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熊野18

朱印
2009年09月02日15:29

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1番目に行った熊野本宮と、2番目の速玉大社、3番目の神倉神社の御朱印です。
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熊野本宮のとなりのは、おおゆのはらのスタンプで、字は帰ってから私が書きました。字がへたくそだなぁ。
熊野本宮の朱印はやはり、この日から替わっています。

この自分で書いた朱印はのちに鞍馬寺の朱印のおじさんに怒られました。続きは鞍馬の旅です。

熊野17

那智の滝

2009年09月08日13:57


下ると向こうに白い滝が見えました。
美しい滝です。滝の白さに涼しさを感じます。 那智の滝はを瀬織津姫と関連づけている人もいますが、この滝をみると瀬織津姫のことを連想してしまいます。 穢れをはらい、流すというと闇に浮かぶおそろしい女神を想像しますが、この滝はそんな感じはみじんもありません。

美しく、レースのカーテンが何層もはねあがっているかのようで、きよらかで力強いのです。

そういえば、この旅に出る前日、あられさんとひさびさにお会いし、お話をしました。その時に、あられさんがこだわっていたのが-瀬織津姫-です。 その時にはなんにも思わなかったのですが、この滝を見て思い出しました。-瀬織津姫-そうだ。母の死に始まり、瀬織津姫に興味を抱いたのです。
おいかけていた-瀬織津姫-はここにもいる。

滝の神、水の神、祓いの神、-瀬織津姫-は表にでることはなく、闇に隠されてきました。滝の清冽さを見て私は非常に満足でした。なにか真実の瀬織津姫をみたような気がします。そして、母の死も自然なことであったのかもしれないと思いました。

ゴトビキ岩に会うために熊野に来たのですが、この滝に出会うためだったかもしれません。
思えば、何年か前から、出雲、戸隠、諏訪、九州、三輪山、天川と、パワースポットをまわってきましたが、この熊野でひとくくりのような気がしてなりません。らせんで丸を描き、またさらなる旅が始まるのではと思います。
⬇️ここから現在の感想です。
以上は2009年のミクシー過去記事です。あれからもう10年が経ち、何をやってきたか❓
そうなにもやってなくその時に面白いことばかりしてきたような気がします。母、父、etc、実家をめぐる苦しみも無くなったと思ったら、次は家族が大変なことになったり、自分が考えられない体験をしたりしてショックを受けたりしましたが、やっぱりお決まりのーケセラセラーでこの浮世を泳いでいます。ずっとそうなりそうです。

熊野16

那智大社、お寺へ
2009年09月07日13:40
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前に登っている人にやっと追いついくのに何分ぐらいかかったでしょう。30分はのぼっていたと思います。両側の木がなくなり、階段をまたも登ったら、着くかな?。
そう思ったら、展望台でした。手を洗うところがあったし、-養正-なんて書かれたいかめしい碑もあったので、神聖な気分を感じ、手を拭きながら感慨にふけっていると、

「ヤッホー○△××...」

おばさんが叫ぶではありませんか。
「ヤッホー」のあと、声がでかい。
大きい声で同行の孫に手を洗えとか、叫んでいます。こっこれは、たまらん。
関西弁のおばさん(おばあさんパワー)から逃げるようにもっと上をめざしました。
早く、行かなければ...早く...
おばあさんの声は割れ鐘のように太く、おまけにでかいのです。 私とだんなは静けさを求めて急ぎました。
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しかし、これからも階段はつづき、いいかげん登ったら、神社のあるところに着きました。
那智山って、山だというわけが身をもってわかりました。 あらためてあたりを見回すと、人が多いです。無料お茶コーナーもあって座ってゆったりとしていたら、

「ヤッホー○△×...」
あのヤッホーおばあさんがここでも叫び始めました。那智山は登山か?とたんに、人はいても静まっていた境内がまったく別の空間に見えてきました。
後ろを見ると、同行のおじいさんが汗をかいたらしく、上半身裸になっています。
おばあさんは、おじいさんを、「まぁ...裸になって、恥ずかしい」と、またも大きい声で叫んでいます。こちらとしては、でかい声を恥じてほしいものだが...

