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亡き人の夢を見なくなった

ミディアムのワークに出ている頃や、ヘミシンクのワークに出ている頃はたまに身内の夢を見ました。夢というより、半分現実のようなリアリティのある、触感もしっかりある夢でした。あれは夢でなく現実そのもののようなものでした。

母、父、など。その現実そのものの夢で会ったり、話をしたりしましたが、今はまるでそんなことはありません。5年ぐらい前から、スピリチュアルのワークやそのものにはあまり意識がいかなくなり、現実的なことに集中していたせいでしょうか。濃い神秘体験はご無沙汰となっています。

亡くなった人があまり出てこなくなったのはこちらが現実のことで手一杯だということと、あちらに行った身内たちもまた違う段階へ進んでこちらの世界に出てくる機会が少なくなったということかもしれません。霊能者の人に何かを聞くということも無くなりました。興味が薄くなったわけではないです。きっと前ほど死んだ人や、高次の存在に何かを聞きたいと思わなくなったせいかもしれません。

何か機会があれば、またそういうことをしてみたいとも思いますが、前のようにスピのことで出かけることはなかなかないと思います。死んだ人たちにも、たまに夢で会えたらいいぐらいの気持ちでいます。前は、なんとか亡き人の声が聞きたいと色々と霊能者を探しましたが、今はそんな気持ちはほとんどありません。多分、聞きたいことは聞いたし、満足したからだろうと思います。でも、夢に誰かが出てきてくれたらいいなぁとは思っています。

たくさん生きようとは思わない

九十代の人に言われました。「この歳になったらまだまだ、もっと生きたいと、死にたくないと思うわよ」あれから数年経ちました。私は九十になった人の気持ちはわかりません。しかし、今の私の歳でもそう生きたいという気持ちは湧いてきません。

母が六十前半で死んだので、自分ももしかしたらと思うのか、この瞬間死んだとしてもあんまり未練はないと思い、生きています。あんまり生きたいとも思わないので、九十代のそのおばあさんの言葉は本当にわかりません。
こういうのっていいのか、悪いのか❓もう少し欲望というか、生への強い思いをたぎらせねば、本当にしぶとく生き残ることは難しいのではと思ってはいるのですが、なかなかそんな思いは出てきません。

この世は面白いので、おもしろ楽しくいろんなことはやっていますが、それでもそんなにしがみつくほどのところではないとどうしても思ってしまうのです。

泡のようにその時々、面白いこと、楽しいことをやりつつ、十分にこの世を堪能する。そんなこんなで自分の人生は終わると思います。そう立派ではないですね。

堤治神社 神さまー水害除け-3

13日から14日までの雨は激しく、もう少しで危ないという線を行ったり来たりです。
激しい雨にーこれで水が出てもしょうがないわ。なるようになるだろう。と思いながらも、なんとかもってくれ。川よーなんて思いました。大事なものは二階に移動したし、水害は少しは保険が下りるし、まぁいいわー
なんて、午前2時を過ぎたら、眠いし、いいかげん疲れ果てたので、まだパソコンで河川状況をチェックしている旦那に声を掛け、寝ることとしました。

しかし、体はくたびれ果てていましたが、頭と気持ちは妙にくっきりとしており、眠れません。眠たいのに、眠りたいのに、眠れない。それでか、ふとあることを私は思いつきました。
ーはにやす姫さんに水が出ないよう、水害に遭わないよう、頼んでみようー

はにやす姫さんのことを思いつくと即座に、頭に髪がミディアムくらいのしっかりとした、凛とした巫女さんみたいな人が出てきました。
私は自分のことを頼むのも申し訳ない気が一瞬しましたが、水は❓水害は❓川は大丈夫ですか❓と続け様に水害に関わることを聞いたのです。

すると、あるビジョン、映像が出てきました。
頭からブーツまで全部白のライダーがブンブンと走るのです。白が走ったと思うと水色ライダーです。その間、一瞬遠くで赤いライダーが見えたような気がしました。が、白と水色のライダーばかり走って消えました。

なんか...水害とライダー、全然違うが。

あまりにもその映像がわからなかったので、巫女さんに聞きました。水害は、どうなのでしょう。危なくないのでしょうか❓すると、水害については何も言わなかったような気がします。
巫女さんは「この川の状態{もうすぐ溢れそうでここに住む人たちを襲ってくる}は、この国の今だ。外、中国❓からの侵入、侵略はここまできている。」
それを聞き私は「亀ですか」と聞きました。

この後はなんか色々とやりとりがあったのですが、この神様、具体的に「こうせい、ああせい」と言ってくれず、豪雨のことを聞いたのに、なんとも違う答えだぞよ。と思ったのです。
この私のカメ発言は、昔、木曽川が氾濫しそうになった時に大きなカメが身をもって水を防いでくれたという伝説があるので、カメみたいに自分も含めて本気で国を防衛しないといかんのだろうと感じました。

大体チャネリングでもこういった瞑想時でもそうですが、なかなか凡人には「これをしろ」とかはっきり言ってくれませんね。それで私は雨はなんとかもつかもしれないと思ったのです。でも、不安でしたので、今度は雨粒に頼むことにしました。「おーい。雨粒、雨粒の塊の雲よ、すっと消えてくれんか」そして、ここを避けてくれとも頼んだのですが、それで他が水浸しでは申し訳ありません。「とにかくあちこちふらついて、水害が全体的に及ばないよう頼む」と雨粒を頭の中で思い浮かべ、頼みました。

こんなことでいけるかなぁと、思いつつ、そのまま朝を迎えました。

気になるのは、川です。パソコンを開けて河川情報を見ていた旦那が、「昨日は寝る前をピークに水位は収まり、今のところは心配はないようだ」との声を聞き、やっとほっと一息つきました。

あれはなんだったのだろう。私はそれから何度か雨雲レーダーを見ていてハッとしました。
白のライダー、青のライダーって雨雲レーダーの白=降雨なし、みずいろ=降雨わずか ではなかったか。えっ。天気予報は「しばらく降る」って言っていてここは雨がよく通るとこだから危ないし、そんなことあるかなぁと少しだけ怪訝に思ったのですが、あれから、雨は降らないか、小雨かで、今日だけ、たまに5分ほど強く降ったりしましたが、ほとんど雨雲レーダーをみると白か水色、青なのです。

あれから危険な増水はないですが、まだ雨は今週末ぐらいまでは続くようですね。
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はにやすさん、強力に守ってくれたような気がします。ほんの少し前に、参ったはにやす姫神、川もみんなも守っているのだと思います。が、気になるのは、中国、外国にキリキリまで侵食されていて、もう危ないという感じのことを見せられたことです。

何をしろとも、こうせいとも言われなかったので、何をどうしたらいいのかと思います。とりあえずは眞子内親王の小室ジゴロとの結婚は反対します。

堤治神社 神さまー水害除け-2

堤治神社は、スッキリとした空気が流れた気持ちの良い神社でした。大きな銀杏の木下に立つと、梢を揺する風に気持ちが和らぐ気がしました。水害除けで行ったのにも関わらず、神社の境内を回っていたら、神社の雰囲気を楽しむのが主体になってしまいました。

いつもそうですが、参るのももっと真剣に祈ればいいのですが、いざ、手を合わせるとあんまり祈ることがないのが常で、「今。満足だ」とか...祈りではないなぁ。お盆の寺参りなんか、旦那のお父さんに旦那と手を合わせるのですが、実は「どうも」としか言ってません。こんなことは旦那には言えません。祈りのフリなのです。
神様参りも、「みんな健康でおるから、良いなぁ。そのようであるように」なんて程度で、どうも頭が空っぽでいけません。しかし、この日は明確な水害除けの目的があるため「水害がないように。なんとか、キリキリでも治ってくれるように」と祈った気がします。


