき、先に延ばしたら、今度は、いつになるのか...しばらくは汚れにきづくこともありません。

そんなことを繰り返しているうち、その他のものも汚れたり散らかったりし、片付けたり、汚れを取ったりするのに手間と時間をとられるはめになります。

そういえば、よく、-気付いたらすぐする-ということをいいます。
私はめんどくさがりやなので、気付いても-こんどね、-か--今しなくても-とか思い、気付いたことをすぐにしなかたことが多いです。しかし、今日、ふっと思いました。
何かやっているときに思いついたり、気付いたりしたことは、すぐにやると、いいんじゃあないか?
急に思いついたり、気付いたりしたことって、自分の気付かない、よい運気にのる源泉から来ているような気がします。急に、-○○を買わなくては-なんて、思ったりしたら、-そんなもの、後買いに行けばよい-とも、-すぐ買いに行こう-とも、考えます。
そんな時、そとに出て買い物をしたら、本当にほしかった△が買えた...なんてこともあります。
私は怠けるのも好きなので、だらだらとしているのもいいのですが、腰は軽く、思いついたらすぐ実行...も良いなぁと思っています。
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genre : 心と身体

みんなでESPカード等をあててみよう-16-

今回は、トランプの数字を当てていただきます。
1.2.3のトランプがあります。
縮とらんぷごっほためしイラスト 016 縮とらんぷごっほためしイラスト 019 縮とらんぷごっほためしイラスト 020

裏返しに並べてあります。
左から何のカードが並んでいるでしょう。わたしもなんなのかは、みてません。
縮とらんぷごっほためしイラスト 021

結果発表は15日土曜日です。
直感でこれは...だと思われたものに投票してください。
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制限と自由

このごろは、家のリフォームのため、プランをたてるのにああでもないこうでもないと、夜もねむられないほど、考えています。
車を置く台数をふやそうとすると、ほかの部分を直さなくてはならない...少なくするにしても、シャッターのサイズ、となりとの間隔、もろもろの兼ね合いを考え出すと、複雑で頭がまわらなくなってきます。

しかし、それでも、何回かプランを立て直すたびに、またまた、違うプランを考え付き、またもやああでもない、こうでもない...

新しいエクステリア、庭、やっぱり欲がでますね。眠れないほどですが、やはり、楽しいかな。
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genre : その他

30周年記念コンサート

土曜日、コンサートに行ってきました。

大学の先輩の30周年記念コンサートです。本当は行く予定になかったのが、先輩から再度誘っていただき、行ってきました。記念の花束を作ってもらっている間、30年も歌を歌い続けてきた先輩と、それぞれの人生を歩んできた、クラブの人達...思いをめぐらすとずいぶん年月がたっちゃたけど、こうして何人も先輩の30周年を祝い、集まっている。なんともいえない思いがあります。長いつきあいです。

先輩後輩...10年以上も離れているけど、M先輩が歌い続けているおかげで、こうしてみんなであいかわらず、音楽と酒を楽しむことが出来ます。

もう、としをとってしまいました。しかし、みんなの中にいると、自分も先輩も後輩もみんなその当時のままにみえます。
コンサート会場に響く先輩の声は、あいかわらず、涙がでるような切ない歌、甘い歌があり、聞いているうちに学生時代が、たくさんの映像と一緒に廻り出します。
2つ上の先輩が「よう...るんるうん、元気そうやなぁ。かわらんやんけ...」なんて、言ってくれるのに答えたりしているうち、歳をとってるけど、学生時代にタイムスリップしたような感覚が...
コンサートでは、ラジオでおしゃべりしてるもっと年上のI先輩も出演したり、フォークシンガーのあのNさんまで歌ってくださり、本当に聞きごたえのあるすばらしいコンサートでした。

そしてその後、うちあげです。M先輩に花束をさしあげるのを仰せつかり、みんなを代表して花束を渡しました。
花束はI先輩が、M先輩を驚かせようと、すみっこに隠しておいたのです。

30年近くたっても同じクラブだというだけで、みんななかよく、酒を飲む。凡人も芸能人もあほもインテリ(←すみません、いませんでした)もみんななかよく...一緒に...
やっぱりなかよしっていいですね。
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genre : その他

結果発表 みんなでESPカード等を当ててみよう-15-

結果発表 みんなでESPカード等を当ててみよう-15-
今日はESP...あててみよう-15-の結果発表です。

いつもどなたかが投票してくださいます。本当にありがとうございます。投票しなくても見てくださるかたもおられるようです。

本当にありがとうございます。

では、発表です。

結果は
縮百間滝 さいころカップ 着物 020

5でした。当たった方...います。

はずれた方、今回は残念ですが、来週もチャレンジ、お願いします。
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トンデモ話は奥で繋がる(27) 22.5.8

トンデモ話は奥で繋がる 「第二十七夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪原子力発電のウソに気をつけろ④≫

★ 大橋巨泉の「セミリタイア」

 1960年代から80年代にかけて、 『11PM』の司会を皮切り
に、『クイズダービー』や『世界まるごとHOWマッチ』などの数々
の高視聴率番組の司会者として名を馳せた「大橋巨泉」は、1990
年3月
、自ら「セミリタイア」という造語を残し、56歳でテレビ、
ラジオの全てのレギュラー番組を降板しました。

 ウィキペディア中の文面では、50歳には既にリタイアの計画があ
り、「司会業は長くやるものではない」との信念のもとでのこととな
っているが、小生はもうひとつの理由があると思っています。

 ウィキペディアで彼のテレビ番組の出演リストをみますと、セミリ
タイアの直前まで司会をしていた番組のひとつに
巨泉のこんなモノいらない!?(日本テレビ) 1987年10月~1989年9月」
があります。

