2022.12.17
前世と現世は決まりきった過去と今の形ではない
ピンポンパンのブログで前世と今のことについて書いてありました。
過去があるから今があるといった決まりきった形とはちがう捉え方の現世と前世について書かれています。私は過去生とかをみてもらったことがあります。結構そういうことが好きで聞いてみたかったのです。霊能者たちに言われたことはなるほどと思えることでした。が、それだけでそう何か今の自分に覚醒をもたらしたとかいうことはありません。
それよりも私が思うのは、この今の現世そのものが何パターンもあって、実在している感があるのです。それは夢で現在だけど違う状態の自分を見たりして、それを見て、これではない、自分は今このブログを書いている自分なのだと強く思っている自分を思っていることが多々あるからです。
この感覚は、前世を見てもらった感じとは感覚が違い、自分でまさにその感覚を両方感じていて、生という感じなのです。私は前世というのは現在の複数の現世と同時に同じところに重なっており、今時間の自分が今を選択している中で、その中にペカペカと浮かび上がってくるある人生なのではと思います。
今も過去もどれも横位置に過去から並んでいるのでなく、どれも同じところに重なっているのではと私には思えて仕方ありません。いろんな時間軸に時には同じ時間軸に自分が複数おるのです。そんな感覚があるのです。
過去があるから今があるといった決まりきった形とはちがう捉え方の現世と前世について書かれています。私は過去生とかをみてもらったことがあります。結構そういうことが好きで聞いてみたかったのです。霊能者たちに言われたことはなるほどと思えることでした。が、それだけでそう何か今の自分に覚醒をもたらしたとかいうことはありません。
それよりも私が思うのは、この今の現世そのものが何パターンもあって、実在している感があるのです。それは夢で現在だけど違う状態の自分を見たりして、それを見て、これではない、自分は今このブログを書いている自分なのだと強く思っている自分を思っていることが多々あるからです。
この感覚は、前世を見てもらった感じとは感覚が違い、自分でまさにその感覚を両方感じていて、生という感じなのです。私は前世というのは現在の複数の現世と同時に同じところに重なっており、今時間の自分が今を選択している中で、その中にペカペカと浮かび上がってくるある人生なのではと思います。
今も過去もどれも横位置に過去から並んでいるのでなく、どれも同じところに重なっているのではと私には思えて仕方ありません。いろんな時間軸に時には同じ時間軸に自分が複数おるのです。そんな感覚があるのです。
2022.06.18
何かを身につけるためには
ヘミシンクピンポンパンで何回か書かれていることに、
ー《神は細部に宿る》という有名な言葉があるのだが知っているだろうか?《細部に宿らない》という説もあるのだが、ヘミシンクはまさしく前者だ。ワークの記録は精密デッサンのように克明に記録する努力が必要なのだ。それが見る力を養い知覚力を高めるー
非常に細かいことにわたり、詳細にデッサン、描写することが見る力を養い知覚力を高める。と言われています。これは私も実感していることです。しかし、世の有名無名のスピリチュアルの先生は、反対にあまりその体験などをそのまま語るということはなく、大雑把な「すごい」とか、「素晴らしい、感動しました。」などとの感想めいた言葉が多いです。残念な人が多いなぁと、不出来な私は思ってしまいます。それから学びたいと思ってもなかなか難しいと思ってしまいます。
実際のその体験をノンフィクションでただ克明に語ってくれれば、自分なりにそれを辿って何かわかるかもしれないと思うのですが、なかなかそういうことはなく、ピンポンパンの記事はそれとは全く違って克明に書かれていてわかりやすくていいと思っています。
今回はそのようなスピの話ではありません。私はこの頃あることを練習していて、偉い先生にも習いに行ったのですが、ろくな説明もなく、ただ自習するというスタイル。なかなかこれでは自分が何をどうわからなく、できないということになっているのか、途方に暮れるだけでした。しかし、YouTubeで親切な人がその物事について親切丁寧に説明しているのを見つけました。その人は、自分でそのことをやりながら、いろんな人が間違えたり、うまくいかないポイントを細かく説明しているのです。自分でやりながらなので、こちらもそれを見て実際にこういうことかと合点がいったり、なるほどと頷いたりしました。
そのユーチューバーの人は実践という、擬似体験をみんなに見せながら、本当に細かいところを理由を交えながら説明してくれたのです。
なるほど...
実践スタイルである上に、細かくその状態を見せながら説明も多い。これだと試聴している人は自分のやり方をそれになぞりながら進み、悪いところは直しつつ進めます。
しかし、世の有名な学校などでも、ただ偉い人が口で「こうします」なんて適当に喋るだけで、聞いた人が失敗したら、できないのは失敗した人のせいになるなんてこともありますが、物事はどんなことでも偉い人が適当に喋ったり注意したり、感動を語るだけでは伝わらないと思います。伝わるというより、聞いた人の役には立たないと思います。つくづく実践を伴いながらの克明な説明というのは何かを教授する場面では必要だなぁと思います。
すぴだけでなく、この世の他のお稽古事でもそうで、すごい人のところですごいという話を聞いたからいいと思うのは、何かにのぼせてしまうだけで、肝心な実力が全くつかないことになってしまうこともあると思います。先生も、学校も最初から信用してしまうのは、お金と時間のロスになるので、どこかで何かを学ぶときは、先生やその教えをよく見極めて、ダメと思ったら早々に退散するのが賢明かと思います。
ー《神は細部に宿る》という有名な言葉があるのだが知っているだろうか?《細部に宿らない》という説もあるのだが、ヘミシンクはまさしく前者だ。ワークの記録は精密デッサンのように克明に記録する努力が必要なのだ。それが見る力を養い知覚力を高めるー
非常に細かいことにわたり、詳細にデッサン、描写することが見る力を養い知覚力を高める。と言われています。これは私も実感していることです。しかし、世の有名無名のスピリチュアルの先生は、反対にあまりその体験などをそのまま語るということはなく、大雑把な「すごい」とか、「素晴らしい、感動しました。」などとの感想めいた言葉が多いです。残念な人が多いなぁと、不出来な私は思ってしまいます。それから学びたいと思ってもなかなか難しいと思ってしまいます。
実際のその体験をノンフィクションでただ克明に語ってくれれば、自分なりにそれを辿って何かわかるかもしれないと思うのですが、なかなかそういうことはなく、ピンポンパンの記事はそれとは全く違って克明に書かれていてわかりやすくていいと思っています。
今回はそのようなスピの話ではありません。私はこの頃あることを練習していて、偉い先生にも習いに行ったのですが、ろくな説明もなく、ただ自習するというスタイル。なかなかこれでは自分が何をどうわからなく、できないということになっているのか、途方に暮れるだけでした。しかし、YouTubeで親切な人がその物事について親切丁寧に説明しているのを見つけました。その人は、自分でそのことをやりながら、いろんな人が間違えたり、うまくいかないポイントを細かく説明しているのです。自分でやりながらなので、こちらもそれを見て実際にこういうことかと合点がいったり、なるほどと頷いたりしました。
そのユーチューバーの人は実践という、擬似体験をみんなに見せながら、本当に細かいところを理由を交えながら説明してくれたのです。
なるほど...