帰りには、事前に調べた料理屋に寄りました。そこも清潔感がある綺麗で美味しい店でしたが、腹具合がまだいけなかったので、さっぱりしたものしか食べられなかったのが残念でした。

そして、13日、お盆の迎え日が来ました。旦那が早く早くと急かせます。朝、寺に行き、神妙な顔で「どうも」と手を合わせた後、家に帰りました。朝はまだそう雨は降ってなかったのです。しかし、夕方から雨が強くなってきて、夜寝る頃には次から次へと雨雲がこちらに来ます。

ーこれは、いかん。ー
私はバソコン関係、スペイン語の絶版になった参考書、ギターなどを二階に運び始めました。雨は強いです。雨雲レーダーを見たり、ツイッターリアルタイムを見たり。なかなか雨は過ぎるどころかエンドレスです。

続く

堤治神社 神さまー水害除け-1

こんな大雨が来るとはあまり思わなかった8/8に木曽川べりの堤治神社に行きました。旦那が何かの情報誌で見つけた神社です。我が家からはある程度距離はありますが、県内といっても三河ほど遠いわけではありません。

水害除け、水害防除の神様が祀ってあると聞けば行かずにはおれません。水害地帯に住む私たちはこの神社のことを知ってからすぐの日曜日に出かけることとしたのです。こんな神様が車で行ける距離にいるとは今まで知らなかったと思いつつも、そんな神様がいるということに驚き、そこを尋ねたのです。

木曽川中流の愛知県側にある堤治神社{ツツミハリ、またはテイジ}と言います。
行ってみたら、ちょうど夏越しの祓をやっており、私は二回も茅の輪くぐりをやってしまいました。

神様は埴安姫命です。この神様、失礼ながら、ここで初めて認識しました。と言うのは、昔住んでいたところにあった神社の御祭神もこの神様だと後でわかったので、参っていたことがあるのに自覚がなかったということがネットで色々と調べてわかりました。

ハニヤスさんは、イザナミのうんこから生まれた神様で、土の神様だそうです。神社のホームページによると、この土の神様は水害除去、堤防鎮護の力があるとか。

私は尾張に住んでから、水害というものがこの世に頻繁に起こるものだということ、一度ひどい雨が降ると、低いところ、川があるところ、それでなくても平坦な平野は水浸しになると身をもって知ったのです。家を買ってしまったから知ったので、後の祭りでしたが。夏から秋の終わりまで、雨が少しでも続くとヒヤヒヤで、貴重品を二Fに運んで、なんとか雨が過ぎると荷物を元に戻すというのが毎年のことなのです。もう、いやです。が、新しく引っ越しして住み替えるというのも金がいるのでいまだにここ、水害地帯に住んでいるのです。

そんな水害に怯え、うんざりしているわしら夫婦は、この神様のことを知り、腹が痛くても参りに行ったのです。
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行くと、大きな木が茂り、空気が澄んだいい感じの神社でした。
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茅の輪くぐりもできたし、なんと朱印帳には、水害除去なんて書いてあるし、今回の神社行きは旦那共々、大満足に終わったのですが。
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その日から数日で、今回の大雨がやってきたのです。

続く

記録に残すことは、いろんなことで恩恵があるのでは

スピリチュアルな体験を詳しく記録に残せということをまさとさんのブログではよく書かれています。これは本当にそうで、一般的なスピ体験のブログだと具体的な記録としての内容に欠け、いかにすごかったか、とか、見ていてもその感覚がどんな感じなのか、わかりにくいものが多いです。見るのも面白くないし、多分、自分がもう一度同じような体験をしたとしてもそのような粗い記録だと、何度も同じことを体験してもあまり進歩しにくいように感じます。

スピに限らず、他のことでもそうだなぁとこの頃思っています。外国語も私はなかなか伸び悩んでいて、「何度やっても覚えられない」というハードルが越えれません。どうしたものかと思っていたら、ふと、あることを思いつきました。

これって、スピの瞑想の記録を具体的に取るということと似てないか❓

瞑想の記憶は繊細で儚く、すぐ消えてしまうので、外国語学習や、動画制作のこととはだいぶその存在の脆さ加減が違うのですが、
動画を作るとき、上手く行った時の具体的な手順を記録に取る。外国語学習、購読の時、本の読み方、意味の取り方を前もって具体的な方法を頭に描くだけでなくノートに書いておき、読んでおしまいとか、見て理解しておしまいとかにせずに、できるだけ、ノートに書き、記録する。

そんなことを少しやり始めました。外国語は本を見て、わかったと思うだけではなく、具体的に何をどうわかったのか、どこをどう間違えていて、そこから出てくる自分の弱点を洗い出すなんてことができるのでは❓と思っています。
動画も、すぐに忘れてしまいがちな手順や、よかったこと、やめた方が良いと思ったことなど記録に残すと次の進みがスムーズな気がします。

忘れずに、記録は取りたいと思っています。

皇族とその他ー 一ノ谷の合戦から

重衡さんのことに考えを巡らすとどうしてもチラつくのが皇族の方々です。お能を見た頃ぐらいから、今までそう関心のなかった秋篠宮家の方々、それから遡る美智子妃のことなど、ネットで検索するようになりました。
知れば知るほどあまりにも下劣で手前勝手で冷酷で自分中心すぎるやんごとなき人々。検索するのが気持ち悪くなってしまうほどです。

これから平安末期のことに飛ぶのは唐突すぎるのですが、やっぱり、平氏滅亡も皇族である後白河法皇の策略にやられたのが決定打だったのではないかと思うようになりました。一ノ谷の結果は義経の活躍だけではなく、ご白河法皇の嘘に平氏が騙され、出撃のタイミングを遅らされたことにあるような気がします。

この人を人とも思わない法皇と秋篠宮、その他の皇族たちの姿勢はどうも似ている気がするのです。

そしてそんな人とは言えない妖怪のような血族を尊いと言って命をかけて敵味方に別れ争う普通の人々。武士たちは自分の命をそんな妖怪のために捧げてありがたいと心から思っていたのです。
それって、なんか変❓

おかしいです。今様狂いの後白河法皇、その前の女性関係の乱れ恐ろしい白河天皇。行状をみると獣といったら獣がかわいそうなほどの凄まじい方々です。それでも、誰も彼もが高貴な血筋の方々として全てをよしとし、それらの方々の前に頭を垂れるのです。これはずっとこの二千年もそうだったと思います。

私は重衡さんは高貴な血筋の皇族を敬いながらも、反対に逆賊として処刑されたことには何も未練も恨みもないと感じています。ただ、耳元でしきりに囁かれるというか、ふつふつと頭の中から湧いてくるものがあるのです。
ーそのままを見よ。先入観や聞いたこと、教えられたことを全て取り去りそのものを見よー
全ては幻ぞ。

「持っている切符をみるのだ。その大きい切符はどこまでもいける切符だろう。」

私はショッピングセンターの駐車場から出てくる時だったのですが、不意にこんな声を聞いた気がしました。それと同時に大きな畳ぐらいの切符を背に歩く私と宙に浮かぶ銀河鉄道を見た気がしました。
こんな話は脈略がなく飛びすぎています。

が、何となく銀河鉄道は時間と生まれ変わりの輪廻の輪ともかさなっている様な気がしたのです。

銀河鉄道のことはただ頭に浮かんだことなのです。
私は天皇家、とか特別の血筋とかを成り立たせているのはもちろん物質的な血というのもあると思いますが、それを崇める一般人の意識が根本ではないかと思っています。人品は獣以下なのに、皇族は尊いというのは庶民の崇めたいという願望と、ピラミッド型の社会を是とする意識があるからなのではないかと思っています。