しかし、声がで、でかい。早くに、逃げなくては...

ヤッホーの声に追い出されるように寺をそそくさとまわり、一気に滝へと向かいました。

熊野15

那智山-熊野古道を通って-
2009年09月07日12:03

最後の日は那智山に行きました。

那智山は宿から車で20分くらいで到着します。
地図を見てもラクそうで、駐車場から少しで神社、寺、滝と、思っていたら、思わぬ伏兵が...

山に近づいてきたら右手に大門坂無料駐車場とあります。
-無料-この言葉にひかれ、ここで車を停め大門坂を足でのぼることとしました。杖が駐車場の隅にあります。ここでもふたりで杖を手に取りました。ここの杖も神倉神社の杖と同じ確か川という字のつく人が寄付したものです。
ここの杖は竹製です。サポーターも巻いたので準備万端です。

車道を横切り、古道に差し掛かると、前をスカートをひらひらさせて女の人が杖もなしに歩いています。
その前には、軽い早足で男の人がさっさっとのぼっています。

スカートの人もいるし、すぐに着けるかも...熊野古道、組みやすし。そう思ったのは甘かった。
ここの階段は長いのです。
大門坂は熊野古道でも美しいということで有名です。本当に綺麗な石畳で、両脇を古い樹齢の木が続いています。神倉神社ではしまいには石段をつかんで登ったのに結局は疲れをあまり感じず、さっさとのぼれました。
それなのに...

ここの階段のゆるやかさがかえって時間をとり、すぐつかないのでだんだんえらくなっていったのです。
巨木に取り囲まれているので、日差しはさえぎられていますが、暑くて汗を拭き拭き、お茶を飲みながらの大門坂となりました。
最後には、余裕で登っていたスカートの二人連れに追いつきました。やはり、杖をついていたほうが楽だということですね。

熊野14

お宿

2009年09月03日11:28

お宿は湯快リゾート-越の湯-に2泊しました。

湯快リゾート-越の湯は名古屋から宿まで直行バスを走らせてます。
車を一人-だんなはかなづちの上にペーパードライバー-で運転するのはちょっと考え込むような距離の上に、途中から高速もなく細い国道を行くことを思うと、バスがあるということはなによりも得がたいことです。

湯快リゾート-越の湯に2泊はちょっとなー...と、思いましたが、背に腹はかえられません。テレビで7900円とか宣伝してましたが、とにかく安いし、そう期待せずに行きました。

湯はよかったです。露天風呂いい気分(温泉)には二日とも人がおらず(中の洗い場で体や頭を洗っている人ばかりでした。)頭の上をとんびが旋回するし、光に透けて、透明な湯に湯の花がぽつんぽつんと浮かんでみえるのを手ですくったりして、足の疲れもすぐにとれていくようないい湯でした。

しかし、すごいのは、バイキングでした。

バイキングにたこやき(でも、中にたこはなかった)があったのにも驚きましたが、負けました...と、頭を下げざるをえなかったのは、すしバイキングです。

-寿司バイキング-そう聞くと、寿司がでるなんてすごいなぁ。なんて思うでしょう。すごいのは、ネタの薄さもそうですが、寿司に突進する老人達です。

最初はすごい人なのでそばにすら近寄れなかったのですが、意を決して寿司に近づいたら、持ってるお盆の下に老人の手が、頭が...お盆の上にも身をよじらせ奥のまぐろをとろうとおじいさんの上半身が...
うしろからも人が...