実践スタイルである上に、細かくその状態を見せながら説明も多い。これだと試聴している人は自分のやり方をそれになぞりながら進み、悪いところは直しつつ進めます。
しかし、世の有名な学校などでも、ただ偉い人が口で「こうします」なんて適当に喋るだけで、聞いた人が失敗したら、できないのは失敗した人のせいになるなんてこともありますが、物事はどんなことでも偉い人が適当に喋ったり注意したり、感動を語るだけでは伝わらないと思います。伝わるというより、聞いた人の役には立たないと思います。つくづく実践を伴いながらの克明な説明というのは何かを教授する場面では必要だなぁと思います。
すぴだけでなく、この世の他のお稽古事でもそうで、すごい人のところですごいという話を聞いたからいいと思うのは、何かにのぼせてしまうだけで、肝心な実力が全くつかないことになってしまうこともあると思います。先生も、学校も最初から信用してしまうのは、お金と時間のロスになるので、どこかで何かを学ぶときは、先生やその教えをよく見極めて、ダメと思ったら早々に退散するのが賢明かと思います。
2022.04.12
馬渕さんと篠原さんの対談について
ヘミシンクピンポンパンに馬渕さんという人のことが出ていました。その中の動画は前半(一人がたり馬渕睦夫」#40 )だけ見て、途中でやめました。篠原さんがしたり顔で何かを言い始めるのを見てヘキヘキとしました。
こんな立派な経歴の人が、穏やかで高尚な顔をして淡々と、ロシアを持ち上げてみんなをロシア贔屓にさせているとは❗️恐ろしいことです。篠原さんは、私も昨年から結構ユーチューブを見ていたのです。でも、もうあまり見ません。 飽き死の宮、宮家の方々について、その出鱈目さを暴き、糺すかと思っていたのに、飽き死の宮さんそのものについては、決定的な糾弾はせず、皇室がいけないとか、宮内庁がいけないとか、矛先をかわすのです。
このジャーナリストは、黒い腐った権力を糺す風を装いながら、実はそれの周りの人々や組織を叩くことしかしないのではと思います。馬渕さんも、篠原さんも同じようなもので、装うのが上手く、擬態というのか、そんな惑わしを使って、みんなをとんでもない方角へ誘おうとしているのが、見えるような気がします。
篠原さんは、ロシアとウクライナを一方的に見てはいけないと言い、ロシアに侵略され、防戦しているウクライナを戦うもの同士なので、公平にと言います。が、これってうまい言い訳ではないですか。相撲じゃあないんだ。土俵に公平に出てきて立ち合いするならまだしも、家でくつろいでいるところに勝手に武器を持ってなだれ込んできたものと、それに応戦するものと、同立にするなんて、そもそもあり得ないと思います。
こんなのはいじめられて死んでしまった子と、いじめ加害者とどちらも同じ非があるといいくさる、どこかの校長と同じような気がします。
これらの偉い人たちは、何らかの特別な旨みをロシアや、篠原さんについては、飽き死の宮家の関係者などからある程度の情報を得られる代わりに、ロシアや飽き死の宮家について糾弾しないという確約をしているのではないかと思います。糾弾するふりをして、ねじ曲がった方へ世論を向けていると思います。
ただ、幸に橋下徹氏は彼らのように、うまくカモフラージュすることはしません。出鱈目丸わかりです。橋元氏が、ロシア擁護、プーチン、飽き死の宮家のH人さん賛美をしてくれています。この狂った人が褒め称えているということは、飽き死の宮家も、ロシアも反対に危険で❌な人たち、国なのだと判断できます。この頃はすばらしいとかつて思われた人もロシアを褒めたりしているようなので、混乱しますが、そんな時は橋元氏の発言をチェックすることです。彼が良いということは❌。ダメということは○なのです。
一般の知識人のジャーナリスト、とか政治家などはどうしても誰かと繋がっていてそれらの関係上、ねじ曲がっていくということは避けられません。そういえば、私もDAYSを昔は買っていて、広河さんを尊敬していましたが、あの人って、たくさんのジャーナリスト志望の女性に性行為を強要していたと後、暴露されました。
彼の顔を見るといもおっさんといった風情で、気持ち悪くて仕方ありません。あんな人間とはいえない人をいいと思って、わざわざ遠くまでデイズを買いに行ったことを恥じています。
人は正義とか、みんなのためとかいいながらその反対の最低の蛮行をすることができるのです。恐ろしいことです。今は虎ノ門テレビもほとんど見ないです。普通の無名の人のブログや書き込みを検索するぐらいで、実はロシアについてもそんなに知らないのです。でも、そうは言っても篠原さんや馬渕さんの動画は、すぐに消したくなるのでちゃんと見れません。
こんな立派な経歴の人が、穏やかで高尚な顔をして淡々と、ロシアを持ち上げてみんなをロシア贔屓にさせているとは❗️恐ろしいことです。篠原さんは、私も昨年から結構ユーチューブを見ていたのです。でも、もうあまり見ません。 飽き死の宮、宮家の方々について、その出鱈目さを暴き、糺すかと思っていたのに、飽き死の宮さんそのものについては、決定的な糾弾はせず、皇室がいけないとか、宮内庁がいけないとか、矛先をかわすのです。
このジャーナリストは、黒い腐った権力を糺す風を装いながら、実はそれの周りの人々や組織を叩くことしかしないのではと思います。馬渕さんも、篠原さんも同じようなもので、装うのが上手く、擬態というのか、そんな惑わしを使って、みんなをとんでもない方角へ誘おうとしているのが、見えるような気がします。
篠原さんは、ロシアとウクライナを一方的に見てはいけないと言い、ロシアに侵略され、防戦しているウクライナを戦うもの同士なので、公平にと言います。が、これってうまい言い訳ではないですか。相撲じゃあないんだ。土俵に公平に出てきて立ち合いするならまだしも、家でくつろいでいるところに勝手に武器を持ってなだれ込んできたものと、それに応戦するものと、同立にするなんて、そもそもあり得ないと思います。
こんなのはいじめられて死んでしまった子と、いじめ加害者とどちらも同じ非があるといいくさる、どこかの校長と同じような気がします。
これらの偉い人たちは、何らかの特別な旨みをロシアや、篠原さんについては、飽き死の宮家の関係者などからある程度の情報を得られる代わりに、ロシアや飽き死の宮家について糾弾しないという確約をしているのではないかと思います。糾弾するふりをして、ねじ曲がった方へ世論を向けていると思います。
ただ、幸に橋下徹氏は彼らのように、うまくカモフラージュすることはしません。出鱈目丸わかりです。橋元氏が、ロシア擁護、プーチン、飽き死の宮家のH人さん賛美をしてくれています。この狂った人が褒め称えているということは、飽き死の宮家も、ロシアも反対に危険で❌な人たち、国なのだと判断できます。この頃はすばらしいとかつて思われた人もロシアを褒めたりしているようなので、混乱しますが、そんな時は橋元氏の発言をチェックすることです。彼が良いということは❌。ダメということは○なのです。
一般の知識人のジャーナリスト、とか政治家などはどうしても誰かと繋がっていてそれらの関係上、ねじ曲がっていくということは避けられません。そういえば、私もDAYSを昔は買っていて、広河さんを尊敬していましたが、あの人って、たくさんのジャーナリスト志望の女性に性行為を強要していたと後、暴露されました。
彼の顔を見るといもおっさんといった風情で、気持ち悪くて仕方ありません。あんな人間とはいえない人をいいと思って、わざわざ遠くまでデイズを買いに行ったことを恥じています。
人は正義とか、みんなのためとかいいながらその反対の最低の蛮行をすることができるのです。恐ろしいことです。今は虎ノ門テレビもほとんど見ないです。普通の無名の人のブログや書き込みを検索するぐらいで、実はロシアについてもそんなに知らないのです。でも、そうは言っても篠原さんや馬渕さんの動画は、すぐに消したくなるのでちゃんと見れません。
2022.03.22
不思議な蛾の群れープーチン誘蛾灯
我が家にはテレビがないので、世間一般の声や有名知識人の意見などあまり知りません。ただ、藤井先生の番組やヘミシンクピンポンパンで幾人もロシア擁護、プーチン万歳。などと言っているらしいと知りました。
一部のそのことより利益を得られる政治家などは わかりますが、一般の人まで熱心にプーチンを応援したり するのは、非常に不思議に思います。一方的に武力を持って人の国に押し入り、建物を破壊し一般人を殺している。それだけで100% プーチンのほうに非があるんだと思います。それが、スピリチュアルが好きな善良であると自身が自負している人たちが、ロシアの応援をしていると言う事はどういうことなのか?
これは、ある種の人間の持っている指向性{上を目指す。光に向かう}に負っているのだともいます。そのタイプの人間はピラミッド型の社会を是としているのです。一番上にはたった一人。その他は非常に細かい分類にしたがって階段型に人間が存在します。そして一番上、もしくは上部にいる人間はその社会のいる人間に対して眩い光を放ち、みんなそれに魅了され、崇め群がるのです。
横から眺めると誘蛾灯の灯がその頂点であるカリスマプーチン。それにひき寄せられるのが蛾であるスピリチュアルで善良を自負するプーチン礼賛者なのです。しかし、実際に住むところを破壊されるとはどんなことか、そのため人も死んでいるし、悲惨そのもだと思います。なのに、そういうウクライナの状況に心を寄せることもできないとは。のほせあがりすぎです。
なんのかんの言っても、スピの人だと言っても、本来のひととは、大きく違うのだと思います。一番上の強い、光に溢れたカリスマを求める人たち。それしか見えないのでしょう。それとも周りの人たちをそのまま見れるか。蛾になってしまったらおしまいだと思います。
誘蛾灯に行った蛾の末路はどうなるのだろう...
一部のそのことより利益を得られる政治家などは わかりますが、一般の人まで熱心にプーチンを応援したり するのは、非常に不思議に思います。一方的に武力を持って人の国に押し入り、建物を破壊し一般人を殺している。それだけで100% プーチンのほうに非があるんだと思います。それが、スピリチュアルが好きな善良であると自身が自負している人たちが、ロシアの応援をしていると言う事はどういうことなのか?
これは、ある種の人間の持っている指向性{上を目指す。光に向かう}に負っているのだともいます。そのタイプの人間はピラミッド型の社会を是としているのです。一番上にはたった一人。その他は非常に細かい分類にしたがって階段型に人間が存在します。そして一番上、もしくは上部にいる人間はその社会のいる人間に対して眩い光を放ち、みんなそれに魅了され、崇め群がるのです。
横から眺めると誘蛾灯の灯がその頂点であるカリスマプーチン。それにひき寄せられるのが蛾であるスピリチュアルで善良を自負するプーチン礼賛者なのです。しかし、実際に住むところを破壊されるとはどんなことか、そのため人も死んでいるし、悲惨そのもだと思います。なのに、そういうウクライナの状況に心を寄せることもできないとは。のほせあがりすぎです。
なんのかんの言っても、スピの人だと言っても、本来のひととは、大きく違うのだと思います。一番上の強い、光に溢れたカリスマを求める人たち。それしか見えないのでしょう。それとも周りの人たちをそのまま見れるか。蛾になってしまったらおしまいだと思います。
誘蛾灯に行った蛾の末路はどうなるのだろう...