頂点があり、裾野がある。そんな社会を是とする社会には天皇、皇族は続くと思います。が、私の切符を持っていく先にはそんなものはないのではと思うのです。
どこかで重衡さんが「信ずるな。自分で考えろ」と言っているのを聞くのです。本当に自分の足で、自分の頭で考えていくのだと、自分なのか、重衡さんなのか、ジョバンニなのか、自分が何者でもあり、でも今のこのるんるうんであるのだと感じています。

誰かが、特別であるという世界はそれがいらない人にはだんだんなくなっていくのではと思っています。

就寝前のビジョン

昨日は寝付かれなく、いろんなことを思い返していたら、ある光景が頭に浮かびました。

幌馬車に令和天皇が乗っています。天皇は先頭の幌馬車で、馬車を走らせています。すぐに彼が後ろの席に乗っている光景に変わります。この幌馬車はほこりいっぱいの土だらけの道を行くのです。同じような幌馬車が何台も続きます。非常に長い隊列です。途中から白い服の人や、黒い烏帽子を被った人も続いています。

この長い行列は地上から空へ駆け上がっていきます。長く列が見えます。列はしばらくすると大きな竜の姿となり、空の彼方へと進んでいきます。

なんだろう。半瞑想状態で、これからのことを知りたいなぁと思っていたときに、頭に沸き起こったイメージでした。なんとなく、日本人が、地球から去るということなのかなぁと思いましたが、わかりません。空を駆け登る龍はいい姿形でした。

Tから思い出したー4

Tのつく主人公は他にもあります。これも私がよく読んでいた作家さんです。宮本輝さんです。泥の川、螢川、道頓堀川の川三部作が有名です。学生時代、何度も読み返しました。

泥の川、螢川、道頓堀川、この中の螢川は芥川賞受賞作です。

hontoの解説によると
【芥川賞(78(1977下半期))】父が脳溢血で倒れた。14歳の竜夫は父の旧友に金を借りに行く。そんな竜夫の楽しみは、ほのかに思いを寄せる英子と螢の大群を見に行くことで…。季節が移ろいゆく富山を舞台に描いた表題作のほか、「泥の河」も収録。【「TRC MARC」の商品解説】

春から夏へと移ろいゆく富山の自然を背景に、父親の死や友の事故、淡い初恋を通じて成長していく14歳・竜夫の思春期を鮮やかに描いた芥川賞受賞作。蛍の大群が織りなす妖光の中に竜夫が見たものとは


螢川の主人公は周りの人の死をいくつも身近に見ます。死と生、宮本輝氏の小説では生きること、死ぬこと、生老病死の輪の中で、もがきつつ生きる人たちが泡のように登場します。その泡が小さくも、きらめきながら海の底から静かに浮かび上がり、消えていく。そんなイメージが頭に浮かびます。そんな儚げでも美しい作品が、私は好きでした。

このホタル川の主人公は竜夫、Tです。作家さんも輝で、Tです。

これらのTも欲はあまりなく、苦労は多く、儚げです。威張ったりする感じはありません。現実のTとは全く違います。

そして、番外編で、
銀河鉄道999
主人公は 鉄郎です。鉄郎も苦労人ですね。

今まで出てきた人って てつ、てる...てが付く人多いです。

Tから思い出したー3

私は25を過ぎて外国で暮らすまで、本をよく読んでいました。いろんな作家を読んでいました。その中で好きなものは三浦哲郎の 忍ぶ川 です。
どうしようもない暗い運命を背負った主人公の純愛物語です。この作品は芥川賞受賞作ですが、今の文学賞における話題をさらうとか、煌びやかな若手作家像とは程遠い、苦労人の受賞者です。抜粋します。

BOOKより
兄姉は自殺・失踪し、暗い血の流れに戦きながらも、強いてたくましく生き抜こうとする大学生の“私”が小料理屋につとめる哀しい宿命の娘志乃にめぐり遭い、いたましい過去を労りあって結ばれる純愛の譜『忍ぶ川』。 読むたびに心の中を清冽な水が流れるような甘美な流露感をたたえた名作である。

この主人公は哲郎、作家さんも哲郎。私小説とも言えるものです。
私がこの作品が好きなのは、世の中の塵や泡ぶくのような人間が非常に苦しい悲しい境遇にありながらも、それなりに生きている。悲しみ、苦しみははあるのだけど、その中で悩みながらも真摯に生きる姿が爽やかな風を吹きかけてくれるような清涼感と美しさがあり、何度も読んでしまったのです。

この作品で何度も読んだシーンは主人公のお姉さんが津軽海峡を行く連絡船から身を投げたというくだりです。イルカが泳ぐ津軽海峡にお姉さんが飛び込み、もう帰ってこなかった...
あまりにも悲しすぎるのが、自分の気持ちにピッタリとし過ぎたのかもしれません。悲しいけど、吹っ切れないけどそれでもどこかケセラセラと全てを捨てることができるような気持ちがこの作品にあったのかもしれません。それが悲しいけど明るい、重いけど軽やかな作品になっていたのかもしれません。

この作家さんは生と死に感する作品が他にもあり、子供向けの ユタと不思議な仲間たち も書いています。

私の現実生活に出てきているTさんは全く反対で、物質的で、人を支配し成功をおさめ、煌びやかな表舞台に立ちたいし、立っている人も多いです。しかし、この作品の哲郎は兄妹が自殺、失踪、その他不幸のオンパレード。そう目立つようなすごい人でもありません。Tとはいえ、正反対の生き方なのです。

生きることに苦悩する市井の人。連続ドラマには出てこないタイプの人です。でも、この純愛ストーリーがウケたのか、映画化もされているようです。多分、見ると心洗われるストーリーだからなのでしょう。

Tから思い出したー2

杜子春以外の小説の主人公について書く前に、前の記事のコメントと関連したTのことを書きます。身内が恐るべきTを連れてくるって、他のおうちでもあるのだと知り、びっくりしたところで、母方の家も同じだということを思い出しました。

母の実家は母の長兄が後を継ぎました。その配偶者、母や長兄以外の兄弟にとっての義理の姉に当たる人が超弩級のきついひどい人で、縁者はそのすごさに嘆いていました。ケチで犬に茶殻を食べさせていたこともあります。ただ、犬もさるもので元気でした。とても支配的で頭の良さを誇っていたその兄嫁に私の伯父、伯母さんたちも何ひとつ逆らえなかったようです。私は複数の親戚が嫌がっていたのをよく子供の頃聞きました。そして、ある時質問したのです。
「なんでそんなものすごい人をわざわざ選んだのか❓誰が連れてきたのか❓」
すると
「おばあさんが連れてきて決めたのだ」
「えっ」

おばあさんは母の兄嫁さんのことを色々と愚痴り、嫌な目に遭っている一番の人なのに、なんとそおばあさん本人が、自分を苛む人を選んで連れてきたとは‼️
私は子供ながら、何もコメントできず、そのことについてはおじさんおばさんたちも誰一人コメントを言わない、言えなかったことを覚えています。

自分を苦しめ、害するものをわざわざ自分自身が連れてくるとは‼️なんということでしょうか。その人、母の義理の姉もTという名前だったので、Tという名前の人は私は昔から警戒しているのです。本当に強烈なのですよ。

続く

Tから思い出したー1

ヘミシンクピンポンパンに、「Tという人は小説にあまり出ていない。Kは出ているのだが」なんてことが書かれていました。そうです。私も実際にはTという人たちには嫌な目にあったりしているので、Kの極悪版と思っています。

