2010.02.25
トンデモ話は奥で繋がる(14)
トンデモ話は奥で繋がる 「第十四夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪スピリチュアリズムの「正統性」とは①≫
★ 門は階段を上って?訪れた

小生の手元に、一冊の
冊子があります。「スピ
リチュアリズム入門」と
書かれたこの冊子は、当
時の「心の道場」のサー
クル・メンバーの一人で
ある、Sさんからいただ
いたものです。
"スピリチュアル"の世
界では、『自分が、知り
たい、出会いたいと思う
事項や人物に突然めぐり
合う』という、いわゆる
「引き寄せ」と言われる
現象が取り上げられます
が、小生にとっても、S
さんとの出会いは、「も
っと知りたい」と思う心
が、そうさせたのではな
いかと思っています。
とある日曜日の午後、
小生の住んでいたプレハブ2階建て単身8世帯の安コーポの、急勾配の
鉄階段をわざわざ上がって、Sさんは小生の201号室の呼鈴を押した
のです。
年齢は小生とほぼ同じ位、小柄で温厚そうな彼女を見た時、この頃よく
来ていた『難民サポートのため、コーヒーの購入募金を』の類だろうと思
いました。
ところが、彼女の第一声はちょっと以外なものでした。
「毎日健康に暮らせていますか?」
「…ええ、まァおかげさまで…。」
見れば、特に『健康グッズ』を抱えている訳ではなさそうなので、しば
らく自分の仕事の事など話していたのですが、
「今、興味のあることは何ですか?」と問われた小生は、「実は…。」
と先週刷り上げたばかりの小生の「独人誌・GAIA(ガイア)」(第二夜参照)
を持ち出して、
「ちょっと前から、こんなことを始めています。今のところ、これが自
分の興味のある事の全てなんですが、あまり読んでくださる人の当て
もない状態です。もしよろしければお持ちください。」
とSさんに手渡したのでした。
訪問に来た人に、逆に自分の趣味の雑誌を押し付ける、あべこべの展開と
なったのですが、以外にもSさんは「是非読ませてください。」と快く引き
取って(?)、その日はそのまま帰っていかれました。
それから一週間後、ほぼ同じ時刻に再訪したSさんが、
「私にも、是非読んでいただきたいものがあります。」
と言って手渡されたのがこの冊子の原
型となるダイジェスト版でした。
その後、何回かの訪問の折、いただいたのが当該冊子ですが、初版の日付
が"平成7年5月10日"ですので、まさに当時はこの冊子が編纂され始めた頃
だったのです。(現在「心の道場」のHPで公開されているのは平成20年の
改定版で、内容の所々に若干の変更があるようです。)
★ 偉大なる開拓者"丹波哲郎"
さて、「スピリチュアリズム入門」の内容に入って行く前に、この頃の小
生をとりまく背景について、少し触れておこうと思います。
まずは、丹波哲郎氏から。彼は「霊界」という言葉を、一部「宗教」の薄
暗い教義的地位から、お茶の間の関心事項まで引き揚げました。この「スピ
リチュアリズム入門」の初版でも、近年のスピリチュアリズム浸透の功績者
として、日本人として唯一人名前が挙がっていました。
その彼が1989年に公開したのが、映画『大霊界』です。彼自身が語り手と
なって、バス転落事故で臨死体験をすることになる、主人公"丹波義隆"が垣
間見た霊界を描いたものでした。無論、全ての人かマジメに賛同するところ
まではゆかず、丹波さん自身もほとんど道化者扱いでしたが、小生にとって
は、『どこまでが真実に近いのか』はこの頃のテーマのひとつでしたし、特
に「自殺霊」の彷徨う『自殺者の森』については、その状態の真否が非常に
気になるところでした。
★ 「臨死体験」が注目される
1992年1月22日、『臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)』は臓器移
植を前提とした「脳死を人の死」とするかについて、少数の「認めない」意
見付で賛成多数との答申を首相に提出しました。
小生自身は、「少数派」の意見に賛同していましたので、無念の気持ちを
込めて、自分なりの『答申』を、以下のように「GAIA」に書いています。
① 『脳死』が人の死であるかどうかは、個々人の『死生観』によるべき
で、法律で定めるべきものではない。
② 『脳死』をもって自分の死と認める人達のため、事前の『意志登録』
と、『臓器提供の意思』の有無を記載すべきである。
③ 『脳死』を前提とした臓器移植は、②の意思表示で「可」とした者
からのみ行い、その開始時刻をもって「死亡時刻」とする。
(それまでは、「死」かどうかの正確な判定はできないため。)