2022.02.04
白雪姫と神田さやかさんーヘミシンクピンポンパンから思う
神田沙也加さんのことについて、ヘミシンクピンポンパンに書かれていました。
こうでなければいいのに、と思っていたのですが。「はぁ」と納得しました。
私は、神田さんのことは舞台も見てないし、そうファンでもないのですが、この方の歌や、舞台の一コマをYouTubeで見る機会があり、それは何年も前でしたが、心奪われました。
私は美しいものが好きで、顔も良い、歌もダンスも良いとこの人の素晴らしさに感嘆したのです。しかし、何年も前はそうみんなに評価されてなく、彼女には松田聖子の七光という言葉が付き纏っていました。でも、私はこのさやかさんを一目見て、感じました。この女優さんは七光なんかではない。松田聖子より、はるかに上回っていると思いました。これは私だけの感じ方なので、そんなことは口が裂けても言えないので黙っていましたが。
ただ、ふっと私は心配になったのです。もしか、七光なんて言葉でさやかさんが三流二世タレントとしてマスコミにバッシングされて出ているうちはいいが、少しでも母親を上回るような片鱗見せたらどうなるのだろう。優しい人だから、母親に遠慮して、雑魚を装い、4流タレントとして生きることをするのだろうか。子供は自ら身を引くようなところがありそうだけど、母親は、多分、我が子といえども潰しにかかるのではないか❓そんなことを考えてしまっていました。何年も前のことです。
多分、この人はほったらかしで育ち、いじめや嫉妬の中で子供時代を過ごしてきたのだ。その中で、見つけたのがミュージカルという道だったのだと思う...そしてみんなの予想に反し、親の力を借りず、自力と努力でミュージカルの主役をゲットしたのです。険しい道だったと思いますが、歌ったり踊ったりするのを楽しんでいたと思います。
それはこの人に相応しい道だったのですが、親をはるかに超えるこの人の資質は、親からすると厭わしいものだったのではないかと思えるのです。
白雪姫の継母は実は実母だったと言います。実の母の子供への嫉妬というのは結構あるようで、特によく聞くのは、自分より幸せになってはいけない。でも、自分よりはるかに格下でもいけないということです。このことを照らし合わせるとさやかさんの元旦那さんのことを実母が強く否定していたというのは、元旦那さんはさやかさんのことを大事にしていたということかもしれません。自分の手に入れない、自分を大事にしてくれる人を手に入れた娘は我慢ならんということです。
私のこのような推測はあくまでそのまま推測なので本当ではないかもしれません。でも、私がさやかさんの動画を見たときに見た怖れ...はなんとなく、秀でた娘はボコボコにしてやるみたいな空気を感じたのかもしれません。親と子、母と娘というのは、NHKの朝ドラみたいな優等生的関係ではなく、もっとおどろおどろしいおぞましいものにも満ちているからです。私は身内にも、友人の親子関係にもその匂いを嗅いでしまったので、鼻が反応してしまうのです。
全ては嫉妬からだと思います。恐ろしいことです。さやかさんのメーテル、見るのが楽しみだったのに。残念です。
こうでなければいいのに、と思っていたのですが。「はぁ」と納得しました。
私は、神田さんのことは舞台も見てないし、そうファンでもないのですが、この方の歌や、舞台の一コマをYouTubeで見る機会があり、それは何年も前でしたが、心奪われました。
私は美しいものが好きで、顔も良い、歌もダンスも良いとこの人の素晴らしさに感嘆したのです。しかし、何年も前はそうみんなに評価されてなく、彼女には松田聖子の七光という言葉が付き纏っていました。でも、私はこのさやかさんを一目見て、感じました。この女優さんは七光なんかではない。松田聖子より、はるかに上回っていると思いました。これは私だけの感じ方なので、そんなことは口が裂けても言えないので黙っていましたが。
ただ、ふっと私は心配になったのです。もしか、七光なんて言葉でさやかさんが三流二世タレントとしてマスコミにバッシングされて出ているうちはいいが、少しでも母親を上回るような片鱗見せたらどうなるのだろう。優しい人だから、母親に遠慮して、雑魚を装い、4流タレントとして生きることをするのだろうか。子供は自ら身を引くようなところがありそうだけど、母親は、多分、我が子といえども潰しにかかるのではないか❓そんなことを考えてしまっていました。何年も前のことです。
多分、この人はほったらかしで育ち、いじめや嫉妬の中で子供時代を過ごしてきたのだ。その中で、見つけたのがミュージカルという道だったのだと思う...そしてみんなの予想に反し、親の力を借りず、自力と努力でミュージカルの主役をゲットしたのです。険しい道だったと思いますが、歌ったり踊ったりするのを楽しんでいたと思います。
それはこの人に相応しい道だったのですが、親をはるかに超えるこの人の資質は、親からすると厭わしいものだったのではないかと思えるのです。
白雪姫の継母は実は実母だったと言います。実の母の子供への嫉妬というのは結構あるようで、特によく聞くのは、自分より幸せになってはいけない。でも、自分よりはるかに格下でもいけないということです。このことを照らし合わせるとさやかさんの元旦那さんのことを実母が強く否定していたというのは、元旦那さんはさやかさんのことを大事にしていたということかもしれません。自分の手に入れない、自分を大事にしてくれる人を手に入れた娘は我慢ならんということです。
私のこのような推測はあくまでそのまま推測なので本当ではないかもしれません。でも、私がさやかさんの動画を見たときに見た怖れ...はなんとなく、秀でた娘はボコボコにしてやるみたいな空気を感じたのかもしれません。親と子、母と娘というのは、NHKの朝ドラみたいな優等生的関係ではなく、もっとおどろおどろしいおぞましいものにも満ちているからです。私は身内にも、友人の親子関係にもその匂いを嗅いでしまったので、鼻が反応してしまうのです。
全ては嫉妬からだと思います。恐ろしいことです。さやかさんのメーテル、見るのが楽しみだったのに。残念です。
2021.08.11
記録に残すことは、いろんなことで恩恵があるのでは
スピリチュアルな体験を詳しく記録に残せということをまさとさんのブログではよく書かれています。これは本当にそうで、一般的なスピ体験のブログだと具体的な記録としての内容に欠け、いかにすごかったか、とか、見ていてもその感覚がどんな感じなのか、わかりにくいものが多いです。見るのも面白くないし、多分、自分がもう一度同じような体験をしたとしてもそのような粗い記録だと、何度も同じことを体験してもあまり進歩しにくいように感じます。
スピに限らず、他のことでもそうだなぁとこの頃思っています。外国語も私はなかなか伸び悩んでいて、「何度やっても覚えられない」というハードルが越えれません。どうしたものかと思っていたら、ふと、あることを思いつきました。
これって、スピの瞑想の記録を具体的に取るということと似てないか❓
瞑想の記憶は繊細で儚く、すぐ消えてしまうので、外国語学習や、動画制作のこととはだいぶその存在の脆さ加減が違うのですが、
動画を作るとき、上手く行った時の具体的な手順を記録に取る。外国語学習、購読の時、本の読み方、意味の取り方を前もって具体的な方法を頭に描くだけでなくノートに書いておき、読んでおしまいとか、見て理解しておしまいとかにせずに、できるだけ、ノートに書き、記録する。
そんなことを少しやり始めました。外国語は本を見て、わかったと思うだけではなく、具体的に何をどうわかったのか、どこをどう間違えていて、そこから出てくる自分の弱点を洗い出すなんてことができるのでは❓と思っています。
動画も、すぐに忘れてしまいがちな手順や、よかったこと、やめた方が良いと思ったことなど記録に残すと次の進みがスムーズな気がします。
忘れずに、記録は取りたいと思っています。
スピに限らず、他のことでもそうだなぁとこの頃思っています。外国語も私はなかなか伸び悩んでいて、「何度やっても覚えられない」というハードルが越えれません。どうしたものかと思っていたら、ふと、あることを思いつきました。
これって、スピの瞑想の記録を具体的に取るということと似てないか❓
瞑想の記憶は繊細で儚く、すぐ消えてしまうので、外国語学習や、動画制作のこととはだいぶその存在の脆さ加減が違うのですが、
動画を作るとき、上手く行った時の具体的な手順を記録に取る。外国語学習、購読の時、本の読み方、意味の取り方を前もって具体的な方法を頭に描くだけでなくノートに書いておき、読んでおしまいとか、見て理解しておしまいとかにせずに、できるだけ、ノートに書き、記録する。
そんなことを少しやり始めました。外国語は本を見て、わかったと思うだけではなく、具体的に何をどうわかったのか、どこをどう間違えていて、そこから出てくる自分の弱点を洗い出すなんてことができるのでは❓と思っています。
動画も、すぐに忘れてしまいがちな手順や、よかったこと、やめた方が良いと思ったことなど記録に残すと次の進みがスムーズな気がします。
忘れずに、記録は取りたいと思っています。
2021.06.21
Tから思い出したー4
Tのつく主人公は他にもあります。これも私がよく読んでいた作家さんです。宮本輝さんです。泥の川、螢川、道頓堀川の川三部作が有名です。学生時代、何度も読み返しました。
泥の川、螢川、道頓堀川、この中の螢川は芥川賞受賞作です。
hontoの解説によると
【芥川賞(78(1977下半期))】父が脳溢血で倒れた。14歳の竜夫は父の旧友に金を借りに行く。そんな竜夫の楽しみは、ほのかに思いを寄せる英子と螢の大群を見に行くことで…。季節が移ろいゆく富山を舞台に描いた表題作のほか、「泥の河」も収録。【「TRC MARC」の商品解説】
春から夏へと移ろいゆく富山の自然を背景に、父親の死や友の事故、淡い初恋を通じて成長していく14歳・竜夫の思春期を鮮やかに描いた芥川賞受賞作。蛍の大群が織りなす妖光の中に竜夫が見たものとは
螢川の主人公は周りの人の死をいくつも身近に見ます。死と生、宮本輝氏の小説では生きること、死ぬこと、生老病死の輪の中で、もがきつつ生きる人たちが泡のように登場します。その泡が小さくも、きらめきながら海の底から静かに浮かび上がり、消えていく。そんなイメージが頭に浮かびます。そんな儚げでも美しい作品が、私は好きでした。
このホタル川の主人公は竜夫、Tです。作家さんも輝で、Tです。
これらのTも欲はあまりなく、苦労は多く、儚げです。威張ったりする感じはありません。現実のTとは全く違います。
そして、番外編で、
銀河鉄道999
主人公は 鉄郎です。鉄郎も苦労人ですね。
今まで出てきた人って てつ、てる...てが付く人多いです。
泥の川、螢川、道頓堀川、この中の螢川は芥川賞受賞作です。
hontoの解説によると
【芥川賞(78(1977下半期))】父が脳溢血で倒れた。14歳の竜夫は父の旧友に金を借りに行く。そんな竜夫の楽しみは、ほのかに思いを寄せる英子と螢の大群を見に行くことで…。季節が移ろいゆく富山を舞台に描いた表題作のほか、「泥の河」も収録。【「TRC MARC」の商品解説】
春から夏へと移ろいゆく富山の自然を背景に、父親の死や友の事故、淡い初恋を通じて成長していく14歳・竜夫の思春期を鮮やかに描いた芥川賞受賞作。蛍の大群が織りなす妖光の中に竜夫が見たものとは
螢川の主人公は周りの人の死をいくつも身近に見ます。死と生、宮本輝氏の小説では生きること、死ぬこと、生老病死の輪の中で、もがきつつ生きる人たちが泡のように登場します。その泡が小さくも、きらめきながら海の底から静かに浮かび上がり、消えていく。そんなイメージが頭に浮かびます。そんな儚げでも美しい作品が、私は好きでした。
このホタル川の主人公は竜夫、Tです。作家さんも輝で、Tです。
これらのTも欲はあまりなく、苦労は多く、儚げです。威張ったりする感じはありません。現実のTとは全く違います。
そして、番外編で、
銀河鉄道999
主人公は 鉄郎です。鉄郎も苦労人ですね。
今まで出てきた人って てつ、てる...てが付く人多いです。
2021.06.20
Tから思い出したー3
私は25を過ぎて外国で暮らすまで、本をよく読んでいました。いろんな作家を読んでいました。その中で好きなものは三浦哲郎の 忍ぶ川 です。
どうしようもない暗い運命を背負った主人公の純愛物語です。この作品は芥川賞受賞作ですが、今の文学賞における話題をさらうとか、煌びやかな若手作家像とは程遠い、苦労人の受賞者です。抜粋します。
BOOKより
兄姉は自殺・失踪し、暗い血の流れに戦きながらも、強いてたくましく生き抜こうとする大学生の“私”が小料理屋につとめる哀しい宿命の娘志乃にめぐり遭い、いたましい過去を労りあって結ばれる純愛の譜『忍ぶ川』。 読むたびに心の中を清冽な水が流れるような甘美な流露感をたたえた名作である。
この主人公は哲郎、作家さんも哲郎。私小説とも言えるものです。
私がこの作品が好きなのは、世の中の塵や泡ぶくのような人間が非常に苦しい悲しい境遇にありながらも、それなりに生きている。悲しみ、苦しみははあるのだけど、その中で悩みながらも真摯に生きる姿が爽やかな風を吹きかけてくれるような清涼感と美しさがあり、何度も読んでしまったのです。
この作品で何度も読んだシーンは主人公のお姉さんが津軽海峡を行く連絡船から身を投げたというくだりです。イルカが泳ぐ津軽海峡にお姉さんが飛び込み、もう帰ってこなかった...