そんなことを考えながら、昔の実家周りの人たちのことを思い出したら、なんと実家の母を散々苦しめた隣人もTであったことに気づきました。実家の立っている場所は昔住む人もいない寂しいところだったので、寂しかろうと、父の父、祖父が隣に住む人を探して住まわせたのですが、それがとてつもない人でTという人でした。母はこの人に生涯苦しめられました。祖父がわざわざ連れてきた人が最悪だったなんて、リコール運動の田中みたいですが、こんなこともあるのですね。

このTは嫉妬や妬みがひどいいいとこなしの人に見えました。こんな人が文学にいるのだろうか❓そんなことをつらつらと考えていたら、ある文学作品でTという人がいることに気づきました。
T...
実際のその辺にいるTに酷い目に遭っていたら、どんなひどいやつだろうと御構えてしまうのですが、違うのです。
文学に出てくるTは全く違うキャラでした。しかも自分が若い頃好きで何度も読んだ小説に軒並み登場していたのに気づきました。

まずは芥川龍之介の杜子春です。私は芥川龍之介と中島敦は大好きで全集も買ったし、ほとんどの作品を読んでいます。杜子春...子供の童話みたいな内容です。この人、凡人でバカであんまり運も良くないです。でも、あんまり根性もない凡人が仙人になるため頑張ります。なのに、親がひどい目にあっても自分のことを気にかけていることを目にすると叫んでしまいます。声を出すと全ての努力が水の泡となることを知りながら、声を出してしまうのです。私は杜子春が頑張りも成果も捨てて「お母さん」というところが好きで、歳をとってもそこばかり読んでしまいます。

そしてTの出る小説について、もしかして私の好きな何度も読んでいた、いくつかの小説の主人公ってTって名前なのでは❓と唐突に思ったのです。

続く

薄紙を剥ぐように、何度もー忌まわしい記憶

忌まわしい記憶と、お能を見ての気づき。記録をとるということをしてから、ハッとするようなことがありました。ただそれで全くそれがなくなったわけではありません。

そこで今までのその記憶の濃さを考えてみることとしました。幸いにもこのブログに少しは記録があります。一つはも三峯神社に行った時、土産物屋が並ぶ参道を歩いている時です。何者かに「お前のせいではない。誇れ云々」なんて言われました。そこで何かが剥がれ落ちたような気がしました。
しかし、自分は被害を受ける立場でもあり、広くとれば被害を与える立場でもあったのが、まだどうしても忘れられないのです。

三峰でいわば赦しのような言葉をもらいましたが、完全には拭いされず、自分を情けなく思うような気持ちがまだありました。しかし、その出来事は薄くなったのは確かです。

そして、今回、そのことを記録にとり、数日後、お能を見学して重衡さんのことに思いをはせたところ、またも「恥ではない」などと言われました。これは自分の中の声だと言われればそれまでですが、今回のお能で、昔の忌まわしいことがもう一段、薄く、煙のようになってきたような気がします。

が、まだ、何かがあります。ここまでくるとその出来事そのものは消え失せ、それを感じている自分の感情そのものが痛い形でそのまま残っているのかもしれません。
忌まわしい出来事というものはそのもの、そのままの記憶とそれを受けた自分自身の感情が結びついてコンクリート像みたいになっているのかもしれません。そのこと自体の記憶はなぜか、いろんなことにより煙のように消え失せることがあるのだと思います。しかし、それと結びついたその時の感情と、それを是としない自分自身が、なかなかOKを言えないことがいつまでも苦しめられる因のひとつだと思います。

以上のことも記録にとり、曖昧にせず、策を考えたいと思っています。薄紙を剥ぐようにとにかく過去の嫌な出来事は薄まってきました。が、まだまだなのです。こんなことは自分の中の自分のことなので、すごい霊能者や先生に生き方を聞いても答えは出ません。大体、こんな経験をしてない人にそんな教えを垂れることができるのかは疑問です。

自分の中でできるだけ客観視し、自分で何かを放し、何かを掴むまでやはり記録にとったりすることは気づきを得る上で有益だと思っています。自分の中を探る旅は続いています。

忌まわしい記憶は煙の如く

お能の「千手」。それを見てから全く関係のない自分の忌まわしい記憶が前と違ってきています。あの忌まわしい記憶に関するいろんな場面のひとつひとつが全くなくなるわけではありません。ふっと一場面が浮かんでくることがあります。その時、やはり、今までのように隠したいような、自分を叱責したいような気持ちも出ないわけではありません。

何か、あることがあったからといって全く違う状態になるわけではないのです。

しかし、その情景が出た時、まだ残っている自分へのマイナスの感情が出てくると同時に、一つの物語を外から客観的に自分が見ている感じもあるのです。その見ている自分は、それほど厳しくなく、なぜか、それと同時に自分の今までやってきた複数のきっと誰でもあまりやらないであろう行為を同時に見ているのです。それは、バカといえば馬鹿ですが、自分に全く得もないのに他人のために骨を折ったことの数々でした。そのために職も捨てることとなったり、散々なことがあったなぁと思い出したり。またそれほどのことをしたのに全く感謝もなく、こちらを軽蔑し利用しようとした人もいたなんて、思い出したのです。

もっと自分という人間に対してトータルで見よということかなぁ。なんて思いつつ、相変わらず忌まわしい出来事も頭に浮かびそうになります。しかし、そんな交錯した思いと同時にあの出来事から煙が出てだんだんそのこと自体が薄く存在感がなくなってきている感じもするのです。忌まわしいるんるうんの物語という本があるとしたら、それを入れてある箱があって、それを開けてみたら煙が立ち上り、その本が煙と化してだんだんなくなっていく。そんな雰囲気でしょうか❓

この頃は自分を責める気持ちより、そのこと自体から煙が上がって、輪郭も定かでなくなっていくような気がします。

また、お能の話に戻りますが、重衡さんに対して同情したり、丁寧に接してくれたりした人たちがいたのだと思うと、非常に満足した満ち足りた気分になります。落ち目の人に対して手のひらを返す人ばかりでなく、人間らしく接してくれる人もいたのだと思うと、少しだけほっとする気分になるのです。

雨が降るー重衡追想

お能を見に行ったその晩、目が冴えてなかなか寝つかれません。目を閉じると周りが緑で5月か6月の新緑に囲まれています。すこし薄暗い中、しとしととした雨の向こうに緑が霞んでいます。

「恥ではない。恥ではないのだ。」こんな声が自分の中から出ています。私はこの眠れない間、昔の武士の潔さに思いを馳せていたのです。この頃あまりにも秋篠宮家の人々の醜さ、えげつなさをUチューブなどで見すぎたせいか、そのおぞましさにヘキヘキとしていたので、その反対の昔の武士の執着のなさ、清廉さに惹かれていたのかも知れません。

お能の「千手」。それは何も舞台道具もなく、言葉もよくわからなかったです。でも、五月雨が降る中、本当に若い二十歳くらいの女の子と貴公子がいるのが実感としてわかるのです。
恥ではない❓昔は自害もできず捕まるのは武士としては最大級の恥なのでは❓この人は官位も高く武士なのだから、捕まって鎌倉くんだりまで連れて行かれたなんて、さぞかし恥を感じ、いたたまれなかったのでは❓
私は緑の中、降り頻る雨を感じながらそんなことを思いました。こんな状態だと想像するのが辛いくらいだ。武士にとって生捕されるとは最大級の恥辱なのだ。たまらんなぁ。

しかし、私の中で恥ではない。また重衡が恥ではないと言っているような気がしたのです。
あっ。笛、琵琶。私は自分がやっていた管弦を思い出しました。この人も龍笛をやっていたのかも...私はふと思いました。
「状況が如何ともしなかったのだ。運命のような流れのようなものだ。」重衡が言っているような気がします。多分、自害もできない状況になったのだろう。捕まって処刑されるのは恥だが、それを悄々と受け入れ、死んでいった重衡...

