2010.02.01
トンデモ話は奥で繋がる(7) 22.2.1
トンデモ話は奥で繋がる 「第七夜」
-弟子のクッテネルがお送りします。
≪啓示にはアフターケアーも肝心では?≫
★ 潔癖のイスラム教
まず、イスラム教の教えのエッセンスを簡単に帰してみます。
唯一絶対神の"アッラー"は、時空を超えて全人類を導く宇宙の創造
神である。しかし、その姿は人類には見ることはできない。(従って、
全ての「偶像物」は『神』の姿ではない。)
『神』はその教えを預言者を通して語る。『神』の前では全ての人
類は平等であり、(その意味では預言者も一個の人間に過ぎない。)
互いの兄弟愛で結ばれた"ひとつ"の運命共同体(ウンマ)である。
人類は、『神』の御心である『クルアーン』を遵守し、『五柱』を
実践し、自己の命を生きなければならない。
そして、その死後は『神』のみがその『最後の審判』を行う。
五柱=イスラム教徒(ムスリム)が守るべき5つの義務
①シャハーダ(信仰告白) …「アッラーの他に神なし」「ムハンマド
は神の使途であるむの2句をとなえること。
これにより全ての差別なく、ムスリムと
して迎え入れられる。
②サラート(礼拝)…1日に5回、メッカのカァバ宮殿の方向(キブラ
という)を向き礼拝する。ファジル(早朝)、ズフル
(昼過ぎ)、アスル(日没前)、マグリブ(日没後)、
イシャー(夜)の5回である。
③ザカート(喜捨)…貧困者救済のために、ムスリムに課される財産税。
④ラマダーン(断食)…イスラム暦の第9月について、この1ヶ月間、
日の出から日没まで一切の飲食(喫煙や唾を飲み
込むことも)禁じられる。
⑤ハッジ(巡礼)…生涯一度の神聖な課題とされる行事で、イスラム暦
の12月8日~10日、精神的・経済的資格を整え、カァ
バの方形神殿を訪れる。その規模毎年約百万人。
彼らの『神』は超自然的な存在であり、決して人間が近づくことはで
きません。無論、人間が"神格化"されることも否定します。
また、彼らの信仰は生活に結びついたものであり、「宗教そのものを
生業」とする『僧職』も存在しません。イラン革命を指導した「ホメイ
ニ師」等は『導師(イマーム)』で、『クルアーン』の解釈をめぐって人
々を指導する「専従者」とされています。
さらに「ムハンマド」に至っては、自らが崇拝の対象となることを避
けるため、自らの"肖像"が描かれることを一切禁じました。その教えは
現代も受け継がれ、書物は勿論、彼の生涯を描いた映画も、肖像が必要
なシーンは「地に射した影」で示す等の徹底振りです。
まさに、『神』のひとつひとつの言葉に、完全潔癖な忠実さをもって
生活することを求めています。
★ 他の二教との『神』の違いは、初めからあったのではない
「イスラム教」は「全人類は『神』の前で平等」としており、この点
で、選民思想を持つ「ユダヤ教」とは相容れません。また、『三位一体』
を正統とした「キリスト教」とは対立します。
しかし、第二夜から説明してきたように、もともと「原始ユダヤ教」
の「アブラハム」はあくまで預言者として選ばれたのであって、『神』
の言葉に従う限り、他の民族を差別するとは言っていません。
キリストも、自らが『三位一体』だと言ったわけではないのです。
(もっとも今は、小生はイエスの説く『神』は「原始ユダヤ教」の『神』
とは違うと思っているのですが、<このことは後に述べることとします>
ここでは、『神』とのかかわり方が同じという意味にとってください。)
とりわけ「キリスト教」については、『教会』という権力機構が、自
らに都合の良い教義を次々と追加し、それ以外の思想に『異端』のレッ
テルを貼り付け、「イエス」の教えとは程遠いものに変容してゆきます。
その意味では、「イスラム教」は最も純粋な形で「原始ユダヤ教」を引
き継いだともいえます。
★ 苦難の末メッカへ
さて、そんな彼の教えも、すんなりと受け入れられた訳ではありません。
