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いまわしい記憶をわざと思い出したら。

思い出したくないし、考えたくない記憶がふっと頭に浮かんできて嫌になることがあります。こんなことは気にせずにいれば良いですが、そうはいかず困っていました。先日、そんなことを記録するという策を授けてもらいました。瞑想時に湧くとか、ぼっとしているときや本を読んでいるときなどに湧くとか、どんな時かは関係なく、私は何を思い出したくないのか❓この間不意にわきおこった記憶をたどりにその記憶たちの整理を考えました。

すると❗️これは意識してなかったのですが、昔のことで思い出したくないとか、嫌だったとかの記憶のうち、悩まされるのは、、加害者の立場に少しでも立っている場合だけでした。自分が意図的であったかどうか、巻き込まれた場合も入れてますが、自分が少なからず黒に染まっていた時のことなのです。
そして、思い出したくない嫌なことで一方的に被害者の立場の時、それはそれほど鮮明に映像も現れず、その時の思いも、全ておぼろげなのです。そしてあれほど恥ずかしい立場でやられていたにかかわらず、それを恥ずかしいとも自分は思っていないし、加害者の立場のひとたちにもなんにも感情はないのです。そういうことはあった。でも、その写真は燃えてしまい、灰しかない。そんな感じです。

記憶にとらねばわからんかった...こんな感じだったのか、わし。

これを書き出して思ったことは、
わしはこの地球にいるのだ。重力を等しく受けている生き物として、どうしても食う立場、えげつないことを思い、しでかす呪いの血をこの体の中に持っているということだ。でも、自分を律し、損しても苦しい人に手を差し伸べてしまう自分もありなのだ。悪いやつ、いいやつ、両方を自分が持っている。いけない自分を正直者の自分が責める。悪い自分を自分の中から取りきれず、善なる自分もまいる。この苦しい自分の中のせめぎ合いはいくら清廉潔白な人でも同じで、重力と光と影とその中に存在している限り、呪しい血から生まれ出る邪悪さは滅することはできないだろう。こんな地球の片隅のちっぽけな人間のささやかな濁りでもそれは大いなる純粋な悪と繋がっているのだ。

これはどうということなののだろうか。

私は旧約のヨブ記を思い出しました。
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。
ヨブ記38章31節

私はヨブ記は悲惨すぎるし、この神様、威張っていて冷酷でひどいしどうも好きではないです。しかし、このブレアデスとオリオンの一節はスピで有名です。この一節をみんなはどう言っているか、忘れちゃいました。が、なんとなくこの記憶を書いてそれを考えてみてから、プレアデスって、この地球で生きている人に流れる邪悪な血じゃあないかと思えてきました。プレアデスの鎖を結ぶ→地球人として生きている未熟で邪悪な素質を持っている私たちは、その血に鎖をかけよ。制御せよということかなぁと思っています。

次元が高くなり、地球人から卒業[肉体を脱ぎ捨てたら]したら、そのような血の縛りはなく魂の自由に身を委ねることができるけど、今の段階では、自分を痛くても正直にみて、暗い暗黒も自分だと自覚しそれを制御するのだということでしょうか。いずれにせよ、この世は光だけでも暗闇だけでもないので、自由である魂は苦しみつつも、光と自由を希求するのだとは思います。オリオンの綱を解くとは、もしかしたら、この世の世俗的な縛りを解き放ちできる限り己の魂の欲求に従えということかもしれません。

これは自分のいまわしい記憶から思った私の考えなので、これが正しいとかはわかりません。

忌まわしい記憶と記録にとること

私はちょくちょく、昔の忌まわしい出来事が脳裏に蘇り、それが止めようもなくどうしようもないのです。自分がしでかしたこともあります。また、図らずも被害として受けざるを得なかったこともあります。

罪、恥辱、苦しみ..いろんな思いと共に蘇る記憶は思い出そうとしなくても勝手にありありと出てきてしまいます。それはなかなか制御できないというのが一番の厄介なところです。スピリチュアルだと、このようなマイナスの思いは切り捨てていつも朗らか、幸せいっぱい、光の子と自分を自覚して生きよと言っています。なんかそうでないとこのアセンションの流れに脱落するような雰囲気が光にみちたすぴ世界では満ちています。