その時です。私は自分が恥だと思っているある出来事を思い出したのです。
でも、どこかで聞こえます。「恥ではない」自分なのか重衡なのか、誰が言っているのかもう分かりません。その出来事自体は恥と言っていいです。それは、自分ではなんともできない状況、時であったのだ。その中で、あがき、なんとか、それ以上の愚行の中から這い出るだけでした...人に言えるようなことではないです。でも、あの状況、あの時、それをどうすれば全く無縁でいられたか。私の立場上それは無理でした。図らずも恥となるようなことに足を取られたけど、あれはどうともならなかったし、自分が起こそうとして起こしたことではない。仕方なかったのだ...それが恥であるとは思わなくてもいいのでは❓

私の恥辱的なある出来事は、何かあるたびにふっふっと頭をよぎり抜け切りません。
が、新緑の五月雨の中、「恥ではない」という声に、息が止まるような感覚を受けたのです。

源平の時代と昭和、平成の私の時代はまるで違います。そして重衡が生きて捕まったことと、私があることに半分絡め取られたことはまるで違います。でもどちらも、恥ずべきことだし、当事者なら己の不甲斐なさについて、忘れたくても忘れられないようなことだと思います。

時代背景も何もかも違うが、なぜか同じような気持ちを感じる...
もしかしてこの重衡さんって、捕まったのは自分の失態でなく、何か家臣がらみのことがあったのでは❓
そう思い、ウィキで調べたら、重衡が捕まったのは一ノ谷の合戦の時、信頼していた家臣であり、乳母の子である後藤盛長に裏切られたことによるとか。

やっぱりか‼️

私は過去生で武士であり、家来の裏切りで敵に捕まり、死んだということを言われたことがあります。このことで重衡が自分だとかなんだとかは全く別の話です。が、共感というか、このお能を見てから、薄暗い春の雨の中、雨にけぶる新緑を開け放たれた、どこかの居館の一室から外を見ながら、思っている。そんな情景が頭の中にずっとあり、それとともに「恥ではない」という思いが消えないのです。

もう、重衡の不幸も自分の恥と思い拭いされなかった過去も、一つの誰かの物語として完結し、何もなくなりつつあるような気がします。お能の「千手」はあのお香の匂いとともに自分の中にあり、自分の不甲斐ない物語まで、焚き上げ、昇華してくれているような。不思議で、優雅ですけど悲しい話でした。

こムロさんを霊視動画、見つけました

小室さんをお母さんが操っているのではなく、
お母さんが小室さんのパシリだったのか

皇室の行方

偶然、これらの2本のユーチューブを見つけました。聞いているとなるほどと納得できます。
ただ、なんでも全て信じるのはまずいと思います。この霊能者さん、高須先生をベタ褒めです。うーん、高須先生の暗黒で、弱いところや、気位がめちゃくちゃ高く、庶民を屁とも思ってないところは見えてないです。霊能者さんのいうことも全て信じてはいけないと思います。大魔王、コムロのことはなるほどと思えますが‼️

つくづく良かったと感じていること

昔、ひどい団体に関わっていたことがあります。そこではその団体にお仲間を連れてくることが必須でした。お仲間を連れてそこに引き入れるとそこでは素晴らしい人として評価され、そこでの立場も来世の立場も非常に良いということでした。

私は同級生に誘われてそこにしばらくいたのですが、そこで御多分にもれず新しい人を連れてくるように、活動を強制されました。私はそれでそこの考えがまだ否定できらず、また肯定も100パーセントできなかったので、そのようなことをするのに非常に悩みました。周りの人たちはそこの考えを完全に良いものと思っていたので積極的に勧誘活動をしていたのですが、私はそこでは志の低いやつと見られていたように、そんなに積極的にはとてもできなかったのです。

ある程度そこの考えに納得していたのですが、全てではなく疑いもあり、みんなのように100パーセントではありませんでした。そこで、私は低いやつの行動そのものをしました。わざと勧誘はしなかったのです。勧誘のふりだけで誰もそこに引き入れることはやめていたのです。

わたしは自分自身でその団体の考えに疑いもあるし納得できないこともあるました。もう、これ以外の選択はありませんでした。
ーもしかこのような団体に他人を引き入れ、それが間違いだとしたら、その人の一生どころか、魂の続く限りひどい世界に引き入れてしまう。そのような事態になった時責任は取れるか❓あとであれは間違いだったとなったら、その人に対して何をしても償うことはできないだろう。ー

結局私は自分で決断しそこを去ったのです。その後、そこの団体の悪評を聞くにつれ、思うのです。
良かった と。
自分が少なからずあのような危険な団体にいたことは損失です。が、他人を引き込まなくて良かったとつくづく思っています。時々思うのですが、あの時積極的に活動をし、人もたくさん勧誘した人たち。その後間違いに気づいた人もいるでしょう。そんな時、自分が引き入れた人に対してどう思うのでしょぅか。私はそれを考えるとホッとするだけで、その先を考えるのは恐ろしすぎて考えられません。自分の人生、いろんなことがあり、やっとのところでセーフということもありましたが、この人を引き込まなかったということは本当に良かったことだと思っています。

いまわしい記憶をわざと思い出したら。

思い出したくないし、考えたくない記憶がふっと頭に浮かんできて嫌になることがあります。こんなことは気にせずにいれば良いですが、そうはいかず困っていました。先日、そんなことを記録するという策を授けてもらいました。瞑想時に湧くとか、ぼっとしているときや本を読んでいるときなどに湧くとか、どんな時かは関係なく、私は何を思い出したくないのか❓この間不意にわきおこった記憶をたどりにその記憶たちの整理を考えました。

すると❗️これは意識してなかったのですが、昔のことで思い出したくないとか、嫌だったとかの記憶のうち、悩まされるのは、、加害者の立場に少しでも立っている場合だけでした。自分が意図的であったかどうか、巻き込まれた場合も入れてますが、自分が少なからず黒に染まっていた時のことなのです。
そして、思い出したくない嫌なことで一方的に被害者の立場の時、それはそれほど鮮明に映像も現れず、その時の思いも、全ておぼろげなのです。そしてあれほど恥ずかしい立場でやられていたにかかわらず、それを恥ずかしいとも自分は思っていないし、加害者の立場のひとたちにもなんにも感情はないのです。そういうことはあった。でも、その写真は燃えてしまい、灰しかない。そんな感じです。

記憶にとらねばわからんかった...こんな感じだったのか、わし。

これを書き出して思ったことは、
わしはこの地球にいるのだ。重力を等しく受けている生き物として、どうしても食う立場、えげつないことを思い、しでかす呪いの血をこの体の中に持っているということだ。でも、自分を律し、損しても苦しい人に手を差し伸べてしまう自分もありなのだ。悪いやつ、いいやつ、両方を自分が持っている。いけない自分を正直者の自分が責める。悪い自分を自分の中から取りきれず、善なる自分もまいる。この苦しい自分の中のせめぎ合いはいくら清廉潔白な人でも同じで、重力と光と影とその中に存在している限り、呪しい血から生まれ出る邪悪さは滅することはできないだろう。こんな地球の片隅のちっぽけな人間のささやかな濁りでもそれは大いなる純粋な悪と繋がっているのだ。

これはどうということなののだろうか。

私は旧約のヨブ記を思い出しました。
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるか。オリオンの綱を解くことができるか。
ヨブ記38章31節