あまりにも悲しすぎるのが、自分の気持ちにピッタリとし過ぎたのかもしれません。悲しいけど、吹っ切れないけどそれでもどこかケセラセラと全てを捨てることができるような気持ちがこの作品にあったのかもしれません。それが悲しいけど明るい、重いけど軽やかな作品になっていたのかもしれません。
この作家さんは生と死に感する作品が他にもあり、子供向けの ユタと不思議な仲間たち も書いています。
私の現実生活に出てきているTさんは全く反対で、物質的で、人を支配し成功をおさめ、煌びやかな表舞台に立ちたいし、立っている人も多いです。しかし、この作品の哲郎は兄妹が自殺、失踪、その他不幸のオンパレード。そう目立つようなすごい人でもありません。Tとはいえ、正反対の生き方なのです。
生きることに苦悩する市井の人。連続ドラマには出てこないタイプの人です。でも、この純愛ストーリーがウケたのか、映画化もされているようです。多分、見ると心洗われるストーリーだからなのでしょう。
どうしようもない暗い運命を背負った主人公の純愛物語です。この作品は芥川賞受賞作ですが、今の文学賞における話題をさらうとか、煌びやかな若手作家像とは程遠い、苦労人の受賞者です。抜粋します。
BOOKより
兄姉は自殺・失踪し、暗い血の流れに戦きながらも、強いてたくましく生き抜こうとする大学生の“私”が小料理屋につとめる哀しい宿命の娘志乃にめぐり遭い、いたましい過去を労りあって結ばれる純愛の譜『忍ぶ川』。 読むたびに心の中を清冽な水が流れるような甘美な流露感をたたえた名作である。
この主人公は哲郎、作家さんも哲郎。私小説とも言えるものです。
私がこの作品が好きなのは、世の中の塵や泡ぶくのような人間が非常に苦しい悲しい境遇にありながらも、それなりに生きている。悲しみ、苦しみははあるのだけど、その中で悩みながらも真摯に生きる姿が爽やかな風を吹きかけてくれるような清涼感と美しさがあり、何度も読んでしまったのです。
この作品で何度も読んだシーンは主人公のお姉さんが津軽海峡を行く連絡船から身を投げたというくだりです。イルカが泳ぐ津軽海峡にお姉さんが飛び込み、もう帰ってこなかった...
あまりにも悲しすぎるのが、自分の気持ちにピッタリとし過ぎたのかもしれません。悲しいけど、吹っ切れないけどそれでもどこかケセラセラと全てを捨てることができるような気持ちがこの作品にあったのかもしれません。それが悲しいけど明るい、重いけど軽やかな作品になっていたのかもしれません。
この作家さんは生と死に感する作品が他にもあり、子供向けの ユタと不思議な仲間たち も書いています。
私の現実生活に出てきているTさんは全く反対で、物質的で、人を支配し成功をおさめ、煌びやかな表舞台に立ちたいし、立っている人も多いです。しかし、この作品の哲郎は兄妹が自殺、失踪、その他不幸のオンパレード。そう目立つようなすごい人でもありません。Tとはいえ、正反対の生き方なのです。
生きることに苦悩する市井の人。連続ドラマには出てこないタイプの人です。でも、この純愛ストーリーがウケたのか、映画化もされているようです。多分、見ると心洗われるストーリーだからなのでしょう。
2021.06.19
Tから思い出したー2
杜子春以外の小説の主人公について書く前に、前の記事のコメントと関連したTのことを書きます。身内が恐るべきTを連れてくるって、他のおうちでもあるのだと知り、びっくりしたところで、母方の家も同じだということを思い出しました。
母の実家は母の長兄が後を継ぎました。その配偶者、母や長兄以外の兄弟にとっての義理の姉に当たる人が超弩級のきついひどい人で、縁者はそのすごさに嘆いていました。ケチで犬に茶殻を食べさせていたこともあります。ただ、犬もさるもので元気でした。とても支配的で頭の良さを誇っていたその兄嫁に私の伯父、伯母さんたちも何ひとつ逆らえなかったようです。私は複数の親戚が嫌がっていたのをよく子供の頃聞きました。そして、ある時質問したのです。
「なんでそんなものすごい人をわざわざ選んだのか❓誰が連れてきたのか❓」
すると
「おばあさんが連れてきて決めたのだ」
「えっ」
おばあさんは母の兄嫁さんのことを色々と愚痴り、嫌な目に遭っている一番の人なのに、なんとそおばあさん本人が、自分を苛む人を選んで連れてきたとは‼️
私は子供ながら、何もコメントできず、そのことについてはおじさんおばさんたちも誰一人コメントを言わない、言えなかったことを覚えています。
自分を苦しめ、害するものをわざわざ自分自身が連れてくるとは‼️なんということでしょうか。その人、母の義理の姉もTという名前だったので、Tという名前の人は私は昔から警戒しているのです。本当に強烈なのですよ。
続く
母の実家は母の長兄が後を継ぎました。その配偶者、母や長兄以外の兄弟にとっての義理の姉に当たる人が超弩級のきついひどい人で、縁者はそのすごさに嘆いていました。ケチで犬に茶殻を食べさせていたこともあります。ただ、犬もさるもので元気でした。とても支配的で頭の良さを誇っていたその兄嫁に私の伯父、伯母さんたちも何ひとつ逆らえなかったようです。私は複数の親戚が嫌がっていたのをよく子供の頃聞きました。そして、ある時質問したのです。
「なんでそんなものすごい人をわざわざ選んだのか❓誰が連れてきたのか❓」
すると
「おばあさんが連れてきて決めたのだ」
「えっ」
おばあさんは母の兄嫁さんのことを色々と愚痴り、嫌な目に遭っている一番の人なのに、なんとそおばあさん本人が、自分を苛む人を選んで連れてきたとは‼️
私は子供ながら、何もコメントできず、そのことについてはおじさんおばさんたちも誰一人コメントを言わない、言えなかったことを覚えています。
自分を苦しめ、害するものをわざわざ自分自身が連れてくるとは‼️なんということでしょうか。その人、母の義理の姉もTという名前だったので、Tという名前の人は私は昔から警戒しているのです。本当に強烈なのですよ。
続く
2021.06.17
Tから思い出したー1
ヘミシンクピンポンパンに、「Tという人は小説にあまり出ていない。Kは出ているのだが」なんてことが書かれていました。そうです。私も実際にはTという人たちには嫌な目にあったりしているので、Kの極悪版と思っています。
そんなことを考えながら、昔の実家周りの人たちのことを思い出したら、なんと実家の母を散々苦しめた隣人もTであったことに気づきました。実家の立っている場所は昔住む人もいない寂しいところだったので、寂しかろうと、父の父、祖父が隣に住む人を探して住まわせたのですが、それがとてつもない人でTという人でした。母はこの人に生涯苦しめられました。祖父がわざわざ連れてきた人が最悪だったなんて、リコール運動の田中みたいですが、こんなこともあるのですね。
このTは嫉妬や妬みがひどいいいとこなしの人に見えました。こんな人が文学にいるのだろうか❓そんなことをつらつらと考えていたら、ある文学作品でTという人がいることに気づきました。
T...