しかし...なかなか私はそうはいかず、いつまでもマイナスの過去のことが頭に出てきてしまいます。たまにパワースポットなどに行くとそこの何者かが、「もうそんなことは終わったからいいぞ」なんて言ってくれる気配はあるのですが、私の深いところでいつまでも昔のマイナスの出来事とそれにまつわる自分への鞭打ちが止みません。

どうしたらいいか。つい、このことを語ったら、まさとさんのブログに、記録に書くということが言われていました。はっ、これはいいと思いました。そこで苛まされる嫌な記憶が勝手に蘇る前に意図的に自分で思いだし、それを記録にとどめて分析しようと思い、始めかけたところ、意外な展開になりました。

無理に自分の意思で思いだし詳細にそれを文で書こうと{それは恥でもあり、とても嫌な暗闇の中に置いておきたい、辛い事柄なのです}したところ、頭からひっばり出そうとすると、そのイメージが、まるで影が光で溶けるみたいな、氷が水になり気体になり何もないかのような感じになります。そんなわけでがっちりとしたイメージがとろけてしまうのです。

変ですね。過去って形があるものと思っていましたが、過去のことから始まり、自分の思っている世界は形が本当はなく、あったことと思っていることも、自分が作り出していることかもしれないと感じました。ただ、自分の昔の恥ずべきこともなかったこととしてノーテンキに自分は光などというのは変すぎるので、もう少しこのことは追ってみようと思います。暗い隠したいことは意外と明るみに出そうと正面から向き合ってみるといいのかもと思ったりしています。

今度はふと、自然に忌まわしい記憶がありありと出てきたら、必ず記録にとりどんなか感じか、見てみたいと思っています。どっちみち、自分の暗黒や腐ったところにこそよく目を凝らさないと永久に終わらないと思っています。

本を買ってみたが、しばらくは読むのを我慢しよう

まさとさんのヘミシンクピンポンパンの記事を見たら、宮沢賢治の真実という本のことが書かれていました。それが、なんとも謎めいた銀河鉄道の夜のことなど、今までの宮沢賢治について書かれていたことからは全くわからなかったことが入念に書かれているとか‼️私は以前から銀河鉄道や作者宮沢賢治についてどうもわからないところがあったし、そこからいろんな関連することを考えていました。

これだっ❗️
今日早速、本屋に行って買ってきました。が、しばらくは読むのを我慢しようと思っています。なぜなら、書店で中身をざざっとめくったところ、瞬間的にこの本はすごいと感じつつも、中に今までの私の疑問符がついたフレーズ、言葉がいっぱいあったからです。銀河鉄道、ケンタウル祭、さそりの火、牛など...これを読んでしまうにはまだ私の中に全てのつながりが呼応しあってないのです。

うっ...みたい、読みたい。でも、今読んではダメだ。苦しさに悶えています。

土の人、土偶が出てきた漫画を思い出す

ヘミシンクピンポンパンの記事の中に土の人とか土偶とかの掲載がありました。どこにあったか忘れてしまいましたが、こ土の人についてのくだりを見た時に思い出したことがあります。

昔、小学校の頃、貸本屋で店内のスリラー、恐怖漫画をほとんどすべて読み尽くしておりました。その中に人と文明、その滅亡を描いた漫画がありました。漫画の単行本の中に何編かショートストーリーの漫画が入っているものでした。その中の一編でした。
昔の昭和四十年代、公害が多く広がった時代でした。それを反映したコンクリートの建物や工場が街を覆い尽くし人々はそれを活気があるとか言い、それぞれの人生を謳歌しています。それが何が起こったのか、この地上の全てのものが土の塊と化していくのです。人はその形のまま土の像となり、建物もその他のものも土になってしまいます。そして土の塊なので、やがて人は土の塊、柱のようになりそれもだんだん崩れていきます。