私はヨブ記は悲惨すぎるし、この神様、威張っていて冷酷でひどいしどうも好きではないです。しかし、このブレアデスとオリオンの一節はスピで有名です。この一節をみんなはどう言っているか、忘れちゃいました。が、なんとなくこの記憶を書いてそれを考えてみてから、プレアデスって、この地球で生きている人に流れる邪悪な血じゃあないかと思えてきました。プレアデスの鎖を結ぶ→地球人として生きている未熟で邪悪な素質を持っている私たちは、その血に鎖をかけよ。制御せよということかなぁと思っています。

次元が高くなり、地球人から卒業[肉体を脱ぎ捨てたら]したら、そのような血の縛りはなく魂の自由に身を委ねることができるけど、今の段階では、自分を痛くても正直にみて、暗い暗黒も自分だと自覚しそれを制御するのだということでしょうか。いずれにせよ、この世は光だけでも暗闇だけでもないので、自由である魂は苦しみつつも、光と自由を希求するのだとは思います。オリオンの綱を解くとは、もしかしたら、この世の世俗的な縛りを解き放ちできる限り己の魂の欲求に従えということかもしれません。

これは自分のいまわしい記憶から思った私の考えなので、これが正しいとかはわかりません。

忌まわしい記憶と記録にとること

私はちょくちょく、昔の忌まわしい出来事が脳裏に蘇り、それが止めようもなくどうしようもないのです。自分がしでかしたこともあります。また、図らずも被害として受けざるを得なかったこともあります。

罪、恥辱、苦しみ..いろんな思いと共に蘇る記憶は思い出そうとしなくても勝手にありありと出てきてしまいます。それはなかなか制御できないというのが一番の厄介なところです。スピリチュアルだと、このようなマイナスの思いは切り捨てていつも朗らか、幸せいっぱい、光の子と自分を自覚して生きよと言っています。なんかそうでないとこのアセンションの流れに脱落するような雰囲気が光にみちたすぴ世界では満ちています。

しかし...なかなか私はそうはいかず、いつまでもマイナスの過去のことが頭に出てきてしまいます。たまにパワースポットなどに行くとそこの何者かが、「もうそんなことは終わったからいいぞ」なんて言ってくれる気配はあるのですが、私の深いところでいつまでも昔のマイナスの出来事とそれにまつわる自分への鞭打ちが止みません。

どうしたらいいか。つい、このことを語ったら、まさとさんのブログに、記録に書くということが言われていました。はっ、これはいいと思いました。そこで苛まされる嫌な記憶が勝手に蘇る前に意図的に自分で思いだし、それを記録にとどめて分析しようと思い、始めかけたところ、意外な展開になりました。

無理に自分の意思で思いだし詳細にそれを文で書こうと{それは恥でもあり、とても嫌な暗闇の中に置いておきたい、辛い事柄なのです}したところ、頭からひっばり出そうとすると、そのイメージが、まるで影が光で溶けるみたいな、氷が水になり気体になり何もないかのような感じになります。そんなわけでがっちりとしたイメージがとろけてしまうのです。

変ですね。過去って形があるものと思っていましたが、過去のことから始まり、自分の思っている世界は形が本当はなく、あったことと思っていることも、自分が作り出していることかもしれないと感じました。ただ、自分の昔の恥ずべきこともなかったこととしてノーテンキに自分は光などというのは変すぎるので、もう少しこのことは追ってみようと思います。暗い隠したいことは意外と明るみに出そうと正面から向き合ってみるといいのかもと思ったりしています。

今度はふと、自然に忌まわしい記憶がありありと出てきたら、必ず記録にとりどんなか感じか、見てみたいと思っています。どっちみち、自分の暗黒や腐ったところにこそよく目を凝らさないと永久に終わらないと思っています。

マッサージ中にみたビジョン

今日はマッサージをしてもらいました。蒸気で蒸したり、熱いタオルをあてたり、皮膚に良い化粧水みたいなのを塗ったり...気持ちよくやってもらっているうちにいくつもビジョンを見ました。

上からです。森や地面があり、その中にエメラルドグリーンの泉が見えました。綺麗な緑です。これを見ているうち、私はこれが好きだったのだと思いました。
これって、セノーテ❓マヤ、アステカの泉だったかな❓そんなことを思いつつも夢見心地でいたら、「ここに来たいと思い、来たあんた、好きだ」なんて声がしたような。続けざまに、わしはあんた、あんたはわし。私は君、君は私...
こんなのが続きます。手をお互いに合わせて鏡みたいです。

この前後、帽子をかぶった小さいひとが出てきました。リボンの騎士に出てきたチンクに似ています。小さいです。取り止めもない内容が頭に浮かびます。

そして、手を合わせたわしであるあんた、あんたであるわしが過去の私が高校を自分で決めていくことにしたことを、「好きだ」と言います。人生で一番初めの自分で決断し実行するということは高校受験でした。不安、反対、孤独はあるけれど新世界に賭けたのです。
君は私、私は君...合わせ鏡に手を合わせ、私も君も一つであったのか...たかが高校受験ですが、一つの人生の山を超えたのだと思います。なんか訳が分からなくなりました。

過去生の話

過去生の話は好きですが、あんまり感じることも自覚もないです。昔はいろんな霊能者に見てもらいましたが、それで聞いたからそうかなぁと思うくらいで、実感としてはあまりないです。
この間、子供が家に久々に帰ってきてそんな過去生の話をしました。子供も興味はあるが、何も感じたり心当たりはないそうです。そこでよく言われる心惹かれるものとか、場所とか、物事、得意なことなどは何か❓考えてみました。

強烈に惹かれるところはないです。物事もないし、得意なこともそれほどありません。子供もそうで、何も心当たりはないとのことです。わしら、何だったんだ。

しかし、今日風呂に入ってちょっと思い当たることがありました。
私は「いくぞ。野郎ども」などと言って危険もあるものごとなどに挑むことが好きなのです。見知らぬ土地に危険かもしれない航海をしていくとか。団体行動は嫌いなのですが、突撃とか好きなような気がします。過去生は馬鹿だったのかもしれません。過去生は繰り返すと言います。だから今も馬鹿者なのでしょう。小さい時もわざと危険なことをして、母に怒られ呆れられました。

しかし、体力も力もないので何もできないのです。事務能力もないし、かと言って接客が上手いわけでもない。今の私の人生からすると冴え渡った過去生は想像できません。過去生は消化して、何も残ってないのかもしれませんね。でも、未来の私からすると今の私は一つの過去生なのです。あんまりパッとしない凡人の人生ですが、今回の人生は自分では意外と濃く感じるのではと思っています。しみじみ思うのは、こんな私のような微妙な人間は今の日本で、実家もそこそこ恵まれていた家だからこそ、この年まで生き延びることができたのだと思います。そうすると、このシチュエーションを私はよく計算して生まれてきたのかもしれません。

しかし、もういいなぁ。充分満足です。この世は味わい尽くしたという思いが湧いて来ます。
今世も、私は自分の好きなように、生きます。が、この濁世で生きるのはこれで終了です。



変な感覚

去年、その前ぐらいから、変な感覚があります。自分が薄くなるような広がるような感覚。何と言ったらいいのか❓体ではなく、体に存在する自分が薄いという感じです。でもよくあるグランディングできないというフワフワした感じではないのです。私は特に霊媒体質でもないのでそう言ったスピリチュアル 的な体質でどうかなっているのではないと思います。

体から魂が出ている感じでもなく、体と、周り世界の境がなくなるような感じとでも言ったら良いでしょうか。変な感じです。なんか違和感があるので、たまに「わしはわし、ここにおる。ある」なんて自分に言っています。これも波があるみたいで、しばらく続いていて、この2月には治っています。
 
これは何なのか、分かりませんが、肉体と一致した自分と肉体と感覚はあるけれど、どこか別に広がった意識があってそこにも自分がいるような感じなのかもしれません。何だろう。こういうこともあるさとあんまり気にしないことにしています。

これから先は...

