2010.02.20
トンデモ話は奥で繋がる(13) 22.2.20
トンデモ話は奥で繋がる 「第十三夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪ある新興宗教信者との物語 ③≫
★ 純真な信者-H君の夢
H君自身は、ごく人のよさそうな大学生でした。そんな彼に、自身の
"夢"を聞いたことがあります。彼はちょっと迷って、
「やっぱり、アフリカ辺りに行って、難民のために働きたいですね。」と答えました。小生が、
「世界を見る前に、この日本にだって、救うべき人は居るんじゃない?」と問い返すと、
「それはそうですけど…。日本を離れてみたいし…。」
とボソっと答えました。
彼に限らず、この教団の底辺の信者さんは、皆純真で、当時の怠け学生達
より、この社会のためを思う心は人一倍あったのだと思います。
1990年代初頭と言えば、バブル経済が絶頂期を迎えようとしていた頃で、
当時の学生達にとっての『日本』は、ダラダラと遊んで暮らすには最も適して
いたものの、『このままでいいのだろうか』と思い始めた者達にとっては、
容赦ない『堕落感』を突きつけられる環境にありました。
政治、道徳、教育のどれも「信念」に欠け、その癖"経済力"だけは馬鹿でか
く、次々と捨てて行かなければならぬほど"物"にあふれるこの国…。その裏で、
それとは程遠い暮らしを強いられている他国の人達…。ならば、この国より、
真に困っている人達のために何か始めませんか。
と、第1回ビデオ講座が彼等に訴えかけることになります。
一方で日本の社会は、"宗教"については、代々"葬儀屋"とセットであるかの
ようにしか考えておらず、親や学校は、それ以上深入りすることは、"疎ましい
こと"としてしか伝えていません。
しかし、彼らが「新興宗教」に最初に見せ付けられるのは、一見"人道的ボラ
ンティア"と変わらないような活動を、自分の身を犠牲にしてまで黙々と続けて
いる底辺の"純真な信者"の姿なのです。そこで「これだ!」と思い込んでしま
えば「教祖」の存在や、辛い毎日に疑問を抱くことすら『堕落者』の考えとし
て退けてしまうのです。
★ 宗教の本質
もう一つ、彼等の得意とする論法が「二元対立」です。「共産主義VS資本
主義」、「資本階級VS無産階級」、「全体主義VS個人主義」…等々と勝手
に結びつけて、「どちらかを倒さなければ、理想の社会とはならない。そのた
めに団結して戦わなくてはならない」と説きます。
しかし、そのどちらか一方が「絶対に正しい」と判断できるでしょうか。むし
ろ過去の歴史は、どちらかに偏ることこそ"不条理"を生み出す原因となることを
示しています。
「無宗教の共産主義」が「堕落」の原因だと教団は言います。しかし、そもそ
も宗教の本質とは何でしょう?「宗教」など無かった時代を考えてみましょう。
人間が文字通り"自然"のままに生きていた時代です。 彼等は『何故生まれてき
たか』などと考える暇も無く、突然襲ってくる「天変地異」「病」「他の猛獣た
ち」と、それがもたらすところの「死」と向き合っていたはずです。
彼等にとっては「生きていること」すら「偶然」であって、彼等の「運命」
を司っているもの…「宇宙の法則」そのものが「神」だったと思います。
それが、例えば日本であれば、古来から「土地神様」「氏神様」といった、
自分達の運命を託す存在としての「神様」となっていったのだと思います。
そして「宗教」とは、こうした"彼等"と"宇宙"との"つながり"を考える"思考"
そのものだと思います。無論、特定の「教祖」などは必要ではありません。たと
え特定の誰かが"真理"を得たとしても、それに達していない凡人も、同じ"真理"
で対等に"宇宙"に繋がっているはずです。"真理"を得た者は、できるだけ多くの
者にそれを伝えるべき存在ーイスラム教で言う「導師」ーに過ぎません。