 クリックして当該記事の文面をみると、「番組の終焉・その後」と
いうパラグラフに、

 『1989年ごろに入ってから取り上げるネタがなくなりマンネリ化
  も出始め、巨泉サイドからも降板の申し出があったため、1989
  年9月
に終了した(後に芸能界からセミリタイヤする遠因となる)』
とあります。ちなみに、最終回は「国境」となっています。

 実は、小生はこの番組の「レギューラー視聴者?」で、当時からすると、
相当「タブー」に近い「不必要なもの」へのコメントもあり、毎回ほぼ欠
かさず見ていました。そして、放送開始時期が「チェルノブイリ原発事故」
の約1年後
で、次々と真相が明るみに出る中、いつか番組で取り上げてく
れることを期待していました。

 そして、ついに「原子力発電」が取り上げられました。(結果的に番組
終焉の2、3回前の回だったと思います。)冒頭で大橋氏は「いつかはコレ
を取り上げたいと思っていた。」と切り出し、1時間という制限の中、主
として廃棄物処理の問題をクローズアップしていました。

 ★ 「確信犯」か「見せしめ役」か

 そして、その数ヶ月後、大橋氏は突然全てのレギュラー番組を降板しま
したのです。海外の自店舗の経営で、優雅な暮らしをしていたとは言え、
その後、たまのゲスト出演はあるものの、レギュラー的な番組とは無縁と
なっています。

 以前、某ニュースキャスターが、反原発発言がもとで降板した(と噂さ
れる)ケースもありましたが、「原発」の事故報道はともかく、小生が知
りうる限りで、正面から「反原発」のテーマを取り上げた番組を他に知り
ません。

 大橋氏本人も、その後の進退については、充分承知の上でのことだった
だろうと思います。それが「置き土産」的な確信犯だったのか、或いは、
「チェルノブイリ原発事故」以降燻っていた「良心的報道への衝動」に対
する、「見せしめ的な牽制劇」として仕組まれたものなのかはわかりませ
んが、テレビ局のタブ-のひとつであることには間違いありません。

 ★ アトムボーイ中曽根

 さて、前二十六夜で、「その状況」が「この段階に至った」と感じた、
青年政治家は、当時36歳。以後、正力松太郎とともに原発推進派の両軸
と称され、昭和34年(41歳)で原子力委員会の委員長となっています。

 昭和49年には、三木内閣で「自民党幹事長」に就任しますが、この頃
次女の美恵子が、鹿島建設の御曹司・渥美直紀と婚姻しています。
 鹿島建設は原子力発電所建設の最大の利権をもつゼネコンで、6,00
0億円を超える建設費となった「もんじゅ」の建設にも参加しています。

 まさに、鉄腕アトム顔負けの「原子力エネルギー100%」男・中曽根
はこれを契機に政界の頂点へと駆け上ってゆくこととなります。
 同時に、以後彼等を含めた「原子力産業」の権力者は、ジャーナリズム
の中枢
をその傘下に収めていきます。

 ★ 新聞社・テレビ局・原子力のつながり

 ここで再び広瀬隆の『危険な話』から、「チェルノブイリ原発事故」当
時のジャーナリズムの内幕について記載してみたいと思います。

 まず、日本の各民放テレビ局は、資本的に各新聞社と繋がっています。

             (東京近郊)    (大阪近郊)  (名古屋近郊)
 読売新聞社…   日本テレビ     読売テレビ   中京テレビ
 毎日新聞社…   TBS         毎日放送    中部日本放送
 産経新聞社…   フジテレビジョン  関西テレビ   東海テレビ
 朝日新聞社…   テレビ朝日     朝日放送    名古屋テレビ
 日本経済新聞社… テレビ東京    テレビ大阪   テレビ愛知


 また、各新聞社やテレビ局の主要ポストに、必ず原子力の推進者電力会
社の会長・社長
が就任しています。当時の例では以下のとおりです。

 正力松太郎…読売新聞社主…日本テレビ初代社長…原子力委員会委員長

 芦原義重…毎日新聞社発起人…関西電力会長

 稲葉秀三 …サンケイ新聞社長…日本原子力産業協会(旧原産会議)
                     常任理事


 渡辺誠毅…朝日新聞社長…日本原子力産業協会理事

 岸田純之助…朝日新聞社論説主幹…原子力委員会参与

 円城寺次郎…日本経済新聞会長…日本原子力産業協会副会長

 小林庄一郎…テレビ大阪重役…関西電力会長

 田中精一…東海テレビ重役…中部電力社長

等と記載されています。岸田純之助いたっては、「原発に敗退する記事は
書いてはならない」という通達
まで出したそうです。
 一方、NHKは大丈夫かというと、状況は同じだったのです。

 平岩外四…NHK経営問題委員…東京電力会長

 緒方 彰…NHK解説委員…日本原子力産業協会理事

 十返千鶴子…NHK放送番組向上委員…日本原子力文化振興財団理事

 田中武志…NHK理事・放送総局長…日本原子力文化振興財団理事


 これら蒼々たるメンバーが、記者の取材内容をチェックしていては、
公正なニュースが流されるはずがありません。無論、誤って流される可
能性もあるでしょうが、その際の末路を思えば、そうしたことのないよ
う、ジャーナリズム自ら、末端に至るまで幾重にもチェックされている
ことでしょう。

 ★ 「その状況」が「この段階に至った」とは?