寿司バイキング、まことにおそろしい戦いでした。

まぐろとえびと、たこと、イカを取ってテーブルにかえって、寿司をよく見たところ、ネタが...薄い。とくにたことまぐろは紙みたいです。めがねのレンズに貼り付けても、外がよく見えそうです。

うっ...。こっこれは、食べてみると、しゃりも冷凍解凍みたいな感触があります。争奪戦をくぐりぬけた結果がこれか。
なにしろ料金が安いからしょうがないです。
だんなと「しょうがないね」「しゃあないなぁ」と、言いつつ、寿司はだんなに食べてもらって、鯨のシュウマイを食べました。

本当に鯨が入っているか実にあやしいですが、これはおいしかったです。

そんなわけで、1日目は寿司で失敗したので、2日目はだんなのいうように「学習したから、おいしいものだけ食べる」と、たこのはいってないたこ焼き、しゅうまい、その他もろもろを食べました。

いやにでんぷん質の多い野菜の少ないバイキングでしたが、それなりなのでしょう。

おもしろかったのは、ソフトクリームのところを通りかかったら、おばさんが、「どうやってやるのか、よくわからん」と、困っていたので、おばさんのカップをとり、ぐりぐりとソフトを入れてあげたことです。どのくらい入れるか聞くと、「たくさん、沢山入れて..あー恥ずかしい、欲が深いからいっぱいね」なんて言います。いっぱい入れてあげると、「おおきに、ありがとう」
と言って去っていきました。

そのへんのひとにさらっと声をかけて頼みごとができるなんて、南米の人みたい。バイキングの意気込みもすごいですが、関西の人のきどらなさもいいですね。

 熊野13


2009年09月03日06:58

神倉神社をくだり昼食をとった時はもう2時をまわっていました。
那智に行くのはもう疲れたので、鯨取りで有名な-太地-へ行くことにします。
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太地の岬には白い灯台がありました。-密漁監視中-の看板を背に海へ下ってみると、岩礁に波が当たってくだけています。岩の上から下を見ると舟虫がちょろちょろしてます。
近くで見ても海は青くきれいでした。
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すぐ近くには中日の落合監督の記念館があり、入場料2000円と書いてあります。2000円もするのでは、入ろうかどうしようか迷う筈もありません。

ただの海と灯台で十分です。灯台にまで足を伸ばし、宿へ戻りました。
コメント

熊野12

磐座-イワクラ-
2009年09月02日07:55

ゴトビキ岩は神の降臨した岩とも言われています。

ここが熊野の元宮で、熊野の神が降りたところらしいです。
神倉神社におまつりされているのは、ニギハヤヒのこどもの高倉下命です。

私はゴトビキ岩が母そのものに見え、熱にうかされるようにネットで調べたらここの神社がニギハヤヒの子供を祀っているということに気付き、愕然としました。
この岩でも、母、ニギハヤヒ、そしてX家-ニギハヤヒ-と、びったりパズルが合うのです。
はからずも母が亡くなってからニギハヤヒのことを追っていたら、いつのまにか、ニギハヤヒがX家、そして母とかさなり、目の前にだんだん近づいてきたのです。

 熊野11

ゴトビキ岩
2009年09月02日07:41
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やっと頂上にたどりつきました。
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-ゴトビキ岩-本の写真のとおりです。

ものすごく感動するかと思いきや、なんともありません。思ったとおりの岩で、とっても普通な感じがします。
きっと、スピリチュアルな人だと、パワーとか、威厳とか感じる人も多いのでしょうが、何にも感じませんでした。お母さんが普通にそこにおる...そんな感じでした。

しかし、ここからの海は碧く、眺めているとはるかな南の島々のことを連想したりしてしまいます。

空も海も青く、いつまでも眺めていたい景色でした。波打ち際の白さが目に焼きついています。

熊野10

神倉神社へのぼる ミクシー過去記事
2009年09月02日07:19
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神倉神社(登り口)に着いたら、ベンチのところに老人と若者が座っており、若者が笛を吹いておりました。龍笛ではないですが、太い低い音のメロディを静かにずっと吹いていました。 聞いていて笛の音というのも味があり、いいものだと感じました。
笛を聴きながら神社の階段上をうかがうと階段がうねりながら上に伸びています。曲がっているので上のほうはどうなっているかわかりませんが、この階段はすごそうです。
1272253007_182s.jpgさっそく夫婦揃ってサポーターをひざに巻き、おいてある杖を手に取り出発です。私は財布ポーチだけをたすきがけにして後は全部だんながリュックにかついで登ります。 私のほうが足が弱いのでだんなが私に先に歩くよう言い、だんなの前を私がのぼります。