実際のその辺にいるTに酷い目に遭っていたら、どんなひどいやつだろうと御構えてしまうのですが、違うのです。
文学に出てくるTは全く違うキャラでした。しかも自分が若い頃好きで何度も読んだ小説に軒並み登場していたのに気づきました。
まずは芥川龍之介の杜子春です。私は芥川龍之介と中島敦は大好きで全集も買ったし、ほとんどの作品を読んでいます。杜子春...子供の童話みたいな内容です。この人、凡人でバカであんまり運も良くないです。でも、あんまり根性もない凡人が仙人になるため頑張ります。なのに、親がひどい目にあっても自分のことを気にかけていることを目にすると叫んでしまいます。声を出すと全ての努力が水の泡となることを知りながら、声を出してしまうのです。私は杜子春が頑張りも成果も捨てて「お母さん」というところが好きで、歳をとってもそこばかり読んでしまいます。
そしてTの出る小説について、もしかして私の好きな何度も読んでいた、いくつかの小説の主人公ってTって名前なのでは❓と唐突に思ったのです。
続く
そんなことを考えながら、昔の実家周りの人たちのことを思い出したら、なんと実家の母を散々苦しめた隣人もTであったことに気づきました。実家の立っている場所は昔住む人もいない寂しいところだったので、寂しかろうと、父の父、祖父が隣に住む人を探して住まわせたのですが、それがとてつもない人でTという人でした。母はこの人に生涯苦しめられました。祖父がわざわざ連れてきた人が最悪だったなんて、リコール運動の田中みたいですが、こんなこともあるのですね。
このTは嫉妬や妬みがひどいいいとこなしの人に見えました。こんな人が文学にいるのだろうか❓そんなことをつらつらと考えていたら、ある文学作品でTという人がいることに気づきました。
T...
実際のその辺にいるTに酷い目に遭っていたら、どんなひどいやつだろうと御構えてしまうのですが、違うのです。
文学に出てくるTは全く違うキャラでした。しかも自分が若い頃好きで何度も読んだ小説に軒並み登場していたのに気づきました。
まずは芥川龍之介の杜子春です。私は芥川龍之介と中島敦は大好きで全集も買ったし、ほとんどの作品を読んでいます。杜子春...子供の童話みたいな内容です。この人、凡人でバカであんまり運も良くないです。でも、あんまり根性もない凡人が仙人になるため頑張ります。なのに、親がひどい目にあっても自分のことを気にかけていることを目にすると叫んでしまいます。声を出すと全ての努力が水の泡となることを知りながら、声を出してしまうのです。私は杜子春が頑張りも成果も捨てて「お母さん」というところが好きで、歳をとってもそこばかり読んでしまいます。
そしてTの出る小説について、もしかして私の好きな何度も読んでいた、いくつかの小説の主人公ってTって名前なのでは❓と唐突に思ったのです。
続く
2021.05.10
いまわしい記憶をわざと思い出したら。
思い出したくないし、考えたくない記憶がふっと頭に浮かんできて嫌になることがあります。こんなことは気にせずにいれば良いですが、そうはいかず困っていました。先日、そんなことを記録するという策を授けてもらいました。瞑想時に湧くとか、ぼっとしているときや本を読んでいるときなどに湧くとか、どんな時かは関係なく、私は何を思い出したくないのか❓この間不意にわきおこった記憶をたどりにその記憶たちの整理を考えました。
すると❗️これは意識してなかったのですが、昔のことで思い出したくないとか、嫌だったとかの記憶のうち、悩まされるのは、、加害者の立場に少しでも立っている場合だけでした。自分が意図的であったかどうか、巻き込まれた場合も入れてますが、自分が少なからず黒に染まっていた時のことなのです。
そして、思い出したくない嫌なことで一方的に被害者の立場の時、それはそれほど鮮明に映像も現れず、その時の思いも、全ておぼろげなのです。そしてあれほど恥ずかしい立場でやられていたにかかわらず、それを恥ずかしいとも自分は思っていないし、加害者の立場のひとたちにもなんにも感情はないのです。そういうことはあった。でも、その写真は燃えてしまい、灰しかない。そんな感じです。
記憶にとらねばわからんかった...こんな感じだったのか、わし。
これを書き出して思ったことは、
わしはこの地球にいるのだ。重力を等しく受けている生き物として、どうしても食う立場、えげつないことを思い、しでかす呪いの血をこの体の中に持っているということだ。でも、自分を律し、損しても苦しい人に手を差し伸べてしまう自分もありなのだ。悪いやつ、いいやつ、両方を自分が持っている。いけない自分を正直者の自分が責める。悪い自分を自分の中から取りきれず、善なる自分もまいる。この苦しい自分の中のせめぎ合いはいくら清廉潔白な人でも同じで、重力と光と影とその中に存在している限り、呪しい血から生まれ出る邪悪さは滅することはできないだろう。こんな地球の片隅のちっぽけな人間のささやかな濁りでもそれは大いなる純粋な悪と繋がっているのだ。
これはどうということなののだろうか。
私は旧約のヨブ記を思い出しました。
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。
ヨブ記38章31節
私はヨブ記は悲惨すぎるし、この神様、威張っていて冷酷でひどいしどうも好きではないです。しかし、このブレアデスとオリオンの一節はスピで有名です。この一節をみんなはどう言っているか、忘れちゃいました。が、なんとなくこの記憶を書いてそれを考えてみてから、プレアデスって、この地球で生きている人に流れる邪悪な血じゃあないかと思えてきました。プレアデスの鎖を結ぶ→地球人として生きている未熟で邪悪な素質を持っている私たちは、その血に鎖をかけよ。制御せよということかなぁと思っています。
次元が高くなり、地球人から卒業[肉体を脱ぎ捨てたら]したら、そのような血の縛りはなく魂の自由に身を委ねることができるけど、今の段階では、自分を痛くても正直にみて、暗い暗黒も自分だと自覚しそれを制御するのだということでしょうか。いずれにせよ、この世は光だけでも暗闇だけでもないので、自由である魂は苦しみつつも、光と自由を希求するのだとは思います。オリオンの綱を解くとは、もしかしたら、この世の世俗的な縛りを解き放ちできる限り己の魂の欲求に従えということかもしれません。
これは自分のいまわしい記憶から思った私の考えなので、これが正しいとかはわかりません。
すると❗️これは意識してなかったのですが、昔のことで思い出したくないとか、嫌だったとかの記憶のうち、悩まされるのは、、加害者の立場に少しでも立っている場合だけでした。自分が意図的であったかどうか、巻き込まれた場合も入れてますが、自分が少なからず黒に染まっていた時のことなのです。
そして、思い出したくない嫌なことで一方的に被害者の立場の時、それはそれほど鮮明に映像も現れず、その時の思いも、全ておぼろげなのです。そしてあれほど恥ずかしい立場でやられていたにかかわらず、それを恥ずかしいとも自分は思っていないし、加害者の立場のひとたちにもなんにも感情はないのです。そういうことはあった。でも、その写真は燃えてしまい、灰しかない。そんな感じです。
記憶にとらねばわからんかった...こんな感じだったのか、わし。
これを書き出して思ったことは、
わしはこの地球にいるのだ。重力を等しく受けている生き物として、どうしても食う立場、えげつないことを思い、しでかす呪いの血をこの体の中に持っているということだ。でも、自分を律し、損しても苦しい人に手を差し伸べてしまう自分もありなのだ。悪いやつ、いいやつ、両方を自分が持っている。いけない自分を正直者の自分が責める。悪い自分を自分の中から取りきれず、善なる自分もまいる。この苦しい自分の中のせめぎ合いはいくら清廉潔白な人でも同じで、重力と光と影とその中に存在している限り、呪しい血から生まれ出る邪悪さは滅することはできないだろう。こんな地球の片隅のちっぽけな人間のささやかな濁りでもそれは大いなる純粋な悪と繋がっているのだ。
これはどうということなののだろうか。
私は旧約のヨブ記を思い出しました。
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。
ヨブ記38章31節
私はヨブ記は悲惨すぎるし、この神様、威張っていて冷酷でひどいしどうも好きではないです。しかし、このブレアデスとオリオンの一節はスピで有名です。この一節をみんなはどう言っているか、忘れちゃいました。が、なんとなくこの記憶を書いてそれを考えてみてから、プレアデスって、この地球で生きている人に流れる邪悪な血じゃあないかと思えてきました。プレアデスの鎖を結ぶ→地球人として生きている未熟で邪悪な素質を持っている私たちは、その血に鎖をかけよ。制御せよということかなぁと思っています。
次元が高くなり、地球人から卒業[肉体を脱ぎ捨てたら]したら、そのような血の縛りはなく魂の自由に身を委ねることができるけど、今の段階では、自分を痛くても正直にみて、暗い暗黒も自分だと自覚しそれを制御するのだということでしょうか。いずれにせよ、この世は光だけでも暗闇だけでもないので、自由である魂は苦しみつつも、光と自由を希求するのだとは思います。オリオンの綱を解くとは、もしかしたら、この世の世俗的な縛りを解き放ちできる限り己の魂の欲求に従えということかもしれません。
これは自分のいまわしい記憶から思った私の考えなので、これが正しいとかはわかりません。
2021.05.03
忌まわしい記憶と記録にとること
私はちょくちょく、昔の忌まわしい出来事が脳裏に蘇り、それが止めようもなくどうしようもないのです。自分がしでかしたこともあります。また、図らずも被害として受けざるを得なかったこともあります。