 さて、アトムボーイが奇怪な代名詞で語ったものは何でしょうか。

 アメリカが昭和20年に世界初の原子爆弾を広島へ投下したわずか
4年後の昭和24年、スターリン指揮下のソ連が原爆を完成させます。
 続いて昭和27年、今度はアメリカは水爆を完成させると、翌28
年には再びソ連が続き
ます。その差はわずか1年。つまり、核兵器の
製造力が、世界的に広まりつつある時代に突入したのです。

 そして、昭和28年12月8日の国連会議で、アメリカのアイゼン
ハワー大統領は「平和のための原子力」を訴える演説をします。その
趣旨は、

 『原子力開発は、平和利用のために使用すべきであり、これ以上の
  核兵器の拡散は望まない。新たな核兵器保有国が出現しないよう、
  米ソ共同で監視しよう。しかし、平和利用を望む国に対しては、
  我々がその使用を保証しよう』


というものでした。言い換えれば、

 『核兵器の技術開発は米ソ以外はしてはならないが、平和利用のために
  もっと原子力を使用しろ


という「商業利用」への暗黙の圧力をかけてきたのです。それならば、
アメリカの核の傘下にいる日本は真っ先に応えなければならない、これ
がアトムボーイの代名詞の内容ではないかと思われます。

 ところが、商業利用といっても、日本産のウラン鉱石は、かつて岡山と
鳥取の県境にある「人形峠鉱山」でわずかに産出できたのみで、ほぼ全量
輸入
することになります。

 では、どこが供給しているのか、次回第二十八夜でお話してゆこうと思
います。


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人間万事が塞翁が馬

最近、いろいろなことで喜んだり、心配したり...それこそ、今の天候のように気分が変化します。

主催するすぴ旅行で、人が増えたといって喜び、減ったといって心配する...

 増える...減る...増える...減る...

繰り返すうち、これは、なんだ。と、思うことになりました。心は定まり、風のない湖面のようにゆったりと...なんていうのとは違い、風に吹かれる木の葉のように、あちこち、定まりません。

しかし、よく考えてみると、超能力者は別として、わからぬ先を心配したり、ぬか喜びをしたりしてもしょうがないです。先はわからない。たとえ喜んでも、外部からの刺激で喜びという感情に変わっているだけで、おのれの心ながらいかに外界に反応した主体性のない心であることか...外部からの情報で自動的に反応しているだけです。主体というものはどこに行ったのか?自分の心ながらその手綱-たずな-を握っていなかったのでは?などと考えました。

昔の故事で-塞翁が馬-という話があります。

そのときによいということでも、悪かったり、悪く思える事でもよかったりと、人生の吉凶判断はつきがたいという話です。全く、人は、周りのことに目を奪われ、目先でよい、悪いという判断をつけてしまう。また、そのときによい、悪いということで、心まで変化してしまうということでしょうか。

私は、すぴ旅行の増減に一喜一憂する自分を発見して、これは、学習だ。学習のよい機会だと、思いました。
ちょっとしたことで舞い上がり、少しのことで落ち込む...そんなことは誰でもあります。
しかし、そんなときは、頭を深く突っ込みすぎ、余裕のない状態となってないでしょうか。そのときによさそうだと思っても、悪そうだと思っても、すこし、離れて考える。

hasta manana アスタマニャーナ-あしたはあしたの風が吹く。ラテン系の国ではよくそう言います。

私は、ラテンアメリカに住んでいました。最後には、現地の人以上だと言われました。いい時でも、悪いときでも、少し頭をひやし、-なんとかなるさ-と、とらわれない。

そう思っていたら、本当になんとかなる状態です。

que sera sera ケ セラ セラ なんとかなる なるようになる...能天気なラテン気質はなぜか禅の境地に似通っているような... やはり、能天気です。



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みんなでESPカード等を当ててみよう-15-

みんなでESPカード等を当ててみよう-15-です。
きょうも、先週に続き、さいころの目をあてていただきます。
きょうさいころをふりました。カップの中は何の目でしょう。
縮ためしイラスト 001


日曜日に結果発表をします。
気楽に投票ください。





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トンデモ話は奥で繋がる(26) 22.5.5

トンデモ話は奥で繋がる 「第二十六夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪原子力発電のウソに気をつけろ③≫

★ 「原子力発電は何故推進されるのか?」

 原子力発電については、日本政府自体がその普及を推進しているこ
とから、その抱えている問題点については、公式にはほとんど言及さ
れない
ばかりか、「推進」の根拠についても、巧みな論理のすり替え
がなされた上で、学校教育の場でも喧伝されています。

 そうした点を危惧する先生方を中心としたサイトのひとつに「よく
わかる原子力」
というページがあり、放射能についての基礎知識から、
原子力発電をとりまく状況まで、その問題点についてわかり
やすく説明されています。

 以下、その中の「原子力発電は何故推進されるのか?」について要
点をまとめてみたいと思います。

 ★ 「電力会社はコストで稼ぐ?」
 
 電力会社の公式な「発電コスト」では、「原子力」の方が「水力」
や「火力」より低コストということになっていますが、「原子力」の
コストの算出方法についても、

 ① 原子炉の耐用年数を、当初の原価償却期間であった16年から
  40年に引き上げて計算していること。
 ② 稼働率についても、水力が「45%」に対し、火力・原子力は
  「70%」で計算していること。
 ③ 原子炉の「廃炉」や「放射性廃棄物」の管理にかかるコスト
  考慮していないこと。

 と、その優位性には疑問が残ります。しかしながら、昨今では「環
境保護」に関する関心の高まりから、電力会社は「水力」や「火力」
発電所を増設しにくい状況にあります。
 
 そこで目をつけられているのが、表向きは「環境に優しいクリーン
・エネルギー
」を標榜している「原子力」です。原子力発電所を1基
作るのに必要な費用は3,000~4,000億円となり、原子炉の
建設会社にとっては大きな利益を生むプロジェクトです。

 さて、こうして電力会社全体で年間2兆円以上の費用が原子力発電
のために支出されていますが、「公益企業」である電力会社は、一般
企業とは違ったコスト意識
を持っています。