杖を階段について歩くと結構急です。何ももたずに先を行く人がいますが、杖があるとないとでは違います。
杖を頼りに登っていたら、途中でぐっと勾配がきつくなりました。 杖はついていますが、体はまっすぐだったのに、だんだん杖もつけなくなり、階段石を手でつかんでよつんばい状態になってしまいました。

もう、後ろは見れません。階段というより、岩登りをしているような錯覚を感じます。 後ろは振り返れませんが、上も見れません。一歩前の手でつかむ階段石と今、足を乗せている石とそれだけしか見れません。
この階段は、-今を生きる-そのものの階段だ。後ろを振り返ったら崖のように見えるだろう。見ないほうがよい...なんて考える前に、今現在、落ちないように、杖を振り回してうしろのだんなをついて落としてしまわないように、ひたすら四ツ足でのぼるだけです。

ここまでくると足が痛いも悪いもどこかに吹っ飛び、悪かったはずの関節もおとなしく言うことをきいてくれて、どんな曲げ伸ばしもらくらくとこなしています。 そうこうしているうちに平地があり、こんどはさきほどより楽な階段になりました。そこを二本足で少し登るともう頂上です。

意外と早くのぼれました。急勾配は必死でしたが、のぼってみると体も疲れてなく、楽です。 入り口の写真は左上のところに虹色の玉のような光が映りました。こんなものはうつったことはないですが、何かのヒカリが反射したのかな?

熊野9

いざ、神倉神社へ ミクシー過去記事
2009年09月01日20:44
もうで餅はうまかった。

お店で箱で売っているのを目にしました。買いたい気持ちをふりきり出発です。明日那智で買えばいいのですが、はったい粉の風味が後を引きます。-できれば、もう一個食べたい-
車に乗り込み、来た道を戻ります。

本宮駐車場を出てすぐの車道のカーブのところにちょこんと黒いカラスがとまり、こちらを見ています。まるで私たちを見送ってくれているかのようです。からすに送られて今度は熊野川沿いを下って行きます。
この車はナビがついているのですが、だんなナビで進みます。だんなはナビが嫌いでナビの言うことを聞きたくないのです。でもここは一本道なのでおんなじだと思います。

新宮市内に入りました。だんなのナビに従ってやっと着きました。

「うーん?」「ここって、神倉神社じゃないよ。」
だんなが「えっ、ここと違うの?」
だんなは速玉神社と神倉神社を間違えたらしく、先に速玉神社についてしまったのです。
だんなナビ、ときたま変なところに行くのはしょうがないですね。

しかし、私は着いてそうそう、瞬間的に あっ、速玉神社なんかに着いちゃって...だんなめーなんでナビを使わないのか。などと思ってしまいました。 なんて心が狭いのでしょう。情けないです。
気をとりなおして神社敷地に入ると、パラソルが立っておりそこのテーブルに-もうで餅-がおいてあります。ここにももうで餅。

もうで餅も売ってるし、ここの神社がいいのは階段がない。駐車場から1分で到着です。だんなはここの朱と白のはでなお社をはですぎると思ったようですが、-楽-という点では非常にいい神社です。
足の悪い人もここなら詣でることができるでしょう。ここは本当にいい神社です。
速玉神社で朱印を押してもらい、禰宜様に神倉神社への行き方を聞くと、地図を出して親切に教えてくれます。
ここでわかったのですが、神倉神社の朱印はこの速玉神社でもらうことになっているということ、また、国道から神倉神社へ入る道は非常に細い道を入っていくということ、そんなことを教えてもらいました。

禰宜さまは、最後に神倉神社は階段が険しいということをにこにこしながら言ってました。

速玉神社のねぎさまのいうとおり細い道を入りちょっとじぐざぐすると神倉神社駐車場につきました。
こんなところは直接は来れなかっただろう。速玉神社に先に着いたのは、必然だったのだろう。先に速玉神社に行って禰宜さまに道を教えてもらったからこれたんだ。

そんなことをだんなと話しながら、上り口に行こうとすると、笛の音が...