それならば、教団の言うような組織も不必要ですし、むしろ全てが対等の「共
産主義」の方が「宗教」の本質に近いのでは無いでしょうか。(もっとも、未だ
に「純粋な形」での「共産主義」を創り上げた国はありませんが…。)
"不条理"な教義を信者に押し付ける、教団の仕打ちを思うと、H君の夢が、教
団とは無縁の天地で実現することを祈るばかりです。
★ 生命の起源
第九夜で、仮に我々の「生命の設計図」がDNAであるにしても、最初のDNA
に「命」を吹き込んだ「何者か」が必要であると言いました。それは、「地球外生
命」かも知れませんが、その彼らもまた「何者か」が創り出したものです。
突き詰めて考えれば、源はこの"宇宙の営み"が生み出したものに間違いはないで
しょう。その"営み"そのものを「神」と考えるならば、「人間は神が作り出した」
というのは疑いようの無い「真理」です。それならば、そのことについて改めて教
義を作る必要は無いでしょう。それぞれの「宗教」は、ただその「真理」に「気に
入った名前」をつけているに過ぎないと思います。
★ 「肉体」を持った意味
多くの宗教は「魂」の存在を説きます。その「魂」が不滅で、それ自体で存在で
きるあるのであれば、わざわざ「肉体」という不自由な入れ物に宿らなくてもよい
筈です。現にそういう「魂」もあると思います。しかし、敢えて「肉体」を持って
生まれて来るからには、それなりの理由がある筈です。
よく聞く「答え」のひとつに「この世に理想郷を実現するためだ」というものも
あります。しかし、そのために我々が使える能力「五感」と、意思の疎通手段「言
葉」はなはだ不完全なものです。それならば、「理想郷」に辿り着くまでに、我々
が経験しなくてはならないことにも意味があるかも知れません。
次回第十四夜は、そんな問いに対する、ひとつの糸口となった「心の道場」と
の出会いについてお話しする予定です。
目次のペーシへはこちらから
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪ある新興宗教信者との物語 ③≫
★ 純真な信者-H君の夢
H君自身は、ごく人のよさそうな大学生でした。そんな彼に、自身の
"夢"を聞いたことがあります。彼はちょっと迷って、
「やっぱり、アフリカ辺りに行って、難民のために働きたいですね。」と答えました。小生が、
「世界を見る前に、この日本にだって、救うべき人は居るんじゃない?」と問い返すと、
「それはそうですけど…。日本を離れてみたいし…。」
とボソっと答えました。
彼に限らず、この教団の底辺の信者さんは、皆純真で、当時の怠け学生達
より、この社会のためを思う心は人一倍あったのだと思います。
1990年代初頭と言えば、バブル経済が絶頂期を迎えようとしていた頃で、
当時の学生達にとっての『日本』は、ダラダラと遊んで暮らすには最も適して
いたものの、『このままでいいのだろうか』と思い始めた者達にとっては、
容赦ない『堕落感』を突きつけられる環境にありました。
政治、道徳、教育のどれも「信念」に欠け、その癖"経済力"だけは馬鹿でか
く、次々と捨てて行かなければならぬほど"物"にあふれるこの国…。その裏で、
それとは程遠い暮らしを強いられている他国の人達…。ならば、この国より、
真に困っている人達のために何か始めませんか。
と、第1回ビデオ講座が彼等に訴えかけることになります。
一方で日本の社会は、"宗教"については、代々"葬儀屋"とセットであるかの
ようにしか考えておらず、親や学校は、それ以上深入りすることは、"疎ましい
こと"としてしか伝えていません。
しかし、彼らが「新興宗教」に最初に見せ付けられるのは、一見"人道的ボラ
ンティア"と変わらないような活動を、自分の身を犠牲にしてまで黙々と続けて
いる底辺の"純真な信者"の姿なのです。そこで「これだ!」と思い込んでしま