 まず、電気発電の原価については、

 原価=発電所・変電所や送電線の建設費+燃料費+運転費用など

となり、建設費はかかった費用がそのまま計上されます。
 問題は電力会社の法律で保障された「報酬」と「電気料金」です。

 報酬=原価×4.4/100電気料金=原価+報酬

 つまり、電力会社はコストが高ければ高いほど儲けは大きくなり
そのまま電気料金に転嫁できるというシステムなのです。
 これでは、コスト削減の意識は生まれるはずもなく、むしろ、ムダ
になろうが巨額な発電所を建設した方が、電力会社も建設会社も実収
が大きいのです。

 原子力資料情報室の計算では、100万kW級の原子炉1基を安全
「廃炉」するために必要なコストは6,320億円と、建設費より
大きいとされています。

 資源エネルギー庁の資料によれば、現在運転中の原子炉53基のう
ち、2010年までに稼動年数が30年を超えるものが20基と全体
の約4割を占め、合計出力数は約1,480万kWとなっています。

 上記の「廃炉」コストで計算すれば9兆3,536億円。20年の
日本の歳出額(約107.3兆円)の約9%に相当する金額です。
 仮に、電力会社がこの必要額を認めた場合でも、それは原価に加算
され、彼等の報酬と電気料金に上乗せされてしまうのです。

 ★ 「自治体は迷惑料を歓迎する?」

 電気料金には「電源開発促進税」が課税されています。これを財源
とする「交付金」が「発電所」を受け入れた「自治体」へ交付されます。

 前述のサイトでは、高速増殖炉「もんじゅ」によって周辺自治体へ
交付された金額を掲載しています。
 
 立地市     敦賀市      56億9430万円、
 隣接自治体  三方郡美浜町  22億5000万円、
           南条郡河野村  7億9300万円、
                今庄町  7億5200万円、
 隣々接自治体      越前町  7億1300万円、
           武生市      1億4900万円、       
           南条町       1億4900万円、
            今立郡池田町     9900万円
 立地県      福井県      12億6550万円
 他、福井県合計        約126億円
(朝日新聞福井支局「原発がきた、そして今」朝日新聞社より)


 例えば敦賀市の場合、平成20年度の歳出が278億円ですので、
その約5分の1が交付される計算です。しかし、原子力発電所は、
せいぜい労働者が雇われる(それも相当の危険付きです。)程度で、
それ自体が地元の振興に繋がるわけではありません。交付金は言わ
「迷惑料」なのですが、一度受け入れてしまうと、それを抜きに
した財政運営が出来なくなるのが現状です。

 ★ 「原発」の必要意識が植え付けられている

 間接的には「原発」を「必要悪」だとして容認している、或いは
無関心でいる地域民がいることも大きな要因です。

 現に「原子力発電所」の是非を問う形での「首長選挙」が幾度と
なく行われていますが、その度に多くの「賛成票」が投じられ、結
果として推進派の首長が信任を得るケースが後を絶ちません。

 無論、直接の利権に関わる票もあるでしょうが、「色々な問題点
はあるが、やはり、どこかに原発がなくては日本の必要電力量が賄
えない
」と思っている人々の票が、それを後押ししているのです。

  縮電力図

しかし、本当にそうなの
でしょうか。前述の『よく
わかる原子力』では、以下
のような図とともに、その
疑問を説明しています。

まず、『原発なくても大丈
夫 節電は原発をなくす』

に掲載されている「グラフ1」
を見てみましょう。

 この図は2001年の年間
最大電気消費量を記録した
7月24日の、時間ごとの消
費量をグラフにしたものです。

 当日は全国各地が真夏日
を記録した「快晴」の日で、
昼休み(B点)を過ぎて工場が
午後の生産を開始し、家庭で
はクーラーを利かせながら
「高校野球」を観戦していま
した。

 その時のピーク電力使用量がC点の18,240kW。この時には「揚水
式のダム発電」までフル稼働して、電気需要量に対応しています。
 しかし、そのような状況となるのは年間のこの一時期、年間わずか20
時間弱
のことです。

 また、グラフを見てお気付きのように、どの時間帯においても、「原子力
発電」の発電量は一律
となっています。実は「原子力発電」は発電量の
調整が極めて難しい
ため、需要量に合った調整は、その他の「発電」に
頼らざるを得ないのです。
 縮稼働率

 そのため、「稼働率」のみをみると、上図のとおり、常に70%内外を維持
していおり、電力会社は「安定的な供給」を喧伝し、「最大ピーク時」のため
にも「原子力発電量」を増やす必要があると言っていますが、そのためな
らば、むしろ調整の効く他の発電方法を増やすべきなのです。

 事実、その逆のケースも起こっています。「グラフ4」は、2000年4月の
ある一日の電気需要量を示していますが、ピーク時でも12,130kW。
 一方、D点では「流込式水力・地熱」と「原子力」の発電量が既に需要
量を上回って
しまっています。

 電力図2
 「原子力」の発電の調整ができず、「乾電池」のように「電気」を貯めてお
くことも出来ない
ため、やむを得ず「揚水式」のダムのポンプの稼動電
として使い、ピーク時にその水の発電力を混合させて供給しています。

 となれば、調整の効かない「原子力発電」はDの供給量を基準とし
て、発電量を減らした方が効率的ということになります。

 ★ 原子力技術=核兵器製造力

 日本国民で「日本も将来核兵器を持つべき」と考えている人は、
恐らく極めて少数派でしょう。しかし、日本の政財界の中には、
「その時のための技術力と資源を持っていなくてはならない」と考
えている人達がいます。

 現に2002年には、当時の内閣官房副長官であった安部晋三
「核兵器や大陸間弾道弾も憲法上は問題ではない、小型であれ
ばよい。」
と発言しているのです。

 しかし、そのためには「核兵器能力」の高い「プルトニウム239」が
必要です。しかし、「非核3原則」を旗印としている日本は、直接、核兵
器のためのプルトニウム239を製造するわけにはいきません。