誰もいない土塊だらけの荒野で誰かが呟いています。「人は土から出て土に帰る」ーチリから生まれチリに戻るのだー
荒野を土塊からこぼれ落ちた塵を吹き上げながら、風が通っています。
半分人の形をした土の柱...全てが土の塊と化した大地。子供向けなのに妙に哲学的でありながら、恐ろしい漫画でした。
中には土偶もあったような気がします。この漫画を見たときは怖いながらも変な漫画だなぁと思いましたが、どこかで心に引っかかるものがあったらしく、フッフッと今でも思い出すのです。

子供の頃に見た漫画と何故か似ているとピンポンパンの記事を見て思い出してしまったのですが、あんな昔のそうたいしたことのない漫画とそれから何十年も先に書かれるブログ記事とどこかとても似ているのは不思議だなぁと思っています。


経営者とスピリチュアル ーヘミシンクピンポンパンを見て思い出したことー

あのスピリチュアルな経営者船井さんが、あの世では迷っているとか...
詳しくはピンボンパンをご覧いただくとして、私は昔、子供の頃に聞かされた母の話を思い出しました。

私の父は自営をしていました。古い知り合いの自営業者が倒産したとき、その様子をそっと見に行ったことがあります。そのことを母に語ったのだろうと思いますが、父からは直接聞いたことはありません。その自営業者は今までの取引先に不渡りを出し、その債権者が押し寄せてきたと言います。その時、ある新興宗教のような、道徳の会みたいなものを積極的に取り入れ、奉仕の精神を従業員に教えていた●●の社長が、どうにもならなくて倒産したかつてのお客さんである自営業者にものすごい罵詈雑言に満ちた責めを行っていたそうです。その時まではそんなに親切とか、情とかには無縁に思われていた他の業者が霞んでしまうほどだったと言います。

私はその時から、この世で一番怖いものは倒産の時の取り立てだと身に染み込んでしまいました。それから何度もその話を聞くにつれ、母の言葉が印象に残って消えません。ー●●屋の社長は道徳経を従業員を洗脳してありがたりながら目一杯働かせる奴隷にしているのだ。あいつはひどい。道徳教は経営のための道具だーそんな内容のことを言っていたのです。そのせいでどこでも売っているその●●屋の商品は私はどうも買えないと言うか、恐ろしいのです。

いつもは仏さんみたいに柔和で良いことを言って、人の道を説いていた人が、そんな人とは‼️とても恐ろしく思います。
父は世の中であれほど怖かったことはないと母に言っていたようです。子供に言ってないと言うことは口にするのも恐ろしかった光景だったのだろうと思います。スピリチュアルを経営に利用する...人食い人間に見えてしまいますが、そんな人にのこのこついていく人も多いのがこの世の幅の広さでしょう。

ローマ法王と亡くなった人々を思う

必ずしも映画とは現実は同じとは言えませんが、ーローマ法王となる日までーの中で、ベルゴリオ[後のローマ法王]さんが自分だけ生き残ったと嘆く場面があります。結び目を解くマリアとの出会いの場です。この場面は映画として名場面で見せ場なのですが、見ているとこんな私でもー今のぬるま湯の中、真剣に生きているのか❓ーなんて自分自身に問いを投げかけてしまいます。

私の外国に行った仲間も複数名、亡くなっています。しかし、私は生きて残っております。道半ばで亡くなっていった友人、知人。それらの人々を思い出すと、スピの場での美しい祈りや、教えを語る人々たちの言葉も色褪せて感じてしまいます。本当に切羽詰まったところで生きている人たちがいて、それらの現実と私はスピの場の美しい言葉や教えにはとてもギャップというか、ついていけない感覚を感じてしまうのです。

自分自身が傲慢なのかもしれません。スピも真剣にやっている人もいると思うのですが、白刃の中を回潜って生きているようなギリギリの感覚とは違うと思ってしまうのです。品行方正なスピの人々の安全な場での美しい言葉はどうも生ぬるすぎるように感じてしまいます。すいません。