熊野8

大斎原-おおゆのはら-その中- ミクシー過去記事
2009年09月01日10:43一

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鳥居をくぐり、大斎原-おおゆのはらの中に入りました。 石は残っていますが、他のものは一遍上人の碑以外は目につくものはありません。 大きい木もあります。
ここは、本当に明るい。
透明感があります。空気がきらきらしているようです。 とってもいいところです。

だんなが言いました「洪水は必要だったんだ」...「えっー」
だんなは-人がいっぱい来る観光地でなく、神聖な場所として清浄さをこの地が欲したんだろう-みたいなことを言うのです。 確かに鳥居の中はちょっと踏み入るのを躊躇するような神聖さがありました。でも、入っても怒られる感じはぜんぜんなかったですが...

だんなはここが気にいったようで、-気にみちているとか、エネルギーに満ちているとか言ってました。
鳥居の中にスタンプがありました。 大斎原-おおゆのはらのスタンプだなんて、ぜひ押したい。
私はスタンプの上下をよく確かめ、朱印帳にびとんと押しました。
うっ...よく確かめたのに...
きれいに色は出ていました。しかし...ひっくり返っていたのです。外側のしるしと、実際の判が反対になっていたので、スタンプがひっくり返ってしまったのです。

だんなに、「ひっくり還っておる」と、文句をもらした途端、気がつきました。ひっくり-還る-
やっぱり、本当にかえっているのだろうか?
後から、朱印も元に戻っているということにもハッとしました。

熊野7

大斎原-おおゆのはら- ミクシー過去記事
2009年09月01日10:32

この日は暑く、昨日の雨、曇り空がうそのようです。
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熊野本宮を拝し、朱印をもらった後、大斎原へと向かいました。
そういえば、この8/27から、朱印が昭和20年30年代の朱印に戻ったと、張り紙がしてありました。 なぜ、昔の朱印に...しかもこの日から...わけは分かりませんが古い朱印を押してもらい本殿を後にします。
熊野本宮は明治22年までは大斎原-おおゆのはらにありました。洪水で流れたのです。今の本宮はそれ以降建てられたもので、古の人々は大斎原-おおゆのはらに詣でていたのです。

大社前の民家の脇を抜けたら、いちめんの田んぼです。おまけに稲は金色に色づき、機械や鎌で農家の人が稲を刈っています。 きょうは稲刈りの日だったのです
空は青く、気温はぐんぐん上がっています。ちょっと歩くだけで汗が吹き出てきます。風がさぁーと、吹く中、青い空に大鳥居がそびえるのを見ると、あぁ気持ちいいなぁと、思わずにはいられません。

大斎原-おおゆのはらは本当に明るく気持ちのよいところでした。

熊野6 

熊野三党 X氏 mixi過去記事再掲 
2009年08月31日22:09

私は、足助のXを調べてみました。すると和歌山にX家関係の神社があることがわかりました。
神社のホームページを見て私は驚きました。
熊野のX氏の何某が義経を追って足助まで行ったこと。その先をさかのぼるとXの祖先は熊野三党の一党、X氏であり、それをさかのぼると物部氏、それをさかのぼると祖先(祖神)は-ニギハヤヒ-だと書いてあるのです。

私はその-ニギハヤヒ-という名前を見たとき、驚きました。
X氏=ニギハヤヒ子孫とは...私は元をたどっているのか?お母さんはニギハヤヒと関係があるのか?
そしてすぐに、あの岩の写真を見たくなり、見ると、背中が苦しくなりやめ、また見ては背中が苦しくなり、しまいにだんなが「みるのをやめよ」と、背中をさすってくれながら言ったのです。

私は熊野大社のやた烏の由緒書の看板-写真-を見ました。やたガラスの三本足は熊野三党の宇井、X、榎本氏をあらわすと書いてあります。
1270934011_5s.jpg

「こ、これ...」

私は看板のX氏のところを指差しました。だんなは無言でうなづきました。
Xはありふれた苗字だが、この看板に書いてある熊野三党のXに本当に関係あるのか?あるとしたら、私は元に帰っているのか?