彼が啓示を受けた当時のメッカは、奴隷制度に基づき、クライッシュ族
を中心とした特権階級が権威を示しており、"神の下に全て平等"という彼
の教えとは相反する状態でした。
当然、彼は様々な迫害-投石、家の中への死骸の投げ込み、飲み水への
毒物注入-を受け、挙句の果てには「暗殺隊」が組織されます。
622年、間一髪でその難を逃れた彼は、数名の教友とメディチへと逃れま
す(聖遷<ヒジュラ>)。この地わ拠点として同志を集め、イスラム聖戦軍を
組織し、「奴隷解放」「特権廃止」「偶像粉砕」の三つのスローガンを掲
げてクライッシュ族との戦闘を開始します。
630年、メッカを包囲した同志は1万人にも達し、反イスラム勢力は戦わ
ずしてその地を放棄します。無血入城を果たした彼は、一切の偶像を取り
壊し、全ての住民に対し、その身分の平等を宣言します。
ムハンマド自身は「宗教的預言者」及び「教団指導者」という二重の役
割を果たすこととなりますが、わずか2年で死を迎えてしまいます。
★ 「イスラム教よ、お前もか」
632年、ムハンマド没後、「宗教的預言者」の役割を果たす者がなくなり、
生活の規律は、専らスンナ(慣行・先例)に従って定められることとなります。
もう一方の「教団指導者」は預言者の代理人としてのカリフが「ウマイヤ朝」
及び「アッバース朝」で世襲する形で選出されていくこととなります。
637年には「サラセン(=アラブの異名)軍」が「エルサレム」の地を占領
し、イスラム勢力は、西はイベリア半島、東はインド北西部まで広がります。
第3代のカリフ「ウスマーン」の時、「ウマイヤ朝」への権力集中に対す
る不満から、彼は暗殺され、代わって「ハーシム朝」の「アリー」が第4代
のカリフとなります。しかし、「ウマイヤ朝」の反対から権力闘争へと発展
し、彼も暗殺されてしまいます。
その後、「アリー」を支持する(=シーア・アリー)人民が「シーア派」を
起し、その後の正統を主張する「スンナ派」とが分裂します。
こうして、「ひとつの共同体」の理念は実現されないまま、両派を中心と
した対立が、現代まで延々と続いているわけです。
それにつけても、他の二教についても思うのですが、こうした「教義」の
曲解の危機にある時に、なぜ『神』が軌道修正にやって来ないのでしょうか。
あるいは、本当は修正にやって来ているにもかかわらず、時の権力者が握
り潰している可能性や、それらのメッセージは、ただ「異端」として大衆か
ら見捨てられてきたのかも知れませんね。これは現代にもあり得ることです。
★ 『クルアーン』の言葉か、精神か
こうしてみると、イスラム教は崇高な理念を掲げて成立しています。特に
利子を取ることを禁止した銀行運営法などは、経済的弱者を苛め抜く、どこ
かの金融財閥も見習うべきです。
しかし、「ムハンマド」に続くべき指導者を見出せないまま、極端な『ク
ルアーン』遵守に陥ってしまったため、多くの悪評を受けることとなります。
例えば、刑罰については、未だに『鞭打ちの刑』が『クルアーン』の定め
の通り厳格に行われたり、窃盗犯に対する『断手刑』が行われたりします。
また、誤解の多い『一夫多妻制度』については、もともと『聖戦』により
多数の男性が戦死し、職を持たぬ未亡人が続出したために考案されたもので
あるが、今でも条件付ながら認めている地域もあります。
職業や服装に関する女性の軽視については、もともと『クルアーン』の思
想にはないにもかかわらず、現実のイスラム社会には根強く残っています。
『クルアーン』の言葉ではなく、その精神を受け継ぐのであれば、『神』
の存在や死後の定めの部分はともかくとして、(一部の権力者を除き、)恐
らく人類の大多数が賛同し得る教義ではないかと、小生は思っています。
さて、次回第八夜で、この当時の小生の「宗教観」についてまとめてみた
いと思います。