罪、恥辱、苦しみ..いろんな思いと共に蘇る記憶は思い出そうとしなくても勝手にありありと出てきてしまいます。それはなかなか制御できないというのが一番の厄介なところです。スピリチュアルだと、このようなマイナスの思いは切り捨てていつも朗らか、幸せいっぱい、光の子と自分を自覚して生きよと言っています。なんかそうでないとこのアセンションの流れに脱落するような雰囲気が光にみちたすぴ世界では満ちています。
しかし...なかなか私はそうはいかず、いつまでもマイナスの過去のことが頭に出てきてしまいます。たまにパワースポットなどに行くとそこの何者かが、「もうそんなことは終わったからいいぞ」なんて言ってくれる気配はあるのですが、私の深いところでいつまでも昔のマイナスの出来事とそれにまつわる自分への鞭打ちが止みません。
どうしたらいいか。つい、このことを語ったら、まさとさんのブログに、記録に書くということが言われていました。はっ、これはいいと思いました。そこで苛まされる嫌な記憶が勝手に蘇る前に意図的に自分で思いだし、それを記録にとどめて分析しようと思い、始めかけたところ、意外な展開になりました。
無理に自分の意思で思いだし詳細にそれを文で書こうと{それは恥でもあり、とても嫌な暗闇の中に置いておきたい、辛い事柄なのです}したところ、頭からひっばり出そうとすると、そのイメージが、まるで影が光で溶けるみたいな、氷が水になり気体になり何もないかのような感じになります。そんなわけでがっちりとしたイメージがとろけてしまうのです。
変ですね。過去って形があるものと思っていましたが、過去のことから始まり、自分の思っている世界は形が本当はなく、あったことと思っていることも、自分が作り出していることかもしれないと感じました。ただ、自分の昔の恥ずべきこともなかったこととしてノーテンキに自分は光などというのは変すぎるので、もう少しこのことは追ってみようと思います。暗い隠したいことは意外と明るみに出そうと正面から向き合ってみるといいのかもと思ったりしています。
今度はふと、自然に忌まわしい記憶がありありと出てきたら、必ず記録にとりどんなか感じか、見てみたいと思っています。どっちみち、自分の暗黒や腐ったところにこそよく目を凝らさないと永久に終わらないと思っています。
罪、恥辱、苦しみ..いろんな思いと共に蘇る記憶は思い出そうとしなくても勝手にありありと出てきてしまいます。それはなかなか制御できないというのが一番の厄介なところです。スピリチュアルだと、このようなマイナスの思いは切り捨てていつも朗らか、幸せいっぱい、光の子と自分を自覚して生きよと言っています。なんかそうでないとこのアセンションの流れに脱落するような雰囲気が光にみちたすぴ世界では満ちています。
しかし...なかなか私はそうはいかず、いつまでもマイナスの過去のことが頭に出てきてしまいます。たまにパワースポットなどに行くとそこの何者かが、「もうそんなことは終わったからいいぞ」なんて言ってくれる気配はあるのですが、私の深いところでいつまでも昔のマイナスの出来事とそれにまつわる自分への鞭打ちが止みません。
どうしたらいいか。つい、このことを語ったら、まさとさんのブログに、記録に書くということが言われていました。はっ、これはいいと思いました。そこで苛まされる嫌な記憶が勝手に蘇る前に意図的に自分で思いだし、それを記録にとどめて分析しようと思い、始めかけたところ、意外な展開になりました。
無理に自分の意思で思いだし詳細にそれを文で書こうと{それは恥でもあり、とても嫌な暗闇の中に置いておきたい、辛い事柄なのです}したところ、頭からひっばり出そうとすると、そのイメージが、まるで影が光で溶けるみたいな、氷が水になり気体になり何もないかのような感じになります。そんなわけでがっちりとしたイメージがとろけてしまうのです。
変ですね。過去って形があるものと思っていましたが、過去のことから始まり、自分の思っている世界は形が本当はなく、あったことと思っていることも、自分が作り出していることかもしれないと感じました。ただ、自分の昔の恥ずべきこともなかったこととしてノーテンキに自分は光などというのは変すぎるので、もう少しこのことは追ってみようと思います。暗い隠したいことは意外と明るみに出そうと正面から向き合ってみるといいのかもと思ったりしています。
今度はふと、自然に忌まわしい記憶がありありと出てきたら、必ず記録にとりどんなか感じか、見てみたいと思っています。どっちみち、自分の暗黒や腐ったところにこそよく目を凝らさないと永久に終わらないと思っています。
2020.06.13
本を買ってみたが、しばらくは読むのを我慢しよう
まさとさんのヘミシンクピンポンパンの記事を見たら、宮沢賢治の真実という本のことが書かれていました。それが、なんとも謎めいた銀河鉄道の夜のことなど、今までの宮沢賢治について書かれていたことからは全くわからなかったことが入念に書かれているとか‼️私は以前から銀河鉄道や作者宮沢賢治についてどうもわからないところがあったし、そこからいろんな関連することを考えていました。
これだっ❗️
今日早速、本屋に行って買ってきました。が、しばらくは読むのを我慢しようと思っています。なぜなら、書店で中身をざざっとめくったところ、瞬間的にこの本はすごいと感じつつも、中に今までの私の疑問符がついたフレーズ、言葉がいっぱいあったからです。銀河鉄道、ケンタウル祭、さそりの火、牛など...これを読んでしまうにはまだ私の中に全てのつながりが呼応しあってないのです。
うっ...みたい、読みたい。でも、今読んではダメだ。苦しさに悶えています。
これだっ❗️
今日早速、本屋に行って買ってきました。が、しばらくは読むのを我慢しようと思っています。なぜなら、書店で中身をざざっとめくったところ、瞬間的にこの本はすごいと感じつつも、中に今までの私の疑問符がついたフレーズ、言葉がいっぱいあったからです。銀河鉄道、ケンタウル祭、さそりの火、牛など...これを読んでしまうにはまだ私の中に全てのつながりが呼応しあってないのです。
うっ...みたい、読みたい。でも、今読んではダメだ。苦しさに悶えています。
2020.06.08
土の人、土偶が出てきた漫画を思い出す
ヘミシンクピンポンパンの記事の中に土の人とか土偶とかの掲載がありました。どこにあったか忘れてしまいましたが、こ土の人についてのくだりを見た時に思い出したことがあります。
昔、小学校の頃、貸本屋で店内のスリラー、恐怖漫画をほとんどすべて読み尽くしておりました。その中に人と文明、その滅亡を描いた漫画がありました。漫画の単行本の中に何編かショートストーリーの漫画が入っているものでした。その中の一編でした。
昔の昭和四十年代、公害が多く広がった時代でした。それを反映したコンクリートの建物や工場が街を覆い尽くし人々はそれを活気があるとか言い、それぞれの人生を謳歌しています。それが何が起こったのか、この地上の全てのものが土の塊と化していくのです。人はその形のまま土の像となり、建物もその他のものも土になってしまいます。そして土の塊なので、やがて人は土の塊、柱のようになりそれもだんだん崩れていきます。
誰もいない土塊だらけの荒野で誰かが呟いています。「人は土から出て土に帰る」ーチリから生まれチリに戻るのだー
荒野を土塊からこぼれ落ちた塵を吹き上げながら、風が通っています。
半分人の形をした土の柱...全てが土の塊と化した大地。子供向けなのに妙に哲学的でありながら、恐ろしい漫画でした。
中には土偶もあったような気がします。この漫画を見たときは怖いながらも変な漫画だなぁと思いましたが、どこかで心に引っかかるものがあったらしく、フッフッと今でも思い出すのです。
子供の頃に見た漫画と何故か似ているとピンポンパンの記事を見て思い出してしまったのですが、あんな昔のそうたいしたことのない漫画とそれから何十年も先に書かれるブログ記事とどこかとても似ているのは不思議だなぁと思っています。
昔、小学校の頃、貸本屋で店内のスリラー、恐怖漫画をほとんどすべて読み尽くしておりました。その中に人と文明、その滅亡を描いた漫画がありました。漫画の単行本の中に何編かショートストーリーの漫画が入っているものでした。その中の一編でした。
昔の昭和四十年代、公害が多く広がった時代でした。それを反映したコンクリートの建物や工場が街を覆い尽くし人々はそれを活気があるとか言い、それぞれの人生を謳歌しています。それが何が起こったのか、この地上の全てのものが土の塊と化していくのです。人はその形のまま土の像となり、建物もその他のものも土になってしまいます。そして土の塊なので、やがて人は土の塊、柱のようになりそれもだんだん崩れていきます。
誰もいない土塊だらけの荒野で誰かが呟いています。「人は土から出て土に帰る」ーチリから生まれチリに戻るのだー
荒野を土塊からこぼれ落ちた塵を吹き上げながら、風が通っています。
半分人の形をした土の柱...全てが土の塊と化した大地。子供向けなのに妙に哲学的でありながら、恐ろしい漫画でした。
中には土偶もあったような気がします。この漫画を見たときは怖いながらも変な漫画だなぁと思いましたが、どこかで心に引っかかるものがあったらしく、フッフッと今でも思い出すのです。
子供の頃に見た漫画と何故か似ているとピンポンパンの記事を見て思い出してしまったのですが、あんな昔のそうたいしたことのない漫画とそれから何十年も先に書かれるブログ記事とどこかとても似ているのは不思議だなぁと思っています。
2019.12.12
経営者とスピリチュアル ーヘミシンクピンポンパンを見て思い出したことー
あのスピリチュアルな経営者船井さんが、あの世では迷っているとか...