やたがらすの三本足の一本が熊野三党のXとすると、昨日見たイメージによく似ています。

この熊野は...❓

 熊野5

熊野三党 X氏 ミクシー過去記事再掲
2009年08月31日22:09


熊野、母、瀬織津姫、ニギハヤヒ神...
今回の熊野行きは、ゴトビキ岩をみたときのなんともいえない気持ちが原動力となりました。 しかし、それは、いろいろな糸がひとつに集約していったような不思議な絡みがあったのです。 去年の暮れ、私は個人的に実家の問題、父のひどい境遇、病気、兄の病気など、たいへんなことが続いていたので、とうとう母の実家に相談しに行ったのです。
母が亡くなってから7年経ちますが、実は、母の実家へは一度も行ったことがありませんでした。
伯父も高齢になったし、我が実家の問題を年寄り夫婦に言ってもかえって申し訳ないと、いつの間にか疎遠になっていました。

何年ぶりかで伯父夫婦の家を訪ねたとき、伯父達は非常に喜んでくれました。私は実家の悩みをぶちまけた後、伯父に「Xの家は古い家だったようだけど、祖先はどこなのか」と、聞いたところ、「よーく聞いてくれた」と、伯父が喜んで話してくれたのです。
母の実家のX家は愛知のKというところにもともとはありました。古い昔からの旧家で武家だったという話を母にきいたことがあります。

伯父が話すに、「Xの家はK町にあったが、もともとは足助から出たのだ。そして、足助には、昔、Xの先祖が熊野から源義経を追って(助けるために)行ったのだが、足助で足を痛めて進めなくなり、そうこうしているうちに義経もうちとられたのだ。」ということを言ったのです。

そしてその日はT市に移した母方の墓に参ることになり、帰って来ました。

私は、足助のX家を調べてみました。すると熊野、和歌山にX家関係の神社があることがわかりました。

 熊野4

2009年ミクシー過去記事再掲

熊野本宮
2009年08月31日20:20

駅レンタカーを9時に予約してあったのですが、早めに行ったら、お店のおじさんがすでにすぐ出れるように待ってくれていました。 おかげで9時5分には出発です。
勝浦から新宮に出て、一本道を熊野川ぞいに本宮へと車を走らせます。4.50分ぐらいかかったでしょうか。何の障害もなくひどい渋滞もなく、ところてんをぐいっとついたように、あっけなく本宮に到着しました。

本宮の鳥居から本殿までは階段はあるとはいえ、気になるほどのことはなく楽に行けました。-でも、サポーターを足に巻くのは忘れなかったですよ- 朱印帳に朱印を頂き、まわりを見渡すと、人は多いですが、明るくすがすがしい雰囲気です。

-これが、熊野本宮か...ようやく来たぞ。やっとだ。-
熊野は本当に遠く、ここまできたというのは不思議です。 わたしとだんなは本殿を拝し、説明の看板を読みました。
その看板は私に「あっ..これは...」と、声をあげさせたのです。

熊野3

2009年ミクシー過去記事 再掲です

宿で寝つくまで

2009年08月31日15:33
いよいよ明日は熊野本宮へ行きます。

そこで気になるのは天気です。
一日目は雨が降ったり、曇ったりでした。

もし、雨が降ったら、神倉神社の石段はとうてい登れないだろう。
だんなと私は天気予報が午後雨がぱらつくかもしれないと言っているのを見て、2日目は天気が持てば、熊野本宮とあの神倉神社にいくこととしました。
心配なのは足です。足首を痛めている上に、ひざも悪いのです。熊野本宮の100段近くの階段、神倉神社の500段強の階段が行けるか?