一週間ほど前に、瞑想でこれから先のことをハイヤーセルフに聞いてみました。←と思います。すぐに詳しくメモに書き留めてなかったので本当は何について誰に問うたのかもあやふやです。今読むとあまりにも断片すぎて何のことやらわかりません。
はち丸が出てきたようで、希望と書いてあります。あとは銀河、右の建物、自分を信用する。過去生の知恵、優秀、技術。と書いてあり、意味はさっぱりです。最後に激動の世界の準備、目玉親父となっており、終わりです。

何だこれは❗️

多分、この頃の世があまりにも混沌としていて自分ながら何をどうしていいのかわからなくなっているので、どうしたもんかと考えてその答えのヒントでもと瞑想したのだと思います。

はち丸が出てきたことが全てかな。はち丸はかなえぼしを背負っているので、それをうまく使えということかな。何だかわけがわかりませんが、書き留めておくこととします。

どこか違う感覚、中学時代にワープか

今年になってからか、去年末か、ダイニングキッチンのドアを開けようとしたところ、変な気持ち悪い感覚が‼️

手をダイニングキッチンのドアにかけて開けかけた途端。自分が中学の時の自分になっていて、同じように実家のダイニングキッチンの出口の扉に手をかけて出ようとしている感覚になったのです。服や場所は今の家なのですが、意識は中学頃の私でした。中学の私が出口のないような重い苦しい感覚を持っているのを現在の自分が「えっこんなに背負っていたのか」なんてびっくりしつつ、その中学の自分は自分の将来など全く見えてなく、子供までいるなんて想像もついてないようでした。

中学の意識にすっとうつると、子供とかの記憶も何もなくなり、瞬間的に今の自分に戻るとなぜ中学の時の自分が重なるのか❓とくらくらしたりして。それも本当に一瞬もないぐらいのことでしたが、気持ち悪く「どうしちゃったんだ自分」と自分は歳をとっていて子供は〇〇で、なんて改めて思い出そうとしていたり。

このことは気にはなりましたが、忘れることとしていました。すると1/10にあることが起こりました。旦那と毎日アニメを見ているのですが、そのアニメが次が何話か、旦那に聞かれ、「あぁ...何それわからん」となってしまいました。私は記憶力が良くないので、アニメもいくつか続けて見ているとどれがどの回だったか忘れてしまいます。が、なぜかスペイン語で覚えておくと忘れないのです。それは駐車場の番号でもそうなので、数字や色を覚えておくにはスペイン語で記憶するのです。それで一度も忘れたことはないのですが、聞かれて「❓」となってしまいました。その上、この世の周りが記憶にないような感じになったのです。その時にキッチンの薬缶とか、ガスレンジとか、他人のもののようなよそよそしい感じが一瞬ありました。慌ててここは自分の家で、猫と旦那がおり、今はアニメの続きを見ようとしている。なんてことを強いて自分に言い聞かせていました。

変です。気持ち悪いです。

頭の病気か❓これは違うと思います。自分がここにいながらここの浮世の人ではないような、違う次元があるなら重なった違うところにいるような感じと言ったら良いでしょうか❓

おかしい。どうしちゃったんだ、わし。気持ち悪いながらも周りの空気その場に意識を注ぐように集中しました。くらっとふわふわとする変な感じは次の日には治りました。

今っていろんな次元の交差路にいるのでしょうか。時を遡ったり、進んだりすること。複数の次元をまたぐとき、記憶がおかしくなるような気がするのですが、私は今まで夢うつつで未来に行って何かを見たりすることはあったのですが、過去に行ったことはなかったのです。それなのにどうしちゃったのでしょうか。

現在の家のドアを開けかけたら過去の実家のドアを開けかけている自分にもなっていたというのは気持ち悪いです。

土星と木星のスタートの足のはやさ

去年、わしさま占星術で土星と木星の相撲の話をしました。木星の位置は現在非常に悪く、土星は強い。悪い状態の木星は不正や腐敗を表し、恥晒しといった意味合いもあります。土星は秩序を重んじ処罰や破壊も表します。このことから腐敗に満ちた売電候補は敗れ、トランプさんが勝つと私は思ったのですが、そうはいかず、あまりにも大きな不正が罷り通り、トランプが全てにおいて敗れるという事態になっています。

うーん。なぜか。

わからん。先は真っ暗なのか。

ただ一つ救いは土星の足は遅く、木星は速いということです。初めは木星の力が強いですが、だんだん土星の力が強くなるということです。ここまできて、トランプの巻き返しがなるのか、それとも、世界を巻き込んだ、世直し。全てが終わるような惨事が起き、古い世界が破壊される幕開けとなるのか。このままだと厳しい時代が来そうです。

ただ、大掃除は必要なので、全世界の人が洗濯機のなかで揉まれるようなことになるのか、膿のような極悪国家とその取り巻きを中心に激震が走るのかはわかりませんが、土星、そして冥王星はこのままでは済ませない気配を感じます。

銀河鉄道とリコールの人たちをもう一度見てみた

銀河鉄道とリコールに関わった一般人たちを見たいともう一度瞑想状態になって探ってみました。

宇宙、星空が見えます。星がいくつも光っています。宇宙空間、星空がしばらく出ていました。すると屋根のついた位牌のような形のものが出てきました。でも位牌ではありません。全て木でできています。なんだろう。木でできた長方形のものに木の屋根がついています。ずっとみていたら、思い出しました。
伊勢神宮とか、お宮にある、神様のいるところ。あぁ、月読宮とかいろんな神社にある神様の社。あれだわ。
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この写真より高さがありました。が全部白木で作ってありました。これは鳥居がありますが、鳥居はなく、向きは横向きでした。

般若の顔が出てきた後、烏帽子の人が出てきました。それに続いてたくさんの人が出てきました。ゴジラみたいにものも出て消えました。どこかで誰かが言っています。
「あなたたちはパワフルです」

私が「リコールの人たちは❓混乱は❓」と聞くと、いろんな時代、個人の背景が重なっていると言っているような気がしました。だからバラバラなのかもしれませんね。真相は複雑で見えません。

誰かがまた言います。「行動は強い祈り」そんなことを聞いたような気がしました。思い込みかもしれません。

銀河鉄道は全く姿も形も見えません。私の問いかけには全く答えとはならないイメージでした。でも、リコールに参加したことは何か、神道的な何かそれぞれの個人の関わりもあると思います。あとはわかりません。

喰うか食われるか

まだ銀河鉄道についての瞑想は続きをやっていません。先日はうなぎ犬と大首、小さな殿様が出てきました。これを思い返してみると、リコールにしろ、アメリカ大統領選挙にしろ、右か左、愛国者と売国奴など対立軸のどちらかに属するものが正しいとするのは違うのだと思えてきました。
うなぎ犬も大首も言っているのは「喰ってやる」です。どちらも飽くことない食欲、悪食ぶりでこの世の全てを食べても足りない雰囲気を持っていました。

このことは、この世は右も左も究極的には同じであると言うことではないかと思うのです。中共のために生きているかのような大村やワニみたいな顔の辻元など。それらは日本や日本人を外人に売っているのはよくわかります。なら、自民党や安倍さんはいいか❓と言えば違います。安倍さんも所属する自民党も統一教会のただの秘書をたくさん雇い、合同結婚式には祝辞さえ出しています。統一教会の秘書をいっぱい雇い、その合同結婚式に祝辞を送るのは自民党も安倍さんもうなぎ犬の大村も同じです。どちらも統一教会から出されたうまみと引き換えに、なんでも言うことをきくのです。騙されて韓国の結婚もできない男に嫁ぎ、一生貧乏で過酷な生活をする日本女性のことは屁とも思わないのです。統一教会を非難していたので素晴らしいジャーナリストかと思いきや実は北朝鮮の走狗の有田芳生...拉致問題には冷淡です。