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-弟子のクッテネルがお送りします。
≪啓示にはアフターケアーも肝心では?≫
★ 潔癖のイスラム教
まず、イスラム教の教えのエッセンスを簡単に帰してみます。
唯一絶対神の"アッラー"は、時空を超えて全人類を導く宇宙の創造
神である。しかし、その姿は人類には見ることはできない。(従って、
全ての「偶像物」は『神』の姿ではない。)
『神』はその教えを預言者を通して語る。『神』の前では全ての人
類は平等であり、(その意味では預言者も一個の人間に過ぎない。)
互いの兄弟愛で結ばれた"ひとつ"の運命共同体(ウンマ)である。
人類は、『神』の御心である『クルアーン』を遵守し、『五柱』を
実践し、自己の命を生きなければならない。
そして、その死後は『神』のみがその『最後の審判』を行う。
五柱=イスラム教徒(ムスリム)が守るべき5つの義務
①シャハーダ(信仰告白) …「アッラーの他に神なし」「ムハンマド
は神の使途であるむの2句をとなえること。
これにより全ての差別なく、ムスリムと
して迎え入れられる。
②サラート(礼拝)…1日に5回、メッカのカァバ宮殿の方向(キブラ
という)を向き礼拝する。ファジル(早朝)、ズフル
(昼過ぎ)、アスル(日没前)、マグリブ(日没後)、
イシャー(夜)の5回である。
③ザカート(喜捨)…貧困者救済のために、ムスリムに課される財産税。
④ラマダーン(断食)…イスラム暦の第9月について、この1ヶ月間、
日の出から日没まで一切の飲食(喫煙や唾を飲み
込むことも)禁じられる。
⑤ハッジ(巡礼)…生涯一度の神聖な課題とされる行事で、イスラム暦
の12月8日~10日、精神的・経済的資格を整え、カァ
バの方形神殿を訪れる。その規模毎年約百万人。
彼らの『神』は超自然的な存在であり、決して人間が近づくことはで
きません。無論、人間が"神格化"されることも否定します。
また、彼らの信仰は生活に結びついたものであり、「宗教そのものを
生業」とする『僧職』も存在しません。イラン革命を指導した「ホメイ
ニ師」等は『導師(イマーム)』で、『クルアーン』の解釈をめぐって人
々を指導する「専従者」とされています。
さらに「ムハンマド」に至っては、自らが崇拝の対象となることを避
けるため、自らの"肖像"が描かれることを一切禁じました。その教えは
現代も受け継がれ、書物は勿論、彼の生涯を描いた映画も、肖像が必要
なシーンは「地に射した影」で示す等の徹底振りです。
まさに、『神』のひとつひとつの言葉に、完全潔癖な忠実さをもって
生活することを求めています。
★ 他の二教との『神』の違いは、初めからあったのではない
「イスラム教」は「全人類は『神』の前で平等」としており、この点
で、選民思想を持つ「ユダヤ教」とは相容れません。また、『三位一体』
を正統とした「キリスト教」とは対立します。
しかし、第二夜から説明してきたように、もともと「原始ユダヤ教」
の「アブラハム」はあくまで預言者として選ばれたのであって、『神』
の言葉に従う限り、他の民族を差別するとは言っていません。
キリストも、自らが『三位一体』だと言ったわけではないのです。
(もっとも今は、小生はイエスの説く『神』は「原始ユダヤ教」の『神』
とは違うと思っているのですが、<このことは後に述べることとします>
ここでは、『神』とのかかわり方が同じという意味にとってください。)
とりわけ「キリスト教」については、『教会』という権力機構が、自
らに都合の良い教義を次々と追加し、それ以外の思想に『異端』のレッ
テルを貼り付け、「イエス」の教えとは程遠いものに変容してゆきます。
その意味では、「イスラム教」は最も純粋な形で「原始ユダヤ教」を引
き継いだともいえます。
★ 苦難の末メッカへ
さて、そんな彼の教えも、すんなりと受け入れられた訳ではありません。
彼が啓示を受けた当時のメッカは、奴隷制度に基づき、クライッシュ族