④ ②の意思登録・撤回は随時可能なものとする。本人は『意思能力』が
ない場合、及び登録後にその状態(ただし、本来の『脳死』状態は除く)
に陥った場合は、登録がなかったものとする。
⑤ 『脳死』の判定については、外部に開かれた状態で行う。
⑥ ③かつ⑤に基づき『善意』により判定された『脳死』については、現
時点では『合法的』なものと認め、担当医師の『絶命』の疑いによる責
任は、将来に向かって問わないこととする。
1994年には、立花隆が『臨死体験』を出版しています。彼自身は「科学的
立場」から、積極的に支持するにまでは至っていませんでしたが、キューブ
ラー・ロスが臨死患者への聞き取り調査をまとめた『死ぬ瞬間』(1965年)
で取り上げた「幽体離脱」現象がクローズ・アップされるきっかけとなって
います。
この2つの問題は、「何をもって生と死が区別されるのか」というテーマ
を、小生に投げかけてきました。
★ 「宗教」を超えた「仏教」
第十夜までで、ユダヤ教、キリスト教及びイスラム教について、当時の小
生の見方を書いてきましたが、実は当然の成り行きとして、引き続き「仏教」
についても、同じようにまとめるつもりでした。
ところが、あれこれと書物をひもとく度に、新しい見方が出てきて、「これ
が教義の本質だ」と言えるものがなかなか掴めないまま、その後1年間頓挫し
てしまったのです。
今までの三つの宗教が、"神と人間"の関係を示し、"神の心に従って生きる"
ことを教義としているのに対して、仏陀の教えは、"人間はかく存在し、その定
めから抜けられない"ことを説き、神については肯定も否定もしないのです。
従って、そうした"定め"があると実感できない者にとっては、全く雲を掴む
ようなものなのです。
しかし、"宗教"という見方を変えて"宇宙観"として捉えてみると、自分の感
じ方に非常に近いという感覚がありました。
そして、このことは、これから話してゆこうとする「スピリチュアリズム」に
とっては、大きな視点の違いとなっています。
そのため、あえて単独では取り上げず、「スピリチュアリズム」を考える中で
これらを随時とりあげていこうと思っています。
さて、次回第十五夜から、「心の道場」の説く正統的スピリチュアリズムにつ
いて、小生の見方をお話してゆきます。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪スピリチュアリズムの「正統性」とは①≫
★ 門は階段を上って?訪れた

小生の手元に、一冊の
冊子があります。「スピ
リチュアリズム入門」と
書かれたこの冊子は、当
時の「心の道場」のサー
クル・メンバーの一人で
ある、Sさんからいただ
いたものです。
"スピリチュアル"の世
界では、『自分が、知り
たい、出会いたいと思う
事項や人物に突然めぐり
合う』という、いわゆる
「引き寄せ」と言われる
現象が取り上げられます
が、小生にとっても、S
さんとの出会いは、「も
っと知りたい」と思う心
が、そうさせたのではな
いかと思っています。
とある日曜日の午後、
小生の住んでいたプレハブ2階建て単身8世帯の安コーポの、急勾配の
鉄階段をわざわざ上がって、Sさんは小生の201号室の呼鈴を押した
のです。
年齢は小生とほぼ同じ位、小柄で温厚そうな彼女を見た時、この頃よく
来ていた『難民サポートのため、コーヒーの購入募金を』の類だろうと思
いました。
ところが、彼女の第一声はちょっと以外なものでした。
「毎日健康に暮らせていますか?」
「…ええ、まァおかげさまで…。」
見れば、特に『健康グッズ』を抱えている訳ではなさそうなので、しば
らく自分の仕事の事など話していたのですが、
「今、興味のあることは何ですか?」と問われた小生は、「実は…。」
と先週刷り上げたばかりの小生の「独人誌・GAIA(ガイア)」(第二夜参照)
を持ち出して、
「ちょっと前から、こんなことを始めています。今のところ、これが自
分の興味のある事の全てなんですが、あまり読んでくださる人の当て
もない状態です。もしよろしければお持ちください。」
とSさんに手渡したのでした。
訪問に来た人に、逆に自分の趣味の雑誌を押し付ける、あべこべの展開と
なったのですが、以外にもSさんは「是非読ませてください。」と快く引き
取って(?)、その日はそのまま帰っていかれました。
それから一週間後、ほぼ同じ時刻に再訪したSさんが、
「私にも、是非読んでいただきたいものがあります。」
と言って手渡されたのがこの冊子の原
型となるダイジェスト版でした。
その後、何回かの訪問の折、いただいたのが当該冊子ですが、初版の日付