詳しくはピンボンパンをご覧いただくとして、私は昔、子供の頃に聞かされた母の話を思い出しました。
私の父は自営をしていました。古い知り合いの自営業者が倒産したとき、その様子をそっと見に行ったことがあります。そのことを母に語ったのだろうと思いますが、父からは直接聞いたことはありません。その自営業者は今までの取引先に不渡りを出し、その債権者が押し寄せてきたと言います。その時、ある新興宗教のような、道徳の会みたいなものを積極的に取り入れ、奉仕の精神を従業員に教えていた●●の社長が、どうにもならなくて倒産したかつてのお客さんである自営業者にものすごい罵詈雑言に満ちた責めを行っていたそうです。その時まではそんなに親切とか、情とかには無縁に思われていた他の業者が霞んでしまうほどだったと言います。
私はその時から、この世で一番怖いものは倒産の時の取り立てだと身に染み込んでしまいました。それから何度もその話を聞くにつれ、母の言葉が印象に残って消えません。ー●●屋の社長は道徳経を従業員を洗脳してありがたりながら目一杯働かせる奴隷にしているのだ。あいつはひどい。道徳教は経営のための道具だーそんな内容のことを言っていたのです。そのせいでどこでも売っているその●●屋の商品は私はどうも買えないと言うか、恐ろしいのです。
いつもは仏さんみたいに柔和で良いことを言って、人の道を説いていた人が、そんな人とは‼️とても恐ろしく思います。
父は世の中であれほど怖かったことはないと母に言っていたようです。子供に言ってないと言うことは口にするのも恐ろしかった光景だったのだろうと思います。スピリチュアルを経営に利用する...人食い人間に見えてしまいますが、そんな人にのこのこついていく人も多いのがこの世の幅の広さでしょう。
詳しくはピンボンパンをご覧いただくとして、私は昔、子供の頃に聞かされた母の話を思い出しました。
私の父は自営をしていました。古い知り合いの自営業者が倒産したとき、その様子をそっと見に行ったことがあります。そのことを母に語ったのだろうと思いますが、父からは直接聞いたことはありません。その自営業者は今までの取引先に不渡りを出し、その債権者が押し寄せてきたと言います。その時、ある新興宗教のような、道徳の会みたいなものを積極的に取り入れ、奉仕の精神を従業員に教えていた●●の社長が、どうにもならなくて倒産したかつてのお客さんである自営業者にものすごい罵詈雑言に満ちた責めを行っていたそうです。その時まではそんなに親切とか、情とかには無縁に思われていた他の業者が霞んでしまうほどだったと言います。
私はその時から、この世で一番怖いものは倒産の時の取り立てだと身に染み込んでしまいました。それから何度もその話を聞くにつれ、母の言葉が印象に残って消えません。ー●●屋の社長は道徳経を従業員を洗脳してありがたりながら目一杯働かせる奴隷にしているのだ。あいつはひどい。道徳教は経営のための道具だーそんな内容のことを言っていたのです。そのせいでどこでも売っているその●●屋の商品は私はどうも買えないと言うか、恐ろしいのです。
いつもは仏さんみたいに柔和で良いことを言って、人の道を説いていた人が、そんな人とは‼️とても恐ろしく思います。
父は世の中であれほど怖かったことはないと母に言っていたようです。子供に言ってないと言うことは口にするのも恐ろしかった光景だったのだろうと思います。スピリチュアルを経営に利用する...人食い人間に見えてしまいますが、そんな人にのこのこついていく人も多いのがこの世の幅の広さでしょう。
2019.11.25
ローマ法王と亡くなった人々を思う
必ずしも映画とは現実は同じとは言えませんが、ーローマ法王となる日までーの中で、ベルゴリオ[後のローマ法王]さんが自分だけ生き残ったと嘆く場面があります。結び目を解くマリアとの出会いの場です。この場面は映画として名場面で見せ場なのですが、見ているとこんな私でもー今のぬるま湯の中、真剣に生きているのか❓ーなんて自分自身に問いを投げかけてしまいます。
私の外国に行った仲間も複数名、亡くなっています。しかし、私は生きて残っております。道半ばで亡くなっていった友人、知人。それらの人々を思い出すと、スピの場での美しい祈りや、教えを語る人々たちの言葉も色褪せて感じてしまいます。本当に切羽詰まったところで生きている人たちがいて、それらの現実と私はスピの場の美しい言葉や教えにはとてもギャップというか、ついていけない感覚を感じてしまうのです。
自分自身が傲慢なのかもしれません。スピも真剣にやっている人もいると思うのですが、白刃の中を回潜って生きているようなギリギリの感覚とは違うと思ってしまうのです。品行方正なスピの人々の安全な場での美しい言葉はどうも生ぬるすぎるように感じてしまいます。すいません。
私の外国に行った仲間も複数名、亡くなっています。しかし、私は生きて残っております。道半ばで亡くなっていった友人、知人。それらの人々を思い出すと、スピの場での美しい祈りや、教えを語る人々たちの言葉も色褪せて感じてしまいます。本当に切羽詰まったところで生きている人たちがいて、それらの現実と私はスピの場の美しい言葉や教えにはとてもギャップというか、ついていけない感覚を感じてしまうのです。
自分自身が傲慢なのかもしれません。スピも真剣にやっている人もいると思うのですが、白刃の中を回潜って生きているようなギリギリの感覚とは違うと思ってしまうのです。品行方正なスピの人々の安全な場での美しい言葉はどうも生ぬるすぎるように感じてしまいます。すいません。
2019.11.24
ローマ法王と暗い時代{ヘミシンクピンポンパンを見て思い出したこと}2 生と死
ー海、川に沈んだ普通の人々、生き残った普通の人々ー
私はこの暗い時代の後、アルゼンチンに行ったのでその時を生で見ていませんが、新しい政権になってまだそれほど経ってませんでした。アルゼンチン人は外人から見るとみんな気さくておしゃれで気のいい人ばかりでした。
が、後から考えてみると❓を感じるのです。
連れていかれて二度と帰ってこなかった人々は、軍政に反対したり、そうでなくてもそのような疑いをかけられた人たちです。では、今も無事にいる人は❓
1 もともとその政権の賛同者だった
2 活動家など市民を捕まえ、売ったスパイだった
3 反政権派だったが、なんとか捕まらずに済んだ。仲間をかくまったりした
4 独裁政権は好きではないが、目をつけられたくないのでその体制に従った
5 とにかく時の権力の言うことに従った
↑こんなところでしょぅか❓私は国を憂いた人々がたくさん亡くなったことを思うと、この年代以降、優秀な人材の枯渇があったのではないかと思います。正直で勇気ある人たちがごそっとなくなったのではないでしょうか。残った人たちの中にも反政府活動を命をかけてして、辛くも生き残ったという人も多数いるとは思いますが、そんな人ばかりではなかったと思います。
フランシスコ法王の映画ーローマ法王になる日までーでは、3の立場でなんとか生き残ったフランシスコさんが生き生きと描かれています。この映画が全くの真実なのかどうかはわかりません。でも、自分の見知った風景の中の過酷な出来事は何度見ても辛い気がします。
日本人はこれを見ても自分に関係ないと思うでしょう。しかし、投票率の低さや時折聞く、徴兵制度賛成の声など、よく考えて‼️と言いたくなります。ことがマイナスに向かう時は歯止めが効かないのです。映画の中の若い時のフランシスコ法王のように身を危険に晒してきても、後悔は多いのです。どんな時も大勢に従えばある程度安穏と暮らせるとしても、それでいいのか❓と何かの声が自分に問いかけるような気がします。
香港のデモも他人事と考えるのはどうかなぁ、と思います。
とりとめのないことを書きました。
私はこの暗い時代の後、アルゼンチンに行ったのでその時を生で見ていませんが、新しい政権になってまだそれほど経ってませんでした。アルゼンチン人は外人から見るとみんな気さくておしゃれで気のいい人ばかりでした。
が、後から考えてみると❓を感じるのです。
連れていかれて二度と帰ってこなかった人々は、軍政に反対したり、そうでなくてもそのような疑いをかけられた人たちです。では、今も無事にいる人は❓
1 もともとその政権の賛同者だった
2 活動家など市民を捕まえ、売ったスパイだった
3 反政権派だったが、なんとか捕まらずに済んだ。仲間をかくまったりした
4 独裁政権は好きではないが、目をつけられたくないのでその体制に従った
5 とにかく時の権力の言うことに従った
↑こんなところでしょぅか❓私は国を憂いた人々がたくさん亡くなったことを思うと、この年代以降、優秀な人材の枯渇があったのではないかと思います。正直で勇気ある人たちがごそっとなくなったのではないでしょうか。残った人たちの中にも反政府活動を命をかけてして、辛くも生き残ったという人も多数いるとは思いますが、そんな人ばかりではなかったと思います。
フランシスコ法王の映画ーローマ法王になる日までーでは、3の立場でなんとか生き残ったフランシスコさんが生き生きと描かれています。この映画が全くの真実なのかどうかはわかりません。でも、自分の見知った風景の中の過酷な出来事は何度見ても辛い気がします。
日本人はこれを見ても自分に関係ないと思うでしょう。しかし、投票率の低さや時折聞く、徴兵制度賛成の声など、よく考えて‼️と言いたくなります。ことがマイナスに向かう時は歯止めが効かないのです。映画の中の若い時のフランシスコ法王のように身を危険に晒してきても、後悔は多いのです。どんな時も大勢に従えばある程度安穏と暮らせるとしても、それでいいのか❓と何かの声が自分に問いかけるような気がします。
香港のデモも他人事と考えるのはどうかなぁ、と思います。
とりとめのないことを書きました。
2019.11.23
ローマ法王と暗い時代{ヘミシンクピンポンパンを見て思い出したこと}
ヘミシンクピンボンバンを見ていて、ーあぁ、これは本当にフランシスコ法王を見ているーと感じたことがあります。
ローマ法王フランシスコ一世訪問NO3
虫けら以下の存在の庶民、あっけなく殺される多数の人々。殺戮、虐殺。このヘミシンクで見ているものはアフリカだということですが、私にはつい3,40年前に起こったアルゼンチンの軍政時の出来事と重なってしょうがありませんでした。フランシスコ法王の現世の友や仲間たちに実際に起こったことにも思えるのです。