えば「教祖」の存在や、辛い毎日に疑問を抱くことすら『堕落者』の考えとし
て退けてしまうのです。
★ 宗教の本質
もう一つ、彼等の得意とする論法が「二元対立」です。「共産主義VS資本
主義」、「資本階級VS無産階級」、「全体主義VS個人主義」…等々と勝手
に結びつけて、「どちらかを倒さなければ、理想の社会とはならない。そのた
めに団結して戦わなくてはならない」と説きます。
しかし、そのどちらか一方が「絶対に正しい」と判断できるでしょうか。むし
ろ過去の歴史は、どちらかに偏ることこそ"不条理"を生み出す原因となることを
示しています。
「無宗教の共産主義」が「堕落」の原因だと教団は言います。しかし、そもそ
も宗教の本質とは何でしょう?「宗教」など無かった時代を考えてみましょう。
人間が文字通り"自然"のままに生きていた時代です。 彼等は『何故生まれてき
たか』などと考える暇も無く、突然襲ってくる「天変地異」「病」「他の猛獣た
ち」と、それがもたらすところの「死」と向き合っていたはずです。
彼等にとっては「生きていること」すら「偶然」であって、彼等の「運命」
を司っているもの…「宇宙の法則」そのものが「神」だったと思います。
それが、例えば日本であれば、古来から「土地神様」「氏神様」といった、
自分達の運命を託す存在としての「神様」となっていったのだと思います。
そして「宗教」とは、こうした"彼等"と"宇宙"との"つながり"を考える"思考"
そのものだと思います。無論、特定の「教祖」などは必要ではありません。たと
え特定の誰かが"真理"を得たとしても、それに達していない凡人も、同じ"真理"
で対等に"宇宙"に繋がっているはずです。"真理"を得た者は、できるだけ多くの
者にそれを伝えるべき存在ーイスラム教で言う「導師」ーに過ぎません。
それならば、教団の言うような組織も不必要ですし、むしろ全てが対等の「共
産主義」の方が「宗教」の本質に近いのでは無いでしょうか。(もっとも、未だ
に「純粋な形」での「共産主義」を創り上げた国はありませんが…。)
"不条理"な教義を信者に押し付ける、教団の仕打ちを思うと、H君の夢が、教
団とは無縁の天地で実現することを祈るばかりです。
★ 生命の起源
第九夜で、仮に我々の「生命の設計図」がDNAであるにしても、最初のDNA
に「命」を吹き込んだ「何者か」が必要であると言いました。それは、「地球外生
命」かも知れませんが、その彼らもまた「何者か」が創り出したものです。
突き詰めて考えれば、源はこの"宇宙の営み"が生み出したものに間違いはないで
しょう。その"営み"そのものを「神」と考えるならば、「人間は神が作り出した」
というのは疑いようの無い「真理」です。それならば、そのことについて改めて教
義を作る必要は無いでしょう。それぞれの「宗教」は、ただその「真理」に「気に
入った名前」をつけているに過ぎないと思います。
★ 「肉体」を持った意味
多くの宗教は「魂」の存在を説きます。その「魂」が不滅で、それ自体で存在で
きるあるのであれば、わざわざ「肉体」という不自由な入れ物に宿らなくてもよい
筈です。現にそういう「魂」もあると思います。しかし、敢えて「肉体」を持って
生まれて来るからには、それなりの理由がある筈です。
よく聞く「答え」のひとつに「この世に理想郷を実現するためだ」というものも
あります。しかし、そのために我々が使える能力「五感」と、意思の疎通手段「言
葉」はなはだ不完全なものです。それならば、「理想郷」に辿り着くまでに、我々
が経験しなくてはならないことにも意味があるかも知れません。
次回第十四夜は、そんな問いに対する、ひとつの糸口となった「心の道場」と
の出会いについてお話しする予定です。
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