ローマ法王と暗い時代{ヘミシンクピンポンパンを見て思い出したこと}2 生と死

ー海、川に沈んだ普通の人々、生き残った普通の人々ー

私はこの暗い時代の後、アルゼンチンに行ったのでその時を生で見ていませんが、新しい政権になってまだそれほど経ってませんでした。アルゼンチン人は外人から見るとみんな気さくておしゃれで気のいい人ばかりでした。
が、後から考えてみると❓を感じるのです。

連れていかれて二度と帰ってこなかった人々は、軍政に反対したり、そうでなくてもそのような疑いをかけられた人たちです。では、今も無事にいる人は❓

1 もともとその政権の賛同者だった
2 活動家など市民を捕まえ、売ったスパイだった
3 反政権派だったが、なんとか捕まらずに済んだ。仲間をかくまったりした
4 独裁政権は好きではないが、目をつけられたくないのでその体制に従った
5 とにかく時の権力の言うことに従った

↑こんなところでしょぅか❓私は国を憂いた人々がたくさん亡くなったことを思うと、この年代以降、優秀な人材の枯渇があったのではないかと思います。正直で勇気ある人たちがごそっとなくなったのではないでしょうか。残った人たちの中にも反政府活動を命をかけてして、辛くも生き残ったという人も多数いるとは思いますが、そんな人ばかりではなかったと思います。
フランシスコ法王の映画ーローマ法王になる日までーでは、3の立場でなんとか生き残ったフランシスコさんが生き生きと描かれています。この映画が全くの真実なのかどうかはわかりません。でも、自分の見知った風景の中の過酷な出来事は何度見ても辛い気がします。

日本人はこれを見ても自分に関係ないと思うでしょう。しかし、投票率の低さや時折聞く、徴兵制度賛成の声など、よく考えて‼️と言いたくなります。ことがマイナスに向かう時は歯止めが効かないのです。映画の中の若い時のフランシスコ法王のように身を危険に晒してきても、後悔は多いのです。どんな時も大勢に従えばある程度安穏と暮らせるとしても、それでいいのか❓と何かの声が自分に問いかけるような気がします。

香港のデモも他人事と考えるのはどうかなぁ、と思います。

とりとめのないことを書きました。

ローマ法王と暗い時代{ヘミシンクピンポンパンを見て思い出したこと}

ヘミシンクピンボンバンを見ていて、ーあぁ、これは本当にフランシスコ法王を見ているーと感じたことがあります。
ローマ法王フランシスコ一世訪問NO3
虫けら以下の存在の庶民、あっけなく殺される多数の人々。殺戮、虐殺。このヘミシンクで見ているものはアフリカだということですが、私にはつい3,40年前に起こったアルゼンチンの軍政時の出来事と重なってしょうがありませんでした。フランシスコ法王の現世の友や仲間たちに実際に起こったことにも思えるのです。

日本はこんなことはないですから、みんなは想像もできないと思います。ナチや戦時中の日本を思い浮かべれば近いかもしれません。
アルゼンチンでは軍政の時代がありました。その時の支配者に睨まれるとしょっぴかれ、そのままみんなの前から永遠に消えるのです。でもそんなに前の話ではないのです。私がアルゼンチンに行っていた時はもう軍政の時代は終わっていたのですが、その時のことをよく聞かされました。軍政に賛成でない人、少しでも反対の意見を持つ人々は軍に捕まり、二度と戻ってこなかったのです。その数も多く、捕まった人々は私が聞いたところによると重石をつけられて、川や海に生きながら投げ込まれたこともあったとか。学生も多く犠牲になり、その当時知り合いや家族が行方不明者になった人も多かったとか。友達や知り合いが実は友を売る密告者だったり、拷問や処刑の残酷さも伴ってその話は相当恐ろしく感じたものです。

映画 ローマ法王になる日まで

一歩間違えれば自分もやられてしまう。そんな時をなんとか生き延びたフランシスコ法王は、拷問され虐殺されたりした多くの仲間を見てきたと思います。ご自身は生き残ったのですが、亡くなって行った仲間たちのことを思い、なんともやるせない思いはあったのではないでしょうか❓