食ってやる側と食われる側 
それしかこの世にはないのです。右も左も愛国も売国もないのです。強いてあるとすれば、外人{喰う側}と純粋日本人{餌}外人に自民党も有田も、野党も日本企業もなっているということです。

権力と地位を持った人が食う側、名も無い無名の人々が食われる側。そんな構図が実はありながら、気づかず右だから、左だからとどちらかの肩を持ち、そちらの側につく。そんなことは一般日本人にとっては本当は強いやつの餌になりに行くようなことなのでは❓と思えてきました。

上下構造、上のものが下のものを支配する。そんな意識がリーダーと言われる人々とそれに従うあらゆる場面での一般人の間にあるのです。うなぎ犬も大首も同じなのです。食う側で、支配する側です。私はこの頃あの大首はT先生かもしれないと思っています。
では、私たち庶民は餌なのでしょうか❓このまま上下構造の中に組み込まれば餌でしょう。食われても感謝もされません。

いつまでもこの修羅の世から抜け出せないのは辛すぎます。私は前みたビジョンのうなぎ犬、大首が出てくる中でどちらかにつくなど、喰い食われるゲームから出るのが私たち庶民の究極なのではと思っています。

このビジョンでは小さな殿様が出てきました。松平の殿様のような、名古屋の殿様のような感じでした。この殿様はどちらにも食われてませんでした。私たちが餌とならないのにはこの殿様となれと言われているような気がします。ただ、それがどう言う意味なのかわかりません。また、このうなぎ犬と大首は何かのスポーツの試合みたいなところにいるような感じもします。そして小さな殿様はそれには参加せず、観戦しているのではないかと思います。

殿様って誰❓はち丸だったら、星を風呂敷に入れて背負っているので、宇宙人か❓はち丸って、希望やのぞみの星を風呂敷に入れて歩いているので、庶民は希望だけを背負い行けば明日は開けると言うことかなぁ。その希望の星はかなえちゃんだから、思いはかなうと言うことか❓
また瞑想状態になり探ることとします。

銀河鉄道とリコールの人たちを見ようとしたら

リコール関係の人と銀河鉄道を見たいと、またも瞑想状態になってみたところ、変な大きなナマズのような口の大きい化け物が出てきました。皮が、黒ではなく、茶でもなく、灰色でもないです。堅いような柔らかいようなぬめっている皮膚。目もナマズ型の顔についていて、それがメガネみたいな目にも見えます。胴体は蛇のように細長いわけでもないです。が、蛇みたいにずるっとしていて、もっと太っている体型です。ナマズ?
口が赤くてそれが生々しく、気持ち悪いです。目が大村知事ぽっいです。知事、ナマズの大妖怪になったのかな。

どこかで「こいつはなんでも食う」と言っています。

するとナマズ風妖怪の前に大首の妖怪が出ます。そいつも食い意地が張っているようで「食ってやる」なんて言っています。そして今度はとっても小さい丁髷のマンガ風の殿様みたいの人がふっと出てきます。

すぐに画面は変わり、尖塔が二つある建物なのか、屋根の先が二つ尖って見えたのか、茶色の建物、レンガ作りの建物が見えました。

私としては銀河鉄道と、参加したボランティアを見たかったのですが、変なナマズとその他わけの分からないものでした。
が、その1日後、散歩していてふっと気付きました。
あの口が赤く、毒々しくナマズみたいなのってこれが邪悪になった姿なのでは❓みんなが大村知事をうなぎいぬと言っていましたが、うなぎ犬に似た、邪悪なやつが大村かもしれないと思っています。

すると、あの大首の妖怪と小さい丁髷とのさまは誰なのだろう。続きはまた瞑想で見ることとします。

二、三日後、ふと思い出しました。あの、ちっちゃい殿様って松平饅頭のあれでは❓饅頭の絵まで出てくるとは、変なビジョンですね。それよりもはち丸の方がより近かったかもしれないです。

はち丸
はち丸

銀河鉄道のことを考えていたら 長い棒のようなものが。

いろいろと不可解なことが多すぎるリコール。それで銀河鉄道に関係者は乗ってないか❓半瞑想状態でのビジョンを追ってみました。

さまざまなものをみたのですが、すぐに記録してなかったのでほとんど忘れてしまいました。ただ、何かの光景をみた後、何か長い棒のようなものが宇宙らしき空間に浮かんでいました。感じとしてはウニをステンレスみたいにして、ウニのとげをぐんと伸ばしまくったようなものが出ました。と言っても全容は見えず、ウニのステンレスの細長ーい棒が二、三本、見えました。多分視界の左手下、向こうは見えないのですがそちらに本体はあるようだったのですが。

なんなんだろう。人は出てきたと思いますが、記録にとってなく、わかりません。猫と旦那を起こすのが嫌で記録を取らなかったのです。もう一度挑戦して記録に取ります。

銀河鉄道はどこを行く

夏までは銀河鉄道のことを書いていました。
私は知りたいことがあります。まさとさんの過去記事の中に大村知事と銀河鉄道のことがありました。今の知事のふんぞりかえっている顔をみていると苦痛に悶えているようには思えませんが、あの世は先を行くので、今の大村がどう威張ろうとも彼の最終的な行き先はロクでもないところだろうと想像できますが。

リコールを終えて、なんとなく十二月の半ば、どうも気分が下がります。もっと元気出せと自分で自分に言っているのですが、スーパーで買い物途中に、「やっぱり、自分は気分が沈んでいるな」なんて思ってしまいました。
本当に何にも言っていないのに真面目な高須先生信者から「ああ言った、こう言ったのはどういうことだ」なんてお叱りを受けたりします。何も言ってないのでなんのことやらわからず、返事をしてもトンチンカンだし。でも、気分が澱みます。

署名の閲覧届も出せたので、リコール関係のコミュニケーションについてはこれで終了ということにしようと思っています。が、こんなことが続くと本当に神経が持ちません。信者の人は先入観が強く、何を言っても言わなくても「なんだ」と怒るし、論理が破綻しているのでこちらの頭が痛くなります。

もう、限界です。いろいろと真実を知りたい人たちもいるのですが、しばらくは地下に潜ることとします。

せめて寝落ちの瞬間の意識があるようなないような時、瞑想状態の時に、天に問いかけようと思っています。銀河鉄道にリコール関係の人は乗っているのかどうか。頑張っても虫けら扱い以下の我々のような人とT先生と信者、T事務局長など。姿と本音を見たいと思っています。

リコールの烏合の衆、私は真実を知りたいだけなのです。
星に願いを‼️かけてみました。
先生は電車の中にいるか?どうしているか? 見るのが楽しみです。

↑以上の記事は冬至の一週間ぐらい前書いたものです。不思議なことに冬至の日以来、体も気分も軽やかになり、今までの重さはどこかに行ってしましました。

プロフィール

工芸美術をやっています。2017年からスペイン語の試験を受けています。が、ドンキホーテはいまだに完読できていません。握力は小学生よりない力なし。ひっそりとこのシャバの片隅でモーニングを食べている凡人です。

るんるうん

Author:るんるうん
またの名はクマネルです。ふしぎなことが好きです。着物も好きです。

たまに、魚を捌きます。猫におしっこをかけられたこともありますし、珍しい体験もあります。

たまに-クッテネル-が記事を書きます。そちらもよろしく。

いつのまにか歳をとりました。

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十二か月の着物

手持ちの着物を月ごとに替えて表示してみました。2015年1月
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