 すると、どうしても必要なのが、「もんじゅ」のような高速増殖炉です。
 しかし、そのためにはその前段階となる「使用済核燃料」が必要
になります。つまりは、表向きは「平和利用」の肩書きを持った「原子力
発電」が相当数稼動
していなければならないわけです。

 ★ 「原子力の平和的利用」の政治的圧力

 本2
理学博士の「高木仁三郎」
は、日本の原子力産業の創生
期に、その主要企業であった
三井・東芝系の「日本原子力
事業(NAIG)」に「核化
学」の研究員として従事した
第一人者ですが、その後その
あり方に疑問を感じ、原子力
資料情報室を設立して、その
真の姿を知らしめるとともに、
危険性について数々の警鐘本
を執筆しています。

 その高木氏は、その著書『原
子力神話からの解放』
で、原
子力産業の成立の経過につい
て述べています。ちょっと長くな
りますが、ポイントとなるところ
を、原文のまま抜粋してみます。




 『原子力の商業利用、とりわけ原子力発電は、そもそも核兵器の
 ために開発された技術の「平和的利用」という政治的目的をもっ
 て、あるときから世界的に導入
されました。
  原子力開発は当初、主要に軍事的目的で行われたことは言うま
 でもなく、アメリカの原爆開発計画のなかで、さらにそれを追う
 ようにして続いたソ連(当時)の原爆開発のなかで、最初から商
 業利用が考えられていたとは思えません
。    (同書p48)

  …原子力はそうではなくて、むしろいきなり政治的に、開発す
 べきであるという状況
が与えられてしまいます。それに対する技
 術の蓄えとか産業的な備えなどは全くなかったけれども、政治的
 に上から「平和利用」というものを、これはかなり強引におしつ
 られてきました。
  このような経過の背景には、国家権力と、産業資本というより
 は金融資本の思惑がありましたが、国際的にもそういう流れが強
 かったようです。               (同書p63)

  それでは日本の事情はどうだったかというと、これとよく似た
 状況でした。日本では産業界もそうですが、とくに学術会議を中
 心とする学者たちの間で、軍事利用との明確な境界線が引けそう
 もない、或いは軍事利用の方向へ流れていく可能性が強い原子力
 開発については、非常に抵抗が大きかったわけです。
  …(中略)…

  1954年の3月2日に、突如として、国会に原子力関連の予
 算
が出されて、それが国会を通過したのです。
  その中心的な役割を担ったのは、当時、アメリカで勉強してき
 て原子力に非常に乗り気であった、中曽根康弘という青年政治家
 だったのですが、それはまさに、学術会議の学者たちにとって寝
 耳に水の出来事でした。
  …(中略)…

  中曽根氏は、後にそのころのことを次のように述べている。
 「学術会議においては、(原子力の)研究開発にむしろ否定的な
  形勢がつよかったようであった。私はその状況をよく調べて、
  もはやこの段階に至ったならば、政治の力によって突破する以
  外に、日本の原子力問題を解決する方法はないと直感した。
  …国家の方向を決めるのは政治家の責任である。…」 
  (日本原子力産業会議、『原子力開発十年史』、1965年)
                   (同書p66~68抜粋)』


 つまりは、「その状況」が「この段階に至った」と感じた特定の
政治家の意向
のもとに、国家的な使命のごとく位置づけられてしま
ったということです。

 これらの事実を、何故新聞社やテレビ局は声を上げて一般に知ら
しめないのか。次回第二十七夜は、そのあたりから述べてゆきたい
と思います。


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ライオンの取っ手-門扉-

うちのうちは古いです。

建てて30年くらいはいっています。フトコロ事情のため、古家を買って十年以上経ちました。風呂なんかは最初から古びておりましたが、我慢して使っています。

頑丈なつくりの家で、家の構造、壁、その他はなんともないですが、水廻りは使えるとはいえ、こわれてる箇所も多く替えたいですが、まだ検討中です。

そして変えたいと思っているのが、外構です。ガレージ、その他、古くなっているのは我慢するとしても、古家を買った宿命とももうしましょうか。使いにくい...のです。

入れるものもないのに大きい物置。客も来ないので、めったに使わない門、アプローチ、毎日、庭を見て、「ここが、こっちで、あれがこっち、○○はいらない、でも、○◎は欲しい」なんて考えていたのがたまりにたまり、とうとう外回りを全面的に変えることにしました。

わたしとだんなは考えました。
家庭菜園をかねた花壇、ガレージ、フェンス...考えると楽しくなってきます。

いろいろと考え、「これはいらんじゃあないか」と思ったもの...それは、門、門扉でした。
押し売りが玄関先まで入ってくるのはわずらわしいです。家周りをフェンスで囲み、出入り口は、車のシャッターのみ...これだと、押し売りは入れません。

いいなぁ。しかし、こんな家、見たことないです。
そこで、この連休中、近所の家の外回りを見て回りました。見て回ると、門柱、門扉、そこから続くアプローチは大体がついています。しかし、小さい家で、ガレージ、門、アプローチと、つけたら、花壇のスペースがせまばるばかりです。でも、門、アプローチのない家は、なかなかないです。そして、扉、門、同じデザインのものがあちこちで使われているのを見ました。

家をみてまわると、面白いことに気がつきます。古い、住宅団地の住んでる人も古びているようなこれまた古い家。そんな家には、ライオンの取っ手の門扉がついています。それよりもっと古い家には、ついてません。
やっぱり規格品なのです。ライオンのついた門扉の取っ手は、その当時出回り、流行ったのでしょう。いまは、また違ったものが出ています。外回りも流行があり、規格品がいつの時代も出回り、結果、どこを見ても似たような外観となるのでしょう。

しかし、ガレージシャッターとフェンスの塀だけなんて、ないですね。
ああでもない、こうでもないと、いろいろと考えていると、夜中に目がさえて、ガレージの寸法や、フェンスのデザインなんかが浮かんできて、眠れなくなります。