が"平成7年5月10日"ですので、まさに当時はこの冊子が編纂され始めた頃
だったのです。(現在「心の道場」のHPで公開されているのは平成20年の
改定版で、内容の所々に若干の変更があるようです。)
★ 偉大なる開拓者"丹波哲郎"
さて、「スピリチュアリズム入門」の内容に入って行く前に、この頃の小
生をとりまく背景について、少し触れておこうと思います。
まずは、丹波哲郎氏から。彼は「霊界」という言葉を、一部「宗教」の薄
暗い教義的地位から、お茶の間の関心事項まで引き揚げました。この「スピ
リチュアリズム入門」の初版でも、近年のスピリチュアリズム浸透の功績者
として、日本人として唯一人名前が挙がっていました。
その彼が1989年に公開したのが、映画『大霊界』です。彼自身が語り手と
なって、バス転落事故で臨死体験をすることになる、主人公"丹波義隆"が垣
間見た霊界を描いたものでした。無論、全ての人かマジメに賛同するところ
まではゆかず、丹波さん自身もほとんど道化者扱いでしたが、小生にとって
は、『どこまでが真実に近いのか』はこの頃のテーマのひとつでしたし、特
に「自殺霊」の彷徨う『自殺者の森』については、その状態の真否が非常に
気になるところでした。
★ 「臨死体験」が注目される
1992年1月22日、『臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)』は臓器移
植を前提とした「脳死を人の死」とするかについて、少数の「認めない」意
見付で賛成多数との答申を首相に提出しました。
小生自身は、「少数派」の意見に賛同していましたので、無念の気持ちを
込めて、自分なりの『答申』を、以下のように「GAIA」に書いています。
① 『脳死』が人の死であるかどうかは、個々人の『死生観』によるべき
で、法律で定めるべきものではない。
② 『脳死』をもって自分の死と認める人達のため、事前の『意志登録』
と、『臓器提供の意思』の有無を記載すべきである。
③ 『脳死』を前提とした臓器移植は、②の意思表示で「可」とした者
からのみ行い、その開始時刻をもって「死亡時刻」とする。
(それまでは、「死」かどうかの正確な判定はできないため。)
④ ②の意思登録・撤回は随時可能なものとする。本人は『意思能力』が
ない場合、及び登録後にその状態(ただし、本来の『脳死』状態は除く)
に陥った場合は、登録がなかったものとする。
⑤ 『脳死』の判定については、外部に開かれた状態で行う。
⑥ ③かつ⑤に基づき『善意』により判定された『脳死』については、現
時点では『合法的』なものと認め、担当医師の『絶命』の疑いによる責
任は、将来に向かって問わないこととする。
1994年には、立花隆が『臨死体験』を出版しています。彼自身は「科学的
立場」から、積極的に支持するにまでは至っていませんでしたが、キューブ
ラー・ロスが臨死患者への聞き取り調査をまとめた『死ぬ瞬間』(1965年)
で取り上げた「幽体離脱」現象がクローズ・アップされるきっかけとなって
います。
この2つの問題は、「何をもって生と死が区別されるのか」というテーマ
を、小生に投げかけてきました。
★ 「宗教」を超えた「仏教」
第十夜までで、ユダヤ教、キリスト教及びイスラム教について、当時の小
生の見方を書いてきましたが、実は当然の成り行きとして、引き続き「仏教」
についても、同じようにまとめるつもりでした。
ところが、あれこれと書物をひもとく度に、新しい見方が出てきて、「これ
が教義の本質だ」と言えるものがなかなか掴めないまま、その後1年間頓挫し
てしまったのです。
今までの三つの宗教が、"神と人間"の関係を示し、"神の心に従って生きる"
ことを教義としているのに対して、仏陀の教えは、"人間はかく存在し、その定
めから抜けられない"ことを説き、神については肯定も否定もしないのです。
従って、そうした"定め"があると実感できない者にとっては、全く雲を掴む
ようなものなのです。
しかし、"宗教"という見方を変えて"宇宙観"として捉えてみると、自分の感
じ方に非常に近いという感覚がありました。
そして、このことは、これから話してゆこうとする「スピリチュアリズム」に
とっては、大きな視点の違いとなっています。
そのため、あえて単独では取り上げず、「スピリチュアリズム」を考える中で
これらを随時とりあげていこうと思っています。
さて、次回第十五夜から、「心の道場」の説く正統的スピリチュアリズムにつ
いて、小生の見方をお話してゆきます。
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