日本はこんなことはないですから、みんなは想像もできないと思います。ナチや戦時中の日本を思い浮かべれば近いかもしれません。
アルゼンチンでは軍政の時代がありました。その時の支配者に睨まれるとしょっぴかれ、そのままみんなの前から永遠に消えるのです。でもそんなに前の話ではないのです。私がアルゼンチンに行っていた時はもう軍政の時代は終わっていたのですが、その時のことをよく聞かされました。軍政に賛成でない人、少しでも反対の意見を持つ人々は軍に捕まり、二度と戻ってこなかったのです。その数も多く、捕まった人々は私が聞いたところによると重石をつけられて、川や海に生きながら投げ込まれたこともあったとか。学生も多く犠牲になり、その当時知り合いや家族が行方不明者になった人も多かったとか。友達や知り合いが実は友を売る密告者だったり、拷問や処刑の残酷さも伴ってその話は相当恐ろしく感じたものです。
映画 ローマ法王になる日まで
一歩間違えれば自分もやられてしまう。そんな時をなんとか生き延びたフランシスコ法王は、拷問され虐殺されたりした多くの仲間を見てきたと思います。ご自身は生き残ったのですが、亡くなって行った仲間たちのことを思い、なんともやるせない思いはあったのではないでしょうか❓
私はローマ法王、フランシスコさんを見るたびに、アルゼンチンの恐怖政治の時の時代が頭に浮かんでしょうがありません。別に特別ひどい人やバカな国民がいたわけではないのです。普通の市民が多い普通の国がこんなひどい軍政の国になってしまったことに怖さを強く感じるのです。
日本は今は平和ですが、何かに先導されて一歩先を間違えるととんでもない恐怖政治に突入してしまうこともあるのでは❓とみんなの警戒感のなさに不安を覚えたりもするのです。
ローマ法王フランシスコ一世訪問NO3
虫けら以下の存在の庶民、あっけなく殺される多数の人々。殺戮、虐殺。このヘミシンクで見ているものはアフリカだということですが、私にはつい3,40年前に起こったアルゼンチンの軍政時の出来事と重なってしょうがありませんでした。フランシスコ法王の現世の友や仲間たちに実際に起こったことにも思えるのです。
日本はこんなことはないですから、みんなは想像もできないと思います。ナチや戦時中の日本を思い浮かべれば近いかもしれません。
アルゼンチンでは軍政の時代がありました。その時の支配者に睨まれるとしょっぴかれ、そのままみんなの前から永遠に消えるのです。でもそんなに前の話ではないのです。私がアルゼンチンに行っていた時はもう軍政の時代は終わっていたのですが、その時のことをよく聞かされました。軍政に賛成でない人、少しでも反対の意見を持つ人々は軍に捕まり、二度と戻ってこなかったのです。その数も多く、捕まった人々は私が聞いたところによると重石をつけられて、川や海に生きながら投げ込まれたこともあったとか。学生も多く犠牲になり、その当時知り合いや家族が行方不明者になった人も多かったとか。友達や知り合いが実は友を売る密告者だったり、拷問や処刑の残酷さも伴ってその話は相当恐ろしく感じたものです。
映画 ローマ法王になる日まで
一歩間違えれば自分もやられてしまう。そんな時をなんとか生き延びたフランシスコ法王は、拷問され虐殺されたりした多くの仲間を見てきたと思います。ご自身は生き残ったのですが、亡くなって行った仲間たちのことを思い、なんともやるせない思いはあったのではないでしょうか❓
私はローマ法王、フランシスコさんを見るたびに、アルゼンチンの恐怖政治の時の時代が頭に浮かんでしょうがありません。別に特別ひどい人やバカな国民がいたわけではないのです。普通の市民が多い普通の国がこんなひどい軍政の国になってしまったことに怖さを強く感じるのです。
日本は今は平和ですが、何かに先導されて一歩先を間違えるととんでもない恐怖政治に突入してしまうこともあるのでは❓とみんなの警戒感のなさに不安を覚えたりもするのです。
2019.10.27
「遠入り」から蓮舫、伊藤詩織さんを考える
ヘミシンクピンポンパンに蓮舫さんと伊藤しおりさんのことが書かれていました。ヘミシンクピンポンパンは非常に考えさせてくれる記事ばかりで面白く、記事のアップをいつも楽しみにしています。そんな記事の中でこの頃伊藤詩織さんについて書かれていました。過去記事も合わせると蓮舫さんも伊藤さんと似たような何かがありそうです。
さて、私は伊藤詩織さん、蓮舫さん、二人ともそれほど知っているわけではないですが、伊藤さんに関してはネットで身元も出身校、出身地すらわからない輩だということを目にしてから胡散臭い奴だと思っていたのです。その後、ヘミシンクピンポンパンで蓮舫さんと重なる点などを目にしてから、チラチラと頭に浮かぶイメージがあるのです。彼女らの肢体が同じように見えるのです。
うなじとか、ハイレグの足の線とか、体にぴったしのレオタードの後ろ姿とか。蓮舫さんはもう歳をとってきていますが、イメージとしてはそんな感じが出てくるのです。そこから粘りのついた吸盤のついた管が飛んでくるような...危険な奴らには違いありません。
さて、「遠入」ですが、皆さんはこの言葉を聞かれたことがあるでしょぅか❓私は随分前、学生の頃でしょうか。新田次郎の小説をいくつも読んでいました。新田次郎さんと言えば山岳関連の小説で知られていますが、実は歴史物も書かれているのです。その一つが「笛師」という小説です。維新から明治にかけて尾張藩の下級武士が武士から龍笛を作る人になり、その子孫がそれを受け継いでいくという話です。その中で「遠入り」という言葉が出てくるのです。
その下級武士はお堀下同心の家に生まれました。お堀下同心というのは普段はのんびりとしていますがいざ有事の時に秘密の出口で藩主を脱出させるという役目がありました。その秘密の出口というのは同心みんなが知っていたわけではありません。武士の間では同じ仲間でもどこかに「遠入り」がいるということを知っていたのです。ですので、お堀下同心でも秘密の脱出口は知っている同心と知らない同心といたのです。仲間でありながらどこかで誰かが敵であるとお互いに警戒していたということです。笛師になった武士は実は「遠入り」だと家督を継ぐ頃に親から聞かされたという設定になっています。

遠入りとは、その家族でさえ、素性を知らないという何代も前に尾張の家臣として藩内に入り込んだ幕府の間者なのです。(小説では幕府のスパイですが、一般的には何代も前からどこかの国に入り込む忍者だと思います)
続く
さて、私は伊藤詩織さん、蓮舫さん、二人ともそれほど知っているわけではないですが、伊藤さんに関してはネットで身元も出身校、出身地すらわからない輩だということを目にしてから胡散臭い奴だと思っていたのです。その後、ヘミシンクピンポンパンで蓮舫さんと重なる点などを目にしてから、チラチラと頭に浮かぶイメージがあるのです。彼女らの肢体が同じように見えるのです。
うなじとか、ハイレグの足の線とか、体にぴったしのレオタードの後ろ姿とか。蓮舫さんはもう歳をとってきていますが、イメージとしてはそんな感じが出てくるのです。そこから粘りのついた吸盤のついた管が飛んでくるような...危険な奴らには違いありません。
さて、「遠入」ですが、皆さんはこの言葉を聞かれたことがあるでしょぅか❓私は随分前、学生の頃でしょうか。新田次郎の小説をいくつも読んでいました。新田次郎さんと言えば山岳関連の小説で知られていますが、実は歴史物も書かれているのです。その一つが「笛師」という小説です。維新から明治にかけて尾張藩の下級武士が武士から龍笛を作る人になり、その子孫がそれを受け継いでいくという話です。その中で「遠入り」という言葉が出てくるのです。
その下級武士はお堀下同心の家に生まれました。お堀下同心というのは普段はのんびりとしていますがいざ有事の時に秘密の出口で藩主を脱出させるという役目がありました。その秘密の出口というのは同心みんなが知っていたわけではありません。武士の間では同じ仲間でもどこかに「遠入り」がいるということを知っていたのです。ですので、お堀下同心でも秘密の脱出口は知っている同心と知らない同心といたのです。仲間でありながらどこかで誰かが敵であるとお互いに警戒していたということです。笛師になった武士は実は「遠入り」だと家督を継ぐ頃に親から聞かされたという設定になっています。

遠入りとは、その家族でさえ、素性を知らないという何代も前に尾張の家臣として藩内に入り込んだ幕府の間者なのです。(小説では幕府のスパイですが、一般的には何代も前からどこかの国に入り込む忍者だと思います)
続く
2019.09.27
鍬、鋤、升とは
ヘミシンクピンポンパンの記事の中にhttps://ameblo.jp/masato356/entry-12487932237.html
鍬、鋤、升というのがあり、どうも頭に湧いて離れないのが、地鎮祭です。
家を建てる時、地鎮祭をするのですが、そのときに使うのが鍬、鋤、升なのです。
これは何らかの意味、共通性があるような気がします。初めを意味するのか❓物質界に何かを封じ込める意なのか❓なんとなく私には精神的、非物質的なものを物質化するような、また反対に非物質的なエネルギーを物質の中に封じ込めるような意味も感じますが、それだけでなく何かがあるような気がしします。
地球の初め、物質世界の初めを開き、非物質的な高次の感覚、世界を閉じ込めたような感じが鍬、鋤、升の形にあるような気がします。
鎮め物という箱、これがなんとなく怪しいです。
鍬、鋤、升というのがあり、どうも頭に湧いて離れないのが、地鎮祭です。
家を建てる時、地鎮祭をするのですが、そのときに使うのが鍬、鋤、升なのです。
これは何らかの意味、共通性があるような気がします。初めを意味するのか❓物質界に何かを封じ込める意なのか❓なんとなく私には精神的、非物質的なものを物質化するような、また反対に非物質的なエネルギーを物質の中に封じ込めるような意味も感じますが、それだけでなく何かがあるような気がしします。
地球の初め、物質世界の初めを開き、非物質的な高次の感覚、世界を閉じ込めたような感じが鍬、鋤、升の形にあるような気がします。
鎮め物という箱、これがなんとなく怪しいです。