楽しいですが、そろそろできてくる業者の見積もり金額が怖いです。

業者には、門、門扉はいらないと言ったが、多分つけてくるだろうなぁ...
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theme : 快適な生活のために
genre : ライフ

空豆

空豆が実をつけ大きくなってきました。

農家の方は笑ってしまうでしょうが、庭で大きくなった空豆、自分で育てた空豆が食べられるなんて感激です。

花は1ヶ月以上も前から咲いては枯れ、いっこうに実がつく気配がありませんでした。ところが、暖かくなるにつれ、実をつけ始め、中には食べれる大きさに育つものも出てきました。
縮そらまめIMG_0385


空豆...大きなさやが空に向かってつくさまが印象的です。まさに空豆です。五月の青い空と、空を見上げるようにつく緑の鞘。見てるだけでも気持ちがよいです。ベランダに上がり、下の空豆を見て、ふっとむこうの屋根をみると、屋根と青い空のはざまでこいのぼりのひれが揺れているのが見えます。

空を向いていたさやが、下を向いてきたら、そろそろ食べごろです。

グリルで鞘ごと丸焼きにしましたが、大変柔らかく、甘く、おいしかったです。
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トンデモ話は奥で繋がる(25) 22.5.2

トンデモ話は奥で繋がる 「第二十五夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。

≪原子力発電のウソに気をつけろ②≫

★ 「無能な設備だから取り外せ?」

縮眠れない話
 さて、今回は同じく「広瀬隆」
『新版 眠れない話~刻
々と迫りくる日本の大事故』
の掲載事項が中心となります。

 これは前回の『危険な話』の
続報として、1988年10月、八月
書簡から刊行された『眠れない
話』を大幅加筆し、文庫版として、
1991年6月に発行されたもの
です。

 折りしも、筆者が文庫版を執筆
している最中の1991年2月9日
に、関西電力の福井・美浜2号
原発
で、蒸気発生器が破断し、
日本で始めて「緊急炉心冷却
装置(ECCS)」が作動
した事故
です。
 実は、「ECCS」については、以前からその誤作動により、原子炉が停止して
しまうことが度々起こっており、「チェルノブイリ原発事故」の起こるわずか半月
前には、当時の原子力産業会議の会長であった「有沢広巳」「不要な設
備だから取り外せ」
と言ったのを受けて、その方向で話が進んでいたのです。

 今回の事故は、「ECCSが正常に作動」して事態が収拾したので
はなく、皮肉にも「ECCS」が言葉どおり「無くてもかわらない無
能な設備」
であることを証明してしまったのです。

 ★ たった細管一本の破断から始まる恐怖

 略図に記したとおり、美浜2号原発は「加圧水型」の原子炉で、格
納容器の中央での核反応によって発生した熱水を、蒸気発生器に導い
て、その熱で水蒸気を発生させ、その蒸気圧でタービンを回して発電
するものです。

 このシステムでは、通常は放射能を含んだ一次系統の水は、蒸気発
生器の「細菅」
を通じて、その熱だけを二次系統の水へ伝えるため、
点線で示した「原子炉格納容器」の外に放射能が漏れることはありま
せん。

 この蒸気発生器は、A、Bの2系統に分かれており、今回の事故は
A系統の蒸気発生器の「細管」のひとつが「ギロチン破断」、つまり
瞬間的にスパッと横方向に切れてしまったものです(×印参照)。

 「細管」に穴があくだけで、一次系統の水は高熱・高圧の水蒸気と
なって二次系統の水と混合、同時にタービンを回す蒸気にも漏れ出し
ます。そして、前者は放出路から海中へ、後者は大気中へと拡散して
ゆきます。
美浜原子炉 著書では、この経緯を、時間を追って刻々
と記載しています。
 以下、略図の番号を追いながら見ていただ
きたいと思います。

《↑画像をクリックすると拡大表示されます。同署のp174-175を参考記載》

 ★ 電力会社の「危険(を)回避(しない)マニュアル」
 
 午後0時40分 二次系統の水から高い放射能が検出されます。し
         かし運転員は、通常もよくある「測定器」の異常
         と考え、「液体のサンプリング」にとどめてしま
         います。

 午後1時20分 分析の結果、「一次冷却水の漏れ」と判定されま
         すが、関西電力の運転マニュアル『放出量が充分小
        さい場合は運転を停止しない』
というあいまいな基準
         に従い、運転を続行します。

 午後1時40分  タービン系のガス・モニターが「高濃度の放
         射能」を探知
し、500個中、50個のパネルが警
          報と点滅を始めます。

 午後1時45分 ② 海上放出系の放射能モニターも警報を発信し
          ます。まさにこの時、細管は「ギロチン破断」に至って
          います。

 午後1時45分 ③ 一次系統の水が漏れ出したことにより、加圧
         器の水位が一気にゼロ
を示します。

  原子炉内の一次系統の水は、320℃の高温にも関わらず「液体」
 のまま循環
させるために、③の加圧器内部のヒーターで水蒸気を発
 生させて水面を押し下げ、157気圧もの高圧を作り出しています。
  減圧するには⑩のホウ酸水の噴出ノズルから冷水を噴出します。

  圧力をかけることで、炉心に「水」を満たしているため、これが
 ゼロ気圧となれば、炉心の水位は全く把握できず、「カラ焚き状態」
 となる危険性に直結します。

 ★ メルトダウン寸前の危機へ 

 午後1時48分 ④ 事故の様相がつかめないまま、運転員は、運転
         停止のための29個の「制御棒」の手動挿入を開始しま
         す。

 午後1時50分 炉心の圧力が危険限界の134気圧に下がったため、
         「制御棒」が自動的に挿入される「スクラム停止」の状態に
         突入し、運転員は初めて事の重大さを認識します。
    