を中心とした特権階級が権威を示しており、"神の下に全て平等"という彼
の教えとは相反する状態でした。
当然、彼は様々な迫害-投石、家の中への死骸の投げ込み、飲み水への
毒物注入-を受け、挙句の果てには「暗殺隊」が組織されます。
622年、間一髪でその難を逃れた彼は、数名の教友とメディチへと逃れま
す(聖遷<ヒジュラ>)。この地わ拠点として同志を集め、イスラム聖戦軍を
組織し、「奴隷解放」「特権廃止」「偶像粉砕」の三つのスローガンを掲
げてクライッシュ族との戦闘を開始します。
630年、メッカを包囲した同志は1万人にも達し、反イスラム勢力は戦わ
ずしてその地を放棄します。無血入城を果たした彼は、一切の偶像を取り
壊し、全ての住民に対し、その身分の平等を宣言します。
ムハンマド自身は「宗教的預言者」及び「教団指導者」という二重の役
割を果たすこととなりますが、わずか2年で死を迎えてしまいます。
★ 「イスラム教よ、お前もか」
632年、ムハンマド没後、「宗教的預言者」の役割を果たす者がなくなり、
生活の規律は、専らスンナ(慣行・先例)に従って定められることとなります。
もう一方の「教団指導者」は預言者の代理人としてのカリフが「ウマイヤ朝」
及び「アッバース朝」で世襲する形で選出されていくこととなります。
637年には「サラセン(=アラブの異名)軍」が「エルサレム」の地を占領
し、イスラム勢力は、西はイベリア半島、東はインド北西部まで広がります。
第3代のカリフ「ウスマーン」の時、「ウマイヤ朝」への権力集中に対す
る不満から、彼は暗殺され、代わって「ハーシム朝」の「アリー」が第4代
のカリフとなります。しかし、「ウマイヤ朝」の反対から権力闘争へと発展
し、彼も暗殺されてしまいます。
その後、「アリー」を支持する(=シーア・アリー)人民が「シーア派」を
起し、その後の正統を主張する「スンナ派」とが分裂します。
こうして、「ひとつの共同体」の理念は実現されないまま、両派を中心と
した対立が、現代まで延々と続いているわけです。
それにつけても、他の二教についても思うのですが、こうした「教義」の
曲解の危機にある時に、なぜ『神』が軌道修正にやって来ないのでしょうか。
あるいは、本当は修正にやって来ているにもかかわらず、時の権力者が握
り潰している可能性や、それらのメッセージは、ただ「異端」として大衆か
ら見捨てられてきたのかも知れませんね。これは現代にもあり得ることです。
★ 『クルアーン』の言葉か、精神か
こうしてみると、イスラム教は崇高な理念を掲げて成立しています。特に
利子を取ることを禁止した銀行運営法などは、経済的弱者を苛め抜く、どこ
かの金融財閥も見習うべきです。
しかし、「ムハンマド」に続くべき指導者を見出せないまま、極端な『ク
ルアーン』遵守に陥ってしまったため、多くの悪評を受けることとなります。
例えば、刑罰については、未だに『鞭打ちの刑』が『クルアーン』の定め
の通り厳格に行われたり、窃盗犯に対する『断手刑』が行われたりします。
また、誤解の多い『一夫多妻制度』については、もともと『聖戦』により
多数の男性が戦死し、職を持たぬ未亡人が続出したために考案されたもので
あるが、今でも条件付ながら認めている地域もあります。
職業や服装に関する女性の軽視については、もともと『クルアーン』の思
想にはないにもかかわらず、現実のイスラム社会には根強く残っています。
『クルアーン』の言葉ではなく、その精神を受け継ぐのであれば、『神』
の存在や死後の定めの部分はともかくとして、(一部の権力者を除き、)恐
らく人類の大多数が賛同し得る教義ではないかと、小生は思っています。
さて、次回第八夜で、この当時の小生の「宗教観」についてまとめてみた
いと思います。
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