心配でしたが、なんとかなると思うしかありません。

寝入りばなに、古いですが、おばQの頭みたいに3本の棒が突き出ているイメージが浮かびました。まるで手でピースというのを3本指でやっているような感じです。なにかのイメージでしょうか?
明日は本宮です。いろいろと考えている間に寝てしまいました。

翌日、勝浦からレンタカーで熊野本宮に向かいました。

熊野2

熊野へと ーmixi過去記事再掲ー
2009年08月31日15:01

熊野詣は熊野本宮、速玉大社、那智大社の三つを詣でます。 この尾張の地から行くには、三重県を抜けて、和歌山県を南下しなければいけません。 ゆかいリゾートのバスが、紀伊勝浦の宿まで走っているのでバスに乗って出かけることにしました。

朝早く、バスは出るので集合場所に行ったら、運転手さんに声をかけられました。
バスに乗り込むと、私たち夫婦を除いて誰も乗っていません。
だんなが「どこに座ってもいいんですか」と、聞くと「他にお客はいないので好きなところに...」と、運転手さん。 貸切バス状態で勝浦の湯快リゾート-越の湯-へと向かいました。

ふたりだけの大型バスというのも妙なものです。 ときたますれ違う別の観光バスの客が変な顔でこちらを見ていたりしておりますが、二人だけというのは、乗ってる本人も変な感じです。静かなバスの中で地図をみたりして過ごしました。
途中から雨が降ってきました。宿に着くと曇り空ですが雨は降っていません。
到着も2時近いので、熊野もうでは明日にして今日は、海上船で紀伊松島めぐりに出ることにします。
雨が降ってきそうなどんよりした空ですが、なんとかもつかな?海をみると魚がぴょんぴょん跳ねています。

観光船は海の島(岩)を案内しながら進みます。
しかし、この日は海が荒れて近場だけを廻るとアナウンスがあったのですが、激しいアップダウンがあり、ぐわぁんと上に上がり、ザブーンと波間に落ちるという落差が激しく、「ジェットコースターよりすごい」と、誰かが叫ぶほどです。
私は海に落ちたら、だんなが泳げないので、どうやって助けるかなどと考えたりして、いまさらながらに海の怖さを感じました。 ちょっと内側のおとなしい海に入ったらそんなことを考えずに岩を見たりして楽しんでいるのに、人間の感情や感覚もまわりに合わせ目まぐるしく変わるものですね。

なにはともあれ、雨にも降られず、船もひっくり返らず観光できました。

財布もだんなも落ちなくてやれやれです。

熊野1

熊野へ行ってきました-何故に-
2009年08月31日10:44一ミクシーからの再掲です


8月26/27/28と、熊野に行ってきました。

熊野は遠く、車で運転していくにも電車で行くにも躊躇するような距離です。
ずっと前から行ってみたいと思っていましたが、なかなか行く決心がつきませんでした。
しかし、去年の暮れ (今年の2月だったかも...)に熊野のある写真を目にし、「これは、行かねば...ぜひ会いにいかなければ...」と、思ったのです。

その頃、モノリスワークの広島ワークの記事を見ていて、雅楽-竜笛-厳島-平家-源氏-と、そのころは何かが心にひっかかることがあったのですが、それだけのことでした。しかし、時を同じくして、家にある本の写真を見て、息を呑みました。

それは、神倉神社の“ゴトビキ岩”でした。

私の母はもう亡くなっています。母は水により、亡くなりました。
母は人から「弁天さんみたいだ」といわれたこともあったのに、なぜ、水で死んだのか?私はその疑問が解けず、その疑問が、瀬織津姫とニギハヤヒを追うこととなることとなり、ずっとそのことを追ってきたのです。
弁天さん=瀬織津姫=母(関係がある?)
そんなことを思いながら本をよんだりしていると瀬織津姫と同時に“ニギハヤヒ”が私の前にちょろちょろでたりかくれたりしてきました。ニギハヤヒ、この神さまは...なにかある。私は瀬織津姫とニギハヤヒさんを同時に追いかけていたのです。

母の死から始まって、他人には全く関係なく思える二神の話です。でも、この二神は、私の視界からなくなりませんでした。

実際の歴史、物部氏のことも知りたいと、思っていたら、地元の歴史講座で、物部氏と尾張、皇族たち、などについての詳しい講座が開かれ、受講しました。そこでニギハヤヒと物部氏、などについて聞きました。これも何年か前のことです。 でも、これと熊野...または神倉神社と何の関係があるのか?
何故、神倉神社の-ゴトビキ岩-を見て、行かねばと思ったのか...