          7.2秒後には設計どおり「ECCS」が作動モードにな
         るものの、注入圧力が103気圧しかない設計のため、
         しばらくは放水不能でした。

  一見、炉心圧力は下がった方が安全のように思いますが、実際
はその逆
なのです。高圧をかけて「液体」に保っていた一次冷却水が、
沸騰
し始めることで、燃料棒(酸化ウラン)を破損させます。
  また、水位が下がることで、燃料棒の熱を奪えなくなり炉心融解
 (メルトダウン)という最悪の事態となるのです。

 午後1時55分 炉心圧力が95気圧まで下がったことで、「ECC
         S」がようやく注入状態
となります。
            ただし、5基ある「ECCS」のうち、注入を開始したのは
          1基のみでした。他の4基は50気圧以下でないと注入
         できない
代物だったのです。

 午後1時55分 ⑥ 運転員は、A系統の二次系統の流れを遮断する
         ために、A系統の「主蒸気隔離弁」を閉じようとしました
         が、噴出する水蒸気の圧力が強く、システムによる閉鎖
        が出来ません
でした。
          そのため、作業員の手動による作業に切り替えられ、7
         分後に閉鎖されます。

  この作業は、原子炉をB系統のみの「片肺運転」として、B系統の
 みで「炉心の冷却作業」を行おうとして行われたものでした。
  しかし、「ECCS」がまともに作動しない中、炉心の熱を冷やし
 うる二次系統の流れを半分にしてしまったことで、かえって炉心融解
 の危険性を高める
こととなるとともに、2時19分の事態の呼び水
 なりました。

 午後2時 2分 ⑦ 前作業のために、炉心の水温が急上昇し、発生
         した水蒸気圧により、炉心の圧力が再び上昇し始めたため、
         運転員はやむを得ずB系統の「水蒸気逃し弁」を開いて
         圧力を下げようとします。
          しかし、十分な効果は得られず、2時17分まで、
         放射能を含んだ水蒸気が美浜の大気中に放出される
         ことになります。
 
 午後2時 9分 炉心に溜まった水蒸気で、気圧が再び100気圧を
         超え
、「ECCS」での冷却水の注入が再びストップし、
          最大の危機を迎えます。
            そのため、通常は炉心の水を補填するために使用さ
          される充填ポンプを3台をフル稼働させたところ、炉内
          温度はようやく下がり始めます。

 ★ 危機を救った危険な「賭け」

 しかし、それでもまだ危機が去ったわけではありませんでした。

 午後2時10分 ⑧ 温度が下がったことで、水蒸気を増やさずに、
         原子炉圧力を下げる絶好のチャンスと見た運転員
         は、原子炉自体の加圧器の「圧力逃し弁」を開くため
         のスイッチを入れます。
          ところが、この一番肝心な時に、2個ある弁が
         両方とも作動しませんでした。必死に電気系統の
         故障を調べますが、原因不明でした。

  アメリカの「スリーマイル島原発事故」では、この「圧力逃し弁」
 が逆に「開きっぱなし」になったことで、冷却水の大部分が水蒸気
 となって、炉心から出てしまい、炉心温度が上がり続けメルトダウ
 ン
に至っています。
  ここでは、単に「開かない」のか、或いはスリーマイル同様、「圧
 力逃し弁」そのものが破壊されてしまったという、最悪の状況も考え
 られ、全員がパニック状態に陥ったのです。
  ③で加圧器の気圧がゼロとなってしまったため、この時点で、炉心
 の水位を知る手がかりはありません
でした。

 午後2時19分 ⑨ チャンスを失った炉心温度は、再び上昇に転じ
         ます。
          この時、前の⑥で閉じられた「主蒸気隔離弁」によって、
         行き場を失ったA系統の水蒸気が、A系統側の⑦「水蒸
        気逃し弁」を押し上げて、噴出
しました。

 午後2時25分 ⑧ 「圧力逃し弁」は作動不能との判断が下されま
         す。それは、最終手段に踏み切るかどうかの決断を意
         味していました。

 午後2時34分 ⑩ ここで、運転員は『加圧器の水位はゼロを示し
        ているものの、炉心には十分水がある』という仮定

         「賭け」、「加圧器」の「減圧スプレー」を噴射します。
          もし、水か少量しか残っていなければ、減圧することで、
         炉心の水は瞬間的に水蒸気と化し、燃料棒を破壊
         るという最悪の状態となってしまいます。
          結果として、この「賭け」は「吉」とでました。
         「加圧器」の水位計はぐんぐんと上昇します。炉心
         には充分な水があり、「加圧器」の中へ逆流してき
         たのです。

 ★ 最後まで無能だった「ECCS」

 ところが、ようやく事故処理の終了局面に入ったにもかかわらず、減
圧したことで、無能の「ECCS」が再び炉心への注入を始めてしまい
ます。

 午後2時39分 ⑪ 「ECCS」の注入水により、再び大量の水蒸
         気が発生
し、A系統の⑦「水蒸気逃し弁」を再び押
         し上げて噴出
します。

  この時点で「作業マニュアル」どおりに従えば、「ECCS」は

  『加圧器の「圧力逃し弁」を閉止、炉心の水位の再上昇の確認後』
 
 でなければ「停止」してはならないことになっていました。しかし、
 問題の「圧力逃し弁」は作動不能、原子炉の水位も「仮定」さぜる
 を得ない状況です。
  しかし、このままでは「ECCS」が過剰な水を送り込むことで
 蒸気発生器に過大な付加がかかる危険性があり、運転員は「マニュ
 アル」を破って「ECCS」を手動停止します。

 午後2時42分 ⑫ 運転員は過剰な水蒸気を逃すため、再びB系統
         の「水蒸気逃し弁」を開放
し、約30分間に渡って放射能
         の混じった水蒸気を美浜の大気中に放出
します。
           止むを得ない対応であったとはいえ、何故「原子炉格納
         容器」内への放出設計にされていない
のかと広瀬氏は
          問いただしています。