私はローマ法王、フランシスコさんを見るたびに、アルゼンチンの恐怖政治の時の時代が頭に浮かんでしょうがありません。別に特別ひどい人やバカな国民がいたわけではないのです。普通の市民が多い普通の国がこんなひどい軍政の国になってしまったことに怖さを強く感じるのです。
日本は今は平和ですが、何かに先導されて一歩先を間違えるととんでもない恐怖政治に突入してしまうこともあるのでは❓とみんなの警戒感のなさに不安を覚えたりもするのです。

「遠入り」から蓮舫、伊藤詩織さんを考える2

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「遠入り」から蓮舫、伊藤詩織さんを考える

ヘミシンクピンポンパンに蓮舫さんと伊藤しおりさんのことが書かれていました。ヘミシンクピンポンパンは非常に考えさせてくれる記事ばかりで面白く、記事のアップをいつも楽しみにしています。そんな記事の中でこの頃伊藤詩織さんについて書かれていました。過去記事も合わせると蓮舫さんも伊藤さんと似たような何かがありそうです。

さて、私は伊藤詩織さん、蓮舫さん、二人ともそれほど知っているわけではないですが、伊藤さんに関してはネットで身元も出身校、出身地すらわからない輩だということを目にしてから胡散臭い奴だと思っていたのです。その後、ヘミシンクピンポンパンで蓮舫さんと重なる点などを目にしてから、チラチラと頭に浮かぶイメージがあるのです。彼女らの肢体が同じように見えるのです。
うなじとか、ハイレグの足の線とか、体にぴったしのレオタードの後ろ姿とか。蓮舫さんはもう歳をとってきていますが、イメージとしてはそんな感じが出てくるのです。そこから粘りのついた吸盤のついた管が飛んでくるような...危険な奴らには違いありません。

さて、「遠入」ですが、皆さんはこの言葉を聞かれたことがあるでしょぅか❓私は随分前、学生の頃でしょうか。新田次郎の小説をいくつも読んでいました。新田次郎さんと言えば山岳関連の小説で知られていますが、実は歴史物も書かれているのです。その一つが「笛師」という小説です。維新から明治にかけて尾張藩の下級武士が武士から龍笛を作る人になり、その子孫がそれを受け継いでいくという話です。その中で「遠入り」という言葉が出てくるのです。

その下級武士はお堀下同心の家に生まれました。お堀下同心というのは普段はのんびりとしていますがいざ有事の時に秘密の出口で藩主を脱出させるという役目がありました。その秘密の出口というのは同心みんなが知っていたわけではありません。武士の間では同じ仲間でもどこかに「遠入り」がいるということを知っていたのです。ですので、お堀下同心でも秘密の脱出口は知っている同心と知らない同心といたのです。仲間でありながらどこかで誰かが敵であるとお互いに警戒していたということです。笛師になった武士は実は「遠入り」だと家督を継ぐ頃に親から聞かされたという設定になっています。
IMG_20180418_175419_convert_20191020144419.jpg

遠入りとは、その家族でさえ、素性を知らないという何代も前に尾張の家臣として藩内に入り込んだ幕府の間者なのです。(小説では幕府のスパイですが、一般的には何代も前からどこかの国に入り込む忍者だと思います)

続く

鍬、鋤、升とは

ヘミシンクピンポンパンの記事の中にhttps://ameblo.jp/masato356/entry-12487932237.html
鍬、鋤、升というのがあり、どうも頭に湧いて離れないのが、地鎮祭です。
家を建てる時、地鎮祭をするのですが、そのときに使うのが鍬、鋤、升なのです。

これは何らかの意味、共通性があるような気がします。初めを意味するのか❓物質界に何かを封じ込める意なのか❓なんとなく私には精神的、非物質的なものを物質化するような、また反対に非物質的なエネルギーを物質の中に封じ込めるような意味も感じますが、それだけでなく何かがあるような気がしします。

地球の初め、物質世界の初めを開き、非物質的な高次の感覚、世界を閉じ込めたような感じが鍬、鋤、升の形にあるような気がします。

鎮め物という箱、これがなんとなく怪しいです。

プロフィール

工芸美術をやっています。2017年からスペイン語の試験を受けています。が、ドンキホーテはいまだに完読できていません。握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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十二か月の着物

手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
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