私は岩の写真を見て、「あっ、お母さんだ。」と思ったのです。神聖な岩を母と同じに見るとは不敬かもしれません。でも、瞬間的にそう思い、肩甲骨の間が苦しくなったのです。

そして、ネットで“熊野”“ゴトビキ岩を”検索していたら、もっと驚くようなことがわかったのです。

続く

熊野と私

ー神話、神を考えるーについてコメントをいただいて、続きを書いてないことに気付きました。その続きをそのうち書きたいと思っていますが、その前に過去のミクシーの記事を掲載したいと思います。全てはつながっている気がするからです。
熊野へ行ってから、もう10年近く経っているのに驚いています。私は熊野や出雲、鹿島などを巡って歩いたことがあります。古代の陰に追いやられた神と巨石と母の匂いにも似た何かを追っていたのです。熊野には母を連想する巨石があるということを知った時、これはどうしても行きたいと思ったし、また、熊野には特別な理由があり、いつか言って見たいと思っていたのです。

私の母方はある古い家が途絶えてしまうため、曽祖父が養子に入りその家を継ぎました。しかし、曽祖父があまりにも悪い奴であり、放蕩者であったという理由により、その家を追い出され今の地に移り住んだということです。身内ながらー少しは庇わんかーと思いたくなるほど、その子孫の伯父伯母たちもそのことにはー放蕩したんだろうーとそう憤慨はしてないのですが、おじさんたちによると、曽祖父が放蕩してなくなるぐらいのケチな財産ではない。多分、曽祖父は放蕩はしたのだろうが、親戚たちがそれにかこつけて全てを曽祖父のせいにして、財産をみんなでとってしまったのだろうと言っていました。

金持ちで旧家の家から一転して貧乏人になってしまい、その後のX家は今の母とその兄弟の代にようやく人並みの暮らしができるようになりました。
よく親戚たちが言っていました。「元いたKには曾祖父さんの名前を明かしていくことはできない。悪名が轟き渡ったからだ」そんなにも悪い奴であった曾祖父さん、どんな人だったかもそう聞いたこともありません。母もそう接したことはなかったのではないかと思います。でも、みんなでー悪い奴だったらしいーと言いつつも、少し面白がっていた伯父伯母たちの気持ちもわかる気がします。

そんなX家の話ですが、もっと先があるのです。ある時伯父が、X家はKにあったのだが、元は足助なのだ。そして足助にももともといた訳でなく熊野から出てきたのだ。という話をしてくれたのです。昔、義経が奥州に落ち延びていった時、援軍としてXという人が熊野から出て行ったのだが、足を悪くして足助でそのまま進めなくなったのだ。それの子葉末端がKのX家だったのだ。

義経とX兄弟は親しい間柄であったのでしょう。同族で奥州まで行き、義経とともに亡くなった人もいるようです。
IMG_20191018_190327_convert_20191019203603.jpg先週、押し入れの中から、久しぶりに出てきた熊野本宮のお守り
もともと血縁があるわけでもないし、曽祖父がただの養子となっただけだし、熊野から出たというのもーそうらしい話があるーというだけで、確証はないのです。あるのは曽祖父が悪い奴であったという話だけです。なんとなく話が面白く、いつかは熊野に行って見たいなぁと思っていたところ、約10年前に愉快リゾートのバスが熊野まで出ているというのを知り、旦那と一緒に熊野詣でに出てみようと決めました。

次回より、ミクシーに書いた過去記事を掲載します。

プロフィール

握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。猫、鳥、虫等、とやり合いながら暮らしています。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
縮縮きものあわせIMG_1116  蕪柄の小紋と、金の傘の柄の帯 冬の野菜-かぶら-は、ほっこりとした暖かさを感じます。帯の地色は新春の華やぎを...

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