 午後2時48分 これらの作業により、原子炉側の圧力が60気圧
          下がり、タービン側の圧力とほぼ同じになります。
           放射能の流出は一瞬止まったものの、その後も断続
         的な流出
が続きます。

 午後3時25分 放射能の流出が完全に停止。ギロチン破断から1時
         間40分後
のことでした。
 
 ★ この危険な「圧力釜」を扱いきれるのか         

 以上が「日本初のECCS稼動事故」の実態です。この事故は「制御
棒の挿入」で終わったのでも、「ECCSの作動」で終わったのでもあ
りません。運転員の一か八かの「賭け」が、幸運にも「日本の終わり」
(チェルノブイリ級の事故が起これば、56時間以内に放射能雲が日本
全土にかかることになっていました。)を回避したのです。

 この事故から、少なくとも4つの「原子炉の構造上の欠陥」が見えて
きます。

  「加圧器」の水位がゼロになってしまった瞬間、原子炉内の水位
  を知る手段
が全く無くなり、安全な「減圧」「冷却」の方法が無く
  なること。

  いかなる原子炉内圧力であっても作動できる「ECCS]の注入
  圧力
が保たれていないこと。

  「水蒸気隔離弁」が「事故時」の蒸気圧力に耐えらず作動しない
  こと。

  「蒸気逃し弁」は、水蒸気を直接大気中に逃す構造であるため、
  「事故時」に「二次系統の冷却水」に放射能が漏れた場合、その
  使用が即「放射能漏れ」につながること。

 事故当時から約20年が経った今、これらの構造上の欠陥はいくらか
改善されているかもしれません。しかし、仮にそうであっても、果たし
「事故時」の安全な対処方法があるのでしょうか

 「原子炉」を「圧力釜」と比較してみましょう。「圧力釜」は、料理
には重宝なものの、蓋をしたまま加熱することには、少々「気味悪さ」
あります。
 
 しかし「圧力釜」には、漏れても危険なく扱える「蒸気逃しの独楽」
が付いています。また、基本的には、どんな場合でもゆっくりと「減圧」
又は「冷却」すれば暴発の危険性はありません


 ところが、「原子炉」は「蒸気逃し」を閉じたまま使う「圧力釜」
す。しかも、「減圧」や「冷却」しようとする行為が、逆に「加圧」や
「発熱」を呼び込んでしまうのです
。これでは、ただ「豆」を煮るのだ
としても、誰も使いたがらないのではないでしょうか。

 前二十四夜で、以前は『原爆と原発をどうレベルで考えてはいけない』
と考えていたと言いましたが、この著書に出会って、『原発は原爆を少し
づつ点火するものに過ぎない』
という考え方にかわりました。

 ★ 「もんじゅ」の「浅知恵」

 さて、この記事を書いている最中の4月28日、福井県の西川知事が、
1995年の「ナトリウム漏れ事故」以来14年間停止していた、高速増殖
原型炉 「もんじゅ」の運転再開を了承
したというニュースが伝えられ
ました。

 「高速増殖炉」とは、燃料として、通常の「原子炉」で、放射性廃棄物と
して生成される「プルトニウム」を燃料として使用し、さらに新しい「プル
トニウム」を生み出すということで、かつては「夢のエネルギー」と呼ばれ
た時代もありました。

 しかし、「プルトニウム」はウランより数倍高い放射性を持つ上、半
減期は2万4000年と、人類にとってはぼ半永久的に放射能管理をし
なければならない代物です。
 しかも生成されるプルトニウムは、「プルトニウム239」という、そのま
ま「核兵器」として使用可能
な恐ろしいものです。

 そして、何よりも危険なのは、「冷却媒体」として、469℃という高温の
「液体ナトリウム」
を使用することです。

 「ナトリウム」については、小生の高校時代、忘れられない「化学実
験」がありました。

 通常の化学の時間に、水を満たしたビーカーに、5㎜角程度の「金属
ナトリウム」
を入れて反応をみるという実験をされた方も見えると思いま
す。ナトリウムのかけらは、水中で蒸気を立てながらみるみる小さくなり、
やがて水面に上昇するなり、一瞬「発火」して消滅し、その「親水性」
の激しさを
実感するものでした。

 その後、ある年の「文化祭」で、突然「校内放送」が入り、『今から
化学部のイベントとして、「ナトリウムの爆発実験」をするので、見学
者は校庭には近づかず、校舎の陰で見学するように』とのアナウンスが
ありました。

 他のイベントに比べ地味と思われたのか、見学者はあまりいない中、
科学部の部員が、水の入ったそうじのバケツを校庭の真ん中まで運
んで行きます。
 その後、今度は科学部の顧問の先生が、「野球のボール大」の「ナト
リウム」
を持ってバケツに放り込むと、一目散にこちらへ走ってきます。

 正直、「随分と大げさだなぁ」と思って眺めていたその瞬間、「ドスッ」とい
う鈍い爆発音とともに、バケツの水は10m以上の水柱を上げて、飛び
散った
のでした。小生がナトリウムの危険性を思い知った瞬間でした。

 この代物を、一・二次冷却水の代わりに「原子炉」内を循環させ、そ
の熱を、細管を隔てた「三次冷却水」に伝えるというものです。タダの
水でさえ、細管1本の「破断」で一触即発の事態を引き起こすというの
に、「ナトリウム」であれば、小さな穴があいただけでも大爆発です。

 そうなれば、「制御棒」も「ECCS」も関係ありません。システム
そのものが一瞬で崩壊
するのです。誰にこんなものを「認める」権限が
あるのでしょうか。まさに「知恵」のある者ならするはずのない方法な
のです。

 さて、次回第二十六夜からは、何故このような危険な発電方法が罷り
通っているのかを述べてゆきたいと思います。


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